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スマラクトリア王国:アゲートとシミリス、雑談

スマラクトリア王国:第一王子アゲート15才

ダーター王国:第一王子シミリス16才

「次の王になるとは言っても、エメラルドはまだ7歳ですから。当分は父について回るのは、私か次男のヘリオドールになるでしょうね」


 スマラクトリア王国の東南、ダーター王国との国境に在る街。文化の入り乱れるその街の一画で、スマラクトリアの第1王子アゲートとダーターの第1王子シミリスはお茶を囲んでいた。

 今日は両国の会談の日。会談はお互い、王と大臣数名、そして王子1名ずつを同席させて始まった。議題は貿易のことから各国の動きのこと、ダーターと南の隣国『コティスフォール』の間にある魔瘴ましょうの危険地帯に対しての対処など、多岐に渡った。

 その会談後の休憩に、近くの薔薇ばら庭園へ王子二人で足を運んだのだった。


「でも、良かったんでしょうか。会場を抜け出してきても」


 口をつけていたティーカップを置いてアゲートが言う。庭園の出口へ至る小道をちらちらと見て、何となく落ち着かない様子である。それに対し、シミリスは焼き菓子に薔薇ばらのジャムを塗りながら、


「会談ももう終わりでしょう? いつまでもご年配方とにらめっこなんて休まりませんよ」


 と、なにも気にした様子は無い。

 王や大臣達は会談場所の別室で軽食を食べている。本来なら二人の王子もその席に着くはずだったのだ。


「騒ぎになっていないと良いですが……」

「問題無いでしょう。伝言は兵にたくしましたし、ここは貴国を訪れた際に私も贔屓ひいきにしている貴族用の店です。要人警備は得意ですよ。それに、なんといっても優秀な護衛が睨みを利かせています。ねえそうでしょう皆さん」


 突然話を振られた周囲のスマラクトリア護衛兵達が少したじろぐ。過保護な彼らは、主人を連れ出したシミリスに先ほどから厳しい目を向けていた。その態度へのシミリスなりの仕返しである。


「せっかく他国の同年代に会ったのだから、年相応の会話も楽しみたいじゃないですか」


 微笑む瞳がアゲートの不安をかす。


「どうも、そのあたりのはかり方が得意では無くて。ただただ模範的なだけな生き方しか出来ず嫌になります」


 アゲートは置いたカップを両手で小さく包んだ。

 品行方正な彼は規律やマナーをくぐって抜け出すことなどしない。こんな経験は初めての事だった。


「真面目で素直なのはアゲート殿下の美点でしょう。でも、まぁ、たまにちょっとばかり枠からはみ出して、遊んでみるのも良いじゃないですか。で、私と一緒に怒られましょうよ」


 言って、シミリスは菓子と一緒に親指を舐めた。


「少し怖いですね」


 アゲートは軽く笑った。


 +++


 なごやかに会話は続いていた。興味のある学問のことから最近流行の長編物語のことまで、意外にも話が尽きることが無かった。


「ヘリオドールが最近、船に興味を持ちはじめまして。しかし我が国の船舶せんぱくは河川程度しか発達しておりません。ですので、まだ数年先にはなると思いますがそちらの学院に留学させたいと考えています。貴国の航海技術は大陸一ですから」

「ははは、それは光栄です。わが国が誇る大型帆船、ヘリオドール殿下と乗れる日を楽しみにしていますよ」

「ふふ。長子ちょうしなので弟よりは何かと先に経験してきましたが、他大陸に行くのはヘリオドールに先を越されそうですね」


 黄薔薇きばらはまだほとんどがつぼみで、可憐な印象を与える。晴れ渡る空の下、優しい風に月色つきいろの花がゆったりと揺れている。

 あまりにも、のどかな時間に護衛兵達も幾分いくぶん心が落ち着いたようである。二人の王子の緩やかな会話は彼らの安定剤になったのだろう。これには、実は居た数人の、シミリスの近衛も安堵した。


「アゲート殿下は大陸外へ出たことが無いのですか?」

「恥ずかしながら。中型船で沖まで少し出たぐらいです。シミリス殿下はよく行ってらっしゃるとか」

「ええ。対岸の大陸ならひと月に数回、少し遠い場所なら年に1回程度数ヶ月かけて貿易について行きますよ。まあ、次の王となる者の教養です。ダーターは漁業と貿易で発展してきた国ですから」


