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第二十五話:後醍醐天皇、公武統合の夢と時代の反響

あらすじ


 一三三三年。後醍醐天皇(建設柱)は、鎌倉幕府の崩壊後、皇室を中心とする「建武の新政」という公武統合の理想を建設するが、武家の実情を無視したその形は武士の反感を買った。天皇の皇子であり、倒幕の功労者である護良親王(破壊柱)は、新政の理念を貫徹するために対立する公家勢力を破壊しようとし、結果として武士の棟梁、足利尊氏(創造柱)と決定的な対立を生む。この内部の破壊と建設の破綻こそが、尊氏による室町幕府の創造を歴史の必然へと推し進める原動力となり、南北朝の混沌という次の時代の特殊な均衡を生み出した。


本編


 西暦一三三三年、鎌倉幕府が滅亡した後、後醍醐天皇(建設柱)が紫宸殿ししんでんに座した京の街は、華美な香と埃が混ざり合う、不安定な空気に包まれていた。天皇は、一千年前の律令の精神に則り、公家と武家を分け隔てなく統治する「建武の新政」の青図を広げていた。墨の匂いが鼻をくすぐる。

 天皇は、紙の隅々を指でなぞり、静かに頷いた。

「公の秩序はかくあるべし。旧き律令の精神に則り、この国に永続の平和を建設する」

 しかし、彼の手は、武士の所領を巡る紛争に対して、抽象的な公家的論理を適用した。武士が求めていた「実効性」と「恩賞」は、この建設の中に見当たらなかった。

 建設はわずか二年で綻びを見せ始めた。武士たちの功績が公家の論理によって踏みにじられることに激怒し、不満は渦となり、京の街に淀み始めていた。冬の冷たい風が、その不満のざわめきを運んでくる。

 足利尊氏(創造柱)は、自らの邸宅の静かな庭で、茶を啜った。湯気が彼の顔をかすめる。彼は、建武政権への不満の声を聞くたびに、一言も発さず、ただ静かに、手のひらで茶碗の熱を感じていた。天皇の建設の失敗は、彼の創造の機会を意味した。

 尊氏の邸宅に集まる武士たちの、熱を帯びた眼差しを見て、彼は自分がもたらすべき時代の形を確信した。彼は、集まった若い武士たちの前で、自らの太刀を抜き、鞘の光沢を見つめた。

「公の秩序は、地に足が着いていなければならぬ。武士の功名を報いることができぬ政は、もはやこの時代には通用しない」

 尊氏は、太刀を鞘に納める際、カチという鋭い音を立てた。それは尊氏が幕府を興す決意をする前触れであった。


 西暦一三三五年。後醍醐天皇の皇子であり、倒幕の功労者である、護良親王(破壊柱)は、建武の新政の理念を武力を背景に純粋に貫徹しようとした。彼は、鎧の胸当てを撫で、居室に充満する汗と革の匂いの中で、建武の新政を骨抜きにする公家たちへの激しい不信を隠さなかった。

 親王は、血気盛んな武士たちを率い、自らの理想に合わぬ勢力の排除を目指した。その過激で直情的な破壊の矛先は、武士の最大の棟梁である、足利尊氏(創造柱)へも向けられた。

尊氏は、親王の勢いを見て、静かに眉根を寄せた。湯気が彼の顔をかすめる。親王の破壊は、尊氏が構想する多層的で複雑な新しい政権の創造とは相容れないものであった。

 この両者の対立は、後醍醐天皇に、皇子という血筋と武の実力を併せ持つ護良親王が権力を握ろうとしているのではないかと危険視させた。そして天皇は、自らの建設を内側から脅かす存在として、護良親王の排除という決断を下す。

 天皇は、公家たちに囲まれた評定の場で、静かに扇を閉じた。

「たとえ我が子であろうと、建設の安定を脅かす者は除かねばならぬ。公の秩序のために、護良を捕縛せよ」

 捕縛された親王が、幽閉された建物の中で発した荒々しい声は、建武の新政の終焉を告げる音のようであった。


 護良親王の排除という決定的な内部破壊が起こったことで、足利尊氏(創造柱)はもう猶予はないことを悟った。後醍醐天皇(建設柱)と護良親王(破壊柱)は、半端な建設を内側から打ち壊し、結果として尊氏に対して、「武士の世の新しい形」を創造せよと場を用意することになった。

 尊氏は、自らの邸宅の庭に立ち、遠く京の方向を見据えた。彼は、自らの太刀を抜き、地に向かって切っ先を垂らした。

「公の建設は崩れた。私が創るは、武士の実力と、天皇の権威を利用する、新しい秩序だ。この破壊の跡地から、武家の新しい時代を創造する。もはや私に迷いはない」

 彼が馬に跨り、京の混乱を収束させるべく立ち上がった時、彼の目に映っていたのは、護良親王がもたらした全てが白紙に戻った破壊の跡地であった。この破壊こそが、尊氏の創造を助けたのである。

 尊氏は、後醍醐天皇を京から追い、新しい天皇を擁立した。後醍醐天皇は吉野へと逃れ、南朝という理念の旗を掲げたが、この二朝並立の混沌こそが、公家と武家の力を過度に強めすぎない特殊な均衡を生み出したのだ。足利尊氏の創造した室町幕府という構造は、この二つの京の間に立ち、力のバランスを取ることで、武士の新しい統治を可能とした。

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