第19章 理解者 [後編]
第19章 理解者 [後編]
「小学校のときさ……いたじゃん、いたずらでモノ隠す子」
ぽつりと、水稀が過去の記憶をすくい上げるように語り出す。
それはもう、遠い昔――
小さな教室の片隅で起きた、小さな事件。
ある日、誰かの持ち物が忽然と姿を消した。
疑いの目が、無垢な瞳を曇らせていく――
まだ正しさを持て余していた、あの頃の話。
***
かつて小学校に通っていた頃——
教室内で物が盗まれるという小さな事件が起きた。
失くなったのは、A君のペンケースとノート。
泣いていた彼の姿を今でもはっきりと思い出せる。
先生はすぐに「犯人探し」を始めた。
「全員、目を瞑りなさい」
「隠した人は正直に手をあげなさい」と。
そう、昔なら、どこにでもあるような話だ。——
だが、そんなことをしても、
たいがいはモノも犯人も見つからないのが常だった。
でも——
そのときの私は、それがどこにあるのかが見えていた。
見えたのは、B子のランドセルの中。
A君は常に成績トップだった
B子はいつも2位。常にA君が前にいた。
彼女にとっては、それが悔しくて仕方なかったのだ。
何よりも妬ましかったのだ。
小学生の動機なんてそんなものだ。
だいたいこの場で名乗り出るなら始めから犯行に及ぶバカいねえよと、思いながら無駄な時間さいてる先生も残念だったけど、何よりも涼しい顔で静観できてるB子には私はイラついていた。
コイツには前例があったんだ。
それは少し前、体育でクラス代表のリレー選手を決める日に私の「瞬足」が消えたんだ。
当然、私にはそれが“どこにあるか”千里眼ですぐ見つけれた。出てきたのは私の下駄箱の隣のB子の下駄箱からだ。
B子に聞いたら「水稀さん隣だから勘違いして入れたのね?気にしなくていいよ」と、すっとぼけやがった。
んなワケねーだろと思ったが、実際に隠したところを見た訳じゃなかったので、それ以上は追及しなかった。
B子は前の学年では隣のクラスで、そのときはクラス代表のリレー選手で、私と並んで走っていた。今の学年で同じクラスになったことで、代表争いで私に負けるから、靴を隠して私を不利にしようとしたんだ。
コイツは真正面から勝負せず、人を蹴落とす卑怯なヤツだったんだ。
私は頭にきたので、あえて長靴をはいてB子の前で勝ってやったけどさ。
だからいつかコイツを、
きちんと懲らしめなければならない——
そんな想いが私の中で募っていった。
そして、そのときが“きた”と思った。
先生がまた全員に問いかけるとき、
私は立ち上がって言ってやった。
「先生、時間のムダです」
いつも通りの、私のやり方だった。
昔から器用じゃない。
スマートなやり方なんて、私には似合わない。
「さっさと手をあげろよ。見えてんだよ、この卑怯者!」
私はB子の手を掴み、挙手させ、ランドセルの中を指差した。
ばっ、と彼女の顔がひきつる。
私は私のやり方で、B子の悪事を暴いてやった。
結果、動かぬ証拠となり、B子は職員室に呼び出され、親も来校して厳重注意を受けた。
ペンケースとノートは無事A君の手に戻った。
それ以来、B子はもう物を隠すようなことはしなくなった。
もちろんクラスの皆んなから総スカンをくらっていた。
普通なら——
「これで一件落着」と思うところだろう?
