5、センチメンタルに価値はない
センチメンタルに価値はない
神山七
「なあ、健二。お前伝説のキノコって知ってるか?」
「何すか?それ。」
「なんでもよ、食べたら笑いが止まらなくなって、天国が見えて、それはもう極楽らしいぜ。」
神棚に置いてあるテレビではどこかの女子アナが不健康そうなハンバーガーをおいしそうに食している。俺はそれを見ながら一言返した。
「店長。」
「ん?」
「それって、毒キノコですよね。」
オイシーッ!と女子アナが声を上げる。ハンバーガーなんて素材の味そのままなんだからいい肉を使えばそれはおいしいだろう。
「健二、俺はそれを取りに行こうと思うんだ。」
「話聞いてました?それ、毒キノコですよ。」
店長はため息をついて突然立ち上がった。木のいすががたっと音を立てる。
「だってよ!休日の昼に客が一人も入らないんだよ!ここ最近仕込みが無駄になるからって10食しか、しかもカレーライスしか仕込んでないのにそれすらも無駄になるんだよ!」
分かっている。今座っているこの椅子も今見ているあのテレビも客のためのものだ。だが、誰も俺たちに文句を言わない。誰もいないからだ。決して立地が悪いわけではない。決して味が悪いわけではない。なのに、なぜか客が入らないのだ。
開店してもう30年になるらしい。今の店長の親が始めた洋食屋だ。神に誓って味が悪いわけではない。むしろおいしい。しかし、客が入らない。なぜだかさっぱりわからない。
「健二、俺はとりに行く。何が何でも取りに行く。」
「ンなもん出したら、つぶれるの決定ですよ。今のままでも時間の問題ですけど。」
店のドアがガラッと開いた。
「いらっしゃい!」
二人の声が寸分たがわぬハモりを見せた。さすがに客は入らなくてもこの掛け声は忘れていなかったようだ。ドアを開けたのは若い女性だった。大学生くらいだろうか。ずいぶんとかわいらしいワンピースを着ている。そして童顔だ。俺の好みだ。
「あの、」
「はい!なんでしょう!」
「入っていいでしょうか?」
その疑問はもっともだ。店員が本来客の座るべき場所でダラダラしているのだ。まだ準備中と疑われても仕方ない。というか、準備さえカレーライスしかやっていないのだけれど。
「どうぞ、どうぞ。何にしましょう?」
女性をカウンターのいすに案内して、店長と一緒に厨房の中に戻ろうとした。そのとき何気なくテレビをちらっと見た。ハンバーガーのレポートを終えて、そばを食べている。どういう特集なんだ。そして、俺はその女子アナの顔に違和感を覚えた。いや、既視感というべきかもしれない。その正体はすぐにわかった。
「あの、そのテレビのチャンネルを変えていただくことはできるでしょうか?」
「もちろん。」
店長はリモコンを手に取ってチャンネルを変えながら女性に話しかける。
「やはり、自分の出ている番組を見るものは気恥ずかしいものなんですか?」
「あれ、お気づきでしたか。」
そう、久しぶりに来た客であるこの女性はあの食い合わせの悪い女子アナだった。
俺は包丁を手入れし始めた店長の話を続けるように言った。
「あのハンバーガーおいしいんですか?」
「いや、ハンバーガーなんて素材の味そのままなんですから、いいお肉を使えばそれはおいしいでしょう。」
女子アナもちゃんと仕事をしているのだな。包丁を置いた店長が注文を聞いた。女子アナはコホンと咳払いして、その質問に答えた。
「思い出の味を。」
「思い出の味?」
店長はおうむ返しにそう言った。
「はい。」
対する女子アナは満足げににこにこと笑っている。かわいい。ではなく、
「いや、あのいきなり思い出の味って言われても……」
俺がそういうと女子アナは当たり前のように首をかしげる。
「いえ、ですから、思い出の味を。」
意味が分からない。初めて来た大手の回転ずしやで「いつもの。」ということくらい意味が分からない。すると、店長が合点がいったように言った。
「ああ、肉じゃがですね。」
そうなのか。というかなぜ知っているんだ?
「え、違いますよ。」
「ですよね。」
違うんかい。じゃあ、なぜ当てに行ったんだよ。
「あの、具体的に言っていただかないと、わからないんですけど……」
「あ、え、もしかして私のこと知りませんか?」
知らない。テレビでパッと見ただけの女子アナのことなんてわかるわけがないだろ。どこの国のセレブだ、お前は。すると店長はまた腑に落ちたように言った。
「ああ、大島アナですね。」
そうなのか。で、だから何なのだ。
「え、違いますよ。」
「ですよね。」
違うんかい!だからなぜ、当てに行くんだよ!
