第14章 警告不能領域
第14章 警告不能領域
「サイドバイサイドだ!」
沙羅の叫びが夜の山中に響いた。眼前を、2台のマシンが横並びで駆け抜けていく。月明かりが2台の赤のボディを照らし、その姿はまるで刃と刃が擦れ合うかのような緊張感を孕んでいた。
「やっぱりだよ……まだ勝負はわかんねぇぞ!」
彼女の声は高揚と驚嘆に満ちていた。だがその興奮の裏で、ある種の静けさが芽を出し始めていた。
──その時、絵美は理解していた。
「……千里眼は、遠隔視だけじゃない。相手のクセも見抜くのね」
前方への集中が、ほんの一瞬揺らいだ隙間。
その刹那を突いて、水稀は闇夜で針穴を通すように割って入ってきた。
「まいったね……」
そして今、水稀はエクストレイルの左サイドに位置し、次のコーナーのイン側を完璧に押さえていた。
「手前のコーナーからの並走キープは私にクロスラインを取らせないため…」
「二段階で、難なく前を奪うってことか……。あえて同じ手でやり返すとはね。さすがよ」
絵美は黙ってスロットルを踏み直した。
「へへっ、スタートの借りは、返したよ」
水稀の口元がわずかに吊り上がる。
「目には目を……か」
いったん退く。だがそれは屈したわけではない。
「ここは一度譲って――もう一度、前を獲る!」
絵美のエクストレイルは、そのままスープラの後ろにつき、再びアクセルを開けた。
***
一方その頃、峠の待機地点では――
「……水稀のSZに、あそこまで張り合えるとはねぇ。とんでもないチューニングしてるぜ、あのSUV」
木陰から峠道を見つめていた沙羅が呟いた。
静寂の中、ふと、森の奥から微かな物音が聞こえる。
「ん?」
ざわ……ざわ……
夜の闇に、二対の光が浮かび上がる。目だ。
「……へぇ、鹿か」
沙羅は驚いたように目を見開いた。
「君たちを見るのは、久しぶりだな。今宵は家族でお散歩かい?」
鹿の群れが、静かに道路へと歩み出ていた。
「そもそも、あんたたち出てこなくなったよな…… 鹿避け笛つけてから。
昔はよく出くわしたよな。ま、それでも日没後とか、朝方とかにしか見かけなかったけど……」
「あ、そうか、私いま、エンジン切ってるしな」
満月の光が、木々の間から差し込む。
***
――いつかの休日の回想。
「なあ沙羅〜」
水稀がやや気だるげに言った。
「アンタのさぁ、フロントに付いてるコレって何?」
「……ああ、鹿避け笛? 知らないの? 新人かよ」
「鹿避け笛?」
「走行中に風がここに当たると超音波が出るの。人間には聞こえないけど、動物にはかなり効くらしい。電子タイプのも併用しててね、グリルの裏に仕込んであるやつ」
「へぇ……梢のロードスターにもついてんの?」
「うん、どっちも。北国じゃ常識みたいなもんだし、見えないところからひょっこり出てこられて、鹿にぶつかったらマジでシャレになんないしね」
「…見えないところからねぇ…」
「ま、視えるなら特に要らんか…」
沙羅は、あのとき水稀がブツブツ呟いていたのを思いだした。
***
(……そういえば、水稀、あのときワケわかんねーこと言ってて、結局いまだに自分のSZにはつけてなかったはず……)
沙羅の顔から、笑みが消える。
「……あれ? 絵美さんのSUVも……!?」
そんなニッチなカーグッズ知らんか?新人は。
「やばっ……大事なこと見逃してた!」
「満月の夜って、野生動物の行動が活発になるんだった!だから今、コイツらと出くわしてるんだよな!
