第28話 湊川の送り火
正平十七年(一三六二年)七月、京の夏は相変わらず蒸し暑い。
蝉の声がうるさく響く将軍御所には、京極道誉の姿があった。細川清氏が罷免されて以降、道誉は将軍、足利義詮の傍に侍り、まるで、将軍家執事のごとく振る舞っていた。
このことに、足利一門の筆頭、斯波道朝(足利高経)をはじめとする幕府諸将が反発し、陰口を叩いた。
そこで、道誉は一計を案じる。
「執事不在となって早、十月。幕府安寧のためにも、早く次なる執事をお決めになった方がよろしいかと」
続き間の上段に座る足利義詮を前にして、道誉は畏まって進言した。
「うむ、わしも気にしておる。入道(道誉)、誰かよき者はおるか」
「斯波道朝殿はいかがでしょうか」
道誉に手厳しい道朝の名がその口から出たことに、義詮が、意外なと言わんばかりの表情を返す。
「何、道朝じゃと」
「はい、何と言っても将軍家御一門の筆頭。諸将を抑え込むには、この上もない御方かと存じます」
「ううむ……妙案じゃが、気位の高い道朝が執事を受けることはあるまい」
一門筆頭で、父、足利尊氏の代からの勇将である道朝が、執事を引き受けるとは、とても思えなかった。しかし、義詮のみならず、そのことは道誉も織り込み済みである。目的は別のところにある。
「それなら、道朝殿の嫡子、氏頼殿がよろしいかと。将軍家の御身内である斯波家を執事とすれば、その威厳も上がりましょう」
単に執事の格を上げるための進言ではない。斯波氏頼は道誉の娘婿であった。氏頼を執事に就任させることで、道朝らの反発をかわすとともに、娘婿の氏頼を通じて地位の安泰と、領国の安堵を図ろうとしていた。
「そうか。若い氏頼ならよかろう。それでは、入道に任せよう。内々に打診してみるがよい」
「ははっ、承知致しました」
義詮の前で、道誉は顔を伏せてほくそ笑んだ。
京極道誉から話を聞いた斯波氏頼は、これはよい機会と、父の斯波道朝に相談した。
しかし、元来、高や上杉など家来筋がなる執事職に、足利一門の筆頭が就いては家名の恥と、にべもなく反対される。氏頼はしかたなく、将軍御所に出向いて足利義詮に頭を下げ、執事就任を辞退した。
だが、諦めがつかないのは義詮である。道誉に相談することなく、父の斯波道朝を将軍御所に呼び寄せた。
御所に出仕した道朝が義詮の前で畏まる。
「御所様、せっかくのお声かけではありますが……」
申し訳なさそうに頭を下げる道朝の言葉を、義詮が遮る。
「修理大夫(道朝)よ、氏頼に執事を頼んだのは、そなたの力を必要としているからじゃ。そなたは、氏頼の後ろ立てとなって、幕政を差配してもらえまいか」
「それがしが……でございますか」
「うむ。じゃが、足利一門筆頭の修理大夫(道朝)を、将軍家内々の執事とするわけにもいかぬ。されば、将軍家の執事は氏頼とし、斯波の棟梁たるそなたには、新たに設ける管領にと思うておる」
「管領とは……内管領とは違うのですか」
道朝は首を傾げた。内管領とは、鎌倉幕府、北条得宗家の御内人(家臣)筆頭が任じられた役である。もともとは北条家の内々の家宰のことであったが、次第に実権を握り、長崎円喜・高資親子の時代には、幕府の真の支配者と言わしめるまでになった。
「長崎が如き内なる管領とは違い、外向けの管領のことじゃ。天下を管領する管領よ」
その名に道朝は心が動いた。暫し悩む振りをしてから顔を上げる。
「将軍自らそこまで頼まれては、それがしも断ることはできませぬ」
「そうか、引き受けてくれるか」
義詮の顔からは、安堵の表情が浮かんだ。
「ただ、それがしの力を必要とされるのであれば、将軍家の執事には氏頼の弟、義将をお願いしとうございます。まだ元服を済ませたばかりですが、見どころがあり、ゆくゆくは斯波家の跡目とするつもりです」
道朝は後妻の子であった斯波義将を溺愛していた。また、氏頼を執事としないことで、道誉の影響を排除したいという思惑もあった。
「何と、氏頼が跡目ではないのか……じゃが、跡目を義将と決めているのであれば、余に異存はない。義将を執事としよう」
「ははっ」
道朝は畏まって、義詮の要望に応じた。
七月二十三日、将軍、足利義詮は、正式に、十三歳の斯波義将を執事に任じ、新たに設けた幕府管領に、父の斯波道朝を任じた。
義詮にとって執事は、氏頼であろうが義将であろうが関係はない。足利一門の筆頭、斯波家棟梁の道朝を幕政に組み入れることで、他の一門諸将を黙らせることが狙いである。
しかし、義詮にはそうであっても、これに面子を潰されたのが斯波氏頼と京極道誉であった。
氏頼は、執事どころか斯波家の家督も継げなくなった。このことを恥辱と思い、この後、出家し隠遁する。
そして、道誉は道朝に深い恨みを抱くのであった。
八月初め、南河内の楠木館は出陣の支度で慌ただしかった。諸国の武将たちへ、南軍がいまだ健在である事を鼓舞するための出陣である。
正儀と甥の楠木正綱は、出陣に先立って摂津へ下見に出かけた。その数日間のことである。徳子が二人目の男子を産んだ。
二人が赤坂に戻ってくると、持国丸が待ちわびた風に、館を飛び出してくる。馬から降りた正儀は、手綱を郎党に預けると、持国丸に歩み寄った。
持国丸が満面の笑み向ける。
「父上(正儀)、男じゃ。男子じゃ」
「そうか、男子か。祝着じゃ」
正儀は持国丸の頭を撫でると、館の中へと急いだ。
馬から飛び降りた正綱も、持国丸の元に駆け寄る。
「持国丸、そなたも今日から兄じゃな。叔父上(正儀)の嫡男として弟の面倒をしっかりみるのじゃぞ」
「嫡男……嫡男は太郎兄者(正綱)であろう」
正綱は、はっとする。正儀と徳子はあくまで叔父叔母であり、今でも父母と思ったことはなかった。しかし、持国丸は自分のことを兄と思って慕ってくれる。自分も持国丸を実の弟として接していた。正綱は、自分を嫡男として扱ってくれる正儀を父と呼べぬことに、初めて後ろめたさを感じた。
そんな正綱の思いとは関係なく、持国丸は正綱の手を引いて、正儀の跡を追い掛けた。
館の奥では、侍女の妙を隣にして、徳子が赤子に乳を飲ませていた。
「これは殿(正儀)、このようなところをお目にかけ、申し訳ありませぬ」
