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第43話 篠ヶ城

 元中二年(一三八五年)正月、温暖な印象のある紀伊国だが、紀北《きほく》は別である。底冷えする寒さが続き、山は薄っすらと雪化粧をしていた。

 正儀の猶子《ゆうし》、篠崎《しのざき》正久が、紀伊国大旗山(おおはたやま)の拠点作りに着手して半年以上が経った。幕府の紀伊守護、山名義理(よしただ)に隠れての城造りは容易ではなかったが、何とか城は完成する。

 城の名は篠ヶ城(しのがじょう)。正久が、山頂を覆う篠竹《しのだけ》と、自身の名にあやかって命名した。元は真言密教の廃寺跡を利用した南軍の砦である。これに出丸や土塁などを構築し、陣屋を構えた。

 山頂が本丸(主郭)で、その南は急峻な崖。東と北に延びる尾根伝いに、それぞれ支丸を設け、周りを土塁と逆茂木《さかもぎ》でぐるりと囲い、城の境界である郭《くるわ》としていた。そのさらに外側、東と北のそれぞれの尾根先にも出丸を設け、敵の侵入に備えた。

 しかし、城はできても大きな問題が残っていた。紀伊の武士たちを説得し、兵を集めることである。城造りと並行し、密かに河野辺《かわのべ》真次郎正国が国人らの説得にあたった。だが、反応は芳《かんば》しくはなかった。

 正久は、兵の集り具合に臍《ほぞ》を噛む。

「真次郎、ざっと五百といったところか。心もとないのう。兵だけではない。兵糧も弓矢もじゃ」

「南軍は纏《まと》まりがなく、てんで勝手に砦に立て込もっております。やはり、幕府に降った楠木に対するわだかまりが解けていないと見受けられます」

 正国も残念そうに答えた。

「このままでは、山名は一つ一つ、砦を落としていくであろう」

「二郎殿(正久)、ここは、大殿(正儀)に支援を求めてはいかがかと」

「たわけたことを申すな。楠木の兵力は、来る南北合一のために温存させねばならん。支援を求めるくらいであれば、端《はな》から紀伊へは来なかった。是が非でも、我らの力で兵を集めようぞ」

 そう言って正久は意気込むが、正国の顔は晴れなかった。


 楠木館の正儀も、篠ヶ城(しのがじょう)の兵の集まり具合を気にしていた。館の広間に河野辺《かわのべ》正友と菱江《ひしえ》庄次郎忠儀(ただのり)を呼び寄せる。

 息子の正国を篠ヶ城(しのがじょう)に遣《つか》わせていた正友が、心もとなげな表情を正儀に向ける。

「殿(正儀)、篠ヶ城(しのがじょう)はいかがでございましょうや」

「うむ、二郎(正久)は何も言って来ぬが……」

「紀伊は我ら楠木の地盤ではありませぬ。亡き四条卿(隆俊)との確執もありましたので、楠木の名で兵を集めるのに苦労されているのでしょう」

 もともと紀伊は亡き四条隆俊の配下であった武将が多く、幕府に敵対するとともに、和睦を進めようとした正儀にも反発していた。

 重臣の指摘に、正儀も腕を組んで考え込む。

「そうかも知れぬ。されど、今、こちらの兵を割《さ》くことも難しい。畠山基国の動きが気になる」

「確かに……不気味に沈黙しておりますな」

 正友の言葉に正儀が頷く。

「とにかく紀伊は山名義理(よしただ)の出方次第じゃ。ここまで特に動きを見せておらぬということは、篠ヶ城(しのがじょう)の動きにまだ気づいておらんからであろう。成否は山名が動くまでにどれだけ兵を集められるかじゃ」

 その言葉に、正友の隣に控える若い菱江忠儀は、焦りの色を隠せない。

「もし、先に山名が動くことがあればいかがされますか」

「その場合は、二郎を呼び戻すしかなかろう」

「それでは、せっかくの二郎殿の苦労が水の泡……」

 そう言って忠儀は正儀の顔色を窺《うかが》うが、その悩み深い表情に黙り込むしかなかった。


 幕府の河内守護(しゅご)、畠山基国が、政所《まんどころ》執事の伊勢照禅(しょうぜん)(貞継)に付き添いを願って、幕府管領(かんれい)、斯波《しば》義将《よしゆき》の京屋敷を訪れていた。

「その後、常久《じょうきゅう》の動きはいかがでございましょう。追討の命《めい》が撤回されておらぬのに、大胆にも幾度も上洛しておりましたが」

 基国が細川頼之の法名である常久の名を出すと、義将《よしゆき》は苦々しい表情を隠そうともしない。

「弟の細川頼元が摂津守護に任じられてから、常久は、さも自分が赦免されたかのように振る舞っておる。追討の動きがないのをよいことに、領国の経営に力を入れ、四国の国人衆を配下に組み入れた。御所様(足利義満)は、見て見ぬふり。大方《おおかた》(渋川幸子(ゆきこ))様にも御苦言申し上げたが、将軍に申し上げよと言われるばかり。今となっては、あの時、御所様を御諫《おいさ》めすることができなかったことが悔やまれる」

 義将《よしゆき》が言うあの時とは、三年半前のことである。頼之の舎弟、細川頼元が赦免されて上洛した時、義将《よしゆき》が管領《かんれい》を辞する覚悟で義満の翻意《ほんい》を促《うなが》した。だが、赦免は頼元だけのことと義満に言いくるめられてしまった。

 ふうむと唸り声を上げた照禅が、基国に語りかける。

「絶海《ぜっかい》中津《ちゅうしん》を知っておろう」

「それはもちろん。夢窓《むそう》疎石《そせき》様の弟子で、義堂《ぎどう》周信《しゅうしん》とともに五山《ござん》の双璧と称される禅僧でございますな。ただ、御所様の勘気を被《こうむ》って摂津に隠遁《いんとん》されておるとか」

「そうじゃ。その中津《ちゅうしん》を、摂津の守護である頼元が有馬にかくまったという。そして、常久が四国に招くのではないかとの噂もある。つまり、細川兄弟は、御所様の威光をまったく恐れておらんということじゃ……」

 照禅の説明に、基国は憮然とした表情で沈黙した。

 苦々しい表情で、照禅がさらに続ける。

「……にもかかわらず、御所様は、頼元を咎《とが》めようとはしておらぬ。もし、常久が絶海《ぜっかい》中津《ちゅうしん》をかくまうことがあっても、放っておけばよいと言われる始末じゃ」

「何と言っても、御所様にとって常久は先代(足利義詮(よしあきら))から与えられた新たな父じゃからな」

 義将《よしゆき》は、ふんと鼻を鳴らして照禅に応じた。

「左様、それだけに常久に対しては甘い。このまま赦免することあらば、諸将は御所様(足利義満)の御威光を軽んずるようになるであろう。傳役《もりやく》として……政所《まんどころ》執事として、将軍家の威信を保つため、常久の赦免は阻止せねばならん」

 照禅の忠義は、義満と将軍家の威光を守ることにある。もちろん頼之に対する対抗心もあった。

「赦免となれば、常久が管領《かんれい》に返り咲く可能性もありますな」

 基国は照禅に向けてそう言いながら、義将《よしゆき》の顔をちらっと窺《うかが》う。すると義将《よしゆき》が基国を睨み返す。

「そなたにとっても他人ごとではあるまい。常久が管領《かんれい》に復職するようなことあらば、またもや常久は楠木正儀と手を組み、南主(後亀山天皇)との和睦を進めようとするであろう。さすれば、大国《たいこく》河内は楠木のもの。そなたは河内守護(しゅご)を罷免《ひめん》される」

「ううむ……」

 基国は低く唸った。

 顎《あご》を触りながら、照禅は交互に二人へ目を配る。

「常久と正儀が手を組んでは厄介じゃ。されど、常久を討つべく、御所様を説き伏せて四国に兵を送るのは難しい。さすれば、今のうちに、南方《みなみかた》(南朝)との決着をつけておくのがよいかと存ずる」

 照禅の思惑に、互いに目を合わせた二人は、溜《ため》を作って強く頷く。

 早速、義将《よしゆき》が腕を組んで策略を巡らす。

「南方《みなみかた》(南朝)の台所を支えておるのは紀伊の年貢じゃ。紀伊守護の山名義理(よしただ)に命じて紀伊の穀倉地を征圧させる。さすれば、楠木も紀伊へ出兵せざるを得なくなる。楠木の守りが手薄になった河内を畠山殿が制圧する。どうじゃ」

