第46話 明徳の乱
元中八年(一三九一年)に入ると、京の室町第、花の御所では、細川頼之の幕政復帰は規定のこととして扱われていた。
この年の桜も散った三月初め、頼之の復帰に憤懣やるかたない幕府管領の斯波義将は、決意を固めて将軍、足利義満の元に参じた。そして、ますます威厳を備えたかに見える義満を前に、仰々しく平伏す。
「御所様(義満)、常久殿(頼之)の幕政復帰について、少々考える処がございます。それがしは管領職を返上し、領国越前に戻りたいと存じます。細川殿とて、それがしがここに居っては困るでしょう」
ささやかな駆け引きでもあった。決意を秘めた義将の突然の職務返上だが、義満は眉ひとつ動かさない。
「そうか、義将が居らんようになると寂しいが、そなたもよくよく考えてのことであろう。しばらく越前でゆるりとするがよい」
引き留める様子をいっさい見せない義満に、義将は落胆し、深く頭を垂れて部屋を下がった。
その斯波義将を管領に押した大方禅尼(渋川幸子)は、足利義満が将軍として力をつけると、自らの役割は終わったとばかりに、政の表舞台を降りる。義将は、今さら禅尼に頼ることも出来なかった。
三月十二日、ついに義将は越前に去った。管領を辞任したのは、政所執事の伊勢照禅(貞継)のこともある。高齢であった照禅は、数ヵ月ほど前から体調の不良を訴え、花の御所に出仕していなかった。頼之に対して態度を同じくする照禅の支えがなくなったことも、義将が覚悟を決めざるを得なかった一因である。
三月二十九日、その照禅が亡くなる。八十三歳の高齢であった。義満は、身内のように接してきた傳役、照禅の死をおおいに嘆いた。
政所執事の後任には、義満の近習、伊勢貞行が就任する。貞行の父、伊勢貞信は照禅の甥で、養子となって伊勢嫡流家を継いでいた。つまり貞行は、義理ではあるが、照禅の嫡孫であった。
そして、翌四月三日、義将と照禅の居なくなった京に、入れ替わるように細川頼之が入洛する。
賀名生の楠木屋敷。舎弟の楠木正顕が訪れて、津田正信とともに正儀の前に座る。
「兄者(正儀)、何かあったのか」
「摂津守護の細川頼元殿が幕府管領を任じられた」
顎を撫でながら、正顕はなるほどと頷く。
「やはり、九郎(楠木正秀)が申していた通り、常久殿(細川頼之)は表に出ることを躊躇されたのじゃな」
「なあに、表に出ぬだけで、実質的な管領は常久殿で間違いなかろう。これで、和睦に向けて、一気に話が進むというものじゃ」
「それで、兄者(正儀)はいつ、常久殿に会われるのか」
「十三(服部成儀)に命じて使いを差し向けた。その返事を待ってからじゃ。ここまで来て、焦っても仕方がない」
そうは言うものの、正儀は一日千秋の思いでこの時を待っていた。正顕も、そんな兄の気持ちをよくわかっていた。
「兄者、細川殿は信用に足る男とは思うが、やはり幕府の者じゃ。どこで会うことになるかは知らぬが、くれぐれも油断召さらぬように」
「うむ、四郎の言葉、しかと肝に銘じておこう」
「叔父上(正顕)、それがしも付いております。腕の立つものも連れて参りますので、どうか御安堵くだされ」
頼もしくなった正信の言葉に、正顕も頬を緩めて頷いた。
正儀が細川頼之と会ったのは、上洛が一段落した翌五月のことである。摂津国の渡辺左馬允与が密会の場所として、自らの館を提供した。
待ち受けていたのは頼之と、その弟で幕府管領の細川頼元、さらにこの館の主である与であった。だが、先代、渡辺択の姿は、すでにこの世にはなかった。
館の外に設けられた遠侍に手勢を残し、正儀は、津田正信一人を伴う。
「常久殿(頼之)、此度は、幕政へのご復帰、まことにおめでとうござる。またこうしてお会いできると信じておりました」
二人が会うのは、頼之が父、頼春の三十三回忌法要で上洛した時以来である。すでに七年が経つ。正儀は、胸の奥から熱いものが込み上げていた。
感慨深げに、頼之も応じる。
「正儀殿、長らくお待たせし、まことにすまなかった。されど、南主(後亀山天皇)を御支えし、よくぞ、持ちこたえられましたな」
再会を、頼之も心から喜んでいた。
正儀が、隣の頼元にも目を配る。
「大夫殿(頼元)、此度の管領御就任、まことに、祝着至極に存ずる」
「いやいや、兄(頼之)が表に立つのをためらったので、それがしは単なる身代わりでございますよ」
照れ笑いを浮かべた頼元は、頼之の歳の離れた弟で、子のない頼之が養子としていた。頼之が管領にならないのは、自身が矢面に立たない方が、諸将や将軍との間が上手くいくとの算段からである。だが、それだけでもない。自身が目の黒いうちに頼元を管領とすることで、次代の細川惣領家を盤石にする狙いもあった。
「正儀殿は、南方の参議。公卿の御身分でございましたな。我らとしても話を通しやすいというもの」
頼元の言葉に他意はないと思われるが、没落した南朝の中での公卿という立場に、正儀は静かに苦笑する。
「正直、この時を待っておりました。朝廷(南朝)はそれがしが取り纏めますゆえ、何卒、和睦の交渉開始を、将軍(足利義満)へ奏上いただけますよう、よしなにお願い致します」
「正儀殿、わかっております。御所様(義満)の機嫌のよい時を見計らって、それがしから奏上致しましょう」
しかし、すかさず頼元が頼之に釘を差す。
「兄上(頼之)、その前に、我らはやらねばならぬことがある。正儀殿には悪いが、こちらの方が先であろう」
「先と申されるのは……」
小首を傾げた正儀に、頼之は一旦、頼元に目をやってから話し始める。
「正儀殿、ここだけの話であるが……」
「兄上(頼之)っ」
口を開いた頼之を、頼元が慌てて止めた。
「頼元、よいのじゃ。正儀殿はすでに見抜いておろう。山名のことじゃ」
「やはり、山名氏清を討つのでございますな。氏清を但馬守護に任じたのも、その後の算段があってのことと思うておりました」
正儀の応えに、頼之は満足げに頷いた。
一方、頼元は唖然とする。
「やはり、正儀殿は、兄(頼之)にも劣らぬ知将でございますな。されど、このことは、貴殿らの胸のうちにお仕舞いください」
頼元は、後ろで聞いていた与や正信にも顔を向け、念押しした。
すると、正信が身を乗り出す。
「して、それはいつ頃」
「いつというのはさすがにお答えすることはできませぬが、和睦の交渉は、これが終わってからになりましょう。なあ兄上」
「正儀殿、すまぬが、ここは頼元の言う通り。先に和睦交渉をはじめれば、必ずや山名氏清はこれに反対して、南方(南朝)にとっても、交渉は難しくなりましょう」
「わかりました。あともう少しのところまで来て、焦っても致し方ありませぬ。山名を討伐し、憂いをなくしてから、和睦の交渉を開始するということで、お願いいたします」
逸る気持ちを抑えて、正儀は頷いた。
この日の会見はここまでで、和睦交渉が始まるまでは、時折、顔を合わせようということで決着した。
ここは檜尾山観心寺。にいにいと蝉の声が重なる境内に、正儀の姿があった。
