33、問1 記憶は取り戻すべきか
「君に求めることは、騎士として魔物に苦しむ人を一人でも多く救うことだ」
「それだけですか?」
本来の目的を聞き出せるとは思わないが、あまりにも聖人ぶった答えに恐れも忘れて疑問が口に出てしまった。慌てて口を押えたが発した言葉が戻るわけではない。
「どういうことか聞かせてもらおうか」
「そんな力があるとしたら、何かに利用したいとかそういう目的があるのではないかと……」
「記憶がない不安から疑心暗鬼になっているようだ」
致命的なミスをしたかと冷や汗が背中を伝うが、副団長は特に気を害した素振りは見せなかった。
どうやら、私が冷静さを失って疑心暗鬼になっていると解釈したらしい。
これは好都合だ、探る様な発言をしても不安によって焦っているだけだと解釈してもらえる。
「すみません、少し混乱しているようです」
「いや、当然だ。気にすることはない、君の不安定な立場を考慮して話すべきだった」
「副団長に何か利益があるとも思えなくて……」
謝罪を口にしつつも、私の考えは己の過去より副団長の計画を探ることに傾いている。
先程までの落ち着かない不安も、ほとんど消え去って冷静さを取り戻せていた。
副団長を怪しむように、膝の上で組んだ手を見ていた視線を鋭く彼に合わせる。
彼から見た私は、疑心暗鬼で誰も信じられず混乱しているようにちゃんと見えているだろうか。
「前提として私は、青龍騎士団の副団長として保護した君を守る立場にある。そして魔物から市民を守ることが使命だ」
「私が持っていた力をそのために使いたいということですか?」
「そうだ。君が力を取り戻せば、魔物の脅威から救える人が増えるだろう」
刺々しいはずの私の視線からも、全く逸らさずに副団長は迷いなく言い切った。
こんなに堂々とされるとうっかり騙されてしまいそうだ。しかし、私は彼の発言に裏がある事も危険な計画を立てていることも知っている。
「副団長は高尚な精神をお持ちなんですね、自分が恥ずかしくなります」
「そんなことはない。私の仕事が減るという利益だってある」
「副団長はお忙しいですからね」
嫌味にも聞こえるだろう言葉に彼は、少しだけ笑みを浮かべて返した。
私がスズランちゃんから何も聞かされていなければ、言葉通り疑ったことを恥じたのかもしれない。
彼の言う信念も全てが嘘ではないのだろう、親友を魔物に殺されて恨んでいるのは事実だし。
もし、こんなに真っ直ぐな瞳で真っ赤な嘘を吐くのなら本当に恐ろしい人だ。
相手取らなければいけない人間の底知れなさに、言いようのない恐怖が冷たく背筋を流れた。
「それと、私が目をかけていると知れば大抵の者は恐れて手を出しにくくなる。そのために、分かりやすく特別扱いしているように見せていた。君はお気に召さなかったようだが」
「僕のためにですか? 副団長の公平さに疑念を持たれるかもしれないのに」
執務机の上で手を組んだ副団長は、すらすらと話しながら覗き込むように私を見た。
やはり彼の言葉はもっともらしく聞こえる。少し浮いた存在になってしまっていたが、副団長の存在を恐れて私にちょっかいをかけるのをやめた人もいた。
「それが責任というものだ。できる範囲では君の安全を守るべきだからな。現に、私を恐れず手を出すような輩は君が対処できる範囲の愚か者だけだっただろう?」
「お気遣いありがとうございます」
贔屓されているという噂のせいで、私に絡んできた騎士団員は確かに取るに足らない努力不足な人だけだった。
ここは一度警戒を解いたふりも兼ねて素直にお礼を口にする。
「この話をしたついでだが一つ問おう。君は本当に記憶を取り戻したいか?」
少しの沈黙の後、副団長は静かにこちらを見据えた。彼の言うことが上手く呑み込めない。記憶を取り戻したいかなんて考えるまでもないことだ。
「仰っていることが分かりません。失ったものを取り戻したいと思うことがおかしいですか?」
「私も最初はそう思った。だが、記憶を戻すことが本当に君の幸福へ繋がるのか怪しくなってきた」
つい語気が強くなった私に彼は小さく頷いたが、続いた言葉は私の考えを肯定するものではない。
副団長こそ、誰よりも失ったものを取り戻そうとしているくせに。口が裂けても言えないが浮かんだ言葉は、私の心から直ぐには消えない。
「僕の幸せ……」
「君が交戦して荒れた土地からは魔物への執念や深い恨みを感じた。そんな思いに囚われて生きていた君が、偶然にも手放せたというのに、それを無理に戻すのも酷な話だと思わないか?」
「わ、分かりません。僕はそんな思いを持っていた感覚もないですから」
彼の問いかけに私は目を逸らして首を振るしかできなかった。
記憶を失う前の人格が本当に、復讐に囚われて魔物を滅ぼして回っていたのならば副団長の意見も一考の余地がある。
記憶を戻すことがこのよく分からない世界の中で唯一の正解だと信じてきた。
でも、もし記憶喪失前の私があまりの辛さに記憶と人格を手放してしまったのなら……?
