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第十四話:藤原道長、公家社会の絶頂の創造

あらすじ


 十世紀末から十一世紀初頭の平安京。中華の唐王朝の安定が揺らぎ始める頃、日本では律令の形骸化が進んでいた。創造柱は藤原道長に宿り、娘を次々と天皇の后とすることで、摂関政治という公家社会の権力システムの「絶頂」を創造する。彼が創り出した構造を、息子の藤原頼通(建設柱)がさらに約五十年にわたり維持し、平安時代の華麗な安定期を築き上げる。


本編


 西暦九九五年。藤原道長(創造柱)は、兄の道隆みちたか道兼みちかねの相次ぐ死と、政敵の排除という運命の追い風を受け、京都の冷たい空気の中、権力の頂点へと歩を進めていた。道長は大極殿の柱にそっと触れ、その滑らかさを確かめた。柱の冷たさが、彼の決意を研ぎ澄ます。彼の口元には、自信に満ちた笑みが浮かんでいた。

「この国には、天皇中心の律令の世が乱れた際に補助できる仕組みが必要だ。摂政・関白として政を安定させようぞ」

 彼の創造は、血縁と婚姻という柔らかくも強固な糸を用いるものであった。道長は娘の彰子あきこを一条天皇の后とし、次いで威子いしを後一条天皇の后とした。彼は、天皇の外戚として摂政、関白の地位を独占し、公家の権力を強固にする「摂関政治」というシステムを完成させた。

 彼の邸宅、土御門殿は常に香の匂いと雅楽の音色に満たされていた。貴族たちは彼の一挙手一投足に注目し、彼の言葉が律令より重い時代が創造された。


 道長の創造した絶頂のシステムを引き継いだのが、息子の藤原頼通(建設柱)であった。頼通の建設の本質は、父が創り上げた完璧な構造を揺るぎなく保ち続けることにあった。

 彼は約五十年にわたり関白の地位にあり、政務を執り続けた。道長が積極的に政治を動かしたのに対し、頼通は最小限の介入でシステムを維持した。彼は静かに座り、奏上される書類に筆を走らせ、不必要な変化を拒否した。墨を硯にすりつける音だけが静かに響いた。その表情は常に穏やかで、波一つ立たない湖のようだった。

 彼は臣下に向かい、建設者としての心得を静かに示した。

「国の安寧は水面の静けさの如し。我々の役割は、この静けさを乱さぬよう、父が築いた堤防を補強し続けることだ」

 彼が建立させた平等院鳳凰堂は、彼が建設した時代の安定と美の極致を象徴している。朱色に塗られた柱と黄金色の仏像は、王朝の揺るぎない権力と文化の成熟を示していた。頼通の建設により、摂関政治は単なる権力の独占ではなく、文化的な最盛期という安定の時代を現出させた。


 道長は権力の絶頂にいた寛仁二年(一〇一八年)、自らの邸宅での宴で和歌を詠んだ。空には満月が煌々と輝き、酒の匂いが庭の草木から立ち上る露の匂いと混ざっていた。

 彼は扇子をゆっくりと開き、集まった貴族たちの静寂の中で、和歌を詠んだ。

「この世をば、わが世とぞ思ふ、望月の、欠けたることもなしと思へば」

 彼は歌を詠み終えると、杯を高く掲げ、満月に向かって静かに頷いた。杯の酒に映る満月は、完全な円を描いていた。その姿は、自らが創造した世界の完成を宣言する創造者そのものであった。この歌は、公家社会の力が頂点に達し、律令国家の形を借りた、新しい統治のシステムが完璧に創造されたことを世に示した。

 しかし、この構造には武士の成長という伸び代があり、やがて来る時代の破壊と創造の布石となっていた。

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