 言ってシミリスは自分の言葉に心の中で笑った。教養、などずれた綺麗な取り繕いである。本当は、その身に流れる古い海賊の血がダーター人をいつも海へと駆り立てるのだ。いずれ彼らの王となるシミリスもまた、幼い頃から荒ぶる海の男として漁業に関わり、世界を望み、船に乗った。しかし、そんな粗野そやな事実、今は話題に上げはしない。少なくとも庭園に居る()目の前の王子同様、王族であらねばならなかった。


「やはり他大陸はリアンドルムとは違いますか?」

「そうですね……一概に大陸で分けることはできませんが、衣食住は一番違いが分かり易いですね。例えば帽子から靴まで毛皮のみで出来た衣服を着る国、急斜面にななめに突き出るように造られた建物。甘くて、もの凄く辛い料理など想像できますか?」

「甘くて、辛いんですか? どちらかに振り切ってはいけないんでしょうか」

「いけないんですよ。しかも味付けは濃いめです。おかげで一口ごとにお茶を飲んでしまって、すぐ満腹になってしまいます」

「それは大変ですね。その場所に行ったら痩せそうだ」


 眼前がんぜんの王子の後ろに世界が広がる。アゲートは彼を透かして鮮やかな大海原おおうなばらを覗く。


「食事一つでも世界は広いということがよくわかります。私も見聞を広げないといけませんね」


 アゲートは自分が何も知らないのだと知った。相手から見える自分の後ろは、空白ばかりかもしれない。


「それと常識の違いに面食らう事もしょっちゅうですよ。一番近くの大陸では、貴族階級は一桁ひとけた年齢で婚約するのが常識だとか」

「一桁! まだ幼子おさなごではないですか」

「幼い頃から親しんでおけば政略結婚でも愛が芽生えるってやつですよ。年月が錯覚させているとしても、互いに情さえできれば大人側の罪悪感が少し減るって訳です。貞操も守られますし」

「一理ありますが、貴族と言えどもそれは」


 あまりにも大人の勝手過ぎる。リアンドルム大陸でも政略結婚はあるが、大体は10代も後半を過ぎてからだ。本人も結婚についてよくよく理解している年齢である。対し、結婚への理解も覚悟も意見もまだ十分に持たない幼い頃からの婚約など、非道ではないか。


 ーーでは、大人になってからの政略的結婚は自由であると言えるのか。


 理解ある年齢だからと言って、意思など通るのだろうか。それでは、いくつで婚約しようとおんなじだ。ならばどちらが本人にとっての幸せなのだろう。どうせ選べないなら、最初から選択ができない方が良いのでは無いか。


「それに両親が感化されて、うちの姉も5歳の時に政治的意図で婚約してますよ。そんな文化が無いエルフェドラ国も、よく承諾してくれたもんだと思います」

「ご婚約、5歳だったんですか」


 アゲートも、ガードネリィ王女とジャルル殿下の婚約話は聞いていた。だが、物心着く頃にはすでに当たり前のように受け取っていた情報で、彼らの関係はそういうものだ、となんの疑問も持っていなかったと気づく。


「そして大人達の戦略は見事成功しました。二人はなかなか良い感じですよ。もっとも、ジャルル殿下のほうは無自覚ですがね」

「と、言うと?」

「ジャルル殿下はうちの妹姫がお好きなようで」

「えっ、それでは駄目ではないですか」


 アゲートの反応とほぼ同時に、薄ら聞いていた兵士達もざわつく。身内での三角関係など国の醜聞も良いところである。


「そうなんですよ。どうも姉上のような男まさりな美人系は苦手みたいです。ふんわりした可愛らしい人が好みらしいですよ」


 困ったような表情で肩をすくめて見せるくせに、シミリスの声色には何故か一切それがない。むしろ愉快そうである。


「しかも彼の初恋はどうやら私らしい」

「え」


 固まるアゲートに、シミリスは満足げである。まるで仕掛けたイタズラが成功したとばかりだ。


「姉上との初顔合わせへ至る途中、城の中庭で遊んでいた私を女性と勘違いして一目惚れしたんです。すぐに誤解は解けましたが、以来何故かジャルル殿下は私に苦手意識を持っているようで。その私に、彼の婚約者である姉上はそっくりだ、というのは面白いったらないですよね」

「ジャルル殿下が可愛いらしい女性を好む理由、それなのでは」


 アゲートは先ほどまで、シミリスの事を一つ年上で自分よりずっと大人だと思っていた。しかし、何やら違うのかもしれない。


「いやはや、それでも姉とは良い感じなんです。ジャルル殿下は姉には弱さや情け無さも普通にみせるんですよ。本人は気がついてないですがね」

「自覚なき信頼、ですか」


 先程のシミリスの軽口、エルフェドラに対して大丈夫なのだろうかとアゲートは心配になったが、それが出来るほど国同士が蜜月なのだろう。確かに早期の婚約は効力があるようだった。