「なるほど……承知しました」

 納得顔で基国も頷いた。


 紀伊守護の山名義理(よしただ)は、かつて国府がおかれた紀伊北部、府中の守護館を拠点としていた。義理《よしただ》は、幕府の使者を迎え、将軍、足利義満の御教書《みぎょうしょ》を仰々しく受け取った。

 幕府の使者を帰した後、義理《よしただ》は重臣たちを広間に呼び寄せる。

「管領《かんれい》殿に言われるまでもなく、紀伊の制圧は考えておった。だが、御教書《みぎょうしょ》があれば和泉や大和からも兵を集めやすい。願ったりじゃ。幾度も山陰から兵を借りれぬからな」

 老臣が義理(よしただ)の前に絵地図を広げる。

「で、殿、どこから攻略しますか」

「まずは、橋本の残党からじゃ。紀北《きほく》を完全に掌握し、続いて紀伊の中部・南部を攻める。在地の豪族に南軍制圧の兵を出すように触れを出すのじゃ。それと、和泉(山名氏清)に出兵するよう伝えよ」

「承知つかまつりました」

 重臣たちが頭を下げた。

「よいか、兵を出し渋る国人・土豪は、南軍とみなして、一つ一つ、順番に討伐すればよい」

「畏《かしこ》まりました。南軍に与《くみ》する者どもを洗い出し、兵も増やせる。一石二鳥でございまするな」

 感心する老臣に、義理《よしただ》は不敵な笑みを浮かべた。


 山名義理(よしただ)の動きは、東条の楠木館にももたらされる。

 館の広間に集められたのは、楠木正勝・正元の兄弟と猶子《ゆうし》の津田正信。舎弟の楠木正顕(まさあき)とその息子の正通《まさみち》・正房(まさふさ)兄弟。さらに河野辺正友、菱江忠儀、恩智左近満信ら家臣たちであった。

 一同を前にして、正儀は険しい表情を見せる。

「篠ヶ城(しのがじょう)の二郎(篠崎正久)より書状があった。紀伊の山名義理(よしただ)が南軍討伐に兵を集めておる。兵を出し渋った土豪は、南軍とみなして討ち滅ぼすとのことじゃ。手はじめに、かつて橋本配下であった土豪が皆殺しにされたとある」

 正儀の話に、諸将は顔を見合わせた。

 次男の正元が身体を乗り出すように、正儀に詰め寄る。

「父上(正儀)、それで、二郎兄者はどうするつもりと書いてあったのですか」

「これを機会に、篠ヶ城(しのがじょう)に菊水と非理法権天《ひりほうけんてん》の旗を上げると書いてある」

「二郎兄者はまだ五百の兵しか集められておらん。これで兵を上げれば、敵に討ってくれと言っているようなものではないか」

 正儀の話に、嫡男の正勝が焦りの色を見せた。

「若殿(正勝)、これはもしかすると二郎殿に考えがあってのことやも知れませぬぞ」

 苛立《いらだ》つ正勝を正友が押し留めた。

「というと……」

「篠ヶ城(しのがじょう)に菊水の旗を上げることで、ばらばらの南軍を、一気に糾合《きゅうごう》しようとしているのではありますまいか」

 顎先に手を当てる正友に、正儀が頷く。

「おそらく二郎はそれを狙っておるのであろう」

 正久の性格を考慮していた。楠木館に迷惑をかけず、己の力で紀伊の危機を打開しようとする策は、二郎らしいと思った。

 だが、正儀の舎弟、正顕は慎重である。

「兄者(正儀)、そうだとしてもそれは一か八かの賭けじゃ。二郎の元に南軍が終結せねば、一つ一つの拠点を叩かれ、最後に篠ヶ城(しのがじょう)が落とされる。ここは二郎に撤収を命じるべきではなかろうか」

「されど、叔父上(正顕)、二郎兄者が兵を引いては、紀伊が山名に制圧されてしまう。さすれば、朝廷(南朝)は干上がってしまう」

 正元が反論し、軍議は堂々巡りとなる。いずれも解《こたえ》を持ち合わせてはいなかった。

 意見が出尽くしたところで、最期に正儀が決意する。

「ここは二郎の考えに賭けてみよう」

 難しい決断であった。正儀も確固たる自信はなかった。


 紀伊国大旗山(おおはたやま)。篠崎正久は、篠ヶ城(しのがじょう)を隠していた周囲の木々を切り倒し、篠竹《しのだけ》を刈り、城に菊水と非理法権天《ひりほうけんてん》の旗を掲げた。

 本丸の土塁の上に立ち、高揚した表情で出丸に掲げられた旗を見つめる正久と河野辺正国の元に、郎党に案内された黒衣の男が駆け寄り、片ひざを付く。

 男は、服部成儀(なりのり)から遣《つか》わされた透っ波(すっぱ)である。成儀《なりのり》の命《めい》を受けて、紀北の状況を探っていた。

「篠崎様(正久)、橋本正基(まさもと)殿が討たれました。山名義理(よしただ)は橋本党の拠点を次々と攻め滅ぼしております」

 男の話に、正国が目を剥《む》く。

「何、正基《まさもと》殿が……」

 討死したのは、かつての河内目代、橋本正茂の嫡男、正基《まさもと》であった。

「くっ、我らと手を合わせることができれば、このようなことにならなかったかも知れぬのに……」

 正久は悔しそうに唇を噛んだ。


 幕府の紀伊守護、山名義理(よしただ)は紀伊北部の南軍拠点をしらみつぶしに攻略していた。

 紀伊府中の守護館に、配下の侍大将が戻ってくる。

「殿(義理《よしただ》)、大旗山《おおはたやま》に、突如として菊水と非理法権天《ひりほうけんてん》の旗が掲げられました。その数およそ五百ほどかと」

 その報告に、義理《よしただ》は目を剥《む》く。

「何、いつの間に楠木が……されど、たかが五百。恐れることはあるまい」

「いえ、それが、菊水の旗が上がったことで、ばらばらだった南軍が大旗山《おおはたやま》に集結しようとしておるようです。いずれ二千になろうかと存じます」

 正久の策は当たった。ばらばらに山名義理(よしただ)に叩かれていた南軍は、大旗山《おおはたやま》を目指していた。

「それで大旗山《おおはたやま》の大将は誰じゃ」

「はい、楠木正儀の息子で二郎正久と申す者のようです。自ら籠る城を篠ヶ城(しのがじょう)と名付け、用意周到に紀伊の拠点造りをしていた模様です」

「楠木……正久か。知らぬ名よのう。じゃが、相手は楠木。確かに油断はできぬな。念には念を入れて対処しよう」

 楠木と聞いた義理《よしただ》は、ただちに篠ヶ城(しのがじょう)に向かおうとはせず、慎重に城攻めの準備を行うこととする。まず手はじめに、紀伊府中の守護館から兵を率いて藤白山の大野城に移った。藤白山には東に大野城、西に支城として藤白城を持ち、尾根伝いに幾つもの砦が構築された山城である。その藤白山は大旗山《おおはたやま》の南西に位置し、紀伊中部からの兵糧を断つには都合がよかった。


 七月、ついに幕府方の紀伊守護、山名義理(よしただ)は、紀伊最後の南朝拠点、篠崎正久が守備する大旗山《おおはたやま》の篠ヶ城(しのがじょう)攻略にかかる。

 山名軍は、藤白山から一万の兵を差し向けて篠ヶ城(しのがじょう)を包囲し、兵糧を断った。

 紀伊国で孤軍奮闘の正久は、それでも正儀に負担をかけさせまいと、楠木館へ援軍を要請することはなかった。しかし、正儀の元には、続々と篠ヶ城(しのがじょう)の苦境が伝わっていた。

 正儀は館の広間に諸将を集めた。菱江忠儀が一同の前で絵地図を広げ、篠ヶ城(しのがじょう)を指差す。

「城は山名軍一万に包囲され、兵糧口を押えられたようにございます。されど、二郎殿からは、城の近況は知らせても、援軍の要請は来ておりませぬ」

 舎弟の楠木正顕が不思議そうな顔をする。

「一万とは……紀伊の山名義理(よしただ)だけで、よくそれだけの大軍を集められたものじゃ」

「和泉から山名氏清の援軍が加わっておる。さらに、おそらくは南軍の国衆をも糾合《きゅうごう》した結果であろう。山名は兵を出さなかった土豪を容赦なく皆殺しにしてきた。その一方、兵を出して味方する者たちに対しては、これまでのことを、いっさい問わず、寛容に接した。多くの南軍の者たちが山名軍に降ったのであろう」

