第8章 インサイド・ブレイカー
第8章「インサイド・ブレイカー」
「究! あと3分後に梢たちがフィニッシュするぞ!」
スマホ片手に、たった今、梢と絵美が通過した道路の脇に立つ水稀の声が、星空の下の静寂を破るように響いた。
「後ろのSUVがすげえ頑張っててよ、この時点で差が3秒4だとさ、ちょっと意外だけどな」
「ま、とは言っても、後半は梢の猛プッシュで最終的には5秒以上離されるだろうけどな」
「たとえ残念な結果になるとわかってても、一応トライアルしてくれたゲストだからな、お前も時計だけはしっかり計ってあげてな」
軽く皮肉めいた口調だが、リーダーらしく、ゲストへの誠意は忘れてはいないようだ。
場所は、ゴール前。新青山中央ゲート。
スマホ越しの水稀の連絡に、チームメイトの乙部究が、やや飽きれた様子で言葉を返す。
「はいはい、後でフォローのコメントしとくんでしょ?
どうせ『君には素質がある──オウルージュは速くなった君の次のチャレンジを待っている』
──とか言って、最後にカッコつけんだろ。リーダーは」
「うるせー」
そう呟いた水稀の顔が、ふっと笑みに変わる。
ゴールゲートのその先では、轟音と共に近づく光の筋が、静かに闘いの終着を告げようとしていた。
* * *
星が瞬く夜空の下、峠道に響くエンジン音。
(このテスト……全力を見せるなら)
絵美はハンドルを握る手に力を込めた。
(後方なんかで終われない……!)
ヘッドライトが前方の路面を白く照らす。
(ルールの中で──!)
絵美と梢、ふたりの瞳が真正面を見据える。
視界の先、車体を左に向け、流れてくテールランプ。その赤が揺れた瞬間、絵美の目が鋭く光った。
(……見えた)
ブレーキのタイミングがずれた――否、梢は確実に正規ルートを守っただけ。だが絵美だけには、そこに一瞬の“穴”見えた。
「そこだぁ――!!」
叫ぶと同時に、絵美はステアリングを切った。
それは「イン」にさえ属さない場所。路面のアスファルトはもうない。舗装の終端を越えたその先、誰もが“コース外”と断じるような、草むら混じりの未舗装地帯。だが――
彼女の駆るエクストレイルは躊躇しなかった。
サスペンションがわずかに軋み、車体が地を噛むように傾く。だが跳ねない。暴れない。X-TYLEモードによって最適化されたトルクスプリットが、四輪すべてに瞬時の判断を下し、その道なきインの奥を――踏み抜いた。
「行かせてもらう!!」
轟音とともに草が舞い上がり、車体の腹が路肩に火花を散らす。
――通常の走り屋なら、絶対に踏み込まない。
――だがこれはSUV。そしてドライバーは元・運び屋。
型破りとされようが関係ない。今、ルールの中で最も“速い”ラインを選んだだけだ。
「超・鬼攻め――!!」
その瞬間、ロードスターの車体がわずかに外へ逃げた。
「っ――!?」
梢が目を見開く。その瞳に、信じがたい光景が映る。
草むらから跳ね上がる砂塵。その奥に、光を放って現れたのは、絵美のエクストレイルだった。
「なに、それ――!? そこ、路面じゃ……ない……っ!!」
ラインの外側どころではない。舗装の“裏側”から飛び込むなんて。
――誰がそんな走りを、想像できただろう。
「ガザガザッ!」
タイヤが砂利を蹴り、草を裂き、地を這うように戻ってくる。
気づけば、絵美は完全にインへと割り込んでいた。センターラインは超えていない。だがそれ以上に“越えてはならぬもの”を、彼女は超えたのだ――常識と、想像の限界を。
「やった……!」
フロントノーズが並び、そして、抜けた。
SUVが、インのさらに奥を突いて、スポーツカーを――制した。
* * *
「おーっ! なんか2台連なってきたぞ!!」
ゴールゲートの先で、ストップウォッチを手にした究が叫ぶ。
「俺でも梢ちゃんに4秒遅れだったのに!」
「今日のヤツ、すごくねー!?」
だが彼の目が見開かれる。
「それよりもっと……接近……」
時が止まる。
「……ななななんでー!? SUVが前にいるのーーー???」
轟音と共に、2台のマシンがゴールラインを駆け抜ける。
星空の下、確かに、エクストレイルが──先行でゴールを通過した。
西コースの最速――梢のロードスターを抜いた。
その事実に、ゴールゲートで見守っていた究は声を上げた。
「西コース最速の梢ちゃんを抜いた……?でも走行テストではセンターわりはNGだよな……?どーなってんだ???」
その視線の先、暗い山道を2台の車が疾走していく。轟音だけが、残響のように夜の林にこだまする。
当別ダムふくろう湖――。
走り終えた後の空気には、晴れやかな風があった。
当別ふくろう湖の湖畔、フクロウの看板が静かに夜を見つめる中、湖面に映る星空を背景に語らいが始まっていた。