気づいた徳子が、赤子を乳から離そうとすると、とたんに火がついたように泣く。
「気の強き子じゃな。よいよい、そのまま続けよ」
「あいすいませぬ。お出迎えもせずに」
徳子は正儀に頭を下げて授乳を続けた。
「何の、その分、持国丸が迎えてくれたわ」
頬を緩めた正儀が、徳子の前に腰を下ろした。
遅れて、持国丸に手を引かれた正綱が顔を出す。すると、侍女の妙が慌てる。
「こ、これは太郎様(正綱)……」
「あ、失礼した。叔母上(徳子)」
徳子の白い胸元に驚いた正綱が背中を向ける。一方、持国丸は、そんな正綱を尻目に徳子の横に座り、乳を飲む赤子の頬を指でそっと触った。
授乳姿の徳子に気を遣う正綱は、ちらちらと横目で見ていた。そんな正綱に徳子は微笑む。
授乳を終えて胸元を直した徳子が、抱いた赤子の背中を軽く叩いた。
「太郎殿、もう、よろしいですよ」
妙の声で、正綱はやっと徳子の横に座り、義理の弟の顔を拝んだ。
赤子から顔を上げた徳子が、正儀に目を合わす。
「殿、名前を着けてやらねばなりませぬね」
「うむ、すでに決めてある。如意丸じゃ」
「意のごとく、でございますか」
「そうじゃ、この子は次男。正綱を入れれば、楠木の名を受け継ぐ三人目の男子じゃ。好きなように生きるがよいと思うてな」
「まあ、殿様らしゅうございます」
「気に入らぬか」
そう言って正儀が、徳子の顔色をそろりと窺った。
すると、徳子が正儀をまじまじと見返す。
「ふふ、気に入りました」
わざと作った真面目な表情にこらえ切れず、正儀と一緒に笑った。
「父上様(正儀)、兄上様(正綱)、お帰りなさいませ」
そう言って菊子が藤若丸と熊王丸を連れて部屋に入ってきた。
菊子らに徳子が笑顔を向ける。
「菊子、藤若丸、熊王丸、ちょうどよいところへ。この子の名がいま決まったところです。如意丸です。皆、可愛がってくだされ」
「如意丸殿……なるほど、よき名でございますね」
意図を察したかのように菊子は頷いた。その実弟の藤若丸は生まれたばかりの如意丸にわざと深々頭を下げる。
「如意丸殿、藤若丸にございます。末永くお引き立てのほど、お願い申し上げます」
お道化て皆の笑いを誘った。
「如意丸殿、我が顔をよくご覧あれ」
普段は大人びた熊王丸も、如意丸を笑わせようと、自らの顔を手で引っ張る。その顔に、如意丸の代わって皆が笑い転げた。
八月半ば、正儀は、和田正武や橋本正高、神宮寺正廣ら楠木一門を率いて、摂津住吉に向かった。行宮の住之江殿で帝(後村上天皇)に出陣を報告し、楠木軍を北へ進めた。楠木勢八百余騎と、笹五郎らが集めた傭兵六百からなる、総勢千四百の大軍であった。
この突然の南朝による軍事行動に、幕府の対応は後手に回る。摂津の守護は、赤松光範を策謀で追い落とした京極道誉。しかし、道誉は京にあった。守護代の箕浦定俊が幕府軍の指揮をとることになり、慌てて摂津の豪族を召集した。
その中に、摂津国池田荘の豪族、池田兵庫助教依と、その嫡男、池田十郎教正の姿があった。教正は元服したばかりの十五歳。これが初陣である。
教依が、馬を並べた息子の教正に、感慨深げに声をかける。
「十郎(教正)、立派な武者ぶりじゃ。そなたの母が生きておれば、さぞかし喜んだであろう」
実母は、教正がまだ幼い時に、流行り病で亡くなっていた。嫁いで数年後のことである。教正はその後、教依とその後妻によって大事に育てられていた。
「父上、亡き母上のためにも楠木が棟梁、正儀の首を取って、墓前に報告しとうございます」
楠木正儀に対し、並々ならぬ決意で臨もうとしていた。
「よくぞ申した。それでこそ池田の跡取りじゃ。そなたの母も喜ぶであろう」
父の教依は、教正の言葉に満足そうに頷いた。
摂津に進出した楠木軍は、前回の摂津侵攻と同様に、この地の天満宮に陣を張った。
「三郎殿(正儀)、肩透かしじゃな。このまま幕府軍が出て来なければ、我らは何のために出兵したのかわからんぞ」
「新九郎(正武)殿、心配は無用。すでに神崎川の向こう側には、幕府軍が集まっておるようじゃ」
後ろに向けて正儀が目配せすると、津田武信が進み出て絵地図を広げる。
「殿(正儀)の仰せの通りです。聞世殿(服部成次)が寄越した透っ波の知らせでは、摂津の守護代、箕浦左衛門尉(定俊)を大将に、およそ五百の兵が集まっております……」
絵地図の中で、武信が神崎橋の向こうへと指をつつっと動かす。
「……敵はここ、浄光寺に陣を布いています。神崎橋を渡れば隊列は細くなります。おそらく我らを橋向こうで待ち構えて、正面から潰しにかかるでしょう」
これを受けて、正儀が正綱に顔を向ける。
「太郎(正綱)、お前ならどう攻める」
「はい……敵は神崎橋の向こうにおよそ五百。こちらは千四百。まず四百を橋の手前に配置し敵を引き付けます。そして、残りの兵を五百ずつに分けて、それぞれ、この神崎川の上流と下流から渡らせ、敵の背後を突いてはいかがかと存じます」
突然の問いかけであったが、正綱は落ち着いていた。先に摂津の下見をした際、神崎橋あたりも調べていたからである。
「なるほど、それはよき策ではないか。のう、三郎殿(正儀)」
感心した正武がひざを打った。しかし、正儀は納得しない。
「うむ、よき案じゃが問題がある。神崎川の下流は川幅も広く、川底も深い。船を手当てせねば渡ることはできぬ。今から船の手当てはできん」
「ううむ。では、上流から神崎川を渡るしかないのう」
諦め顔で正武は腕組みをした。
「そうじゃな。新九郎(正武)殿の申す通り敵の背後を突くのは上流からと致そう。されど、正綱が言うように下流へも兵を送ろう」
「叔父上、それはどういうことでございます」
「確かに。渡れぬ川下に兵を送っていかがするのじゃ」
正綱と正武に、正儀は絵地図の神崎川の下流を指差す。
「下流に向かわせる兵は囮じゃ。敵に下流に向かわせたと思わせ、密かに大軍を上流に送る」
「なるほど……」
「うむ、敵の驚く顔が目に浮かぶわい。やってみようではないか」
正綱は感心し、正武は面白がった。
池田教正は父、池田教依に従って、幕府軍の指揮をとる箕浦定俊の陣に参じた。教依と教正は、定俊が本陣とする浄光寺の本堂に入ると、定俊の前に座り、両方の拳を床についた。