 嫡男の楠木正勝は正久を思いやる。

「二郎兄者は我らに負担をかけまいと、援軍を要請せずにおるのであろう」

「父上、二郎兄者を放っておくわけには参りませぬ。ただちに兵を出しましょう」

 次男の楠木正元が進言した。一同も皆、同じ気持ちである。しかし、正儀は沈黙したまま腕を組み、目を閉じた。

「父上っ」

 強く出陣を求める正元に、河野辺正友が正儀との間に入る。

「小次郎様(正元)、我らが東条から兵を割《さ》いて出陣すれば、若江城の畠山が、手薄になった南河内に侵攻する可能性があります」

「では、そなたは篠ヶ城(しのがじょう)を見捨てよと申すのか」

 正友の言葉に、正元は眉を吊り上げた。それを見て、正顕が口を挟む。

「小次郎、口が過ぎよう。又次郎(正友)とて我が子、真次郎(正国)が篠ヶ城(しのがじょう)に居《お》るのじゃぞ。思いを察っせよ」

「だったらなぜ……」

 苛立つ正元を、正儀が制する。

「我らの兵力は限られておるのじゃ。兵を割《さ》けるものなら、端《はな》から二郎に兵をつけて送り出しておる。二郎の策は、紀伊で兵を集めることに意味があったのじゃ」

「されど、山名の兵はそれ以上……」

「そうじゃ。さすれば、紀伊の篠ヶ城(しのがじょう)に固執すべきではない。いずれ斯波《しば》義将《よしゆき》が管領《かんれい》を退き、常久殿(細川頼之)が管領《かんれい》に復帰することになろう。来るべき南北合一のためにも、我らは少しでも兵力を温存せねばならんのじゃ」

「では、父上は二郎兄者と真次郎を見捨てられますか。常久殿が復帰される前に朝廷(南朝)が攻め滅ぼされてしまえば、南北合一も何もありますまい」

 直情的な正元は、正儀の考えを理解しようとはしなかった。

「二郎には、自らの力で血路を切り開いてもらい、篠ヶ城(しのがじょう)を脱出してもらうしかない」

 正儀は、非情な考えを口にした。

「無体なことを。二郎兄者は、責任を感じて逃げようとはせぬであろう。そんな二郎兄者を父上は見殺しにするのか」

「致し方のないことなのじゃ」

 低く唸るような声で正儀は応じた。苦渋の決断であった。

「それがしは、納得できかねる」

 怒気を放って立ち上がった正元が、敷板を蹴るようにして広間から出て行った。

 跡を追おうとひざを立てる正勝を、正儀が止める。

「小太郎(正勝)、斯波《しば》義将《よしゆき》が実権を失う日は遠くない。辛い決断ではあるが、その機会まで辛抱するのじゃ。今はただ、二郎が篠ヶ城(しのがじょう)を無事に逃れられるよう、神仏の御加護に縋《すが》ろう」

 その言葉に、正勝は悲壮な表情を浮かべて座り直した。


 軍議が終わり、楠木正勝が館を出ると、舎弟の楠木正元が待ち構えていた。

「小太郎兄者(正勝)、本当に二郎兄者(篠崎正久)を見捨てるつもりなのか。太郎兄者(橋本正督(まさただ))の二の舞にするつもりか」

「わかっておる……小次郎、着いて参れ」

 堅い表情で、正勝は馬留《うまとどめ》に向かった。正元も慌てて正勝の跡を追う。そして、ともに馬に跨がって駆け出した。

 幼き時から一緒に育った正久を、正勝も見捨てることはできなかった。二人は、正儀に隠れて散所の民や野伏《のぶせ》などを招集し、出陣の支度《したく》に取り掛かかった。

 領地も年貢も減った楠木党が、いまだ傭兵《ようへい》を集められるのには訳があった。楠木党には、金剛山の辰砂《しんしゃ》(水銀の混じった砂)や水運で蓄えた財があったからである。正勝は、自らの傳役《もりやく》で、楠木の内々の諸事を任されていた恩地左近満信と謀り、この財を使った。


 しかし、楠木正勝の謀《はかりごと》は、すぐに正儀の知るところになる。正儀は正勝を自分の部屋に呼び出した。

「小太郎(正勝)、武具と野伏《のぶせ》どもを集めておるそうじゃな。笹五郎《ささごろう》が、わしに知らせて参った」

 野伏《のぶせ》の棟梁であった笹五郎こと笹田五郎宗明は、すでにこのとき老齢である。野伏《のぶせ》の頭からは引退し、ひっそりと河内で暮らしていた。だが、その筋の情報は、今でも笹五郎の元へ集まっていた。

「わしの命《めい》に反して、紀伊に出陣しようというのか」

 正儀の尋問に正勝は、いずれ露見することと腹を据える。

「左様にございます。隠し通せるものではありませぬ。いつ言おうかと思うておったところ。それがしは、やはり二郎兄者(篠崎正久)を見殺しにはできませぬ」

「たわけものっ……」

 目を吊り上げて、正儀が声を張り上げた。

「……なぜわからんのじゃ。そのようなことをすれば、楠木は畠山に攻められて危機に陥《おちい》る。左様なことになれば、誰が主上《しゅじょう》(後亀山天皇)をお守りするのじゃ」

「わかっておりまする。極力、こちらの兵を割《さ》くことなく、傭兵《ようへい》を集めて篠ヶ城(しのがじょう)へ向かいたいと存じます」

「傭兵《ようへい》ばかり多くても、纏《まと》める侍大将がどれだけ居《お》るというのか。数ばかりでは戦にならぬことは、お前とて、よくわかっておろう」

 不興気《ふきょうげ》な表情を抑えて、正儀は正勝を諫《いさ》めた。

「篠ヶ城(しのがじょう)の血路を開きさえすればよいのです。深入りするつもりはありませぬ」

「お前が動くことこそが深入りなのじゃ」

「父上(正儀)のお許しなくとも、それがしは出陣する覚悟。孫次郎(和田正頼)殿も同意してくれております」

 声を荒げることなく、正勝は正儀の言葉をはねつけた。

 そんな正勝を前に、正儀は暫《しば》し目を閉じて沈黙した後、恩智左近満信を呼び寄せる。

 一緒に謀《はかりごと》を巡らせた満信は、ばつが悪そうな顔で、正儀に頭を下げる。

「お、大殿……申し訳ございませぬ」

「左近、問い詰めるために呼び寄せたのではない。楠木党から百人ばかり兵を割《さ》いて、紀伊へと出陣する小太郎に付けよ。それと、左近は軍目付《いくさめつけ》として、小太郎に従うのじゃ」

 その言葉に面食らった満信は、口をぽかんと開けた。

「どうした」

「あの……大殿、楠木館はよろしいのですか」

 恐る恐る満信がたずねた。

「我らは赤坂城に入り、淡輪《たんのわ》(光重)ら与力衆を呼び寄せて守ることとしよう」

「はっ、承知しました。お任せくだされ」

 傳役《もりやく》として正勝を見守ってきた満信は、安堵の表情を見せた。

「父上(正儀)、申し訳けございませぬ。必ずや、二郎兄者を御救い致します」

 苦しい父の立場をも理解する正勝は、申し訳なさそうに頭を下げて、満信とともに部屋を出て行った。


 入れ替わるように楠木正顕が部屋に入って来て、腰を据えながら話し掛ける。

「兄者(正儀)、よいのか。もう、楠木の財も底を突きかけておる」

 すでにこの頃、楠木家の収入源である辰砂《しんしゃ》も水運も、幕府の横槍で、続けられなくなっていた。

「聞いておったのか……」

「まず、小太郎に勝ち目はあるのか。あやつが集めた兵は野伏《のぶせ》や散所の者たちじゃ。昔ならいざ知らず、凋落《ちょうらく》した南朝のために、命《いのち》を張ろうという者はおらぬ。きっと、金だけもらって行軍に加わるだけじゃ。たとえ楠木党の百人を付けても、まともな戦はできぬぞ」

