第 4 話 鎌倉幕府
元弘三年(一三三三年)三月、懐に千早城を抱く金剛山に遅い春が訪れた。山腹には薄紅色のあだ花がぽつぽつと見てとれる。
その麓に陣を布くのが幕府軍。楠木正成の知略によって有効な攻め手を失い、膠着状態に陥っていた。
軍奉行の長崎高貞は、千早城を十万の軍勢で取り囲み、ひたすら音を上げるのを待った。しかし、疲労の色を濃くしたのは幕府軍の方であった。
取次ぎの近習が、強張った顔で本陣に走り込む。
「ご、御注進。遠江入道殿が、兵庫助殿と口論の末、互いに刺し違えて果てたとのことでございます」
「な、何じゃと」
がたっと音を立てて、高貞が床几から立ち上がった。
遠江入道とは北条一門の名越宗教のことであり、兵庫助とはその甥である。
「いったい何があった」
「そ、それが、陣中で朝から酒を喰らい、兵庫助殿と双六をたしなんでいたようです。が、何でも賽の目のことで、違う、違わないと言い争いになり、互いに抜刀し、双方の郎党たちも巻き込んで刃傷におよんだとのこと」
「な、何と、馬鹿な……」
高貞は項垂れて、どがっと床几に腰を落とす。このところの士気の低下を案じていた矢先であった。
長引く戦は兵たちの意気を奪い、武将たちの苛立ちを誘った。それだけではない。兵糧攻めをしていたはずの幕府軍が、正成の策略によって逆に兵糧に窮する事態に陥っていた。千早の山奥で十万人の兵糧を調達するのは容易なことではない。高貞は頭を抱えた。
幕府軍とは逆に、千早城に籠る楠木軍の士気は高かった。大挙して押し寄せる幕府軍を、幾度となく追い払ったことが、自信となってあらわれていた。それは、幼いこどもらの士気までも上げる。
本丸(主郭)の裏手では、虎夜刃丸と従兄弟の明王丸が、多聞丸に剣術を教わっていた。二人とも数えの四歳。もちろん幼い二人ゆえ、剣術と呼べるものではない。
虎夜刃丸の前には、木の枝から吊り下げられた木切れがある。これを目掛けて、小さな木刀を降り下ろす。
「えい」
降り下ろした木刀は、吊り下げられた木切れに当たるが、それはあらぬ方向に飛んでいく。虎夜刃丸はそのつど、兄、多聞丸の顔色を窺った。
「違うぞ、虎。もっと真ん中を狙うのじゃ。明王丸を見よ」
隣では、明王丸も木切れを撃っている。木刀を木切れに当てると、吊り下げられた木切れは、こん、と小気味よい音を鳴らして手元から遠ざかり、再び目の前に戻ってくる。それを明王丸は、えいっと再び木刀で撃ち据えた。
虎夜刃丸は首を傾げる。自分も真ん中を撃っている。それでも明王丸のようにはいかない。同い年の従弟にできて、自分にできないことが不思議であった。
手を止めて、じっくりと明王丸の剣先を観察する。そして、はっと顔を上げる。
「よおし、もう一回」
そう声を上げ、再び、木切れに向かう。今度は、木切れが自分に向かって水平に向いた時を狙い、その真ん中を打ち据える。すると、こん、という音とともに、木切れは虎夜刃丸の元から遠ざかった。そして、真っすぐ戻ってきた木切れに向かって木刀を降り下ろす。もう一度、こん、という響きのよい音が鳴った。
虎夜刃丸は慎重な子である。理屈より先に身体が動く明王丸とは正反対。兎に角、よく観察して、よく考える子であった。
「よし、虎。よくやった」
兄に誉められた虎夜刃丸は、木刀を下ろし、にんまりと頬っぺたを揺らした。
「おお、虎夜刃丸殿は剣術の稽古か。結構なことじゃ」
その声に皆が振り返る。そこには小波多座の竹生大夫こと服部元成の姿があった。
えっと小声を漏らし、多聞丸が目をこする。
「元成殿ではありませぬか。幕府が取り囲む中、どうやってここへ……」
「なあに、野長瀬殿(盛忠)を頼って坑道を教えてもらい申した」
それは、兵糧を運び入れるために掘られた金剛山へと繋がる抜け穴のことであった。
「ところで、御父上(楠木正成)はどこにおられる。火急の用なのじゃが」
「叔父上たちと二の丸(二郭)に居るが……外で何かあったのじゃな。よし、わしが案内しよう」
多聞丸は虎夜刃丸らをそっちのけで、元成を父の元へと連れていく。残された虎夜刃丸と明王丸は、えぇーと、つまらなそうに顔を見合わせた。
楠木正成は、美木多正氏・楠木正季とともに、二の丸の備えを見て回っていた。そこに、多聞丸が服部元成を連れて揚々と現われる。
寄手の兵を掻い潜り、危険を冒して現れた元成に、正成は眉間に皺を寄せて訝しがる。
「元成ではないか。どうしたのじゃ」
「父上、大変なことが起きたみたいじゃ」
元成より早く、多聞丸がせわしげに応じた。
はっと息を呑み、正氏が気遣わしげに麓に目をやる。
「幕府軍の動きに何かあったか」
「いや、隠岐のことです。帝(後醍醐天皇)が隠岐の島を抜け出されましたぞ」
「何、本当か」
驚きの声を上げた正成は、二人の弟と顔を見合わせる。膠着状態のこの戦に、初めて出口の光を見る思いであった。
服部元成は楠木正成らに仔細を説明した後、多聞丸に連れられて本丸の陣屋に入った。その広間で、外界の世情に飢えた久子たちに取り囲まれる。今しがた、虎夜刃丸らも陣屋に戻ってきたところであった。
興奮気味に久子が元成に詰め寄る。
「本当に、主上(後醍醐天皇)が隠岐を抜け出されたのですか」
「はい、出雲に留め置いた、それがしの一座の者が、今朝、知らせて参りました。伯耆の名和殿に迎えられたとのことでございます」
名和とは、海運で財を蓄えた伯耆国の土豪、名和又太郎長年のことである。楠木とも海運を通じた縁があり、久子も名前くらいは知っている。
「それで、帝は今はどのように」
澄子が、身を乗り出して話の先を急がせた。
「伯耆の船上山にある神社を行宮(仮宮)として、ここから近隣の豪族へ、幕府討伐の御綸旨を下しているとのことです」
「ごりんじ……」
知らない言葉に、虎夜刃丸が皆の顔をぐるっと見渡す。母や兄たちの顔からして、よいことがあったということだけは判った。
「御綸旨とは帝の命を記した書状じゃ。近隣……つまり、伯耆や因幡、出雲の武士に宛てて、幕府を倒せと命じているのじゃ」
面倒見のよい多聞丸が説明するが、虎夜刃丸に仔細はわからない。首を傾げるその姿をよそに良子が詰め寄る。
「それで、幕府はどうしたのですか。帝を逃がしてしまったのでは、隠岐守護の面目は丸つぶれではないですか」
「いかにも。守護の佐々木清高は、船上山にすぐに兵を差し向けました……」
元成も興奮気味に話を続けた。
時は、少し遡った閏二月末、山陰の海に浮かぶ隠岐の島でのことである。
先帝(後醍醐天皇)の住まいは黒木御所と呼ばれ、製材していない木の皮がついたままの黒木で組まれた粗末な建物であった。
夜、その御所の前では焚火が赤々と燃え、五人の兵が先帝の監視に立っていた。
黒木御所から、酒の瓶子(酒器)をもって、蹌踉とした足取りで男が出てくる。お付きとして、島に一緒に流された公家、千種忠顕である。
「御上(後醍醐天皇)より差し入れでございます。一献いかがかな」
「これは千種様、珍しきことがあるものですな」
