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16.後輩、名前

「せーんぱい」


いつものように帰り道。


今日は授業のあとに真っ直ぐ学校を出たので、まだ雲の合間から青い空が見えている。


雨上がりの湿った匂いを嗅ぎながら、水溜まりを踏まないように気を付けていると後ろから声をかけられた。


その直後にとん、と軽く押されて、甘い匂いを覚える。


「今日は避けないんですか?」


「湿気が多いから動きたくない」


「なんですか、それ?」


湿度が高いとなにもやる気にならない感じ、伝わらないかな?


なんて思いつつ、抱きついたまま疑問の声をあげる後輩に質問を返す。


「今日は勢いが弱いな。体調不良か?」


いつもはどすって感じなのに今日はとんって感じで当たりが柔らかい。


いや、どっちにしても背中に当たるものは柔らかいんだけど。


「水溜まりが多いので助走距離短めなんです」


「なるほど」


たしかに後ろから襲われて水溜まりに足を突っ込んだら流石に顔をしかめるから合理的な判断だ。


そもそも抱きつくなという話はともかく。


「もっと激しいのがいいならやり直しますけど?」


「やらんでいいやらんでいい」


いい加減くっついたままの後輩を引き剥がして、そのまま並んで歩き始める。


「お前いつも唐突に現れるよな」


「かわいい後輩と一緒に並んで帰れるのになにか不満なんですか」


毎回タックルをしてくることに悪びれる様子もなく後輩が首をかしげる。


「自分でかわいいとか言うなよ」


「私がかわいいかはともかく、先輩が私のことをかわいいとか思ってくれてるのは事実だからいいじゃないですか」


思ってねえ、と否定しようとして、この前かわいいって言ったことを思い出す。


いや、あれは衣装にかわいいって言っただけだからギリセーフか?


「どうしたんですか、先輩?」


「なんでもない」


言っても泥沼だろうからこの話題を追求するのはやめよう。


でも、


「いつもこんなことしてたら変な噂が立つぞ」


「どんな噂ですか?」


「妖怪タックル女とか」


本当は、別のことを言おうとしていたんだけど、やめた。


そんな俺に後輩が間違いを正すように指摘する。


「タックルじゃなくてダイブですよ」


「違いがわからん」


なんて俺の抗議はどうでもいいようで、後輩がさくっと話題を変える。


「そういえば、先輩が女子に告白されてたって噂を聞きましたけど」


「どこで聞いたんだよ、そんな事実無根の噂」


「生徒会長がクラスまで会いに来たとか」


めっちゃ事実に基づいてたわ……。


「クラスメイトの綺麗な人に教室で告白されたとか」


それはちょっと違うかな。


「しかも二人ともすごい胸が大きいとか」


完全に合ってる。


「最終的に二人とも付き合うことにしたとか」


「それは本当に事実無根だ!」


「それは?」


怪訝な目をする後輩から目を逸らす。


「とにかく付き合ってもないし告白されてもないぞ」


「そうですか。まあ嘘だと思ってましたけど」


後輩が遠くを見ながら興味なさそうに答える。


「なら聞くなよ」


「だって先輩がそんなにモテるわけないですもんね」


「わかってるなら言うなよっ!」


所詮俺は彼女とかそういう言葉に縁遠い生活をして来た男だよ。


自分で言ってて悲しくなってきたわ。


そもそも生まれてこのかた、恋人なんてものが出来たことはないし。


と不用意に考えて、胸の奥が少しだけ痛む。


まあ、だから、そもそも恋人がほしいなんて思ってもないんだけど。


「先輩」


「どうした?」


「疲れたからおんぶしてください」


「しらねえよ」


というか、いきなりなんだよ。


「じゃあお姫様だっこでもいいですよ」


「米俵みたいに肩に担いでやろうか」


「うーん、それはそれで……」


「悩むな悩むな」


公共の場所でそんなことをやったら通報されかねない。


いや、人を担いで歩くのはちょっと楽しそうだけど。


「じゃあこれで許してあげます」


なにを許されるんだよ、って疑問は俺の口からは出てこなかった。


その前に指に柔らかい感触が絡んできたから。


後輩がやったのは、世間一般でいう恋人繋ぎというやつで、一方的に抱きつかれるよりこっちの方が何倍も恥ずかしい。


「先輩の手、おっきいですね」


なんて言われても、うまく言葉を返せない。


「あとなんだかゴツゴツしてます」


「女子の手が柔らかすぎるんだよ」


そしてなんとか返した言葉に、後輩が眉を動かした。


「女子の?」


「なんでもない」


最近別の女子の手を触ったなんて言わない方がいいだろう。


まあ、あれは不可抗力みたいなもんだし、ノーカンということで。


しかし、


「後輩はもうちょっと後輩らしくした方がいいんじゃないか」


「ちょっとなに言ってるかわからないですね」


「後輩らしく先輩には敬意をもって語尾に『サー・イエッサー』をつけるとか」


「そんな先輩後輩聞いたことありませんけど?」


たしかにこれは、この前見た海外ドラマの話だわ。


「というか先輩、後輩後輩って、私の名前覚えてますか?」


「そんなの当たり前だろ」


「じゃあ言ってみてください」


「……………………」


「やっぱり忘れてるじゃないですか」


呆れた顔をする後輩に俺が言い訳をする。


「そもそも名前を聞いた記憶がないんだが」


「初めて会った日にちゃんと言いましたよ」


「もう二ヶ月くらい前のことだからなあ」


今が六月で、後輩に出会ったのが四月のこと。


つーか、まだ二ヶ月しか経ってないのか。


もうこの後輩とは知り合って随分経つ気がする。


その主な原因は後輩の距離の詰め方がおかしいからだけど。


なんて俺の考えには気付かずに後輩が顔をこちらに向ける。


陽奈(ひな)です。今度から名前で呼んでくださいね」


「名字は?」


「教えません、名前で呼んでください」


名前で呼びたくないから名字を聞いたのにバレてやがる。


そして後輩が、そんな俺を見てからかうように笑った。


「早くしてくださいよ、先輩」


腕を引っ張られて、体の距離が密着する。


そして触れた後輩の体は、いつものように柔らかい。


このまま名前を呼ばないとずっと解放されないんだろうな。


正直、恥ずかしいけど、しょうがないか。


「陽奈」


虚空に呟くように名前を呼ぶと、後輩が楽しそうに顔を覗き込んでくる。


「なんですか、先輩?」


その返事に、思わずツッコんでしまった。


「お前は名前で呼ばないのかよ」


「呼んでほしいんですか?」


「俺だけ呼んだら不公平だろ?」


「もー、先輩はワガママですね」


ワガママではないと思う。


なんて俺の考えを知ってか知らずか、手を繋いだまま一歩先に出た後輩が振り返りながら楽しそうに笑う。


その笑顔は、なぜかとても嬉しそうだった。


「早く帰りましょう、(かける)先輩」


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