22.後輩、カラオケ
「せーんぱいっ」
放課後、帰る前に自販機でジュースを買って取り出そうと前屈みになった時に、後ろから聞き慣れた声がした。
「どうした、後輩」
とんっと背中に重さと柔らかい感触を覚えながら聞き返すと、屈んだ俺の肩越しに後輩が顔を見せる。
「どうもしませんよ、翔先輩の姿が見えたから声をかけただけです」
声をかけただけって抱きついてるがな。
いや、正確には飛びついてるだろうか。
なんて思いつつも背中を伸ばすと、肩に掴まったままちょっとだけ持ち上がった後輩が俺から離れて着地する。
その一連の動作に身長差と体重差を感じながら、振り返ると何故か後輩は機嫌が良さそうにこちらを見上げて視線を合わす。
「用がないなら帰ろうぜ」
「嘘です。本当は用事がありました」
「どっちだよ」
というか急になんだよ。
「という訳で、一緒に来てください。翔先輩」
と言いながら、もはや例の如く手を握られて、俺は連行されながらペットボトルを落とさないように慌てて掴みなおした。
そんなこんなで連れてこられたのは近くのカラオケ屋。
急になんでだよと思ったが、まあ別に嫌ではなかったので後輩と並んで受付を済ませて一緒に中に入る。
部屋に通されると奥のモニターに宣伝映像が流れていて、それに併せて流れるアナウンスが若干やかましい。
そんな中、先に向かいのソファーに座った後輩がリモコンを手に取って、曲を入れる前にこちらを見た。
「というか、翔先輩」
「どうした、後輩」
「それですよ」
俺の返事に後輩が指を指してくる。
「いや、どれだよ?」
「名前ですよ、名前」
「あー……」
あわよくば忘れてくれてればと思ったんだが流石にそう上手くはいかなかったか。
いや、俺の名前呼んでた時点で流れで誤魔化すのは無理だってわかってたんですけどね。
でも直接指摘されるまではそれを認めなくなかったという俺の悪足掻き。
「次から『後輩』って呼ばれても返事しませんからね」
と本人が宣言するからには本当にそうするつもりなんだろう。
まあ、後輩の名前を呼ぶのだってちょっと恥ずかしいだけで、嫌なわけではないんだけど。
「わかったよ、…………陽奈」
俺の答えに、後輩、もとい陽奈が満足して嬉しそうに答える。
「それじゃあ歌いましょうか、翔先輩」
「はいよ」
短く返事をした俺の顔は、もしかしたらちょっとだけ赤くなっていたかもしれない。
「陽奈はカラオケ上手そうだよな」
リモコンをタッチして曲を検索しながら聞くと、同じくリモコンを弄っていた陽奈が顔をあげて答える。
「まあそれほどでもありますけど」
なんて答えるからには結構な自信があるんだろう。
そんな陽奈が面白いことを思い付いたという顔をして俺に提案する。
「どっちが点数高いか勝負しますか?」
「いいぞ、ついでに100点出せたらここの会計奢ってやるよ」
「ほんとですか!?」
食いついた陽奈がそのまま先に気合を入れて曲を選んで、マイクを手に取る。
ちょっと早まったかなと思ったけど、まあ100点なんてそんなに見ないからきっと大丈夫だろう。
そしてイントロが流れ初めて、陽奈が歌いだすと流石に謙遜しないだけのことはあって、その歌声はとても上手くて、ついでに歌い慣れているのを感じさせる。
それを聞きながら、俺も曲をいれて、歌い終わった陽奈にパチパチと拍手を送った。
モニターに表示された点数は95点。
はやくも勝てる気がしねえ……、なんて勝負に乗ったことに早くも後悔しかけたけど、100点じゃないだけまだマシだったかと思い直して自分もマイクを持つ。
歌い始めるとマイクを通してスピーカーから部屋に響く声が少しだけくすぐったい。
そしてそのまま一曲歌い終わって、結果は85点。
まあ点数はともかく大きく声を出して好きな曲を歌うのは気持ちよかったから良しとしよう。
いや、点数で負けた言い訳ではなく。
「翔先輩も意外とカラオケ上手いんですね」
ちょっと感心した表情をする陽奈に俺が聞き返す。
「お前、社交性とカラオケの上手さは比例すると思ってるだろ」
