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第三話:周の誕生

あらすじ


 紀元前十一世紀頃、建設柱は、西方辺境の諸侯、姫昌(きしょう / 後の文王)に宿った。腐敗し硬直した殷王朝の暴君・紂王ちゅうおうに対し、姫昌は武力ではなく仁政という永続的な秩序の建設を試みる。しかし、その静かな建設は破壊の試練に直面する。囚われの身となった姫昌は、人質となった長男の死と、儒教の経典の源流となる思想の編纂という内なる破壊と創造を経て、次の時代の建設の青写真を完成させる。そして、破壊柱は文王の子の武王に宿って旧秩序の清算を担い、創造柱(太公望)は軍師として彼らを支え、周王朝の建国に尽力する。


本編


 紀元前十一世紀頃。建設柱は、殷に服属する周の君主、姫昌きしょうに宿った。彼は、父の死後、都を岐山の麓から、渭河いがの支流である灃河ほうか西岸の豊邑ほうゆうへと移すことを決断した。

 姫昌は、都市の土台を自ら踏みしめながら、新しい都から古い宮殿の埃を払い落とすように、古い慣習を一つ一つ改めていった。農民たちは互いに畦道を譲り合い、老人に道を譲る若者の姿が常となった。彼の領地には争いの音がなく、ただ穏やかな生活のざわめきと、穀物の香ばしい匂いが満ちていた。

 この静かな建設は、殷の暴君・紂王の暴虐とは対照的であった。

 ある日、姫昌と同じ三公の地位にある九侯きゅうこう鄂侯がくこうが、紂王の不興を買って残酷な刑に処されたという報が、都に届いた。

 姫昌は、玉座の間で静かに立ち尽くした。報せの内容を書いた竹簡を開いたまま、彼は何も言わず、手のひらを硬く握りしめ、その微かな震えを隠した。

「……これは、人の世の秩序ではない」

姫昌の絞り出すような声が、重い空気を切り裂いた。彼は顔を上げ、遠い東の空を見据えた。

姫昌の嘆息は、紂王に伝わってしまう。崇侯虎すうこうこからの報告を受けた紂王は、姫昌を羑里ゆうりの地に幽閉した。牢の冷たさが、彼の身体に染みる。石と湿気の匂いが鼻を突いた。

 幽閉の最中、最も過酷な破壊が姫昌を襲った。人質として殷に送られていた長男・伯邑考はくゆうこうが、紂王によって殺され、その死肉を入れたあつものが、父である姫昌に差し出された。

 姫昌は差し出された羹を見つめ、深い息を一つ吐いた。羹から立ち上る湯気が顔に触れる。彼は顔色を変えず、音もなくその羹を飲み干した。熱と異様な味が喉を通り過ぎる。

 その行動は、息子を失った悲しみを乗り越え、破壊の衝動を建設の意志へと昇華させるという、凄まじい覚悟を示した。

 牢の中で、彼は、物理的な力では破壊できない、永遠の秩序を探求した。冷たい石の壁によりかかり、天の理と時の流れ、「変化」の法則を深く探り、『周易』(後の儒教の経典の源流)の基本部分を編纂したとされる。竹簡に筆を走らせる音だけが、静かな牢に響いた。

「力は力で滅びる。しかし、天命と変化の法則は、永続して続く秩序となる」

 彼の独り言が、冷たい石の壁に静かに吸い込まれた。


 三年後、姫昌の家臣が財宝と領地を紂王に献上することで釈放され、「西伯」(殷の西部を統括する諸侯)の爵位を授かった。

 周国に戻った姫昌は、紂王の敵視を警戒しつつ、仁政を再開した。彼の建設は、最早、物理的な都の枠を超えていた。

 あるとき、ぜいという小国の君主たちが、紛争の調停を求めて、ともに周国を訪問した。彼らが周国で目にした光景は、衝撃的だった。農民は互いに畦道を譲り、若者は老人に道を譲る。彼らの間には争いの火種がなく、平和な共同体のざわめきだけが澄んだ空気に満ちていた。

 両国の君主は、顔を見合わせ、無言で首を垂れた。彼らは自分たちが争っていたことを恥じ、姫昌に面会することなく帰国し、紛争を止めた。

 内々では、姫昌は軍師として呂尚(太公望)を迎え、対外戦争によって版図を広げた。北方遊牧民族の犬戎けんじゅう、近隣の方国を立て続けに征伐。晩年には、幽閉のきっかけになった宿敵の崇侯虎を征伐し、その領地を併呑した。

 創造柱の宿る呂尚(太公望)は、姫昌と渭水いすいのほとりで出会った。川の流れが穏やかに音を立てる中、呂尚は静かに釣り糸を垂らしていた。姫昌は、呂尚の智謀と見識に魅せられた。