「箕浦殿、遅くなって申し訳ござらん。今日は嫡男、教正の初陣で手間取り申した」
「池田十郎教正でござる」
頭を下げる池田教正に、定俊がゆっくりと頷く。
「池田殿、よう来てくれた。そうか、十郎殿は初陣であるか。されど、初陣にしては、今日の敵はちと手強いぞ」
「相手が楠木だからこそ、父に初陣を願い出ました」
「おお、頼もしき跡継ぎでござるな。されど、池田殿には前線ではなく、この本陣に居てもらおう」
定俊の言葉に、教正は不満顔で父に目をやった。
「十郎、お前は初陣じゃ。皆の足手まといになってはならん。本陣から皆の戦をよく見ておくことも大事な戦じゃ。よいな」
「はっ」
言いたい言葉を飲み込んで、教正は頷いた。
「池田殿、相手が楠木と聞くと、大概嫌がるものじゃが、戦えぬことを悔しがるとは、これは将来、楽しみよ。わっはは」
定俊は父の教依に顔を向けて、大声で笑った。
幕府軍は浄光寺を出て神崎橋の近くに兵を集めた。夕刻までに楠木軍も橋を挟んで幕府勢と向かい合う。日が沈むと正儀は津田武信に命じ、兵の一部を割いて川沿いを下流へと向かわせた。
兵たちを前に、武信が松明を掲げる。
「皆、両手に松明を持って、間を空けて歩くのじゃぞ。よいな」
松明を持った兵たちは、目的の地、杭瀬まで歩くと、松明を木の杭に括り着けて地面に立たせた。
「よし、地面に立て終わった者から、急いで戻るのじゃ」
武信の下知で、兵たちは駆け足で来た道を戻り、元の場所で、新たな松明を持って、再び杭瀬まで歩いた。
川向こうに布陣した幕府勢からは、暗闇に松明のあかりのみが見える。それはただ大軍が延々と下流へ向かっているように映っていた。
「神崎橋は守りが固いとみて、楠木は下流に大軍を移しておる。阿呆な奴じゃ。この川は下流に行けば川幅も広く川底も深い。あのようなところを渡れるものか。楠木も焼きが回ったと見える」
箕浦定俊は、いずれ楠木軍は引き返してくるであろうと、神崎橋の守りを固めさせた。
一方、正儀は暗闇の中、松明も持たず静かに本軍を率い、神崎川の上流に向けて進軍していた。
川の様子を見に行った正綱が、正儀の元に戻ってくる。
「叔父上、このあたりは渡れそうです」
「よし、ではこのあたりでよかろう」
正儀の合図で楠木軍は進軍を止めた。そこは、神崎橋から二十町ばかり北の、三国の渡であった。
「よし、隊列を崩さず、ここから対岸を目指すのじゃ」
和田正武が指揮して、兵と馬を対岸に渡らせた。歩兵は胸まで水に浸かるが、挽夏の川は、兵たちの進軍を拒まなかった。
神崎橋の西、幕府軍の箕浦定俊からも、遥か上流の正儀たちの篝火が微かに見えた。
「殿(定俊)、川の上流に灯りが見えます」
「何、楠木か。対岸の楠木の本営はどうなっておる」
定俊は神崎橋の対岸の楠木の本陣を見遣った。
「楠木の本営は動いてはいないようです。篝火の数も変わっておりません」
兵の言葉に定俊は腕組みをする。
「うむ、斥候が動いておるのかも知れんな。敵の本営の動きをよう見張っておけ」
定俊は近習に命じると、ひと眠りしようと陣幕の中に入って横になった。
短い夜が終わり、東の空からゆっくりと夜が明ける。陣幕の中でひと眠りしていた摂津守護代、箕浦定俊の元に、兵が慌ただしく駆け込んでくる。
「殿、大変です」
「う、うん、どうした」
定俊は寝ぼけた眼を擦りながら兵たちに顔を向けた。
「と、とにかく、こちらへ」
その兵は、定俊を陣の裏手に連れて行く。
「あれをご覧ください」
促された先に見えたものは、神崎川より西に幾つもの旗を掲げた軍勢であった。
「赤松からの加勢か。聞いておらんが……」
のんびりと軍勢を見ていた定俊だが、朝日が軍勢を照らし出すにつれ、顔が引きつる。
「菊水……菊水の旗ではないか。いつの間に楠木が……」
正儀は幕府軍を取り囲むように、富松神社など十数カ所に兵を配置していた。その数は幕府軍の倍以上である。
「こ、この敵の数では平地で騎馬戦をやっても、とても敵わん。籠って戦うしかない。皆、急ぐのじゃ」
定俊は、城砦とした浄光寺へ、全軍の退却を指示する。池田教依と池田教正も跡を追って馬を走らせた。
幕府勢の動きは、その西に移動した楠木勢からよく見えた。
津熊義行が指を指す。
「敵は浄光寺砦に戻っておるぞ」
「ふん、こっちは全てお見通しじゃ」
楠木正綱は、幕府軍が正儀の術中に嵌まっていくことに、にやついた。
「よし、皆、鬨の声を上げよ」
正儀が命じると、周りの兵がいっせいに、えい、おう、と声を上げた。鬨の声は木霊し、これに連られて、あちらこちらに別れて布陣する楠木軍の声も重なった。
そして、鬨の声は浄光寺からも上がる。すでに浄光寺砦は和田正武が占領していた。
「何、すでに浄光寺は敵の手に落ちたというのか」
浄光寺に向かっていた定俊は蒼ざめる。まず、幕府軍に案内役として従軍していた中白一揆と呼ばれる地元の国人衆が真っ先に逃げ出した。
「よし、者ども、敵を討ち取れ」
浄光寺の正武が、騎馬隊を指揮して幕府軍に切り込んだ。
ついに合戦が始まる。和田党は、浮足立った幕府軍を、あちらこちらで散々に打ち破った。
定俊は池田親子を含む兵五十人に守られて逃げるが、正武が和田党を率いて先回りし、これを討たんと取り囲む。
「敵の大将を取り逃がすな。囲め、囲め」
正武の怒声が響いた。
和田の騎馬に囲まれるものの、弱冠十五歳の池田教正は、父、教依とともに果敢に立ち向かう。しばらくは双方乱れてのせめぎ合いとなる。
「新九郎(正武)殿に後れを取るな。者ども、行くぞ」
正綱も騎馬隊を指揮して突入していく。馬上で槍を構え、大将、箕浦定俊の近くに迫る。そこに、教正が横から馬を入れて正綱の進路を邪魔した。
すれ違いざま、二人の目が合う。教正のぎらぎらとした瞳は、正綱の心に突き刺さる。
「くそ、あの者、邪魔立てしおって」
馬を駆って走り抜ける教正を、正綱は背中から睨んだ。
その一瞬の隙を突いて、幕府軍の大将、箕浦定俊は、脱兎のごとく馬を駆って戦場から逃げ出した。定俊が敗走したことで、幕府方の兵も四方に雲散する。池田親子も何とか楠木・和田の兵たちの隙を突いて池田荘へと馬を走らせた。
「くそ、取り逃がしたか」
正武は歯ぎしりしながら、逃走する幕府軍を目で追った。
