第40話 雨山土丸城
天授六年(一三八〇)春、南河内は淡紅色の山桜が映える季節となる。
信濃宮こと宗良親王が、再び信濃から畿内に戻ってきていた。名目は、花山院長親が撰集した歌集の仕上げを行うためである。
親王は、河内国山田に庵を編んで、歌集の編纂に努めていた。庵は東条の北端にあり、聖徳太子の御廟がある叡福寺からほど近いところである。河内としたのは、大和五條にある栄山寺の帝(長慶天皇)からも、吉野山の熙成親王からも、距離を置くためであった。
少し薄暗い庵の中には、宗良親王と花山院長親の他に、正儀の舎弟、楠木正顕の姿もある。この庵を手配したのは正顕であった。親王と懇意の義理の伯父、授翁宗弼の紹介を受けて、歌集の編纂作業を援助したためである。京の都で生まれ育った正顕は、二条派の歌にも堪能であった。今回の歌集にも『詠み人知らず』として、親王が正顕の歌を紛れ込ませていた。
その正顕が外の気配に気づく。
「宮様(宗良親王)、中納言様(長親)、来たようにございます」
庵に、深い六方笠を被った男が訪れた。男は庵の框を跨ぐと、笠を脱いで顔を晒した。そして、正顕に軽く目配せしてから、宗良親王と長親に向けて頭を下げる。
「信濃宮様、初めてお目にかかります。楠木三郎正儀にございます。また、花山院中納言様におかれては、ご無沙汰をしております」
北朝から与えられた官職は名乗らなかった。頭を低くする正儀に、座敷の上から長親がうむと頷く。
「ほんに久しぶりじゃな。さ、宮様がお待ちかねじゃ」
待ちわびたように長親は、正儀を座敷に招き入れ、親王の前に座らせた。
「そなたが正儀か。無理を言って来てもらい、すまなかった。我はどうしてもそちとは会うておきたかったのじゃ」
「いえ、光栄なことにございます」
親王と中納言を前に、正儀は改めて深く頭を下げる。
「して、敵方のそれがしに何用でございましょうや」
「敵方か……さりながら、幕府の側から南北合一を進めようとしてくれたのであろう。ここにいるそなたの弟より、本心は聞いておる。やはり、楠木正成の息子よのう」
宗良親王の言葉に、横に控えた正顕が、正儀に向け軽く頷いた。すると、正儀は申し訳なさそうに、視線を落とす。
「されど、それがしの力不足で、いまだに実現しておりませぬ。このままでは先帝(後村上天皇)に会わせる顔がありませぬ」
「無理もなかろう。御上(長慶天皇)は、父である先帝より、どことのう祖父である後醍醐の帝の気質に似ておられる。そしてご自身もそのことを意識されておられる。建武の御代に戻そうと気負っておられるように我には思える……」
その洞察に正儀は小さく頷いた。
「……我は昔、そなたたちの父(楠木正成)とも会うておる。人となりくらいはわかるつもりじゃ。湊川では自らの討死を持って、武家との和睦を説いたのであろう」
正儀は目頭に熱いものを感じる。ここに父を理解してくれる御方が居ることが嬉しかった。
「されど、正成の死を持ってしても、和睦の道は開かれなかった。今の御上(長慶天皇)においても同じであろう。この朝廷(南朝)は滅亡を迎えておる。後世の者どもは、自業自得と言うかも知れぬ。じゃが、我はやはりこの朝廷の者。何とか救ってやりたい。もはやそちにすがるしかないのじゃ」
宗良親王は軽く頭を下げ、長親は苦悩の表情で目を瞑った。
「もったいのうございます。頭をお上げください。それがしは幕府に身を置いておりますが、元より南の者。今でも変わるものではありませぬ。それがしは、父や兄から朝廷のゆく末を……後醍醐帝の血脈を御護りするように託されております。たとえこの身が滅びようとも、君臣和睦、南北合一を成す所存にございます」
「正儀、よう申してくれた」
長親は大きく頷き、宗良親王は頬を緩める。
「ふふ、正儀、やはりそなたは正成の子よ。藤房が言うておったとおりの武士であった」
「藤房様というと、授翁宗弼様のことでございましょうや」
「おお、そうじゃ。宗弼であったな。信濃に戻っていた時、宗弼が歌を送ってきた。此度、信濃から大和にくる折、返歌を渡すために宗弼の元に立ち寄ったのじゃ。昔のことを知る者に会いたくなってな」
「左様でございましたか……宗弼様はお達者でおられましたか」
すると、親王の顔が曇る。
「ううむ……それが、病に伏せておってな。顔に死相が出ておった。長くはないであろう。元弘の折のことを知る者がまた一人居なくなってしまう。残念な事じゃ」
若き日の万里小路藤房を思い出すかのように、親王は目を閉じた。
「それがしも、先日、伯父(宗弼)をたずねて参りました。むかし、鴨川の河原で、幼き兄者(正儀)に会うたときのことを、懐かしそうに話しておられました」
正顕が語った出会いとは、御親政を批判する落書の前で、当時、中納言の万里小路藤房が、幼い虎夜刃丸こと正儀に初めて会ったときのことである。
正儀も軽く目を閉じ、昔のことを懐かしんだ。
数日後、正儀は病に伏せる授翁宗弼を見舞うため、近江の妙感寺に向かった。宗弼が晩年に開いた寺で、ここを終の棲家と決めていた。
妙感寺に到着した正儀は、若い修行僧に案内されて奥に進んだ。宗弼は床に横になっていたが、正儀に気づくと大そう喜び、無理をして上体を起こす。
「正儀殿、遠いところをよう来られた」
「信濃宮様(宗良親王)が、宗弼様が御病気と教えてくださいました。幕府に降ったそれがしに……もったいないことでございます」
「宮様(宗良親王)は昔から優しいお方なのじゃ。後醍醐の帝が籠る笠置山が鎌倉の幕府に落とされた折、拙僧と一緒に宮様(宗良親王)は、後醍醐の帝の手を引いて赤坂城の楠木正成殿の元へ向かった。さりながら、途中で野伏にとらえられてな。その後、宮様は讃岐に流されてしもうた。御苦労されたお方であった」
かつて、赤坂城(下赤坂城)に向かったという親王が、わざわざ河内に庵を結んだのは偶然ではないような気がした。
「宗弼様、宮様はそれがしに、朝廷(南朝)を御救いするよう仰せられました。無論、そのつもりですが、細川頼之殿が幕府管領を罷免され、それがしは幕府での後立てをなくしました」
伏し目がちに正儀は言った。宗弼は同情するかのごとく頷く。
「はい、拙僧も聞きおよんでおります」
「それがしは、朝廷(南朝)が和睦を欲せず強硬な態度を示しても、幕府の側から力を持って朝廷を迎え入れ、南北合一を進めようとしました。されど、新たな管領、斯波義将にその考えはありませぬ。正直、この先、合一をどのように進めるべきか、悩んでおります」
宗弼を前にして、正儀は初めて弱音を吐いた。すると、宗弼は優しい目を正儀に向ける。
「それは、南北合一を実現するためには、このまま幕府に留まるのがよいか、南方に戻られるのがよいか、悩んでおられるということですかな」
「さすがに宗弼様でございますな。その通りでございます」
「思うようにいかない時は誰しもあります。そういう時は成りゆきに身を任せてみるのも一考かと存じます」
「成りゆき……ですか」