ロードキル事故はこうゆう日が圧倒的に多いんだ!」
沙羅は携帯を握りしめた。
「さっきのテスト走行、梢のロドには笛が付いてたから、鹿に遭遇しなくたって何ら不思議じゃなかった。……でも……」
頭の中に、最悪の展開がよぎる。
「今の…2台とも未装備だろ……? それって……ガチでヤバいやつじゃん!!」
「あー、さっきからモヤモヤしてたの……これだった……! 気づくの遅いよ……!」
「今みたいにひょっこり鹿出てこられたら大変だ……! バトル中止しなきゃ――!」
手元のスマホに目をやると、そこに無情のアイコン。
「って、ここで充電切れですか!!」
慌てて自車へ戻り、充電器を手に取ったが――
「……断線……やばっ」
ひさ線はちぎれて使い物にならない。
「シャレになんねぇ! ……けど、追うシカ方法はねぇ!!」
***
――ギャアアアアアア!
タイヤが路面を切り裂く音と共に、ランエボが夜を突き破る。
「今からじゃとても追いつける話じゃねぇが……!」
沙羅のランエボが峠に火花を散らす。
「でも……!バトル中なら多少は車速が落ちてる。私のタイムアタックの方が速い」
「鹿避け笛の有効範囲は電子音タイプで約500m……! せめて100m、いや200m以内に近づければ……!」
「何とか……届ける!! 猛プッシュだ!!」
彼女の声とともに、赤いボディが夜の峠へ吸い込まれていった。
***
――月明かりに照らされながら、スープラとエクストレイルが峠を駆け抜けていく。
前方に赤黒のスープラ、その直後を赤いエクストレイルが追う。
そして、その遥か背後。沙羅のランエボが地を揺らし、獣のように吠えながら峠へ突入していた。
──ブラインドコーナーを、迷いなく、鋭く。
「セーフティマージン……ほぼ、ゼロ」
絵美の目に映る水稀の走りは、もはや常人の域を逸していた。
千里眼という能力が、ただ遠くを見るだけではないことを、絵美は今、身をもって知っていた。
「ブラインドであんなに鋭く……切り込んでくるなんて……」
しかも、セーフティマージンはほぼ無い。
そこにためらいも躊躇もない。
「先が視えると……あれだけアグレッシブに、攻められるのね」
絵美の声には感嘆と、わずかな焦りが混じる。
だが――
「だけど、離されるわけには、いかない……!」
スロットルを握る手に力を込める。
「1車身以内を保つんだ……!」
残り区間は、ロングストレートが三本。高速コーナーが続き、やがてフィニッシュを迎える。
その執念に呼応するように、エクストレイルが再加速する。
「思い出せ……まだどこかに、勝負どころがあるはずだ!」
絵美の視線は、前を捉えたまま離さない。
後方では、水稀がミラー越しに絵美の追走を確認し、ふと表情を引き締めた。
「さすがですね……このまま抑えきれば、勝ちだよ」
助手席のリスがポツリとつぶやく。
「いや、ここで諦めるタマじゃねぇ」
水稀は歯を食いしばり、ステアを握る手を強めた。
「何か……狙ってくるはずだ」
***
──その頃、さらに後方。
ギャァァァァアアア……ッ!
森の闇を引き裂くように、沙羅のランエボがフルブーストで突き進んでいた。
「急げ……ッ!」
心臓が喉を叩く。だがそれ以上に、アクセルを戻す理由はどこにもない。
「足止めが確実な距離まで詰めなきゃ……!」
まだ間に合う。そう信じて、彼女はクラッチを蹴った。
「必ずしも……鹿の飛び出しが起きるとは限らないけど、起きない保証も、絶対ない!」
絵美と水稀が疾走する前方。もしその進路上に鹿が現れたら――
「……どう考えても、今日が“高確率日”じゃん……!」
たまたま今まで何もなかっただけ。それは偶然にすぎない。
「何かあってからじゃ遅いよ……!」
メーターがレッドゾーンを示す。
タコメーターの針が跳ね上がり、燃焼音が咆哮に変わる。
「レッドにぶち込んだる!――届けーッ!!!」
彼女の叫びが、月下の闇を裂いた。
つづく