楠木軍が摂津の神崎川で幕府軍を撃破した知らせは、幕府を震撼させる。将軍、足利義詮は、執事の斯波義将と、その後見として管領職に任じた父の斯波道朝を両脇に配して、摂津守護である京極道誉を呼び付けていた。
義詮の機嫌は悪い。
「箕浦は、尼崎から京へ逃げ帰ったようじゃな。楠木にいいようにされおって」
「南軍を京から追い払い、清氏を四国で討ち取り、やっと、諸国の南方が幕府に降参しはじめた矢先というに。これでは、せっかくの将軍の権威回復に傷が付く」
管領の道朝も、怪訝な顔で京極道誉を睨んだ。
これは摂津の守護である道誉の失態であった。普通の人ならば、頭を垂れるところである。だが、この男は違う。
「ほんに情けない。わしがその場に居ようものなら、楠木など追い返したものを。残念じゃが、わしはその時、春王丸様の御供で京を離れることができなんだ。それがしにとっても、まことに残念な事じゃ」
悪びれる事もなく言い放った。
その態度に道朝が苛立つ。
「まるでそなたは、春王丸様に責任があるような言いようじゃな」
「はて、そのようなこと、この入道(道誉)が申しましたか。楠木の運のよさを言うたまででござるよ」
このやり取りに、義詮が神経質そうに眉間に皺を寄せる。
「もうよい。我らが考えねばならんことは、南軍を討つことじゃ」
「では、摂津守護として、この入道が兵を率いて出陣致しましょう。西には赤松光範が居りますので、南軍などわけはないでしょう。ではさっそくこの入道の名の元に兵を集めます」
道誉は頭を下げつつ、意味ありげに執事の義将を見た。道朝は、一瞬笑みを浮かべた道誉の表情を見過ごさなかった。
「あいや、待たれよ。執事がおるのに道誉殿の名で兵を集める必要もありますまい。倅の義将を出陣させましょう」
道誉が以外にあっさりと出陣を願い出たことに、道朝は慌てて出陣を申し出た。道誉に目立つ役割を回したくなかったからである。
道朝の目配せに、まだ数えて十三歳の義将が頷く。
「御所様、ぜひ、それがしにお命じくだされ」
「義将にとっては執事としての最初の戦。執事の名の元に兵を集め、後見役として管領のそれがしも出陣致しましょう。よろしいか、道誉殿」
「では、ご随に」
道誉は、これで出陣しなくて済んだとばかりに、笑いをこらえて道朝と義将に自らの役目を譲った。
九月十六日、神崎川での戦に勝った楠木軍は、石塔頼房の軍勢を加え、三千余騎となって摂津を西に向けて進んでいた。
そのゆく手には、赤松氏の摂津の出城である多田部城と山路城がある。六甲山の裾にある多田部城に対し、山路城は平地であった。多田部城には、京極道誉に摂津の守護を奪われた赤松光範が、山路城にはその舎弟、赤松範実がそれぞれ籠っていた。
兄の光範は楠木のお株を奪うように、策を弄して山手の多田部城の守りを固めていた。
「おのれ楠木、次なる狙いは我ら赤松か。此度こそは、目にものを見せてくれようぞ」
光範は、正儀に摂津守護を追われた恨みがあった。守護を失ったのは道誉の策謀であったが、契機は楠木軍に無様に討ち破られたからである。
片や、山路城に籠る舎弟の範実は、かつて細川清氏の誘いに乗って、南軍として京へ攻め入った過去があった。だが、叔父の赤松則祐の説得に応じて幕府側に戻った。その範実は、兄の光範と申し合わせていた。楠木軍が平地の山路城を攻めれば、敗走する振りをして、楠木軍を引き付けたまま、六甲山の多田部城攻めへと誘い込むつもりである。
西侵する楠木軍は、海手の山路城へと迫る。範実は、息を呑んで、迫りくる楠木軍を待ち構えた。
しかし、正儀は範実の期待を裏切る。楠木軍は山路城を無視して、さらに海手を西に向けて進軍した。
手ぐすね引いて山路城で待っていた赤松範実は、自分たちを無視して目の前を西に駆け抜けていく楠木軍に、ただただ唖然とするばかりであった。
楠木軍は西へ、さらに西へと進んだ。そして、湊川を渡って目的の地に着いた正儀が馬を降りる。
ゆっくりとあたりを見渡した。背後には小さく盛り上がった会下山がある。従兄弟の楠木正近や和田正武も、馬を降りて、感慨深げにあたりを見回した。
この地にくるのは、皆、これが初めてである。会下山の南には、海に向けて平地が広がり、百姓家が点在していた。
「ここで父上が死んだのか……」
誰かに聞かせるわけでもなく、正儀が呟いた。
湊川の地は、父、楠木正成が足利尊氏に敗れ、一族郎党とともに自決した地である。正儀は、この度の摂津侵攻に際して、湊川まで進むことを一つの目的としていた。それは、この地で一族の霊を弔うためである。
あたりを見渡した正儀は、目を瞑り、手を合わせる。続いて、正近や正武、正綱ら一族が手を合わせた。
不意に正儀は、背後に父、正成の気配を感じる。
「父上」
小さく声を上げて振り向いた。しかし、誰も居ない。
湊川で正成が討死した時、観心寺での読経の中、正儀は夢現に父の姿を見た。皆を頼むと言い残して馬に乗り、もやの中に入っていった。
(あの場所は、ここだったのか……)
一生懸命、あの時の記憶を手繰った。
隣では正近が、やはり、この地で散った父、正季の面影を追いかけているかのように、ゆっくりと周りを見渡していた。
正儀が諸将を集める。
「よし、ここで父上たちの仇を討とうぞ」
敵が在所として用いた民家に火を掛けるように命じた。
手筈どおり、楠木の兵たちは家々には金を渡して家を空けさせ、空になった家に念仏を唱えながら火を着けて回った。
「これは、父上たちへの送り火じゃ。今だ彷徨う霊あらば、これで成仏できるであろう」
「はい、叔父上」
燃え上がる炎に火照る顔で正綱も手を合わせた。
もちろん、それだけが目的ではない。あくまで戦である。勝ち戦を宣伝するためには、口伝されるような派手な演出が必要であった。
「よし、皆、引き上げるぞ」
家々に火を放ち終えた正儀は、兵に下知して西宮まで、一気に軍を戻して陣を布いた。
この楠木の行動に拍子抜けしたのは、六甲山の多田部城に籠っていた赤松光範であった。湊川の帰りには、必ず楠木軍は多田部城を取り囲むと踏んでいた。だが、期待はあっさりと裏切られる。
「楠木め、相変わらず戯けた行動を。されど、騙されぬぞ。きっと不意を付いて、この城を攻める気であろう」
