あんこ会議
「はい、これから会議を始めます。みなさん席についてください」
りんごのおうち、の奥にあるダイニングにて、アイオライト、リコ、カリン、レノワール、エレンがテーブルを凝視していた。
なんだろうなと、ラウルが近づくと急に大真面目な顔でアイオライトが椅子から立ち上がる。
「まず、これをご覧ください」
仰々しい紹介をされているが、目の前には、ざるの上に乗った赤い豆が山盛りになっているだけだ。
「アオ先生! これは、もしや……あずき!」
「えぇ、その通りです。リコ。ガルシアで輸入されているのを偶然見つけたのですっ」
その重々しいやり取りを聞くや否や、その場にいたカリンとレノワール、エレンが興奮したように立ち上がった。
「「「あずきっ!」」」
「静粛に! 静粛に!!」
いったい何を見せられているのか全く分からない状態で、それを傍から観察していたラウルが、今回の話の中心にいる小さな赤い豆を一粒手に取って口に入れる。
「んー、美味しくはないかなぁ」
口に入れると固く、なんの味もない。
いや、なんか苦いようなエグいような……、形容し難い味であることだけは確かである。
「あ! ラウル、生で食べても大して美味しくはありません。これはちゃんとあく抜きしてから下茹でして、お砂糖で炊くんです!」
「おさとうでたく?」
「そうです。大変美味しくなります」
「そうなの?」
「間違いなしですっ!」
意味が分かっていないので、そのままオウム返しにしか言葉を返すことが出来ないラウルとは裏腹に、興奮気味の他の五人は次の議題に移っていた。
「自分は、あんこが作れたらみんなが何を食べたいか聞きたいんだよね」
この美味しくもまずくもない、どちらかと言えば変な味がする豆が、砂糖と一緒にしたからと言ってそんなに興奮するほど美味しくなるものなのか。
今までの事を考えれば、アイオライトの手にかかれば確かになんでも美味しくなることは間違いないとは思うのだが、この豆じゃなぁ、と思わずにはいられない。
「和菓子になるのは分かってるんだけど、あんこがあるだけで食べられるものの選択肢が広がるわ」
「あんみつ、ぜんざい、おはぎ、大判焼き、たい焼き……どれも譲れないわね」
「どら焼きも、いい」
「大福に羊羹、最中もよさそう。あと、潰す前のあずきをマフィンとかに入れても」
「「「一つに絞れないよ!」」」
「いや、一つに絞る必要ないし……」
アイオライトが言うや否や、四人の目が驚愕の表情と共に開かれる。
「全部作ってくれる、のか!?」
「いや、全部は難しいけど……」
「大判焼きとたい焼きは金型が必要。その点どら焼きはパンケーキのように焼ければ再現可能だから……、作ってくれる可能性が一番高いと見た!」
珍しく長めに喋ったリコが、カッと目を見開いたと同時にさらに言葉が続く。
「寒天の代用品はあるから、恐らくあんみつと羊羹もいけるでしょ!?」
「そうだね。あと、もち米はないけれど小麦粉でも求肥を作る方法を覚えてるから大福も問題ないかな」
「あ、でもさ、金型作れたら、たい焼きも大判焼きもいけるよね」
「まぁ、そうだね」
首を左右に振って、やれやれと言った顔を何故かするリコに、なんだかわからない様子で見るしかなかったラウルが声をかけた。
「さっきから言ってる、おおばんやきとたいやきとどらやきは、みんな『やき』が付いてるけれど同じじゃないの?」
「いい所に目を付けたな、ラウル君。同じだが、同じじゃない」
