事後処理
今回の件は、前話参照です。
「許して貰えて良かったな。一時はどうなることかと思ったが」
【うむ。許して貰えて良かったのだ】
シンの安堵したような言葉に返すのは、ピンクの看板を持ったステラだ。
「ホントよね~。許して貰えて良かったわね!」
「何言ってんだ!お前が居なきゃもっと簡単に終わってたよ!」
「何ですって!?私は皆助けるための行動を取っただけよ!」
「そもそも、シン君がそんな服着てなかったら良かったにゃあ…」
例の如くシンとライトネルの喧嘩が始まり、バステトが疲れたように溢す。
「いや、普通は間違えないだろ。男が女性用の服を着てるだけで勘違いするとか目が節穴過ぎるだろ」
そして、シンは先程の出来事を思い出す――
◇ ◇ ◇
「で、君達?今回の出来事はどう説明してくれるんだ?」
シンとライトネル、バステトとステラは、あの後教師の男に呼ばれ、執務室に訪れていた。
シン達の目の前には二人の男が居た
美しい唐草模様のあしなわれたソファーにふんぞり返っており、高そうなピチピチの漆黒のスーツを着ている下っ腹の大きく出た嫌味な男、ゲイル。訓練場の整備や監督の役職を与えられているようだ。
その傍らに立っているのは、燕尾服の良く似合う、左目にモノクルを付けた紳士、ロンドだ。
「え?どう説明してくれるんだ?何か言ったらどうだ?」
と、ゲイルはシン達に下卑た視線を送りながら言う。
傍らのロンドは微動だにせず、完全に気配を断ち切っている。
シンは思う。
――達人だ
と。
自分が知る中でこうも完璧に気配を断ち切ることが出来るのはあの男だけだ。
それに比べて、ゲイルという男はただただ気持ち悪いだけの輩のようだ。身に付けている金品からかなりの金持ちであることが窺えるが、それだけだろう。
ロンドは、シンの中の要注意リストに入った。
「じゃあ、私が説明するにゃ」
バステトが口を開いた。
その瞬間、ゲイルは大きな舌打ちをする。
「薄汚い獣人風情が…まぁよい。話せ」
今のにはカチンときたな。当然だ。仲間をバカにされたのだから。
だが、今動いてしまえば取り返しのつかないことになる。今は我慢だ…今はな。
「…じゃあ、初めから話すにゃ」
バステトはこういう態度には慣れているのか、意に介した様子も無く、話し始めた――
ちなみに、シンは隅で縮こまっている。
未だに、初対面の人物と話すのは難しいらしく、影のように目立たないようにしていた。
にも関わらず、何故こうなった?
現在、バステトの話を聞き終えたゲイルは、シンの目の前に立っている。気持ち悪い笑みを浮かべながら。
バステトの話を聞き終えたゲイルは、突然こう言ったのだ。
「そうかそうか。無事で何より。だが、こちらの被害も全然ゼロではないんだ。訓練場の破損部分や隊員の精神面のケアも大変でね。そこで提案なのだが――」
そう言って、ゲイルは下卑た笑みを深めて歩き出し、
「この黒髪の娘を私に譲れ。それで今回の件はチャラにしてやろう」
シンの目の前で立ち止まり、言い放った。
「なあロンド?この娘だけで被害は無くなるよな?」
「ゲイル様がそう思われるのであれば、それが正解かと思われます」
それを聞いたゲイルは、ニイッ、とさらに笑みを深め、
「聞いたな?ロンドがこう言っているのだ。さっさとその娘を差し出せ。ロンドの"言葉"を聞いたのだからお前たちは逆らう事は出来ないだろう?ふ、ふふ、ふはははは!!どうやっていたぶってやろうか!どうやって屈させてやろうか!何れは従順な私の…ふはは!」
何を言っているのか全く分からない。"言葉"って何だ?嘘を言って惑わすつもりか?何のために?