光範は、配下の兵に油断せずに城の守りを固めるように下知した。楠木を討伐することで、摂津守護へ返り咲く足掛かりを得ようとしていたのだ。
摂津、西宮の寺を本陣として、御堂の中で本尊に手を合わせる正儀の背後に、黒衣の男が片ひざを付いた。
「聞世(服部成次)か」
振り返る事なく正儀は言い当てた。
「はい。京に放った透っ波から繋ぎが入りました」
振り返って、聞世と向き合う。
「幕府が動いたか」
「左様にござる。管領、斯波道朝が明日にも出陣する由。摂津の国人どもがこれに従うとのことです」
「そうか、ご苦労であった。そなたは先に住吉へ戻り、阿野大納言様(実為)にこれを渡してくれぬか。摂津の戦況を認めておいた」
書状を受け取った聞世は、軽く頭を下げて、陣から出ていった。
正儀は御堂を出て広縁に立ち、境内に向けて声を張る。
「我らはこれより、河内に戻ることとする。太郎(正綱)、小七郎(正近)、陣を引き上げよ。撤収じゃ」
「承知」
従弟の楠木正近は、撤退を促すために兵の元に戻った。
正儀は、その広縁に立っていた和田正武に顔を向ける。
「新九郎(正武)殿、京から幕府方が出てこないうちに、和田党も引き上げてくだされ」
「ううむ、撤退は惜しい気もするが……まあ、当初からのそなたとの約束じゃ。やむを得ん」
正武は楠木正綱を連れて、寺の山門を出て、兵たちの元へ向かった。
しかし、正綱は釈然としていない。
「当初からの約束とはいえ、これだけ我らが優勢であるのに、撤退せねばならんのですか」
「何じゃ、太郎殿(正綱)も不満であるか。確かに、三郎殿(正儀)の戦の才は先代譲りじゃが、少々物足りぬ。危ない賭けには出ぬからな」
「爺様は違ったのですか」
「ん、正成公か。あのお方は違った。だから湊川で討死した。それでも、わしの父をはじめ、付き従って討死した者は満足であっただろうと思う。武士は生き延びることのみが勝者ではない。名を残してこそが勝者よ」
正綱は、正儀とはまた違った魅力を和田正武に感じていた。
「それがしの父は……」
「正行殿は派手に四條畷で討死したのじゃ。そのことを知らぬ者はおるまい。言わずもがなじゃ。武士ならば、ああなりたいものじゃ」
正武は正綱の肩を軽く叩いて、自軍へと向かった。
九月二十二日、楠木ら南軍は、幕府管領、斯波道朝が率いる幕府軍が到着する前に、西宮と尼崎の陣をそれぞれ引き払って撤退を開始した。
正儀にしてみれば、南軍が勝ったという事実が諸国の南方に伝われば充分であった。そのため、道朝の軍勢と戦い、けちが着いては元も子もない。まして、時間が懸かる城攻めなど、端から頭にはなかった。
多田部城に籠っていた赤松光範の元に、舎弟の赤松範実が馬を駆って乗り付ける。
「兄者、南軍が西宮の陣を引き上げて、撤収を開始したぞ」
「何じゃと……楠木め、またもや我らを無視しおったのか。くそ、こんなことであれば、討って出ておればよかった」
摂津守護を望んでいた光範は、地団駄を踏んで悔しがった。
楠木軍は南河内の龍泉寺城に帰還する。そして、正儀と楠木正綱らが楠木館に戻ると、家族や家人らが総出で出迎えた。
馬から下りた正儀に、徳子と持国丸が駆け寄る。
「殿(正儀)、御味方の大勝利、おめでとうございます」
「父上、おめでとうございます」
「うむ、伊賀(徳子)、持国丸、無事に戻ったぞ」
二人は満面の笑顔であった。
その隣では、正綱の元に藤若丸とともに菊子が駆け寄っていた。菊子は正綱の無事な姿に、胸に手を当てて安堵の表情を浮かべる。
「太郎様、おめでとうございます」
「兄上、おめでとうございます。姉上はずっと心配しておったのですよ」
すると菊子が顔を赤くして、余計な事をと言わんばかりに、目を三角にして藤若丸を睨んだ。そんな二人の様子に、正綱は口元を緩める。
「二人とも、かたじけない。ところで熊王は……」
正綱があたりを見渡すと、熊王丸が前に進み出る。
「ここにおります。父上、兄上、おめでとうございます」
「おお、そこに居ったか。そなたの父上は、赤松大夫(光範)の家臣であったそうじゃな。仇をとってやりたかったが、此度は、赤松大夫と一矢を構えることもなかった」
正綱が語りかけると、熊王丸は目線を下げる。
「そ、そうでございますか」
言葉少なに、熊王丸は表情を固くした。
正儀は持国丸に手を引かれて館の中に入っていく。正綱も菊子と語らいながら、ともに館の中に入った。
後に続いて館に入ろうとする熊王丸の肩を藤若丸が叩く。
「わしらも早く元服し、戦に出て手柄を立てたいものじゃ。なあ、熊王」
「ああ、そうじゃな」
熊王丸は強い思いを胸に、腰に差した短刀の柄をぎゅっと握りしめた。
東条に戻った正儀は、幕府管領の斯波道朝が率いる幕府軍の動向を気にしていた。
さっそく、広間に舎弟の楠木正澄、甥の楠木正綱、従弟の楠木正近、そして河野辺正友や津田武信、恩地満信ら主だった家臣を集める。
「聞世(服部成次)からの知らせじゃ。我らが撤退した摂津では、幕府軍が神崎川に布陣を続けておる。さらに河尻の泊に、四国から軍糧船が入ったようじゃ」
河尻の泊とは、正儀が箕浦定俊と戦った神崎川の河口にある泊である。そして、軍糧船を送ったのは、道朝の求めに応じた中国管領の細川頼之であった。将軍の補佐役を新たに管領としたのに合わせて、関東執事は関東管領に、中国探題は中国管領と改められていた。
従兄の細川清氏を討ち取って四国に留まっていた頼之は、南軍討伐のため、年の離れた弟の頼元を摂津に向けて出港させた。しかし、軍糧船が河尻の泊に到着する前に、正儀ら南軍は、さっさと河内・和泉に撤退していた。
正澄が甥の正綱に視線を向ける。
「幕府は此度の負け戦を勝ち戦としたいということじゃ。太郎(正綱)、わかるか」
「幕府軍が南軍を力で追い払ったと諸国に喧伝したいと……」
皆の顔色を窺いながら正綱は答えた。
「その通りじゃ、太郎(正綱)。我らはそれを阻止せねばならん」
肯定されて正綱は安堵する。
「では、叔父上。それはどのように」
「夜討ちをかけて、細川の軍糧船に火を掛ける」
「なるほど、幕府の面子は潰れるな」
納得顔で正澄が頷いた。しかし、正綱は首を傾げる。
