邂逅
楽しんで読んでくださいませ。
初めて、人類が使徒の存在を認識した日から、3000年後。
人の生存圏は、確認されている限りでは、七大陸の内最も広大なここアメージア大陸を残すのみとなった。
この日、永和26年1月1日。
奇しくも初めて使徒が訪れた日と同じ日に、少年は使徒、正しくはその配下と相見えた。
その初めての使徒との遭遇は凄惨な物だった。
「悪いミーリア。すぐにご飯作るからちょっと待って…な…」
――その日、やっと5歳を迎えたばかりの妹のミーリアと一緒に暮らしていた少年は、珍しくも寝坊し、眠気に霞む目を擦りながら、妹の朝ごはんを作るべく家の1階に降りてきた。
そこで、目にしたのは"赤い物"。それが愛する妹のミーリアだと認識するには、数分を要した。
「ミー…リア…?…これが…?…?…は?どういうことだ…?…ミーリア!?おい!!何が――」
何が起きたかは理解出来なかったが、「妹が殺されている」という事態に、目の前が真っ暗になり、頭の中はそれと対称に真っ白になり、ただ、泣き叫ぶ事は、現実は許してくれなかった。
――直後、次に自分を襲った物理的な衝撃に、少年は後方の台所にふきとんだ。
火の使徒の配下が現れた。妹のものと思われる返り血を浴びた、殻の赤い鎧が。
少年は一瞬で理解した。
――あぁ、こいつが…――
少年は、無意識に包丁を手に取り、襲い掛かった。
――殺してやる殺してやる殺してやるコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤル!!!――
どす黒い殺意と共に。
使徒は、襲い掛かってきた少年に向かって、両手に一本ずつ持った大剣の一振りを横凪ぎに切りつけた。
しかし、その刃は直前に跳躍した少年にかわされ、使徒は少年の反撃をくらう事になった。
「ぶっ殺してやる!!!」
だが、その包丁が使徒を傷付けることはなかった。
火の使徒の配下の特徴はシンプルである。硬く、速く、鋭い。故に強い。
その鎧はこの世界の鉱物では傷付ける事は可能でも両断することなど不可能である。
そんな鎧に、渾身の力で振り下ろされたただの包丁がどうなるかなど言うまでもないだろう。
――少年の反撃を、簡単に跳ね返した使徒の配下は、少年に向かって猛烈な突進を食らわせた。
「っっっっっっ!」
咄嗟に、少年は腕をクロスさせて全力でバックステップし、威力の緩和を試みたが、それはほとんど意味を成さず、言葉にならぬ悲鳴を上げながらさらに後方へ吹き飛んだ。
――っ早く立て!早く立たないと奴が――
だが、少年は立ち上がれなかった。あまりにも強い衝撃に身体中の神経が麻痺していた。
そんな少年の状態などどうでもいいと、使徒が迫ってくる。
――あぁ、俺、死ぬんだな…体がもう痛みを感じない…
朦朧とした頭で、少年は走馬灯を見た。
――いつも笑顔で、俺に頼れと言ってるのに、頑固で意地でも頼らないミーリア。
――不器用なのに、進んで料理をしようとして、いつも失敗して涙目のミーリア。
――両親が死んで、生きる意味を無くした俺に、再び生きる意味を与えてくれたミーリア。
……ミーリアが居なくなった今、これ以上俺が生きる理由は無いな…
しかし、走馬灯の中のミーリアは、突然、表情を必死な物に一変させて叫んだ。
「お兄ちゃん!死んじゃだめ!ミーリアもずっとずっと一緒にいたかった!ずっとずっと幸せでいたかった!でもね、ミーリアはもう死んじゃったの!もう一緒にいられないの!…だからっ…ミーリアの分まで…生きて!」
瞬間、全身に活力がみなぎった。どこにこんな力があったのか理解出来ないほどの力。
