59、カルミアはだあれ?
「……えっと、が、頑張って思い出してみます」
「あ、それはやめたほうが!」
気合を入れるように両手をぐっと握って意気込んだモネさんに慌てて声を掛ける。
聞いておいて勝手だが、直ぐに出てこない記憶を無理に思い出そうとしたらきっと……。
「……う、ううっ、いた、痛い!」
「無理をさせて申し訳ありません。もし思い出したらで大丈夫ですから」
目尻に涙を浮かべて彼女は痛みを叫ぶ。やはり、思った通り頭痛に襲われてしまったみたいだ。
私が何か思い出そうとする時に感じる頭痛と似たようなものだろう。
もちろんカルミアという名や、モネさんの見たという銀髪の人物のことは気になる。
しかし、無理強いして彼女を苦しめるのも本意ではない。
「ありがとうございます。やっぱり、ぼんやりしてて全然はっきりとしなくて……力になれなくてごめんなさい」
「いえ、十分助かりましたよ」
ベッドに上体だけ起こした彼女は、下を向いて心底悲しげに謝罪を口にする。
記憶がない不安定な状態でもこちらを気にする彼女は、きっと元から心根の優しい人なのだろう。
「うぅ、ちょっと疲れてしまったので寝ますね……良かったらまたいらしてください」
「モネお姉さん、またね!」
ふぅ、と息を吐いた彼女は曖昧に笑うと私たちを見送った。
スズランちゃんの部屋に戻ろうと、修道院の古びた廊下を進む。お互い交わす言葉なかった。
「……カルミアさんの名前、私が近くに落ちてたバッグの刺繍からつけたんだもんね」
部屋について鍵を閉めればスズランちゃんは、どこか言いにくそうに言葉を切り出した。
彼女の言う通り今名乗ってるカルミアという名前は、目覚めた私が名前を覚えていなかったことから、仮の名としてつけられたものだ。
「……となるとそれは、それは僕のバッグじゃなくて、モネさんが見た女の子の物だったのかな」
「そうね、でも目を覚ました時に一人だったんでしょ?」
ただ推測を口にしながらも、得体の知れる不安がドキドキと私を煽る。
落ち着かない、思考が上手くまとまらない。でも、今は分かる情報から可能性を推理するべきだ。
意味もなく手を組んで思考に意識をもっていく。
私が倒れていた場所に落ちていたバッグがカルミアと呼ばれ少女のものなら納得だ……元々誰のものか分からない持ち物だったわけだし。
「うん。それまで一緒に行動してて、バッグだけ残っててそこに女の子はいなかったとなると……」
「ま、死んでるでしょうね。魔物に食われたんじゃない」
当然のように言いのけたスズランちゃんは、特別恐れも哀れみもない瞳で私を見つめた。
改めてこの世界の価値観をぶつけられている気分だ。とは言え、普通に考えれば彼女の推測が自然なわけで。
「あっさりと言わないでよ。はぁ……今まで死人の名前を借りてた感じか……いや、この可能性も考えなかったわけじゃないけどさ」
「カルミアさんがカルミアじゃなかったとすると、これから名前はどうするの?」
全滅したラント村の住人の持ち物という可能性も考えてはいたのだから、死人の名を借りているパターンは意外ではない。でも、いざそう言われれば受け入れ難さはある。
それに、じゃあ私の名前は何というのか? という疑問が浮かぶ。
カルミアが絶対に私の名前とは思っていなかった。だが、あのバッグの持ち主が本当に私で、本名もカルミアだったという展開を心のどこかで望んでいたのかもしれない。
嫌な汗が首筋を辿っていく。明確に何が私の不安を駆り立てるのかは分からないが居心地の悪さは過去最高だ。
「何だか悪い気はするけどこのまま、本名を思い出すまでは使うよ」
「急に変えても大変だし、それでいいんじゃない」
「どうでもいいって態度とらないの」
カルミアという名を変えて新たに好きに名乗るつもりもないため素直に答えれば、スズランちゃんは急に雑な態度で言葉を返す。
こういう振る舞いをする時はスズランちゃんが何か本心を隠しているか、物申したい時だ。
「私がつけちゃったから、なんか嫌な感じじゃない」
「名無しよりはマシだよ。そのカルミアちゃんと、僕がどんな関係だったか分かれば記憶の糸口になりそうだね」
なるほど、彼女は純粋に申し訳なく思っていたようだ。カルミアはスズランちゃんが提案した名だったから、責任を感じてしまったのだろう。
彼女が気負う必要は全くないため明るく返して話を少しずらす。
「無難に考えれば妹じゃないの」
「まあ、姉妹で旅をしてたとかならあり得るよね」
「しっくりこない?」
