実践訓練
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「ねえ、シンさん?これってどういう状況なのかしら?」
「ああ。これは昔俺の同級生が陥っていた『廊下に立っておけ!』状態だろう」
――あの後、ライトネルのテヘペロに予想通り激昂した教師であろう男は、シンとライトネルに居残り訓練を課し、二人にどこから出したのか10kgと書かれた重りを持たせて、部屋の隅に立たせていた。
「おいそこ!煩いぞ!立たされているんだから黙っていろ馬鹿共が!」
「「はい!!」」
教師の男の怒声に、二人は同時に返事をしてしまった。
そして、男は深く深呼吸をすると、訓練――というか授業――を再開した。
――それにしても、何で俺達だけ怒られるのかが疑問だ。バステトは気持ち良さそうに寝てるし、ステラは看板のストックを増やしてるし、ていうか材料どこから出してるんだろう?
そんなことを考えていると、男に聞こえない音量で、ライトネルが囁きかけてきた。
「あの男、何で私達ばっかり怒るのかしら?意味分かんないんだけど。口臭いし」
どうやら、ライトネルも同じことを考えていたようだ。口臭いは余計だが。
「知るか。もとはといえばお前の責任だろうが」
――そうなんだけど、とライトネルは呟き、再び俯く。
シンとライトネルが絶えず話をしてしまうのには、一つの原因があった。
「ねえシンさん。退屈なんですけど。つまんないんですけど」
そう。授業もとい訓練がとてもつまらないのだ。
というのも、授業内容は"怒り"についてなのだが、既に知っていることばかりなのだ。
ライトネルは仮にも女神であるため、知識は豊富。つまり人間が有している知識量は遥かに凌駕しているため、退屈でしかないのだ。さらに、ライトネルは怒りではなく"罪能"を使用するため、聞くだけ無駄なのだ。
しかし、シンにとっては大事な授業である。だが、その事にシンは気付いてない。
シンの力の根源は怒りなのだが、ライトネルに教え込まれた"罪能"を使用する頻度が高く、さらに自身の中で"怒り"と"罪能"は呼び方が違うだけの全く同じ力、として位置付けられているため、既に使える能力の使い方など知っても仕方無いという風に思っていたのだ。
余談だが、"怒り"と"罪能"は全くの別物である。
"怒り"は、過去の体験を想起させ、それに対する怒りをそのまま力として扱う能力だ。つまり、怒りの大きさがそのまま強さに直結する。つまり、妹のミーリアを殺されたシンの怒りは計り知れないものであり、その点で、シンはとても秀でている。
そして、"罪能"は、天界で生み出された能力である。使用者の罪の意識を力の根源にして、使用される。だが、ライトネルの場合は、自分を信仰する信者達の懺悔を力の根源に罪能を使用しているため例外だ。
シンの場合は、母の病に気付くことが出来なかったという罪の意識が罪能として使用されていたのだが、過去に囚われないように無意識にも精神を安定させようとしているシンの中からそれは消えつつあった。
では、何を力の根源として罪能を使用しているのか。
それは、"名前"である。
罪の名を冠する"シン"という真名には、凄まじい力が宿っている。
そして、罪の意を持つ者が真名を語るのは、本来禁忌とされている。
強すぎるその力は、真名を語る事によって解放され、対象の罪の意識を増幅させてしまうのだ。最後は、対象を自殺まで追い込んでしまう。
だが、シンはそれに気づかず、既に顔合わせの時やシャロンに尋ねられた時に、名を明かしてしまっている。
にも拘らず、それに影響を受けていないのは、無意識下でシンが力を制御するのに成功しているからである。
強すぎる力を制御するには、"怒り"と"罪能"の両方を駆使しなければならない。だが、男は"罪能"を使う事が出来ないため、力を制御することが出来ないのだ。
その点、シンは"罪能"も"怒り"も使用することが出来る。この世で初めて"罪能"と"怒り"の並列使用に成功したのは、シンであった。もっとも、誰もその事には気付いていないが。
