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第二十六話:足利尊氏の創造、分裂という均衡、金閣の輝き

あらすじ


 一三三八年。護良親王による新政の内部破壊と武士の離反を経て、建武の新政は崩壊した。足利尊氏(創造柱)は、征夷大将軍となり、室町幕府を樹立し、新しい武家政権の創造を開始する。しかし、尊氏は、前の建設者である後醍醐天皇(建設柱)を吉野へ追いやり、敢えて南朝として残した。これは、尊氏の創造の意図が、次の時代の布石として「分裂」という不安定な状況を継続させることで、強固な中央集権的建設を先送りし、武士が自立的に進化する余地を創り出すことにあった。この創造は、後に足利義満の公武合体という形で結実したが、やがて戦国時代という大いなる進化の土壌を創り出すのであった。


本編


 西暦一三三八年、足利尊氏(創造柱)は、光厳天皇から征夷大将軍に任じられた。京都の室町に開かれた新しい政庁は、鎌倉の質実剛健さとは異なり、京の公家文化を取り入れた優雅さと、武士の力を融合させる、新しい様式を示していた。尊氏の創造は、この二つの権威を繋ぎ止める「曖昧さ」に基づく複雑な構造であった。室内には、墨と公家の香が混ざり合う、独特の匂いが漂っていた。

 尊氏は、将軍として座し、畳の上に置かれた扇の先を見つめた。彼は、武士の棟梁でありながら、その役割を天皇という権威に依存させるという、難しい立場を創造した。

 彼は静かに息を吸い、その扇を拾い上げた。

「私が創るは、地方の武士が自らの力で大地を耕す余地を持つ政だ。中央が重すぎては、次の進化は起こらぬ」

 一方、後醍醐天皇(建設柱)は、京を追われ、南の山深い吉野へと逃れていた。吉野の仮の御所は、京の華麗さとはかけ離れた、木々の匂いと湿気に満ちていたが、天皇の眼差しは、未だ、正統な建設者としての誇りを失っていなかった。

 尊氏は、後醍醐天皇を徹底的に破壊しなかった。彼は、あえて「南朝」という分裂のシンボルを残し、日本を二つの朝廷に分断させた。

尊氏は、庭の池を見つめ、水面に映る自分の顔に、乾いた手を翳した。

「今、すべてを統一してしまえば、武士の自律的な発展を阻害する。彼らは二つの権威の間で揉まれ、自らの力と判断力を磨かねばならぬ。この不安定さこそが、次の時代を創る土壌となる」

 室町の政は、守護大名たちが京の将軍と吉野の天皇という二つの権威の間で、巧みにバランスを取ることを強いられる「場」であり続けた。


 南北朝の動乱は、長期にわたり続いたが、その分裂の時代は、やがて尊氏の孫、足利義満(創造柱)の時代に収束する。

 西暦一三九二年。義満は、長年続いた南北朝の合一を成し遂げた。南朝の後亀山天皇が京に戻り、神器を後小松天皇に譲る日。五山の寺院から響く鐘の音が、京の街の空を震わせた。義満は、その鐘の音を聞いた時、一言も発せず、静かに目を閉じた。彼の建設の一つの青図が、ここに完成した。

「分裂の時代は終わった。これより、武士の力と皇室の権威を一つの構造に建設する」

 義満の建設の核は、「公武合体」であった。彼は、武士の棟梁である将軍でありながら、公家の官職である太政大臣だじょうだいじんに就任した。彼が纏う装束は、最高位の公家にふさわしい、重厚な絹と雅な色に彩られ、その周囲には公家の高貴な香が漂っていた。

 ある日、義満は太政大臣として、廷臣たちが集まる場で、公家の儀式に厳然と臨んだ。その華麗な姿は、武士の棟梁というよりも、古の貴族の権威を体現していた。

 一人の廷臣が、公家の伝統を踏まえて義満の装束と振る舞いに賛辞を送った。

「恐れながら、太政大臣殿の御威容は、古の摂政関白にも引けを取らないものです。武家が京の政を担ぐ、新しい御代の輝きです」

 義満は、ゆっくりと扇を開き、椿の紅い花が咲く庭を見た。扇の先が、公家と武士が立つ場所の境界をなぞる。

「公と武は、同じ国を支える両輪である。私の建設は、武士の実力を以て、公の秩序と美を守り抜く形だ。もはや、武家と公家の境はない。この新しい形を、そなたたちは受け入れよ」

 西暦一三九四年。義満は、将軍職を息子の義持に譲り、自らは出家して「道義」と名乗った。剃刀で剃られた頭には、香の清い匂いが漂う。この出家は、権力を離れるものではなく、仏教界の最高権威をも自らの建設の構造に取り込むための行動であった。

 五山の寺院を統括する僧たちを集めた会合で、義満は、簡素であるが上品な僧衣を纏い、静かに座した。僧たちの間には、線香の微かな匂いと、厳粛な空気が漂う。

 義満は、静かな声で仏教界の秩序に関する意見を述べた。

「乱れた世には、武家の法と公家の法だけではなく、仏の慈悲と厳しさが必要だ。五山の僧たちは、一つの秩序の下、武と公の建設を支えよ」

 僧の一人が、平伏したまま、静かに問うた。

「恐れながら、上のお考えは、仏教をも政の下に置くということでございますか」

 義満は、手に持っていた数珠を静かに鳴らした。数珠が触れ合う、小さな乾いた音が室内に響く。

「下ではない。合体だ。政は武と公、そして仏の力を以て成り立つ。私は、三つの権威の頂に立ち、この国の永続の建設を完成させる」

 彼は、公家の政と武家の実力に加え、仏教の精神的な権威をも自らの統治の一部に取り込むことで、誰も破壊できない、三位一体の建設を試みた。

 義満の建設は、力だけでなく、文化にも及んだ。彼が北山に築いた鹿苑寺(金閣)は、武士の質実剛健さ、公家の優美さ、寺院の禅の奥ゆかしさを融合させた北山文化の象徴であった。

 金閣の上層は、武士の質素な様式を排し、仏教的な美と公家の華麗さをまとい、眩しい光を水面に反射させた。池に漂う水の冷たい匂いと、金の放つ力強い輝きが、義満の力による「富の安定」が、文化と美を生み出す基盤となったことを示していた。

 金閣の落慶の日、義満は、武家の重鎮である斯波義将しばよしまさに向かって語りかけた。

「義将、この輝きは、武士がもはや戦だけでなく、公の美と仏の慈悲を理解し、新しい時代を建設する力を持ったことの証だ」


 しかし、義満が築いた強固な安定は、彼の死後、再び渦を巻き始める。義満は、後継者として足利義嗣(よしつぐ / 悲劇の輝き)という若い皇子に期待をかけたが、彼は後継者争いの中で若くして命を落とした。義嗣の悲しい報せが京に届いた時、室町御所の庭は、冬の冷たい雨に濡れていた。雨の中、義満の後を継いだ足利義持は、拳を握りしめ、地面を睨みつけた。

「皆が私に期待しているのは父上の路線をやめ、武家としての統治を行うことだ。父が築いた全ての権力の集中は、私には維持できぬ」

 そして、義満の力で抑えられていた守護大名たちの不満が噴出し、尊氏の創造が生み出した「分裂」の土壌で自立的に育った武士たちの力は、中央の統制を離れ始める。南北朝の混乱、そして義満がもたらした富と平和の基盤は、民衆の力をつけさせ、身分に関わらず出世のチャンスがある、次の戦国時代という大いなる進化の土壌となっていくのであった。

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