彼女自身、兄がいたことからもその発想になるのは普通だ。それに、この世界なら家を魔物によって失い姉妹で旅をしているというのも違和感はない。
ないのだけれど……どうにもしっくりこない。顔に出ていたのかスズランちゃんは控えめに追及してきた。
「多分、どの推測もしっくりはこないよ。結局何も覚えてないから」
「……早く名前を思い出せるといいね」
「そうだね、思い出したとしても暫くは名乗れないだろうけど」
思ったよりも投げやりな声が出る。
気まずそうに、そう言うしかないとでもいったトーンでスズランちゃんに頷きながらも言葉を出す。
「え?」
「だって副団長は、僕の記憶を思い出させたくないみたいだし。それを知ってから記憶を取り戻すのは諦めたフリしてるから、本名なんて名乗り出したら矛盾もいいところだよ」
「そう言えばそうだったわね」
淡々と説明すれば彼女もただ同意を示す。
「洗脳というか……従順なフリは計画を暴くまでは続けないといけないから」
「その点、カルミアが本名じゃないのはいいかもね」
「うん?」
スズランちゃんの言い分には、ただ記憶の戻っていないフリ以上の意味が感じられてつい聞き返してしまう。
「だって、自分が本当はカルミアじゃないって思ってれば、アスターお兄ちゃんに名前を呼ばれても他人事のように感じられるから、見せ掛けの優しさとかも真に受けなくて済むじゃない」
「その発想はなかったな。でも、確かに仮の名前で使ってたはずのカルミアって名前に自然と慣れすぎてた感じはあるね」
これら価値観の違いなのかもしれない。魔法のある世界では、名前というものは私の思った以上に意味があるのだろう。
改めて振り返ると、この世界で目覚めて直ぐに私はカルミアとなったのだからその名前が馴染んでしまっている。どうやらそれは危険らしい。
「洗脳魔法とかではないと思うけど、相手の思考を誘導するなら意識して名前を呼ぶと思うの」
「効果があるかは分からないけど、惑わす言葉を正面から食らわずには済むかもね。名無しもその点、便利だね」
スズランちゃんは、脅すわけでもなくただ事実を述べるように話す。
私なりに解釈して、今の本名の分からない状態を前向きに取らえてみた。
でも、未だ居心地悪くソワソワとする体が私の発言を咎めるようだ。
「名前が思い出せないの辛いよね?」
「うーん、そこまで」
「あ、そう。でも、……私は名前を呼ばれると、私はスズラン何だっていつも思う。こうやって本当の見た目じゃなくても、身体の成長が止まったとしても、それでも私は私のままだって思えるから」
軽く返した私にスズランちゃんはお得意の呆れ顔を作った。しかし、直ぐに真剣な色を宿した瞳で言葉を続ける。
細かい事情はよく分からないが、魔法の変質で成長の止まった彼女は精神まで止まったフリを他人にはしているのだから自分を見失いそうな瞬間があるのだろう。
「気持ちは分かるかも。だから、さっき自分の仮の名前だったはずのカルミアが否定されて変な気分だった。でも、策に引っかかりにくくなるって思えば、無駄に憂鬱気取る必要もないなって感じだよ」
スズランちゃんと視線を合わせて、モヤモヤとする心の内を言語におとしていく。
「とりあえずカルミアさんって呼ぶけど、二人の時は名前で呼ばない」
「え?」
「だって本当の貴女を蔑ろにしてるみたいだもん」
彼女なりの優しさのようだ。別に私は気にしないのに……安心させようと笑顔を作って穏やかな声をイメージしてから口を開く。
「あは、律儀だね。でも気にしなくていいよ。名前も単なる記号の一種だから」
「……怒ってる?」
大きなピンクの瞳が私の目の前で分かりやすく揺れた。
私、今どんな顔してた? 与えた印象と私の想定が大きく乖離していたことだけは、スズランちゃんの様子から感じ取れる。
「え? ……怒ってないと思う……でも、なんか……そうだね、やっぱり寂しいのかも。誰かが僕のことを呼んでた記憶が掴めそうな瞬間が前にあったんだ、掴み損ねちゃったけど」
口に出してみれば妙に納得した。私はやはり何か喪失した感覚に支配されているらしい。
思い出すのは、前に相棒となった魔馬へ名付けようとした瞬間だ。
リオと自然に口に出る前に、思い出してかけた霧に覆われた記憶の中で私は確かにその人に名前を呼ばれていた気がする
「その……まだ繋がってるなら、また手繰り寄せるチャンスはあるんじゃない?」
「うん、切れてても僕から無理やりにでもつかみに行くから」
「なによ、元気じゃない!」
言葉を選んでいたスズランちゃんだったが、カラッと笑って力強く返事をすれば、見慣れたテンションで、フンと顔を背けた。




