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神山七 短編集  作者: 神山七
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3、雲を掴む

雲を掴む


神山七


ジリリとなった携帯電話を止め、画面をちらりと見た。午前七時半。

外はもう完全に明るくなっていて、カーテンの間からさす日が俺の足を焦がそうと画策していた。そうはさせまいと、軽い立ち眩みを覚えながら立ち上がって朝ごはんの準備をする。


ここ最近、朝食はパンだ。理由は一つ。立ち上がっていても食べられること。壁にかかった時計を確認すると、針は間もなく7時45分を指そうとしていた。

焼きあがったパンを片手にベランダに出た。目の前に広がるのは何の変哲もない住宅街。ただし、この時刻、俺にとって興味深いことが毎日起こっている。


来る。


道を曲がって現れたのは女の子。肩にかかるくらいの黒髪を規則正しく揺らしながら、静かな住宅街を進んでいく。そして、道半ばで止まる。しゃがむ。道端の何かに向かって話しかけている。その何かとは、直方体のコンクリートだ。海抜や方角を知らせる、だれも見向きしない、どこにでもあるそれ。

毎朝、7時45分に道端のコンクリートに話しかけるその女の子を眺めるのが俺の日課だ。



最初に見かけた時は、何をしているのか分からなかった。落としたコンタクトレンズでも探しているのかと思い、助けてやろうかと思っていた。しかし、何かを探すにしては手を全く動かさない彼女に、俺は何をすべきか分からなくなって、ただ観察するしかなかった。動いているのは口だけ。目線の先にあるのはコンクリートだけ。花を手向けるわけでも、誰かを悼むわけでもない、ただ、自然な表情。彼女はコンクリートに話しかけていたのだ。



相変わらず、女の子はコンクリートに話しかけている。もう3分もたっただろうか。彼女はおもむろに立ち上がった。そして、来た方向に向かって何事もなかったように帰っていく。この様子を俺はこの1週間見続けていた。


彼女は一体あそこで何を話しているのだろうか。世間話?それとも地形に興味があるのか?もしくは、花を買ってこないだけでその昔、大切な人があそこで亡くなったのか。

彼女の話しかけるという行為だけでは、結論を出すのは不可能に近い。だからこそ、そのある種、ミステリアスともいえる彼女の行為に、俺は興味を持っていた。


彼女が視界から完全に去ったところで、俺は昨日の洗い物の残りがまだあることを思い出した。部屋に戻ってシンクにたまった皿を水に流す。ふと視線をあげると、赤いビニールテープが置いてあった。昨日、何かの集まりの際に持って帰ってきてしまったものだ。


このテープをあのコンクリートに貼ってみたらどうなるだろうか。


俺はそう思った。この一週間、あの女の子を見てきたが、彼女は毎日同じルーティンを繰り返すだけだ。もしそこに変化が生まれたなら、彼女はどんな反応をするのだろうか。


部屋を出た。右手にはもちろん赤いビニールテープ。左手にははさみ。

コンクリートの前に立つと、ビニールテープを少し長めに切った。そして切ったテープをのばし、そのコンクリートの周りを囲うように貼り付けた。

明日の7時45分。彼女はどんな反応を見せるだろうか。



ジリリとなった携帯電話を止め、画面をちらりと見た。午前七時半。

外はもう完全に明るくなっていて、カーテンの間からさす日は俺の足を焦がそうと画策していたが、今日は運よくはだけなかった布団に妨げられ失敗している。昨日と違う満足感を覚えながら立ち上がって朝ごはんの準備をする。


パンを焼き、テレビをつけて、つかの間の15分をやり過ごした。テレビではどこかの女子大生みたいなレポーターが、どこにでもあるようなパンを絶賛していた。


7時45分。俺はベランダに出た。規則正しい足音とともにやってきたのは女の子。今日も何の迷いもないようにまっすぐ歩いて、そして例のコンクリートのところでしゃがみ込む。


コンクリートを前にした彼女は、いつもと違っていた。


嬉しそうだ。楽しそう、の方が正しいのだろうか。とにかく彼女は笑顔で、今まで見せたことのなかった微笑みで、例のコンクリートに話しかけていた。

これは、発見である。俺はそう思った。

思わず俺の顔にも笑みがこぼれて下を向いた。ベランダには何かのついでにもらったチョークが転がっていた。



ざわつく大学の食堂。俺は田中と佐藤という2人の友人と昼めしを食っていた。

「聞けよ。最近面白い女の子を見ているんだ。」

俺は、会話を切り出した。

「なんだ?芸人か?それともナンパ?」

「違う、違う。なんて言うか、単純に興味深い女の子。毎朝、俺の家の前の道にある海抜とか書いてあるコンクリート?みたいなやつにさ、座り込んで話しかけているんだよ。」

「それは、面白いというのか?」

「どちらかというと、奇妙だし、ホラー寄りだぞ。」

田中と佐藤が同様に突っかかってきた。

「そんなんじゃねえよ。そいつがあまりにも毎日来るからさ、そのコンクリートにテープとかチョークとかで毎日いろいろな細工を施したわけ。そうしたら、その女の子の反応が毎日違ってさ。これが面白いんだよ。」