すでに寺の周辺は幕府の影響下にあったが、細川頼元が幕府管領となったことで、楠木への締め付けが緩んでいた。
楠木の菩提寺でもある観心寺には、父、楠木正成の首塚がある。さらに後村上天皇の陵墓である檜尾陵と、その母、新待賢門院こと阿野廉子の塚もあった。
陵に詣でた正儀は、父の首塚の前でも手を合わせる。すでに六十二歳となり、正成の亡くなった歳を大きく越えていた。
「父上、遅うなってしまいましたが、ようやく、和睦の交渉が始まろうとしております。君臣和睦の実現のため、お力添えくだされ」
その時、正儀は、背中に人の気配を感じる。
「父上……」
思わず振り向いたが、そこには誰も居なかった。正儀は確かに、父の視線と息遣いを背中に感じていた。
八月二十一日、正儀は細川頼之・頼元兄弟に会うため、再び渡辺与の館を訪ねた。
この度は、津田正信の他に、楠木正秀をも連れ立っていた。
「これは池田教秀殿……いや、楠木正秀殿と申したか。久しいのう」
「常久殿(頼之)、その節はお世話になり申した」
再会を喜ぶ頼之に、正秀も笑みを浮かべて応じた。池田教秀という偽名で、将軍、足利義満の厳島詣に同行してから、既に二年以上が、経っていた。
「正儀殿。南主様(後亀山天皇)の御機嫌はいかがでございますか」
「常久殿が幕政に復帰され、頼元殿が管領に就任されたことで、主上(後亀山天皇)は希望を持たれておられます。されど、これまでの幕府の侵攻で朝廷(南朝)の力は大きく削がれ、幕府への憎しみもあるというのが正直なところ。ですが、和睦の交渉が始まれば、主上(後亀山天皇)はこれらを全て一身に引き受けられ、万民のために、和睦に応じられるものと存じます」
その説明に、頼之は何度も頷いた。
「これも正儀殿が和睦を諦めず、南主様(後亀山天皇)に説いていただいたおかげじゃ。それがしも正儀殿に誠意をお見せしたいと存じる。赤坂や水分、嶽山など楠木ゆかりの地であるが、この頼元を通じて、山名、畠山に兵を引くように命じてある。和議に先立ち、楠木殿にお返し致そう」
「本当にございますか」
正信が頼之の言葉に驚いて声を上げた。
すでに、将軍、足利義満に上奏して、赤坂など楠木ゆかりの地から山名の軍勢を撤退させていた。さらに畠山の軍勢が進軍して再び進駐しないよう、管領の頼元を通じて下知していた。
「和睦が整えば、河内の守護は楠木殿じゃ。今、東条から兵を引いたとて、幕府にとってどうということはござらん」
「もう、山名・畠山の兵は引いておるはずじゃ。賀名生に帰られる前に、見聞されるがよかろう」
驚く正儀の表情を見て、頼之と頼元がそれぞれ言葉を足した。
感慨深げに目を閉じる正儀の傍らで、正信と正秀は手を取り合った。
明けて八月二十二日、渡辺与の館で一泊した正儀ら一行は、早朝、南河内に向けて馬で出立した。津田正信や楠木正秀を含めて十人あまりである。
一行は、久方ぶりに嶽山に入って龍泉寺城を見分する。続いて赤坂に入り、最初の赤坂城(下赤坂城)や楠木館跡を見分した。
楠木館は山名氏清に火を放たれて、灰塵に帰していた。感傷的に館跡で立ち尽くす津田正信の肩に、正儀が手を置く。
「館はまた建てればよい。そうすれば、元のままじゃ」
そう声を掛けると、ここに馬を留めたまま、桐山の楠木本城(上赤坂城)へと足を向けた。
その頃、正儀ら一行を追って、馬に乗った一隊が迫っていた。およそ五十人が、具足姿で、薙刀や弓矢を備えている。しかし、自らが何者であるかを隠すように、旗指物は掲げず、赤坂の地に雪崩れ込んだ。
正儀らは赤坂城(上赤坂城)に入った。
山名氏清に焼き討ちされた本丸(主郭)の館は、炭化した柱が支える天井を無くし、寒々と空に突き出している。わずかに二の丸(二郭)の館が、一部を燃やしただけで、辛うじて形を留めていた。
城の郭を見て回った楠木正秀が、二の丸の前で佇む正儀の元に戻ってくる。
「父上、二の丸以外は、全て燃え落ちております」
「そうか……」
言葉少なに、正儀が二の丸(二郭)の館に入ろうとした時である。
―― ひひぃん ――
微かな馬の嘶きに、正秀が正信と顔を見合わせる。
「桐山の麓からじゃ」
「これは……一騎や二騎ではないぞ」
二人の顔が青ざめた。
「残軍が居ったのか。それとも……」
次の言葉を正儀は飲み込んだ。
そうしているうちに武装した一団が、無人の虎口門を突破する。守りに堅い赤坂城であったが、十数人ではどうしようもない。正儀は咄嗟に決断する。
「九郎(正秀)、尾根の抜け道を通って千早へ、小太郎(楠木正勝)へ知らせるのじゃ」
「さ、されど……」
「何をしておる。早う行け」
正秀に向けて正儀が怒鳴った。だが、正秀は正儀のことを思って躊躇する。
「されど、父上(正儀)や六郎兄上(正信)はどうされるのですか。この数では……」
「わしらも生きるために言うておるのじゃ。早う行け」
正儀の言葉に、正信も正秀の目を見て頷く、
「早く兵を連れて戻ってくるのじゃ。それまで、我らは息を潜めて隠れておる」
「は、はい、六郎兄上(正信)。すぐに兵を連れて戻って来ます」
正秀は立ち上がってその場を後にした。
赤坂城を裏から抜け出して、一心不乱に尾根伝いに千早城へと続く山道に出る。後に振り返ると、館に火の手が上がっていた。
「ご、御無事で」
正秀は千早城への道を急いだ。
正儀らは、敵の注意を引き付けるために、燃え残った二の丸(二郭)の館に火を放っていた。正秀を無事に逃がすためである。
「父上、早く、こっちです」
正信に促され、城の裏手から山道に抜けようとしたところで、武装した侍、二十人ばかりに追いつかれた。
一団の頭と思しき侍が前に立ちはだかる。
「楠木正儀殿とお見受け致す」
「くそ、どこの手の者じゃ」
そう言って、正信が正儀を庇うように立ち塞がる。そして、睨みを効かせながら、ゆっくりと刀を抜いた。
武士団の頭は、正信の問いには応じず、正儀に視線を合わす。
「お命を頂戴つかまつる」
顎をしゃくって配下の兵らを指図する。
これに、楠木の郎党たちも刀を抜き、正儀と正信を逃がそうと、敵兵に切り込んだ。
「大殿(正儀)、六郎様(正信)、今のうちに早くお逃げください」
「すまぬ」
一人の郎党の呼びかけに正信が応じ、齢六十二の正儀の手を引いてその場を脱出した。
正儀は津田正信とともに山道に入る。必死で敵を撒こうと、道なき道を突き進んだ。だが、齢をとった正儀は気が焦るばかりで、若い時のようには足が進まない。ついに数人の侍に追いつかれた。
「おのれ、返り討ちにしてくれよう」
抜刀した正信は、正儀を背にして二人の兵に切りかかった。
覚悟を決めて、正儀も静かに刀を抜く。
「どこの兵か知らぬが、わしはまだ、死ぬわけにはいかぬのだ。南北合一を実現するまでは」
敵兵の振り下ろす刀を、正儀は自らの刀で受け止めた。力で押さずに後ろに引いて相手の刀を払う。そして、すかさず、敵の侍の胸に刀を突き当てた。敵兵は、血しぶきを上げて仰向けに倒れた。
敵二人を切り倒した正信が、正儀を探してあたりを見回した。すると、草むらに潜んで正儀を弓矢で狙う敵兵の姿が目に入る。