「私は、ここの店長の娘です。ちなみに名前はかおりといいます。」
俺は驚いて店長に聞いた。
「え、店長娘さんいたんですか?」
「いや、俺今年30よ。そんな常人離れした人生送ってきてないよ。」
「あ、店長変わられたんですね。では、先代の娘です。」
俺は驚いて店長に聞いた。
「え、店長妹さんいたんですか?」
「いや、俺一人っ子よ。というか妹に気付かないほど俺馬鹿じゃないよ?」
「私は、先代の店長の隠し子です。」
俺は驚いた。だが、店長には聞かなかった。店長もはあ、みたいな顔をしていたからだ。
「私は、先代の店長、つまり成之さんとその愛人の子です。あなたも店長の子供なら、異母兄妹ということになりますね。」
店長はハトが豆鉄砲を食らったような顔をしている。間抜けだ。すごく間抜けだ。俺は壁にかけてある先代の店長の写真を見た。今の店長と同じ顔をしている。こちらも間抜けだ。負けず劣らず間抜けだ。
当の衝撃発言をした女子アナ、もとい、かおりさんは依然としてにこにこしている。言われてみれば先代の店長に少し似ているかもしれない。かわいい。ではなく、
「というわけでですね、ぜひ思い出の味を私に提供してほしいんですけど。」
さっきより言っている意味は分かった。だがしかし、料理名を言われないとわからない。
「つまり、何を作ればいいんでしょう?料理名を言っていただきたいんですが。」
「えーとですね。それが、わからないんです。」
もういったいなんなのだ。下手なクレーマーより質が悪い。本当なら足をセメントで固めて東京湾に沈めてやりたいくらい俺はキレている。でも、かわいいのだ。このかおりさん。
「わからないとは、どういうことでしょう?」
俺はまだ間抜けな顔をしている店長を尻目にかおりさんに事情聴取を始めた。こうなったらとことん付き合ってやる。どうせ暇だし。
俺は厨房からカウンターに乗り出すような形で寄りかかりメモを取る態勢で質問を開始した。店長も興味深そうにそれを見ている。興味深くなくては困る。最終的に作るのは店長だ。
「まず、それはどんな味でしょう?」
「暖かな思い出の味です。」
ダメだ。こいつボケていやがる。そういうことを聞いているのではない。甘い、辛いの話だ。でも、通じそうにないのでほかの観点から攻めることにした。
「和食ですか?洋食ですか?」
「洋食だったと思います。でも、和の感じもあったかもしれません。」
「特徴はありますか?」
「私が苦手な食べ物を食べられるように作ったのが始まりだったと思います。」
「それは何でしょう?」
「さあ、なんでしょう?」
「は?」
今、ナチュラルに会話がかみ合わなかったような気がする。気を取り直して同じ質問をする。
「苦手な食べ物とは何ですか?」
「ピーマンです。」
よかった。壊れていなかった。というか最初からそう答えろよ。そういうことなら店長の家でも同じようなものを作っていたかもしれない。
「店長、ピーマンは好きでしたか?」
「ああ、好きだったよ。」
「何でですか、使えない。」
「え?俺が責められるの?ほめてよ。ピーマン食えたんだよ?」
30のおっさんがピーマン食えるから誉めろと言っている。ああいう大人にはなりたくないものだ。
「ピーマンを使った料理なんですか?」
「はい。練りこむような形で使われていました。」
だいぶ絞れてきた。というか、ハンバーグだろう。
「ハンバーグですか?」
「そんな気もしますね。おそらく煮込みかな?」
「店長、ハンバーグですって!作れますか?」
「ピーマンを練りこんだハンバーグ?うまくねえよ。」
店長が大きく手を振りながら否定した。
「でも、ハンバーグの可能性が高いんですよ。」
「違うね。」
店長は今度も確信を持った表情でいった。信用ならない。
「俺は、わかったぞ。作ってやる。」
そういって、店長は立ち上がった。
店長はカレーの寸胴を開けてほかほかのご飯に混ぜた。そしてピーマンをみじん切りにしてその中に入れる。
「健二、揚げるぞ。油準備しろ。」
「はい!」
揚げる?まあ、作るものが分からなくても熱した油くらいは準備できるか。俺はフライヤーの準備に取り掛かった。
その間も店長は次々と準備に取り掛かっていく。卵、小麦粉、パン粉。衣の材料か。
「油、いいか?」
「あと2分かかります。」
「十分だ。」
かおりさんは勝手にテレビのリモコンを取って自分の局のチャンネルに戻していた。少しでも視聴率を上げたいのか。残念だったな。ここでは視聴率もとっていないぜ。
店長はカレーにご飯を混ぜたものをラップにくるんでいる。一口サイズのをいっぱい。大体20個も作っただろうか。ラップを外して衣につけていった。
その間かおりさんはカウンターに置いてある塩を味見していた。そんなものどこにでもあるだろ。驚いた顔をするな。ただの塩だ。そう書いてあるじゃないか。
「揚げるぞ。」
「はい、どうぞ!」
店長がいつになくきびきびと、しかしなんだか懐かし気な感じでフライヤーに向かった。
180度の油に次々と入れていく。ジュワージュワーと美味しそうなにおいと音が充満していく。かおりさんもさすがに見ているだろうか?いや、見ていない。真面目な顔でメモ帳に何やら書いている。仕事だろうか?違った。幼児アニメのキャラクターを一生懸命描いているだけだった。なんで今お絵かきしなきゃなんねえんだよ!しかも、どうして下手なんだよ!上手くあってくれよ!
