ープロローグー 〜思憶〜
「なぁ、思憶とはどんな言葉なのか、君は知っている?」
公園で遊んでいた。
砂利が所々敷き詰められた、ベンチが二つだけの、小さな公園。
「え?なんか言った?」
「……まぁちょっと聞いてろ」
「俺の国の言葉にさ、“ホイウック”という言葉があるの。まぁ、説明がむずいんだよなー。俺の国の言葉ってさ、昔は漢字だったんだよ。でもフランスの植民地になってから、アルファベットの方に変わっちゃったんだよね」
「フランス? ごめん。もうちょっと簡単に…」
「めんどい」
「えー」
小学校時代の俺には、一人の仲が良い友達がいた。
親友ではなくて、友達。
生まれてから自分の住んでいる県以外、外に出たことがない小学四年生の俺にとっては、驚きの連続だったと思う。
名前は“チー・フォン”で、ベトナム人だという。
ベトナムというのはアジアとかの南の方にある国だと先生に説明されたっけ。
「英語は喋れるの?」「ベトナムってどういう国?」とか、俺は確かにそういう風に色々フォンに質問した。
いや、やっぱやめよう。
どう頑張っても俺は思い出せない。
手を伸ばそうとする途端、霧がかかって、見えなくなってしまう。
顔の輪郭とかはうっすら覚えているくらいだし、特徴といえば奥二重だったってことか?
彼、フォンとは、どうやって仲良くなったのかが思い出せないのだ。
ただ、お腹空いたなー、じゃご飯食べよっかと同じように。
きっとそういう感じなのだろう。
自然に、俺とフォンは友達になったのかもしれない。
「まぁ、要するにね? 俺の国の“ホイウック”て言葉は漢字に変えることが出来るんだよ。それで思憶になるってわけ。思うの“思”に記憶の“憶ね」
「それで、どういう意味?」
「追憶に似ているかな。意味は”死ぬ前に思い出すほどに大切な、忘れられない記憶“で思憶。そのまんまっしょ?」
「思憶かー」
「玲士俺さ、今お前と遊んでんの楽しい。これは思憶になりそうじゃね?」
「……」
思憶……シオク、シオク、しおく、しおく……
なぜかその言葉は、未だに俺の頭から離れないでいる。
なぜかあの文豪の“太◯治”の小説が頭に浮かんでくるのは気のせい?
時々、普通に生活しているとふと、あの言葉が浮かび出てくる。
響きが良いだからなのか、それともフォンとの思い出だからなのか。
ゆっくりと滲み出てきて、離れないでいる。
フォンは当時、まだ小学四年生だったのに、すごい大人びていた。
物知りで、ベトナム語が話せていた。
好きな教科は熱心に授業を聞いて、つまんない教科は落書きをする。
読書もしていて、文豪の“太◯治”のことは、フォンから借りた本で知った。
常識にとらわれないで自由に生きる姿、今でもかっもいいと思うな。
ただ、フォンが親友ではなくて、友達の理由。
ホラー映画とかでのお約束みたいなものを知らないのだろうか。
約束その1. オバケが現れて、それから必死に逃げ切ろうとして、転ぶ。
約束その2. わーオバケが現れた。どうしよー。えー電話が繋がらないぞ。
そういうものだ。
大人になって、たくさんの物語に触れてきたから分かる。
あの“思憶”も一つのお約束みたいなものだ。
クソテンプレ。
俺に、その言葉を伝えた次の日、フォンは学校に来なかった。
その次の日も、次の次の日も。
そのまま一週間が過ぎて、俺は担任にこう告げられる。
「フォンさんのことで、非常に言いにくいことなんだけど、彼、引っ越したんだ」
「…………どこにですか?」
「ベトナムだよ」