使徒の配下は両手の大剣を袈裟懸けに切りつけてきた。
「俺はまだ!!死ねないんだよ!!!」
少年は、前に全力で踏み込む事で使徒の配下の懐に入り込み、死神の鎌を逃れた。
そして、その勢いそのままに、使徒の配下を殴り付けた。
痛みは感じない。使徒の配下は大きく後ろに吹き飛んだ。
そこへ少年はさらなる追撃をかけようと足を前に出し、そのままうつ伏せに倒れた。
今度こそ限界がきたのだ。
所詮人の身。満身創痍の状態で、例え痛みを感じなくても体は動かなくなる。
――くそっ!くそくそくそ!もう少しなのに!あと少しなのに!くそ…
今度こそ少年を仕留めようと使徒の配下が迫る。
――終わりだ。もう何も出来ない。ごめん、ミーリア。俺はもう死んでしまうよ。
せめて、最後に、言わせてほしい。悪口なんて言ったことの無かった俺だけど最後くらい。
「てめぇら全員、クタバレ…」
使徒の配下の剣が振り下ろされる。
その光景を、ひどくゆっくりと引き延ばされた時間の中で、不意に視界の端に映った影に――
「…誰…だ…」
――刹那、縦に真っ直ぐ線が入ったかと思うと、使徒の配下が真っ二つに割れた。そしてそのまま崩れ落ちた。
使徒の割れ目から現れたのは、刀を持ち、残心する男。純白に何本もの漆黒の線が刻まれた羽織を身に付けている。
男は刀を鞘にしまいながら、途切れ途切れの口調で言った。
「良く…生き残った…もう…大丈夫だ…。」
そう言って、男は少年に手を差し出した。
「…お前…のような…奴の…気持ち…は分かる…。…辛い…のも…分かる…だが…ここで…立ち…止まって…は…いけない…。」
だが、少年は理解出来ない。この男は誰なのか。言っている意味も。生きる意味も――
「…お前に…!…お前なんかに…!何が…分かるんだよ!!」
言葉を吐き出す。
「父さんも…母さんも…唯一…!生きる意味を見出だせたミーリアですら死んでしまって…俺はもう独りだ!」
ダムが決壊したように、言葉を吐き出していく。
「もう…無理だ…。何もかも投げ出して消えてしまいたい…存在意義の無い人間なんて、ただの人形だ…。人形が生きていて良い道理なんてない…。…俺の事はもう放っておいてくれ!独りで死なせてくれ!!」
妹を殺され、己の信条すらも壊され、溜め込んでいた言葉がとめどなく、一気に溢れ出す。
だが、少年の言葉に、男は微動だにせず、ただただ聞き入っていた。まるで、少年の中の恨み怨み辛み憎しみ悲しみ痛み恨み怨み怨みの負の感情を、全て吐き出させるように。
その姿を見た少年は、その男に僅かな、だが確かな、己との共通点を見つける。聞かなくとも、全身から溢れ出す怒り。現実に絶望した瞳。もしかしたら――
「…お前も…一緒だったのか?…大切な人を…奪われたのか…?」
男は答えない。
だが、代わりに、少年に対しての激励の言葉を話した。そこには自分へ向けた言葉もあったかもしれない。
「…目の前の…現実に…絶望…に…その場に…うずくまって…も…時の…流れは…共に…寄り添っては…くれない…。…怒れ…少年…。…際限無い…怒り…が…己に…力を…与えて…くれる…。」
少年は、混乱と絶望に未だ朦朧とする頭で、だが固く決意する。忘れまいと、生きる理由を見出ださんと…
――使徒を殺す。絶対に。ミーリアを殺した使徒を殺し尽くす――
強い、決意とも復讐心とも取れる思いを抱きながら、少年は、男の手を取った。
決意を灯した血赤の双眸。
大陸の東の地特有の漆黒の闇のような黒髪。
少年の名は、"シン"。
誤字脱字などあればご報告ください。