7、新居は真っ白、頭も真っ白、お先は真っ暗
「それよりアンタ、さっきは急に消えたけど何してたんだ?」
「考え事してたら迷いました」
言い訳も思いつかないし、する必要も無いため素直に答えた。全ての会話が広告のように生死がかかっている訳ではないと思うが発言には気をつけないと何が起こるか分からない。人間素直が一番とは言うがこの世界にも適用されるのかは疑問だ。
「間抜けだな」
「そうですね」
ドストレートな悪口だが、反論の余地もないので大人しく肯定する。しかも魔物に襲われてうっかり記憶もなくしてまーす! とか流石に間抜けの域を超えている。
いや、魔物に襲われて記憶をなくしたことになっているが、よく考えてみたらその前に失くしている。元の私がどういう経緯であそこに倒れていたかは知らないが、どうせ真面な理由ではないだろう。記憶喪失前の私がヤバいやつだった疑惑が晴れるのは一体いつになることやら。
「アイツ……副団長にアンタを物置に連れて行けって言われたけど悪いことでもしたのか?」
「え、これからそこに住み着く予定なんですが」
副団長のことが嫌いなのか何となく苛立った様子のユリオプスに、副団長は地雷の可能性あり、と心のメモに書き留める。それよりも、私の住処が悪いことをした奴が追いやられる場所並の環境ということに涙を禁じ得ない。
「正気か? 埃まみれで人が暮らせる状態じゃないぜ」
「正気ですよ。というか、そこまで酷い状態って聞いてないです」
部屋の状態を詳しく聞いてなかったので正気もクソもない。彼の表情から察するに相当汚い部屋らしいのは分かった。今日、掃除したくらいでは住める状態に出来ないかもしれないな、と思わず遠い目になる。一人部屋なだけで万々歳ではあるが、住めないのはちょっと……。
「うわっ、汚い!!」
「……で、本当にここに住むわけ?」
部屋に辿り着き、覚悟を決めて扉を開いた。心の声が結構な大きさで口から飛び出した。当然のように埃が舞いあがる。ホコリアレルギーだったら一発アウトだ。私がアレルギーだったかは記憶が無いので分からない。違くてもこの汚さならくしゃみが出そうなため真偽は不明。
「住みますよ。ここしか無いので」
「正気かよ……アンタ、こんな所で暮らせるような生活してたのか?」
「それは違うと思いたいです」
どれだけ私の正気を疑えば済むのか。ユリオプスは終始引いた表情だ、気のせいか同情の色すら見えてきた。ここに住むのは私の意思であって私の意思じゃないというか。
副団長からどれくらい私の事情が伝えられてるか分からないため下手なことは言えない。そもそも、今までの生活を知らないから妄想で全て補ったとんちき異世界譚を語ることになってしまう。
「こんな白い部屋初めて見たな」
「でも、半目で見ればこの白さは雪景色みたいなものですよ、うわぁ綺麗!」
特技:現実逃避。都合の悪いことの大半はそれで乗り切る。詐欺広告の世界に転生した以上に都合の悪いことなんてこの先ないとは思う。
実は、未だにこれが長くて感覚のある不思議な夢説を捨てきれないでいる。流石にそれは現実逃避のし過ぎだろうか。
「へぇ……雪景色見たことあるのか?」
「え、ありますよ」
少し驚いた声色のユリオプスに当然だとばかりに答えた。雪景色なんてそこまで珍しくもない。
「珍しいな。ラント村だってこことそこまで変わらない気候だろ?」
「そうなんですね?」
珍しかったらしい。ほら、気を抜くと直ぐこういうことになる。訝し気なユリオプスの表情を見て間違えたらしいことに気づいた。チャラついた雰囲気をしているだけで頭が悪いわけではないようだ。やる気も興味もなさそうなわりに話は聞いているなんて厄介な。
いかにも頭が切れそうな副団長と話すよりは神経をすり減らさずに済むと思っていたがそうもいかないらしい。もちろん、気を抜くつもりはなかったのだが、性別バレとまだ分からない彼の過去(おそらく地雷)にさえ気をつければ大丈夫だろうと甘く見ていた節はある。
そのせいで、うっかり前世の記憶基準で話してしまったことによる齟齬が起きた。この世界では雪を見たことない。いや、記憶喪失前にあるかもしれないけれど。最悪、性別がバレてしまうのは展開の一部として流せるが、謎の前世を持っているのがバレたらおしまいだ。これはユリオプスに限らずこの世界全ての人間に対して気をつけなければならない。自戒の後、改めて会話に神経を集中させる。
「勝手にアンタのことラント村の最後の生き残りって聞いてたが違うのか?」
「記憶が無いので出身は分からないんですよね、あの村で保護されたのは事実ですが」