監視役の一人が、にこやかに瓶子を受け取った。
本来は敵味方のはずであるが、絶海の孤島という特殊な環境の中で、馴れ合いが生じていた。
「今宵は満月、月など愛でて、風流に過ごされるもよろしかろう……」
そう言って御所を一瞥する。
「……今日の御上は大そう機嫌がよい。この島に来てから御心は沈んでおられた。じゃが、今宵は女御殿とも楽しく過ごされておる。このような御上を見るのは久方ぶりじゃ」
「それはようございました。ではありがたく頂戴つかまつる」
瓶子を受け取った侍は、忠顕に向け、目を据えたままで笑みを返した。
「うむ、ごゆるりとなさるがよろしかろう」
忠顕は、見張りの兵たちに背を向けてから、不敵な笑いを浮かべた。
月が高く昇った頃、監視役の侍一人を残し、他の四人は酒を喰らって寝込んでしまった。
「ふん、よう寝ておるわ」
一人素面の侍の名は布志名三郎義綱。隠岐国の守護、佐々木清高の配下で、当番で先帝を見張る衛兵の頭であった。
「布志名殿」
影のように現れた千種忠顕が、後ろから小さく声をかけた。
「これは千種殿。皆、酔いが回って寝ております。夕餉に喰わせた忘れ草の浸しが良かったのでしょう。さ、今のうちにお発ちくだされ。舟は手配しております。三太郎と申す船頭です」
義綱は監視役として先帝と接するうちに、その不思議な魅力に取り付かれた一人である。自らが当番の日を選んで、先帝を逃がす手筈を整えていた。
「布志名殿、かたじけない。この恩は、必ず御返し致しますぞ」
そう言って義綱の肩に手を添えると、すぐさま、黒木御所に駆け戻った。
千種忠顕は御所の中に入ると、先帝の元でひざまづく。
「見張りの兵たちは眠っております。布志名殿が舟の手配をしてくれました。さ、早う、ここを発ちましょう」
「うむ」
頷いた先帝は、もう一人の側近である一条行房を従えて立ち上がる。続いて、着物の裾を端折った阿野廉子ら三人の女御たちも立ち上がった。
千種忠顕が先達する一行は、島の湊を目指した。先帝(後醍醐天皇)も自らの足で忠顕の後に続く。月あかりのもと、何とか海岸にたどり着くが、舟など見えぬ浜辺であった。
黒々とした大海を前にして、一条行房が不安に駆られる。
「千種殿、本当にこちらでよかったのか」
「ううむ……あそこの家を頼りましょう」
表情を固くして、忠顕は近くに見える粗末な漁師の小屋に走った。
そして、すぐに漁師を連れて戻ってくる。
「御上、申し訳ありませぬ。麿の不手際でございました。この者の話では、湊は別の場所とのこと」
その隣で、弥平という名の漁師が、地面に額を擦り付ける。島の者たちは、尊い帝を直視すると、目が瞑れると信じていた。
「お、お、恐れながら、三太郎の舟はここではねえですだ。少し離れたところです。あ、あ、案内しますで、わしの背にお乗りくだせえ」
先帝にどう接すればよいかわからず、弥平はとにかく精一杯の礼を尽くそうと、背負うことを申し出た。
しかし、先帝を名もなき漁師の背に載せるわけにもいかない。忠顕と行房はううむと腕を組んだ。
「うむ、よしなに頼むぞ」
二人の公家をよそに、先帝は、自ら進んでその背に負われる。忠顕と行房は顔を見合わせ、どちらともなく、まあよいかと頷き、後に続いた。
弥平の案内で、何とか一行は、船頭の三太郎が待つ湊に到着する。
「その方、世話になった。褒美を遣わせたいが、生憎、何も持っておらぬ。代わりにこれを与えよう……」
先帝は懐から丸い板に掘られた愛染明王像を取り出す。
「……朕が彫ったものじゃ」
「わ、わしにですか。へっ、へへえぇ」
弥平は先帝から明王像を受け取ると、両手で高く掲げたまま後ずさりして、そのままひれ伏した。
一先ず、最初の憂慮から解放された一行が、安堵の表情で舟に乗り込もうとする。しかし、ここでも問題が起こる。
「何、三人しか乗れぬじゃと……」
船頭の三太郎から話を聞いた千種忠顕が、新たな失態に表情を凍らせた。
すると、一条行房が、きっと口元を引き締めて進み出る。
「御上。であれば三位局様(阿野廉子)、千種殿とで先に行ってくだされ。私どもは別の舟を調達し、如何様にしても必ず、御上の元に参ります」
そう言って、無理に笑顔を繕った。
「すまん、行房。必ず後で会おうぞ」
先帝は、自らの生気を分け与えるかのように、力強く行房の手を握った。
一行を載せた帆舟は、対岸の出雲国を目指した。船頭の三太郎と水夫が一人だけの小さな舟である。
阿野廉子は、生乾きの魚臭に思わず衣の袖で鼻のあたりを覆う。千種忠顕は、不安を隠すように、船頭の後ろでじっと舟先を見つめている。そして、先帝(後醍醐天皇)は天命のままに、魚の干物が詰まった俵と一緒に波に揺られた。
突如、三太郎が叫ぶ。
「千種様(忠顕)、風が出てめいりましただ。海が荒れそうでごぜいます……」
雲が満月を隠し、あたりを暗闇が支配する。
「……これから舟が揺れますだ。皆で舟の中ほどに」
風の強まりとともに三太郎の声は徐々に大きくなった。
舟先の松明は闇夜に吸収され、互いの顔を見るのも難しい。
先帝は愛妾の廉子を手で探す。
「廉子、廉子はどこじゃ」
「御上、ここにおりまする。わらわは御上のそばを決して離れませぬ」
そう言って、廉子は先帝の手をぎゅっと掴んだ。
風が強くなり小雨も混じる。帆舟は大きく揺れはじめた。
すると、三太郎が悲壮な声を上げる。
「千種様、東に流されますだ。こりゃあ、無理じゃ」
「三太郎、無理というのはどういうことじゃ」
「はあ……出雲の十六島湊を目指しておりやしたが、風に押し戻されて、西に進めねえだ」
一行は出雲国造家を頼りに出雲国を目指していた。国造家は古代出雲を支配した出雲大社の司祭であり、いまだ、出雲国に大きな影響力を持っていた。
ちなみに、その出雲大社で、猿楽の興行を行ったのが小波多座である。竹生大夫こと服部元成と楠木晶子は、先帝を追って、この出雲大社に訪れた。その後、元成らは畿内に戻るも、一座の者を留め置き、国造家の伝を使って、隠岐の先帝の様子を窺っていた。
「こうなっては、出雲の東、伯耆の稲津浦にお連れしてえと思います」
「出雲国ではなく伯耆国……大丈夫なのじゃな」
「神仏にお祈りくだせえ」
黒々としたこの海と同じくらい不安げな忠顕に、帆の手綱を引く三太郎が声を張り上げた。
雨風はますます強くなる。舟は大河に落ちた木の葉のように翻弄された。
廉子は自らの唐衣を脱いで、先帝の頭の上から被せる。それでも、顔は雨に濡れ、自慢の髭から雨の雫が滴った。
都育ちの三人は生きた心地がしない。溜まりかねて、先帝が声を上げる。
「生き長らえるためには、生きる希望を持つことぞ。お前たちの願いは何じゃ。唱えてみよ。この先の願いを持っておれば、必ずや伯耆に着けよう。まずは朕じゃ。朕の願いは幕府を倒すことぞ。さ、次は忠顕じゃ。忠顕の願いは何ぞ」
「麿は……麿は万の大軍を率いる将に成りとうございます」
「わはは、腕白な忠顕の願いよのう。廉子はどうじゃ。願いを申してみよ」
「わらわは……」
言いかけて、廉子は口籠った。