「左様。仏は必要なところに必要な人を導きます。今、朝廷(南朝)に戻ろうと思うても、朝廷は正儀殿を受け入れることはありますまい。無理を押して戻っても、結果は望まれないものとなるでしょう。いずれ時は移ろい状況は変わるものです。必要とされる時まで、お待ちになるがよろしいかと存じます」
宗弼の言葉は胸に響いた。正儀は顔を上げる。
「宗弼様、ありがとうございます。見舞いに訪れた者が、見舞われました。それがしの心の迷いが晴れた思いです」
「そうですか。老僧の説法が役に立ちましたか。それはよかった。本当によかった。死ぬる前に正儀殿に会えてよかった」
二人は目を潤ませて、互いに微笑んだ。
そして、翌月の五月三日、宗弼は静かに息を引き取る。正儀の公私に渡る支えが、また一人、この世を去っていった。
七月の京の都。夏の盛りにもかかわらず、花の御所では、睡蓮の浮かぶ小池が、御殿の中にまで涼しさを運んでいた。
幕府では、新たな管領となった斯波義将が幕政で幅を利かせている。大方禅尼(渋川幸子)の後ろ盾を得て、前任、細川頼之の色を次々と排除していた。
その義将が、大方禅尼に連歌を指南している。連歌会に顔を出す事になった禅尼が相手を頼んだからである。義将は武将であり政治家であるとともに、歌や連歌にも精通した文化人であった。
「大方様、上の句の読み手は、下の句の読み手に、期待の返しを託しております。これを読み解くには、上の句の中にある隠れた言伝を見つけること」
「言伝……ですか」
「左様。下の句の読み手は、まずは、それを見つけること。されど、見つけただけでは勝てませぬ。読み解いた上で、それを超える返しを見つけねばなりませぬ」
連歌とは、十人程で行う和歌を繋げたような歌である。五・七・五の上の句と、七・七の下の句を交互に、次々に人を代えて、五十韻、百韻と延々と詠むのある。よって、つまづく者が出たり、下手な句が入ると興覚めとなる。禅尼も真剣に、義将の言葉に耳を傾けていた。
そこに、役人が現れ、縁側に座って手を着く。
「申し上げます。摂津国の多田院から訴えが出ております。摂津善源寺の荘に賊が押し入り、乱暴狼藉を働いたとのこと。多田院の者どもを追い出してしまったそうにございます」
「今は、大方様と大事な話をしておる。いちいち、つまらぬことを伝えるでない」
指導に熱が入っていた義将は、中断されて憮然とした表情を返した。
「は、申し訳ございませぬ。されど、政所殿が、管領殿のお耳に入れるようにと申されまして」
政所殿とは、政所執事となった伊勢照禅(貞継)のことである。
「照禅殿が言うのなら、何かあるのでしょう。申してみられよ」
大方禅尼が義将を制し、その役人を促した。
「はっ。それが賊というのが、赤松播磨守(赤松義則)の家人とのこと」
「赤松か……」
そう言って、義将は思案の表情を浮かべる。赤松惣領家は、先代、則祐の時からの頼之派であった。
「……照禅殿は、これを使って、赤松を追い込めと言うのじゃな。ふうむ」
義将は髭跡の感触を確かめるように顎のあたりを触った。
「いいえ。これは、赤松を引き込む良い機会です。今、播磨守は、細川(頼之)殿がおらんようになり、顔が蒼うなっておられましょう。手を差し伸べてやれば、管領殿とてやり易くなられる」
考え込む義将に、禅尼が涼しい顔で言い放った。
「なるほど、確かに……大方様、では、そのように……」
そう言うと、義将は役人に顔を返す。
「赤松(義則)には一応、訴えが来ておることだけ知らせよ。多田院の方は適当にあしらっておけ」
「あの……管領様。狼藉を働いた者の中には楠木河内守殿(正儀)の家人もおりまして……こちらの方もそのようにすればよろしいでしょうか」
遠慮がちにたずねる役人に、義将が、ちっと舌を鳴らす。
「その方、話を小出しにするでない」
役人に向け、義将は、こめかみあたりをぴくりと動かしてから、大方禅尼の顔色を伺った。
「寺社に侵入しての乱暴狼藉は大罪です。楠木の家人は即刻捕まえて重い処罰を課す必要がありましょう。満頼に、伝えなさい」
満頼とは五年前に亡くなった禅尼の甥、渋川義行の子である。まだ十にも満たぬ子どもだが、禅尼の後ろ盾で摂津守護に任じられていた。昨年の政変で、細川頼之とともに弟の頼元も追われ、摂津守護が空いたためである。
「はっ。ではそのように。その方は、渋川屋敷に伝え、楠木の狼藉者を捕えるよう、伝えよ」
あまりにも露骨な義将の態度に、役人は唖然とした表情を浮かべつつも、一礼して下がっていった。
新たな管領、斯波義将は、この後も、頼之の盟友であった正儀に、さまざまな嫌がらせを行う。
しかし、正儀は授翁宗弼の遺訓に従い、今はただ、時が移ろうまで、ひたすら耐えるしかなかった。
そんな正儀を、さらなる苦境に追いやる出来事が起きようとしていた。橋本正督が再び兵を集めはじめたのだ。正儀に取って代わり、幕府方の和泉守護となった山名氏清から、雨山土丸城を取り戻すためである。
橋本軍は、紀伊から東に敗走して、幼き日々を過ごした紀伊橋本の橋本館に腰を落ち着けていた。館の広間で和泉国の絵地図に目を落としていた正督の元に、近臣である大夫判官、和田良宗が心配顔で現れる。
「殿(正督)、兵の集まりが悪く、まだ半分にも足りませぬ」
「では、四百といったところか……」
正督は、力なく溜息で応じた。
「諸将たちも、先の戦の傷が癒えておらぬようで、出陣を渋っております。金で動く野伏どもでさえ同様です」
「皆、負け戦とみているようようじゃな」
ふふっと苦笑いで正督は応じた。
前年、幕府軍に雨山土丸城を落とされ、多くの将兵を失った正督は、右大臣、北畠顕能の再三の要請にも出陣を躊躇していた。しかし、学晶山栄山寺に行宮を移し、敗戦が続く南軍を、帝(長慶天皇)自らが鼓舞する姿に、出陣を決心せざるを得なかったのである。
出陣に先だって、橋本正督は栄山寺の行宮に参内した。垂纓冠に束帯姿の正督を、右大臣の北畠顕能ら公卿が待ち構えていた。
玉座の前に垂れた御簾が、するすると巻き上げられた。
その手前に座る大納言、葉室光資が、ひれ伏す正督に顔を上げるよう促す。
「御上は直答を許される。そちの口から答えるがよい」
「ははっ」
御尊顔を直視しないよう、正督は伏し目がちに頭を上げた。
「民部大輔(正督)、よくぞ決心してくれた。朕はそちの出陣を嬉しく思うぞ」
「ははっ、恐悦でございます」
「そちの祖父、楠木正成は、元弘の折の戦では、赤坂落城の後に少人数で再起をかけ、赤坂の城を取り戻した。後はそちも知っての通りじゃ。そなたも少人数と嘆くことなかれ。雨山奪還の暁には、様子見の者どもが、こぞってそなたの騎下に参じるであろう」
帝は正督を励ました。
「もったいなきお言葉でございます。必ずや雨山を奪還して御覧に入れまする」
「うむ、頼もしき限りじゃ。じゃが、命は粗末にするでないぞ」
「はっ」
神妙な表情で、深々と頭を下げた。