じゃあ、なんで雪景色見たことあるって言いきれるのか?って思ったでしょ。私も思った。あれだよ……記憶が断片的に戻ったんだよ、そういうことにしておこう。こういう小さなミスが致命的な判断ミスに繋がるのかもしれない、ひっそりと震えた。
「副団長の奴が言ってたこと本当だったんだな」
「……副団長は何て言ってたんですか?」
「魔物に襲われたショックで記憶を失った少年って言ってたがこれも違うのか?」
「その通りです。とてもショックを受けています!」
「うん……? わりと元気そうだな」
全力で肯定したら、ユリオプスには首を傾げられたが現在進行形でショックを受けっぱなしである。彼には私の気持ちなど分からないだろう。全ての発言が墓穴を掘りそうで冷や冷やしながら喋っているのだから毎秒ダメージを受けているようなものだ。だが、記憶喪失の話で雪景色問題はうやむやになっている、良い流れだ。
「じゃ、オレは仕事に戻るから」
「え?」
面倒くささを一切隠さず言ったユリオプスは、さっさと廊下へ消えて行った。私を案内するのも仕事では? と思ったが引き止める気力は無い。彼を買いかぶり過ぎたか? やはりただのやる気がない人ではないか。残されたのは汚い部屋とこの建物についてほぼ知識ゼロの私。
「これをどうしろと?」
部屋をもう一度見る。うん、汚い。ま、まぁね、これくらい学生時代から長年掃除をやってきた私には楽勝なわけで。窓を開けて、箒で掃いて水拭きすればいいんでしょ? 簡単だ、こんなこともできないポンコツではない。
早速掃除に取り掛かった私はあまりに汚い部屋に苦戦しながらも生活できる程度には綺麗にできた……と言いたかったのだが現在、再び建物内で迷子になっている。
言い訳させて欲しい。そもそも私は箒や雑巾がある場所なんて知らないし、至る所に蜘蛛の巣が張ってるほど酷いとは思わなかった。とりあえず、掃除用具を探そうと色々な部屋を覗いているがそれらしき物は見つからない。誰かに聞きたいが、見事に誰にも会えないのだ。気のせいか同じような場所を何度もぐるぐるしている気すらしてきた。
「さっきから何をしている? 君のことはユリオプスに任せたはずだが……」
「あ、副団長」
聞き覚えのある声に振り返ると不審そうな顔で私を見ている副団長がいた。今までの行動を振り返れば、本部内の部屋を開けては閉じ、同じ道を行ったり来たりしていたのだからそんな顔をされても仕方がない。基本的には広告の登場人物とは会いたくないが今の私には救いである。建物内を彷徨って一生を終えてしまいそうな気すらしていたのだから。
「あのどうしようもないサボり魔はどこへ行ったのだ?」
「ユリオプスさんは部屋の汚さを見た後どこかに行ってしまいました。掃除用具がどこにあるか聞きそびれてこのザマです」
「はぁ……さっさと奴を騎士団から追い出したいものだ。掃除用具なら蔵書室近くの倉庫にある、どうせ真面に案内もされてないだろう? 着いてくるといい」
「は、はい。ありがとうございます」
今、奴って言わなかった? あからさまにユリオプスの話をしている時は機嫌が悪い。切れ長の目にありありと不満が映っている。ユリオプスが副団長を嫌っているだけではなく副団長もしっかり彼を嫌っているようだ。
これは、互いが地雷原っぽいのでうっかり触れないように気をつけよう。むしろ分かりやすいぶん親切だ。二人が一緒にいる場には絶対に近寄らない、片方と話しているときは極力相手の話題は出さない。うん、この二つは生存戦略に組み込もう。
何故、真面に案内してくれないであろうユリオプスを教育係にしたのか聞きたいが、見えている地雷に飛び込むわけがない。これは時が来れば分かるというやつだろう。それか単純に私が嫌いなのかもしれない。好かれたいわけではないが、嫌われるとそれはそれで消されそうで怖い。
「部屋の方だが長年放置していて様子を見ていないが住めそうか?」
「そうですね、掃除すれば何とかなりそうです」
住めません、と言ったところで他に住む場所は無いだろうから何とかするしかないんだよなぁ、と思いつつ副団長の言葉に頷く。恐らく嫌われているので、住めないなんて言ったら外に放り出されてしまう未来が見える。
「それならば良かった。君には不便な思いをさせることになるがどうか耐えてくれ、何かあれば迷わず私を頼るといい」
「ありがとうございます」
ユリオプス同様、長い脚だが私を置いてさっさと行くことはしない。私に合わせた歩幅で進んでいく背中に何とも頼りがいのある言葉。もしかしてアスターは紳士なのか?
