第21話 八幡の戦い
正平七年(一三五二年)三月初め、すでに南河内の桜は散っている。
男山から戻った正儀は、龍泉寺城の本丸(主郭)の陣屋を、北朝の四主上(光厳上皇、光明上皇、崇光上皇、直仁親王)に明け渡し、自らは家人とともに、二の丸(二郭)の陣屋に入った。本丸の半分にも満たない、納屋と言ってもよいような造りである。
正儀が龍泉寺城に戻ってから数日、慌ただしい日々が続く。寝る間も惜しんで、四主上の受け入れを整えた。そして、近隣諸国の豪族には、味方となるよう、一人ひとりに書状を認めて送った。
無理をしたつけは、睡魔となって跳ね返る。正儀は文机に突っ伏して、意識を失ったかのように眠っていた。
「三郎様、三郎様……」
明け方のまどろみの中、誰かが名を呼ぶ。
「……三郎様、聞世殿が帰って参られました」
無意識と意識の間に、聞世の名だけ刻まれる。
「聞世……」
「起こしてしまい、申し訳ございませぬ」
寝ぼけ眼で正儀が振り返ると、女がひざまづいていた。
目をこすり凝視する。
「い、伊賀局様(篠塚徳子)ではありませぬか。どうしてここに。本丸に居られたのではありませぬか」
「昨夕、使いが来て、新待賢門院様(阿野廉子)が賀名生に戻られたと知らせて参りました。持明院の御方々《おんかたがた》のお世話の支度も整いましたので、私は賀名生に戻ろうかと思い、ご挨拶に窺った次第です」
帰ると聞いて、正儀は急に寂しさを覚える。
「伊賀局様が居らなくなると、持明院の主上のお世話が……」
「大丈夫でございますよ。お世話であれば、女房衆を残して参ります。ご安堵、召されませ」
「はあ……」
引き留める理由が見つからず、正儀は口ごもった。
「そうそう、関東から聞世殿が戻られております。朝餉を用意しておきましたので、御一緒にお召し上がりください」
「朝餉……御局様が……」
「はい」
「か、かたじけない。頂戴つかまつる」
すると、伊賀局が笑顔を浮かべる。
「よかった。喜んでいただけて……では私は一度、本丸に戻って旅支度を整えてから出立致します」
「そうですか……郎党を付けましょう。道中、お気をつけてお戻りくだされ」
「ありがとうございます。楠木様もお達者で」
そう言って、伊賀局は下がっていった。
その後ろ姿を目で追った正儀は、気を取り直して立ち上がった。
正儀が広間に顔を出すと、すでに聞世こと従弟の服部成次が膳を前にして座っていた。小波多座の裏方が着る黒い装束ではなく、平素の直垂姿である。
「何じゃ、まだ食べておらなんだのか」
「殿を差し置いて、食べられましょうや。それに、まずは関東の報告を」
「そうであったな。ご苦労であった。で、どうじゃ」
そう言いながら上座に置かれた膳の前に座った。
「閏二月二十八日、信濃宮様(宗良親王)と新田義宗殿(新田義貞の三男)は、直義(足利直義)の残党を糾合し、小手指原で足利尊氏と合戦におよびました。されど、武運拙く敗れました」
「そうか、負けたか……」
特段驚く様子を見せず、正儀は腕を組む。
「……宮様(宗良親王)はいかがなされた」
「はい、何とか無事、信濃に御帰還あそばされました。また、義宗殿は越後に撤退されました」
「して、鎌倉の新田義興殿(新田義貞の次男)は」
「御舎弟の義宗殿が負けたため、鎌倉の占領を支えきれぬと判断され、脇屋義治殿、北条時行殿とともに鎌倉を脱出。相模の河村城に籠られました。三月二日のことです」
「そうであったか、鎌倉は足利尊氏に取り返されたのじゃな……」
正儀にとって、この結果は予想の範疇である。
「……伯耆国で挙兵した名和党も、山名の前に苦戦しているという」
「では」
「うむ、鎌倉の件が日和見な諸将に伝われば、雪崩を打って幕府に走るであろう。さすれば、直に足利義詮は京を取り戻しにかかるぞ」
「しからば、戦の支度を」