「いっそ、妹にも婚約者が居たらジャルル殿の偶像崇拝ぐうぞうすうはいも無くなるでしょうが」


 言ってシミリスは考え込む様に頬杖をついた。その声色は先程までとは違って憂いを帯びていたので、アゲートはまた困惑した。

 サッと変わった表情はやはり自分より大人に見えたのだ。どれが彼の本心であるかアゲートには分からなかった。否、どれも彼の本心なのかもしれない。


「……アゲート殿下は女性に興味は?」

「は?」


 対応に迷うアゲートをよそに、またまた表情をコロっと変えてシミリスは問う。突然の話題転換にいよいよアゲートは固まった。


「ご婚約者殿は居ませんでしたよね。どんな女性に魅力を感じますか?」

「魅りょ……」

「私は気が強くて生真面目で揶揄からかい甲斐のある、グラマラスな美女が好きですね」

「シミリス殿下、あの」

「どうでしょう、ふわっと愛くるしく、しかし芯の強い、私の妹と恋に落ちてみませんか」


 今日だけで護衛の兵士達は何度騒めいただろう。サワサワとした草花の音にザワザワと密めく声が混じる。


「やはり、幼い感じよりも大人な女性の方が好みですか? でしたら妹は難しいですねぇ」


 シミリスは、うーん、と顎に手をやる。

 もはや全体的にアゲートは置いてけぼりになっていた。そのため頭は変に冷静で、他者を振り回しても気にしないシミリスに対し、こうも堂々と自分のペースに巻きこむ強かさ、これが王の器に必要なものなのだろう、と考えさえしていた。


「しかし妹はまだ13。将来性はありますし、一度会ってみませんか」


 シミリスの提案は突拍子のないものでは無い。たしかに、15歳のアゲートとなら年齢的にも釣り合いは取れる。縁談話が出ることもあるだろう。


「会場から抜けたのはこの話の為ですか。その件は私では判断しかねますので、国を通して頂かないと……」


 素直に、仲良くなれそうだと思っていたアゲートは、我に返って落胆していた。何かあるかも知れないとは思っていたが、縁談の打診、これがシミリスの目的だったのだろう。

 国同士の結び付きを強くするには婚姻関係を結ぶのが一番手っ取り早く、その為の手段として他者を通すよりも、本人に直接話を持ちかける方が言質を取りやすい。けれど、国ありきの婚約と言えば、個人の判断だけでおいそれと答えることなど出来ない。


「これは失礼」


 シミリスは大きく笑った。


「ただ純粋にアゲート殿下と話してみたかっただけですよ。それは本当です。このお茶会は個人的なもので、これも私的な雑談と思っていただいて結構ですよ。なんなら、俺も普段通りの話し方に戻すことにする。これなら堅苦しさも無いだろう。アゲート殿下も肩の力を抜いて話してくれればいい。今は同年代の男が恋の話をしているだけさ」

「恋、ですか」


 急に変わったシミリスの口調に少々驚きはしたが、それよりもアゲートは普段避けがちな単語に一層戸惑った。それならばいっそ政略結婚の話の方がまだマシかもしれない。


「恋、の話は私には出来ませんよ。シミリス殿下、お茶のおかわりは如何ですか」

「ありがとう、頂こう」

「この店はお茶もお菓子も美味しいですね。焼き菓子など、隠し味の蜂蜜が生地の良さを引き出している」

「よくわかるな」

「甘味への舌には自信ありますよ」


 アゲートは二人のカップにゆっくりとお茶を注ぎながら、話が流れることを祈った。


「もしかしてアゲート殿下は初恋もまだなのか?」

「それはどうでも良いじゃ無いですか」


 話は流れなかった。


「まあ周りがこんなに過保護なら、そんな機会も無いのかもな」


 ことり、とティーポットをテーブルに置く音が力無く響く。図星だった。臣下からの信頼の厚さは、裏を返せば是としないものから遠ざけられる足枷で、そのためアゲートは未だ恋愛話など苦手だった。


「そういう、シミリス殿下はどうなんです。決まったお相手がいるとは聞いた事がありません」


 この話題から逃げられないのなら、いっそ質問をする側にまわる方がマシである。本当に恋の話がしたいのか、縁談の前置きなのか判断出来ないが、どちらにしろアゲート側は何も答えられない。ならば相手が勝手に喋ってくれるなら、あはある意味話から逃げることが出来る。