 姫昌(建設柱)は、呂尚の横に座り、冷たい川の水を手で掬い、その冷たさを確かめた。

「わが亡父はかねてから、聖人と出会っておおいに周が興ると告げていた。あなたこそ、太公(父)が望んだ人物だ」

 呂尚(創造柱)は静かに釣り糸を巻き取り、姫昌の眼を見つめた。

「貴方様の仁政は、周の地に深く根を張った。しかし、殷を打ち破るには力の創造が必要です。私の使命は、破壊の後に続く、新しい世の青写真を描き、それを後の世に託すことです」

 太公望は深く一礼した。

「力で得た天下は、力で失われる。文王様の建設の理念を、戦を通じて、次の世に定着させます」

 太公望は、殷を倒し、周を建国するべく軍師として活動を開始する。


 姫昌は老齢で没したが、彼の徳治によって周国は強固な建設の土台を得ていた。

 その土台の上に立ち、破壊柱は、後を継いだ息子の姫発きはつ、後の武王の威厳ある体躯に宿った。姫発は、父に敬意を込めて「文王」とおくりなし、革命戦争を起こす。

 姫発の眼差しは炎のように燃えていたが、それは個人的な怒りではなかった。彼の心は、父が築いた徳によって、既に腐敗しきった紂王のシステムを打ち破るという純粋な使命感に満たされていた。

 彼は、長い柄の斧の刃先を指でなぞり、冷たい金属の感触を確かめた。

「父上は仁政という建設で新しい世の準備をしてくださった。紂王の腐った器は、この鉄槌で砕くしかない」

 彼の低い声は、周囲に無言の決意を放っていた。

 姫発は、革命の主導者は自分ではなく亡き父であるとして、戦車に文王の木主(位牌)を乗せ、自らは太子と名乗って出陣した。姫発の傍らには、創造柱を宿した呂尚(太公望)が控えていた。

 太公望(創造柱)は、文王の言葉を反芻した。

「力で得た天下は、力で失われる。破壊だけでは、次の世は保たれぬ」

 太公望は、竹簡を指先で撫でつけながら、姫発に進言した。

「殷を滅ぼすのは破壊の力です。しかし、次の世(周)を治めるのは、文王様が築かれた人民の心を繋ぐ制度でなければなりません」

 太公望は、軍規を厳格に定め、勝利の後の統治、すなわち文王(建設柱)の遺志を継いで世を太平にするための青写真を夜を徹して書き続けた。墨の匂いが鼻についた。

 紀元前一〇四六年。姫発と太公望率いる周軍は、殷王朝の都に近い牧野で、紂王率いる殷軍と対峙した。

 戦いの前夜、太公望は天を仰ぎ、冷たい夜風に決意を込めた息を吐いた。

「破壊は今夜で終わる。その後から、文王様の建設が始まるのだ」

 姫発(破壊柱)は大地を踏みしめ、全軍に響き渡る声で叫んだ。

「進め! すべてを打ち破れ! 我らが父、文王の徳治をもって、天命を果たす時だ!」

 彼は長い柄の斧を頭上高く振り上げ、殷の軍勢へと突進した。

 姫発の猛攻は、腐敗しきった殷軍の戦意を一瞬で崩壊させた。戦場は血と土埃の臭いに満たされ、殷の兵士たちは次々と武器を投げ捨てた。

 紂王は、宮殿の鹿台で戦況の絶望的な報告を受け続けた。彼は豪華な衣装を乱し、柱を殴りつけた。手の皮が擦りむける。

「なぜだ! 私こそが天命を受けた王ではないのか! 」

 彼の顔は絶望的な敗北に歪んでいた。

 もはや逃げ場はないと悟った紂王は、鹿台に自ら火を放った。

「私の快楽の王国と共に、永遠に燃え尽きろ!」

 燃え盛る都の炎は、旧秩序の破壊の完了を夜空に赤々と告げていた。

 破壊という血の清算が済んだ後、太公望は焼け落ちた大地に静かに立った。彼は、姫発の破壊の衝動を鎮めた。

 姫発は斧を地面に突き刺し、煙が立ち上る都を見つめた。

「太公望よ、破壊は終わった。これからは共に父上の描いた建設の夢を、現実にしてくれ」

 姫発は武王と呼ばれ、太公望と共に、新しい秩序、すなわち周王朝の創造を開始した。早世してしまう武王を、武王の弟であり、後の世では孫権として生まれ変わる、周公旦(しゅうこうたん / 安定の継承者)が支えることになる。

 この創造こそが、文王が羑里で編纂した思想に基づき、中華文明に「天命」という建設的な統治理念をもたらす礎となるのであった。

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