正督は出陣を躊躇していた一方で、雨山土丸城を失ったことに責任を感じていた。それは、外から入ってきて、橋本党を預かった者ゆえの呵責でもあった。
一旦、出陣を決意した正督は、自らを受け入れてくれた橋本党のためにも、討死した橋本正高や将兵のためにも、雨山土丸城の奪還を心に固く誓う。
紀伊橋本に入った橋本正督は、ただちに四百の兵を率いて出陣した。そして、雨山土丸城のある雨山の麓に着くと、城を守備する山名氏清旗下の守備兵の不意を突いて、襲いかかった。
橋本正督が雨山土丸城攻めに再び兵を挙げたことは、平尾城の正儀の元にも伝えられた。
広間で篠崎正久から知らせを受けた正儀は、驚いて立ち上がる。
「たかが五百足らず攻め入っただと……何と無謀な事をするのじゃ」
再度、正督への説得を試みようとしていた矢先であった。
「父上、いかがされますか」
「悔しいが、我らは何もできぬ」
授翁宗弼の言葉を思い出し、正儀は拳を強く握りしめた。誰よりも悔しいのは正儀であった。
「されど、このままでは、太郎兄者(正督)は討死するやも知れませぬ」
「わかっておる。じゃが、今はまだその時ではないのじゃ」
「されど……それがしは、太郎兄者を見殺しにはできませぬ。それがしだけでも、戦の様子を見て参ります」
「待つのじゃ二郎(正久)、お前一人が行っても太郎(正督)を助けることはできぬ」
背中を向けて出て行こうとする正久を、正儀は押し留める。
「では、父上……」
正久の縋るような目に、正儀はゆっくりと頷いた。
七月十七日、正儀は、猶子の篠崎正久と、家臣の津熊義行ら数騎を連れだって、雨山土丸城へ向かった。
幕府より出陣の命を受けてはいない正儀であったが、居ても立っても居られない。討伐の大将、山名氏清に会って、雨山土丸城を奪還する方法を献策しようとしていた。双方の被害が大きくならないうちに、南軍を敗走させて、城を奪還する方法である。正儀は、こうすることで、正督の命を救おうとしていた。
馬を急かし、雨山土丸城を囲う山名軍の本陣に駆け込んだ。
一行は陣幕を張った本陣の近くで馬を降りる。そこには、兜を脱いで胴丸を外し、荷造りをする山名の郎党たちの姿があった。
ともに馬を降りた正久が正儀に駆け寄り、蒼い顔を向ける。
「ち、父上(正儀)、これは兵たちが引き上げようとしているのではありませぬか」
津熊義行がそこに居た山名の郎党を捉まえる。
「あちらは楠木河内守様(正儀)じゃ。管領様(斯波義将)の命で戦の見聞に参った。戦は終ったのか。南軍はどうなった」
山名の兵は、小具足さえも身に付けず、直垂に侍烏帽子姿で戦場に立つ義行に、怪訝な顔を向けた。しかし、正儀を目に留めると、軽く頭を下げる。
「戦は御味方の大勝利じゃ。はじめはなかなかに手強かったが、南軍は何せ兵の数が少ない上に、途中で野伏どもが逃げ出した」
山名の郎党から戦の結果を聞いて、正儀らの顔が曇った。こんなに早く雨山土丸城が落ちるとは、思ってもいなかったからである。
「それで、南軍の大将はどうなった。野伏と一緒に撤退したのか」
そう言って義行は、その郎党の肩を揺さぶった。
一行の背後から男が近づく。
「そこの者、何をしておる」
背中越しに怒号が飛んだ。山名の郎党は首をすくめて青ざめる。
「これは御大将、わしは何もしておりませぬ。管領様の命でこの方々が見聞に参ったとのことでございます」
山名の郎党は深く頭を下げて、気まずそうにその場を去った。
後ろには和泉守護の山名氏清が、威圧感を剥き出しにして立っていた。
「ん、その方は河内守殿(正儀)ではないか。管領殿の命で来たというのか」
正久と義行に目配せして、正儀が答えようと口を開く。が、それを氏清自身が遮る。
「そうか、橋本正督は、河内守殿の縁者と聞いた。管領殿は首検分をするために、一門のそなたを使わしたのじゃな。されど、管領殿は、なぜ、このように速く戦が終わることをわかっておったのか……まあ、よかろう。案内致そう」
氏清は勝手に早とちりして歩き出した。
首検分と聞いて表情を曇らせた正儀は、ふと、氏清の腰のものに目を留める。
「少輔殿(氏清)、その太刀は……」
すると氏清が柄を握って振り返る。
「これは敵の大将が持っていた刀よ。作りからして名のある刀と見た」
「そ、それは雲切……民部大輔(正督)の太刀でござる」
平尾城に正督を迎えたとき、正儀は、帝(長慶天皇)から拝領した謂れを聞いていた。雲切を見た正久と義行も、顔を強張らせた。
呆然と立ち尽くす正儀らに、氏清が薄ら笑いを浮かべる。
「雲切と言うか。ふふん、貴殿においては形見になるか。されどこれは戦利品。残念じゃがそれがしが貰い受ける」
そう言って、氏清は先へと歩いた。
首級は十一あった。討ち取った者の名が記された白布に包まれ、数枚敷かれた矢盾の上に並べられていた。
駆け寄った正久が、手前の首級の布を解く。
「こ、これは弥四郎殿ではないか」
橋本本家の者であった。
正久と義行は、一門衆の憐れな姿に、思わず目を伏せた。
「そのような雑魚はどうでもよい。あの上座に据えた首級が大将首かどうか検分してくれ」
氏清は、一番奥を指差した。
その首級を義行が正儀の前に持ってくる。それは、討ち取った者として左衛門尉上田次郎の名が書かれた白布に包まれていた。
鼓動が早まる。正儀は瞬きするのも忘れ、義行の手元を見つめる。震える手で義行が恐る恐る白布を解いた。
そこで正儀の時が止まる。後ろから覗き込んでいた正久が首級を見るなりその場に崩れ落ちた。
「どうじゃ、大将首で間違いないか」
氏清が、正儀の表情を窺った。
崩れるように正儀もひざを付く。首級を抱き、三十四年前、まだ赤子だった正督の頬に、そっと指先を触れたときのことを思い出す。
「太郎……どうしてこのようなことに……わしは兄者(楠木正行)と義姉上(内藤満子)に、何と言って詫びればよいのか……」
大粒の涙をこぼした正儀は、絞るように声を出した。正久と義行も、肩を震わせて嗚咽した。
「その様子、確かに橋本正督の首のようじゃな。祝着じゃ。楠木殿、管領殿にはそれがしから報告致す。もう、貴殿に用はない。お引き取りあれ」
氏清は郎党に命じて首級を運ばせた。
正儀と正久は、その場に呆然と座り込んだまま、しばらく動けなかった。かつて、正督の父、楠木正行の死戦に従軍した津熊義行は、呆然と二人を見守ることしかできなかった。
七月二十日、氏清が京の将軍、足利義満の元に送った橋本正督ら十一の首級は、三条河原でさらし首にされた。
平尾城に戻った正儀は、奥間で一人、手で顔を覆う。
「兄者、すまん……」
兄、楠木正行の嫡男、正督が討ち取られたことに、おおいに動揺していた。幼き日の正督こと多聞丸や、その母で義姉の内藤満子の顔が思い出された。楠木の棟梁に多聞丸を据えるという満子との約束は、果たされぬばかりか、その多聞丸を亡くしてしまった。
昔、後見役の橋本正茂は、多聞丸を満子とともに能勢に送り返すように進言した。今更ながら、正茂の忠告を聞き入れなかったことを後悔する。