「父上、危ない」
―― びゅん、ざば ――
正信の言葉も空しく、矢が正儀の太腿に突き刺さった。正信は素早く、矢が放たれた方向に走り、次の矢を射ろうと慌てる敵兵に刃を突き立てる。
「父上」
駆け寄る正信に対し、その場に臥した正儀が、大丈夫と言わんばかりに片手を上げた。そして、矢を両手で握り、歯を食いしばって引き抜く。
「ううっ」
正儀の口から、低い呻き声が漏れた。正信が傷口を縛ると、大きく息をしながらも、正信の肩を借りて、片足で立ち上がる。
「少しでも、遠くへ逃げるのじゃ」
正儀は正信に支えられ、山の奥へと進んだ。
楠木正秀が、楠木正勝・正元の兄たちと、兵百人を連れて赤坂城に戻ってきた時には、すでに二の丸(二郭)の館は燃え落ち、敵の姿は消えていた。
「父上(正儀)……」
焼け落ちた館を前に、正秀は茫然と立ち尽くした。
「父上、父上、どこじゃ」
「御無事なら声を上げてくれ」
正勝と正元は祈るように、城のあちらこちらを探した。
燃え落ちた館の裏手に、数人の楠木の兵と、十数人の敵兵が血を流して倒れていた。正元が駆け寄り、一人の郎党の首に手を当てる。
「おい、しっかりせよ」
脈はない。正元は正勝に向かって静かに首を横に振った。
顔を強張らせて、正勝が立ちすくむ。
「父上を逃がそうと、切り合いになったのか……」
正元は息絶えた兵に手を合わせてから、上向きに寝かせてやる。
「ここには、父上と六郎兄者(津田正信)の姿はないな……」
「小太郎兄上(正勝)、小次郎兄上(正元)、それがしは山の中を探して参ります」
正秀は兵たちを連れて山の中に入っていった。
しゃがみ込んだまま、正元が拳で地面を叩く。
「くそ、すでに敵は去ったのか……いったいどこの者じゃ。少人数を一軍で襲うとは卑怯な奴らめ。何が目的なのじゃ」
そう言うと、悔しそうに顔を上げた。
この後、正勝や正元も山の中に入るが、なかなか見つけることはできなかった。
日が暮れようとした時のことであった。
「居られましたぞ、こちらじゃ」
それは、正秀の声であった。正勝と正元は、正秀の声の方角へと急いだ。
そこには、津田正信に抱えられ、息絶え絶えの正儀の姿があった。
正勝と正元が正儀の顔を覗き込む。
「父上」
「小太郎と……小次郎か……九郎(正秀)までも……騒がしいのう……どうした」
たくさんの血を流した正儀は、意識がもうろうとしていた。
正信が正儀に語りかける。
「父上、もう大丈夫じゃ。一緒に参ろう」
「参る……京へか……ああ、そうか……南北合一は……成ったか」
正儀の口から出た意外な言葉に、正勝と正元は顔を見合わせた。
「父上、お気を確かに。ここは……」
声をかける正秀を、正勝が手で制する。
「父上、南北合一は成りましたぞ。主上(後亀山天皇)も内府(内大臣)様(阿野実為)も、晴れがましい御顔で、京へ御還幸されましたぞ」
「そうか……見たかったな……さぞ、立派な行列で……あったろう」
そう言って、正儀は乾いた瞳を閉じた。
かすむ意識の中で、正儀は幼き日の記憶を取り戻していた。虎夜刃丸として目を開くと、土ぼこりの中、大勢の男たちが戦の支度に忙しく動き回っていた。
次兄の持王丸が、胴丸に見立てた板を首からぶら下げて、従兄弟の満仁王丸・明王丸と駆け回っている。
長兄の多聞丸は薙刀を蔵に運び入れていた。叔父の楠木正季が、その薙刀を数えている。もう一人の叔父、美木多正氏が豪快に笑っていた。
顔を上げると虎夜刃丸を抱いた母、南江久子の慈愛に満ちた顔がある。そして、その隣には虎夜刃丸を覗き込む父、楠木正成の顔があった。
『虎夜刃丸、よくぞ、南北合一を成し遂げた』
「父上……褒めてくださいますか……よかった」
正儀の最後の言葉であった。
元中八年(一三九一年)八月二十二日。楠木正儀は、南北朝の合一を目前にして、六十二歳の生涯を終えた。
亡骸は戸板に載せられ、楠木正勝らの手で千早城に運ばれた。
この時、金剛山の国見城に入っていた楠木正顕は、この事変を知ると、ただちに息子の正通・正房を連れて、千早城に駆け付けた。
正顕は、広間に戸板ごと運び込まれた正儀の遺体にすがり付く。
「兄者(正儀)……兄者……」
呼びかけに応じない正儀を前にして呆然と座り込んだ。正顕にとって正儀は、たった一人の兄であり、生きる指標であった。
正勝の嫡男、金剛丸が目を赤くして息をしゃくり上げる。菱江忠儀は、拳を握りしめて、力任せに床を叩く。皆が悲しみに暮れた。
次男の楠木正元は、怒りで肩を震わせながら顔を上げる。
「やったのは山名か、畠山か。わしが軍を率いて護衛しておればこのようなことにはならなかった」
「父上を邪魔だと思う者は他にもおる。和睦を欲しない者たちじゃ。それは朝廷(南朝)の中にもな。常久(細川頼之)とて幕府の者じゃ。内心はわからん」
唇を噛んだ正勝が、ぎゅっと拳を握り締める。悔やんでも、悔やみきれなかった。
正儀の亡骸は千早城の奥、金剛山への登り口に葬られた。
その夜、正勝は一人、竹籠に紙を張っただけの提灯を地面に置き、墓の前に佇む。
「父上……それがしなど、まだまだでしょうな」
正勝は、正儀から譲り受けた一節切を懐から取り出し、父を偲んで調べを奏でた。
京にある細川管領家(京兆家)の京屋敷に早馬が入る。もたらされた報に、幕府管領の細川頼元が、急ぎ、細川頼之の居室を訪れた。弟の慌てぶりに、頼之が怪訝な表情を浮かべる。
「どうした、三郎(頼元)。何かあったか」
兄の前に、頼元が蒼い顔をして腰を下ろす。
「あ、兄上(頼之)、左馬允(渡辺与)からの知らせじゃ。正儀殿が赤坂城でいずれかの兵に襲われた……どうも亡くなったようじゃ」
突然のことに、頼之は我が耳を疑う。
「何、正儀殿が……本当か」
「千早城の楠木右馬守(正勝)殿より、密使が使わされたとのこと」
「なぜ、そのようなことに……襲ったのは誰じゃ。山名か、畠山か」
思わず頼之は立ち上がり、頼元の両肩を揺さぶった。その剣幕に頼元は驚きながらも、わからぬと首を横に振った。
「何という事じゃ。幕府の武将がやったとすれば、南主(後亀山天皇)との和睦の道が、また閉ざされる」
頭を抱えて座り込む頼之を前にして、頼元も肩を落とす。
「南北合一も、目前だっただけに、正儀殿も、さぞ、無念であったことでしょう」
「正儀殿、すまぬ。そなたに、南北合一を見せてやることができなんだ。もっと早く、わしが幕政に戻っておれば、そなたの夢を叶えてやれたのに……」
悲壮な顔つきで、頼之は口を噤んだ。二人は、余人にはわからぬ気脈通じる仲であった。まさに、莫逆の友といえた。
狼狽える兄の姿に、頼元は、ただ戸惑った。
九月、賀名生の行宮に楠木正顕が参内した。
正儀の死は、南朝に大きな動揺を与えていた。正顕は、関白左大臣の二条冬実、右大臣の吉田宗房、内大臣の阿野実為、そして中納言の六条時熙らを前に、深々と頭を下げた。
沈痛な表情で実為が、正顕に語りかける。
「伊予守(楠木正顕)よ、千早城の様子はどうじゃ」