疑問に思い、目の前の気持ち悪い男を見てみる。
「ふはは、そんなに待ち遠しいか?まあ待て。他の者が退出してからゆっくりと相手してやる」
男はそんな気持ち悪い事を言いながら舌なめずりした。
――こいつさっきから何を言ってるんだろう?本当に気持ち悪い…
そう思っていると不意に、ステラがピンクの看板を上げた。
【"言霊"を検出。抵抗に成功したのだ】
その看板を見て、ゲイルは驚愕を露にし、ロンドは糸目の片目を少し開けた。
「おい、どういうことだロンド…効いてないじゃないか…」
「これは私も想定外です…相手はかなりの実力者かと思われます…」
そして、二人が何やらひそひそと話し始めた時――
「シンちゃん、今までありがとう!これからはその人のところでお世話になってね!バイバイシンちゃん!」
「おい!抵抗に失敗してるじゃねえか!どういうことだ!」
【そこの女神(笑)は馬鹿なだけ】
「なるほど」
「何納得してんのよ!ほら、私達のために犠牲になりなさいよ!ほら早く!」
「……お前…」
シンは、呆れたような目でライトネルを見る。
「何だ、効いてるではないか。杞憂だったようだなロンドよ」
と、ゲイルがほざいているが、こいつも大概アホである。
傍らに控えるロンドは、ステラを凝視して微動だにしなくなった。警戒しているんだろう。
「では、さっさとその娘をよこせ。そしてさっさと退出するのだ。私も暇ではないのでな」
そう言って、シンに下種な目を向ける。気持ち悪い。
「にゃあにゃあ、何でそれだけで全てが許して貰えるにゃ?理由を言えにゃ」
「貴様!この私に向けてどんな口を聞いているのだ!ロンドよ、やってしまえ!」
「…御意」
バステトの言葉遣いに激昂したゲイルは、ロンドに向けて何かを命じた。
気持ち悪い上に器も小さいとは、憐れな男である。
「ふはははは!多少強いからといって思い上がるんじゃないぞ貴様等!貴様等が束になって戦ってもロンドには勝てない!なぜならロンドは――」
「恐れながら、ゲイル様。私では彼女達には太刀打ち出来ないかと。実力差は明確であり、隙が無く手も足も出せません」
「そうだろう。そうだろう!貴様等などロンドの前には――ロンドよ、今何と言った?」
ロンドの言葉が理解出来なかったのか、ゲイルが再び問い掛ける。
「私などでは、到底太刀打ち出来ません」
それを聞いて、ゲイルはまたも激昂して、
「貴様!それでも"憤怒の暗殺者"か!相手が女だからといって怖じ気づいたか!まあよい。まだ手をつけてはいないが、お前の妹を――」
「命の限り戦います」
西方の貴族の生まれであるロンドには妹が居り、妹を脅しの道具として利用され、無条件で家柄も格下であるゲイルに従属させられていた。
ゲイルに妹が拉致された日、怒り狂ったロンドは、怪鳥を百体討伐すれば妹を返してやるという要求を呑み、その要求を見事達成してみせた。その時の戦闘を見た兵士がロンドに付けた二つ名が"憤怒の暗殺者"である。
そして、ロンドにとって妹は誰よりも大切な存在であり、脅し文句にそれを利用されると、逆らうことが出来なかった。
だが、今回の命令は無謀すぎる。
目の前の少女達は、自分よりも明らかに格上だ。見た目は強さとは全く関係ないのだ。
だとしても、やらなければならない。妹を守るためには、命令は絶対に遂行しなければならない。
例え、自分の命に代えても。
そして、ロンドは動いた。
――ピンッ
不意に糸の張るような音が聞こえ、シンは身構えたが、その時にはもう遅かった。
――動けない!
鋼のように硬い糸に体が拘束されていた。
反射的にロンドを見ると、その顔は能面のように感情が抜け落ちており、指だけを細かく動かして糸を操っていた。
バステトとライトネルも糸に拘束されているようだ。
ステラは鋼の糸を逃れたようで、拍子抜けするような、ピンクの看板を掲げていた。
【敵対行動を確認。自動結界が発動したのだ】
何それ便利!
後で教えて貰おう…って今はそれどころじゃない!