「ふぅん」
「おい、興味を無くすな! みんな同じだけれど形が違うんだよ」
「そうなんです。ラウル、全部ほとんど同じ材料なんですけれど、形が小判または丸型、魚の形。どら焼きはパンケーキであんこをはさんだものなんです。どれも美味しいんです」
アイオライトがとびっきりの笑顔をラウルに向けると、そうなんだね、と幸せそうに答えた。
「ちょっと、私には塩対応が過ぎるんじゃない?」
先ほど自分にはふぅん、としか感想がなかったリコがラウルに抗議の声を上げた。
「リコさんよ、ラウルはアオにはポンコツが過ぎるから抗議なんかしたって駄目」
「わかってても腹が立つときはあるってもんよ」
抗議の声に反応してくれたレノワールが、リコを嗜めるように言うが分かっていても不満は不満なようだ。
「うん……。とりあえず今日はどら焼きにしてみようと思うけど、どう?」
「賛成! 賛成!!」
「でも、あずきって生だと有毒だって聞いたこと、ある。これは乾燥させてあるよね」
そうなのだ。実際は良く分からないが有毒っぽいことをアイオライトも何となく聞いたことがあったのでちゃんと乾燥させたものを用意している。
「実はこのあずきは虹の魔法で作ったものだから毒性はないとは思うんだけれど、収穫した後念のためちゃんと乾燥させておいたものを準備したんだよ」
そう言って調理に取り掛かる。
小豆は綺麗に洗って自ら十五分ほど大きな鍋でたっぷりの水で煮て渋きりを行う。
「なんか、ゆで汁が濃いめの赤葡萄酒色になったら渋きり終了。うん、こんなもんで良さそう」
アイオライトが一粒口に入れて雑味がなかったので工程を進める。
渋きりしたあずきをざるに一旦上げて、鍋をしっかり綺麗に洗ったらあずきとその三倍ぐらいの量の水を入れてまた火にかける。
煮立ってきたら少し弱火にしつつ、水も調整しながら灰汁を取り三十分ほどさらに煮ていく。
「結構灰汁が出るな……」
「アオ、このアワアワしてるやつが灰汁?」
「はい。丁寧に掬って取っていきます」
灰汁をすくうのを飽きもせず面白そうにラウルが隣で見ていると、煮汁が減ってとろみが出てきた。
アイオライトがいったん火を止めて、スプーンにすくって一口ぱくりと食べて、手に取って指で軽く潰す。
「良い感じで潰れる。では砂糖と投入します!」
用意していた砂糖の半分をまず入れて、混ぜて溶かしてからさらに残りの半分を加える。
豆はあまり潰さないように、弱火の中火ぐらいで水分を飛ばしながらゆっくり優しく混ぜていく。
「甘さはこれぐらいにしておこうかな」
「アオ、これあんなに水があったのにこんなになっちゃって大丈夫なの?」
甘さを確認しているアイオライトの横で、ずっと見てたラウルが心配そうに鍋を見つめている。
アイオライトは、あんこ作りを楽しんでくれているのだと思うと、なんだか嬉しくなってしまう。
「大丈夫です。なかなかいい固さになったと思います。ここで塩を入れて炊きあがりです! どら焼きに使うぐらいの大きさに分けて冷ましておきましょう」
そう言いながら、バットに小分けにしていく。
冷蔵庫に入れておきたいところだが、ラップがないので水分が飛んでしまうのを避けるために常温で冷ます。
「味見してみてください! 自分は結構好きな甘さなんだけれど」
一口分をすくって、ラウルに向ける。
スプーンを渡すのではなく、あずき……いやすでにあんこの乗ったスプーンの先をラウルに向けている。
これは、あーんのチャンス!