捕捉だが、真名を語る事によって発生する罪の意識に抵抗出来るのは、同等の力を持つ者のみである。故に、男は名を語らない。この世の最強存在はあの男なのだ。もう一人、数千年前に男が相見えた魔王も、男と同格の最強存在と言えるのだが、既に滅びているのか生存しているかの区別が付かないため、必然的にそうなった。
このように、"怒り"と"罪能"は別物なのだが、この時のシンには気付く由も無かった。
シンが眠そうにしていると、不意に教師の男が口を開いた。
「これで、今日の授業は終わりだ。これから実践に移る。今教えた事を頭に叩き込め」
やっと、長い授業が終わったようだ。次は実践訓練らしいから眠気も幾分マシになるだろう。
と思い、ライトネルに声を掛けようとすると、
「すかー…」
やっぱり寝ていた。
――ホント、気付いたら寝てるよなこいつ。
程無くして、椅子に座っていた隊員達が起立していき、ぞろぞろと部屋から出ていく。
その中には、エレンの姿もあった。
だが、肝心なメンバーが居ないと、再び席に目を移すと、
「にゃはは~…違うにゃ…猫じゃらしは嫌いにゃ~…やっぱり好きかもにゃ…」
バステトは机に突っ伏して寝言を言いながら爆睡している。
因みに耳と尻尾は今は出していなかった。どんな仕組みなんだろう。
そして、隣に目を向けると、
「………」
ステラは相変わらず看板のストックを増やしていた。
材料は本当にどこから出してるんだろう…?今度聞いてみようか。
というか二人とも自由過ぎるような気が…
その時、シン(とライトネル)に教師の男の声がかかった。
「お前たち。授業はちゃんと聞いたな?今から実践訓練だ。さっさと訓練場へ行け」
教師の男は、シンの持っていた重りを受け取りながら言った。
「はい。おいライトネル行くぞ」
「ふぇ…?あれ、もう終わったの?」
シンは、眠そうに目を擦るライトネルを尻目に、教師の男に尋ねる。
「あの、そこの二人はどうすれば?」
「お前が連れていけばいいだろう。次はちゃんと授業を受けるように言っておいてくれ。次は遅刻するんじゃないぞ」
そう言って、教師の男は部屋から出ていった。
――あの人、結構いい人なんだなぁ。
教師の男の後ろ姿を見送りながら、未だに机から一歩も動いてない二人をどう連れていけばいいのか思案するシンだった。
◇ ◇ ◇
シンはやつれた様子で訓練場にいた。
あの後、二人を連れていくのに苦心し、遅れたせいでまたも教師の男に叱られてしまったシン。
既に帰りたい気持ちで一杯だった。
――ああもう。何で俺ばっかり損な役回りが回ってくるんだ…
額に三本の黒い線を浮かばせながらどんよりとした空気を漂わせていると、教師の男が話し始めた。
「今から実践訓練を行う。まずは"怒り"を解放することから始めよう。ほとんどの者はここで躓くが、大丈夫だ。鍛練を続けていればいずれ出来るようになる」
――ん?怒りの解放なんて一番初めの試練じゃなかったか?そんなこと訓練するようなことなのか?
その時、一人の金髪の男が手を上げた。
――そうだ。言ってやれ。そんなことする必要なんて無いと
「まずどのような感じで怒りを解放するのかこの目で確認させて頂きたいのですが。百聞は一見に如かずと言いますし」
――んん?そこ聞くの?いやそこじゃなくてだな
「してやってもいいが、あまり意味は無い。怒りとは感覚的なもので自分の中で感じないと会得出来ないからだ。そしてイメージを固定させてしまうという欠点もある。だから、まずは自分たちでやってみろ。それでも出来なかったら見せてやる」
「はい。ありがとうございました」
そう言って、エレンは引き下がってしまった。
シンは、自分の気になっている事を代弁してくれる者が居るか探してみるが、誰も手を挙げようとしない。
仕方無く、自分で聞くことにした。
「あの、怒りの解放って第一の試練でやりましたが、訓練でするようなことなんですか?」
シンの質問に静まり返る一同。
教師の男は驚いたように目を見開いて、逆にシンに問い返した。
「お前…なぜそれ知っている?その制度は随分前に撤廃されたはずだが…」
――あれ、様子がおかしいぞ?撤廃?どういうことだ…?
「いや、何でもない。怒りの解放は戦闘の基礎だから大切なことなのだ」
教師の男は、そう言って誤魔化してしまった。
――撤廃とはどういうことだ?俺は確かに受けたはずだが…もしかして俺、あの人に騙された…?
