第十話:拡張と変革の創造・破壊、ローマの精神的転換
あらすじ
ニ世紀。アウグストゥス(建設柱)の安定システムの中で、建設柱はトラヤヌス帝に宿り、地理的創造としての最大版図を建設する。それから約ニ〇〇年後、硬直した帝国の精神的基盤を破壊的に変革するため、破壊柱がコンスタンティヌス帝に宿る。彼はミルウィウス橋の戦いを経てキリスト教を公認し、多神教国家であったローマの精神的骨格を打ち砕き、新しい時代の創造を導く。
本編
紀元後ニ世紀頃。アウグストゥスが建設した安定システムは黄金の光を放っていたが、建設柱の意識はその限界を突き破るという次の改善(拡張)を求めていた。それに際し、アウグストゥスとして活動した建設柱自らが改善を図るため、トラヤヌスとして生まれる。これは後の日本の鎌倉幕府における、源頼朝として活動した後、北条時宗として基盤を強化した活動、そして徳川幕府において、建設柱が家康として活動した後、徳川吉宗として改善を図るため生まれる状況と似たものだ。
西暦一〇六年、トラヤヌス(建設柱)はダキアでの勝利に歓喜し、ローマに凱旋した。コロッセオの熱気が街を包み、兵士たちの歓声が石畳を震わせた。トラヤヌスは玉座に座ることなく、常に地図の前に立っていた。彼の眼は地図上の未踏の地を見つめ、指先はアウグストゥスが慎重に定めた「国境の限界」を何度もなぞった。彼の心は拡張によるシステムの改善という強い使命感に満ちていた。
「アウグストゥスの国境はいまや慎重すぎる状態だ。国境を押し広げ、帝国の富を最大限にしよう」
彼は遠征の報告書を強く握りしめた。その紙は常に血と汗の匂いを放っていた。
トラヤヌスは巨額を投じて公共事業を行い、トラヤヌスの市場やトラヤヌスの浴場という巨大な建設物をローマに築いた。石と石が組み合わされる音が絶えず響き、建設の確かな手応えを示していた。彼の内政での建設的な努力は、元老院から「最善の君主」という称号を彼に贈らせた。
トラヤヌスの治世の終盤、メソポタミアを征服した時、ローマ帝国は史上最大の版図を獲得した。彼の建設は地理的な限界を押し広げ、人類文明のスケールを拡大させた。
その後トラヤヌスによる地理的な建設(拡張)から約ニ〇〇年。巨大化し硬直した帝国は、内部の精神的な亀裂に苦しんでいた。古来の多神教は求心力を失い、一神教であるキリスト教が静かに地下で成長していた。アウグストゥスが敷いた平和の基盤が、内部から精神的な摩擦に晒されていた。
西暦三一ニ年。コンスタンティヌス(破壊柱)は、西方の覇権を賭けたミルウィウス橋の戦いに臨んだ。彼は夜空を見上げ、敵との対峙を前に、兵士たちの盾に「キリストの印」を描かせた。冷たい夜の空気の中、彼の眼には勝利への確信ではなく、旧体制の破壊と新しい基盤への覚悟が宿っていた。
彼は鎧の胸元を強く叩いた。
「この硬直し、腐敗しつつある古い精神を破壊し、新しい基盤を作り出さねば、帝国は崩壊する」
彼の破壊は軍事的な征服ではない。それは精神的な構造の転換であった。
翌年のミラノ勅令は、一神教の信仰を公認するという精神基盤の破壊を意味した。多神教というローマの礎を打ち砕くという破壊的行為は、帝国を内側から新しい方向へ強制的に変革させた。
コンスタンティヌスは精神的破壊を行った後、東のビザンティウムに「コンスタンティノープル」という新しい首都を建設した。金と石を惜しみなく投じたその建設は、帝国の重心を東へと移動させた。彼の行動は、硬直した西方ローマへの別れと、新しい精神的骨格に基づいた千年続く「東ローマ帝国」という新たな建設の萌芽を植え付けた。
彼の生涯を通じた、多神教から一神教への転換という破壊的行為は、後に「ヨーロッパ」と呼ばれる、西方世界の精神と文化の基盤を根本的に変える創造的行為の起点となった。彼の破壊は、創造への道筋であった。
彼の死後、地中海世界はもはや、アウグストゥスが建設したパクス・ロマーナの時代のローマではなくなっていた。
このローマは、紀元後一五世紀まで約ニニ〇〇年間もの間、東方に長く存続し、最終的にオスマン帝国を築いたメフメトニ世(創造柱)によって打倒され、そのオスマン帝国はスレイマン一世(破壊柱)の手によって最大になることになる。