「何じゃ、言えぬのか。お前は生きとうないのか。願いを持たぬ者は生き抜くことができぬぞ」
先帝の厳しい言葉に、廉子は意を決する。
「我が皇子を東宮とすることにございます」
一瞬、先帝と忠顕は沈黙する。
「そ、それは、口にしてはならぬこと」
忠顕が慌てるのも無理はなかった。
東宮とは皇太子のことで、次代の帝に成ることを意味していた。
「忠顕、廉子を責めてはならんぞ。朕がむりやり言わせたことじゃ。廉子、そうなるとよいのう。願いは持つものじゃ」
先帝の思いやりに、廉子は、この闇に消え入る思いでうつむいた。
先帝(後醍醐天皇)らの願いが通じたのか、帆舟は荒波を乗り越え、何とか伯耆国稲津浦に入る。
しかし、上陸したのは見知らぬ土地。ひとまず、三太郎が漁師小屋を見つけ、一行は身を隠した。
誰を頼ってよいかもわからない。誰彼なく名乗りを上げれば、幕府の役人に捕まる恐れがあった。
そうこうするうちに一日が過ぎ、幕府の探索が始まる。忠顕は一か八か、この地の豪族、名和氏を頼ることとした。非御家人の名和氏であれば、幕府との折り合いは悪かろうという判断である。
さっそく一行は名和の館を訪ねた。
まずは千種忠顕が三太郎を供に館の中に入る。都合良く、法事のために一族が集まっていた。
ずけずけと上がり込んだ忠顕は、ざわつく一同を前に、いきなり先帝への忠義を説く。この男は、歳若いが人並み外れた度胸を持ち合わせていた。
よれよれの狩衣を着た男の怜悧狡猾な話に、一同は騒然とする。だが、棟梁の名和長年はすぐに話を信じた。すでに幕府の役人が、先帝の行方を追っていることを知っていたからである。
正に晴天の霹靂であった。だが、その場で弟らと相談し、先帝を館に迎えることとした。
「そちが名和であるか。大儀である」
奥の座敷で先帝から直接声をかけられた名和長年は、ははっとひれ伏し、額を床に擦りつけた。
「長年。朕はそちしか頼りにする者がおらぬ。朕を助けてくれまいか」
先帝が我が名を口にしたことに、長年は高揚し、柄にもなく忠義の念が口を突く。
「こ、この長年、命に代えましても主上を御護り致します。このあたりは、それがしの領するところなれば、どうかお任せいただきとう存じます」
「合わかった。よしなに頼むぞ」
「はっ」
腹を括った長年は、法事で集まっていた一門一党に、兵を集めるよう命じた。
続いて、先帝の前に男たちを連れて来る。
「戦となればここは危のうございます。これより船上山に御動座いただきとう存じます。されど、急なことなれば、御輿も用意できておりませぬ……」
言いながら、連れてきた男たちに目配せする。
「……どうか、我が弟たちの背を輿と思うてお乗りくださいませ。さ、女御様(阿野廉子)も、千種様も、背にお乗りください」
弟たちが、背中を見せて片膝を付いた。促され、ここでも先帝は背中におぶられる。
船上山に登った先帝は、その山頂にあった神社の祠を行在所とする。そして、ここから近隣の武士や僧兵に、討幕の兵を挙げ、船上山に馳せ参じるよう綸旨を下した。
綸旨は『帝』として下したものである。ここに、いまだ自らが正当な帝であることを主張し、京にいる持明院統の帝(光厳天皇)の存在を否定した。
帝(後醍醐天皇)が隠岐を脱出したことは、隠岐国の守護、佐々木清高を青ざめさせた。
そして、名和党が兵を集めていると知り、守護館に一族郎党を集める。
「ええい、このままでは鎌倉に申し開きができぬ。何としても当家の力だけで、この失態を挽回するのじゃ」
隠岐佐々木勢は嵐の中を討って出て、船上山に立て籠る名和勢を激しく攻め立てた。
船上山には、未だ帝の援軍は集まっていなかった。麓から攻め上がる佐々木軍の気勢は、山頂の行在所まで聞こえ、帝らを不安にさせる。
「敵の様子はどうなのじゃ」
「はっ、およそ二百余ですが、続々と増えております。対して、名和の手勢はわずか五十。このままでは……」
千種忠顕が唇を噛むように答えると、阿野廉子が息を吐いて項垂れる。
「やっと、隠岐を抜け出たというに、このようなことに……御上におかれては、何とお労しいことか」
「廉子よ、弱音を吐くでない。朕はまだまだ諦めぬぞ。望みを持ちさえすれば、道は開かれるのじゃ」
帝の人並外れた気力は、廉子と忠顕の動揺を包み込んでも、まだ余りあるものであった。すると、徐々に風向きが変わり始める。
名和長年が、その瞳を輝かせ、行宮とした祠の外でひざまづく。
「御上、お喜びくだされ。近隣の武士どもが我が方へ加勢に参じました」
さらに、名和の郎党たちが次々に駆け込み、祠の外から声を上げる。
「御注進。大山寺からも僧兵がはせ参じ、佐々木勢を押し返しております」
「申し上げます、佐々木一族の塩冶殿(佐々木高貞)が、隠岐守護を見限り、我が方に味方しております」
次々に持ち込まれる報に、帝は拳に力が入る。
そして、長年の弟によって最後の報がもたらされる。
「さ、佐々木勢が撤退をはじめました」
帝とその傍らを一刻も離れようとしない廉子、そして千種忠顕の三人は、互いに顔を見合わせ、やっと安堵の表情を浮かべた。
三月、千早城攻めの一角を成す幕府御家人、新田氏の陣営。棟梁の義貞が床几に座り、したり顔で書状を広げているところに、舎弟、脇屋義助が戻ってくる。
「兄者、首尾はどうじゃった」
「うむ。小次郎、これを見ろ」
義助は手渡された書状を、立ったままに目を落とす。
「ま、まさに大塔宮様(護良親王)の、倒幕を命じた御令旨」
「今しがた高野から戻った義昌に託されたのじゃ」
隣には新田家執事の船田義昌と、重臣の篠塚重広が控えていた。義昌は義貞の有能な懐刀であるとともに、一騎当千の武者でもある。重広も重臣で、家臣随一の剛力無双の者であった。
「我らが願い、叶いましたな。して兄者、どのようにしてここを離れるか」
一人、腕を組む義助に、義貞はふっと口元を緩める。
「なあに、病気と称して帰ればよい」
「されど、兄者一人が病気になったぐらいで、関東に帰るというのは通りますまい」
「小次郎、もうわしらは幕府を気にする必要はない。怪しむのなら怪しむがよかろう。わしらがここで撤退しても、軍奉行殿(長崎高貞)は、われらを追いかけてまで討つことはできぬ」
悠々とした兄の口振りに、義助は訝しがる。そんな腹落ちしない弟を、義貞が、まずは床几に落ち着かせる。
「よいか、小次郎。膠着状態とはいえここは戦場。楠木が討って出ないとも限らん。されど、それよりも怖いのは御家人どもの猜疑心じゃ。城が落とせない寄手は、重苦しい気に満ち溢れておる。ここで東国へ戻ろうとする我らを高貞が誅殺すれば、千早城攻めに加わっている御家人たちには、幕府に対する疑念が生じるであろう。高貞はその程度のことはわかる男よ」
「なるほど。どうせ近いうちには我らの考えは露見する。確かに気にする必要はありませぬな」
納得する弟を尻目に、義貞が立ち上がる。
「重広、皆に撤退の支度をするよう伝えよ。兵たちには、総大将殿の下知で上野に戻ると伝えるのじゃ」