そう思ったラウルは、アイオライトのかなり傍まで寄り口を開ける。
すると、特にためらうことなくアイオライトはあんこの乗ったスプーンを優しく口に運び入れてくれる。
「美味しいですか?」
「おいひいです。嬉しいし、凄く幸せ……」
「好き嫌いはあるかと思いますが、ラウルがあんこ好きで良かったです」
違います。アイオライトがあーんしてくれたことが嬉しかっただけです。
とは言い切れないまま、咀嚼をしていると、甘いだけかと思ったあんこが味わい深くなってくる。鼻から抜ける何とも言えない香りがまたいい。
ごくりと飲み込んで、これはあれに合うのではないかとラウルはふと思いついた。
「アオ、これはパンに入れても美味しいと思うんだけど、カレーみたいに中に入れたり出来ないの?」
「「「「「あんぱん!!」」」」」
五人が湧き上がるように声を上げた。
「しかし、今日は、どら焼きです。あんぱんは準備が必要なのでまた後日。でも楽しみが広がって、嬉しい」
そう言いながらアイオライトはどら焼きの皮の部分を作り始める。
粉に膨らまし粉、卵に牛乳と砂糖に蜂蜜を入れて混ぜ、生地を少し休ませてからフライパンで焼いていく。
シンプルだが、焼けてくるとそれだけで美味しい匂いが厨房に漂い始めた。
「アオ! フツフツしてきた!」
なぜかフライパンをずっと覗き込んでいたエレンが、元気にひっくり返すタイミングを報告してくれる。
「おうよっ! どんどん焼いていくから、生地が冷めたらあんこ挟んでいってね」
生地も焼き終わり、あんこを全て挟み終わった。あとは実食である。
「美味しいことはすでに確定している。いただきますっ!」
レノワールが堪えきれず一口食むと、しばらく見たことのないような微笑みを浮かべた。
カリンはゆっくりと咀嚼し頬を赤らめ、エレンは少しだけ目に涙が滲んでいる。
リコは無言で一心不乱に食べ進めている。
ラウルにいたっては一瞬で食べ終わり二つ目をご所望だ。あんこは出来ているので追加の生地を焼いて渡してあげると、ニコニコしながら今度はゆっくり味わう様に食べ始めた。
すると、カランカランとドアベルがなる。
音が鳴ったことにびっくりして、アイオライトは厨房から店の方へ顔だけ出した。
「すみません。お店のドア開けっぱなしにしててごめんなさい。今日はおやすみで……、あ、リチャードさん。こんにちわ」
そこには、リチャードが鼻をくんくんとさせながら立っている。
「扉はちゃんと閉めておかないと危険ですと、何回言えばいいのやら。まぁ、ラウルが一緒ですからアイオライトだけが多少危ない瞬間があるかもしれませんが……。命の危険はないという点では問題ないでしょう。ご機嫌よう」
「挨拶が独特……」
「それで、この匂い。今日は一体何を作っているのでしょうか」
鼻のきくこの人は、美味しいものへの嗅覚が半端ないのだ。
付き合いが長くなるにつれ、若干キャラが変わってきている気もするが、もしかしたらこちらの方が素なのかもしれないと最近アイオライトは思い始めていた。
「リチャード氏、これ、だ」
リコは食べかけのどら焼きを珍しく半分に割ってリチャードに突き出す。
「いささか変わった食べ物ですね。今までにないタイプです」
そう言いながらもリコからどら焼きを受け取り、じっと観察し始めた。
色々な方向から確認して、匂いを嗅ぎ始める。
「パンケーキに……、謎の物体が挟まっていますが、ちょっと黒すぎやしませんか?」
「そう思うのも仕方ないよな。わかるわかる。俺ちょっと躊躇したけど、食べたら止まらなくなっちゃって瞬殺だったよ」
「アイオライト、この黒いものは何からできているのでしょうか?」
「あずきっていう豆をお砂糖で煮たもの……です」
「豆を、砂糖で……?」
「あずきは美容にもいいのよ。むくみにも有効だし肌にもいいの」
リチャードはどら焼きをじっと見つめた後、意を決したように小さく口に一口入れ、瞳を閉じてその初めの一口をゆっくり咀嚼し終わった後、残りは超高速で食べ終わってしまった。
「これも、店で売ればいい……」
「リチャード、それいいアイディア」