成り行きに身を任せよという授翁宗弼の言葉は、正儀にとって想像以上に辛いものであった。
花の御所では将軍、足利義満が幕府管領の斯波義将を呼び寄せて謁見していた。傍らには政所執事の伊勢照禅(貞継)がいた。
義満は上機嫌に義将を迎える。
「あれほど手こずった橋本正督を討ち取ったとはあっぱれじゃ。陸奥守(山名氏清)に褒美を与えねばならんな」
「御所様(義満)、まだ、早うございます。雨山攻めにわずか四百しか出せぬとは、南軍は思った以上に衰微しているようです。この機を逃さず、山名兄弟(義理・氏清)に紀伊の南方を討伐させとうございます。褒美はその後がよろしいかと」
前任の細川頼之との違いを鮮明に打ち出したい義将は、南朝の殲滅を考えていた。
義将の強硬な姿勢に、義満は顎に手を添えて考える。義満の父、義詮の遺言は南朝との和睦であり、殲滅ではない。
義満の躊躇に照禅が気づく。
「御所様、管領殿は南主(長慶天皇)の和睦への決断を後押ししようとしているだけと存じます」
「ううむ……よし、紀伊の南軍討伐を山名兄弟(義理・氏清)に下知しよう。近隣の諸将にも出陣を促すがよかろう。されど、南主の行宮への侵攻は禁ずる。しかと、諸将に申し送るがよい」
「はっ、承知つかまつりました」
南の帝が和睦を求めてくるしかないような状況を作るためには、やむを得ないと、義満は腹を括った。
義将は、さっそく山名兄弟(義理・氏清)と近隣の諸将に、南方の豪族の討伐を命じた。しかし、正儀を幕府の討伐軍に加えることはなかった。政敵、細川頼之の盟友であった正儀は、信用ならざる敵でしかなかったからである。
八月に入ると、幕府管領、斯波義将の命を受けて、山名兄弟(義理・氏清)が出陣した。手はじめに、兄弟が率いる討伐軍は、紀伊の南朝勢力である須田一族を滅ぼす。そして九月。続いて討伐軍は、生地右馬允益澄も討伐し、紀伊北部を制圧した。
一方、正儀は幕府の討伐軍に加わることなく河内の平尾城にいた。正儀にとって南軍の諸将と戦わなくて済むのは幸いであった。しかし、辛い役目も待っていた。
『淡輪左近将監光重に河内国小高瀬荘を与える』
幕府方の河内守護である正儀は、雨山土丸城の戦いや、紀伊討伐で功を立てた河内の豪族らに、恩賞の下知状を書かなければならなかった。
自分の甥をこの世から葬った者たちにも、褒美を与えなければならない運命に、正儀は耐えなければならなかった。
赤坂の楠木館でも、南朝側に残った楠木正勝・正元の兄弟が、義兄、橋本正督が討死したことに動揺していた。
次男の正元は口を真一文字に引き締めて、母である徳子の元に現れる。
「母上、太郎兄者(正督)の仇を討ちとうございます。されど、叔父上(楠木正顕)は、出陣はまかりならんと反対されます。小太郎兄者(正勝)は煮えきらぬ態度のままです。和田孫次郎(和田正頼)殿が再び兵を挙げようと楠木を誘って来ております。それがしだけでも和田の軍に加わる所存にございます」
十九歳となった楠木正元は、意を決して訴えた。
正儀が居なくなって南朝に残った楠木家は、一門の当主としては嫡男、楠木正勝が家督を継いだが、この時、南朝より河内・和泉両国の守護に任じられていたのは叔父の楠木正顕であった。
「小次郎(正元)、よく聞くのです。太郎(正督)が討たれたことは皆悔しい思いです。四郎殿(正顕)とて同じです。されど、きっとお父上(正儀)の立場を考えて言われておるのです」
「わかっております。されど、父上の君臣和睦のせいで太郎兄者は死んだようなものです」
「何を言われるのです。父上とて、これまで、手をこまねいていたわけではありますまい。君臣和睦はあと一歩のところだったではありませぬか」
徳子は厳しく諭した。
「あと一歩のところ……父上がよく言っていた言葉じゃ。されど、そのあと一歩が進んだ試しはない。我らはずっと一歩を進めることができぬのではありませんか」
徳子は何とか正元を諭したかったが、言葉が見つからなかった。
「それがしだけでも、雨山攻略に参じるつもりです。もしかすると、これが今生の別れとなるやも知れませぬ。これにてごめん」
「小次郎、待つのです。小次郎……」
引き留める徳子を振り払い、正元は部屋から出ていった。
ただならぬ正元の様子に、兄の正勝が徳子の元へ現れた。正元の決心を徳子から聞くと大きく息を吐く。
「わかりました、母上。小次郎の出陣はそれがしが阻止します。ただ……」
「ただ……とは」
「ただそれがしも、小次郎の気持ちはわかります。小次郎も今までよく我慢したのです。どうしても出陣を阻止できない場合は、あやつだけを雨山に行かすようなことはできませぬ」
「小太郎(正勝)まで何を言うのです。母はそのようなことは聞きとうありませぬ。何事も、四郎殿(正顕)に諮るのです」
「無論、もしもの場合のことです。すぐに兵を挙げたくとも、今の我らでは多くの兵を集めることはできませぬ。御安心くだされ」
そう言って正勝は下がって行った。
結局、正元は兄、正勝の説得に応じて出陣を見送り、和田党も兵が集まらずに取りやめることになった。しかし、徳子の不安が消えることはなかった。
翌年の弘和元年(一三八一)三月、京の室町にある花の御所である。ついに、残りの部分が完成し、竣工を迎えた。お披露目は、後円融天皇までも招いての、たいそう盛大なものであった。
そして、これに合わせて除目も披露された。大方禅尼は従一位。女性としての最高位である。一方、足利義満の実母、北向禅尼(紀良子)は従二位。それだけ、幕府における大方禅尼の立場は揺るがないものであった。
大方禅尼は、義満の最大の庇護者であるとともに、今や最大の障害でもあった。
この年の九月、正儀と猶子、篠崎正久の姿は、河内の往生院(六萬寺)にあった。この寺には、かつての熊王丸こと正寛が僧侶として仏に仕えていた。
正寛は、かつて赤松光範に仕えた宇野六郎の嫡男である。楠木との戦で父を失った正寛は、父の敵討ちとして正儀に近付いた。そして、年月をかけて正儀を討つ機会を狙った。しかし、自らの猶子として育ててくれた正儀の恩情に接して、その思いを果たせず、正儀に事実を吐露してこの寺に出家していた。
「正寛、久しいのう」
義兄弟として育った正久は、本堂で午後の務めを終えたばかりの正寛に声をかけた。本堂の片付けをしていた正寛は、手を止めて、縁側に向けて振り返る。
「二郎(正久)。父上(正儀)までも……ご無沙汰しております」
「正寛、今日はそなたに話があってやってきた。少しよいか」
正儀の問いかけに、正寛は何事かと思案しながら、別院に案内した。そして、正儀と正久を上座に据えると、あらたまった顔で向かい合う。
「父上、話とは何でございましょう」
「うむ、赤松判官殿(光範)が病に臥せておると聞いた。もう長くはないようじゃ。そなた、京七条の赤松屋敷に見舞いに行ってやってはどうじゃ。判官殿も喜ぶであろう」
正寛にとって赤松光範は、正儀と同じく恩義を受けた人であった。正儀からの思いも拠らぬ提案に、正寛は戸惑って顔を伏せる。