「畏まってござる。ではさっそく」
家臣の重広は、軽く頭を下げると、高揚した顔で陣を出ていった。
新田軍は素早く支度を整えると、次の日の朝早くには、東国を目指し、千早城攻めから離脱した。
船上山の勝利が千早城にもたらされる。これを受けて、楠木正成は本丸の陣屋に諸将を集めた。
景気よい出来事に、家宰の恩地左近満俊が、ほくほく顔で口火を切る。
「船上山で隠岐守護が敗れたとなると、次はどうなりましょうや。千早城を囲っている幕府軍にも動きが出るのではありますまいか」
正成に代わって、美木多正氏がううむと頷く。
「素直に考えれば千早城の幕府軍を割いて、山陰へ向かわせるかも知れぬな」
「兵糧があるとはいえ、あまりに長い籠城は兵たちの士気にかかわる。幕府の囲みが緩くなるのは我らとしては大助かりじゃ」
正成の義兄、和田高遠が、安堵の表情を浮かべた。
しかし、棟梁の正成は、皆の期待を裏切る。
「残念じゃが幕府の囲みは減らん。いや、減らぬように我らは動かねばならん」
「正成殿、それはどういうことでござるか」
与力衆の十市範高が首をひねった。
「帝(後醍醐天皇)の願いは討幕じゃ。その討幕は、幕府の大軍をいかにこの千早に引き付けることができるかで成否が決する。我らが幕府の大軍を引き付ければ引き付けるほどに、他に回す幕府の軍勢が手薄になるというもの。この千早から幕府軍が撤退せぬように、明日から揺さぶりをかける」
兄の話に、楠木正季が顔を上げ、小首を傾げる。
「揺さぶりとはどのような」
「城から討って出て、寄手を攪乱して城へ引き返す。幕府軍に、ここが戦場であることを思い出させてやるのじゃ」
これに、正氏がにやりと口角を上げる。
「ちょうど身体が鈍ってきておったところじゃ。よし、今宵、わしが兵を率いて幕府軍を驚かして来よう」
「では、明日はそれがしが参ろう」
範高も自ら出陣を申し出た。
この日の軍議は、日替わりで諸将が城から討って出ることで決した。
その日の夜、美木多正氏は百の兵を率いて、静かに千早城の麓へと降りる。
「よし、皆、矢先を燃やせ。火を喰らわせて幕府の者どもを驚かせてやるのじゃ」
闇夜に轟く正氏の下知で、楠木の百人がいっせいに火矢を放った。
すると、ぱっと空が明るくなり、寄手の頭上から星雨が降り注ぐ。前線に布陣していた幕府軍の一隊は、火矢を受けて陣幕が燃え上がった。
「うわ、楠木の夜襲じゃ」
中で寝ていた武将たちが驚いて飛び起きる。
「者ども、出合え、出合え」
将たちは、慌てて具足(甲冑)を纏うと、反撃に討って出る。
「城の麓に松明が見えるぞ。あそこを目掛けて矢を放て」
一隊を指揮する侍大将は、あかりに向けて兵を進ませた。しかし、反撃はまったくない。兵たちはその火を取り囲んで息を飲む。
「誰も居らぬではないか……」
楠木の兵たちはすでに撤退した後で、赤々と燃える松明だけが、あちらこちらに打ち捨てられていた。
その日から、楠木勢は城に立てこもるばかりでなく、昼に夜に、さまざまな手段を講じて、果敢に寄手を挑発した。
鎌倉の幕府は、船上山の戦いで隠岐守護の佐々木清高が敗れた事を受け、大軍を伯耆国へ送る必要に迫られていた。しかし、再び活発な動きを見せる千早城に、これを囲む討伐軍を動かすことはできない。そこで、新たな軍勢を鎌倉から山陰に送る事を決する。
総大将に選ばれたのは北条一族の名越高家と、外様ではあるが北条一門と姻戚関係を結んでいた清和源氏の名族、足利高氏であった。
東国を発った足利高氏は京の手前、近江国の鏡宿まで軍を進める。いったんこの地の西光寺に陣を張り兵馬を休めた。
冷気漂う食堂の中、高氏はあぐらを掻き、弟と向かい合う。
「直義、首尾よく伯耆におわす帝から綸旨を賜ったぞ。これで、我らも憂いなく六波羅を攻められる」
高氏は、綸旨を恭しく掲げてから直義に手渡した。
源頼朝の源家が途絶えた今、高氏は清和源氏の嫡流に最も近いと自負する自分が、北条の幕府を倒し、清和源氏を再興する決心を固めていた。
「兄者、まだ大事なことがあるぞ。六波羅攻めの一人として足利が加わるだけでは駄目じゃ。足利の指図の元、六波羅を滅ぼさなければ我らの大志は得られぬ」
度量の高氏に対して弟の直義は実務家である。大志を実現するための算段は、この男に掛かっていると言っても過言ではなかった。
「うむ、ではどうする」
「それにはこれが必要なのじゃ」
そう言って直義は綸旨を掲げる。
「兄者の名で、近隣諸国の反幕の豪族どもに密書を送りつけるのじゃ。帝より御綸旨を賜ったこの足利に与力せよと。そしてここが肝心じゃ。大望が果たされたその暁には、この足利がその方らの処遇を約束しようと」
「されど、伯耆の帝は、諸国の反幕の武士にも同様の綸旨を下しておろう」
何事にも素直な高氏は、直義の狙いがわからなかった。
「兄者、戦を知らぬ朝廷が、討幕に動いた諸国の武士を本当に遇することができると思うておるのか。武士というても名のある一門から悪党に至るまで数多おる。それらの者たちを朝廷は公平に処遇せねばならん。不安に思う武士とて出てくるであろう。かならずや武士を束ねる者が必要になる」
「なるほど。さすればこの足利の名と相まって、わしの元に武士が集まるということか。うむ、直義、お前の思うようにやってみよ」
「承知した、兄者。ではさっそく諸国の武士共に密書を送ろう」
直義はすぐに細川、桃井ら一門の者たちと謀り、諸国の武士に密書を送る算段を整えた。
山陰の伯耆国。船上山で隠岐守護の軍勢を破った帝(後醍醐天皇)の元には、在地、近隣諸国の豪族が続々と集まっていた。美作国の院庄で、帝を励ます漢詩を桜に刻んだ児島高徳もその一人である。また、隠岐で別れた側近の一条行房らも、何とか島を脱出し、合流していた。
帝は、いまだ船上山の山頂にある小さな神社にあった。名和党の郎党たちが守備する祠の中で、阿野廉子と二人の女御、千種忠顕と一条行房が身を寄せ合っていた。
続々と集まる武士たちに気をよくした帝が、手繰り寄せるように、忠顕を近くに招く。
「そちは将に成りたいと申したな。ならば朕がそちを左近衛中将に任ぜよう。この船上山に続々と集まってくる武士を率い、朕が京へ戻るための露払いを致すのじゃ」
左近衛中将とは、帝の警護を行う近衛府の次官である。
「ま、麿が……でございますか」
上ずった声で忠顕が顔を上げた。
「不服であるか」
「いえ、滅相もございませぬ。この上もなく光栄なこと。必ずや御上を京へお戻しするため、この伯耆から還御の道を開いて参りましょう」
「うむ、期待しておるぞ。それと、行房は蔵人頭に任じよう」
「は、謹んでお受け致します。御上のために身を粉にして務めまする」
蔵人頭とは、勅旨や上奏など帝の取次を行う蔵人の筆頭である。今更ではあるが、行房は帝の前で仰々しくひれ伏した。
左近衛中将に任ぜられた千種忠顕は、船上山から八百の兵を率いて京を目指して出陣する。楠木正成の千早城の戦いが諸国の反幕勢力を勢いづかせ、京を目指す忠顕の元に、続々と兵が集まった。
