40、階段を駆け上がって
ヘラヘラ笑っていられる場合ではないのに、本当に私どうしちゃったんだろう。
「やっぱ、痛いなぁ」
爪が掠った左腕の傷が風に吹かれてジンジンと痛む。治癒魔法は使えないし、左を庇いながら戦うのも無理がある。本部に帰れば治してもらえるし、今だけでも痛みを何とかできればそれでいい。
そうだ、痛みさえ感じなければ!
右手を左腕に添えて魔力を流せば傷口は凍り付く。冷たさで麻痺して痛みもよく分からない、これは成功だろうか。応急処置になるか分からないが昔からずっとやってきた方法だ。
うん? 昔ってなんだ……自分の思考に疑問が浮かぶが詳しく考える時間はない。
剣を握り直してぐっと前を睨む。私に向けられた鋭い牙と獲物を見るようなぎょろっと血走った目。魔法も通じず、満身創痍の体で圧倒的に不利な状況はあの日を嫌でも思い出す。でも、私の精神状態は全く違う。
恐怖で足が動かなくなることも、耐え切れずに目を逸らすこともない。
だってここは、通過点に過ぎない。私はこれからもっと怖い副団長を相手取っていくのに、ただの魔物なんかに手間取っていられないのだから。
腹芸はいつも任せきりだったから、魔物の相手こそ私の得意分野……なんだ、今の? 誰に何を任せきりにしてたんだっけ? また意図せず思考が絡まる。今はそんな場合じゃない、短く息を吐いて考えを切り替える。
頭を回せ、勝つために!
「な、なに今の……」
思考を切り替えようとした瞬間、ドクンと心臓が脈打った。体が熱い。でも、先程まで逆上せたみたいに働かなかった頭は妙に冴えわたっている。
気づけば私は、夢中でドラゴンに向かって走り出していた。いつにも増して体が軽くて、少しの動作で攻撃を避けられる。
敵の動きが遅い!
この感覚は知っている。体が勝手に動くみたいに、どう動けばいいか手に取るように分かる。でも、何かが足りない。スピード? それとも筋力? 魔法の威力? でも、この程度の相手なら問題ない。
「はあっ!!」
生成した鋭い氷の破片をドラゴンの両目に飛ばせば、咆哮と共に動きが崩れる。鱗に覆われていない剥き出しの目に突き刺されば魔物と言えど視界を失うだろう。
怯んだ間に距離を詰めて柔らかそうな喉元を突けば、私めがけて振り上げた腕もだらりと落ちた。そのうち灰になるだろうと離れようとした瞬間、目の前の口が大きく開かれる。
「しぶといっ!」
素早く口内を貫き、魔力を剣から伝わせて凍らせれば立派な牙も意味をなさずただの氷像になり果てる。鱗がどんなに厚くても体内から凍らせてしまえば防ぎようがない。
「ああ、もう! うざったいな」
ボスの後ろに隠れていた残りの二体が逆上した様に襲い掛かってくる。攻撃を確実に避けながら魔力を集中させて力をためる。
一体ずつ相手をするのも面倒だ、氷耐性が低いのは分かり切っているしまとめて魔法で片付けられるだろう。
「……よし」
同時に襲ってきたタイミングに合わせてためていた魔力を放てば一帯が凍りく。そして、宙に鋭い氷の棘を大量に生成して凍り付いたドラゴンたちに振り下ろす。雨のように降り注ぐ氷の刃に、凍り付いた魔物の体は勢いよく砕けて次第に灰になっていく。
「ふぅ……これで終わり?」
辺りを見渡しても生命の気配はない。つまり、これで試験対象の討伐は済んだということ。やっと息をつけるというのに、まだ戦闘の余韻か体温が上がったままだ。
「見事だ」
気配もなく後ろから声をかけられビクリと体が震える。戦闘に集中し過ぎていたのはあるけれど、副団長が近づいていたことに気づきもしなかったなんて。
「副団長! ということは……」
慌てて振り向けば、言葉の通り珍しく感心した様子だ。トラウマのある魔物と戦わされる羽目になったことには、文句でも言ってやりたいがそれよりも今は気になることがある。
「文句なしの合格だ。これからは、正式な騎士として励んでくれ」
「ありがとうございます。では、もう本部に戻っていいんですよね?」
深く頷いた副団長は、落ち着き払った声色で合格を告げた。先程の態度で合格は確信していたが、改めて言葉で聞くと込み上げてくるような嬉しさがある。
これで、第一の目標である正式な青龍騎士として認められた。副団長から手に入る情報も増え、スズランちゃんとの約束もまた一歩前進だ。これからのことはまた詳しく考えるとして、今の私には何より先に向かうべき場所がある。
騎士になれたと思うと、ソワソワと浮足立ってしまう。あれだけ自信満々だったくせに割とギリギリの戦いだったのは、恥ずかしいが終わり良ければ全てよしともいうし。
