1; 緊急事態
ある所に、コーダル王国と言う国がありました。
領地の人々は貧しいながらも、豊かな自然に囲まれて楽しく暮らしています。王様のコーダル六世はお妃のパトリシア様と共に、領地の人々から慕われていました。先代のコーダル五世は引退後も健在で、皆の相談役として未だ頼られています。
コーダル六世夫妻には男の子が一人いて、ジャック王子と名付けられ大切に育てられました。ゆくゆくは七代目としてコーダル七世を襲名する予定です。
ですがこの王子、ワンパク者に育って勉強はろくにせず、いつも野山を駆け巡って遊んでばかりでした。そして高校卒業後、突然「オレ、冒険者になる!」と宣言し、エドの街へと旅立ってしまいます。
エドの街——そこは沢山のモンスターが住み、一攫千金を狙った冒険者や魑魅魍魎の輩が集う大都会です。仮想通貨や仕手株で一夜にして大金持ちになるかと思えば、身ぐるみ剥がされ一夜でホームレスになる危険もある、一寸先は闇のデンジャラスな世界です。
王国では何不自由ない暮らしの王子でした。でも何か満たされず、刺激が足りませんでした。ぬくぬくと暮らすより、冒険がしたかったのです。彼の言葉を聞いて初めは止めた王様とお妃様も、最後には「ジャックのためなら」と折れて、泣く泣く送り出しました。
それから8年ほど経ったある日のこと。
今日も王子は自転車に乗って、グーパーイーツのアルバイトに精を出しています。エドでのモンスター狩りは、思った通りにはいきませんでした。低レベルの装備を買うのすらままならず、日銭を稼ぐので精一杯。ネットで見た高級マンションに住みスポーツカーを乗り回して美女に囲まれる贅沢三昧の暮らしなんて、無縁です。でも口うるさい親にあれこれ指図されたくない王子は、体を張って意地でも頑張っていました。
「ふぅ、疲れた」
今はモクドナルドのハンバーガーを配達し終えたところで、道端の木陰に入って休んでいました。夏真っ盛りでとても暑いです。汗を拭きながらスマホを取り出して、次の仕事をチェックしていた時です。
「ジャック王子様!」と、頭の上から声がしました。
見ると、コーダル城にいた使い鳥の鳩でした。名前をヴィタルと言います。首には、小さな鞄がかけられていました。
「お、ヴィタル、久しぶり。どうした?」
意外な来客に、王子は少々驚きました。エドに来てこの方、使い鳥がやってくることは無かったからです。嫌な予感がします。
「王子様。緊急事態です。お、王様が……」
鳥の声はふるえています。尋常ではありません。やはり、何かがあったようです。
「オヤジがどうした?」
「直ぐに帰ってきてください。切符は用意しました。ここにあります」
ヴィタルに言われて彼の首にかけられた鞄を開けると、確かに王国行きの切符がありました。さすがオヤジ、いや国王、用意周到です。
「分かった、直ぐ行くと伝えてくれ」
「よろしくお願いしますよ〜 王様に伝えておきます〜」
そう言い残すと、ヴィタルはバタバタと飛び去って行きました。相変わらずの働き者です。一方、王子は急いで六畳一間のアパートに帰って荷物をまとめ、近くの駅に行き列車に乗り込みました。
(おやじも年か……)
片道三時間かかる長旅のあいだ、王子は王国の事ばかり考えていました。父であるコーダル六世ににもしもの事があれば、自分が継がねばなりません。まだ遊び足りない王子にとって、憂鬱な問題です。でも跡取りは王子しかいないコーダル王国の実情を思うと、自分がやるしか無いとは分かっていました。それでもまだ、踏ん切りがつきません。
あーだこーだ悩んでいるうちに寝てしまい、気づくと王国の駅に到着していました。
* * *
「おう、ジャック。元気そうで何よりじゃ」
「おやじ、倒れたんじゃねえのか?」
城に戻ってみると、王様とお妃様は元気な姿で王子を出迎えました。それを見て、王子はすっかり騙された気分になりました。迷惑千万です。
「オレは忙しいんだ、用がねえなら帰るぞ!」
怒りつつ直ぐに帰ろうとする王子を「いや、待て。本当に困っとるのじゃ」と王様は慌てて引き止めました。お妃様も、「ジャック、今日は好物のリンゴはちみつカレーだから泊まってお行きよ!」となだめます。その様子は、確かにジャックを待ち受けていたようでした。
「いや、そんなのもう食わねえよ!」
王子は未だ子離れしてない母のパトリシア様に辟易です。子供扱いして何かと世話を焼くお母さんがウザかった王子にとって、お金が無くてもエドの方が楽だとつくづく思い知らされました。帰ってきて十分で嫌になります。やっぱり帰って来なければ良かったと、後悔した王子でした。
ですが、コーダル六世の顔は真剣です。
「実は、先代王が『死遊病』にかかったのだ」
「な、何だってぇえ? じいちゃんが『死遊病』?」
予想外なコーダル六世の言葉に、王子は目が飛び出るほど驚きました。