「いえ、ここで赤松の殿の病気平癒を祈りたく存じます」
「まだ、誓いを立てたこと、気にしておるのか」
義兄弟として育った正久は、正寛の心を言い当てる。正寛は、正儀の命を狙った事を恥じ、この寺から生涯外へは出ぬとの誓いを立てていた。
無言で視線を下げる正寛に対して、正儀が顔を上げるように促す。
「正寛よ。以前、わしがここへ赤松判官殿を連れてきたことで、すでに誓いの必要はなくなったのではないか。判官殿の許しも得ておるのじゃ」
「いえ、赤松の殿への義理ではございませぬ」
首を横に振る正寛を見て、正儀は悲しそうな表情を浮かべる。
「では、わしへの不義理に対する思いか……そなたの思いが強ければ強いほど、わしにとっては重荷なのじゃ。今は人を裏切り、裏切られる世の中。されど、その時の思いは致し方なかったのであろうと思う。いつまでも過去を気にしておれば、人は前に進むことはできぬ。生きておるうちにできることを考えよ」
そう言うと正儀は立ち上がり、別院を出て行った。
あとに残った正久が、正寛に向き合う。
「なあ、正寛。父上はそなたに後悔させたくないのじゃ。そなたがいつまでも拘れば、父上を苦しめることになる」
「父上が苦しむと……」
「そうじゃ」
兄弟として育った正久の言葉は重かった。
正寛は、正儀と正久に諭されて、出家して以来、初めて往生院を出る。そして、京七条の赤松屋敷へ光範を見舞った。
それから一月後の十月三日、赤松光範が亡くなった。
正寛を通じて、数奇な縁で繋がった正儀と光範。当初、摂津国を賭けて幾度となく戦った好敵手であった。しかし、正儀の幕府帰順後は、幾度となく光範の援軍に助けられる。正儀にとっては、幕府方の中で数少ない友軍といえた。その光範の死によって、正儀は、ますます幕府の中で孤立することになるのであった。
十月十三日、信濃宮こと宗良親王の姿は中納言、花山院長親とともに学晶山栄山寺の行宮にあった。
帝(長慶天皇)の前に進み出た宗良親王は、紐で綴じた一冊の書帙を差し出す。
「御上(長慶天皇)、遅くなりましたが、歌集がやっと成稿にまで漕ぎ着けました」
親王が撰集に着手して四年の歳月が経っていた。途中、親王は信濃に戻ったが、その間も長親が撰集を進めた。仕上げのために再度、上洛した宗良親王が、楠木正顕が手配した河内国山田の庵に籠り、長親とともに完成させた歌集であった。
長親が恭しく歌集を掲げて帝に差し出す。
帝は歌集を今は遅しと待ちわびていた。歌詠みだけでなく、文芸全般に造詣が深い帝は、この年、自らが源氏物語の注釈書である『仙源抄』を著していた。
書帙を手にした帝は、さっそく中に目を通す。
「なるほど、いずれも素晴らしき歌である。新拾遺集に勝るとも劣らぬできじゃ」
目を細め、満足そうに微笑んだ。
新拾遺集とは十七年前に北朝の後光厳帝の命で、二条為明と頓阿(二階堂貞宗)によって撰集された勅撰和歌集であった。
当時、宗良親王は自らの歌が勅撰の歌集に載らないことを嘆き悔しがった。親王自らが撰集したこの度の和歌集は、北朝の歌壇を見返したいという思いが籠っていた。
「もったいなきことにございます。御上(長慶天皇)にそのようなお言葉を頂戴し、この上もない喜びにございます」
「うむ。それで、この歌集の名前は何とするのか」
「はい、新葉集ではいかがでしょうか。春になって新たに芽吹く若い葉のように、この歌集は我が朝廷だけでなく、京の花壇においても新たな息吹をもたらすものとの思いを込めましてございます」
帝は大きく頷く。
「よい名じゃ。勅撰集にはこれまで金葉集、玉葉集と葉が付くものがあった。新葉集とはこれらの和歌集の後を受けるものという意味もあるのう。私撰集としておくのはもったいない。朕はこれを勅撰集とするように綸旨を出そう」
宗良親王は驚く。
「何と、思いも拠らぬ事。この歳になり勅撰集の撰者の名誉に恵まれるとは……喜びの涙で我が袂が濡れる思いにございます」
親王はそう言って頭を下げた。その傍らでは、撰者として手伝った長親も頭を下げた。
「さすがは歌詠みの宮よ。礼さえも、情趣がある」
帝は笑い、釣られて親王と長親も微笑んだ。
十二月三日、親王はこの新葉和歌集を勅撰集に似つかわしいように手直しし、帝の奏覧に供えた。
すると宗良親王は、自らの役目が終わったと言わんばかりに、長親に別れを告げて、ひっそりと信濃国大河原に戻っていった。
一方、歌集に全精力を注いだ長親も、この後、目標を失ったかのごとく、行宮のある大和五條を出奔して流浪の旅に出るのであった。
十二月、橋本正督が雨山土丸城の奪還失敗で討死してから一年半が経った。
雨山土丸城は、もともと幕府方の日根野盛治が造った土丸城だけであった。これを、橋本正高が連なる雨山に城を造って攻め落とし、一体の城郭群とする。城は、和泉と紀伊の国境の要所にあり、これまで幾度となく南軍と幕府の間で奪い合っていた。しかし、正督を駆逐して以降、幕府の和泉守護、山名氏清が守備するところとなる。その氏清は、守備兵を残して山深い雨山土丸城を離れ、かつての和泉の守護館に戻っていた。
この日、雨山土丸城は山名の兵五百人に守られていた。
「今日は冷えるな。薪を絶やすなよ」
山名の兵たちは見張りもそこそこに焚き火で暖をとった。
「おい、何か感じないか」
「何じゃ」
「ほら、馬の嘶きのような……」
兵たちが息を殺し聞き耳を立てた。すると、一人の兵が、はっと何かに気づいたように、慌てて櫓に登り、あたりを見回す。
「た、大変じゃ。な、南軍じゃ。南軍がこちらに向かっておる。およそ三百」
南軍の将は和田正武の跡継ぎ、和田孫次郎正頼。その嫡男で初陣となる新兵衛正平も従っていた。
急に城の中が騒然となる。
「敵は北からじゃ。兵を土丸山の方に回せ」
「すぐに殿(氏清)に使いを送るのじゃ」
山名の守備隊は、土丸山の北の出丸に兵を配置し、和田軍が登って来られないように守備を固めた。
しかし、山名の守備隊の裏をかくように、南軍はすで夜陰に紛れて、雨山の南に兵を送り、潜り込ませていた。
守備が手薄となった雨山の南に、いっせいに旗が上がる。
「敵じゃ、城の南から敵襲じゃ、菊水の旗じゃ、菊水じゃ」
それは赤坂城から出撃した楠木正勝・正元の兄弟が率いる楠木軍であった。
平尾城に、聞世(服部成儀)の嫡男、成儀が早馬を駆って駆け込んだ。成儀は広間にいた正儀の前で両ひざを付く。
「殿(正儀)、大変でございます。昨日、赤坂の小太郎殿(正勝)と小次郎殿(正元)の御兄弟が、和田党とともに雨山城を襲いました。そして、山名の守備兵を追い払い、籠城した由にございます」
「何と……早まった事をしでかしてくれた。四郎(楠木正顕)は止められなかったのか……」
正儀は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
どたどたと慌ただしく成儀が広間に入ったため、何事かと、家臣の河野辺正友と菱江忠儀、津熊義行、さらに猶子の篠崎正久・津田正信も広間に集まった。
