第9話 竜殺しの名
陽が昇り朝が来る。結局眠りにつくことはできなかった。
朝食のパンを齧っていると、目覚めたティアマトが駆け足で二階から降りてくる。
数秒間ティアマトと目が合う。
「何をそんなに慌てている?」
「よかった」と小さく呟いて、ティアマトはその場で崩れ落ちる。目から溢れる大粒の涙が少女の気持ちを表していた。
「ど、どうした!?何がそんなに悲しい!」
「その逆よリュウちゃん。嬉しいのよ、ね?ティーちゃん」
ティアマトはコクリコクリと頷く。嬉しい?
泣く行為は悲しみの感情から来る表れだと思っていたが、どうやら違うようだ。人間の感情とは難しいものだ。
「起きたらいなかったから、竜王様死んじゃったのかと思って……」
「勝手に殺すな。あの程度で死ぬ我ではない。我は竜王だぞ?死の概念すら超越する存在だ」
「ほ、ほんとですか?」
「ああ、本当だ。貴様が死ぬまで我は死なない。だからもう泣くな」
ティアマトは涙を服の袖で拭って、我の隣に座る。座ったかと思えば一度立ち上がり、椅子同士の距離を近づける。
ティアマトは何も言わないが、横目で表情を見ると口元が上がっている。
くっつかれると食べにくいのだが、まあいいか。
「若いっていいわねぇ〜」
我らを見て満面の笑みになる老婆。
「なんだその顔は」
「そうだ!今日は天気良いから二人でピクニックでも行ってきたら?私サンドイッチ作ってあげるから、ね?」
「ぴくにっく?」
「自然豊かな場所で食事することよ。町を出てすぐに小高い丘があるのよ。そこで食べてきたら」
手を合わせて何か閃いたかのように老婆は言う。正直そんな時間などない。
我は一刻も早く元の姿に戻らなければならない。元の姿に戻るための手段は今すぐに思い浮かばないが、今やるべきことは決してピクニックに行くことではない。
「そんな時間などない。我は忙しいのだ」
「ティーちゃんは行きたいんじゃない?」
「竜王様が忙しいなら大丈夫です。わたしだけ楽しむわけにはいきませんから」
「かわいそうねえ。本当は行きたいのに」と言いながら我をチラチラ見る老婆。
これではまるで我が悪いみたいではないか。
いや別に気にする必要はない、老婆やティアマトがどう思おうが知ったことではない。
「オリンだったら絶対連れてってくれるのに、ティーちゃんかわいそう」
何故、そこでお前の知り合いの名を口に出す。関係ないだろ。
「いや、いいんですよ。メリーさん」
「でもねえ……」
「わかった、わかった。行くぞティアマト」
ついその場の雰囲気に耐えられなくて言ってしまった。これ以上隣で我に気遣いするティアマトを見ていられなかった。
全く、これでは他の竜に見られたら嗤われるぞ。王の威厳を損ねる発言だ。最悪竜王の座を降ろされても文句は言えない。
「いいのですか?」
「我が行きたいと言っているのだ。朝食を食べたらすぐ出発するぞ」
「はい!」
ティアマトは急いで黙々とパンを口に詰める。
その姿から喜びが伝わってくる。やはり行きたいのではないか。
「さすがお兄ちゃんね!」
「誰がお兄ちゃんだ!」
*****
王都からコール町までの道を、白い羽毛に覆われた大きな鳥が走っている。翼を持たず大きく発達した足で力強く大地を駆け巡る走鳥類のミーと呼ばれる鳥が列を作っている。
そのミーに乗りコール町へと向かうのは、騎士団とその団長であるイトナ。そして昔竜殺しと呼ばれた男のひ孫、スレイ。
団長と団員十名、そして竜殺しのひ孫、以上十二名だ。
イトナの隣を走るスレイが口を開く。
「騎士団も大変ですね。わざわざあんな辺鄙へんぴな所に行かせられるなんて。それにしても、団長様自らが調査に赴かなくてもよいのでは?」
「現在、陛下が最も危惧しているのは今回の件だ。治癒しない火傷、まるであの竜を彷彿とさせる。救世主様の勲功により、あの日以来竜王の存在は確認されていない。奴が復活したとは考えにくいが、他の竜の仕業という線もある。調査の結果、少しでも真実に近づき陛下の不安を取り除けるなら、私は労力を惜しまない」
白髪の髪をなびかせながら、イトナは淡々と言う。
「ははっ、さすが団長様。ご立派な忠誠心だ。確かに女王様は不安でしょうね、何せしがない用心棒の俺にまで声をかけるんですから」
「ふざけているなら王都に戻れ。貴様がどう思おうと我々騎士団は真剣に調査する」
イトナは軽口を叩くスレイが気に入らなかった。ひょうひょうとして信用できない男だと感じたからだ。
「真剣ですよ、至ってね。俺は竜がいてくれないと困るんですよ。功績を挙げれば大金が手に入る。それで用心棒もおさらば」
スレイの曽祖父は竜殺しの名を持つ。
竜王が死した後、残りの竜たちを討伐していった。
竜王を討伐した救世主と同様、スレイの曽祖父もまた数々の竜を討伐した者として世に功績を残した。救世主ほどではないが、曽祖父も偉人として多くの者に崇められていた。
しかし、それは曽祖父の話。スレイには全く関係のない話だ。曽祖父が名誉ある竜殺しであるからと言ってスレイ自身が優遇されるわけでない。
今では、裏で悪徳商品ばかりを売りさばく商会の主人の用心棒として働いている。
その主人はエルフだ。エルフにケチをつける人間はいないという理由から商会を始めた。
スレイは自分でも情けないと思っていた。平気で人から恨みを買い、誰も信用できなくなったエルフは金で護衛役として用心棒を雇った。
竜殺しで名を馳せた英雄の子孫は悪人を守っている。自身の地位を利用し金儲けのことしか考えないクズだ。だがそのクズのおこぼれを貰ってスレイは生きている。
そんな自分が劣っているように見えた。だからこそ、この機会を逃すわけにはいかない。
曾祖父から引き継がれている竜殺しの大剣を背負いスレイは静かに決意する。