「はっ。皆、兄(正儀)の死を受け入れられず、城の中は静まり返ったようです」
「さもあらん。麿もそうじゃ。御上(後亀山天皇)の落胆も大きい。」
実為と正儀は、公家と武家を越えて、盟友といえる間柄であった。
その死を悼む実為の隣で、時熙も、悔しそうな表情を浮かべる。
「それで、橘相殿(正儀)を襲った者たちは、いまだにわからぬのか」
「はっ。いまだに……」
険しい表情で時熙は続ける。
「実は、九州の八代城が幕府に落とされたという知らせが入った」
「征西府が……」
相次ぐ凶報に、正顕は言葉を失った。
八代城は、幕府の九州探題、今川了俊(貞世)に追い詰められた後征西将軍宮こと良成親王と菊池武朝が、征西府を置いた城である。南朝最後の拠点ともいえる八代城が落城したことで、九州における南朝は実質的に終わった。
右大臣の吉田宗房が話を引き取る。
「御上は、続く不幸に、大そう、落胆されておる。今日、そなたに来てもろうたのは他でもない。御上(後亀山天皇)を御支えるため、伊予守(楠木正顕)には橘相(正儀)に代わって、賀名生に住うて、朝廷を支えて欲しいのじゃ」
「はっ、承知つかまつりました。それがし如きに兄の代わりができるとは思えませぬが、それがしができることで御上に尽くしとう存じます」
兄、正儀の意思を、正顕は継ぐ決心を固めた。
幕政に復帰して実権を得た細川頼之は、かつて、正儀にも打ち明けた山名潰しに着手する。
十月、手はじめに、山名惣家の山名時熙・氏幸の兄弟を赦免した。二人は、将軍、足利義満によって、ほんの一年前に、追討されたばかりであった。
これに激怒したのは、将軍の命を受けて、二人の追討に兵を上げた、山名時氏の嫡孫を自認する山名満幸と、その叔父で舅でもある山名氏清である。山名一族の間に不穏な空気が流れた。
翌十一月、楠木正顕は内大臣の阿野実為によって行宮に召し出される。公卿らと対面するように、正顕は下座で平伏した。
さっそく実為が本題に入る。
「伊予守(正顕)、山名満幸が幕府より、出雲守護を取り上げられ、京から追放されたことは知っておるな」
「はい、持明院統(北朝)の上皇(後円融上皇)領、出雲国横田荘の押領が理由とのことと聞いております。ですが、明らかな言い掛かりに、山名満幸と、その舅の山名氏清は激怒しているとか」
正顕の元には、服部成儀から幕府の動きがもたらされていた。
「その山名氏清が、我らに対して和睦を申し入れ、討幕の綸旨を願うて参った。山名は憎き敵なれど、幕府を潰し合わせて力を割くことができれば、今後の和睦交渉を優位にもする。廟堂は意見が割れておってな、そちの意見を聞きたいのじゃ」
廟堂の混乱に、正顕はさもあらんと頷くと、慎重に言葉を選ぶ。
「確かに山名氏清の兵力は侮り難く、味方となればおおいに我らの助けとなりましょう。さりながら、それでも、今となっては幕府を倒すことは難しいかと存じます。今や足利義満の威厳は揺るがし難く、山名が敗北するのは目に見えております。されば、朝廷(南朝)が氏清に討幕の綸旨を与えれば、その後の和睦の交渉に支障が出ます」
その言葉に、関白左大臣の二条冬実は、肩を落とす。
「山名でも勝てぬか」
「御意。さらに山名一族は信義に悖る者たちです。これまでも、幕府を裏切り、朝廷(南朝)を裏切って今日があります。己がためだけに生きてきたのは明白。朝廷に帰参を申し入れるのも、恐らくその場凌ぎでありましょう。いずれは我が朝廷に向けても牙を向く存在。ならば、幕府がこれを討伐するのは、もっての幸いかと存じまする」
これに、実為がひざを打つ。
「麿も伊予守(正顕)の申すこと、最もじゃと思う。御一同、いかがか」
公卿たちはざわつくが、対案を唱えることのできる者は居なかった。右大臣の宗房が公卿たちの様子を見て、まとめに入る。
「では、山名の使者にはそのように伝えよう。御一同、よろしいな」
「いや、お待ちくだされ」
口を挟んだのは、意外にも当人の正顕である。
「山名の使者にはすぐには答えず、よくよく考えると伝えておいてはいかがかと存じます。そして、戦支度を進めさせておき、ぎりぎりで断れば、山名は後ろに引けなくなりまする」
関白の冬実が目を丸くする。
「ほう、まるで橘相(正儀)のようであるな」
「御意、これは生前の兄の言葉にございます」
「死せる孔明、生ける仲達を走らす……じゃな。橘相は死してなお、朝廷に策を授けてくれるのか……」
実為の口から出たのは、中国の三国時代の故事であった。蜀の軍師で丞相であった諸葛孔明の没後、その遺言によって、魏の軍師で大将軍であった司馬仲達を撤退させたという逸話である。実為は、諸葛孔明に盟友、正儀を重ねた。
挙兵を決めた山名氏清は、紀伊の府中にある守護館に、自ら足を運んでいた。兄で紀伊守護の山名義理に助力を願うためである。
「頼む。兄者もともに旗を上げてくれぬか」
懇願する氏清に、義理は首を横に振る。
「駄目じゃ。考え直すのじゃ。お前が反乱の狼煙を上げれば、我ら一族はことごとく討伐されてしまう」
「山名が幕府を開く絶好の機会ではないか」
「戯けたことを。千に一つの勝ち目もない。常久(細川頼之)の狙いがわからぬのか」
「負けるとは限らん。南方に帰参を申し出た。南主(後亀山天皇)の御綸旨を賜り、我らは官軍となるのじゃ」
「何……早まったことを」
弟の言葉に、義理は目をぴくりと引きつらせた。
冷静な義理に、氏清は悲しそうな目を向ける。
「我らを見捨てるというのか。兄者は一族の長じゃ。兄者が見捨てれば、それは我らに死ねと言うに等しい」
「ううむ……」
義理は、冷徹な男ではあったが、身内の情には厚かった。母を同じくする弟の必死の懇願に、義理は不本意ながら同意する。
こうして紀伊勢の援軍を得た氏清は和泉に兵を挙げた。しかし、氏清が期待した南朝の綸旨は出ず終いであった。大儀名分のない出陣に、義理の戦意は上がらなかった。
山名氏清が兵を挙げたという知らせは、すぐに花の御所にも届いた。将軍、足利義満の命で諸将が御所に集まった。上座に腰を下ろした義満の傍らには、管領の細川頼元とその兄、細川頼之が座り、その下に諸将が座して意見を述べる。
「将軍の威厳を蔑ろにする山名氏清を早急に討伐すべきと存ずる」
「当然じゃ」
「いや、山名氏清は、強者揃いの山名一族の中でも、もっとも勇猛な武士」
「万が一、幕府の軍勢が敗れることあらば、それこそ、征夷大将軍の威光が傷つくというもの」
頼之の考えとは逆に、氏清および山名一族の勇猛振りを恐れて和睦を望む声も少なくなかった。軍議は討伐と和睦に分かれ、紛糾した。
「ここは、御所様(義満)のお考えを聞こうではないか」
軍議が紛糾する中で、声を上げたのは管領の頼元であった。諸将は息を呑んで義満の言葉を待った。
「山名氏清の欲するところは天下じゃ。ここで山名と和睦をしても、またぞろ争いが生じることは明白。遅かれ早かれ討伐せねばならぬ……」
義満の腹は端から決まっている。
「……しからば、当家の運と山名の運とを、天の御照覧に任せてみようではないか」