正友は話を聞いて表情を固くする。
「太郎殿(橋本正督)の弔い合戦のつもりだったのでありましょう」
「されど、これで赤坂は、完全に幕府を敵に回してしもうた」
そう呟いて、正久は唇を噛み締めた。
これまで、楠木正顕によって南朝側の楠木一族は、過激な動きが押さえられていた。結果、幕府からその仕置きは身内の正儀に任せておけばよい、という暗黙の了解があった。しかし、菊水の旗を掲げて雨山土丸城を攻略した以上、幕府から討伐の対象と認識されざるを得ない。
いずれにせよ、雨山土丸城を奪還した正勝・正元は、今度は山名氏清ら幕府軍の攻撃を凌がなければならなかった。
一月後、年が明け、弘和二年(一三八二)一月二十四日、幕府の和泉守護、山名氏清は、兄で紀伊守護の山名義理の助けを受けて、大軍で雨山土丸城に迫る。氏清は義理を隣にして、宿老らと軍議を開いた。
汚名返上に燃える氏清は、家臣に檄を飛ばす。
「ここは、早々に片を付けるのじゃ。たかが五百の小勢に奪われたままとあっては、山名の名折れぞ」
氏清は苛立っていた。それは幕府管領、斯波義将が、援軍に周防・長門守護の大内義弘を向かわせたことにある。かつて、雨山土丸城を南軍に奪われた正儀が和泉守護を罷免され、城を取り返した氏清が和泉守護を得た。氏清はこの時の正儀を自分自身に重ね、援軍の義弘を警戒していた。
山名の郎党が、軍議を遮って氏清に報告する。
「殿(氏清)、楠木河内守殿(正儀)がお越しです」
義理や山名の諸将はざわついた。
「何、楠木が」
氏清は一瞬考えてから、本陣に正儀を招き入れた。
正儀は軽装な小具足姿で、傍らに津田正信を従えていた。
氏清は眉間に皺を寄せ、正儀を舐めるように見る。
「河内守殿、戦場には似つかわしくない身なりよのう。何しに参った。まさか、倅の命乞いに参ったのではあるまいな」
「陸奥守殿(氏清)、それがしを和睦の使者として、雨山にお使わせくだされ。倅どもに、城を明け渡すよう説得して参ります」
「何をたわけた事を。そなたが倅たちを説得できるのであれば、そもそもこういうことにはなっておらん」
もっともな意見である。しかし、正儀にはこうするしかなかった。
「戦をすれば死者も出る。和睦で撤退させることができれば、山名殿においても得ではございますまいか」
「そのような事を言いに参っただけか。ならばさっさと帰るがよい。これ以上、戯れ言を申せばただでは済まさぬぞ」
凄みのある声で、氏清は正儀らを脅した。
「待て、氏清……」
制したのは氏清の兄、義理である。
「……大して時を要するわけではなかろう。どうせ駄目かも知れぬが、楠木殿の気が済むようにさせてやってはどうじゃ」
兄の言葉に、氏清は信じられないといった表情を浮かべる。
「何を言うのじゃ。気でも狂うたか」
「親というものは無駄とはわかっておっても、子のために尽くしたいものじゃ。危険を省みず、このような姿でここへ来たのじゃ」
義理の言葉に、氏清は床几から立ち上がる。
「兄者、ここの大将はわしじゃぞ。兄者とてわしに指図はできぬ」
「わかっておる。されど、あえて言うておる」
「……ふん、勝手になさるがよろしかろう」
氏清は、ぞんざいに床几に腰を下ろした。
「方々、かたじけない」
正儀と正信は、深々と頭を下げてから陣を出て行った。
兄の横やりに、山名氏清は不満だった。山名の諸将を前にしてふてくされる氏清に、山名義理が声をかける。
「怒っておるのか、氏清」
「当たり前であろう。いったい何を考えておるのじゃ」
怒る舎弟に、義理はにやりと含み笑いを返す。
「氏清よ、本当にわしが情に絆されて楠木を雨山に遣わせたと思うておるのか。山名にとってその方が都合よいというだけじゃ」
氏清が怪訝な表情を義理に向ける。
「兄者、それはいったいどういうことじゃ」
「河内守が雨山の城に入ったところで、河内守(正儀)もろとも南軍を討つまでのこと。楠木親子を同時に討ち果たせる絶好の機会じゃぞ。さすれば自ずと河内国は山名のものとなる」
「されど兄者、河内守も一応は幕臣。我らが討ったとなると責めを受けるぞ」
「頭を使え、氏清。楠木正儀は自らの倅が率いる南軍に討たれるのじゃ。和睦が決裂したということでな。管領殿に対しては、和睦の使者となった河内守が討たれたので、我らが南軍を討ったということにすればよい。討ち漏らしても河内守が幕府に訴えることもあるまい。万が一、訴えても、楠木を敵視する管領殿(斯波義将)が相手では、訴えも退けられるだけじゃ」
「ううむ……」
義理の冷徹な策略に、氏清は感服し、思わず唸った。
そのような謀があるとは知らぬ正儀は、津田正信と菊水の旗を掲げた楠木の兵、数名を連れ立ち、山頂の城を目指して雨山を登る。
「六郎(正信)、和睦の使者とわかるように、白旗を掲げよ」
菊水の旗とともに、白旗を掲げて山頂の雨山土丸城を目指した。城の塀が見えるところまでくると、南軍の見張りの兵が正儀らに気づく。
「何者じゃ」
見張りの兵の問いかけに、正信が白旗を高く掲げる。
「我らは、和睦の使者じゃ。わしは津田六郎正信。そなたらも楠木・和田の兵ならば、この名を存じておろう。そしてこちらは楠木の大殿じゃ。河内守様自らが使者として参ったのじゃ。楠木小太郎正勝殿に通されよ」
正信の声に、南軍の兵たちは顔を見合わせた。
騒ぎを聞き付け、南軍に加わっていた一門の神宮寺正廣が塀の上に昇る。
「あ、本当に大殿じゃ。大殿、お久しぶりでございます。必ずお迎えしますので、しばらくお待ちを」
正廣はいったん、塀から姿を消すと、縄梯子を持って現れる。そして、城の兵たちとともに、正儀らを城の中に、引き入れた。
正廣に案内されて、楠木正勝と正元が待つ雨山城の陣屋へと入る。そこには、和田正頼・正平親子もいた。
正儀が一同を見渡し、正勝に視線を合わす。
「小太郎(正勝)、久しいのう。達者であったか」
「父上もお元気そうで」
久方ぶりの父子の第一声は、ともに戦の最中とは思えぬものであった。ただ正元の態度は固い。正儀と目を合わせようとはしなかった。
「小次郎か……立派な武者振りじゃ……」
正元との元服後初めての対面に、正儀は言葉を詰まらせた。
「父上、何しに参られたのじゃ。六郎兄者(正信)まで連れて」
「まあ、そう厳しい事を言うな。久方ぶりなのじゃから」
正信はその場を和ますように務めた。
感慨に浸る間もなく、正儀は本題に入る。
「挙兵の是非はさておき、お前たちはこの先、どうするつもりなのじゃ。このままでは、必ずこの城は山名に落とされるぞ」
「そんなものはやってみないとわかりませぬ。我が祖父、正成は五百の兵で千早に籠り、十万の敵を寄せ付けなかったではありませぬか」
若く勇ましい正元に、正儀は頭を掻く。
「小太郎、お前はどうじゃ」
「確かに、このままでは早かれ遅かれ、山名に落とされるでしょう。されど、それがしの狙いはこの城を守ることにあらず。山名の面目を潰すことにございます。攻められれば逃げ、逃げては攻めを繰り返し、山名がこの地に根を下ろす前に、罷免に持ち込む所存」
