第十五話:平将門、安定社会に穴を開ける破壊
あらすじ
西暦九三九年。藤原頼通(建設柱)が平安京で公家社会の安定を維持する裏側で、東国では古い律令体制の綻びが広がり、武力が実権を握り始めていた。破壊柱は平将門に宿り、私的な紛争から中央の公家政権に対する反乱へと発展させる。将門は自ら「新皇」を名乗り、建設された公家の安定を根底から揺るがす破壊を敢行する。彼の行動は、貴族の華やかな世界に風穴を開け、武士の力を世に知らしめる破壊の役割を完遂した。
本編
西暦九三九年。東国の常陸の大地は、中央の平安京の雅とはかけ離れた土と汗の匂いに満ちていた。平将門(破壊柱)は、叔父たちとの私的な土地を巡る争いの中で、中央の公家が地方の実情を無視する体制に対して、奥歯を強く噛みしめた。彼の顔には長い戦の疲労と、体制への激しい不満が刻まれていた。
彼は血のついた刀を鞘に納め、荒れた常総の空を見上げた。泥と草の匂いが鼻をつく。
「京の貴族どもは、ここで流れる血の意味を何も分かっていない。我々の実力こそがこの地の律だ」
頼通が築いた京の優雅な建設は、東国の武士たちにとっては遠い幻想に過ぎなかった。地方の実力者たちは、もはや律令の枠組みを超え、武力を頼りに自らの領地を守る道を選んでいた。
将門の紛争は、やがて、国衙を襲撃し、国司を追放するという、中央政権への明確な反逆へと変貌した。
彼は、戦で血に濡れた武具を纏ったまま、下総の営所で自ら「新皇」と名乗った。彼の声は野太く、荒涼とした大地に響き渡り、東国の武士たちを熱狂させた。砂埃が舞い上がり、将門の背後に破壊の旗が翻った。
彼は集まった兵に向かい、剣を高く掲げた。
「私の名がこの国の新しい律となる。古い秩序はもはや、我々を縛れぬ」
彼が掲げた破壊の旗は、旧体制の矛盾を一気に清算しようとする強烈な意思を示した。
この知らせは、遠く平安京まで届いた。藤原頼通の邸宅では、優雅な宴が一瞬で静まり返り、公卿たちはその場で扇子を取り落とした。彼らの顔は一様に青ざめ、香の匂いが満ちる、自分たちの安寧な世界が東の地から破壊されようとしている現実を、信じられない様子で見つめた。
頼通は無言で筆を執り、将門を討伐する勅命を記した。彼の指先はわずかに震えていたが、筆が紙を滑る音は冷静であった。彼の建設した安定の構造に対し、将門が風穴を開けた瞬間であった。
しかし、将門の破壊の時代は短かった。彼の破壊の役割は、公家社会の安定を揺るがし、武士の存在を中央に知らしめることで完遂された。
西暦九四〇年、平将門は味方の裏切りと追討軍の猛攻の前に斃れた。彼の首は京に運ばれ、朱雀大路に晒された。晒された首の武骨な顔は、生前と変わらず、何かに対する苛立ちを留めているかのようだった。
将門の肉体は滅びたが、彼が示した武力の威力と、体制を破壊する可能性は、公家の心に深い傷を残した。平安京の華やかな生活の下に、血と剣の匂いが確かに浸透し始めた。
彼の破壊は、その後の時代に武士が政治の表舞台に登場するための、避けて通れることのできない道を開いたのである。公家の建設が続く中、武士という新しい創造の種は東国の土の中で着実に成長し始めた。このとき頼通として生きる建設柱は後に、東の地に頼朝として鎌倉幕府を開く。