「されど、どのように河尻の泊に向かいますか」
「渡辺党の力を借りよう」
なるほどと、隣で正近が膝を打つ。
「とすると、船で近づくということじゃな」
渡辺党は渡辺津や住吉津を拠点として、伝統的に水軍と結びついていた。
祖先の渡辺綱は、摂津源氏の祖、源頼光の家臣であった。坂田金時らとともに頼光四天王と呼ばれ、大江山の酒呑童子退治の伝説を残した英雄である。
「日が暮れてから船を出し、海から船を焼打ちする。大軍を動かす必要はない。精鋭を選び、五十人ばかりで攻めればよいであろう」
「叔父上、その大将、それがしにお命じくだされ」
正儀の話に目を輝かせて、正綱が身を乗り出した。
しかし、正儀は首を横に振る。
「太郎(正綱)にはまだ早い。小七郎(正近)に任せることにしよう」
「いや、叔父上、ぜひともそれがしにお任せを。爺様(正成)や父上(正行)の名に恥じぬ働きをしとうございます」
口元にきっと力を込め、正綱は食い下がった。和田正武が語っていた、武士にとっての賭けのしどころだと思ったからである。
「太郎、そなたにはこの指揮は難しい。焦る必要はない。ここは小七郎(正近)に任せよ」
「そうじゃ、正綱。ここはわしに任せよ」
首を横に振る正儀に続いて、正近も正綱を諭した。
これを正綱は、自身が信用されていないからだと思う。元服してから二年、幾度も戦場に出ていたが、正儀から、まともに一軍を任されることはなかった。知らず知らずのうちに、正綱には焦りが生まれていた。
「いえ、叔父上、ここはぜひ」
食い下がる正綱に、傳役でもある津田武信が同情する。
「殿、確かに若様は少々若うございますが、大将を経験するのはよい機会かと。船の上から焼打ちし、敵が攻めてくれば船を引けばよろしかろう。それがしも出陣しますゆえ、ここは若様に大将をお命じくだされ」
武信の進言に、正儀は舎弟の正澄と顔を見合わせる。すると、正澄は仕方ないという顔で軽く頷いた。これに、正儀は軽く吐息を吐く。
「わかった、太郎。そなたに大将を命じよう。されど、当麻(津田武信)の言うことをよく聞き、決して無理はするな」
「叔父上、ありがとうございます。きっと、楠木の名に恥じぬ戦をしてみせます」
「よかったですな、若様」
武信は正綱と顔を合わせて喜んだ。しかし、正儀は浮かれる正綱に一抹の不安を禁じ得なかった。
数日後の夜である。楠木正綱の姿は摂津国渡辺津にあった。正綱は、傳役で、この度の軍奉行でもある津田武信と、その配下である津熊義行を伴って、湊を見て回っていた。
「楠木の若様、ここから河尻の泊は目と鼻の先。船で半刻もかかりませぬ」
話しかけてきたのは、渡辺惣官家(惣領家)の棟梁、渡辺択。南朝方の左衛門尉で、頭に白いものが混じる年齢である。家祖である渡辺綱、さらにはその祖先で左大臣の源融以来、渡辺氏は代々、漢字一文字を諱としていた。
正綱が渡辺津に停泊している大小の船を見渡す。
「船はいろいろあるようじゃが、どれを使うのじゃ」
「これにございます」
それは目の前の、十人ばかりが乗り込める小舟であった。
択の言葉に正綱は肩を落とす。
「この船で……」
「若(正綱)、小さい方がよいのです。敵に見つかりませぬからな」
そう口にした武信が、ひょいと船に乗って見せた。
「若様、これを五艘出して、南から河尻の泊に近づきます。五日後は満月です。月あかりでも船を進めることができましょう」
言いながら、択は正綱を舟の上へと誘った。
不安定な舟の上で、正綱は身体をねじり、腰を落として倒れないようにする。我ながら情けない姿だと思う。そして、自らが思い描いていた合戦とは、およそかけ離れた状況に落胆していた。
舟から上がった正綱は、少し考え込んでから武信に顔を向ける。
「当麻(武信)、兵を二百ほど集めることはできぬか」
その言葉を武信はいぶかしがる。
「若(正綱)、兵を集めていかがなさる」
「敵の軍船を焼き払っても、誰がやったのかわからないのでは意味がなかろう。楠木ここにありと示さなければならん」
「若の仰せは最もな事なれど、殿(正儀)より、合戦するべからずと釘を刺されておりますゆえ……」
難しい表情で、武信は正綱を諫めた。
「合戦などせぬ。軍糧船に火の手が上がる頃合いをみて、わしが軍を率いて細川勢を威圧する。そして、すぐに軍を引き上げる。船の中には兵糧があるはず。細川の兵たちは火を消すことに必死になるであろうから、我らを追ってはくる余裕はないはず。素早く引き返せば、浄光寺に布陣した幕府軍も援軍をよこす暇がなかろう」
大将として、正綱は少しでも自身の采配を見せたかった。武信も戦略は的を射ていると思う。また、それ以上に傳役として正綱の希望を叶えてやりたいとも思った。
隣に控えていた津熊義行が正綱に応じる。
「では、それがしから東条の殿(正儀)に伺いを立てましょう」
「いや、叔父上(正儀)へは、わしから伺いを立てよう。当麻と三郎(義行)は、すぐに交野へ向かってくれぬか。兵を集めて欲しいのじゃ」
渡辺津からであれば、北河内の兵を使う方が効率的である。そして、武信の本拠である津田荘があるのが北河内の交野郡であった。
「承知しました。では東条の殿(正儀)によしなに」
武信はそう言うと、義行を伴って交野に向かった。
さっそく武信らは津田荘に入り、父の津田範高、兄の範長に出陣を願った。武信と義行の奔走で、数日のうちには津田党と、交野に知行地を持つ津熊の一族など総勢二百を集めた。そして、夜、密かに淀川に沿って渡辺津に下った。
幕府の兵たちが寝静まった頃を見計らい、楠木正綱は、津田武信や津熊義行、そして津田範高・範長親子が率いる津田党などからなる二百を率いて淀川を下り、陸路、河尻に向かった。
一方、渡辺択が率いる渡辺党の五十人は、五艘の小舟に分乗して、海路、河尻の泊に向かう。泊の沖には中国管領、細川頼之が差し向けた大きな軍糧船が十隻ばかり停泊していた。
「よし、はじめるぞ」
択は配下の渡辺党の武士たちに命じた。五艘の小舟は分かれて、それぞれが、沖に停泊した十隻の軍糧船に近づいた。
不安定な小舟の上に立ちあがった択は、ぎりぎりと弓を引いた。すかさず隣の兵が、鏃に巻いた油がしみ込んだ布に、松明で火を着ける。