「はあ。お前、そいつに話しかけたのか?」

佐藤が聞いてくる。

「いいや、全く。一度も。」

「じゃあ、その石を通じてコミュニケーションを取っているのか。なんかいいな。」

田中は少し上を向いて、目をつむりながらそう言った。

「だろ?」

「いやいや待てよ。なんだそれは。怖いわ。」

佐藤は、腑に落ちないようだ。しかし、田中が続けて言う。

「案外さ、こういうとこから恋とか始まるのかもよ。ロマンチックじゃん。運命ってやつだよ。」

「そうだったらいいなあ!よく顔見えてないけど、絶対美人だぜ。あの子。」

「まあ、そんな気持ち悪いこと、あってたまるかって話だけどな。」

「いやいや、あるかもしれないよ?何があるかわからないのが、この世界だぜ。」


俺はひとしきり、彼女のことを話して満足した。話題は、最近佐藤が気になっている有名人に移った。


「お前、知ってるか?あの子?」

佐藤が聞いてくる。

「あの子って誰だよ。」

「あの、東都テレビの朝のニュースでレポーターやってる子だよ。きれいな化粧の。」

思い当たる節がある。起きてから15分の間につけているテレビに出てくるあのレポーターか。

「分かるよ、それがどうかしたのか?」

「あれ、うちの大学の2年生だってよ。」

「そうなんだ、会ったことないわ。」

「きっときれいなんだろうな、生で見ると。」

佐藤がしみじみという。

「案外、実際見たらそうでもないかもよ。」

対して今度の田中は懐疑的だ。


俺にとって、そのレポーターが可愛かろうと、かわいくなかろうと、そんなことはどうでもよかった。俺の頭の中には、今日買って帰る予定のチョークを何色にするかの論議が活発に行われていた。


帰り道、俺は文具店に寄ったため、いつもと違う道を通って家に向かった。こうしてみると、今までは気づかなかったが、道にはいろいろなものが設置されている。機能がよくわからないものばかりだが、興味深い。


曲り道で出合い頭に人とぶつかった。思わず口から謝罪の言葉が出る。

「全く、この町は道もろくに歩けないやつばかりなの!ふざけるのもたいがいにして、このオタク野郎が!」

俺の謝罪とは対照的な言葉を相手から浴びせられた。驚いて、顔をあげるとそこにいたのはパンを絶賛し、佐藤に好まれたあのレポーターだった。


やはり、人は会って、話してみないとわからないものだ。俺はそう思った。



ジリリとなった携帯電話を止め、画面をちらりと見た。午前七時半。

外はもう完全に明るくなっていたが、閉め切ったカーテンの間から差す日はなく、俺の足は平穏を保っていた。俺はそれをぼーっと見た後、軽い立ち眩みを覚えながら立ち上がって朝ごはんの準備をする。


テレビはつけない。代わりに俺は最近つけているノートを開いた。施した装飾と彼女の反応をまとめたノート。半分ほど埋まったそのノートには俺自身の彼女の発言についての考えも多分に書かれている。

彼女は一体何を考え、何を話しているのだろうか。

その答えも、最近なんとなくわかってきたような気がしていた。


7時45分。彼女はいつものようにスカートの裾を規則正しく揺らし、曲がり角を曲がって歩いてきた。例のコンクリートの前までくると、やはりしゃがみこんで、何かを話しかける。今日はとても悲しそうだ。何があったのだろうか。仕事先で怒られたのだろうか。買っていた犬が寿命を迎えたのだろうか。それとも失恋だろうか。いや、それはないか。


彼女は悲しそうな表情のままその日のルーティンを終えて、来た道を戻っていった。

彼女が完全に去ったのを確認して、俺はその日の装飾を回収して、また新たな装飾を施した。今までの傾向から推測すると、この装飾なら彼女の機嫌はすこぶるよくなるはずだ。間違いない。

俺はコンクリートの装飾の出来栄えに満足し、大学へ向かった。



夕方、俺は佐藤と別れ、一人で家路についていた。あたりは薄暗くなり始めたころで町全体を綺麗なオレンジ色が包んでいた。

家につく最後の角を曲がった。目に入ったのは、しゃがんでいる人影。

彼女だ。


今まで、俺はこの時間に何度もここを通っている。この時間帯に彼女がここにいたことは一度もない。それどころか、ここ最近は無意識のうちに外を気にすることが多くなっていたが、朝の7時45分以外に彼女がここを訪ねたことは一度もない。

これは、どういうことだろうか。


俺は考えた。そして、一つの結論を出した。

携帯電話を取り出し、電話をかける。

「なんだ?忘れ物でもしたか?」

電話に出たのは、さっき別れたばかりの佐藤だ。

「俺は、やっぱり運命ってやつの分岐点に立っちまったらしい。」

「は?」

「そして、俺はそれを掴みに行くことにした。」

「何を言っているんだ、お前は?」

「今から、あの女の子のところに行ってくる。」

「あの女の子って、コンクリの子か?お前正気か?ちょっとおかしいぞ。頭冷やs」

電話を切った。俺は、掴みに行く。一歩踏み出した。


「あの!いつもここでそのコンクリートに話しかけている方ですよね!」

少し張り上げた声に驚いたように彼女が、こちらを振り返る。

「毎日、あなたを見ていたんです。上から。」

彼女は立ち上がった。なんだ、あの表情は。もしかしておびえているのか。安心させないと。

「その装飾を毎日やっていました。あなた、今朝は元気なさそうでしたよね。だから今日はその装飾にしたんです!どう?いいでしょう?素敵でしょう?」


俺と彼女の間に長い沈黙が流れた。

そして、彼女は信じられない行動に出た。俺に背を向け走り去ったのだ。

俺は茫然とその場に立ち尽くした。

なぜだ?彼女が走り去ったのはなぜだ?突然話しかけたからか?いや、でも俺は自分が誰だか述べた。この1か月俺は彼女とコミュニケーションを取り続けていたと述べたはずだ。それなのになぜ?おかしい。感謝こそあってもいいものじゃないか。ありえない。


許せない。


ならば、どうする?決まっているだろう。彼女を追いかけよう。追いかけて問いただすのだ。そして、その後には……


俺は、駆け出した。彼女が走り去った、もう真っ暗になってしまった路地を。



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