店長が揚げたものを皿にのせてソースを作り始めた。中濃ソースとケチャップをさっと混ぜて揚げ物に添える。そしていまだにお絵かきをしているかおりさんも前にコトンと置いた。
「ピーマンカレーのライスコロッケです。」
「ライスコロッケでしたか。」
ライスコロッケ。現在主婦の中でじわじわと人気を上げている新料理だ。昨日の余り物でパパッとできちゃう!ってところが受けるらしい。だから手間暇かけて作るのがセオリーのレストランではなかなか見受けない料理だ。だから、じわじわとしか人気を上げられないのだろうけど。
かおりさんは懐かしそうな目でにこにことそれらを見ている。どうやら、店長の予想は当たったようだ。
「俺もですね、ここからピーマンが好きになったんですよ。カレーに入ってふやけたピーマンが揚げたご飯にすごく合うんです。」
かおりさんはフォークを手に取って一つかじった。中から湯気が立つほどのカレーが流れてくる。辛さと苦さが合わさったにおいだ。しかしそれをごはんと衣がいい具合に包み込んで絶妙のハーモニーを奏でている。気がする。俺は食べていないから知らない。
「おいしいです。そして、確かにこれです。」
かおりさんは残った一口をほおばってそう言った。
「私は隠し子でしたから、父親もひと月に一度ほどしか会えなかったんです。そのときに母さんが嫌いなピーマンを食べられるようにしてほしいって頼んで、そしたら迷わずこれを作ってくれたんです。」
「俺もこれが好物でよくせがんでましたからすぐに思いついたんでしょうね。」
「ふふ。いいですね。贅沢です。私なんか味も形も忘れてしまうほど食べられなかったのに。」
「来てくれればいつでも作りますよ。」
店長は優しくそう言った。そしてかおりさんの皿から一つ手に取ってぱくっと食べた。おい、いい話風にしたところで客の食い物をつまみ食いするのが許されると思うなよ。
「ありがたいです。でも、私どうやら転勤になるようで。来月からニューヨークなんです。ですから思い出の味とはまた距離を置くことになりますね。」
「思い出の味は時々食べるからいいのかもしれませんよ。いつでも食べられたら価値が薄れてしまいます。」
おい、いい話風だが10秒前と真逆のこと言ってるぞ。そしてもう一つ食うな。後で作ればいいだろ。ここで食い意地をはるなよ。
「ふふ。それもそうですね。」
かおりさんは残りのライスコロッケもパクパク食べ始めた。衣のサクッサクッという音がたまらなく食欲をそそる。後で店長に作ってもらおう。
「では、今日はありがとうございました。」
「いえ、こちらこそ懐かしいものを作らせていただきありがとうございました。」
そういってかおりさんはガラッと店のドアを開けて去っていった。静かになった店内ではテレビの音が目立ち始める。ちらっと見るとまだグルメ特集をやっていた。やることないのかお前らは。
「健二、かおりさん見てお前どう思った?」
「いい笑顔でしたね。」
「ああ。いい笑顔だった。そしてその笑顔を作ったのは俺たちだ。」
「ごもっとも。」
「ああいう幸せな瞬間を作るために料理人っているんじゃないのか。」
「ええ、それを再確認しましたね。」
「これからも心のこもった料理を作ろうな。」
「ええ。」
クサい会話をしてしまった。でもまったくもってその通りだ。初心を忘れずに俺も料理を作っていきたいと思う。
「ところで、店長。」
「ん?」
「お会計してもらいました?」
ヤバーイ!とテレビの女子アナが叫ぶ。そんな言葉で表現しようとするなよ。仮にもテレビだぞ。そんな言葉で表現するなんてそりゃあ、もう、ヤバいな。店長は腕組みをしながらふーっとため息をついた。
「いや。してない。」
「ですよね。」
「ちなみにあれいくらですか?」
「知らねーよ。メニューにないもん。」
また静寂が訪れた。俺と店長はかおりさんが来る前のように木のいすに座った。
「赤字ですか?」
「そりゃあな。」
心は入れ替えた。いや、初心に戻った。今ならどんな料理でも作れる気がする。だが、それ以上に大切なことを忘れてはいけない。客がいないとどんな料理も作れないのだ。そして、ここには客が来ない。俺はとてつもない虚脱感を覚えながら店長に話しかけた。
「店長。」
「ん?」
「伝説のキノコって知ってます?」
「取りに行こうか。」
「ですね。」
二か月後、店はつぶれた。