―― びゅん ――
目の前の軍糧船の甲板に、放り込むように火矢を射った。これを合図に各小舟からいっせいに火矢が射られる。幾つかの火矢は、甲板の上にあるむしろや降りたたんだ帆に突き刺さる。複数の軍糧船で、一斉に火の手が上がった。
「ひ、火じゃ」
兵の多くは陸に上がっていたため、各船には数人の留守番を残しているだけであった。
「焼き討ちじゃ」
軍糧船の火事は、数人の留守居兵ではどうすることもできない。火を消すことは諦め、海に飛び込んで陸を目指して泳いでいった。
泊を見て驚いたのは、近くで夜営をしていた細川の兵である。
「ふ、船が燃えておるぞ」
「敵襲じゃ」
「皆、起きろ、起きろ」
あちらこちらで緊迫した声が轟いた。
陸路で河尻の泊に兵を移動させた楠木正綱は、津田武信や津熊義行らとともに、燃え盛る軍糧船に赤々と照らされていた。
武信の父で、老体に鞭打って参陣した津田範高が、正綱の顔を窺う。
「若様(正綱)、うまくいったようでございますな」
「うむ。では、そろそろ参るとするか」
そう言って正綱は二百人の兵を率い、火を消すために小舟を出そうとしていた細川勢に突進した。
菊水の旗が軍糧船の炎に照らされる。楠木軍は細川勢を目掛けて矢を放ち、敵兵が振り向いたところで正綱が進み出る。
「我こそは、亡き楠木河内守正行が嫡男、楠木新判官正綱ぞ。あれに見える軍糧船は我らがやったこと。意気地のあるものは我らと一戦構えるがよい。蹴散らしてくれようぞ」
正綱の名乗りで、楠木軍の兵がいっせいに刀を抜いて気勢を上げた。
細川の兵は、前には突如現れた楠木軍、後ろには燃える軍糧船という緊迫した状況にたじろいだ。
「よし、このまま敵兵の中に突っ込んでから引き返す。津熊三郎(義行)、ついて参れ」
「おう」
正綱の下知に、義行は郎党二十人を連れて切り込んだ。
「わ、若様……無茶をなさる」
刀を交えないと聞いていた津田範高は、驚いて嫡男の津田範長と顔を見合わせた。
範高らの心配をよそに、正綱と義行は、細川勢の中でひと暴れすると、気が済んだかのように、範高の元に戻ってきた。
「若、さ、幕府の援軍が来ぬうちに、早く撤退の下知を」
「よし、では、者ども、撤退じゃ」
武信に促され、正綱が声を上げた。
その矢先、浄光寺に布陣していた幕府軍は、沖で燃える軍糧船に気づき、只事ではないと若党二十人が、細川の加勢に馬で駆け付ける。
急ぎ逃げようとする楠木正綱の前を、加勢に駆け付けた幕府方の騎馬が塞いだ。
それは、池田十郎教正が率いる池田党の若武者たちである。教正は父、池田教依に命じられ、管領、斯波道朝の傘下に入り、浄光寺に詰めていた。
池田勢の中から教正が進み出て、逃げ去ろうとする正綱に怒声を浴びせる。
「菊水の旗、楠木じゃな。我らに臆して逃げるのか。母の仇、尋常に勝負せよ」
「何、母の仇じゃと……」
そう言いながら正綱が振り向く。
「……あの者は」
見覚えのあるその顔に、正綱は立ち尽くした。
しかし、その隣で津田武信が正綱を急かす。
「若、なりません。さ、早う」
「わかっておる」
そう言って馬を走らせようとした正綱に向けて、教正が名乗りを上げる。
「我こそは池田兵庫助教依が嫡男、池田十郎教正じゃ。じゃが、我が実の父は亡き楠木河内守正行。我が母は内藤右兵衛尉満幸が娘、満子ぞ。楠木の者であればわかるであろう。楠木正儀が我が母にした仕打ち。仇を討ってくれようぞ」
教正は刀を抜き、正綱らに迫った。
これが、血を分けた兄弟の出会いであった。教正は池田教依の血の繋がった息子ではない。教正の幼名は美勝丸。正儀の兄、楠木正行とその妻、内藤満子との間に産まれた次男で、正綱からすれば父母を同じくする弟であった。
正行が四條畷で討死した後、満子は多聞丸こと正綱を残し、一人、能勢の実父、内藤満幸の元に送り返された。すでに正行との子を宿していた満子が、能勢の父母の元で生んだ子が美勝丸である。
このことを伝え聞いた時の将軍、足利尊氏は、楠木正成の血を絶やすまいと、北摂津の池田教依の元に、母子ともども嫁がせた。しかし、満子は、教正がまだ幼い時に、流行り病で亡くなる。嫁いで数年後のことであった。
その後、教正は教依とその後妻によって育てられていた。後妻に子が生まれても、教正が池田家の嫡男であり得たのは、ひとえに足利尊氏の肝入りであったからである。
教正が正儀を母の仇というのには、訳があった。母、満子が亡くなった後、養父の教依によって、満子を楠木家から追放したのは、楠木の棟梁たる正儀だと教えられていたからである。
その池田教正の名乗りに驚いた楠木正綱は、馬に乗ったまま立ち尽くす。
「どうゆうことじゃ、当麻(武信)。楠木正行の息子じゃと……叔父上(正儀)が母、満子の仇じゃと……いったい……」
馬上から正綱が武信に詰め寄った。武信はその隣で、驚きを隠しきれない様子で佇んでいた。
「当麻(武信)、何をしておるのじゃ。早う逃げるのじゃ」
馬で引き返してきた津田範高が、呆然とする二人に怒鳴った。
正綱の一瞬の躊躇が状況を変える。時が経つにつれて続々と管領、斯波道朝の兵が押し寄せていた。
「ここは我ら津田党が兵を引き付ける。当麻(武信)は若様を連れて、早う逃げるのじゃ」
範高はそう言うと、嫡男の範長と十数人の郎党を率いて押し寄せる斯波勢の前に前に立ちはだかった。
後から津熊義行の騎馬が駆け付ける。
「若様、それがしの後に続かれよ」
義行が槍を振って道を作った。しかし、続こうとする正綱に、池田の兵が襲い掛かる。
「ぐわっ」
鮮血が散る。一瞬早く馬を前に出した津田武信が、正綱を守るために身を挺していた。
「当麻(武信)、当麻、しっかりせよ」
「若……お逃げくだされ」
そう言うと、武信は胸を押えて落馬する。
正綱は慌てて、馬から飛び降りると、武信を抱えた。
「その出で立ち、楠木の大将とお見受けする。御覚悟を」
馬を寄せた教正に、正綱は、きっと睨み返す。
「正行と満子の子じゃと……そんなことはあろうはずがない。お前は……お前はいったい、何者なのじゃ」
今度は教正の方が驚く。
「何……」
二人の間に一瞬の沈黙生まれた。そこに、二人の間を割るように義行の騎馬が割って入る。
