7話 誰か俺に、笑い方を教えてくれますか?
「あのさ、俺引っ越すんだ」
「え……」
「………」
「え、マジ!?」
「うん」
「ガチ? どこ?」
「それはまだ知らない。来週詳しく話す」
「本当なの?」
「そうだよ」
「そうなんだ……」
何このぎこちない会話。自分でもそう思う。同じ誕生日、同じ血液型、小学校1年から3年まで一緒のクラスだった力也。
二年間離れていて、廊下ですれ違えば話をした。
だけど、なぜだろう。
今は話す話題が見つからない。
二人の間に、気まずい雰囲気が流れていた。
「また明日詳しいこと話すね」
「うん」
「はぁ……」
詳しい情報のないまま伝えるのはダメだったのか。
再婚することになった人のことは、聞けそうになかった。もちろん、場所とか日にちも。
どういう人なのか、どういう顔なのか、どういう仕事をしているのか。
母さんとばあちゃんは「詳しい話は来週で」と言っている。
それならわざわざ先に色々質問することもないだろう。
「…………」
引っ越しすることになるけど、実感が湧かない。
再婚するらしいけど、実感が湧かない。
案外そういうもんなのかな。
俺には1歳?の頃からの記憶がある。
何年後かに分かったことなんだけど、これは珍しいことらしい。
例えば、母さんに授乳されてもらっている記憶。
見つめる自分の手が、すごい小さかった記憶。
じいちゃんの手に乗って、カメラで写真を撮られた記憶。
おむつがあれで、泣いていても誰も来なかった記憶。
泣いていても、誰も来ない。
3歳の頃かな、ばあちゃんが言ってた。
母さんと誰かが喧嘩していた。
俺はなぜか泣いていて、ずっと泣いていて…。
そこで「うるせぇな」と。
記憶はそこで途切れた。
それだけ。短い。声から母さんか。相手はおそらく、ていうか確実に“元”父さんだろう。
よく人に写真を撮る時に「笑って」と言われる。
微笑を浮かべるつもりだけどね。
ただ、口が開けないんだ。
開こうとして、開けない。
普段は問題なく笑えるのにさ。
クラスでは孤立していない方だと思う。
自分で言うのもあれだけど、テストの点数いいし、フォンのおかげだけどな。
それと、毎日走っているおかげで学年でも走る競技ではトップに入る。
毎日話かけている人はいるけど、なんか、家まで遊びに行くような友達はいない。
そういう仲のいい友達は力也とフォンだけだ。
かっこよく言えば少数精鋭、悪く言えば陰きあ……やめよう。
まぁいい。フォンは引っ越してしまったし。
俺も、もうすぐ引っ越す。
“再婚することになったけど…“と、母さんはそう言っていた。
“再婚しても大丈夫?”じゃなくて、することになった。
泣いていても、誰も来ない。
俺の意見は、尊重されない。
大人の世界に、口出しができないのだ。
「引っ越しは来週に決まったんだ、ごめんね」
「そうなんだ」
思いっきり笑いを作る。
顔がひきつってない。大丈夫だ。
「父さんはアメリカ人なんだよ。マークさんていう人」
へー。へぇ。へー。
「もちろん日本に住むから。〇〇県に来月引っ越すことになる」
へぇ。
苗字は、日本に住むので、日本の親の苗字になるらしい。
俺は上篠玲士なので、そのまんま。
部屋に戻った。
いろんな記憶が溢れ出す。
大切なものはない。全て腐った記憶。
勢いよく閉まって大きい音がした扉。
泣いても、誰も来てくれなかった。
起きたら、母さんがいなくて、隣の家まで行った。近所さんの人に「じいちゃんとばあちゃんは買い物に行っているから待っててくれる?」と。いや、俺が探してんのは母さんなんだが。
「パパはいないの?」と言ったら、じいちゃんばあちゃんが静かになる。
幼稚園の友達に、「レイシの母ちゃん離婚したの? 俺のママが言ってたよ」とか。
「あはは、あはは、はは」
思い出すのは、フォンの言葉。思憶。
「思憶なんてねぇんだよ」
「あはははは」
思いっきり笑う。
永遠と感じられた時間。俺の部屋にいつまでも笑い声が響き渡っていた。
死ね。