9、もしかしなくとも命を握られている
心臓がどきりと跳ね上がる。私の言葉を平然と遮った副団長を恐る恐る伺うと、先程まで手元に向けられていた視線がはっきりと私を捉えていた。
彼が座っていることで目線は私の方が高いはずなのに見下ろされているような感覚にすら陥る。彼の威圧感は身長によるものだと思っていたが規格外の眼圧を考えるとそうでもないらしい。
「ああ、その本は……君が持ってきてくれたのか。ありがとう、そこに置いてくれ」
「は、はい」
「ユリオプスに何を言われたか知らないが、そう怯えなくていい」
「……すみません」
こんな圧を掛けておいて怯えなくていい、は無理がある。指示された場所に本を置く手は分かりやすく震え、返事の声は上擦った。耐えきれず彼から視線を逸らし本の表紙を意味もなく見つめる。シンプルな見た目からはこれが何について書かれた物か分からない。
「では、僕はこれで失礼しますね」
気まずいうえに怖い、このヒリつくような空間にいるだけで摩耗していくようだ。こういう時は削り切られる前に撤退するのが賢明。
つい圧力に怯えてしまったが、ただ本を届けただけでこんな目に遭うのはあんまりだ。ユリオプスに本を押し付けて退散するのが正解だったのか? 同じ空間に自分がいなければ二人が接触したところでどうということはない。
「待て、君に試してもらいたいことがある」
「な、何でしょう?」
逃げ出そうと後ろを向いた私を呼び止めた副団長は、既に剣呑な空気を収めていた。ユリオプスについてはこれ以上話すつもりはないらしい、軽い脅しだったのだろう。彼の言うように私が失敗するのを待っているのかそれとも別に目的があるのか。
「君の魔法適正を調べよう。見習いの仕事が始まる前にやっておくべきだと思ってな」
「魔法適正ですか」
「君に記憶や知識はなくとも簡単に調べる方法があるんだ」
「適正があれば僕も魔法が使えるんでしょうか?」
「感覚を掴めば直ぐだ。と言っても、君の場合は未知数な部分が多いが」
話題が変わったことに安堵しつつ魔法についての知識を思い出す。複数の属性があること、人によって適性が違うこと、ある程度の修練なくして使うことはできないこと、今の所はその程度の認識だ。
私自身の適正はこの体の記憶がないため分からない。例の村でドラゴンに襲われた時は何も使えなかったが使い方を忘れていただけと信じたい。それに仮にでも主人公の立場だ、なにも魔法が使えないなんてことはないだろう、と高を括っている。何なら複数属性使えたって驚かないくらいだ。
「さて、これを手に持ってくれ。特に何かする必要はない」
先程まで怯えてたことすら忘れて少し浮足立った気持ちになってきた。副団長は箱のようなものから宝石に似た破片を取り出し私に差し出す。何種類かあるようだが始めに乗せられたのは深い青色の欠片だ。欠片は手の上で、窓から射しこむ光を受けキラキラと光っているものの特に目立った変化は感じられない。
「何も変わりませんね」
「ふむ。次はこれを試してくれ」
「はい……」
その後も、色の違う似たような欠片を次々に渡されるが何一つ変化を示すことはない。これで合っているのだろうか、不安になり副団長を見ても彼は表情を変えることもなくじっと欠片を見ている。
まさか私には何の魔法も使えないというのだろうか? ワクワクしていた気持ちもあっという間に萎み、焦燥ばかり募っていく。そんな時、やっと変化が起きたのだ。
「あ、熱い! これってもしかして……」
副団長の手を離れた赤い欠片は私の掌に落ちると焼けるような熱を放つ。これはつまりそういことだろう! しっかりと魔法に適性があった安心からか、ついはしゃいだ声が出てしまった。
「ああ、君は炎魔法に対する耐性が著しく低いようだ」
「え?」
笑顔になりかけた顔が自分でも分かるくらい引き攣った。ただ炎魔法に弱いことが分かっただけらしい。しかも、著しくと言っていたため嫌な予感がする。
「さて、続けようか。」
「はい……」
「最後はこれだ」
呆気にとられた私をよそに、何でもない顔で検証を続ける副団長に何か言う気力が湧く筈もなく項垂れたまま返事をする。赤い欠片を箱に返しても先ほどの熱で焼けた手はヒリヒリと痛いまま、そんな掌の上に容赦なく置かれたのは薄い水色をしたクリスタルのような破片だった。
「うわっ、何!?」
「これは……」
手に触れた瞬間、鮮烈な光を放ったかと思うとクリスタルのような欠片は最終的に氷の塊になりパキリと音を立てて割れた。一部始終を観察していた副団長が小さく呟く。
「君は氷魔法の適正が異常に高いようだ。これは、炎耐性が絶望的に低いことと関係あるかもしれないな」
「耐性が低いとどうなるんでしょうか」