「うん? ああ、明朝にこれからのことを話すから、それまでは自由にしてくれて構わない」
「分かりました。では、一足先に失礼しますね!」
合格に分かりやすく喜びが出た私の姿が意外だったのか、少し困惑した様子で彼は私の問いかけに答えた。
情報が手に入るのは明日ならば、私は心置きなくこの場を去れる。副団長に頭を下げてリオを置いてきた場所に走っていく。
「待たせたね、リオ」
木陰で待たせていたリオに走り寄ればプイとそっぽを向かれた。気まぐれな性格だが、今回は単純に戦闘に参加させなかったのを拗ねているだけだろう。
「ごめん、今回は仕方なかったんだって。ほら、機嫌なおしてよ相棒! よしよし、本部までかっ飛ばせ!」
軽く体を叩いて背中に乗れば、不本意そうに一鳴きして勢いよく走りだす。この様子じゃ、後でもう少しご機嫌取りしないとダメかな。
行きと同じ道を足早に戻りながら心地よい風に吹かれる。しばらく、走っていると動かした左腕が痛んで顔が歪む。戦闘に夢中で忘れてたけど怪我してたんだった。
このレベルの傷は神官に治してもらわないと、でも先に行くべき場所があるからその後でいいか。
行きよりも道のりが長く感じるのは緊張が解けたせいだろう。それでも見慣れた騎士団本部はもうすぐ傍まで迫っている。
この場所に対して帰ってきたという感情が湧くのも、昔では考えられなかったんだろうなと少し笑みが漏れた。
「ありがとう、ゆっくり休んでね」
本部についた私は、お礼を言ってリオを厩舎に返す。帰りに伸び伸びと走れたお陰か既に機嫌が直っていたため一安心である。
安全軒まで戻ってきたことで激しい戦闘の疲労がじわじわと体に広がってきたが、まだ休む時間じゃない。この時間なら、戦闘訓練が行われているはず。なら、彼がいるのは間違いなくあの場所だ。
厩舎から本部へ走り、疲れも忘れて階段を駆け上がる。そして、長い廊下を抜けて次の角を曲がれば、目的地が見えてきた。
「ユリオプスさん、つけて欲しいあだ名は決まりましたか!」
重たい扉を開いて、絶え絶えの息も気にしないで大きな声で呼びかける。汗で張り付いた前髪も、傷を放置したままの左腕もその時ばかりは気にならなかった。
「フン、本当にオレのとこに一番に来るとかバカみたい」
予想通りいつもの席で魔導書を読んでいたユリオプスは、パタリと本を閉じて空色の瞳を呆れたように私へ向けて呟く。
意地悪な言葉とは裏腹に僅かに下がった眉のせいで、少し困っているような、笑っているような不思議な表情だった。
「そこは、おめでとうじゃないんですか?」
扉を閉めてゆっくりと彼に近づく。素直さをどこかへ置いてきてしまったらしい彼は、どうせ頼んでも言ってはくれないのだろうと思いつつ祝福の言葉を強請ってみる。
「……おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
それなのに、あまりに柔らかい顔で微笑みながら祝福を口にするものだから、うっかり足が止まってしまう。
咄嗟に返したお礼の言葉も、動揺がありありと出てしまいぎこちない。素直じゃない彼を、からかったつもりだったのに変な感じになってしまった。
「なんでアンタが困ってるんだよ」
「ほら、言われなれてないとびっくりしてしまうと言いますか……」
「いつまで、ソレ続けるつもり?」
ユリオプスの指摘に視線を彷徨わせてると、急に不機嫌そうになって立ち上がった彼が私へ歩み寄る。上手く頭が回らず近寄ってくる彼を見て、こうして見るとすごく背が高いんだなと、思考が逸れた。
「それ、ですか?」
「アンタが言ったんじゃねえか」
それが何を示すのか分からず首を傾げれば、大袈裟なくらいの溜息と一緒に恨み言のような口振りで返される。これは、不機嫌って言うより、不貞腐れてるだけだ。そこでやっと思い至った、私としたことがうっかりしていた。
「ユリオプス……くん? これで僕たちはちゃんと友達になれたかな。あだ名はまたちゃんと考えるよ」
「……うわ、やっぱちょっと腹立つかも」
私たちはもう対等な友達になれたんだ、口調を崩せばユリオプスは上機嫌に文句を言う。こんな時もブレないな、と半眼になりかけた目がうっかり笑顔に移り変わったのが自分でも分かった。
友人になろうと約束をしたのもこの場所だ。あの日は息が詰まりそうなくらい重く張り詰めていた蔵書室。でも今日は、珍しくカーテンが開けられた窓から射しこむ穏やかな日差しが温かく私たちを照らしていた。