威厳を備えた将軍の決断に、異議を訴える将はいなかった。義満は、自ら将軍直轄の馬廻衆など五千騎を率いて出陣した。
十二月三十日、山名氏清と甥で娘婿の山名満幸が京へ突入した。対する将軍、足利義満は、馬廻衆を含む五千騎とともに、堀川にある若狭守護、一色詮範の屋敷に陣を張ってこれを迎え撃った。
若くて恐れを知らぬ満幸は、丹波口から京に入り、内野(かつての大内裏の跡地)で将軍直轄の馬廻衆に戦いを挑んだ。しかし、易々撃破され、早々に京を撤退して丹波に敗走することになる。
一方、猛勇、氏清の軍勢は、二条大宮付近で甥の山名時熙、周防守護の大内義弘、播磨守護の赤松義則らと激戦となる。
「者ども、山名の強さを、思う存分、見せてやるのじゃ」
大軍をものともせずに互して戦う氏清に対して、義満は、新たに若狭守護の一色詮範の軍を差し向けた。
すると、多勢に無勢、劣勢に陥って自らも傷を負った山名氏清は、近習を従えて一色勢の中へに斬り込む。
「一色左京大夫(詮範)よ、その方に、武士としての気概があるならば、わしと、ただ一騎同士で組み合わん」
「小癪な奴め。返り討ちにしてくれよう」
名刀、雲切を抜いて、詮範へ一騎打ちを仕掛けた氏清だが、額の傷から滴る血で、ろくに目も開けられない。逆に詮範から切りつけられて落馬すると、首をとられて勝敗は決した。
雲切はその昔に、長慶上皇がこれで正儀を討ち取れと、橋本正督に下賜した刀である。楠木家伝来の宝刀、竜の尾を持つ正儀に相対するためであった。
その雲切は、正督を敗死させた氏清の手に渡り今日があった。しかし、上皇の憤懣が込められた雲切を持ってしても、将軍、義満に一太刀も振り下ろすこともなく、氏清は消え去った。その義満の元には、奇しくも正儀から譲られた宝刀、竜の尾があった。
一方、山名氏清の兄、山名義理は、紀伊の兵を率いて出陣した。だが、戦意の乏しい軍勢の歩みは遅く、結局、京の合戦に間に合うことなく、途中で紀伊へ引き返していた。
この山名氏の一連の騒乱は、時の北朝の元号から『明徳の乱』と呼ばれた。
山名氏清の敗北は、千早城の楠木正勝にも思わぬ余波をもたらす。幕府に討たれた山名の残党が京から南河内に敗走し、千早城に助けを求めたからであった。
四の丸(四郭)の櫓から、山名勢の様子を見てきた楠木正秀が、本丸(主郭)の館に戻る。
「小太郎兄上(正勝)、山名の敗軍はおよそ五百騎。助けを求めて北の麓に留まっております」
「忌々《いまいま》しい奴らよ。敵である我らに助けを求めるとは」
棟梁、正勝の傍らで、楠木正元が吐き捨てるように言った。
「すぐに、幕府の追討軍が来るであろう。我らが山名を助ければ、勢いに乗じてこの城も攻められかねん。小次郎(正元)、ただちに追い返すのじゃ」
「承知した。兄者(正勝)」
ただちに正元は、山名の兵がよく見える四の丸(四郭)に向かった。そして、櫓の上から大音声を張り上げる。
「山名の功名心と野心がために、我らは多くの一族を失った。我らに山名を助ける謂れはない。早々に立ち去るがよい。さもなくば、我らがお相手仕ろう」
そう言って正元が手を上げると、塀際に配置した楠木の兵らが、いっせいに弓を引き、今にも射かける仕種を見せた。
山名の敗軍を率いる一人の将が進み出る。
「お待ちあれ。我らは南主(後亀山天皇)の元で、我が主の仇を討ちたいと願うておる。必ずや楠木殿のお役に立つことが……」
山名の将が言い終わらぬうち、正元の傍らの郎党が放った矢が、その将の足元の地面に突き刺さる。
「今度は地面ではないぞ」
正元が手を上げると楠木の兵たちが、きりきりと再び弓を引いた。山名の兵はじりじり後退りすると、千早城を背にいっせいに逃げ出した。後には楠木の兵たちの笑い声が響いていた。
結局、楠木にも追い返された山名氏清の残党は、追撃してきた幕府の河内守護、畠山基国に追討される。多くの兵が討たれ、残りは散り散りになって落ちていった。
明けて元中九年(一三九二年)二月、将軍、足利義満と細川頼之は、山名氏清の兄で紀伊守護の山名義理の討伐に取り掛かる。
義理は、幕府軍と戦わず引き返した事実を上げて赦免を乞うた。だが、山名潰しを謀る義満はこれを許すはずもない。周防介、大内義弘の騎馬隊千騎を粉河街道に向かわせて、紀伊へ討ち入らせた。このとき義弘は、先の戦で武功を上げたため、山名氏清に代わって和泉守護に任じられていた。
結局、義理は抗戦するしかなくなり、かつて篠崎正久の篠ヶ城攻めで用いた藤白山の大野城に立て籠った。そして、紀伊の国人たちに出陣を下知する。だが、国人たちは落ち目の義理を助けようとはしなかった。結局、大野城は和泉から進軍した義弘に落とされる。義理は一族六十三人とともに紀の浦から舟で脱出し、紀伊の由良湊へと逃れた。
後日のこと、義理はこの地の興国寺で子の山名氏親・時理ら十七人とともに剃髪して出家する。将軍の義満は、義理の紀伊守護を大内義弘に、さらに義理の美作守護を赤松義則に与える。
大野城が落城した翌日、管領の細川頼元と、その兄で養父でもある細川頼之は、花の御所の将軍、足利義満の元に参じた。義満の傍らには、新たな政所執事となっていた伊勢貞行が座っている。
このとき三十五歳の義満は、頼之に向かって、満足そうな笑みを見せる。
「常久(頼之)、そちの考えの通りにことが運んだのう」
「うまくことが運び、この常久も安堵しております」
そう言った後、頼之は緩めた頬を引き締める。
「御所様(義満)、山名討伐も終り、幕府の懸案の一つがなくなりました。いよいよ、南主(後亀山天皇)との和睦を進め、後顧の憂いを取り除く時が来たかと存じます。南方(南朝)の交渉役であった楠木正儀が亡くなったのは残念ですが、幕府の交渉役は、ぜひそれがしにお任せくだされ」
南朝との交渉を、頼之は並々ならぬ意気込みで奏上した。
「常久、南主との和睦の前に、もう一つやるべきことがある。和睦の交渉はその後じゃ」
思わぬ義満の応えに、頼之は首をひねる。
「はて、何でございましょうや」
「千早城を落とし、楠木を滅ぼすのじゃ」
「ご、御所様、そ、それは……」
頼之は耳を疑った。その驚く顔を見て、義満がにやりと笑う。
「楠木は南主の守護神じゃ。楠木の力を削ぎ、南主を丸裸にしてこそ、和睦の交渉はうまくいくというものよ」
その言葉に、頼之ははたと息を呑む。
「もしや、楠木正儀が討たれたというのも……」
「すまん……兄上」
反応したのは弟の頼元であった。頼元に呆然とした顔を向ける頼之に、眉一つ動かすことなく義満が応じる。
「余が頼元に命じたのじゃ。正儀の忠節と知恵は、我らにとって邪魔な存在。正儀がいる限り、南方(南朝)は我らとの交渉で知恵を絞り、あらゆる手を使って、事を有利に進めようとするであろう。それに対し、そちは正儀に非情になれるのか……」
問いかけに、頼之は言葉を失った。
「……だから余は正儀を討った。後に残るは楠木の兵力じゃ。今や楠木も勢いはないが、難攻不落の千早城と、楠木の名は侮り難いものがある。じゃがそれも、千早城を落として楠木を滅ぼせば全てが終わる。これも天下安寧のためじゃ」