「山名が居なくなっても、新たな守護が任じられるだけじゃぞ。延々と繰り返すのか」
指摘に正勝は黙り込んだ。正勝も、その策に無理があることは承知していた。しかし、義兄、橋本正督の仇を討たなければとの義が勝っていた。
「展望のない戦ほど無益なものはない。ここは、いったん兵を引いて策を考え直すのじゃ。撤退は恥ではない。これも策じゃ。わしは和睦の使者として参った。お前たちが大人しく撤退するなら、山名との間で話を付けよう」
提案に、正勝は正頼ら南軍の諸将の顔を見回した。そして、口を開こうとしたその時である。
「敵襲じゃ」
「山名が仕掛けてきたぞ。北からじゃ」
「いや、西からもじゃ」
陣屋の外で兵たちが騒いだ。
正勝らとともに正儀も慌てて外に飛び出すと、一人の兵が駆け寄ってくる。
「北と西から、合わせて五千の敵兵が、気勢を上げてこの城に迫って来ています」
兵の話に、正儀は呆然とした。
「父上、山名に謀られましたな。父上もろとも楠木を葬るつもりでしょう」
「どうもそのようじゃな……すまぬ、小太郎」
山名義理の真の狙いが読めなかった自分を恥じいった。
「とにかく今はこの場をいかに凌ぐか。さ、早く」
正信が皆を急かした。
南軍の楠木と和田の兵は、塀に取り付こうとする山名の兵に、石を落とし、矢を放った。まるで、元弘の折さながらである。しかし、南軍が籠城してすでに一月。籠城の備えは不十分であった。援軍の当てもなく、補給路も確保できていない南軍は、すでに結果が見えていた。
正儀が正勝に目をやる。
「小太郎・小次郎、ここはひとまず撤退するのじゃ」
「承知。者ども、撤退じゃ。撤退して再起を期そうぞ」
正勝は叫んだ。
守備では和田正頼の指揮のもと和田勢が奮戦し、山名の兵をよせつけない。しかし、次第に旗色が悪くなっていく。
神宮寺正廣が駆け寄る。
「ここは我らにお任せを。若殿(楠木正勝)、大殿(正儀)、さ、早う、土丸の東からお逃げください」
「すまぬ、彦太郎(正廣)。後は任せたぞ」
「ここで大殿(正儀)にお会いすることができてよかった。さ、お急ぎください」
正儀は頷いて走った。
しかし、若い正元は、敵を前に逃げる事を躊躇する。
「いや、わしは逃げることはできぬ。一緒に戦おうぞ」
すると、正信が戻って、正元の胸倉を掴む。
「小次郎、彦太郎殿(正廣)の気持ちがわからんのか。お前はまだやらなければならんことがあるであろう」
正信は、逃げることを躊躇する正元を、引きずるようにして連れていった。
城に残った正廣らが、矢を放って山名の兵を引き付けた。その間に、正勝が率いる楠木軍と、正頼が率いる和田軍は、雨山の東と南の麓に向かって駆け降りる。もちろん正儀や正信も連れ立っていた。こうして南軍は、河内の東条や、紀州藤白山の大野城へと逃れて行った。
しかし、雨山土丸城に残って山名軍を防いでいた神宮寺正廣や、正頼の兄弟など多くが討死する。そして、翌日には、南軍の敗走兵が籠った紀州藤白山の大野城も、山名義理によって落とされる。
こうして、雨山土丸城は再び和泉守護の山名氏清の支配するところとなった。そして、大野城は紀伊守護の山名義理の支配するところとなる。
大和五條、栄山寺の行宮にも戦況が伝えられる。関白左大臣、二条教頼からの説明に、廟堂の公卿たちはざわついた。
この日、朝から頭痛に悩まされていた右大臣の北畠顕能は、公卿たちの狼狽える声に口を歪めた。
帝(長慶天皇)が苦悶の表情を浮かべる。
「では、雨山城に続き、大野城も奪われたというのか……」
帝は声を失った。
「御上……」
内大臣の吉田宗房が声を上げた。宗房は後醍醐天皇の元で内大臣を務めた吉田定房の息子で、強硬派と和睦派の間に立つ者である。
「……民部大輔(橋本正督)が討死して間がない中、これ以上、負け戦が続けば、我らを見限る武士はますます増えることにございましょう」
廟堂は、度重なる南軍の敗北に、強硬策を押し進める顕能への不信感が募っていた。
帝は顕能を前にして、あえてたずねる。
「内府(内大臣/吉田宗房)は右府(右大臣/北畠顕能)の策に反対か」
「朝議で決した事なれば、反対などとは申せませぬ。されど、いささか性急なお考えに、廟堂の僉議が引っ張られておるやもしれませぬ」
すると、顕能がぎろっと目を向ける。
「内府殿、麿が朝廷を誤った方へ導いていると言われるのか。このまま、幕府に抗わなければ、そもそも朝廷はなくなってしまいますぞ。今は多少の犠牲を出してでも、朝廷が手強いところを、幕府に示さなければなりませぬ」
この事態にも、顕能は自らの考えを変えるつもりはなかった。
宗房と顕能の意見の衝突に、帝は沈痛な表情を浮かべる。公卿たちの空気を察し、帝も徐々に弱気となっていた。
「策なく戦っても……」
公卿の誰かが口走った。すると、顕能が真っ赤な顔をして、立ち上がる。
「誰じゃ」
顕能はその場で公卿たちを見回して睨みを効かせた。その時である。
―― どさっ ――
顕能はその場に崩れるようにして倒れ込んだ。
「右府(右大臣)様っ」
隣に座っていた大納言の葉室光資が声を上げて、手を差し出した。他の公卿たちも慌てて顕能を取り囲む。
「北畠卿、お気を確かに」
意識を失った顕能は、奥へと運ばれた。
北畠顕能は数日、生死の境を彷徨ったものの、何とか一命は取り留める。しかし、それからは病床に伏し、内裏へ出仕できなくなってしまった。
帝(長慶天皇)は仕方なく、顕能に変えて朝廷の重鎮である宗房を右大臣とする。そして、病床の顕能に、長年の労をねぎらって准三后の地位を与えた。
太皇太后・皇太后・皇后に准じる者にしか与えない准三后を与えたのは、単に北畠親房の先例に倣っただけではない。早くに母、北畠顕子を亡くし、東宮(皇太子)宣下にも縁遠かった帝を親身に支えたのは、叔父でもあるこの顕能である。帝は、父とも思って慕っていた。それだけに、顕能が倒れたことは、朝廷での帝の立場を微妙にした。
一月三十日、雨山の戦から数日後のことである。平尾城に、美木多助氏が嫡男の助朝を連れて訪れる。かつて正儀と袂を別った助氏であったが、正儀の説得を受け、再び幕府に帰参していた。すでに二人の間には、過去のしこりは消えていた。
雨山攻めでは息子の助朝が、山名氏清の求めに応じて出陣し、幕府方として戦っていた。その恩賞として河内国にある所領の安堵を、河内守である正儀に願い出るためである。
館の広間で、正儀は助朝の求めに応じて、軍忠状の袖書きを行う。そして、かつての盟友、助氏に、自身が雨山土丸城へ和睦の使者となっていたことを話した。
「それでは、三郎殿(正儀)は使者として、戦の最中、あの雨山の城の中に居ったというのか」
唖然とした表情を助氏は浮かべた。
「山名兄弟(義理・氏清)はそれを承知で城攻めを命じたようじゃ。おそらく、わしもろとも、討たんとしたのであろう」
「河内守殿、知らぬ事とはいえ、攻め手に加わっていたこと、申し訳なく存ずる」