「されど、まずは腹を満たそう。腹が減っては戦はできぬからな」
正儀は聞世を促して箸を持った。
「それにしても、驚きました。本丸の陣屋に入ると、持明院の主上がおられたのですから」
さもあらんという表情を浮かべて、正儀は手にした椀に目を落とす。
「いろいろあったのじゃ」
「あらかた、伊賀局様よりお聞きしました。御局様は、それがしをこの陣屋に連れて来られ、一寝入りしている間に朝餉を用意してくだされた」
「そうであったか……では、ありがたく頂戴しようぞ」
正儀はそう言いながら、局が作った粥を口に掻き込んだ。
日が昇り、河野辺正友が龍泉寺城に出仕すると、正儀は二の丸にある陣屋の広間に呼びよせる。
「登城して早々にすまぬ」
正儀は手を差し出し、先に広間に座っていた聞世の隣に正友を座らせる。
「殿、いかがなされました」
「鎌倉が落とされた。直に義詮が動くであろう。わしはすぐに男山に向かう」
「男山に……されど殿、四条大納言様から持明院の方々の対応を仰せつかっているではありませぬか」
「帝(後村上天皇)が危ういのじゃ。そのようなことを言うておる場合ではない。龍泉寺城の差配は九郎殿(橋本正茂)に任せれば大丈夫じゃ」
「わかり申した。ではさっそく支度を」
正儀は正友に言い終わると、聞世に顔を向ける。
「すまぬが聞世は、赤松の動きを探ってくれ」
「赤松の……」
「うむ、赤松則祐に預けられた大塔若宮様(興良親王)が気掛かりなのじゃ。きっと、則祐は義詮に合力するであろう。さすれば、若宮様は人質となる」
「承知しました。ではさっそく」
聞世は正友と顔を見合せてから、一緒に立ち上がった。
京の赤松屋敷では、剃髪頭の赤松則祐が、舎弟の赤松氏範と向かい合っていた。
「氏範、鎌倉も将軍(足利尊氏)が取り戻した。坊門殿(足利義詮)からも南軍討伐に兵を出すよう求めてきておる。わしも去就を決めねばならん」
「兄者(則祐)は南軍を討たれるつもりか」
「そうじゃ。わしは播磨に戻り、白旗城の兵を率いて西から攻め上がるつもりじゃ」
則祐の決心に、興良親王の世話を申し付けられていた氏範が顔をしかめる。
「されど、我らは大塔若宮様(興良親王)を奉じておる。亡き大塔宮様(護良親王)への不忠にならぬか。兄者(則祐)は大塔宮様に最も近かった忠臣ではないか」
「それが北畠親房の狡賢きところじゃ。わしに若宮様を託せば、南軍へ兵を挙げることはないと思うておる。思い返すも苦々しい。わしをたぶらかして幕府と和睦すると、それを反故にして坊門殿を京から追い払った。そして此度は、四主上を京から連れ去るなど、南軍は信用足り得ぬ」
親房の行動は赤松のみならず、多くの武将の反感を買っていた。
「では、若宮様をどのようになされるか」
「一緒に白旗城にお連れする。軍を上洛させ、我らが南軍と戦っている間は、南軍に呼応されることのないよう、見張りを付ける」
「幽閉ではないか。それはあまりに若宮様が御不憫」
「致し方なかろう。若宮様を南軍に連れ去られぬようにせねばならん。若宮様を御救いするには、それしかないのじゃ」
「……」
氏範は兄の言葉に黙り込むしかなかった。
その日の夜、京の赤松邸から数名の男たちが密かに抜け出した。男たちに囲まれて出てきたのは大塔若宮こと興良親王であった。
手引きを主導するのは赤松氏範である。
「若宮様、どうかご安心召されますよう。必ずや、それがしが無事に男山へお届けします。さ、参りましょう」
促す氏範に対して興良親王は立ち止まる。
「氏範、我は正直、そなたを信用しているわけではない。我を切ろうというなら、人里離れたところに行かぬとも、ここでよい。自らの定めを受け入れるまでじゃ」
【注記:貴人の一人称として用いている「我」は本来「身」と書くが、本作ではわりやすいよう「我」と記載する】
