1-1 月守 瑤華という少女
「GYUAAAAAAAA!!」
嘶くモンスター…デブリと呼ばれるその存在は、人間では到底及ばない存在。そんなバケモノが地球に侵略されている、しかも異世界から……それが最近根付き始めた人々の共通認識だった。
「ハッ、ハッ、待ってお兄ちゃ──あっ」
「恵美ッ、大丈夫か!?」
燃え盛る炎の中、ある兄妹はデブリに追われていた。大した理由は無い、たまたまデブリが出現したすぐ近くに居ただけだ。
まだ小学生の2人では、どんなに必死に逃げたところで無意味だ。転んだ妹を助けようとしているうちに、蛇と蝶を掛け合わせたようなデブリがすぐ目の前まで迫っていた。
「お兄ちゃんだけでも逃げて…」
「馬鹿言うな!」
妹の方は足を捻挫してしまったようで、もう走るのは無理だった。兄は背負ってでも逃げるつもりのようだが、彼とて体力的には限界が近い。
「GYUAAAAAAAA!!」
「ヒイッ!」
「畜生っ、こんな所で…」
諦め、心が折れそうになったまさにその瞬間だった。兄妹に釘付けだったデブリの視線が逸れたのだ。
訳が理解らず兄妹も同じ方向に視線を向けると──
「ふぅ、間に合った…で良いのかな?そこの2人、生きてるー?」
兄妹は声も出せないほどだったが、必死に首を縦に振った。
見えているかは理解らなかったが、どうやら声の主には伝わったようだ。
「おっけー、じゃあさっさと倒しちゃうね!」
次の瞬間、2人を襲っていたデブリは輪切りにされて地に崩れ落ちた。一般人では到底付いて行けない光景に、2人は声すら呑み込んで呆然とするしか無かった。
そんな2人の元に、1人の少女が姿を見せた。背は決して高くない。しかし、黒を基調としたボディラインの目立つ肩出しの一張羅と、目元を隠す狐面という出で立ちには見る者を惹き付ける魔力があった。そして何より目を引くのが──その手に握られた黒い刀だった。夜闇に吸い込まれる漆黒に、思わず目が離せずにいると少女が明朗な声で話し掛けてきた。
「怪我は無い?」
「お、俺は大丈夫です…妹が足を挫いちゃって」
「家には帰れそうかな?」
「歩くぶんには、俺が支えるので……でも…」
またデブリに襲われたら……きっとそう言いたかったのだろう。命の危機に瀕したのだからそう思ってしまうのも無理はない。
そんな心を解きほぐす様な優しい声で、少女は自信満々に言った。
「デブリはボクが倒すから大丈夫!ちゃんと支えてあげてね、お兄ちゃん」
「っ、はい!」
少女は2人に飴玉を渡すと姿を消した。
「あれが…オラクル覚醒者……」
「凄かった…」
オラクル覚醒者──デブリに対抗出来る力に目覚めた者を、世間はそう呼んだ。覚醒の割合は若者が殆どで、発現の条件やメカニズムは解き明かされていない。その力は人々を守る刃であると同時に、未知への恐怖の象徴であった。
そしてこれは、2人の少女が幸せになる為の物語である。
◇◇◇◇
朝、それは多くの人間が眠りを求め、目覚めを拒否する時間だ。濡羽色の髪の少女……月守 瑤華もその例に漏れず、ベッドの中でネコのように蹲っていた。
「むにゅ…んんにゃ……はっ!」
とは言え彼女の朝は早い。弟や妹よりも2時間近く早い起床、念の為に設定しているアラームが鳴る前に意識が覚醒するように体内時計が完成しているのだろう。
川の字に寝ている家族を起こさないように布団を抜け出し、台所での作業を開始する。包丁の音、ソーセージの皮が割れる音、食器を洗う音……あっという間に家族5人分の朝食と、全員分の弁当が用意された。無駄のない動きはさながら熟年の主婦の様で…と形容した父は一度本気で怒られている。
「今日も早いのね、瑤華」
「母さんおはよ!母さんこそ、今日は起きるの早いんだね~」
「いつも朝出てる人が怪我しちゃってね、代わりを頼まれたのよ」
瑤華の母は工場の派遣社員、父は平凡なサラリーマンだ。忙しく働く両親の代わりに、家事は殆ど瑤華が請け負っている。とは言え、それだけでは家計は回らないため瑤華も最近とあるアルバイトを始めたのだが…。
「瑤華こそ、無理してないかしら……母さん心配よ」
「大丈夫!昔から元気なのが取り柄だし!」