チーム「オウルージュ」の待機場所には──ロードスターの梢と、32Zの究、そして試験走行を終えたばかりのエクストレイルの絵美たちの姿があった。
「前を奪られるなんて思わなかったー」
梢はそう言って笑いながらも、どこかまだ悔しさの尾を引いている。
「度肝を抜かれるってこういうことね……まさかインのさらにインを、ね」
「……あ、いや……左側だったら大丈夫かなーって……つい」
絵美が気まずそうに言い訳めいた笑みを浮かべると、梢は肩をすくめて笑った。
「そっち側は確かにルール外だったわね。盲点だった」
「そこへ、横から…」クスッと笑みがこぼれる。
「型破りも、SUVの走破性とあなたの腕があってこそ。あのライン、普通のドライバーじゃ踏み込めないわよ」
「路肩の内側も走行ラインにしたのよ……」
究が驚いたように呟き腕を組みながらエクストレイルを見やる。
「私を追うテストのはずが、逆になっちゃったのよ」
「マジかよ!あんた、凄ぇな!」
興奮ぎみに言葉を漏らす究に、梢がにっこりと宣言する。
「合格よ♡ オウルージュは、あなたを歓迎するわ!」
「実力は申し分ないわ。ようこそ、私たちのチームへ」
「……あ、あざーっす!」
深々と頭を下げる絵美。その背を、ふたりの手が温かく叩いた。
「よろしくお願いします!」
「おう!よろしくな!」
「俺は乙部究!32Zが愛車!このチームのイケメン担当だ!」
「……だがすまん!既に彼女はいる!先に言っておく!」
「いえ……そゆの目当てで来たわけじゃないんで大丈夫ですけど……」
「んじゃさっそく姉さんからチームステッカー貰わなきゃな!」
――その時。
ふくろう湖の向こう、夜の道から聞こえてくるのは──。
「ブォォォォォ……」
低く唸るようなエンジン音。2台分の、重低音。
「来たみたいだな……」
赤いスープラと黒のランエボが夜の道を滑るように登場する。ライトが減光され、静かに停車。運転席から降りてきたのは、赤超水稀、そしてその後ろから槍沙羅も現れた。
「やあ」「お疲れさん」
軽い挨拶のあと、すでに立ち位置を確認していた様子の水稀が絵美の姿を視認すると、にこりと笑いかける。
「走行後の反省会ってとこかな?」
「水稀さ〜ん!」
梢が手を振りながら駆け寄る。絵美は少しだけ緊張した面持ちのまま、姿勢を正した。
「はじめまして、十玲流です」
「こちらの彼女が、トライアルを受けてくれた絵美さんよ」
「へぇー、あのSUV、アンタかい、中間地点で見てたよ。前半までいい走りしてたじゃん!」
「でも、後半からの絵美のバカっ速さに度肝を抜かれたでしょ?オウルージュのハイレベルとSUVの差を知ることはいい経験になったんじゃない?結果は残念だったとは思うけどーー アンタには素質があるし、早い車に乗り換えたらいつでも挑戦してくれよな」
唐突な総評に、絵美がきょとんとした目をする。
「……え、あの……」
「えっ?なに?」
横から梢がツッコミを入れる
「ちょっと待ってリーダー、違う違う、そうじゃないの」
水稀が一瞬きょとんとし、それから視線を究に向ける。
「……え?なんだ?」
「リーダー、聞いて驚け。タイム差、0.23だ」
水稀の瞳がぴくりと動いた。
「……0てんにいさん……? テール・トゥ・ノーズ?……最後まで梢にちぎられなかったってこと???――」
「それもちょっと違うのよ」と梢が返す。
「絵美さんのSUVが先、そのすぐ後ろに梢が続いてゴールしたの。テール・トゥ・ノーズといっても、絵美さんが前取ってるわけ」
「うそだべ!?」
水稀の顔色がさっと青ざめる。
「だって俺、中間地点で“3秒4”って確認したぞ!? そこから……え?逆転!?」
「しかもセンターは割ってない。ちゃんとルール内で。けどね……」
梢がニヤリと笑う。
「彼女、路肩の草の上を駆け抜けてったのよ」
「なっ……!?」
水稀は絶句した。チーム内で最速と称される梢を、重量級SUVで、舗装外を通って逆転する。しかもそれを、ルールを外さずに成し遂げた。
「いやいや……あの道幅で!?」
「見事な“超・鬼攻め”だったよ。ねえ、絵美さん?」
絵美は少しだけ頬を赤らめながら微笑む。
「ええっ!?このSUVが!?」
「そうなの。絵美さん、とっても速かったの」
「もちろん、私も全開でいったよ。それ以上に彼女は速さを証明してくれた」
「ど、どう見てもノーマルのSUVにしか見えんが……」
「だいたい速そうに見えない……」
まじまじと絵美を見る水稀と沙羅の姿に、梢がツッコミを入れる。
「ちょっと……やめてよ、水稀さんも沙羅ちゃんも。イロモノキャラ見る目で見るんじゃないのー!」
そして、笑いと驚きが混じった空気の中、確かに一人の走り屋が仲間として迎えられたのだった。
つづく