35、解なし
過去を思い出した時、私はどうなるのだろうか。記憶を思い出した元の人格と共存する? それとも今の私は消える? まさか記憶だけ戻って元の人格は帰ってこない?
答えが出ないことは分かっている、それでも考えずにはいられない。ずっと見ないフリをして進んできた不安や恐怖が這うように私へ纏わりついてくる。
「そんな泣きそうな顔しないで。今の貴女にだって思い出があるでしょう?」
「今の僕には……」
何もない、と続けようとして思い違いに気づく。隣りで不機嫌そうに私を睨むユリオプスが目に入ったせいだ。
思い返せば、この世界で目を覚ましてから結構な時間が経った。ユリオプスとの関係だって初めと比べれば随分と変わったじゃないか。残酷で厳しい世界に触れて、私の考え方だって元の世界のままではいられなくなった。
「アンタ、いつまでウジウジしてるわけ? カビでも生えそうな湿度だぜ」
「す、すみませんね! 僕もそんなにウジウジしたかったわけではないんですよ」
こんな空気でもユリオプスは普段の態度を崩さない。これが、彼なりの気遣いか単に私の態度をうざったく思っただけかは微妙なラインだ。
つられていつもの調子で言い返せば、彼はほんの少しだけ口元を緩めた。どうやら気遣いだったらしい、相変わらず不器用な人だな。
「何笑ってんだよ?」
「今の僕にもちゃんと思い出があるなって……」
「それはそうだろ。毎日記憶がなくなるわけでもあるまいし」
私という存在の在り方が歪なことには変わりない。でも、それを嘆いて孤独ぶるのは、この世界で知り合って私と関わってくれた人を蔑ろにしている。
「これから、記憶を積み重ねていけば僕は完成するでしょうか。今の僕は、昔の僕ではないのかもしれないですけど」
記憶が私を作るなら今の私は間違いなく未完成だ。人格ごと違うのだから未完成どころか設計図すら違う状態だろうか。なら、記憶を戻したところで元のこの体の主には戻れないのかもしれない。
「オレは、本当のアンタにも会ってみたいけどな」
「え?」
ぽつりとつぶやいたユリオプスに間抜けた声が勝手に出た。私に向けられたアイスブルーはちょっと優し気で、普段の大人びた雰囲気より幼く見える。
「多分、アンタはいいヤツだぜ。別に今がダメってわけじゃねえけど。欠けてる部分を一番気にしてるのはアンタ自身だろ」
私が一番、欠けている部分を気にしている? ユリオプスの言葉に何度か瞳を瞬かせる。
記憶を戻すのはこの体のためとか、元の人格のためやはり思い出すべきではないとか。私ではなく、知らない誰かのためだと思い込んで選択しようとしていたのは、向き合う覚悟が足りなくて他人事でいたかっただけだと今わかった。
「うん、そうですね。僕が一番、本当の僕に会ってみたい」
言葉にすれば腑に落ちた。もう他人事でいるのはやめて私が会いに行こう。私になる前のこの体の記憶は時折顔を出す、私はそんな彼女がどんな人だったのか知りたい。
この世界と、記憶の欠片に影響されて私も少しずつ変化している。もう私も喪失前の彼女も元のままではいられないんだ。ならば、もう立ち止まる意味もない。
「あら、答えが出たのね。怖い記憶から逃げたいんじゃなかったの?」
「それもきっと僕だから、分からないまま手放したくはないんです」
どんなに辛い記憶でもきっとこの人になった意味のある大切な記憶のはずだから私が諦めるのは違う。結局、この体のためとか言って私が怖かっただけだ。私はいつか彼女に辿り着く、私自身のために。
「難しく考えるのも面倒だろ。分かりやすい正解なんてないんだから」
「そうですね。もし、副団長の言った結果になったとしても記憶を諦める方が後悔すると思います」
ユリオプスに強く頷いて、残っていたオレンジジュースを飲み干した。この世界に立っているのは私だ。全部自分の責任で正解を選び取るしかない、たとえそこに正解がなかったとしても。
「アイツ、どうせアンタを揺さぶって何か悪いこと考えてるだけだぜ。気にする必要もない」
「あはは、確かにそんな気もしますね」
彼の発言は例のごとく偏見たっぷりだが今回ばかりは同意見だ。あの時の副団長は明らかに篭絡しようとしてたし、今考えれば態と不安を煽る言葉選びをしていたように感じる。
「記憶のことは解決ね。うーん、じゃあ、恋愛運でも占ってあげるわ」
「へ?」
私たちの会話を眺めていたローズさんが楽しげに笑ってカウンターの先から顔を近づけてきた。そういえば、占ってくれる言ってた途中で話が逸れたんだったっけ。
「手をかしてちょうだい」
「え、ちょっと」
困惑しているとあっという間に、ローズさんの両手が私の右手を包み込む。恋愛運とやらを占われるのは非常にまずい。ユリオプスがいない状況なら、これからの指針としてぜひお聞かせ願いたいが下手なことを言われたら性別がバレてしまう。
「アンタ、オレの時は直ぐに拒否したよな」
「いや、状況違いますから!」
焦る私にユリオプスは冷ややかな視線と不貞腐れたみたいな言葉を漏らした。まさか、魔力を流そうとした時の話を蒸し返してくるなんて。
イケメンチャラ男のユリオプスともなると、手を振り払われる経験は相手が男でも許しがたいというのか。それともローズさんの手を触っていることへの嫉妬?