シンが思考の渦に呑まれようとした時、教師の男が訓練開始の合図を出した。
「では、始め!」
教師の男の声に、訓練が開始されるが、誰も行動を起こせずにいる。
何せ、指導の方法がライトネルと全く同じなのだ。
感覚的なものを教えることは出来ないとのことだったが、不器用ながらも言葉を選んで教えてくれたライトネルは意外と凄いのかもしれない。
シンの頭に、自慢げに胸を反らすライトネルの姿が浮かんだ。
そんなことを考えていると、何やら大きな雄叫びが聞こえてきた。
「う、うおおおおおおお!!」
雄叫びを上げていたのはエレンだった。
だが、あれでは無理だろう。
声を出すだけでは怒りは発生しない。静かに練り続け、一気に解放しなければならないのだ。
怒りが発生した証拠となる地形に影響を及ぼすということも確認されていない。
すると、教師の男がエレンに近付いていき、何やら手のひら程の大きさの直方体からアンテナの伸びた機械を取りだし、エレンに向けた。
その後、教師の男は機械を見て、満足そうに頷いた。
「よし、合格だ」
――ってええ!?合格なの!?地形に影響を及ぼしてないのに合格なの!?やっぱりあの人のせいだ!
シンは、心の中で不満を爆発させるが、この場で初めて怒りの解放に成功したのがエレンだという事実に、一気に隊員たちの士気が上がった。
――ああ…これがカリスマってやつか…
シンは、絶対に越えられない壁を幻視した。
そして、大きなどよめきが聞こえ、そちらへ目を向けると、
「おーい教師ー!こっち来るにゃ~!」
バステトが元気な声で教師の男を呼んでいた。
近付いて見ると、バステトは確かに怒りを発生させることに成功しており、その影響なのか地面から足が離れていた。
教師の男は、驚愕に目を見開き、機械をバステトに向ける。
「合格…だ」
「ふふん。こんなものお茶の子さいさいにゃっ!」
と言って、怒りを霧散させた。
ただ者では無さそうである。かなり操作の練度が高い。
バステトを見ていると、こちらの視線に気付いたのかバステトがこちらへ走ってきた。
「シン君見てたかにゃ?簡単に合格してやったにゃ!褒めてもバチは当たらないのにゃ!」
と、目を輝かせて言ってきた。
シンは、素直に褒めてやることにした。
「ああ。凄かったよ。怒りで重力を断ち切るとは流石だな。俺は空中に足場を造って移動出来るだけで浮けるわけではないからな。俺も練習するよ」
「ありがとうにゃっ♪シン君もコツが分かれば出来るようになるにゃ」
「へえ。どんなコツなんだ?」
「それはにゃ――」
そして、バステトは話し始めた。
「大事なのはイメージにゃ。自分と地面の間に何かがあると想像するにゃ。それを怒りで形成してその上に乗っているる感じにゃ」
「なるほど。でもそれだと俺が使っている方がいい気がするな。俺の使っている方は込める性質を変えることで無限の動きが出来る」
例えば、とシンは続け、
「足場を造って反発の性質を加える、これだと上に吹っ飛ぶだけだから、効果範囲を接触面から広げて、背部には少し力を緩めた同じものを造る。そうすると」
直後、シンの姿が消えた。正確には高速で飛翔し、既に大空へ舞い上がっていた。
そのまま反発の力を緩めていき、しばらく空をゆっくりと飛び回った後、バステトの元へと戻ってきた。
「あんな感じで飛ぶことも出来るというわけだ。でもさっきのはボツだな。戦闘であんな動きは使わない」
自分の周りが騒がしい事は無視して、シンはバステトに話しかけた。
「今のは怒りじゃない感じがしたにゃ。何を使ったのにゃ?」
バステトの顔からは、さっきまでの元気な雰囲気は消え失せており、真剣な顔つきでシンに問う。
「え?今の怒りじゃないのか?」
だが、シン自身も分かっていないため、答えを返すことが出来ない。
そのまま何も言えないでいると、教師の男がこちらに向かってきていた。何故かは知らないが大量の汗を流している。
「おいお前。名前はなんというんだ?」
教師の男は、急にそんなことを聞いてきた。
意図を理解出来ないまま、シンは答えると、
「そうか。災厄を超えし者を討伐したのはお前だったか。でなければ、さっきのような動きが出来る筈がない」
納得したように、取り敢えず、合格だ。と教師の男は言って、立ち去ろうとしたが、それを引き留めた者がいた。
「ちょっとそこの教師!さっきのくらい私も出来るんだからね!私もシンさんと同じ賞を貰ったんだから!」
ライトネルだ。
言い終わると同時に、雷を体に纏ったライトネルは、地面を蹴って、空中を高速移動してみせる。
教師の男を見ると、口と目を大きく開き、驚愕をあらわにしていた。
周りを見ると、バステトを除いた隊員も、なんだあれ!すげえ!といったように声を上げている。
この後、降りてきたライトネルの話を聞かなければならないと思うと、とても憂鬱な気分になるシンだった。
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