苦渋に満ちた表情を、頼之は義満に見せる。
「御所様、それは断じてなりませぬ。楠木を味方に付けよというのが先代、宝筐院様(足利義詮の戒名)の遺言にございます」
「歳をとったな、常久。はたして楠木が本当に余の味方に付くと思うのか。南主との和睦も、いずれ違える事も出てくるであろう。そのとき、楠木の者は必ず南主の毘沙門天として余の前に立ちはだかる。憂いは取り除かなければならんのじゃ」
義満は冷徹であった。頼之も義満の言うことはよくわかっていた。むしろ、予想以上の義満の成長に、満足する面もあった。
しかし、頼之は正儀と交わした約束を、何としても守らなければならないと思う。
「されど、楠木を討伐すれば、南主は再び和睦を拒むでしょう」
「そうであろうか。和睦を欲しておるのは、南主だけではなかろう。南方(南朝)の公卿にとっても最後の機会じゃ」
困窮がため、京に戻ることを欲している公卿がたくさん居ることも、義満は見抜いていた。
「楠木をそのままにして和睦をすれば、そなたは河内の守護職を楠木に与えるであろう。さすれば、修理大夫(畠山基国)は細川を、いや、幕府を恨む。そうなれば、山名のように畠山をも討つのか。畠山は山名や土岐とは異なり足利一門じゃ。楠木を活かして畠山を討つことなど、できようはずがないではないか」
項垂れた頼之が、上目遣いに義満を窺う。
「もはや御所様をお引き留めはできませぬ。ただ一つだけ、それがしの願いをお聞き入れいただけませぬか。棟梁の楠木正勝が大人しく千早城を明け渡し、畠山の下で地頭にでも甘んじるというのであれば、一族の命は救ってやれぬかと存じます」
「余が思う正勝であれば、千に一つも命乞いはすまい。じゃが、常久がそれで納得するのならば、千早城へ使いを送り、城を明け渡すように言うてみるがよい」
最後に義満は、父とも慕う頼之の願いを聞き入れた。
京の細川屋敷に戻った頼之は、楠木正勝への書状を認め、舎弟の頼元へと託す。
「これを、千早城の楠木正勝へ届けてくれ」
書状を受け取ろうと頼元が手を差し出した時、頼之は書状を手から落としてその場に倒れた。
「兄上、どうなされた。兄上、お気を確かに……」
その場に伏せるように倒れた兄を、頼元が抱きかかえ、額に掌をあてる。
「……ひどい熱じゃ。誰か、誰かある」
家臣たちによって寝所に運ばれた頼之は、この日から、病床に臥した。
春先とはいえ、頂に雪を残す金剛山を背に、千早城は粛然とした空気に包まれていた。この日、城には、彼岸の墓参りで一族が集まっていた。正儀が亡くなってから、ろくな法要さえできていなかった。幕府の山名討伐の余波で、千早城に山名の残党が押し寄せたりしたためである。
千早城に集まったのは、棟梁の楠木正勝を筆頭に舎弟の正元と正秀、津田正信。正勝の嫡男の金剛丸。さらに叔父、楠木正顕と息子の正通・正房兄弟。楠木正近の跡を継ぐ息子の楠木正建。そして、和田正頼・正平親子ほかであった。
特に、懐成親王の妃となった正勝の妹、楠木式子と、行宮に官女として出仕をはじめていた正勝の娘、照子は、正儀の死後、初めての千早城であった。
その式子と照子は、正勝に連れられて山深い千早城の、さらに奥に葬られた正儀の墓に参った。
墓の前で、式子はひざを付いて涙を流す。
「父上(正儀)、南北合一を目の前にして、なぜ、このようなことに」
「叔母上(式子)……」
照子はそんな式子の背中に手を添えた。
涙を流して手を合わせる妹と娘を、正勝は後ろから見守ることしかできなかった。
千早城の楠木正勝の元に、細川頼之の書状が届いたのは、その翌日のことである。書状は、楠木一党が千早城を明け渡し、幕府の軍門に降ることを求めるものであった。
驚いた正勝は、正儀の墓参りで千早城に集まっていた一族一門の男たちと、菱江庄次郎忠儀や服部十三成儀らの家臣たちを広間に集めた。
「常久(細川頼之)め、父上(正儀)に和睦の話をちらつかせ、我らをたぶらかしておったのか」
傍らで書状を読んだ楠木正元は激怒し、素手で床を殴りつけた。楠木正秀は、その正元から回された書状に目を通し、細川頼之の顔を思い浮かべる。とても、正儀を裏切る男には見えなかった。
一族を束ねる正勝が、苦々しい表情を見せる。
「これではっきりした。父上(正儀)を襲ったのは、山名や畠山、まして朝廷(南朝)の公卿たちではない。常久じゃ」
「小太郎兄者(正勝)、それでどうするのじゃ。我らが城を明け渡さなければ、二万の大軍を送るとある」
舎弟の津田正信が正勝に詰め寄った。
興奮冷めやらぬ正元が、正勝に代わる。
「どうもこうもなかろう。父上のため、主上(後亀山天皇)のために、戦うしかない」
「小次郎(正元)、落ち着くのじゃ……」
口を挟んだのは、正儀亡き後の一族の長老、楠木正顕である。
「……相手は二万、我らは五百にも満たんのじゃぞ。いくら難攻不落の千早城とて、今の戦は元弘の折りとは違う。我らの策も仕掛も幕府はよう知っておるのじゃ」
「されど叔父上、勝てないまでも、負けぬ戦はできようかと……」
「小次郎(正元)、考え違いするでない。そなたたちの祖父、正成は、城を守り抜くことで鎌倉の幕府に反旗を翻す者を増やし、幕府を倒した。じゃが、此度は守り抜いても味方は現れぬ。とても勝ち目はない」
冷静な叔父の分析に、正元は悔しそうな顔で口を噤んだ。一族にとって、正儀亡き後の正顕の言葉は重かった。
しばらく沈黙していた正勝が、顔を上げる。
「叔父上(正顕)、それでもそれがしは城に残って戦いたいと存ずる。さすがに敵は二万の大軍。叔父上の言われる通り負けるであろう。もう、勝つための戦ではない。楠木の証を残すための戦じゃ。棟梁としては失格じゃ。命が惜しくないものだけ残ってくれればよい」
「わしは兄者に同意じゃ」
「わしも小太郎兄上とともに戦う」
正勝の言葉に、正元と正秀が同意した。
「もちろん、わしとて異存はない。我が兄弟たちも幕府との戦で命を落とした。おめおめとわしだけ生き永らえようものか」
和田正頼が意を決すると、息子の正平も頷いた。
正顕の息子、正通・正房の兄弟も顔を見合わせてから、父の正顕に対して向き直す。
「父上、我らとて楠木正成の孫です。小太郎殿の気持ちはよくわかります。我らの兵を全てここに移し、楠木の最後の戦を見せたく存じます」
「親不孝をお許しくだされ」
正通・正房の兄弟は、父の正顕に深々と頭を下げた。すると正顕は、険しい顔をしたまま、目を瞑り黙り込んだ。
「うむ、これで決まりじゃな。父上(正儀)にはあの世で怒られるであろうがのう」
正信の言葉は、緊張していた一同に笑いを誘った。
清々とした顔で正勝は、一同を見回す。
「皆、申し訳ない。わしの我がままに付き合わせてしもうた」
そんな正勝に一同は口元を緩めた。
しかし、ただ一人、正顕は苦悩の表情を浮かべていた。兄、正儀が生きていれば、何と言ったであろうかと自問自答していた。
そんな正顕に、正勝が頭を下げる。
「叔父上、申し訳ありませぬ」