「ローズさん、金運とかでいいですか?」
「うふふ、もう見ちゃった」
「え、その言わなくて大丈夫ですよ! 結果はローズさんの胸にとどめてもらえば……」
手を離したローズさんは、右手ですっと私の頬を撫でるとくすっと笑った。占い結果を言わないでくれってあまりに変なお願いだ。現にユリオプスは分かりやすく不審な目で私を見てるし。
「アンタ、なんでそんな焦ってるわけ? あ、自信がないんだろ! お子サマだもんな」
「そうなんですよ! ユリオプスさんの前じゃ気が引けちゃうなー!」
「ふうん。ローズ、何を見たか教えてくれるかい?」
ローズさんへ何も言わないでくれと視線で訴えると愉快そうに目を細められた。まさか、私の反応を楽しんでる?
彼女にはまさしく全部バレてるんだろう、この状況ではもう止めようがない。できることと言えば、ローズさんの良心を信じてお祈りするくらいだ。
「この子の恋愛運はサイアク」
「ふっ、やっぱりな」
ざっくり過ぎる占い結果に安心と内容の不穏さへの不安が同時に襲ってきて感情が迷子になってしまう。この広告詐欺世界における恋愛運が最悪は攻略対象に殺されるという意味にしか聞こえない。鼻で笑ったユリオプスすら気にならないくらいだ。
「あと、可愛い女の子二人が貴女のことを想っているわよ」
「待ってくれ、それの何がサイアクなんだい?」
「貴方の方が興味津々ね、ユリオプスくん」
「ほら、キミはオレのことは占ってくれないから」
ローズさんが慈悲をかけてくれたらしい。男として占ったみたいな結果をユリオプスに伝えてくれている。可愛い女の子にはスズランちゃんくらいとしか出会ったことはないが、まあ適当に話を作ってくれたんだろう。この感じだと恋愛運が最悪なことは本当っぽいけれど。
「見るまでもないわ。強いて言うなら、好みがどうとか言っていられなくなるわ」
「へえ? 想像もつかないな、キミも見間違えることがあるんだ」
「あら? そんなこと言っていいの、泣きついても助けてあげないわよ」
「悪かったよ。キミが意外なことを言うから面白くってね」
彼がこんなにミーハーっぽく占いに食いつくのは意外だったが、魔法のある世界では皆こんな感じなのかもしれない。ユリオプスは本気で信じてはいないようだけれど、何だか楽しげに話しているように見える。
「それより、時間はいいの? 貴方たちの天敵に捕まっちゃうんじゃないかしら」
「嫌なことを思い出したぜ。忠告通りオレたちはそろそろ帰るよ」
「今日はお代はいらないわ。とっても面白いものが見れたから」
お会計をしようとすれば、ローズさんの有無を言わせない笑顔に止められた。ユリオプスを見れば黙って従っておけとでも言うように頷かれる。さっさと店を出ていこうとしたユリオプスを追いかけようとした瞬間、誰かに後ろから抱きしめられた。
「お姉さんからアドバイスをあげる……思い込みは良くないわよ。自分の人生の主役は確かに自分だけどね」
驚きが声になる前に、穏やかながらも色気のあるローズさんの声が囁く。彼女のアドバイスは何を示しているか分からない。
どう意味か聞こうと振り返った時には、既に背中に感じた体温は消えて少し離れた位置で手を振る彼女と目が合った。
「うふふ、また来てね」
得体の知れない人だ。詳しいことは言ってくれなかったけれど、彼女の目に私はどんなふうに映ったのだろうか。少し怖いが、いつか聞いてみたい気はする。でも、それは私が記憶を自身の力で取り戻した時だ。
「カルミア、早く来ないと置いてくぜ?」
「待ってくださいよー!」
しびれを切らしたユリオプスを追いかけて店を飛び出す。外に出れば強い風が私の前髪をさらう、視界の端に映るこの銀髪にも見慣れてしまった。
それも何だか悪い気分ではない、踏み出した足は確かにこの世界を強く踏みしめた。