瑤華の表情に嘘偽りは見当たらない。素敵な子に育ってくれて嬉しいわ…なんて母は零して、娘の用意した朝食を口にする。
「……ご馳走様、それじゃあ行ってくるわね」
「行ってらっしゃい!気を付けてね〜」
母が家を出た頃に父が起きてきて、父が家を出る頃に弟と妹が起きてくる。そんな生活が続いている所為で、特に弟と妹にとっての両親の存在が小さくなってるのではないか……なんて不安が瑤華の中にはあった。
誰も居なくなった家を出る時、その不安が胸を襲うことがある。
「ま、そうならない為のボクだもんね!」
思考を前向きに戻してから、学校までの道を走る。時間的にはギリギリなのだが、これでも無遅刻無欠席を貫く瑤華だった。
◇◇◇◇
放課後、大通りから少し外れた建物の1階……表向きは骨董品を扱う店となっている場所に瑤華は向かった。
年季の入った扉を開けた先では、煙管を咥えた女がカウンターでだらけていた。今日は着物を着てるらしい彼女の纏う雰囲気は『胡乱』という言葉に集約されているようだった。
「魔女さんってば、またそんなだらしない格好して…」
「基本的にヒマなのよ、アタシは……それより、これが依頼よ」
自らを【魔女】と呼ばせる女から手渡されたのは、1枚の写真だった。そこに映っていたのは──
「学校?しかもうちの高校じゃん」
「そうね。19時頃に【次元の境界】が生まれるから、応戦して頂戴な」
「今回は向こうに行かなくていいの?」
「接続時間が短そうだから、向こうの処理はアタシがやるわ」
瑤華の始めたバイト──それは、平たく言ってしまえばデブリの討伐だ。オラクル覚醒者である瑤華はその能力を生かし、魔女とチームを組んで異世界から侵略してくるデブリと戦っている。
「ボクは囮って事ね」
「あら、不服なのかしら?多勢相手の囮にしても生き残るだろう…って評価したつもりなのだけど」
2人が他のオラクル覚醒者と違うのは、異世界まで足を踏み入れてデブリを倒すところだ。一般的な覚醒者は、こちらの世界に侵略してきた敵を倒す対処療法的な対応しかしていない。2人は逆にデブリが侵入して来る【次元の境界】から異世界に潜り込み、デブリの発生源を直接攻撃する根源療法的な対応を取る。
その時々で【次元の境界】が開いている時間は違っており、まだ駆け出しの瑤華はサポートがメインの役割だ。対する魔女はかなりの古参で、何でも卒無くやってしまう…と言うのが瑤華から見た彼女の姿だった。
「囮を任せて死ぬようならアタシ1人でやってるわ。過酷な戦いにはなるでしょうけど、死にはしないと判断したから呼び出したのよ?」
「理解ってるよ…でも…」
「あら、反抗期かしら?大人びた子だと思ってたけど意外と年相応なのね~」
「…うっさいなぁ」
瑤華は魔女の実年齢も知らないが、纏う雰囲気は母とも違う……年上の女性という曖昧な認識だった。ただその曖昧な立ち位置が、普段頼られる側に限定される瑤華の年相応な側面を引き出している事を本人は知らない。
「何はともあれ、頼むわよ?」
「うん、頑張るね」
◇◇◇◇
夜の学校には不思議な魔力がある。それは恐怖心によるモノなんじゃないかと、瑤華はふと薄暗い校庭を見て考えた。部活に所属せず、夜の学校というモノに馴染みの無いのも要因だろうか……肌寒い風に、心臓がきゅっと締め付けられるような気がした。
東棟の職員室には若干の光が見えたが、瑤華の居る校庭は西棟に面していてかなり距離がある。漸くデブリの存在が認知され始めたこのご時世で、態々騒音を見に来る教師はそう多くないだろう。
そんな事を考えていると、突如何も無い空中に亀裂が走る──次第に大きくなるそれが【次元の境界】だった。
「まぁ、一応お面は被っておかないとね」
黒い狐の面を装着して、懐から取り出したのは小振りなナイフ。何度やっても、この先の行為には抵抗がある。
それでも泣き言は言っていられないのだ…と、瑤華はそのナイフを自分の首に突き立てた。
Tips :デブリ
【次元の境界】を通して異世界から現れる生命体。人類にとって有害な存在で、近代兵器では討伐出来ない事以外にその実態は解明されていない。唯一対抗できるのは、【オラクル】と呼ばれる異能に目覚めた人類のみである。