「うむ、わかっておる。高野山の僧兵に合力を願うつもりじゃ」

「高野……金剛峯寺《こんごうぶじ》は中立を守っておる。とても、兄者の願いを聞き入れるとは思えんぞ」

 正顕は怪訝《けげん》な顔を正儀に向けた。

「確かにお前の言う通りじゃ。されど、味方はしてくれぬまでも、聖地高野が戦にまみれぬよう、自衛のために僧兵を出して、山名軍を牽制してさえくれればよいのじゃ」

「我らに真言《しんごん》座主《ざす》への伝手《つて》はないのじゃぞ。難しいと思うが……」

「いや、望みがないわけではない。四郎(楠木正顕)、わしの名代として、高野山の途上にある玉川に向かってくれぬか」

「玉川……何と……あの御方を頼るのか」

 唖然とする弟に向けて、正儀はゆっくりと頷いた。


 翌日、楠木正顕は従者を一人伴って紀伊国に入った。そして、高野山の途上にある玉川峡谷を目指し、丹生川《にうがわ》沿いに山の中に分け入る。奥へ奥へと進むと、玉川里《たまがわのさと》と呼ばれる小さな集落がある。数えるほどの民家と、後は小さな神社と寺が、ひっそりと建っているだけの里であった。

 正顕は里のはずれにある小さな屋敷を訪ねる。屋敷の中に招かれた正顕は、平伏したまま屋敷の主を待った。

「伊予守《いよのかみ》(正顕)、久しぶりじゃのう」

 声を掛けたのは、先の大納言、葉室《はむろ》光資《はるすけ》であった。そして、奥に先の帝である長慶上皇が座る。譲位された後、十津川郷湯之原に移り住んでいたが、討幕の協力者を求めて、畿内各地に足を運び、今はこの玉川の地に留まっていた。

 上皇は光資《はるすけ》を一人従えただけで、一段高い簾台《れんだい》もない座敷で正顕と対面した。

「御尊顔を拝し、恐悦に存じ奉ります」

「伊予守《いよのかみ》、して、このようなところへ、いったい何の用があって参ったのじゃ」

 正儀と一緒に幕府に降らなかった正顕に対しては、上皇は悪感情を抱いてはいなかった。

「はっ、我が兄、楠木宰相(さいしょう)の使いで参りました。これを」

 正顕は平伏したまま、光資《はるすけ》に正儀の書状を手渡した。

「楠木|宰相……そうか、正儀は参議に任じられたのであったな」

 上皇は、苦々しい表情で光資《はるすけ》から書状を受け取ると、広げて目を落した。高野山の僧兵の出陣を求めるため、上皇の院宣《いんぜん》を願い出たものであった。

 高野山のおひざ元である玉川里に上皇が居るということは、暗黙の了解で高野山がかくまっているということに他ならない。高野の法印権中僧正《ほういんごんのちゅうそうじょう》は上皇と懇意であった。正儀は、その繋がりをもって真言《しんごん》座主《ざす》、寛芸《かんげい》を説得しようとしたのである。

 書状に目を通し終えた上皇は、書状を放るようにして前に置いた。

「よくもこのような事を願い出てきたものじゃ。正儀の勝手な願い、朕《ちん》が叶えるとでも思うたか」

 上皇は呆《あき》れるように言った。

 すると、正顕は直視はせぬものの、少し顔を上げて上目遣いに訴える。

「上皇様、お待ちください。我が兄は、確かに上皇様とは考えを異にしておりましたが、いつも、朝廷を思うてのことでございます」

「常に和睦を求めていたという正儀が、朝廷に帰参したとたんに、戦を行おうなどとは片腹痛し」

 上皇は正顕から顔を逸《そ》らした。

「兄は後醍醐の帝の血筋を京へ御戻しするためだけに身を粉《こ》にして務めてきたのです。兄にとっての忠義とは、君臣和睦なのでございます。今日までいささかも変わっておりませぬ。兄の戦は、その先に、必ず和睦を見ております。今は、幕府との間で閉ざされた和睦の道筋を開くために、戦が必要なのでございます」

 正顕の言葉に、上皇は視線を落として、ふうと溜息をつく。

「正儀が、朝廷のことだけを念じていることくらいようわかっておる。だからこそ、正儀は朕《ちん》にとって厄介な存在だったのじゃ。伊予守、その方《ほう》は違うと思うておったが、そちも厄介な存在のようじゃな……ならば、しばらく、ここで待つがよい」

 上皇はそう言うと、光資《はるすけ》に目配せして、ともに部屋を出て行った。正顕は、何事かと思いつつも、その場で待ち続けた。

 しばらくして光資《はるすけ》が一人で戻ってくる。

「伊予守、そなたが希望する院宣《いんぜん》じゃ。確かめるがよかろう」

 驚いた正顕が、中身を確認する。

「確かに……されど、なぜにございます」

「上皇様は、楠木宰相(さいしょう)(正儀)を、考えは違うにせよ、信用できる者じゃと思うておる。現状が少しでもよい方向に向かうのであれば、力を貸そうと仰せじゃ。さ、これを持って、高野山へ上がるがよかろう。ただし、高野が味方になってくれるかまでは上皇様をしてもわからぬ。よいな」

「は、はは」

 正顕は光資《はるすけ》に頭を下げたあと、上皇が立ち去った方に向けて、あらためて深く平伏した。


 それから一月《ひとつき》も経たない八月十日のこと。その長慶上皇が慕っていた宗良《むねよし》親王が、遠く離れた信濃国大河原の地で薨去《こうきょ》する。享年七十五歳であった。

 歌詠みの才に溢《あふ》れた心優しき皇子は、若くして自らの意思とは関係なく、戦の中に身を絆《ほだ》された。元弘の変では兄宮《あにみや》の護良《もりよし》親王とともに比叡山で挙兵し、その後、笠置山の落城で幕府に追捕《ついぶ》された。

 建武の新政が崩壊して以降は、遠江国《とおとうみのくに》の井伊谷《いいだに》に入り、南朝勢力の拡大を図るべく幕府方の武将たちと争った。さらに信濃国の大河原に入ってからは、征夷大将軍として鎌倉に出陣して、北朝側の征夷大将軍であった足利尊氏と戦ったこともあった。

 親王に心休まる日はなかった。晩年に新葉和歌集を編纂《へんさん》したことが、親王には何よりも心満たされたひと時である。その和歌集の編纂《へんさん》には、楠木正顕も陰ながら携《たずさ》わった。正顕にとっても、宗良《むねよし》親王の薨去《こうきょ》は心を痛める出来事であった。


 同じ八月、楠木正勝・正元の兄弟は、軍目付《いくさめつけ》の恩地左近満信、和田正頼・正平(まさひら)親子とともに、急遽集めた軍勢で紀伊へ出陣した。

 掻《か》き集めた兵は千四百余騎の大軍となった。だが、野伏《のぶせ》、散所の民、百姓などからなる見かけ倒しの軍勢である。その楠木軍は、旗尾岳《はたおだけ》を越えて紀伊に侵攻すると、紀の川(きのかわ)沿いの三ヶ谷(みかだに)砦に入った。三ヶ谷(みかだに)砦の背後には高野山が控えている。

 いったん砦に入った正勝は、高野山を見上げて正元に話しかける。

「小次郎(正元)、ここで高野山の僧兵を待とう」

「承知した」

 すでに上皇の院宣《いんぜん》は楠木正顕の手によって高野山へ届けられていた。正勝は正元を従えて諸将を集める。

「我らはここに陣を張り、高野山の出陣を待つ。そして、山名軍をここへおびき寄せる」

 正勝は、満信らに策を説明した。篠崎正久が籠る大旗山《おおはたやま》の西に位置する、ここ三ヶ谷(みかだに)砦に陣を張ることで、大和から大旗山《おおはたやま》の篠ヶ城(しのがじょう)へ兵糧の道を確保する。同時に、幕府の紀伊守護、山名義理(よしただ)をこの三ヶ谷(みかだに)砦に向かわせて、篠ヶ城(しのがじょう)の囲みを解こうとした。正儀の嫡男だけあって、よく考えられた軍略であった。

「兄者(正勝)、承知した。後は、僧兵の力を得て、山名軍の動きを待つばかりじゃ」

「うむ」

 楠木兄弟は、万全を期して山名の動きを注視した。


 藤白山の大野城に陣を布いた幕府の紀伊守護、山名義理(よしただ)の元に、楠木正勝が出陣して三ヶ谷(みかだに)砦に陣を布いたとの知らせが届く。

「何、楠木小太郎正勝じゃと。確か正儀の嫡男であったな。篠ヶ城(しのがじょう)の兄弟を救出に来たのか」

「殿(山名義理(よしただ))、いかがされますか。たかが千余とはいえ、篠ヶ城(しのがじょう)と一緒になると面倒ではございませぬか」

 配下の侍大将が義理《よしただ》に懸念を伝えた。

「面倒かどうかはさておいて、正儀の嫡男を討てば、楠木の気勢を一気に削ぐことができるであろう。よし、篠ヶ城(しのがじょう)の囲いに三千ほど残して、七千で正勝を討とう」