 話を振られ返されるとは思っていなかったシミリスは、少し目をしばたたせ思案する。


「そうさなぁ。——アゲート殿下が良いな」

揶揄からかわないで下さい」


 誤魔化されたとアゲートは思った。そして、西の隣国の王子ジャルルが気の毒になった。恐らくこんな調子でいつもシミリスに揶揄からかわれているのだろう。苦手になるのも分かる。シミリスの手の上で踊らされていると痛感出来るからこそ、悔しさは増すのだろう。そして、それをまたシミリスは上手く突くのだろう。

 普段あまり穏やかな態度を崩さないアゲートだったが、シミリスにはどうも調子を狂わされてばかりである。

 そんなアゲートを面白そうに眺め、シミリスはティーカップにジャムを入れた。

 緩い沈黙が訪れる。それを埋めるように二人はお茶を口にした。注いだばかりのお茶はもう冷めていたが、彼らは気にしなかった。口をつけるこのが、二人には必要なものだった。


「……好いた相手がいた事もあったさ」


 少ないお茶に映る自分を見つめ、シミリスが呟く。


「海の向こうの小さな村だ。まだ子供の淡い気持ちから、数年間。……生意気な娘だったな。——だがな、ダーターは新興国だ。後ろ盾が欲しい。それもなるべく強い国の後ろ盾が」

「——その為のガードネリィ様とジャルル殿下のご婚約、なのでしょう?」

「いや、それでは足りない。送り出す姫だけではなく迎える姫も必要だ。だがこの大陸にはわが国以外に適する王女や同等の身分の姫はいない。だから今は他大陸との信頼関係を少しずつ築いている。いつか他の国の王女殿下を妻に迎え入れる為に。そこに俺の感情はいらないんだよ。……だろう?」


 言ったシミリスの猫の耳にも似たつのは、心なしか項垂うなだれて見える。

 全てはまだ脆く危うい、愛する国の為。そう決めたのはシミリスであったか、周囲の大人であったか。それは彼自身でももう分からなかった。

 一瞬悲しそうにどこか遠くを見たようだが、それはすぐに隠され、王子としてのシミリスの表情に戻る。


「そういう訳で、俺は保留中さ」

「なんだか意外ですね。シミリス殿下なら、周囲を上手く説得して好きな方と結婚出来てしまいそうなのに」

「そう上手くはいかないな」


 上手くいかない。かしずかれ、その対価として求められる責任は個人の感情の対極だ。


「だが、妹は上手くあって欲しい。……俺はアゲート殿下が気に入った。ジャルル殿下の事もあるが、政略結婚が当たり前の立場ならば、妹にはその範囲の中でも、せめて恋愛から始めて相手を決めさせてやりたい。それがアゲート殿下だったらいいと思う。——だから、妹に会ってはくれないか」


 妹と殿下ならばきっといい関係を築ける。そう言ってシミリスはアゲートを見つめた。

 真摯な瞳だった。自分以外の誰かを必ず幸せにすると決めた者の目。それが真っ直ぐにアゲートに向いている。


「シミリス殿下……、あなたは妹想いの方ですね。私にも。そこまで仰って頂けるなど、大変有難い事です」


 ですが、とアゲートは続ける。


「ご存じの通り、我が国は成り立ちも特殊ですので、国同士の婚姻に重きを置いては居ません。国土の維持の為に、より高い魔力量を維持する婚姻を求められています。自身の好みでどうこう出来る事では無いのです」