「わしが何を言っても無駄なようじゃ。お前たちの好きにするがよい。されど、決して命を粗末にするでない。最後の最後まで生きる事を考えるのじゃ。約束してくれ。よいな」
「承知しました。叔父上には式子と照子、金剛丸。それとこの城の女こどもを預けたく存じます。明日、賀名生へ連れ帰っていただけませぬか。お願い申します」
正勝の頼みに、正顕は静かに頷いた。
その夜、提灯の灯りを頼りに、楠木正勝は千早城の裏手、金剛山への登り口にある父、正儀の墓に参り、手を合わせた。そして、懐から、父に譲られた一節切を取り出して息を吹き込む。
一節、吹き鳴らした後のことである。
『上達したようじゃな』
どこからともなく正儀の声が聞こえる。
「ち、父上……」
『討死するつもりなのか』
「そ、それは……」
『楠木が居なくなれば、誰が帝(後亀山天皇)を御支えするのじゃ。ここで討死してはいかん。生き延びるのじゃ』
「本当はそれがしもわかっております。されど、それがしは楠木正成の孫。七度生まれ変わっても朝敵を滅ぼすのが我らの勤め」
『遺訓は独り歩きをしてしまったようじゃ……小太郎(正勝)よ、朝敵とは誰じゃ』
「父上、何を今更。わかりきったことでございます」
『小太郎、本当に目の前に見えている者が朝敵なのか。幕府を滅ぼせば帝を御救いすることができるのか。幕府であろうが、朝廷であろうが、それは単なる器にしか過ぎぬ。朝敵とは人の心の中に居る。己が欲で政を行う者が生まれれば、我ら楠木が立ち上がるのじゃ』
「父上……」
そう呼び掛けたところで、正勝は我に返る。
「……夢であったか」
しかし、その時、微かに映える提灯の灯りに気づく。その灯りは正勝の方へと迫っていた。
「誰じゃ」
「私めにございます」
声の主は、娘の照子であった。
「この夜更けに、そのような身なりの女が……危ないではないか」
その姿は、小袖の上に袿を羽織っただけで、裾を短く端折ってもいない。慌てて正勝の跡を追った様子が窺えた。
「父上が、館を出ていかれるのを見て、きっとここだと思うて参りました。すると笛の音色が……忘れないようにもう一度、父上の笛を聞きとう存じます。私のために吹いていただけませぬか」
娘、照子の頼みに正勝は頷き、もう一度、一節切を吹く。照子にとっては幼い頃から何度も聞いた調べだが、いつにも増して、もの悲しい音色であった。
照子が思わず涙を溢す。
「父上、これが最後ではありませぬな。必ず生きて、もう一度、笛を聞かせてくだされ」
その肩に、正勝はそっと手をやる。
「約束しよう。さ、明日は賀名生じゃ。金剛丸をよろしく頼む」
娘から目を逸らすようにして、正勝は涙を溢した。
二月二十六日、千早城の明け渡しを拒んだ楠木正勝は、幕府管領の細川頼元が差し向けた河内守護の畠山基国、和泉守護の大内義弘など、幕府軍二万に囲まれる。
千早城では楠木一族と和田党ら総勢五百人が、非理法権天と菊水の旗を無数に掲げ、幕府軍に対峙した。
本丸の櫓を背にした具足(甲冑)姿の正勝の元に、菱江忠儀が駆け寄って片ひざを付く。
「殿(正勝)、全ての登り口に兵を配置致しました」
「うむ、ご苦労であった」
祖父、楠木正成の元弘の戦さながらに、正勝は城の守りを固めた。
「朝敵め、攻めてくるがよい。目にもの見せてやろう」
その隣では、舎弟の楠木正元が掌を組んで指を鳴らした。
一方、千早城を取り囲んだ幕府軍は、陣幕を張り、楠木討伐の総大将、畠山基国を囲んで軍議を開いていた。
周防の大内義弘は、千早の堅固な守りは噂でしか知らない。
「畠山殿、難攻不落の千早城、いかに攻めますか」
「大内殿は楠木と戦ったことがございませなんだな。いくら千早城が鉄壁とはいえ、幾度も戦っておれば、攻め方もわかって参ります。ここは我らに任せて、城の側面から睨みを効かせていただきたい」
基国は和泉・紀伊と、河内の隣国二ヵ国を手に入れた義弘を警戒していた。千早城は必ずや己の手で落とし、領国の河内へ、大内が付け入る隙をなくそうとした。
「では、畠山殿のお手並みを拝見致そう」
その思惑に気づいた義弘は、不遜な顔つきで自陣に戻っていった。
幕府軍が千早城を取り囲んで幾日か経過する。いまだ睨み合いが続いていた。
千早城の楠木軍は、幕府軍が城に攻め上がってくるのをひたすら待っていた。楠木の戦は、攻めくる敵を翻弄する処に本領があるからである。これを、楠木正秀はじれったく思う。
「小太郎兄上(楠木正勝)、敵は動こうとしませんな」
「難攻不落の千早城。迂闊に攻めれば手痛い目に合うことは、敵も承知しておる。きっと、我らが先に動くのを待っておるのであろう」
そう言って、正勝は正秀の肩を軽く叩き、落ち着くように諭した。
「どれ、わしが幕府を動かしてやろう」
そんな正秀の様子を見て、正元が軽口を叩いた。
「小次郎兄上(正元)、幕府を動かすとは、いったいどのように」
「そうじゃな、九郎(正秀)も着いてくるか」
きょとんとする正秀を、正元は手で招いた。正勝が、そんな二人の様子に顔をしかめる。
「小次郎、九郎に無理をさせるでない」
「いえ、それがしも連れて行ってくだされ」
正秀は正勝の許しを得て、正元と一緒に手勢百人を率いて、本丸(主郭)から麓に近い四の丸(四郭)へと降りていった。
四の丸に入った正元たちは、麓の幕府軍に向かって、鐘や太鼓を鳴らして囃し立てる。
「何じゃ、畠山の兵は腰抜けばかりか」
「戦ができぬなら、帰って畠でも耕しておればよかろう」
「何ほどの、豆をまきてか畠山、日本の国をば、味噌になすらん」
「わっはは、それはよい。わっはは」
正秀らは、麓に向けて挑発を続けた。
楠木の兵たちにからかわれた畠山の兵は、なにをっと憤った。しかし、大将の畠山基国より、下知があるまで城攻めは、厳に慎むようにと命じられていた。
幾日が経ち、不満がうっ積する畠山の兵らを解き放ったのは、千早城の背後、金剛山に立ち上った一筋の狼煙であった。
「者ども、総掛かりじゃ」
総大将の基国の下知が、兵たちに伝えられる。憤懣やるかたない兵たちが、いっせいに千早城に攻め上がった。
この日も楠木正元と楠木正秀は、四の丸(四郭)に詰めていた。
「小次郎兄上、畠山の兵が動きましたぞ」
「よし、掛かった。いったん二の丸(二郭)に戻り、返り討ちにしてくれよう」
自分たちの行動が幕府軍を動かしたと誤解する正元は、余裕を持ってこれをみていた。しかし、城の上では、恐ろしい事態が待ち受けていた。
畠山基国は一部の兵を割いて迂回させ、金剛山から千早城の背後へ攻め入らせていた。金剛山を拠点とする山伏たちが楠木を見限り、畠山軍を抜け道へと案内したためであった。
「小次郎兄者、こ、これはっ」
本丸に向かおうとした正秀は、上からも攻め寄せる畠山軍に仰天した。
「くそっ、上は兄者(正勝)に任せよう。我らは下の兵に当たるのじゃ」
正元は、麓から攻め上がる兵だけでも何とか追い払おうと、千早城自慢の防戦を試みる。だが、浮き足だった楠木の兵たちは、やみくもに、大石や丸太を落とすだけで、兵に当たらず虚しく崖底へと転がっていくだけであった。