「気を付けろステラ!そいつ強いぞ!」
すると、ステラは心なしか頬を紅潮させて、二枚目の看板を向けてきた。
【既に無力化した。驚異度はゼロと断定】
意味が理解出来ずに居ると、ロンドが突如上げた叫びに、反射的に目を向けた。
「ローラン!?ローランなのか!?」
ロンドの目の前には、どこから現れたのか自分達と似た年齢かと思われる、紫がかった長髪の少女が横たわっていた。
「…兄さ…ん…?兄さん…なの?」
「ああ、ローラン!無事だったのか…本当に良かった…!」
ロンドの目からは、涙が流れていた。
その光景を、さっきまで呆けたように眺めていたゲイルは、血走った目で喚き散らす。
「何故、お前がここに!?き、貴様!何をした!!」
ゲイルの目は、看板を弄っているステラに向けられている。
その問いに、ステラは面倒くさそうに答えた(看板で)。
【そこの執事の男の脳をスキャンして妹とやらの気配を認知。建物内で同じ気配がする場所を特定。そこに転がってた妹とやらを空間転移で運んできた】
「馬鹿な!そんなことが可能なはずがない!そんなもの、子供の時に聞かされた神話の世界ではないか!」
【当然だ。私はその神話の時代を生き抜いてきたのだから】
その返事に、ゲイルは顔を青ざめさせて絶句する。
【今、お前を消滅させることも容易なことなのだ】
そして、ステラは両手に蒼い炎を顕現させて見せると、ゲイルは、ひいっ、と声を漏らし、尻餅をついてしまった。
その瞬間を見計らったように、バステトが口を開く。
「で、どうするにゃ?今回の件はチャラにしてくれるにゃ?」
幻覚だろうか?バステトの背後に巨大な獅子の怪物が見える。これで相手の心を折るつもりなのだろう。
「は、はい!あなた様のお望み通りに致しますので、どうか命だけは…」
とんだ手のひら返しだな。
シンは思わず感心してしまった。
その返事を確認したバステトは、背後のオーラを霧散させてしまった。
「分かったにゃ♪今回の件は無かったことにするということでよろしくにゃ。そして、二度と私達の前現れるんじゃないにゃ」
「は、はい!承知しました!」
どうやら、バステトが上手く話を纏めてくれたようである。
どこぞの馬鹿と違って頼りになるものだ。
「ちょっとシンちゃん!私達のために行ってちょうだい!たった一人の犠牲で済むのだから軽い方で――」
噂をすれば、馬鹿がやってきたようだ。
「うるさい!その話はもう終わったんだよ!ていうかお前本当にいい加減にしろよ!」
「え、そうなの!?い、いや、別にシンさんに居なくなって欲しかったとかそういう訳じゃないからね!皆を助けたい一心での行動だったの!」
「ゲイルさん。この銀髪の女なら差し上げますよ?」
だが、シンにあれだけ執着していたゲイルもライトネルには全く興味を示さない。
「いえ、大丈夫です。その娘はなんというか、ドキドキしないのです」
「何でよお~!こんなにも可憐で美しいのに魅力が無いですって!?ふざけんじゃないわよ!このキモ男!」
「ギャーー!止めて、止めてください!痛い痛い痛い痛い痛い!」
ぶちギレたライトネルは、ゲイルに蹴りを入れはじめてしまった。
――まあ、これで取り敢えず一件落着だ。
今回の件は無かったことになり、何のペナルティも課せられなかったのだから、大勝利と言えるだろう。少々、脅迫に近かったが、悪いのは俺じゃないからな。
とまあ、こんな感じで何の滞りもなく(仮)事後処理は終了したのだった。
◇ ◇ ◇
「それにしても、あのゲイルとかいうおっさんは本当に気持ち悪かった…」
シンの溢した呟きに、ライトネル、バステト、ステラは同時に頷く。
「あれは生理的に受け付けられないにゃあ…」
【奴はこの世の肥溜めで生まれた存在。不浄なる存在】
「流石の私も寒気を通り越して怖気を感じたわよ…」
そして、三者三様に溢す。
「二度と会いたくないランキング第一位だなあいつは」
シンの呟きに、三人はまたも同時に頷いた。
「あの、すみません!」
不意に、後ろから声を掛けられ振り返ると、そこには見覚えのある二人の男女が立っていた。
「先程は、本当にありがとうございました!もう感謝しても仕切れません!」
ゲイルの執事だった男、ロンドとその妹のローランだ。
ロンドの顔には、以前のような能面のような表情ではなく、喜びに満ち溢れた輝く表情があった。
「私を救ってくださり、ありがとうございました」
次に礼を言ってきたのは、ローランだ。
「お礼なら、俺ではなくステラに言ってやってくれ」
シンはそう言って、隣のステラを指差す。
それを見たローランは、ステラに向き直って再び礼を言った。
「本当に、ありがとうございました!」
そして、ローランは花の咲くように笑った。
この組織に入って、初めて守ることのできた笑顔だ。
ロンドとローランは、困った事があれば出来る限り助けになります、と言い残し、去っていった。
――羨ましい
シンは、素直にそう思った。
シンの妹、ミーリアは既にこの世に居ない。
大切なものは、失って初めて気付くものなのだ。
妹が健在の、ロンドが本当に羨ましかった。
だが、失ったものは二度と戻ってこない。どれだけ望んでも。
だから、自分と同じ状況に陥る人を少しでも減らせるように、一日一日を後悔せずに生きていくだけだ。
そして、シンは歩みを再開した。
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