 向けられた瞳を、アゲートは柔らかくも強く見つめ返した。

 アゲートもシミリスも、やり方は違えど国を守る為の選択を求められている。


「お互い難儀な立場だな」


 二人は顔を見合わせたまま悲しく笑った。

 地位があれば、お金があれば、何もかも思い通りになるという訳ではない。むしろ、それらは真逆を向いている。


「それに、事前にそんな事言われていたら本当の感情なのか分からなくなってしまいますよ。運命とか直感とか、恋とはもっと自然なものなんでしょう?」


 そう言って微笑んだアゲートにシミリスは呆気に取られた。そして愉快そうに、ははは、と大きく笑った。つられてアゲートも声を出して笑った。


「アゲート殿下に恋を教えられるとは! そうだな、俺としたことがうっかりしていたよ」

「教えるなど、とんでもないことです。ただ、好きというのは誰からも強制されない感情でしょう。好き、は恋以外にもありますから」


 ふと、アゲートは幼い頃の事を思い出していた。それは、自分で決められる事が少ないと気づいた出来事だった。


「シミリス殿下、私、甘味が大好きなんですよ。食べるのも作るのも」

「先ほど、舌には自信があると言っていたな」

「はい。甘味に関しては、城の料理長をもしのぐと自負しています。——なので幼い頃は菓子職人になろうと思っていました」

「確か、アゲート殿下は神官職に着く予定とか」

「ええ」


 スマラクトリアの王族は魔力が総じて高い。故に、王の兄弟は重要な役を与えられやすい。例えば神官として、騎士として。アゲートの場合は神官、つまり神殿魔術士として国に使えることになる。ゆくゆくは最高位神殿魔術士として、祭祀さいしの面で弟王を支えることになっている。


「なので叶わない夢に終わりました。私は問いました、王になるわけでも無いのに何故職業を選べないのか、と。宰相は言いました。王の兄なら王を支えなさい、上に立つことを学びなさい、職人になりたいなんて王家の子なのに我が儘だ、と」

「我が儘、か」

「宰相の家系は代々王に仕えていまして、王や王族に対して理想が高いのです。——シミリス殿下と話していて、不意にこの事を思い出しました。ずっと忘れていた訳ではありません。多分、見ないようにしていた」


 いっそ、枠の外など無いかのようにしていれば、不自由な自分には気がつかなくていい。選べないなら、そういうものだと思い込んでいればいい。


「大丈夫なのかそんな話して。聞こえてるんだ、驚いてるだろう、彼ら」

「どうでしょう。護衛兵達は優しいですから」


 アゲートは周囲の兵を見回す。微笑んだアゲートと目が合うと、彼らは照れくさそうに目を逸らした。

 たまにアゲートが厨房で、こっそりお菓子を作っていることは彼らも知っているのだろう。恐らく、その時のアゲートの幸せそうな姿までも。


「今では神官になるのも嫌ではありません。愛する弟を私も支えたいですから」


 そう言ってアゲートは空を見た。

 今でもなれるものなら菓子職人になりたい。けれど引き換えにするものの大きさを理解してからは、神官になることにも幾分前向きだ。何より、自分よりも重い責を持って生まれた弟、エメラルドのことを思うと少しでも役に立てる力を持っておきたい。決められたものの中に好きなところ、譲れないところを見つけ出して進んでゆくのも自分で作る道なのだと思う。


「私は自分で職業を決められない。他にも選べる事は少ない。それは私が弱いせいです。でも、一生の中で本当に大切な事は自分で決めたい。きっと私はずっとそう思っていた」


その感情は小さな種のように、幼いあの日からアゲートの心に埋められていた。


「……当てられてしまいましたが、私は恋をしたことがありません。妹君に会えば、恋に落ちるかもしれません。私だって、恋した相手が適した人物であったなら幸運なことだと思います。それでも、シミリス殿下。あなたの過去の恋を羨ましくも思います。肩書きなんか関係なく、世界で出会ったすべての人の中から、たった一人を好きになる、その想いが」

「でも、俺はそれを諦めた。『立場』を理由にして。……アゲート殿下に言ったくせに、結局俺も枠から出られていない」


 アゲートはその言葉に首を振った。


「国を守る役目を、私たちは背負っていますから」


 穏やかだった風が少し強くなり始め、庭園内に居る者達の柔らかい服の端を靡かせる。シミリスの淡藤色あわふじいろの長い髪もまた、同じ風に攫われそうになった。


「……北の大陸の王女様が、お忍びで出会った魔物使いと大恋愛の末、ご結婚されたらしい。極貧国だから有力な国との結びつきの為、当人の感情なんて関係なく相手国探しをしていたようだけど、王女様はそんな国と両陛下を死に物狂いで説得したんだとか。今では国民も認める相手となった魔物使い−−夫君だけど、当時は本当に批判が大きかった」


 シミリスの脳裏に、世間と戦う、顔も知らぬ夫婦が映る。


「でもそれを乗り越えて貫ける愛なんて、凄いよな」


 その言葉は独り言のようでもあり、アゲートに聞かせるようでもあり。


「あるんでしょうか、この先そんな恋が」

「……どうだろうな」


 いつか本の中で見たような、ある種、乙女チックな恋。それは純粋で美しくて、まつりごとせいを縛られた王族が見るには、庶民よりも遠くボヤけた夢。

 二人の王子は見えないそれを探すように、薔薇を見つめる。

 彼らを囲み咲く花は、風の吹くままにただ、ゆらゆらと揺れていた。

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