 本軍を率いて、義理《よしただ》は紀の川を上り三ヶ谷(みかだに)砦に向かった。そして、背後に高野山を控える砦に対して、北に本軍を配し、西に搦手《からめて》軍を配した。

「楠木は、備えなく城に籠った。籠城《ろうじょう》の備えのない楠木など、何ら恐れることはない。正面から城を攻略せよ」

 義理《よしただ》の下知《げち》で、兵たちが砦へ攻め上がった。


 一方、三ヶ谷(みかだに)砦の楠木正勝は、兵たちを持ち場に付かせて、砦の上から敵を見降ろす。山名の兵が、隙間なく連なって、砦に迫っていた。

「よし、今じゃ。丸太を放て」

 正勝の合図で、兵たちが丸太を繋ぎ止めていた綱を切った。籠城《ろうじょう》の備えなど、あろうはずもないと高《たか》を括《くく》っていた山名軍は油断していた。勢いよく転がる丸太に、山名の兵たちは飲み込まれた。

 三ヶ谷(みかだに)砦はかつて正儀が造った砦で、もしもの時のために、予《かね》てから、守りの仕掛けが備えてあった。

「矢を放て」

 続けて、恩地満信が下知《げち》すると、楠木の兵たちは雨のように矢を射かけ、山名の兵を城に寄せ付けなかった。

 その様子を窺《うかが》っていた楠木正元は、顔をにやつかせる。

「兄者(正勝)、うまくいったな」

 山名軍の慌てぶりに喜ぶ正元であったが、正勝は冷静に戦況を見ていた。

「所詮は一時凌ぎじゃ。いつまでも持たせることはできぬ。今のうちに篠ヶ城(しのがじょう)の二郎兄者(篠崎正久)に使者を送り、大旗山《おおはたやま》から撤退するように伝えよ」

「承知した。使いを出そう」

 正元は物見《ものみ》の兵を呼び寄せて、大旗山《おおはたやま》へ送った。


 三ヶ谷(みかだに)砦の麓では、山名義理(よしただ)が歯ぎしりする。

「謀られた。こんな砦でさえも、守りの備えがあったのか」

 悔しがる義理《よしただ》に、一人の重臣が狼狽《うろた》える。

「と、殿(義理《よしただ》)、いかが致しましょうか」

「楠木のことだ。どんな仕掛けがあるかわからん。兵たちには砦を囲んだままで、迂闊《うかつ》に砦に攻め込まぬように伝えよ。それと、兵二千を紀の川を進ませて三ヶ谷(みかだに)砦の東を押さえるのじゃ」

「承知つかまつりました」

「楠木め、いつまでもそのような手が通用すると思うなよ。戦は小手先でするものではない。目に物を見せてくれよう」

 義理《よしただ》は砦の背後にある高野山に目をやって、考えを巡らせた。


 山名軍の第一陣を撃破して気勢を上げる三ヶ谷(みかだに)砦の楠木軍であったが、一人、楠木正勝は焦っていた。

「高野山の僧兵はまだか」

「いや、まだじゃ」

 舎弟、正元の返答に、正勝が恩地左近満信を呼び寄せる。

「高野山に催促《さいそく》の使いを出すのじゃ」

「それがしが使者として参りましょう」

「うむ、頼むぞ」

 郎党を伴った満信が、三ヶ谷(みかだに)砦の背後から高野山へ続く山道を駆け上がった。

「兄者(正勝)、山名の第一陣は追い返したのじゃ。そう、焦ることはなかろう」

「たわけ、僧兵が来ぬうちに東の逃げ口を押さえられてしもうた。我らに残された退路は高野山しかなくなったのじゃぞ」

「兄者……」

 正勝の憤慨した様子に、正元は言葉を失った。

 楠木軍は、大旗山《おおはたやま》篠ヶ城(しのがじょう)の篠崎正久らを逃がすことができればそれでよく、兵糧など、本格的な籠城《ろうじょう》の備えはなかった。後は極力、戦を避けてひたすら東に逃げる事だけを考えていた。

 しかし、当てにした高野山の僧兵が出陣しなかったため、楠木軍の兵力だけでは砦の東は疎《おろそ》かにせざるを得ない。残された道は高野山への退路である。だが、それは、高野山に籠城《ろうじょう》することを意味し、そこまで高野山が楠木軍のために力になるとは考えられなかった。

 翌日、高野山に向かわせていた満信が、二人の郎党に肩を支えられながら戻ってきた。満信が正勝の前で、両ひざを付く。

「殿(正勝)、お逃げください。高野山はすでに我らの味方にあらず……」

 満信は苦しそうに肩で息をしていた。驚いた正勝が、ひざを付いて満信の肩に手を掛ける。

「おい、しっかりせよ。何があった。大丈夫か」

「何の、かすり傷でございます。そ、それより、高野山の僧兵は出て参りませぬ……すでに高野には山名の手が回り、山の上から……山名の兵が攻め込んで来ております……」

 苦痛の表情を浮かべた満信が、そしてそのまま、正勝に体重を任せるように倒れた。

「おい、しっかりせよ。どうしたのじゃ」

 正勝は、満信を抱き止めて背中に手を回すと、手に赤いものが付く。直垂《ひたたれ》の後ろは血で濡れていた。驚く正勝に、満信に従った郎党が無念の表情を返す。

「我らは山名勢に襲われ、左近様(満信)は背中に矢を受けられました」

「くそっ」

 うつ伏せに倒れる満信を、正勝は横に寝かせる。あたりに気を配ると、砦の背後からは、唸るような兵たちの怒声が木霊《こだま》していた。

「ええい、南を固めよ。弓矢の得意な者どもを集めるのじゃ。敵を近づけるな」

 兵らに応戦を命じた正勝は、横たわった満信の頭の後ろに手を回して支える。

「左近、しっかりせよ。一緒に逃げようぞ」

「若殿、この傷では足手まとい。それがしを置いてお逃げください……」

 そう言って正勝の手を振り解《ほど》く。

「……生き抜いて、君臣和睦を」

 痛みに耐えながら、口元に笑みを作った満信が、ゆっくりと頷いた。

 正勝は苦渋の表情を浮かべる。すでに、敵の先駆けが無防備な砦の南側に取り付いていた。もはや、戦場《いくさば》から満信を連れ出す余裕はない。

「くそっ……すまぬ、左近」

 涙をこらえ、正勝は満信をその場に寝かせて立ち上がる。

 背後を取られた楠木軍は、あっけなく敵の侵入を許していた。こうなると、寄せ集めの兵はおのおの勝手に戦列を離れ、我先にと蜘蛛の子を散らすように居なくなった。

 これを絶好の機会とばかりに、南から砦に取り付いた山名の兵たちが、楠木方の矢をものともせず、次々に切り込んだ。そして、麓で三ヶ谷(みかだに)砦を取り巻いていた山名本軍も、砦の中の様子を察知して攻め上がる。

 正勝は撤退せざるを得ない。

「よいか、東じゃ、東に向かえ。無事な者は一緒に来い。東の山名の守備軍へ突入する。者ども、着いて参れ」

 動ける兵を率いて、砦から馬を駆って東に下った。多くの傭兵《ようへい》は霧散したが、それでも、逃げ遅れた野伏《のぶせ》など、まだ六百の兵がいた。砦の東に配置する山名軍二千余に、楠木軍六百が突っ込んだ。

 楠木兄弟の周りは楠木本家の郎党が固め、山名の兵を寄せ付けなかった。だが、一人、また一人と、兄弟を守って討死する。

 兵に向けて正勝が声を張る。

「逃げられる者から、早く東に逃げよ」

 楠木兄弟に続き、和田正頼・正平(まさひら)の親子も残兵を率いて敗走した。


 正儀が放っていた斥候《せっこう》が、赤坂城に戻ってくる。館の庭に入って片ひざ付いた男が、縁に出てきた正儀に、三ヶ谷(みかだに)の敗戦を伝える。

「御味方は山名軍に成す術《すべ》もなく……されど、幸いにも若殿(正勝)・御舎弟殿(正元)、ともに御無事です。山名軍の追撃を受けつつも、残った兵を率いて伊勢街道を東に進み、国境《くにざかい》を越えて大和に逃げ込みました」

