8、月夜の仕事
月夜の仕事
神山七
ずいぶんと長い真っ黒な毛で覆われたカーペットが敷き詰められた、小規模な会議室ほどの部屋で、黄金の椅子に縛り付けられている男が転がっていた。明かりはついていない。しかし、カーテンのない窓から差し込む月の光が、部屋の様子を十分に確認できる程、あたりを照らしていた。夏もそろそろ終わりを告げ、秋に差し掛かるこの季節で男は白いタンクトップにトランクスという、自宅にしてもいささかラフすぎる格好で苦悶の表情を浮かべている。
「おっさん、なんで倒れてるの?」
カーペットの毛が鼻に入って少し呼吸がしづらそうな男に、俺はしゃがみ込んで聞いた。
「逃げようとか、無茶だよ。」
黙ってこちらを睨みつけてくる男にため息をついて、黄金の椅子の背もたれをつかみ、引き起こした。男は大きく息を吐いて、再度こちらを睨みつける。
「この屋敷の警報システムは直通で警察組織につながっている。こんなことしても退路がないのはお前たちだ。」
唸るような低い声で他人に頼り切った凄みをきかせてくる。
「警察なら来ないよ。来たとしても俺らが去った後だ。なんせ、俺たちに依頼してきたのが警察組織のさらに上なんだからさ。警察に直通なんてオーダーメイドの警報システムつけるより、民間の警備会社に頼んだ方が良かったかもね。」
男は目を見開いて、口を半開きにした。奥に見える金歯が、ろくに明かりもないくせにやけにきらめいた。
「なぜだ。」
「知らないよ。俺らは雇われなんだから。知っているならあんたの方じゃないの。」
「私をこれからどうするつもりだ。」
ずっと睨みつけているせいで、汗が眉間に寄ってきている。
「まあ、殺すんだよ。それだけが俺らの仕事だから。」
「いくらもらった?私ならその倍は払えるぞ。」
「駄目だよ。そんなことしたら賄賂になっちゃうでしょう。分からないけど、そういう所なんじゃないの。おっさんがこんな目にあっている理由。」
男はようやく睨みつけるのを止め、周りに目を泳がせた。と言っても、どの視線の先にもこの状況を打開するのに役立つようなものは一つもない。そもそも、この部屋にはあまり物がなかった。あるのは、いくつかの机と、いくつかの椅子とそして壁にかかった時計だ。そろそろ満月が南中する時刻か。俺も仕事をしなければならない。
「そういえば、おっさんって陰陽道にこだわってたんでしょう?聞いたよ。この家も、いろいろ設計にそういうの取り入れているって。ほら、この部屋もこんなに綺麗に月が見える。」
月はちょうど男の真上に来ていた。あたりに人家がないのも幸いして、月明かりがまぶしいくらいに俺に降り注いでいた。ふと、男に視線を戻すと懲りずにまたこちらを睨みつけている。
「それがどうしたというんだ。」
男の唸るような低い声はもともとなのだろうか。先ほどと同じ声で俺にそう言った。
「俺も月が好きなんだ。だからこうして、仕事道具にも月の力を利用させてもらっている。」
俺は腰に巻いたポーチから一本の棒を取り出した。木製の、先にキャップがついたシンプルな形状。使われているのはヒノキだ。それをタクトのように軽やかに男の前で回して、最終的に眼前に突き付けた。
「おっさんは新月伐採って知ってる?」
男はこちらを睨みつけたまま首を横に振った。
「まあ、簡単に言えば、文字通り新月の日に伐採をすることだよ。それも11月くらいから2月くらいにかけてね。ヒノキっていうのは一年中絶えず成長するけど、冬の時期は養分もあまり無いし、ある程度活動を絞って春まで堪えるんだ。そして、その傾向は新月になるとさらに強まる。いわば、冬眠に近い状態かな。」
俺は、眼前に突き付けている棒に込めていた力をいったん弱め、また軽やかに回しながら話を続ける。
「この間に伐採されたヒノキっていうのはね、長持ちしたり、カビが生えにくかったり、火事に強かったり、まあいろいろな効能があるんだ。これらの効果を発見した江戸時代には、この新月伐採の木材を用いて、家やら、神社やらを立てるのが流行したそうだよ。」
男はいつの間にか俺のことを睨むのを止めて、話に聞き入っていた。俺はそれに深く満足し、一度頷いてからさらに話を続けた。
「だけど、その流行も長くは続かなかった。時々、ホラー映画とか戦争映画で首を切られても少しの間歩き続けるようなキャラクターが出てくるだろう。つまり、自分が死んだことに気づかないやつ。この新月伐採の木材もどうやら、そのキャラクターと同じ特性を持っていたようでね、家を建ててからも伸びてしまうそうなんだ。その結果、どこかしらにひずみが溜まり、ある日突然家屋が倒壊してしまう。こんな、呪われた日本人形みたいな話が現実に起きてしまって、新月伐採なんて危ない風習はすぐに消滅したんだ。」
俺は棒を振り回すのにも飽き、そばにあった机に腰かけた。
「俺が持っているこの棒はね、そんな新月伐採の特性を生かした暗殺用具なんだ。年末最後の新月の日にヒノキの枝を素早く切り落として、先を尖らし、この蓋を被せる。蓋をつけてからも、中のヒノキは伸び続けようとする。この蓋を外したとき、その力はいっぺんに開放されて、人体くらいなら軽く貫けるほどの威力で瞬時に成長するんだ。使い捨ての暗殺用具なんだけど、俺はこれが結構好きでね、愛用させてもらってるよ。」
そう言うと、俺は腰かけたばかりの机を降り、男の方まで歩み寄った。脂ぎった髪を左手でわしづかみにし、見開かれた目にその暗殺用具を突き付ける。
「ちなみにヒノキが一番成長するのは、満月の夜だそうだ。」
そう言うと、俺は右手の親指で蓋を外し、隠れていたボタンを押した。キンという高い音が一瞬鳴り響いて、男は潰れた左目から血をだらだらと流し、絶命した。俺はそれを確認してからゆっくりと突き刺さった暗殺用具を引き抜き、元のポーチにしまう。そのまま、部屋を出ると女が立っていた。
「時間ギリギリじゃない。また標的と話し込んでたでしょう。」
「まあ、いいじゃない。」
そう言って、俺らは正面玄関から屋敷を出て、車に乗り込んだ。女は緩やかにアクセルを踏みこみ、音もなく屋敷と、標的であった死体を後にする。
「そういや、あなたの暗殺道具、こないだは太陽王伝説の遺物って言ってなかった?」
「そんなの嘘に決まっているだろう。今回の新月伐採も出まかせだよ。」
女は前を見たまま、軽くため息をついた。
「相変わらず悪趣味ね。狂ってるわ。」
俺は、窓の外から月を見上げた。
「そうか?月に合わせた家を作ってる奴の方がよっぽどルナティックだと思うけどな。」
満月はすでに西に向けて傾き始めていた。