「若様っ」
その激声に正綱は、横たわる武信を残したままに、一瞬を突いて馬に飛び乗った。そして、渡辺津を目指して撤退する楠木軍に追いつこうと、馬の尻に鞭を入れた。
「当麻(武信)……すまぬ。当麻(武信)……許してくれ」
武信を見捨てるしかなかった。正綱は涙を流す暇さえなく、がむしゃらに馬で駆けた。
一方の教正は、走り去っていく正綱の背中を、ただ茫然と見つめていた。
翌々日、津熊義行とともに楠木館に戻った楠木正綱は、項垂れたまま、正儀の前に姿を現した。広間で、正綱と義行は、両手を床に着いて頭を低くする。
険しい顔をした正儀が、立ったまま、二人の前に詰め寄る。
「なぜ当麻(津田武信)が死ななければならなかったのじゃ。なぜ津田の父上(津田範高)と兄上(津田範長)が討たれなければならなかったのじゃ……」
武信ばかりでなく、正綱を逃がそうと幕府勢の前に立ちはだかった津田範高と範長も、津田党十数人とともに討死していた。
「……なぜ津田の父上を呼び寄せて陸から兵を進めたのじゃ。なぜ敵陣へ切り込んだのじゃ……」
怒りに任せて正儀は、矢継ぎ早に正綱を問い詰める。
「……お前の行動は、死ななくてもよかった者を死に追いやったのじゃ」
正儀は、二百の兵が陸路、河尻の泊に向かったことは聞いていなかった。正綱が正儀に伺いを立てていなかったからである。
義行が正綱を庇う。
「殿(正儀)、此度のこと、それがしに落ち度があり申す。罰するならば、どうか、それがしに」
「いえ、三郎(義行)はそれがしの命に従ったまでのこと」
顔も上げずに、正綱は低い声で正儀に応じた。
「言うべき事はそれだけか」
その正綱の態度に正儀は声を荒げた。幼き頃から兄弟のように育った武信を失って、珍しく冷静さを失っていた。
だが、正綱にとっても、慕っていた傳役、武信の死はこの上もない悲しい出来事であり、責任も大きく感じていた。馬を駆って河尻の泊を後にしたとき、その後のことは記憶がないほどに動揺していた。
しかし、正綱にも、正儀に確かめなければならないことがある。
「叔父上(正儀)、幕府勢に囲まれた時、先駆け二十騎を率いていたのは池田十郎教正という若者でした。その者は、楠木正行と満子の子じゃと言うた。そして叔父上のことを母の仇と言うた。いったい、どういうことなのじゃ。叔父上はそれがしに何を隠しておるのか」
思わぬ話に、正儀は表情を曇らせる。
「それが……当麻(武信)が討たれた理由だというのか……」
二人の間に暫しの沈黙が流れた。
正儀は感情を押えて口を開く。
「義姉上(内藤満子)のことは、いつかお前に話さなければならんと思うておった。義姉上を実家である能勢の内藤右兵衛尉(満幸)の元に返したのはわしじゃ」
「なぜ……なぜにございますか」
強く問い詰める正綱に、正儀はまっすぐ正綱の目を見返す。
「楠木の家を守るためじゃ」
二人の衝突に、義行ははらはらと、交互に目をやった。
正儀は呵責に駆られながら、義姉の満子を、能勢の実家である内藤満幸の元へ返したことについて語り始める。
四條畷の戦の際、満子の父、満幸が幕府方へ寝返った。これに、准大臣の北畠親房は、南軍の情報が幕府に筒抜けになったことが敗因と決めつけた。そして、激怒して満幸の娘である満子の処罰を楠木家に求めた。当時、若かった正儀は、親房の命に抗うことができなかった。
「なぜ、それがしも一緒に能勢へ送らなかったのですか」
「お前は兄者(正行)の嫡男ぞ。この楠木の跡取りなのじゃ。お前には可哀想ではあったが、義姉上一人だけで能勢に戻っていただいた」
苛立ちを抱え、正綱が手を強く握る。
「池田教正というのは何者ですか」
「わしも後で母上(敗鏡尼/南江久子)から聞いた話じゃ。その時に義姉上の腹の中にはややこがいた。後に義姉上は生んだ子を連れて池田の後妻に入ったと聞いた。おそらく池田教正という若者がそのややこであろう。風聞では、義姉上は数年のうちに病で亡くなったそうじゃ」
正儀が話終わるのを待って、正綱は顔を上げて睨みつける。
「叔父上は、ずっとそれがしをたぶらかしてきたのか」
「たぶらかす……そうじゃ。できればお前はそのことを知らずに育って欲しかった。わしは最後まで義姉上を守ってやることができなかったからじゃ。されど、それは間違いであった。お前にしかと伝えておけば、当麻(武信)は死ななくてもよかったかもしれん」
そう答える正儀に、今度は正綱が目を逸らした。
二人の張り詰めた空気に、義行が居たたまれずに顔を上げる。
「太郎様、殿は決して御母上に厳しく当たった訳ではありませぬ。最後の最後まで、御母上を救う道を考えられた挙句のことなのです」
「義行、もうよい」
正儀が義行を制すると、再び沈黙に包まれた。
変わらず正綱は正儀から目を逸らしたままである。それは、武信を失ったことへの後悔と、正儀への怒りが入り混じった複雑な胸のうちからくるものであった。
黙り込む正綱に、正儀は再び語りかける。
「今は当麻と、津田の父上・兄上の成仏を願い、残された者のことを考えてやるしかない。津田党は棟梁と主だった家臣が亡くなった。残されたのは元服したばかりの範興殿だけじゃ。楠木として精一杯のことをしてやらねばならん」
諭すような正儀の言葉にも、正綱は口を開くことはなかった。
「当麻には七つになる子がおる。その子は父なしで育たねばならん。幼き時のお前と同じじゃ。楠木として何ができるか……お前はその子に何と声をかけてやるのか。大将は父母のない子を作らないよう心掛けねばならん。戦はここぞという時に……勝てる算段が付いた時に、最低限のことをすればよいのじゃ」
それは、正儀の信念であった。
このことは正綱も理解できる。だが、頭でわかっていても、心は違った。楠木の家を守るためにと母、満子は楠木家から追い出された。そして死んだ。血の繋がった弟と思しき池田教正は、正儀を母の仇と呼んでいる。正儀の言うことは、己のことを棚に上げた詭弁としか受け取れなくなっていた。
母を裏切り、自分を騙していた叔父、正儀に対する不信感。一方で、傳役である武信を亡くしてしまったことへの自責の念。言いようのない寂しさが、正綱の心の中に渦巻いていた。