若い助朝が、気まずそうに頭を下げた。
「いや、山名の命に背けば、そなたたちの和泉大鳥の所領が安堵されなかったであろう。仕方のないことじゃ」
「されど、三郎殿と小太郎殿(楠木正勝)を同時に討たんとしたということは、河内国を狙ってのことか。このことは早く管領殿(斯波義将)に知らせた方がよろしかろう。将軍や管領の命なく幕臣を討たんとしたことは謀反に等しい」
助氏は憤った。しかし、正儀は首を横に振る。
「いや、無駄であろう。藪蛇になるやもしれぬ。そもそも管領殿は楠木の失態を煽り、河内国を取り上げようと虎視眈々と狙うておる」
「要は山名兄弟と思惑は同じということか」
憂慮する助氏に正儀は頷き、話を続ける。
「いずれにせよ、小太郎と小次郎(楠木正元)が雨山の南軍に加わったことで、次は東条が危ない。孫次郎(和田正頼)も新九郎(正武)殿を連れて、本城(上赤坂城)に籠城したようじゃからな」
すると、助朝が怪訝な表情を浮かべる。
「で、どうなされるのです」
「何としても東条攻めは阻止する。何としてもな」
正儀は強い決意を口にした。
かつて、正儀の与力であった助氏は同情の表情を浮かべ、息子の助朝は困惑の表情を浮かべた。
時を同じくして、摂津国正覚寺村、正儀の家臣、交野秀則の館である。秀則は、平尾城から戻ると、すぐに、達と三虎丸を呼び寄せる。
この時、三虎丸は十一歳。隣の四条村にある桑原寺の僧、祐存に学問を学び、交野の郎党に武芸を学ぶ日々を送っていた。いずれも非凡の才を見せた。
「爺様(秀則)、お帰りなさいませ」
「うむ、今、帰ったぞ。これは平尾城の父上(正儀)から三虎丸へと預かった弓じゃ。これで弓矢の鍛錬に励むがよい」
三虎丸は正儀から送られた弓と聞き、喜んで受け取る。そして、さっそく弓矢の練習をするために外に飛び出した。正儀と離れて暮らす三虎丸は、たまにしか訪れない父に対し、愛情に飢えていた。
秀則は、三虎丸を目で追った後、険しい顔を達に見せる。
「どうも雲ゆきが怪しくなった」
「父上(秀則)、いかがされましたか」
「殿(正儀)は、山名兄弟(義理・氏清)が次に東条を攻めるであろうと予言され、これを何としても阻止しようと画策しておる」
秀則は苦渋の表情で達に語った。
「それは殿様の一大事」
しかし、達は秀則の言わんとすることを、理解していなかった。
「もしかすると、殿は幕府を裏切り、南方に戻られるや知れぬ」
「え……では、南方として山名と戦になるのでございましょうか。では父上も兵を集めなければならぬのではありませぬか」
心配そうにたずねる達に、秀則は首を横に振る。
「もし、殿が南方に帰参するというのなら、我が一党は、殿とは袂を分かちざるを得ぬ。わしが殿に近づいたのも、幕府の守護大名という立場があってのことじゃ」
「そ、それでは、殿様を見限るのでございますか。そんな、薄情なことがあってよいものでしょうか。それに、三虎丸はどうなるのでございますか」
達は強張った顔で、秀則に翻意を促した。
「我ら小豪族は、義のためには戦わぬ。義で弱い方に着けば、御家は存続できぬのじゃ。殿が南方に走った時点で達と三虎丸は楠木との縁を切り、交野の家の者として暮らすのじゃ。よいな」
秀則は非情になって、すがる達を振り払い、奥へと消えて行った。
河内の平尾城、微妙な状況に置かれた正儀の元に、一人の男が少年を連れて訪れる。男は広間に通されると、まだあどけなさが残る傍らの少年とともに、正儀に頭を下げる。
「判官、生きておったのか」
「大殿(正儀)、生き恥を晒すこと、お許しくだされ」
男は橋本正督の近臣で、大夫判官の和田良宗であった。頬に傷を負ったその顔は、まさに生地獄からの生還を示すものであった。
「太郎(正督)とともに討死したのではないかと思うておったぞ」
「山名軍の囲みを破って逃げる途中、殿(正督)とは離れ離れになりました。逃げ仰せたと思ったとき……」
良宗が言葉を詰まらせる。
「……すでに 殿の姿はなく……討死されたことは翌日知りました」
正儀は聞きたいことがたくさんあったが、まずは目の前の疑問から問わざるを得ない。
「それで、その子は……」
正儀の言葉で、良宗は隣の少年に目を配る。少年は、いかにも緊張した様子で畏まっていた。
「殿(正督)は戦いの最中、万が一のことがあれば、紀伊橋本に置いてきたこの子を頼むと言われたのです」
「では、この子は太郎(正督)の忘れ形見なのか……」
「左様、多聞丸殿にございます」
良宗の口から出た少年の名に、正儀ははっとする。多聞丸の名は、楠木正成から楠木正行に、さらに楠木正綱こと橋本正督に、楠木の嫡流が代々受け継いだ名であった。
「そうか、兄者(正行)の血を受け継いだ子が、こうしてわしの目の前に……」
熱いものが正儀の胸に込み上げた。
良宗が多聞丸の背中に手を添える。
「多聞丸殿を大殿にお預けしたく存じます」
「預けるとな……しかも、四郎(楠木正顕)ではなく、敵方のわしにか」
「もとより、それがしは敵などとは思っておりませぬ。それがしにとっては同じ楠木です。正成公と正行公の血を受け継ぐ多聞丸殿を本家にお戻ししたいのです。それに……」
「それに……」
正儀は、口籠る良宗に、次の言葉を促した。
「それに……此度の事もあり、大殿にお預けし、この城に居る方が、幕府の目も届かないかと思いまして」
「なるほど、判官の気持ちはわかったが、高子殿の気持ちもあろう」
橋本正督の妻は良宗の姉、高子である。つまり良宗はこの子の叔父でもあった。そして、良宗と高子の母が、美木多正氏の娘、倫子である。
「姉(高子)とも相談して決めたことでございます。昔、殿は楠木館を飛び出した事を、後悔されておられた。姉(高子)も、殿の思いを多聞丸殿に託しておるのでございます。多聞丸殿とて覚悟を決めて、今日、ここに参りました」
「楠木の大殿、何卒、お願い致します」
良宗の言葉に多聞丸も頷き、頭を下げた。
腕を組んだ正儀が、暫し沈黙してから頷く。
「よかろう。多聞丸はわしの末子としよう。されど、条件がある。判官、生き残った太郎の家臣たちを連れて参れ。そして、判官は多聞丸の傳役を務めよ。よいな」
「何とそれがしに……」
正督の家臣を召し抱えるのも、良宗を傳役としたのも、正儀の恩情である。
良宗は深々と頭を下げる。
「……申し訳ござらぬ。謹んでお引き受け致します」
正儀が多聞丸に目をやる。
「多聞丸、歳は幾つじゃ」
「十一にございます」
側室の達が生んだ我が子、三虎丸と同じ年であった。正儀は三虎丸の面影を多聞丸に重ねて不憫に思う。
「母と別れて暮らすのは寂しくないのか」
「寂しくなぞありませぬ。父上のような立派な武将に成るために、精進致しまする」
多聞丸が顔を引き締めた。正儀は立ち上がり、多聞丸の前で片ひざ付いて、肩に手を添える。
「うむ、よい面構えじゃ。きっと立派な武将に成るであろう」
正儀は、この子のためにも、楠木を潰すわけにはいかないと、改めて心に誓った。




