第12章 運び屋(トランスポーター)の記憶
第12章 運び屋の記憶
「……熱心に“視る”のね。変速機が珍しいのも、無理ないわ」
絵美は、自分の車が“普通”ではないことを知っていた。
――普通じゃない奴が手がけた、普通じゃない車。
脳裏に、一瞬“整備者”の姿がよぎる。
「そう、ボスの用意する車は、いつもこういうのばかりだった。ワンオフで鬼チューン、最先端技術を極秘ルートで先行入手……」
――いったい、ボスは裏でどんなヤバいことをやってるんだか。
(……ま、ヤバいのは今に始まったことでもないけど)
「……私も、昔はあの“ヤバい仕事”に、手を貸していたっけ」
彼女の心に、記憶の断片がふと蘇る。
ーーー
(あの頃からボスはいつも口癖のように言ってた。“セーフティーマージンは確保しておけ”って)
イギリス国
夜のとある地下駐車場。
黒いスーツに黒縁メガネの絵美が、小型車のそばで携帯端末に静かに声を落とす。
「定刻どおりよ。指定場所に到着してるわ」
返ってきたボスの声。
「間もなく財団の人間が“ブツ”を渡しに来る。それを12時間以内に、E市の指定場所へ運ぶのが今回の契約内容だ」
「了解。引き受けたわ」
冷たい風が、絵美の横顔をかすめる。
黒塗りのスーツをまとった男が、無言で歩み寄ってくる。
「来たようね、財団ユプシロン」
「運び屋だな?」
「ええ、預かる品はそちらかしら?」
男が差し出したのは黒いアタッシュケース。中身は最高機密。トランスポーターが中身を詮索することは無い。
「指定先には受取人がいる。確実に渡せ」
「心配ご無用。計画は確実に実行するわ」
だが――。
バキュン!
銃声が駐車場に響き渡り、アタッシュケースがはじけ飛ぶ。
「クソッ、何者だ!」
煙の中から現れたのは、前髪パッツンにサングラスの女。静かに銃口を向けながら言い放った。
「そのカバン、いただくわ」
「こ……コードG2!? な、何の真似だ!?」
「お知り合い?」と絵美が男に問う。
「同じ財団のエージェントだ。だが、持ち場が違うはず……」
「お久しぶりね、コードA9」
女は、余裕の笑みを浮かべる。
「ずっと待ってたのよ。あなたがソルトロン鉱石を持ち出すのを。それが手に入れば、もう財団に用はないわ。FOCへの、お土産よ」
「まさか……貴様、FOCの工作員だったのか!」
「始末する!」
バキューン!
銃を抜こうとするA9。しかしその銃は、G2の弾丸によって即座に吹き飛ばされる。
「余計な動きをすれば、次は頭に風穴が開くわよ」
G2が冷たく言い放つ。
「私のガンスキル、ご存知でしょう? おとなしくカバンを渡してちょうだい」
A9は歯噛みする。
「……これは最高機密、ヤツはどうやって……どこでこの取引を知ったんだ……」
「リスクヘッジが甘いってことよ」
絵美が冷静に口を開く。
「組織に潜り込んでチャンスを伺う輩なんて珍しくもない。裏組織では定期的に“炙り出し”をしないと、こういうのは幾らでも湧いてくるのよ」
G2が、今度は絵美に銃口を向ける。
「そこの女、そのカバンをこちらへ持ってきなさい。前に置いて、そのまま下がりなさい!」
冷たい命令に、絵美は眉ひとつ動かさず、淡々と返す。
「お断りよ」
静かな声が、場の空気を凍らせた。
「あいにく、この荷物の届け先は決まってるの。あなたみたいな図々しい“荷物預かりサービス”には、興味ないわ」
「……はぁ? あんた、状況わかってるの?」
「ええ。あなたがあまり状況を理解してないってことは、理解してるつもりよ」
くゆる銃口の先は絵美に向けられたままだ。
「リスクヘッジって、わかる? 起こりうる危険を想定して備えておくこと」
「バカじゃないの?、さっき見たでしょ? あんたが銃を抜いても、私のトリガーが先なのよ」
「バカはあなたよ?そんな飛び道具ひとつで、本当に優位に立ってるつもり、私との距離、それで足りてる?」
A9が慌てて口を挟む。「お、おい、刺激するな!」
絵美は静かにいい放つ。
「教えてあげる。初対面の相手と対峙する時はね、セーフティーマージンをちゃんと取らなきゃ、危険なのよ」
「やかましいっ! 講釈なら、あの世で垂れな!」
――その瞬間。
ドン!
轟音と共に、G2の体が跳ね飛ばされた。
「ぎゃっ!!」
背後から突進してきたのは、絵美の愛車・チンクチェント。無人のはずのその車が、見事なタイミングでG2を跳ね飛ばした。
「……遠隔操作よ。ボスの改造」
淡々と語る絵美。
倒れ伏すG2。
彼女はアタッシュケースを拾い上げ、A9に一言だけ告げる。
「その人のことは、貴方の組織内のことなんで、処理はあなたに任せるわ」
「え……ああ。君の車……銃よりヤバイな」
「そう? でも、銃よりは優しいでしょ。全身打撲だけで、命に別状はないもの」
「じゃ、私はE市へ向かうわ」
《ギャアアアア――ッ!》
タイヤが夜を裂く叫びをあげ、小さな車体は闇へと消えていく。
「お預かりしまーす!」
その背を止められる者は、誰一人としていなかった。
――
月明かりの下、フィアット500が山道を滑るように走る。フロントガラスの先には、まだ暗い夜道が続いている。
インカム越しに、ボスの声が低く響く。
「輸送は順調のようだな」
絵美はハンドルを握ったまま、視線を逸らさず応じる。
「ええ。邪魔者も現れたけど、問題なく処理しておいたわ」
「ご苦労だった。重要な品だ、確実に届けてくれ」
「大丈夫。全開で飛ばせば明け方には届くわ」
「だがワイディングの攻めすぎには注意しろよ。リスクヘッジは忘れるな」
小さく息をつきながら、絵美は苦笑した。
「はいはい。“セーフティーマージンは確保しろ”って、言いたいんでしょ?」
インカム越しにしばしの沈黙。やがて、静かに返されたひと言。
「……忘れてないわ」
夜風が窓をなぞるように流れ、絵美の横顔を優しく照らす。彼女は目を細め、遠く前方を見据えた。
――
再び、現在の峠。
絵美は心の中でつぶやく。
(……忘れてないわ。基本スタイルは当時と変わらない。“ステディ”だわ)
それは、かつてボスと共有した哲学。
無理をせず、しかし確実に任務を完遂する“走り”。
――
先行する赤いSUV。水稀の視界に焼き付くその姿。
重たいはずの車体が、軽やかに加速する。
その後ろに、光の残像のように“覚悟”が尾を引いていた。
「遅ればせながら、よく拝ませてもらったよ……あんたの車」
水稀の心に、確信が灯る。
「間違いない……今までの中で、一番ヤバイ相手だってことがね」
水稀は静かに息を吐き、ハンドルを握る指先に力を込める。
――ゴウァァァァアアア!
ふたつの咆哮が、峠の闇を切り裂いた。
その音の奥に、水稀は確かに感じていた。
この勝負の先には、今まで知らなかった“何か”が待っていると。
――そして、それはきっと、“ステディ”の正体に近づく鍵でもあるのだ。
(つづく)