足利高氏の密書の一つが播磨国の豪族、赤松円心入道の元にも届けられていた。円心はすでに三か月前には播磨の苔縄城に挙兵して、摂津の摩耶城まで進んでいた。
陣屋の中で密書に目を通した円心は、不機嫌そうに顔を上げ、嫡男の赤松範資に向け、その密書を放り投げる。
「足利が寝返り、帝(後醍醐天皇)の元に参じるそうじゃ」
にこりともせず応じる円心の元には、範資の他に、山伏姿の赤松則祐もいた。護良親王より、円心の挙兵を助力するようにと帰されていた。
「父上、それはまことにござるか。足利殿がこちら側につけば一気に流れが変わりまするな。高野山の宮様も、さぞお喜びになられることでしょう」
無邪気に喜ぶ則祐に対して、書状を拾って読み終えた範資が、憮然とした表情を浮かべ、書状を差し出す。
「お前もこれを見てみよ」
兄から渡された密書に目を通した則祐は、あっと小声を漏らした。
「こ、これは、我らにも足利の指図に従えと申しているようなもの」
「左様。他の武士ならいざ知らず、早くからその方を大塔宮様の元に送り、この日を待っておった我ら赤松党にとっては片腹痛いわ」
円心は、息子たちの視線から顔を反らし、にくにくしそうに、ちっと舌を打った。
則祐が、密書から眉根を寄せた顔を上げる。
「ううむ、確かに足利は曲者じゃな。他の坂東武者とは違う……」
「三郎、我らが事を成しても、足利には用心せねばならん。宮様にも用心召されるよう伝えよ」
「わかり申した。で、父上はこれから如何様に」
「うむ、我らはこのまま山陽道を上洛し、諸将と謀って京の六波羅を討たんと思う。まずはこちらに向かう幕府軍の先陣を叩く」
「では、それがしもお供つかまつります」
則祐も剃髪頭で具足を纏い、京に進軍する円心に従った。
赤松軍は、摂津国の瀬川で六波羅の先鋒に勝利する。そして、その勢いに乗じて京に進軍し、いきなり六波羅に攻め込んだ。
「一番乗りは我が赤松党じゃ。者ども、続け」
馬上で張り上げた赤松円心の下知で、郎党たちが六波羅に雪崩れ込む。激しい戦闘になった。
しかし、兵力に勝る幕府軍に駆逐され、赤松軍は洛外の男山八幡まで命からがら撤退する羽目になる。
手負いの赤松党は、男山の麓に建つ寺に、一先ず腰を落ち着かせる。
「父上、さすがに我らの軍勢だけでは六波羅は落ちませぬ」
食堂の中で、嫡男の赤松範資は肩を落とした。
戦上手の円心ではあったが、所詮は播磨の田舎武士。統率のとれた武士団を数多擁する六波羅の幕府軍が、そう簡単に落ちるはずはなかった。
すると、三男の赤松則祐が、身を乗り出して円心に訴える。
「ここは、伯耆から京を目指しているという千種様(忠顕)の近衛軍に渡りを付け、同時に攻め入りましょう」
「むうぅ、それしかなさそうじゃ。うかうかしておれば、足利高氏に手柄を先取りされてしまう」
焦る円心は、伯耆から進軍する千種忠顕に向けて書状を送った。そして、近衛軍と連携すべく、淀を挟んだ山崎に陣を移した。
赤松円心の書状は使者を介して、丹波路を京へと進む左近衛中将、千種忠顕の元に届けられた。
伯耆から近衛軍に付き従う児島高徳が下馬して、馬上の忠顕に向けて書状を差し出す。
「中将様、播磨の赤松殿より書状にございます」
「何、円心からの書状じゃと」
馬を降りた忠顕が、書状を受け取り目を通す。すると、高徳の目の前で書状を丸め、ぽいと捨ててしまった。
「いかがなされましたか」
問いかけに、忠顕は憮然とした表情を返す。
「単独で六波羅に攻め込んでも勝てぬから、九日正午に時を合わせて攻め込もうと申してきた」
「よいお話ではありませぬか」
「何がよい話じゃ。播磨の悪党風情が麿に指図するとは何事じゃ。すでに我らは万を超える大軍となっておる。赤松の合力などなくとも、六波羅を落としてみせよう。円心は、ただ我らに頭を下げて加わればよいのじゃ」
高眉を歪ませて、忠顕はふんと鼻を鳴らした。
四月八日、丹波口から京に突入した千種忠顕は、赤松軍と連携することなく、その勢いをもって京の六波羅に馬を進めた。
入洛した忠顕に、児島高徳が馬を寄せる。
「中将様、先陣と搦手、如何いたしましょうや」
「搦手……何じゃそれは。一気に六波羅を攻め落とすのじゃ」
「いえ、戦の布陣をどのように致しましょうか」
「布陣など関係ない。皆で六波羅を取り囲んで、北条の探題を討ち取ればよいのじゃ。者ども、早う兵を進めよ」
戦をやったことのない者に、高徳の話は通じるものではなかった。
「者ども、麿に着いてくるがよい」
恐れ知らずの忠顕は、馬の歩みを速めた。
その無策振りに高徳は唖然とし、逆に馬の歩みが遅くなる。他の武士たちも互いに顔を見合わせて、ため息を漏らした。
数の多い近衛軍ではあったが、まともな布陣をとることもなく、勢いだけで六波羅に攻め込んでは、勝てるはずもない。やはり、ものの見事に六波羅軍に追い払われる。
この結果に高徳は、開いた口が塞がらないまま、撤退する軍勢に従った。
近衛軍は桂川を渡って、命からがら赤松円心の山崎の陣に逃げ込んだ。にもかかわらず千種忠顕は、悪びれることもなく堂々と陣幕の中に現れる。
その姿に気づいた円心は、息子たちに目配せし、頭を下げて上座を譲る。すると、忠顕は当たり前のように、その床几に腰を落とした。
「千種様でございましょうや」
「うむ」
頭を低くしてたずねる円心に、忠顕は言葉少なで顔を背けた。そこには、負け戦の気まずさもあった。
「あの……千種様でよろしいですか」
円心の念押しは、忠顕を苛立たせる。
「そうじゃ、苦しゅうない」
居丈高に言い放つ忠顕に、今度は円心の表情が消える。
「千種様、なぜ我らと合流せずに六波羅を討とうとされました。御味方がこうばらばらでは戦には勝てませぬぞ」
円心は、戦を知らない若い公家をたしなめた。
すると忠顕は、目を吊り上げて激昂する。
「麿に指図するのか。麿は左近衛中将、御上の軍を預かる身じゃ。六波羅は思うたより手強かったが、兵を集めて今度こそ押しつぶしてくれよう。その方は、麿の下知に従っておればよいのじゃ」
「いや、力任せに押し込んでも勝てませぬ。これまで戦をされたことがござるのか。御公家様の戦ごっこにお付き合いするのは御免こうむる」
権威を恐れぬ円心は、頭から厳しい言葉を浴びせた。
これに忠顕は、顔を真っ赤にして立ち上がる。
「おのれ、悪党風情が何と申した……このことは決して忘れんぞ」
忠顕は床几を蹴り倒して赤松の陣を後にした。
そして、山崎を離れ、桂川を挟んで目と鼻の先、円心が初めに陣を敷いた男山八幡に布陣する。
他にも反乱勢力の鎮圧で上洛していた結城親光が、幕府に反旗を翻して洛外にあった。親光は、陸奥国白河の御家人、結城宗広の次男である。
六波羅攻めの軍勢は着実に数を増やしていく。しかし、その軍勢には求心力というものが欠如していた。統率を欠いた諸将は、てんでばらばらに六波羅を攻めようとしていた。
一方、幕府の六波羅探題は、反乱鎮圧のため、東国から上洛した名越高家の軍勢を、さっそく山陽道に向かわせる。さらに、到着した足利高氏の軍勢を山陰道に遣わせて、ともに船上山へと進軍を命じた。