だが、実際は違った。
この一件は、クラスにとって想像以上のセンセーショナルな出来事だった。
それは——
私が“見えすぎる”がゆえの代償でもあった。
クラスの一部からは、
「水稀が隠してたのを見抜いたんじゃなくて、
むしろ自作自演じゃないの?」
なんていう噂まで立った。
——そう、逆に、私が“変人”として扱われ始めたのだ。
いろんな憶測や噂が後ろから聞こえてきた。
私に対する視線は、賞賛ではなく、警戒だった。
あの頃、私は気づいてしまった。
世の中には「正義だけじゃ通用しないこと」がある。
その時をきっかけにし
気づけば、誰からも距離を置かれる存在になった。
以後、その学校では「ぼっち生活」だったけれど、
それはそれで、だんだんと慣れていった。
***
「……それは、辛かったよね」
絵美の声は、そっと寄り添う風のように。
否定も詮索もせず、ただ痛みに共鳴する音だけを乗せていた。
水稀は、かすかに息を吸い――
胸の奥にしまっていた言葉を、ひとつずつ、ほどくように続けた。
「でもね……
ただ一人だけは、わかってくれた。
――お母さんだけは、信じてくれたんだ」
その声は震えていなかった。
けれど、言葉の奥には確かに、あたたかく灯る光があった。
幼い心を抱きしめてくれた、ひとつの存在。
たとえ過去になっても、消えないぬくもりの記憶。
水稀は続けた。
「それを知った母は、そんな学校、通わせられるかー!って学校に怒鳴り込んで怒ってくれてね」
そう言って、すぐに転校させてくれた。
——母は、私の唯一の味方だった。
「どうやらこの“千里眼”は、父の遺伝らしいんだ。
父は私が1歳のときすでに他界していたから、父の記憶ってほとんどないんだ。
母はそんな父の良き理解者でもあったんだ」
「千里眼が発動したのは、私が4歳のとき
最初は偶発的だったけれど、
6歳頃には自分でスイッチのオンオフを
ある程度コントロールできるようになっていた」
「母は昔からおっちょこちょいでよくモノを失くす人だった。
携帯電話や財布、化粧品……いろんなのを私が見つけてあげた」
「母は、私の能力を肯定してくれる、
唯一の理解者だった」
「私が千里眼を持っているのを最初に知ったときは嬉しそうだった。
お父さんと同じだって…」
——私がこの力を“受け入れられた”のは、
母のおかげだ。
水稀は小さく息を吐き、キーホルダーを見つめた。
「……なんでも、父と付き合うきっかけも、コレだったらしいぜ」
そう言って見せたのは、先ほど絵美が読み取りに使ったブサイクなフクロウぬいぐるみ付きのキー。
「母が昔、走り屋のギャラリーにいった先でコレを紛失したらしい、そこで困っていたときに、それをあっさり見つけて笑顔で渡してくれたスープラ乗りが父だったんだとさ」
「こんなデカいモノ失くすんだからおっちょこちょいのレベルわかるでしょ?
まぁ、コレ無いと私も生まれてなかったわけだし。おっちょこちょいに感謝してるんだ」
くすっと笑う水稀に、絵美はやわらかく微笑んだ。
けれど、話の核心はそこではなかった。
「そんな母も、私が中学のとき……大病を患ってな。他界した」
水稀の言葉に、絵美の表情が静かに引き締まる。
「ごめん……視えてた」
絵美は少し間を置いて、答えた。
「いいよ。気にしなくて。みんなが知ってることだし」
軽く笑ってみせながらも、水稀の声にはどこか、ふっと沈んだ色が滲んでいた。
「ところで絵美さ……昨日のバトルのあと、すぐ帰ろうとしてたじゃん?