「恨みというのは呪いのようなものだ。忘れられるならその方が幸せだろう」
酷く落ち着いた低い声はまるで彼自身に向けた言葉にも聞こえる。
スズランちゃんが言う、副団長の抱える強い憎しみと孤独の片鱗が見えた気がした。
「副団長は僕の記憶が戻らなくても良いのですか? あなたが求める力は、今の僕にありませんよ」
「過去に力があったのなら鍛えれば取り戻せるはずだ。無理に記憶を戻せと言うつもりはない」
「そう、ですか……」
記憶を取り戻すことを肯定して欲しかったのか。記憶を戻す理由を、外部求めようとした私の疑問にも副団長は凪いだ表情で穏やかに返すばかりだ。
私はどうしたらいいんだろうか。ふわふわ浮いているような、宙ぶらりんに吊るされているみたいな、地につかない感覚が私の焦燥を駆り立てている。
「記憶を取り戻したいかは考えておいてくれ。どちらにせよ君の意思を尊重しよう、とは言え何かの拍子に意図せず記憶を取り戻すこともあるだろうが」
「分かりました」
口ではそう言えても、どうやって考えていいかも分からない。まるで、この世界で目を覚ました時みたいだ。
「他に聞いておきたいことはあるか?」
「混乱して頭が回っていないようです。また思いついたら聞いても良いですか?」
小さく頭を振って下を向く。探りを入れようと思ったていたのに、頭が働かず今、何か聞いても墓穴を掘るだけだ。
「空いている時ならばできる限り対応しよう。君も混乱しているだろう、今日は休んでくれて構わない」
「……僕はスズランちゃんじゃないですよ」
いつの間にか目の前に来ていた副団長が、屈んだかと思えば私の頭に優しく触れた。
また例の癖だろうか、拒否するように言葉を零せば困ったみたいに眉を下げられる。
「そうだったな。だが、君が不安そうな顔をするものだから」
直ぐ近くで視線があった紫の瞳はいつもと違って少し熱っぽくて甘さを含んでいる。
スズランちゃんと私を重ねてる? いや、違う!
ゾクリと全身に震えが走る。彼女に向ける視線はもっと穏やかで温かみがあった。
今、私へ向けて、らしくもなくほほ笑んだ副団長からは底知れぬ冷たさを感じる。
一見、恋人にでも向けるような甘やかに見えるその表情の奥には酷薄さが透けていた。
「ご迷惑をお掛けしました。僕はこれで失礼しますね」
手を離した副団長に、平静を装って挨拶を済ませて足早に部屋を後にする。
彼がどんな表情で私を見ていたかは怖くて確認できなかった。
長い廊下を小走りで進む。副団長は、私を籠絡しようとしていた?
都合の良い駒として使おうとしていることは察しが付いていたが、副団長に限ってこの手段を取るとは思わなかった。
規則がある以上、直接手は出してこないだろう。しかし、勘違いした私が勝手に彼を好きになったとしても副団長は規則違反にはならない。
その好意を利用して操って、何か問題を起こさせても当事者の私を切り捨てれば彼はノーダメージだ。
「はぁ、はぁ……」
目的地もなく、ただ副団長室から離れるために足を止めることができない。
自室に帰るか、少しでも気を紛らわせるために本でも読むか。未だに震えの止まらない手でまともに読めるかは疑問だけど。
「ゆ、ユリオプスさん!」
迷っているうちに見知った後ろ姿を見つけて思わず大声で呼びかける。呼び止めたところで何を話すかも決めていないのに。
「アンタか……ってなんだ、そんな顔して。アイツに嫌味でも言われたか? 仕方ねえな、陰口なら付き合ってやるぜ」
「違いますよ! それと、言うなら直接言ってください」
直ぐに振り向いたユリオプスは不思議そうに眉を寄せたが、分かった、とでも言うように頷いていつものイタズラっぽい表情を浮かべた。
「違うなら何があったんだよ」
「記憶の方に進展というか、ちょっと色々ありまして」
陰口が言いたかったのか、つまらなそうな顔をしたユリオプスにどう伝えていいか分からず回答がぼやける。
今、動揺しているのは副団長の態度のせいだ。しかし、それ以前に記憶を取り戻すべきか……これからどうすればよいか。私は自分の進むべき道を見失っていた。
「ふうん、この後の予定は?」
「今日は休みをもらいました」
「ならついて来いよ」
興味なさげに言葉を返したユリオプスは、止めていた足を動かし始める。ついて来い、と言われてもどこに? 困惑した私は、その場から動けずにいた。
「どこへ行くんですか?」
「秘密。ほら、バレないうちにさっさと行くぞ」
「え、ちょっと引っ張らないで!」
少し先に進んでいたユリオプスは、ゆっくりと戻ってきて立ち止まった私の腕を軽く引っ張る。そんなに急いでどこへ行くというのか。
「え? 外に行くんですか!」
「いいの、いいの。休みなんだろ」
驚きに声を上げるが、ユリオプスには適当に流された。何でもないことのように騎士団本部を後にして、見慣れぬ道を進んでいく。
外出許可を貰っていないだとか、何処へ向かっているかだとか、その時の私は混乱で全て抜け落ちていた。
「あら、貴女がカルミアちゃんね。こんにちは、あたしはローズ。不安な顔の貴女を占ってあげましょうか?」
ガヤガヤした酒場を背景に、妖艶な雰囲気を纏った黒髪の女性が微笑む。
何でこんなことになったのだろうか、隣りのユリオプスを見るが視線を逸らされた。