 斥候《せっこう》は、正儀に詳しく説明した。

 傍《かたわ》らの河野辺正友が正儀に代わる。

「味方の損害はどうじゃ」

「三ヶ谷(みかだに)砦では、逃げた者どもを合わせて九百の兵を失いました。御味方は討死したものが多数。それを見て雇われた野伏《のぶせ》の多くが逃げましてございます。若殿が率いる残兵はおよそ三百といったところかと……討死した御味方の中には、左近殿(恩地満信)もおられます」

「何、左近が……」

 正儀不在の間、東条の楠木家を内から支えたのが、この満信であった。四条畷《しじょうなわて》の直後に敗死した先代左近、恩地満一(みついち)の顔が正儀の頭をよぎる。楠木軍の散々たる敗戦であった。

「……して、篠ヶ城(しのがじょう)の二郎(篠崎正久)はどうじゃ」

「若殿が三ヶ谷(みかだに)砦に山名軍を引き付けている間に、二郎殿は脱出を試みました。されど、篠ヶ城(しのがじょう)攻略に居残った山名の兵は思った以上に多く、結局、城から軍を動かすことは叶いませんでした」

 正儀は眉根《まゆね》を寄せて目を瞑《つむ》る。斥候《せっこう》がもたらした報は、正儀にとって最悪のものであった。しかし、憂《うれ》いている暇はない。幕府側の河内守護(しゅご)である畠山基国は、この機を逃さず出陣し、河内最南部へ向けて進軍していた。


 急遽、正儀は一同を広間に移して軍議を開く。

「畠山の狙いは、河内南部の征圧じゃ。烏帽子形山《えぼしがたやま》のあたりまで、掌握するつもりであろう」

 上座に腰を据えた正儀は、鞭《むち》で絵地図の烏帽子形山《えぼしがたやま》を示した。正儀に最も近い位置で、絵地図に視線を落としていた楠木正顕(まさあき)が、苦々しそうに顔を上げる。

「戦うにしても小太郎(正勝)らも居《お》らん。烏帽子形山《えぼしがたやま》は捨てて、赤坂城に籠城《ろうじょう》するしかなかろう。赤坂が危なくなれば、さらに千早城に退けばよい」

「致し方ありませぬな。千早城にも兵糧を運び入れておきましょう」

 重臣の河野辺正友はそう言って、さっそく手配に掛かろうとした。

 しかし、正儀は一人腕組みをしたまま、絵地図を凝視するばかりであった。

「大殿(正儀)、それでよろしゅうございますか」

「いや、畠山を仁王山《におうざん》に誘い出そう」

 正友の念押しに、正儀はやっと顔を上げて答えた。その言葉に、正顕が驚いて怪訝《けげん》な表情を向ける。

「我が城のことか」

 仁王山《におうざん》城は、かつて楠木正成が築城した城で、今は正顕が拠っていた。

「女こどもを守りの堅い千早城に移す。我らは残りの兵を率いて仁王山《におうざん》に出陣し、畠山を迎え撃とう」

 正儀の策に、正顕は目を剥《む》いて問い返す。

「兄者(正儀)、我らが仁王山《におうざん》に出陣しても、畠山が仁王山《におうざん》に出てくるとは限らんではないか。畠山が真っすぐ赤坂・千早を突けば、女こどもを危険に晒《さら》すだけでなく、我らの拠点も奪われるぞ」

「いや、畠山は、千早城の守備の厚さを、以前の城攻めで身に染みておるはずじゃ」

 言わんとするのは、八年前の幕府軍による千早城攻めのことである。この時、正儀は幕府軍の一将として、畠山基国を側で見ていた。

「基国は、千早城は簡単に落とせぬと思うておる。わし自らが兵を率いて仁王山《におうざん》に向かえば、これ幸いと仁王山《におうざん》を攻めるであろう。四郎(正顕)、お前は判官(和田良宗)らとともに女こどもを連れて千早城に行き、千早を護るのじゃ」

「兄者(正儀)自らが、囮《おとり》になろうというのか。無謀じゃ。一緒に千早城に籠った方がよい」

 正顕は沫《あわ》を飛ばした。しかし、正儀は、静かに首を横に振る。

「千早城に隠れれば、確かに、我らはすぐには討たれぬであろう。じゃが、正平《しょうへい》の頃とは異なる。我らが金剛山に閉じ込もっている間に、畠山は河内最南部を我が物としよう。今の河内の北部のようにな」

 正平《しょうへい》の頃とは、基国の伯父、畠山国清が南河内に攻め入った時のことである。この時、正儀は、和田正武とぶつかってまで、千早城への撤退を決めた。

「あの時は、敵の侵入を許し、寝返る者も出たが、百姓らをはじめ、我らの支配は磐石であった。だから、敵をやり過ごせば、すぐにこの地は我らに戻ってきた。されど、今は違う」

 河内平尾の敗戦以降、幕府方の蚕食《さんしょく》は著しく、東条あたりまで、幕府と取り合わなければならない状況に陥っていた。

「されども、勝算はあるのか」

「任せておけ。畠山の鼻をへし折ってやろう」

 珍しく正儀は強気に応じた。その自信ありげな様子に、一同も意を決する。

「大殿(正儀)、では、さっそく我らは出陣の支度《したく》に取り掛かります」

 正友をはじめとする諸将は、正儀と正顕を残して広間から立ち去った。

 諸将が居なくなったことを確認してから、正顕が正儀に問う。

「兄者(正儀)があのような態度を見せるのは珍しいことじゃな。それだけ、自信がないということか……」

「ふふ、さすがに我が弟、よくわかっておるな。されど、ああでも言わねば決しなかった」

 正顕が正儀をじっと見据える。

「死ぬ気なのか」

「いや、生きて帰るつもりじゃ。無駄死するつもりはない。されど、万が一のことがあれば、小太郎(楠木正勝)を支えてやってくれ。そのためにお前を残した」

 顔を向けた正儀が、口元を緩めた。

「戯《たわ》けたことを……後見が必要なら兄者(正儀)がやられよ。まずは、生きて帰って来てからな」

 そう言うと正顕は立ち上がり、広間を出て行った。


 幕府の河内守護(しゅご)、畠山基国は機会を逃さず南河内に兵を進めていた。

 河野辺正友、菱江忠儀、津田正信らを連れて出陣した正儀は、甘南備《かんなび》にて畠山軍と向かい合う。この地は千早城と仁王山《におうざん》との分岐地点でもある。楠木軍は千五百、対する畠山軍は五千。正儀が討って出たのは、山名軍を仁王山《におうざん》へ導くためであった。

「矢を射かけよ」

 正友の下知《げち》をきっかけに、双方で矢合わせが始まった。しかし、数に勝る畠山軍はじりじりと間合いを詰めて、楠木軍を追い詰めた。

「もう、よかろう。仁王山《におうざん》に全軍を牽《ひ》かせよ」

「承知っ。それ、仁王山《におうざん》へ向かえ」

 正儀の命《めい》を受けた津田正信が伝令となり、馬に跨がって諸将の間を駆け抜けると、楠木軍は敗走に見せかけて仁王山《におうざん》へと向かった。


 数で勝る畠山軍は、正儀の楠木軍を追って仁王山《におうざん》へと向かう。

「なぜ千早城へと撤退せぬのじゃ……」

 大将の畠山基国はいぶかしがる。

「……そうか、これは楠木の罠じゃ。楠木との間合いを詰めるな。間合いを空けるのじゃ」

 基国は馬上から近習に叫び、伝令を向かわせた。だが、時はすでに遅かった。仁王山《におうざん》へと続く道は細く、畠山軍の隊列は一列になって楠木軍を追っていた。

 その先駆けが、仁王山《におうざん》に伏せていた菱江忠儀が率いる弓矢の部隊に襲われる。

 矢を射かけられて混乱する畠山軍の先陣に、続いて津田正信が騎馬兵を率いて切り込んだ。すると、後ろに下がろうとする者と、前に進もうとする者とが入り乱れ、混乱に陥《おちい》る。正儀は、かつて渡辺橋や神崎《かんざき》橋で使ってきた戦法を、仁王山《におうざん》へと続く細道で試したのであった。