あのときなぜかふと、昔、母の言ってたことが脳裏を掠めてな」
水稀の中で、再びあの日の母との会話が蘇る
「そして気づいたら、夢中で、アンタを引きとめてたんだ。何なんだ
水稀の声は胸の奥の澱をすくうようだった。
絵美は優しく言葉を重ねる。
「そうか…それを聞いて、今、つながった」
「お母さんが、そばにいたんだよ。それは、あなたに送ったサイン」
絵美の声が静かに響く。
「あなたはそれに、ちゃんと応えたんだよ」
その言葉に、水稀の瞳がわずかに潤む。
「実はね、あのとき、僅かなな思考波を捉えていたの」
絵美はそのまま続けた。
「てっきり、あなたのものだと思ってたからそのときは不思議に思わなかった。……
でも、親子だから似てて当然だよね」
その時、水稀の手元にあるキーホルダーが光を帯びるように感じられた。
絵美は、そっとそれに触れながら語りかける。
「お母さん、私の能力に気付いていたのね。
だからあなたに“この人、理解者だよ”って伝えたかったのよ……
そして、このキーに、あなたへのメッセージを私に託しているわ」
その声が、空間にやさしく染み渡る。
「『お母さんの大切な思い出の車を、今も走らせてくれてありがとう』って」
水稀の目元から、静かに涙がこぼれ落ちる。
「『いつまでも、あなたのことを愛しているよ』って――」
水稀は、言葉もなく俯いた。そして、唇がかすかに震えながら、ぽつりとつぶやく。
「……お母さん……」
その肩に、絵美が視線を向ける。
「……私もだよ」
やわらかく、確かに――共鳴の光がふたりを包んでいた。
ふと、水稀がポツリとつぶやいた。
「……もう一度、逢えたらいいのに…」
彼女の視線の先には、懐かしいぬくもりの欠片が漂っているようだった。
それに応えるように、絵美が静かに微笑む。
「たとえ逢えなくても……故人の存在を感じることはできるよ」
そう言ってテーブル席の周りを見渡しながら、絵美は語り出した。
「風が通り抜けたり、何か香りがしたり、音が聞こえたり……」
「それ、シンクロニシティっていうの。普段は気にしないことでも、実は近くにいるサインだったりするの」
目の前のパフェを見つめながら、彼女は言葉を続ける。
「故人が好きだったものを食べたくなる時もそう。……注文したコレも、あなたとよくドライブ先で一緒に食べてたのかな?」
水稀は、テーブルの上に置かれたパフェをぼんやりと眺めながら、妙に納得していた。
「ふふっ。ねぇ、店内のBGMなんかはどうかしら……?」
「え…あ…この曲……お母さん車でよく聞いていた」
小さく驚く水稀の視線を、絵美はやさしく受け止める。
「ね? ちょっと見方を変えれば……意味ある“偶然”に気づけるでしょ?」
「……嘘みたいな偶然……」
「お母さん、いつもどこか優しく見守ってるってことなんだよ」
絵美は微笑みながら、水稀の心に寄り添うように語りかけた。
「そう思えば、寂しさも少し和らぐでしょ?」
「……うん。いい話、聞けたよ。ありがとう」
水稀がほんの少しだけ微笑むと、絵美はふと何かに気付き、視線を窓の外へ移し、目を細めた。
「……見て。来てるよ……」
「えっ?」
絵美が指し示す先を、水稀も窓越しに振り向く。
そこには、ひらひらと舞う一羽の蝶が、まるでどこかに導かれるように店の外を飛んでいく姿があった。
「……蝶……⁉︎」
蝶はそのまま、駐車場に止められた赤いスープラのまわりを優雅に舞い、やがて助手席側のドアミラーへと静かに降り立つ。
「……!?」
目を見開いたまま、その光景を凝視する水稀。
「SZにとまった……なんで……?」
言葉にならない驚きと、心の奥を掻き乱すような衝撃。
そんな彼女の手を、絵美がそっと取った。
「行くよ。時間がなくなる前に」
――その声には、ためらいのない決意が宿っていた。
「え……?」