高氏はすでに討幕の意思を固めていた。だが、山陽道を任された高家の軍勢が京を離れる機会を待つため、支度に時をかけていた。
四月二十七日、幕府軍の総大将、名越高家が京の六波羅を発った。対して赤松円心は、山崎の陣を引き払い、久我畷に出て名越軍を誘う。
久我畷は田が広がり、道といえば畦道しかないようなところである。名越勢は大軍ゆえに田に騎馬を入れるしかない。しかし、田植え前、水を引き込んだ水田に馬の足を取られる。
敵の足を封じた円心だが、兵力は名越軍が比べるまでもなく圧倒している。策を弄しても、赤松軍にとっては、所詮、無謀な戦であった。
父、円心のもとで弓矢をとって戦っていた三男、赤松則祐は、佐用範家らを率い、敵の側面に回り込む。
「見よ、あの赤い出で立ちは総大将に相違ない。皆の者、あやつを射るのじゃ」
範家の一隊は他の武将には目もくれず、いっせいに総大将の名越高家に向け、雨のように矢を射かけた。
すると高家が馬上からぐらりと落ちる。その眉間には一本の矢が突き刺さっていた。
幕府軍にとってはまさかの事態である。大軍を率いる北条一門の総大将が、たかが播磨の一土豪に討ち取られたのであった。
この知らせは、すぐに京の探題、北条仲時の元にもたらされる。
「何と、早々に名越殿が久我畷で討死じゃと……」
六波羅の面々は仰天した。しかし、仲時にとって本当の大仰天はこれからであった。
四月二十九日、北条仲時の命で京から山陰道へ向かった足利高氏は、丹波国の篠村八幡宮で進軍を止め、兵を留め置いた。
「皆の者、御館様から話がある。よう聞け」
足利家の執事、高師直の低い声が、地を這うように響き渡った。
高氏が社殿に上がり、手にした書状を両手で恭しく掲げる。
「見よ、伯耆の帝(後醍醐天皇)からいただいた御綸旨である。我らは帝の思し召しに従い、京へとって返して六波羅を討つ。この高氏とともに、清和源氏の再興を願う者は我に従え。我らが源氏の氏神である八幡大菩薩の御加護を受けて、勝利は必至じゃ。されど、幕府に恩義を感じる者は我が軍から去るがよい。咎めはせぬぞ」
高氏の話に、何も聞かされていなかった兵たちは、雑然として互いの顔を見合わせた。
足利の分国、三河国から付き従った細川頼春が、手はず通りに進み出る。
「何の、北条に恩義を持つ者など、ここに居ようはずはありませぬ。何があろうと我ら家臣は、御館様と一緒でございます」
これを合図に一同が口を開く。
「北条討伐じゃ」
「源氏の力を見せる時じゃ」
高氏の寝返りは、六波羅を恐怖に陥れ、宮方に勢いをもたらした。まさにここに、六波羅攻めの軍勢に不足していた、求心力が生まれた瞬間であった。
所は変わり、ここは虎夜刃丸らが立て籠る千早城の本丸。同じ年の従兄弟、明王丸が、櫓の下から虎夜刃丸を、はらはらと窺う。
「虎っ。大丈夫か」
「明王……」
その声は震えている。櫓に登る梯子の途中で足がすくみ、先にも行けず、降りることもできなくなっていた。
明王丸は何事にも物怖じしない腕白な子。対して虎夜刃丸は初めてのことには慎重で、無鉄砲なことはできない。にもかかわらず、櫓に登ろうと話を持ちかけたのは、虎夜刃丸の方であった。
「虎、母者を呼んでくる」
明王丸は、血相を変えて本丸の陣屋に入り、二人の母、久子と良子の手を引いた。これに、何事かと母たちは急いで外に飛び出した。
久子の目に留まったのは、櫓の中ほどに蒼い顔で震える我が子の姿である。
「と、虎夜刃丸。ゆっくりと……ゆっくりと降りてくるのです」
驚かさないよう、至って平常なもの言いで、言葉をかけた。しかし、虎夜刃丸は小刻みに震えながら首を横に振るばかり。とても、自力で降りてくる様子はない。
「母上、わしに任せて」
言うや否や、騒ぎに駆け付けた多聞丸が、櫓の梯子をよじ登った。そして、覆い被さるように虎夜刃丸の後ろに張り付く。
幼い弟は梯子にしがみ付き、泣くのを我慢して歯を食いしばっていた。
「虎、母上が心配しておるぞ。何をしておったのじゃ」
「だって……ばくふの顔を見たかったから……」
「幕府の顔を……幕府に顔があると思うておったのか」
背を向けたまま、虎夜刃丸はこくりと小さく頷いた。幕府を化け猫か何かの類いだと思っていた。
これを聞いて多聞丸はくすっと笑う。
「よし、なら、わしと一緒に、幕府の顔を見に行こう」
多聞丸は弟を櫓の上に誘った。
すると、虎夜刃丸は強張った表情で頷き、横木を握る手に力を入れた。
「わしがこうしておれば下は見えぬであろう。下を見ずに、上だけ見て登るのじゃ。ほれ、こっちの手、そっちの足、そっちの手、こっちの足。そうじゃ、ゆっくりと上るのじゃ」
声をかけられながら、ついに櫓の上にたどり着いた。
「兄者っ、うえぇーん……」
虎夜刃丸は多聞丸に抱き付き、それまで我慢していた分を合わせて泣きだした。
「虎。幕府の顔を見るのであろう。ほら、あそこじゃ」
ひっくひっくと息を詰まらせながら、虎夜刃丸は顔を上げ、兄が指さす方に目を向ける。そこには、米粒ほどに小さい人影が、米櫃からこぼれたように散らばっていた。
「ばくふはいっぱい居るのか」
「虎、あの者どもは、我らと同じ人なのじゃ。人がいっぱい集まって、幕府と名乗っておる。だから、幕府に顔はない。顔があるのは一人ひとりの人よ」
「ばくふは悪者でしょ。じゃあ、あの人たちは悪い人なの」
幼子の単刀直入な問いに、多聞丸は苦笑する。
「ううむ、それはわしもわからんが……幕府は敵じゃが、一人ひとりはきっと我らと変わらぬと思うぞ」
虎夜刃丸には理解できなかった。ただ、善か悪かは曖昧なものということだけ、心に深く残った。
「兄者、幕府はなぜ帰っておるのか」
「帰る……」
指差す方向に目をやる。飛び込んだのは、後方から撤退を始める敵兵たちの姿であった。
「ほんとじゃ。なぜ幕府軍は撤退をはじめたのじゃ」
そのありさまを、多聞丸は勃然と見つめた。
幕府軍の撤退は、二の丸の楠木正成・正季兄弟も気づいていた。
櫓の上で正季が、隣の正成に向けて首を傾げる。
「三郎兄者、なぜ幕府は撤退をはじめたのじゃ」
「うむ、あの浮足立った様子、もしかすると、京の六波羅で何かあったのかも知れん」
「何かというと……六波羅を守るため、軍を京に移すという事か」
「いや、もしかすると、すでに六波羅は落ちたのやも知れぬ」
「六波羅が落ちたと……まさか」
大胆な兄の予測に、正季はからからと笑った。
しかし、楠木正成の予想は当たっていた。
遡ること数日前、丹波国の篠村八幡宮で討幕の旗を上げた足利高氏は、反転、京を目指して進軍した。
幕府の有力御家人で、清和源氏の筆頭ともいえる高氏は、悪党とも陰口を叩かれる小豪族の赤松円心とは異なる。筋目のよい高氏の元には、丹波、摂津、山城から大勢の武士が馳せ参じた。あらかじめ畿内の豪族に送った密書の効果もあった。