「というか、ラウル。ガルシアにこの豆がどこの国から入手できるのかをちゃんと確認しなくては。アシュール様との会談をセッティングしましょう。急にやることが増えてしまいましたね……。困ったものです」
困ったものだと言いつつも、ちらりとアイオライトを見て、おかわりが欲しいと無言の圧力をかけてきている。
しかし、あんこのストックは後三つしかない。
他のみんなももう一つ欲しいという顔でアイオライトをガン見している。
「誰が食べるか、勝負するしかないな」
「いや、ラウルは二個目食べてた! この戦いに参加する資格は、ないっ!!」
キッパリとリコに断りを入れられて肩をガックリ落としたラウルの大袈裟な仕草に、アイオライトはついつい笑いが込み上げてきた。
「もうっ、あとあんこが三つあるんだし、そんなこと言わないでみんなで分けようよ! ちっちゃくても美味しいよ!」
「だから、ラウルは二個も食べたんだから……、小さく?」
今度はカリンが食ってかかろうとしたが、小さく、小さく、とその一言を繰り返しながら何かを考え始めてしまった。
「アオ、なにかパンとバターはある?」
「昨日の売れ残りの小さいコッペパンなら……はっ! まさか!」
アイオライトが気が付いたと同時に、他の三人も同じ事を考えに思い至ったようで大きく頷く。
「ホイップクリームも、あるっ!」
パタパタと冷蔵庫に走り寄って中を確認した後、珍しくアイオライトもギラギラした目で振り返り全員に宣言する。
「ナイス!」
「では、参りますっ!」
すでに切り込みの入っているコッペパンにあんこを少し塗り
薄く切ったバターを乗せる。
一旦トースターでバターが少し柔らかくなるぐらいまで軽く焼いて取り出し、ホイップクリームをさらに挟んで出来上がりである。
「アンバターホイップサンドー!」
大人しく見ていたラウルは、早く食べたいので大人しく待てをしているが、リチャードは一言言わねば気が済まないようだ。
「また珍妙な名前ですが、やはり先ほどのどら焼きと同じく挟まっている。ならば美味しいのでしょう」
そんな事をいいながらも、一口。
パクリ。
一瞬手を止めて、パクリ、パクリ。
「はっ?? 少な過ぎる」
悔しがるリチャードだったが、先ほどよりもさらに眼鏡の奥の光が強くなった気がする。
「ラウル、早くなさい。これからガルシアに向かいます」
「ふぇぁ?」
まだ食べ終わっていないラウルの腕を引き上げ、そのままひっぱって店の扉へ一目散に向かっていく。
「なんだよっ! 今日は俺一日休みだからアオと一緒に過ごすって決めてるんだよ。夜は……」
「そんな悠長な事言って、あんこが逃げたらどうしてくれるんですか」
「悠長って、なんだよ! 今夜は次のステージに進むって決めてんのっ!」
「結婚決まってほぼ同棲してるのにまだまだなのでしょう? 大人の階段はいつでも上れますが……」
「言い方ーっっ!」
「申し訳けありませんでした」
と謝罪の言葉は口にすれど、リチャードのその表情はこれっぽっちも反省していないことは、誰が見ても明らかである。
「もう、行ってきたらいいよ。車貸すし」
「ありがとう、では行きましょう」
「やだーっっ! アオ、助けて!」
爽やかイケメンが台無しになるような台詞で弱音を吐くラウルを助けてあげたい気持ちが高まるが、リチャードの顔と目があまりにも本気すぎて、やめてあげてとはなかなか言えないのが申し訳ない。
「ラウル……」
「頑張ったらご褒美になんでも一つ願いを聞いてくれる?」
「いいですよ! だから頑張ってくださいね!」
「絶対、絶対約束だからね!」
「はい。約束しました」
そうアイオライトが答えると、先ほどとは打って変わって満面の笑みで、「熱烈ハグか、一日中抱っこ、一晩中……、うわー、何にしよう」と欲望を全て口から出しながら意気揚々と出かけていくラウルを、いつもの顔で見送った一同であった。
「ともあれあずきが手に入るようになったら、餅米とかもあるといいよね」
「餅米、必須」
「楽しみだなー」
あずきは、ウェルヴィン王国と言うガルシアよりさらに先の大陸にある国から輸入していることがわかった。
さらに質の良い餅米も一緒に、である。
これより数年後、その国で金の林檎亭の五号店が開店することはまだこの時は誰も知らない。