いや、私は騙されない。この人、事情は知らないが返答次第で刺し殺してくるんだ。いつ豹変してもおかしくない。
これは、ユリオプスに適当に扱われたせいで副団長が良く見えているだけだ。危ない、簡単に罠にかかるところだった。
「君の境遇には深く同情している。記憶を取り戻す方法も私にできる範囲で探そう」
こちらから彼の表情を見ることは叶わず真意は不明。落ち着いた声色には特別な優しさは含まれていない。でも、副団長が協力してくれるなら記憶探しも案外すんなりいくかも、そう思わせてくれる安心感はあった。
「さて、ここが倉庫だ。掃除用具や備品は大抵ここにある、覚えておくように」
「案内して下さりありがとうございます」
副団長は廊下の角まで来ると足を止めると重そうな扉を軽々と開いた。私の部屋の3、4倍の広さはある倉庫には使い方が分かりそうなものから見当もつかないものまで並んでいる。
「掃除用具は右奥に纏まっているはずだ」
「分かりました」
副団長の説明に頷き彼が指し示す方に目を向ける。幸い、掃除用具は私の認識からそう離れていない形をしていた。無事に掃除を始めることはできそうだと安心しかけたが、そもそもまだ始まっていないことが問題である。
「掃除が終わったらまたこの場所に返しておいてくれ。他に聞きたいことはあるか?」
「……え、と」
倉庫の奥に向けていた視線を彼に向けるが、想定していなかった問いかけに思わず言葉に詰まる。聞きたいことと言えば、当然どうしてユリオプスを私の教育係にしたか、になるのだが。先程、この問いをぶつけるには時期尚早だと結論が出たばかりだ。
「どうした? そう口を閉ざされては分からない」
「み、見習いの仕事はいつから開始しますか?」
言い淀んでいたせいか続きを促された。彼の表情変化が乏しいせいで怒っているのか、だけなのか分からない。見下ろすような冷ややかで鋭い眼光、そしてこの淡々とした物言いだ。それに、単純な背の高さに加え鍛え上げられている体は、彼に殺される可能性を前提に考えている私から見たら脅威でしかない。必要以上に圧を感じてしまうのも仕方がないことか。
「そうだな、本格的に始めてもらうのは早くても二日後になるだろう。先ずは、部屋の確保と場所を覚えることに集中してくれて構わない」
「分かりました」
「では、私はこれで。君の教育係のサボり魔については、きつく叱っておくから安心してくれ」
本当に聞きたいことは聞けなかったが、ユリオプスが注意を受けるならそれはそれでよい気がしてきた。彼が私の教育を放棄しなければもっと早く掃除に取りかかれたのだから。私と歩いていた時とは違い、長い脚で颯爽と去っていった副団長の後ろ姿はもう見えない。
既に日は傾き始めている、使えそうな掃除用具を持ってまだうろ覚えの道を慎重に進んでいく。部屋の状態を考えたら掃除が終わるのは早くとも夜中だろう。私の想定は甘かったらしく、例の部屋が済める状態まで回復した頃には日が昇りかけていた。