五月七日、洛中に入った足利軍と幕府六波羅軍との間で戦が始まった。これに呼応するように、南からは、名越高家を破って勢いに乗る赤松円心と、男山八幡で体制を整えた千種忠顕、さらに幕府を裏切った結城親光らが京へ突入した。加えて西からは、高氏に呼応した佐々木道誉が、近江の兵を率いて京へ攻め入った。
討幕の軍勢が四方から京へ攻め込むが、さすがに幕府にとって京の要である六波羅軍を、簡単に打ち破ることはできない。洛中で熾烈な戦が繰り広げられた。
しかし、時が経つと、勝敗は徐々に見えてくる。高氏ら宮方は、次から次へと新手の援軍を受けて六波羅軍を取り囲む。逆に六波羅軍は徐々に精彩を欠いていった。
馬上から指揮を採る足利高氏が、執事の高師直を馬ごと呼び寄せる。
「道誉に使いを出せ。六波羅軍が東へ逃げられるよう、近江口を開けるようにと」
「逃がすのですか……御館様(高氏)、いったい、どのようなお考えで」
不可解な面持ちで、師直は主人の口元を注視した。
「六波羅軍はこれが最後の戦と必死じゃ。これを殲滅せんと討ち入れば、こちらも被害は免れぬ。東に口を開けておけば、逃げ出す奴も出てくる。さらに残った者もそれを見て戦意が落ちよう。さ、早う使いを出せ」
「承知つかまつった。それがしが使いになり申す」
「うむ、任せたぞ、師直」
師直は、そのまま、道誉の元に馬を走らせた。
足利高氏の狙いは的を射ていた。六波羅軍からは近江口へ逃げる者が続出し、一気に戦意を喪失する。
ついに探題北方の北条仲時と、探題南方の北条時益は、申し合わせて京を後にする。
両探題の軍勢は、幕府が擁立した持明院統の帝(光厳天皇)と上皇(花園上皇)を奉じて鎌倉を目指した。
しかし、京を逃れて早々、落ち目の六波羅軍に野伏が襲い掛かる。探題南方の時益は、この時、無念の最期を遂げた。
その翌日、探題北方の仲時は、幕府を裏切った佐々木道誉にゆく手を阻まれる。そこを再び野伏に襲われてしまう。
そして、五月九日。もはやこれまでと観念した仲時は意を決する。一緒に連れて逃げた持明院統の帝と上皇の玉輦(天皇の御輿)を、護衛を付けて京へ送った。
そして、自らは近江国、蓮華寺の本堂前で一族四百三十二人とともに自刃した。その中には、隠岐守護の佐々木清高や、かつて六波羅の軍奉行であった隅田通治と高橋宗康の姿もあった。
ここに、幕府の京の要である六波羅は滅亡する。
その前日の五月八日。関東でも一大事が起きていた。千早城攻めから抜け出して関東に戻った新田義貞が、上野国で挙兵したのだ。奇しくも足利高氏と時を同じくして、反幕勢力を糾合して鎌倉へ侵攻した。
利根川を渡って武蔵国に入ろうというところで、小規模な一軍が寄せてくる。そこから義貞の元に一人の騎馬武者が遣わされた。
使者は下馬して、馬上の義貞に片ひざ付いて礼を尽くす。
「新田殿、我らは足利治部大輔(高氏)の御曹司、千寿王殿を戴く足利の家臣でございます。此度の新田殿の義挙に際し、一軍として加えていただきたいと存じ、こうして参じました」
「おお、足利殿の御嫡男か。これは心強いのう」
義貞も馬を降り、使者を労って千寿王の元に戻した。
その後姿を見送りながら、舎弟の脇屋義助がふふっと表情を緩める。
「兄者、千寿王殿を従えて、鎌倉に勝てば、我らこそが源氏の棟梁と世に知らしめることができまするな」
「うむ、小次郎の言う通りじゃ。今は少しでも我が方に加わる御味方がほしいところ。これが弾みとなって、武蔵でも大勢が加わることを祈ろうぞ」
義貞が率いる討幕軍は、武蔵国入間郡の小手差原で幕府の鎮圧軍に勝利する。だが、同国多摩郡の分倍河原では、新手の鎮圧軍に敗れて退却した。
しかし、大多和義勝が率いる三浦勢六千騎が、新田の援軍として駆け付けると、多摩川を越えた関戸で再び幕府の鎮圧軍と合戦し、これを撃破する。
五月二十一日、勢いに乗じた新田義貞は、討幕で参集した軍勢を率いて鎌倉に討ち入った。三方から鎌倉へ突入する討幕軍であったが、さすがに幕府の拠点、鎌倉は容易に侵入を許さない。結局、討幕軍は、三方いずれの防衛線をも突破することはできなかった。
その日の夕刻、新田義貞が率いる軍勢は鎌倉の西、七里ヶ浜にあった。その浜と鎌倉は稲村ヶ崎によって遮られていた。
義貞は七里ヶ浜の側から、海に突き出る稲村ヶ崎の切り立つ崖を、恨めしそうに見つめる。
「沖には幕府の船団がおる。海を渡ることは難しい。陸路、崎を登って鎌倉に入るか、浜を進んで鎌倉に入るか、さて……」
思案する義貞の隣で、執事の船田義昌が異議を唱える。
「御館様、問題は馬です。馬がなければ鎌倉に勝つことは敵いませぬ。稲村ヶ崎を登って越えれば馬を置いて行かねばなりませぬ。一方、稲村ヶ崎の沖にも幾重にも逆茂木が置かれ、たとえ干上がっても馬では入れませぬ」
「うむ、わかっておる。されど、浜に設けられた逆茂木の、さらに沖を馬で突破することはできぬのであろうか。潮の満ち引きはどのようになっておるのじゃ」
少しでも可能性を探る義貞に、重臣の篠塚重広が、申し訳なさそうに進み出る。
「地元の者の話では今が大潮。潮が最も引くのは今宵未明とのことでございます。されど、大潮で干上がった浜にも、累々と逆茂木は設けらていると漁師が申しておりました」
万策尽きた感で、義貞が口端から息を漏らす。
「ふうぅ、そうか……何でもよい、何か他に聞けたことはないか」
「はい……あの……」
言いかけて、重広が口ごもる。
「遠慮は要らぬ。何でも言うがよい」
「はっ。偏屈な漁師の爺と会いまして。今日はいつもの潮の流れとは違うと言うておりました」
「それは真か」
「い、いや、それがどうも、信じるに値しない話かと。その爺は地元の漁師からも相手にされていないようで」
興味を示す義貞に、重広は申し訳なさそうに目を伏せた。
「いや、会うてみよう。馬に載せて連れて参れ」
「よろしいので……はっ、ではただちに」
恐縮至極も、重広は馬を走らせた。
半刻の後、篠塚重広は一人の老人を連れて新田義貞の元に戻ってきた。すでに日は沈み、討幕軍の焚火が点々と浜を照らしている。
みすぼらしい腰蓑を付けたままの老人を、重広が馬から降ろし、義貞の前に座らせた。
色黒い顔が焚火で赤々と照らされる。藁をもすがる思いで、義貞は老人に向き合う。
「急に連れて来て申し訳ない。聞きたいことがある。今日はいつもの潮の流れと違うというのは本当か」
「ああ。別に信じてもらおうと思うて言うたのではねえ。言えというから思うたことを言うただけじゃ」
ふてくされた態度で老人は答えた。
「いつもとどう違うのじゃ」
「いつもの大潮より潮の引きが速かった。こういう時は干潟も多く現れる」
「なぜ、そのようなことが言えるのじゃ」
「長く生きておれば、いろんなことを見て来ておる。月の満ち欠けを無視して潮が寄せ引きすることもある。大地が震えた後などは特にそうじゃ」
老人の言葉に義貞の目が輝く。最近、地震が続いていることを思い出したからであった。
義貞は腹を括る。
「駄目であったら別の手立てを考えればよいだけじゃ。わしは、爺さんの言う事を信じることにしよう」
