シスターの心の底
シスター・クレアは、ある国の第二王子の一人娘だった。
既に世継ぎは第一王子に内定していたので、生活環境も教育もそちらよりは緩やか。
家系故、それなりの窮屈さは否めなかったが、それ以外は特に不満もなく、概ね幸せに暮らしていた。
‥‥が‥王が病に臥せ‥意識を混濁させてから‥‥にわかに空気が変わった‥‥
欲に取り憑かれた人間というのは、何処にでも存在する。
既に次期王位の件は通達されてはいたが‥‥ 出世欲を燻らせ、その流れではうまみの少ない者達は、それを受け止めていなかった。
彼らは秘密裏に、第二王子派閥を作り出した。当の第二王子である父にすら内密に‥‥
そして彼らは第一王子子息の拉致を企てた。王位辞退を迫る脅迫材料、そして第二王子への事後報告の手土産とするために‥‥
その企ては、優秀な近衛兵士たちの働きによって、無事失敗した。
そして派閥の存在が露見した‥‥ が、尻尾を掴みきれず、罪に問えた者は手駒の実行犯達だけだった‥‥
父は、この事件で初めて派閥の存在を知った。
‥‥だが‥この事件で利益を失いかけた者の大半は、そうは見なかった。彼らの目も欲に染まっていた‥‥
その恨みと疑惑の目は、母の実家にも飛び火した。
そして母とクレアへの風当たりに、殺気が見え隠れするようになった。
王族の宮殿は不特定多数の者が出入りする。ここでは身の安全は保たれない‥‥
なので‥‥母は実家へ、クレアは他国の修道院へと身を寄せる事になった‥‥
‥‥もし第一王子が王位辞退をすれば、自分は二代後の国王候補‥‥ 自分まで匿ったら‥‥母の実家は、いよいよ疑惑を拭えない‥‥
教会組織の権威は、貴族はおろか一国をも凌駕する。
彼らの力の及ばない場所としては打って付けの場所だった。
他国なら暗殺者も送りにくい‥‥
修道院は医療施設も兼ねている。それらの仕事を手伝う内に、クレアには教会組織の癒しの秘術・法術の才能があることが解った。
怪我や病で苦しむ人々を癒すことにやり甲斐を感じ、周囲も驚く様なスピードで腕を上げて行った。
‥‥‥しばらくして‥王が話せるまでには回復し、正式に第一王子への王位継承が表明され、事態は一応の収束を見せた。
‥‥‥しかしクレアには‥‥法術の才能があり過ぎた‥‥
短い期間で全くの素人から、駆け上がる様に腕を上げたクレアを‥‥教会は手放さなかった‥‥‥
教会組織の権威は、一国をも凌駕する‥‥
こうしてクレアから‥家族との暮らしは失われた‥‥
薄い信仰心を作り笑顔で隠し‥‥それでも苦しむ人を癒す事へのやり甲斐は残っていた。
そんな生い立ちのクレアだから、当然荒事に慣れている訳はない。
今までは、薬草狩りの付き添い程度のダンジョン同行が割り振られていたが‥‥今回はどうしても手空きがいなかった。
告げられた、悪名高きベヒーモスの名‥‥ 信憑性の低さなど大した気休めにもならず、ただひたすらに恐れが膨らんだ‥‥
‥‥そして目の前に現れた恐怖の化身の様な巨大な姿‥‥
もう心は限界近くまで張り詰めた‥‥
‥‥そして群れ成すイノシシが現れ‥‥繰り広げられた暴力の嵐‥‥‥
‥‥その、最も大きな暴力の権化を‥‥治療するよう言われ‥心の底の方から、なけなしの勇気をすくい上げ‥法術を掛けた‥‥
‥‥そんなベヒーモスから掛けられた言葉‥‥
「‥すみません、ご無理かけちゃって」
‥‥何かが‥‥外れた‥‥‥
気付けば頬に涙が伝っていた‥‥
‥‥そして‥気付いた‥‥‥
‥‥そっか‥‥私‥‥‥無理をしていたんだ‥‥‥