 馬上の基国は、真赤な顔をして拳を震わせる。

「くそ、楠木め。使い古された手を……次はない。この借りは倍にして返してくれようぞ」

 第一陣を撃破されるも、数に勝る畠山軍は仁王山《におうざん》城を包囲した。

 基国の側近が走り寄る。

「殿、城を三方から囲みました。すぐにでも城攻めに取り掛かりますか」

「ううむ……だが、楠木のことだ。何の用意もなく、城に籠城《ろうじょう》することはなかろう。兵糧を断って、しばらく様子をみるか」

 側近の問いかけに、基国は腕を組んで考えた。


 九月十日、ちょうど、正儀らが仁王山《におうざん》城で畠山軍と対峙していた時である。長慶上皇は、葉室《はむろ》光資《はるすけ》らの近習を従えて、紀伊国の一の宮である天野丹生明神(にうみょうじん)(丹生都比売《にうつひめ》神社)に詣《もう》でていた。丹生明神《にうみょうじん》は高野山のおひざ元にあり、上皇が住む玉川里からもほど近い場所にあった。

 上皇は丹生明神《にうみょうじん》で宸筆《しんぴつ》(天皇の直筆)願文を納める。

『今度の雌雄《しゆう》、思ひのごとくば、ことに報賽《ほうさい》を致すべし』

 願文は、南方《みなみかた》の勝利を願うものであった。

 光資《はるすけ》が、丹生明神《にうみょうじん》を後にする上皇の顔を窺《うかが》う。

「上皇様、なぜ、正儀がためにここまでなされますか」

「うむ……和睦を目指す正儀は、朕《ちん》とは決して交わるところのない男じゃ。されど……その正儀と楠木一門の奮戦によって、我が朝廷は活かされておるのも事実」

「活かされておるなどと……」

 光資《はるすけ》の言葉に、上皇は静かに首を横に振る。

「先日の山名との戦は、朕《ちん》を頼った正儀に力を与えてやることは叶わなかった。楠木党は多くの兵を討たれ敗走したという。高野を動かすことのできなかった朕《ちん》がしてやれることは、こうして神に勝利を祈願してやることだけなのじゃ」

 そう言って、上皇は目の前に迫る高野山を見上げた。

 もはや金剛峯寺《こんごうぶじ》(真言宗)さえも頼れないと悟った上皇は、この後、玉川里を離れる。そして、禅宗に帰依《きえ》し、法名を覚理(金剛理)と号して出家するのであった。


 仁王山《におうざん》城に籠った楠木軍は、畠山軍によって兵糧攻めにあっていた。

 河野辺正友とともに、正儀は自らも櫓《やぐら》の上に登って麓の畠山軍の様子を窺《うかが》う。

「今日も隙なく囲んでおるな」

 隣で正友が大きく頷く。

「全ての道は塞がれ、二重、三重に囲まれております」

「まともに戦っては万に一つも勝つ見込みはないな」

「左様にございますな」

「後は、手筈通りにあの者どもが動いてくれるかじゃが」

 正儀の呟きに応じるように、仕掛けの一つが動く。正儀の与力、淡輪《たんのわ》光重が兵を率いて、畠山軍の北側に陣を布き、旗を立てたのである。さらに畠山軍を東西から挟むように、離れた場所に楠木や和田の旗が棚引《たなび》いた。


 仁王山《におうざん》城の麓に陣を布いた畠山基国の元に、郎党が駆け込んでくる。

「と、殿、新手の敵が現われました。北に三百騎、淡輪《たんのわ》の五つ引(いつつひき)の旗が上がりました。それと東と西の小山の上にも、それぞれ旗が上がりました」

 基国は思わず床几《しょうぎ》から立ち上がる。

「何じゃと。東と西はそれぞれ、どの程度じゃ」

「東と西は、旗の紋がわからぬくらいに遠くで、定かにはわかりかねますが……旗の数からして、いずれも五百騎ばかりかと」

「それで、こちらに向かって来ているのか」

「いえ、北の淡輪《たんのわ》は陣を張って動かず。東西も同様にに動く気配はありませぬ」

 郎党の話に基国は首を傾げる。

「ううむ、四方に敵……兵の数は知れておるが、不気味な配置じゃ。慌てて動かず、しばらく様子をみるか」

 基国の判断で、その日は夜営を張ることにした。


 しかし、日が暮れるにつれて、畠山の兵たちの顔が引きつる。

「東の山を見よ。あの松明《たいまつ》の数、五百騎どころではないぞ」

「こっちもじゃ。西の山も二千はある」

 兵たちはざわつき、不安に駆られた近習が、陣幕の中の、畠山基国の元に現れる。

「殿、左右の敵の松明《たいまつ》の数が尋常ではありませぬ」

 近習に急かされて基国が外に出ると、左右の山の中に無数のあかりが見える。

「こ、これは……楠木にこのような兵が残っておるはずはない。きっと、旗を木に括《くく》り付け、あちらこちらに松明《たいまつ》を立てて、兵の数をごまかしているに相違ない」

 基国は、自分に言い聞かせるように言った。

 その時、一人の斥候《せっこう》が、重臣に連れられて現れる。

「千早城の様子を見て参りました。夜になって出陣の用意をはじめた模様にございます。おそらく明日朝にも出陣するかと存じます」

 片ひざを付いた斥候《せっこう》の話に、基国は千早城の方角に顔を向ける。

「千早にも兵が居《お》るのか。楠木の兵は、山名との戦いに割《さ》かれていたはず……いったいどうなっておる」

 基国は混乱し、畠山の兵たちにも動揺が生じた。


 千早城では、楠木正顕が指図して、たくさんの兵が籠城《ろうじょう》しているかのように見せかけていた。旗指物《はたさしもの》をたくさん掲げ、本丸から四の丸(四郭)まで、松明《たいまつ》をいっぱい焚いて、城を明るく照らした。

 それだけではない。女たちにも具足《ぐそく》(甲冑《かっちゅう》)を身に付けさせ、麓に近い四の丸に配置した。そして、槍の柄《つか》を胸に当てて胴丸《どうまる》を鳴らさせる。麓に向け、多数の兵が出陣の支度《したく》をしているように見せかけるためであった。


 仁王山《におうざん》城の正儀は、河野辺正友とともに、目を細めて、東西の山に広がる無数の松明《たいまつ》を見ていた。

「大殿(正儀)、壮大な眺めですな」

「まことにそうじゃな。これも、百姓どもの協力のおかげよ」

 こんなにも楠木を慕って協力してくれる百姓がいるのかと、正儀は、無数の松明《たいまつ》に手を合わせた。

 そこに、猶子《ゆうし》の津田正信が駆け寄る。

「父上、支度《したく》が整っております。いつでも出陣できます」

「よし、では、取り掛かるとするか……出陣じゃ」

 正儀の下知《げち》で、楠木の兵五百が、月あかりだけで仁王山《におうざん》を下り、東西の灯《あか》りに気をとられていた畠山の本陣に、息を殺して近づいた。

「よし、今じゃ」

 正信の指揮で、いっせいに楠木の兵が畠山軍に襲い掛かった。

 呼応するように、淡輪《たんのわ》光重の三百の兵も北から襲い掛かる。いずれも、松明《たいまつ》を元の場所に残したまま、畠山の近くまで忍んでいた。そして、敵の数がわかる位のところまで来て、いっせいに気勢を上げた。


 畠山の兵たちは、東西の山に無数の松明《たいまつ》を見た後だけに、大軍に襲われたような錯覚に陥《おちい》る。混乱した畠山の兵たちは、暗闇に目が慣れた楠木軍によって倒されていった。

 畠山基国は混乱の中、側近を呼び寄せる。

「何があった」

「楠木の大軍が押し寄せて来ました。殿、お逃げください」

「うぐぐっ」

 基国は唇を噛みしめて、側近に守られて北へと撤退した。そして、大将の撤退により、兵たちも我先にと、北河内に敗走した。


 正儀は、畠山軍の撤退を見極めると、傍《かたわ》らの河野辺正友に顔を向ける。

「もうよい。敵は去った。深追いは止めよ」

「承知」

 正友は郎党を走らせて、正儀の命《めい》を戦場《いくさば》に伝え、仁王山《におうざん》の麓に兵たちを押し留めた。

 楠木軍は、何とか畠山軍を南河内から追い返すことに成功する。しかし、大旗山《おおはたやま》篠ヶ城(しのがじょう)に籠城《ろうじょう》する篠崎正久を助け出す余力までは残っていなかった。


 十月三日、紀伊国大旗山(おおはたやま)、篠ヶ城(しのがじょう)に籠城《ろうじょう》する正儀の猶子《ゆうし》、篠崎二郎正久は、絶望的な状況に陥《おちい》っていた。三ヶ谷(みかだに)砦からとって返した幕府方の紀伊守護、山名義理(よしただ)の囲みを崩すことができず、じわり、四方から責め込まれていた。