本丸は金剛山から攻め下った畠山の兵たちに蹂躙される。菱江忠儀が、棟梁の楠木正勝の元に駆け寄る。
「和田和泉守(正頼)殿、御討死でございます」
衝撃の知らせであった。
劣勢の中、正頼は和田党を率い、背後の金剛山から攻めくる畠山軍に、果敢に討って出ていた。敵を千早城に侵入させまいと奮戦したが、多勢に無勢で力尽き、息子の和田正平を何とか逃がしたところで、郎党ともども討ち取られたという。
和田党の大将を討ち取った敵兵が、勢い付いて金剛山から迫った。そんな中、正勝は正元らを四の丸から呼び戻す。
「小次郎(楠木正元)、こうなっては致し方ない。今なら間に合う。千早城を棄てるぞ」
「何っ、阿呆なことを。我らはここで討死する覚悟で望んでおる。孫次郎(正頼)殿に恥ずかしいと思わんのか。逃げるなどあり得ん」
撤退を渋る正元の肩を、正勝が両手で揺さぶる。
「わしは父上(正儀)の声を聞いた。父上が生き延びよと申された。この戦、討死してはいかんと父上に諭されたのじゃ」
敵兵が迫る中で正勝が怒鳴った。その剣幕に、正元はたじろぐ。
「あ、兄者、いったいどうした。父上は亡くなったのじゃぞ」
「我らは生きて主上(後亀山天皇)を御支えする。楠木の務めじゃ」
兄の命に、正元は言葉を失う。
意を決した忠儀が、二人の前に進み出る。
「殿、それに御舎弟殿。そうと決まれば、ここはそれがしに任せて、早く撤退を」
これに、正勝は一瞬、躊躇いを見せるが、すぐに忠儀の肩に手を置く。
「すまぬ、庄次郎(忠儀)。お前の忠義は無駄にはせぬ」
正勝は忠儀を残し、撤退をはじめる。正元は釈然としない中、正秀や津田正信、楠木正通・正房兄弟、また、父を討たれて一人になった和田正平らとともに、千早城の奥から尾根伝いに山中へと入っていった。
続いて跡を追おうとする畠山勢の前に、忠儀はわずか郎党五十人で立ち塞がる。
「者ども、矢が尽きるまで敵を射るのじゃ」
忠儀は、木々に隠れるように郎党を配置して矢を放つ。少しでも畠山軍の追撃を遅らすため、果敢に戦った。だが、畠山軍は人数を厚くして、少しずつ押してくる。そして、忠儀らの矢が尽きるのを待って、刀で切り込んだ。
「者ども、一人でも畠山を討ち取れ」
声を張り上げる忠儀であったが、一人、また一人と楠木の郎党たちは討ち取られた。そして、ついには忠儀自身も力尽きた。
楠木正勝らは金剛山の山中を自らの足で大和五條へ向かって逃げた。畠山軍に得意の騎馬を使わせないためでもある。
その畠山の兵たちは、菱江忠儀らの決死の抵抗を平らげると、こちらも徒歩で楠木軍を追撃した。
千早峠を越え、五條に下る道に入ろうかというところ。正勝らは殿の兵を率いた舎弟の津田正信に追い付かれる。正勝は従弟の楠木正通・正房兄弟や和田正平らを伴っていた。
「小太郎兄者、急がねば。小次郎(正元)はどこじゃ」
「九郎(正秀)・正建らとともに、この先じゃ」
「殿(正勝)、幕府の軍勢がそこまで来ております。立ち止まっている場合ではありませぬぞ」
数人の透っ波を率いて殿に居た服部十三成儀は、焦りの色を隠さなかった。
しかし、負傷した兵を伴う正勝らの行軍は思うようにはいかない。正勝は咄嗟に判断する。
「ここで三手に別れよう。正通と正房は右手の道に入れ。正信は正平殿と左手の道じゃ。わしは山の中に入る。十三、付いて参れ。無事に逃げ仰せば賀名生で落ち合おう」
敵を撹乱し、先に進んだ正元・正秀らを逃がすとともに、ここに居る一同が一緒に討ち取られないためでもあった。
「承知」
「承知した」
各隊を率いる正信と正通が、それぞれの兵を率いて脇道に入っていった。
棟梁の正勝も、成儀らを連れて山の中に分け入る。一行は、草が生い茂った獣道を、薙刀で草を払いながら進んだ。
急に立ち止まった成儀が、草を押し分けて、地面に片耳を付ける。
「殿、敵が近くまで来ております……」
そう言って成儀が立ち上がる。
「……我らが反対へと引き付けます。殿はこのままお進みくだされ」
「承知した。十三、気をつけるのじゃぞ」
目で正勝に応じた成儀は、手勢を率いてその場から立ち去った。
兜と胴丸を外して身軽な格好となった正勝は、残った郎党十数人とともに先を急いだ。だが、しばらく進んだところで負傷した者たちが一人二人と遅れだした。正勝は、そんな郎党らの様子に足を止める。
「大丈夫か」
正勝は、傷を負って足を引きずる一人の郎党に肩を貸した。その時である。
「見つけたぞ、あの先じゃ。取り逃がすな」
背後から、敵兵の怒声が響いた。成儀の努力の甲斐もなく、本隊から別れて脇道を進んでいた畠山の一隊に見つかってしまった。
肩を借りていた郎党が、慌てて正勝の手を振り払う。
「殿、早くお逃げくだされ」
「す、すまぬっ」
すぐに正勝は、草を掻き分けて山の奥に逃げ込んだ。
「一人逃げるぞ、追え」
十数人の畠山の兵が正勝を追おうとする。すると、楠木の郎党たちが力を振り絞って立ちはだかる。数は同数だが、楠木の兵たちは、皆、傷を負っていた。白刃を交えると、一人二人と討たれていく。数的有利に立った畠山の数名が、すかさず正勝の跡を追った。
草を掻き分けて一人逃げる正勝であったが、切り立った谷川にゆく手を阻まれる。すると跡を追ってきた畠山の兵が、名乗りを上げる猶予も与えず、正勝の背後から斬り掛かった。
「くっ」
正勝も抜刀して、果敢に敵兵と刃を交えた。だが、谷川を背にして三方から囲まれる。
―― ざっ ――
正勝の目の前が赤く染まる。額から頬にかけて敵兵の刃を受けて血が滴り落ちた。
「小次郎……」
後を託すように正元の名を叫び、正勝はひざから崩れ落ちた。
千早落城の報は、早馬で京の細川管領家(京兆家)の屋敷にもたらされた。
未だ細川頼之は病床にあった。目を閉じたまま深く呼吸を繰り返す頼之の枕元に、舎弟で嫡養子でもある幕府管領、細川頼元が座る。
「兄上(頼之)、昨日、千早城が落ちました。楠木党の面々は城から落ちて行ったようですが、子細は不明です」
高熱でうなされる頼之に、その言葉が伝わったかどうか、頼元にはわからなかった。
意識が朦朧とする中、細川頼之は自分が馬に乗って揺られていることに気がつく。
「ここはどこじゃ」
そう言って後ろを振り返る。そこには大勢の武士や公家が馬に乗り、頼之の後に従っていた。
「この行列は……」
「主上(後亀山天皇)の御還幸じゃ」
疑問を抱いた頼之に、馬に乗った隣の男が応じた。目をやると正儀が、轡を並べて進んでいた。
言われて後ろを凝視すると、屋根に鳳凰が飾られ、あちらこちらに金箔が散りばめられた朱塗りの輦(天皇の御輿)が目に入った。
見事な鳳輦を見て、頼之は、はたと思い出す。
「そうか……二人で南北朝廷の騒乱を終わらせようと約束したのでございましたな」
その言葉に正儀はにっこりと微笑む。
「さ、ともに参りましょう」
正儀に促され、頼之も馬を進めた。
元中九年(一三九二年)三月二日、細川頼之が亡くなる。享年六十四歳。正儀が亡くなってから半年後のことであった。