「御館様(義貞)、よいのでございますか。そのようなことを」
執事の船田義昌は信用できないと言わんばかりである。
「一か八かじゃ。重広、兵たちに出陣の用意をさせよ。未明には出陣する。よいな」
「はっ」
重広は頭を下げて兵たちの元へ走った。
「爺さん、ありがとう。正直、半信半疑じゃがな」
老人がふんと横を向く中、義貞はすくっと立ち上がり、満月を見上げた。
その日の未明、兵たちは出陣の用意を整えてその時を待った。
新田義貞は、船田義昌や篠塚重広をはじめとする家臣らを背に、一人、波打ち際の岩場によじ登った。そして、腰の太刀を鞘ごと抜いて、両手で持ち直し、恭しく頭の上に掲げる。
「南無八幡大菩薩、我のために、道を開き給え」
そう唱えてから海に投げ入れた。
太刀は海の闇に消えていく。
「この太刀は、我が新田家に伝わる清和源氏嫡流の証。じゃが、わしはこの太刀に頼らなくとも清和源氏の嫡流をこの手で掴もうぞ」
そう言ってから、海に向かって義貞は手を合わせた。
大潮の時刻を過ぎ、新田義貞と郎党たちは息を呑んで海を見つめた。
「潮が引いているのではないか……」
重広が声を上げた。老人の言うことは本当であった。太刀を海に捧げてから半刻の後、大潮で引いた海がさらに引き、義貞らの前に新たな浜が現われる。
「奇跡じゃ……これこそ、天が我らに味方している証じゃ。我らが負けることはありえぬぞ。この浜を進み、一気に鎌倉を落とすのじゃ」
潮が引いた浜から義貞が率いる討幕軍は鎌倉へ攻め入った。
鎌倉の幕府軍は、海岸線からの敵の侵攻に、慌てて兵を集めて防戦する。だが、逆に山手の防戦が手薄になり、今度は義貞の舎弟、脇屋義助が率いる軍勢が鎌倉への侵入に成功した。
翌、二十二日、防戦する幕府方は、かつての赤坂城攻めの総大将、大仏貞直が軍勢を率い、新田軍と激しくぶつかった。だが、奮戦むなしく、力尽きて討死する。
他にも金沢貞将や普恩寺基時ら北条一門が次々と命を落とした。
「目指すは高時の首ぞ、いざ」
新田義貞は兵を鼓舞して北条の本陣へ迫った。
目指す得宗家(北条惣領家)の北条高時は、将軍でもなければ、それを補佐する執権でもない。鎌倉幕府は傀儡を介して二重、三重の権力構造にあった。
実権のない守邦親王を征夷大将軍に戴き、当節の執権は北条一門の赤橋守時であった。だが、守時は、かつての執権、高時の傀儡でしかない。この十八日に討幕軍の防戦に出陣し、既に討死していた。
幕府最高権力者の高時であるが、その高時でさえも、傀儡といえなくもない。実際に幕府の諸事を差配しているのは北条得宗家の御内人(北条家直参)筆頭、内管領(北条家執事)の長崎円喜であった。その円喜もすでに老齢で、内管領職を嫡男の長崎高資に譲っていた。
その高時と高資を追い詰めるように、新田を中心とする討幕軍が迫る。
その勢いに、北条一門と家臣、合わせて千余人は、葛西ヶ谷に建つ北条氏の氏寺、東勝寺へと退いた。
五月二十三日、京の六波羅滅亡を受け、帝(後醍醐天皇)は名和長年らに供奉されて、京への還幸を果すため、伯耆国の船上山を発った。
着の身、着のままに隠岐を脱出した帝であった。だが、還幸にあたり、長年は自らの財を投げ打つ。
帝や女御たちの召し物や御輿、さらに担ぎ手や近衛兵の衣装など、行列の一式を取り揃えた。長年は地方武士の枠を超え、海運で財を成す商人でもあった。
この長年の忠義に、帝は大そう喜んだ。
還幸の途上、蔵人頭の一条行房が、帝の輿に駆け寄る。
「お、御上、申し上げます」
すでに行房の声は震えていた。
帝は御輿を輿止めに降ろさせ、御簾を手繰り上げる。
「いかがした、行房」
「去る五月二十二日のことでございます。東国の源氏、新田義貞が率いた軍勢が鎌倉に侵攻し、鎌倉を制圧したとのことにございます」
「鎌倉が落ちたというのか……高時はいかがした」
「得宗高時、内管領の長崎高資らおよそ三百の北条一門と家臣は、追い詰められた寺で火を放ち、自害して果てたとのこと。鎌倉の幕府は……幕府は滅びたとのことでございます」
東勝寺で自害して果てたのは、高時、高資の他、金沢貞顕、安達時顕、さらに真の権力者とも囁かれた長崎円喜ら一族・家臣、二百八十三人であった。
そして、名目だけとはいえ征夷大将軍であった守邦親王は、将軍職を退いて出家した。ここに名実ともに鎌倉幕府は滅亡したのであった。
行房の報告に、帝は御輿の中で暫し無言となる。そして、
「……そうか、大儀じゃ……」
言葉少なに御簾を降ろした。
帝位に着き、幕府討伐を決意してから、すでに十五年の歳月が過ぎていた。二度の討幕計画の発覚と笠置山への出奔。そして挙兵するものの敗北し、とうとう隠岐に配流の憂き目となった。幾度も苦渋を味わったが、内なる炎は消えることはなく、ついに、奇跡ともいえる討幕を実現したのである。
帝は記憶を手繰り終えると、静かに息を吐き、目頭を押さえた。
千早城の本丸(主郭)に建つ陣屋。虎夜刃丸らの前に、楠木正成が小波多座の服部元成を伴って現れた。
いつになく穏やかな顔をしている。
その表情に、久子の鼓動は高まる。
「何かございましたか……」
「ついに鎌倉の得宗、北条高時が自害したそうじゃ」
「そ、それは、もしや……」
「そうじゃ、幕府は滅んだ」
正成の言葉に、久子はわっと両手で顔を押さえた。
この時がくることを願いつつ、それは夢のようなものだと思っていた。ただ、夫の言葉のみを信じて今日があった。
多聞丸と持王丸は、父の話に目を丸くして顔を見合わせる。
「あ、兄者、やったぞ」
「ああ、やった……ついに、この時が」
二人は夢見心地に手を取り合った。
その隣では、従兄弟の満仁王丸が明王丸と飛び跳ねる。
虎夜刃丸も、兄たちに釣られて喜びが湧き上がり、明王丸の後に付いて飛び跳ねた。ただ幕府に勝つというのは、具体的にはどういうことかはわからない。兄の多聞丸が言ったように、人が集まって幕府があるのなら、なくなっても、また人が集まれば幕府になるのではないか。小さな疑問が心の中に渦巻いていた。
翌日、虎夜刃丸ら三兄弟は、父、楠木正成に連れられて、幕府軍の陣跡に一番近い四の丸(四郭)に来ていた。すでに千早城を取り巻く寄手の兵は、誰ひとり残っていなかった。
「ここで大勢の者が亡くなった。身方も多く者を亡くし、寄手はそれ以上に多くの命が失われた。こうして敵味方として戦ったが、これも武門の習いじゃ。人を憎んで戦ったのではない。敵を慈しんでこそ、真の大将ぞ」
「はい、肝に命じます」
多聞丸と持王丸は、声を揃えて力強く返事をした。
「わしもわかった」
虎夜刃丸も兄たちに続いて大きな声を上げた。
「亡くなった者たちは、敵も味方も丁重に弔ってやろう」
正成が麓の陣跡に向けて手を合わせると、多聞丸、持王丸、そして虎夜刃丸の三人も、静かに手を合わせた。
後に、正成は亡くなった者たちのために、身方塚と寄手塚という二つの供養塔を建立する。身方より遥かに大勢が討死した幕府兵のために、寄手塚をより大きなものとする。正成らしい計らいであった。