「二郎様、もう、矢が尽きました」

 蒼い顔をした郎党が正久に訴えた。

 その傍《かたわ》らで、河野辺正国が周りに生える篠竹《しのだけ》に目を向ける。すると、短刀を抜いて枝葉を払い、二尺ばかりの長さに切り出して、片端を鋭く尖らせた。

「その弓を貸してみよ」

 郎党から弓を取り上げた正国は、篠竹《しのだけ》で作った矢を据えて、思い切り弦《つる》を引く。

 ―― ばばば ――

 矢羽根代わりにわずかに残した笹葉が唸りを上げて飛んだ。周囲の兵たちは、うおぉと感嘆の声を上げて、矢の飛び先を目で追った。

「当座はこれにて凌ぐのじゃ。皆に伝えよ。よいな」

「承知つかまつった」

 郎党は、命《めい》を伝えるべく兵たちの元に向かった。

「ついに篠竹《しのだけ》の矢か……笑い話が本当になったな」

 走り去る郎党に目をやりながら、正久が呟いた。最初に大旗山《おおはたやま》に入った時、あたり一面を覆った篠竹《しのだけ》を見て、正国が矢にしようと冗談を言ったことが思い出された。

「されど、鏃《やじり》のない矢では敵を射殺《いころ》すことはできませぬ」

 正国の言葉に、正久が腹を据える。

「うむ、その場凌ぎなのはわかっておる。敵を威嚇できれば十分じゃ。その隙をみて、わしは討死覚悟で血路を開かんと思う」

「それがしも同意にござる。ここまできたら、お供つかまつりましょう」

 その目をじっと見据えてから正久は頭を下げる。

「すまぬ……」

 短い言葉に、正国への万謝を込めた。


 対する山名義理(よしただ)は、大旗山《おおはたやま》に向き合う藤白山の大野城を本陣として、篠ヶ城(しのがじょう)攻めを指揮していた。

 篠ヶ城(しのがじょう)から戻ってきた斥候《せっこう》の報に、義理《よしただ》が満足げに頷く。

「そうか、篠ヶ城(しのがじょう)は、静まり返ったように動きがないか。もう矢も兵糧もなくなったのであろう」

「御意《ぎょい》」

「よし、頃合いじゃ。一気に攻め上がり、大将首をとるのじゃ」

 義理《よしただ》の下知《げち》を受け、篠ヶ城(しのがじょう)を囲う山名の兵たちは、正面から攻め上がった。弱りきった敵と見下し、我先に手柄《てがら》を立てようと、兵たちは先を急いだ。

 これに対し、篠ヶ城(しのがじょう)の兵たちは、柵の上に身体を乗り出していっせいに矢を射かけた。

 雨のように大量に飛んでくる矢に、油断していた山名の兵たちは仰天する。先駆けの兵は地面に伏せる。続く兵はきびすを返した。だが、後に続く兵に衝突し、右往左往と慌てふためいた。

 楠木の、第一陣の矢掛けが一段落すると、そこらうち中に山名の兵が横たわった。しかし、仕留められたはずの山名の兵たちが、次々に立ち上がる。傷は負えども、致命傷を受けた兵は、ほとんどいなかった。

「な、何じゃ……助かったのか」

「わしも矢が胸に刺さったので死んだものと思うたが」

 あちらこちらで、山名の兵たちが不思議そうな顔を浮かべた。一人の兵が矢を拾い上げる。

「これを見ろ。矢羽根が笹葉じゃぞ」

「いや、羽根どころか鏃《やじり》も着いておらぬ」

「これは篠竹《しのだけ》じゃ。敵は矢も尽き、篠竹《しのだけ》を射ってきたのか」

 篠竹《しのだけ》の矢では致命傷には至らない。山名の兵は事実を知って驚喜する。

「これは、城に矢がない証拠じゃ」

「頭さえ守れば深傷《ふかで》は負わぬぞ」

「よし、一気に城を落としてしまえ」

 兵たちは、篠竹《しのだけ》の矢をかわしながら、城の柵に取り付いた。


 万策尽きた篠ヶ城(しのがじょう)。虎口門《こぐちもん》の扉を開いて、勢いよく篠崎正久が飛び出し、山名の兵たちに槍を向ける。

「わしに続け。敵の囲みを突破する」

「おうっ」

 河野辺正国らも気勢を上げて呼応した。

 がちがちと、兵と兵の刀をぶつけ合う音が響く。正国が郎党たちと一緒に数人の敵兵を切り倒し血路を開く。

「二郎殿(正久)、こちらじゃ。早く」

「すまぬ、真次郎(正国)」

 正国たちが開いた血路に向かう正久であったが、数歩のところで足を止める。

「真次郎っ」

 正久の声に被るように、どさっという音を立てて正国が仰向けに倒れた。正久は咄嗟にしゃがみ、倒れた正国を抱き起す。

「真次郎っ、どうした」

 正国の眉間には矢が刺さっていた。

 その一瞬の間に、正国たちが開いた血路が、山名の兵たちによってかき消されていく。正久があたりに目をやると、あちらこちらに、楠木の兵が倒れていた。

 大将を正久と見定めた山名の兵は、その少しの間にも、二重三重と取り囲んだ。

 正久は一度、眼を閉じてから、かっと見開く。

「我こそは、楠木河内守(かわちのかみ)正儀が子、篠崎……いや楠木二郎正久じゃ。腕に覚えのあるものは、我が首取って手柄《てがら》にせよ」

 その怒声に、山名の兵の一人が切り掛かった。正久はこれを討ち取り、山名の兵の中へと切り込んでいく。

「父上(正儀)、必ずや君臣和睦、南北合一を実現くだされ」

 そう叫びながら敵を一人二人と切り倒した。だが、ついに敵の薙刀《なぎなた》を背中に受ける。

「ぐっ」

 呻き声を上げた正久を、さらに敵の槍が横からも襲う。

脇腹に食い込んだ槍に、崩れ落ちるようにひざを付いた正久は、山名の兵に囲まれて、切り刻まれて息絶えた。


 北河内の篠崎村。ここに、薬師如来を本尊とする西乃《にしの》寺があった。奈良の大仏建立を指揮した彼《か》の行基《ぎょうき》が開いた古刹《こさつ》であるが、戦乱の中で荒寺となっていた。

 この寺の本堂の傍《かたわ》らに、尼となって故郷に戻った篠崎正久の実姉、菊子こと篠崎禅尼の姿があった。禅尼は、ここに柴の庵《いおり》を編《あ》み、ひっそりと暮らしていた。

 尼と言っても特定の檀家はおらず、他の寺の葬儀を手伝ったり、頼まれて説法を行って日銭を得ていた。だが、基本、自給自足の生活で、寺の荒れ地に畑を作り、日々の糧《かて》を得ていた。

 禅尼が畑に向かおうと、籠を持って庵《いおり》を出ると、そこに津田正信が茫然と立っていた。

 正信が正寿丸と呼ばれた童《わらべ》の頃である。正儀は、父を亡くした正寿丸を猶子《ゆうし》とすべく、楠木館に迎えた。その正寿丸を迎えに出向き、幼心の不安を取り除いたのは、菊子と呼ばれた若かりし日の禅尼であった。それ以来、正寿丸は菊子に懐《なつ》き、菊子も実弟の正久同様に弟として接し、仲睦まじく育った。

「まあ、六郎殿(正信)ではありませぬか」

 禅尼は義弟の訪問に喜び頬を緩めた。そして、駆け寄ろうとした時、正信の瞳から一縷《いちる》の涙が零《こぼ》れ、頬を伝う。

「菊姉様、二郎兄者(正久)が……二郎兄者が討死されました」

 その言葉に、禅尼は手に持つ籠を落とす。そして、その両手でわっと顔を押さえた。

 正信は嗚咽する禅尼に歩み寄り、そっと肩を抱きしめる。二人はそのまま、正久のためだけに、涙を流し続けた。

 余人には計り知れない悲嘆である。菊子は亡くなった実母に弟、正久を託されていた。正儀の猶子《ゆうし》となって赤坂で暮らすようになってからは、正久が立派な武将に成ることのみが生き甲斐であったのだ。


 後日、篠崎禅尼は、正久が討死した紀伊国大旗山(おおはたやま)の篠ヶ城(しのがじょう)に出向いた。そして、正久をはじめ討死した者たちを、近くの黒岩村にある寶光寺《ほうこうじ》に供養した。

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