驚く水稀の表情を残し、絵美は彼女の手を引き、外へと駆けだす。
扉の向こうに、何かが待っている。その先に、確かめるべき想いがある。
「すいません、お会計!ここに置いときます!」
絵美はそう言って紙幣を押し出すように置いた。
カウンターの奥にいる制服姿の女性店員が、急ぎの声に顔を上げた。
「お客様、お釣り!」
「結構です!急いでるんで!」
絵美の手に引かれるがままの水稀は困惑した様子でついていく。
「ちょっ、絵美〜!!」
振り返りもせずに走り出す絵美。その足取りは、もう一つの何かを感じ取った先に向かっていた。
外に出ると、駐車場に佇むスープラの車体が目に入る。
二人の歩みは、その前で止まった。
「……帰る前に、来てくれたのね」
絵美がそっと何かに語りかける
「コレは一体…」
水稀はまだ混乱したままだ
二人の視線の先には、サイドミラーに舞い降りた一頭の蝶だった。
それはまるで、二人をこの場所へと導くようだった
そしてその蝶はまた、ふわりと舞い始めた。
「こんな話を聞いたことある?」
絵美が静かに語りかけた。
「故人が家族に会いに来たとき、自分のことを認識させる方法があるって――」
「えっ…」
「それは、身近な生き物に姿を借りること」
一頭の蝶が、風に溶けるようにふわりと舞い降りてくる。
陽の光を透かして煌めくその羽は、どこか懐かしく、優しい。
水稀の瞳が、自然とその小さな軌跡を追っていた。
心の奥底に触れるように、蝶はゆっくりと近づき――
まるで迷いのない意志をもって、そっと彼女の肩に降り立つ。
やわらかな羽ばたきはそこで止まり、静けさだけが残った。
「……もしかして、この蝶って……お母さん、なの?」
呟くような水稀の問いかけに、絵美はただ微笑み、言葉の代わりに、そのまなざしを静かに蝶へ向けた。
「……そうなんだね」
水稀の声がかすかに震える。
胸の奥に長く閉じ込めていた思いが、そっと零れ出すように。
「来てくれて……ありがとう……」
一粒の涙が、頬を静かに伝い落ちた。
「あなたに伝わって、嬉しそうだわ」
絵美の穏やかな言葉に、水稀はゆっくりと頷く。
「……うん」
その瞬間、蝶が羽を揺らし、静かに舞い上がった。
「……あら?」
「……絵美の上を回ってるよ。……感謝してるみたい」
絵美は、小さく微笑む。
その眼差しには、祝福を受け取ったような静かな光が宿っていた。
蝶はふたりの頭上をやわらかに弧を描き、
名残を惜しむように、何度か旋回し――
やがて、空の彼方へと、ゆっくりと消えていった。
「……行っちゃったね」
「……あぁ……」
遠ざかる蝶の軌跡を、ふたりは見上げたまま、
言葉を失ったように、ただ黙ってそこに立ち尽くしていた。
遠ざかる蝶の軌跡を、ふたりはただ見上げていた。
言葉はもう必要なくて――
沈黙のなかに、確かな想いが溶け込んでいた。
そして、そっと、絵美が口を開く。
「ねぇ、パフェ食べよっか? 本題もまだ途中だったしさ」
突然の提案に、水稀は目を丸くして眉をひそめる。
「は? また同じ店に戻るつもりかよ?」
「うん。だって、さっき――“一口だけでも食べたかったな”って顔してた」
「……なんでそんなこと、わかるんだよ」
「答えは簡単。私は、あなたの理解者だから」
そう言って、絵美はいたずらっぽく笑う。
水稀も、しばらく無言で見つめ返し――やがて、肩の力を抜くように微笑んだ。
「……それならさ。
理解者の頼み、無下にできねぇな。
絵美の手ぇ、ちゃんと……貸さなきゃな」
言葉の奥にある想いを、互いに感じ取りながら、ふたりはふっと笑い合う。
背後には、それぞれの相棒が静かに待っていた。
母の記憶を乗せたスープラと、
赤い影のように寄り添うエクストレイル。
――蝶はもう、遥か空の彼方へと姿を消していた。
けれど、その羽音は、
確かにふたりの心に、小さな光を残していた。