「簡潔に言えば、常人が軽いやけどで済む炎魔法でも君がくらえば重症になるだろう」
「え……」
「ちなみに副団長は何の魔法が得意なんですか?」
「私か? 適正は複数あるが一番は炎だな」
そう言うと副団長は黒の皮手袋を外して箱の中から赤い欠片を摘まみ上げた。瞬く間に目が痛くなるほどの眩しい光が欠片から放たれた後、ゴウと音が聞こえそうな炎が上がり欠片は跡形もなく消え去った。炎と氷の違いはあれど先程、私の掌で起きた現象とよく似ている。
つまり副団長は常軌を逸した強力な炎魔法を使えるということ。炎魔法に滅法弱い私をそれは容易く殺せるのだろう。気を抜いたらあっという間に焼死体である、何なら灰も残らないかもしれない。ユリオプスにああ言った手前情けないが、彼の猛炎で脅されたら簡単に躾けられてしまいそうだ。
「副団長ともなると、魔法適正も高いんですね……」
「炎以外は一般的な範疇を出ないがな。人のことより自分の心配をしたらどうだ? 見習いといえど魔法を使った訓練もあるからな」
「炎魔法には気を付けるとして、適性の合った氷魔法はどうすれば使えるようになりますか?」
訓練と言われても魔法の使い方を全く知らなければ練習しようもない。私の言葉に、思い出したとばかりに軽く頷き少し前に私が置いた本へ視線を落とす。釣られるように私も目を向けるが、表紙を見ただけではこの話と本がどう関係あるか分からなかった。
「そのことだが先程、君が持ってきてくれた本があっただろ。中は見たか?」
「いえ」
「そうか。三冊とも魔法の基礎について纏められた比較的分かりやすいものだ。君に渡そうと思い、部下に持ってくるよう言いつけたのだが、君自身が届けに来るとは思わなかったな」
「食堂に行く途中で急にメモを渡されて押し付けられました」
「それは部下が迷惑をかけたな。また面倒ごとに巻き込まれたら私に言うといい、できる限りの対応はしよう。蔵書室に行き馴れていない君には三冊見つけるだけでも大変だっただろう」
「いえ、本自体はユリオプスさんが全て見つけてくれたので大丈夫でしたよ。どちらかと言うとメモが読めなくて何を持ってくればよいか分からずに困っていました」
うろうろ廊下を彷徨った不毛な時間を思い出しつい余計なことを言ってしまう。眉間にしわを寄せた副団長に思わず肩が跳ねる。副団長に対してユリオプスの話題は避けるべきだった。
「……文字が読めない?」
「あっ……」
怪訝そうな顔で私に問いかけた副団長もユリオプス同様、想定外だとでも言うような難しい表情を浮かべている。色々あり考える余裕もなかったが、文字を読めないという大問題は一切解決していない。
「君への謎は深まるばかりだな。記憶喪失の影響かそれとも他に要因があるのか、君はどっちだと思う?」
「僕自身は記憶喪失の影響だと思っていますが、一般的な記憶喪失と異なるんでしょうか?」
「私が知っている範囲では、文字や魔法の概念まで抜け落ちている例は見たことがない」
「そう、ですか……」
副団長の問いかけは、私が彼に隠している特殊な事情があると確信しているように聞こえた。単純に常識的な部分すら忘れてしまう厳しい記憶喪失の可能性もある。だが、私もこれがそんな単純な話とは思っていない。
私というこの場所とは違う世界で生きた前世を持った人格が、本来この体に宿っていた人格と記憶を追い出した、または完全に上書きしてしまったような状態なのではないだろうか? 今の範囲で考えられる推測に過ぎないが、体に残された知識が欠片もないことからも単純な記憶喪失と捉えるよりはありえそうな話だ。
このことは副団長はもちろんこの世界に生きる誰にも知られてはならない。だから、少しでも真実に繋がりそうな疑惑の芽は摘んでおきたい。さて、どうはぐらかそうか……。
「文字が読めなくては魔法の勉強どころではないな。君に文字を教えるよう教育係に言っておこう」
「分かりました」
考え込んだ私の意識を呼び戻したのは副団長の言葉だった。ユリオプスが私に文字を? 接触がこれ以上増えるのは望ましくない、それに彼の態度を考えると絶対しっかりと教えてくれない。二重で嫌な提案だが断るわけにもいかず受け入れる。できれば広告には登場していなかった危険性の低い人物から教えてもらいたかった。
「そう、不安な顔をせずとも大丈夫だ。君の魔法適正なら理論から入らなくとも感覚だけで氷魔法は使えるようになるだろう」
微妙な表情になったであろう私を不安に押しつぶされていると解釈したらしい副団長は、瞬きを一つしてそう言った。その言葉にとりあえず笑顔を浮かべて頷く、山積みの問題を考えるのはまた後でいいだろうう。思考を止めたせいか体に意識が向き、すっかり忘れていた空腹が襲ってくる。ああ、食堂に行こうと思っていたんだった。