「はい」
真顔で肯定されると反論できねえ……。
まあ社交性はともかく、カラオケに来る回数とカラオケの上手さはある程度正比例してるんじゃないかな。
というか言外に友達の少なさをなんの疑いもなく指摘されたわ俺。
「というか翔先輩こういう曲知ってるんですね」
ちなみに『こういう曲』というのは『流行に疎そうな先輩が知らなそうな今人気の曲』という意味。
「このバンドの曲は好きだぞ」
まあ、元々は空に聞かされた曲だけど。
「じゃあこの曲知ってます?」
と陽奈がリモコンに表示した曲は、今歌ったバンドのちょっと前の曲。
「知ってる知ってる」
「あたし、この曲なら振り付けも完璧にできますよ」
「それは凄いな」
俺が素直に感心すると陽奈がスマホを取り出して画面を明るくする。
「前に友達と一緒に練習したんですよ。動画見ます? 見ますか?」
言いながら陽奈が返事を聞く前に腰をあげて、ぴったりと寄り添うように俺の隣に座った。
「この動画です」
画面に映し出された動画よりも、柔らかい肩の感触と、甘い香りが気になって集中できない。
というか暗くて狭い密室に二人だけの状況でこういう風に密着してくるのは犯罪だと思う。
そんな俺の思いをよそに、動画が終わると陽奈が感想を求めるようにこちらに顔を向ける。
「どうでしたか?」
「制服で踊ってるとパンツ見えそうだな」
「どこ見てるんですかっ!」
「冗談だよ。よくできてると思うぞ。あと楽しそうでいいな」
「そんなに褒めないでくださいよー、照れるじゃないですか」
なんて言いつつも素直に喜んでいる陽奈の純粋な姿が眩しくて、なぜだかこっちの方が恥ずかしくなる。
「そういえば、新曲聞きました?」
「いや、聞いてない」
「もー、ちゃんとチェックしてなきゃダメですよ」
と陽奈が鞄を引き寄せて、取り出したイヤホンをスマホに刺して片方だけ渡してくる。
「ほら、そっちつけてください」
支持されたとおりに耳につけると、それが抜けないように陽奈が肩をぴったりとくっつけて顔を寄せる。
つーか流石に近いわ、なんて思っても、実際に指摘したら「恥ずかしいんですか?」とか言ってからかわれそうでなにも言えない。
そしてイヤホンから流れてくる曲は、ゆっくりとしたテンポの曲で、歌詞は伝わらない片想いの気持ちを歌ったもので、別に俺は片想いをしているわけでもないのにその歌詞が思いっきり刺さってしまった。
「いい曲ですよねー」
「そうだな」
「じゃあ、一緒に歌いましょう」
「いや、今聞いたばっかりなんだが」
「いいじゃないですか、下手でも別に怒りませんよ」
楽しそうに笑った陽奈が曲を入れてそのままイントロが流れ始める。
無理やりマイクを渡されて、肩をくっつけたまま歌い始めた曲は案の定ひどい出来だったが、それでもとなりで陽奈が楽しそうに歌っているのと目が合うと、何だかんだで俺も楽しかった。
それから何度か時間延長を繰り返して長居した店を出ると、外はすっかり暗くなっていた。
陽奈を送るために並んで歩き出すと、夜風に髪がなびく。
調子にのって歌いすぎて、俺は声ががらがらになっている。
陽奈もちょっと声が変わっているが、それでも最終的に100点を出していたのが流石だった。
そんな陽奈が正面を向いたまま、こちらに声をかける。
「ちょっとは元気になりましたか?」
謎の質問に、面白味もなく聞き返す。
「なにがだ?」
「翔先輩、今日はちょっとだけ元気がないように見えたので」
言われて、心当たりはある。
今指摘されるまで自覚はなかったけど、確かにそうだったかもしれない。
つまり急にカラオケに誘われたのはそういうことだったのか。
その心遣いはありがたいけど、あんまり内心を読まれると、それはそれで恥ずかしい。
「お前は、気を使いすぎだよ」
「いいじゃないですか、減るものじゃないですし。それに……、」
「それに?」
「翔先輩が元気な方があたしも楽しいですから」
なんて言った陽奈の笑顔が、今の俺にはちょっと眩しかった。