「何を言われます。それがしは若宮様をお助けしたい一心でございます。自ら定めを受け入れるとあらば、生きるも死ぬも、それがしにお任せくださらぬか」
すると、興良親王は観念したように頷く。そして、氏範に導かれ、暗い京の町を松明を頼りに南に向かった。
しばらくすると何者かが、一行のゆく手を阻むように立ちはだかった。
「誰じゃ、兄者(赤松則祐)の追手か」
氏範と近習たちに緊張が走った。
しかし、その者は親王の前で片ひざ付いて頭を下げる。
「大塔若宮様とお見受け致します。それがしは、服部四郎成次(聞世)と申すもの。楠木左衛門尉(正儀)の命で、若宮様をお迎えに参りました」
「何、楠木じゃと」
そう言うと、氏範は刀の柄に手をかけた。
聞世は掌を前にかざして、氏範を制する。
「待たれよ。赤松則祐殿の御舎弟、氏範殿とお見受け致す。それがしはしばらく前から、御一行を見張っておりました。若宮様(興良親王)に危害を加えるおつもりなら、戦うつもりでおりました」
「何っ」
「されど、氏範殿もそれがしと同じ目的とお見受け致す。ここで戦うは互いのためになりませぬ。それがしが先導して賀名生へ案内つかまつります」
「男山に向かわぬのか」
「男山は直に戦場になります。それは氏範殿がよく御存知のはず」
そう言って、聞世はにやりと笑った。
氏範は顎に手をやって、聞世の顔を舐めるように見る。
「ふうぅ、承知した。そなたに任せよう」
楠木の者であれば、興良親王に危害を加えるとは思えない。氏範は聞世に賭けてみることにした。一行は聞世を先導役に、氏範と近習が興良親王を囲んで跡を追った。
三月九日、いったん近江に逃れていた足利義詮であったが、鎌倉での幕府勝利の報に触れ、態勢を整えて京に進撃した。東寺に陣を布いた足利義詮の元には、佐々木京極道誉、細川顕氏、土岐頼康らに加え、足利高経ら直義派だった者たちも参じていた。
諸将を前にして、気負った義詮が立ち上がる。
「将軍(足利尊氏)の手を借りずとも、我らの力だけで、必ずや、南軍を京から駆逐するのじゃ」
拳を前に突き出して、諸将を鼓舞した。
京に駐留する南軍は、権中納言の北畠顕能、蔵人頭の千種顕経が率いていた。幕府軍が戦を仕掛けようと動きを見せると、南軍は陣を移して対決を避ける。京の駐留軍に歴戦の楠木軍が居なかったことで、顕能の意思に反して南軍の士気は上がっていなかったからである。
そして、三月十五日、南軍を率いる顕能と顕経は、結局、三度も陣を移した挙句、戦わずして男山へと撤退を開始する。南軍はわずか一月で京を奪い返されてしまった。
准后の北畠親房が、京の南軍とともに男山に帰還する。親房は、男山の行在所に入ると、すぐに帝(後村上天皇)の元に向かった。
一方、指揮をとっていた権中納言の北畠顕能、蔵人頭の千種顕経らは、総大将の四条隆資が待つ南軍の本営に入る。そこには隆資の息子で、先に京から戻っていた権中納言、四条隆俊の姿もあった。そして、末席には和田正武とともに、東条から急ぎ戻った正儀が座っている。
「御無事で何よりでございます」
何事もなかったように、正儀は顕能と顕経を慰労した。顕経はばつの悪そうな顔をして正儀から目を逸らした。しかし、顕能は悔しそうな顔をして正儀を睨みつけた。
場の空気を察して、隆資がわざと笑い声を上げる。
「ほほほ、楠木左衛門尉(正儀)は麿の命を無視して、昨日、男山に戻って来てのう」
「父上、笑うて済ませてよいのですか」
息子の隆俊が父、隆資を戒めた。
「されど、我らのことを思うてのことじゃ。よいではないか。頼もしい限りよ」
「大納言様(隆資)、かたじけのうございます」
正儀はそう言って頭を下げた。
「さて、左衛門尉(正儀)、幕府はどう出てくるか」
すると正儀は、後ろに控えた津熊義行から絵地図を受け取って床に広げる。
「幕府の一軍は、男山の北より、桂川、宇治川、木津川が集まるこのあたりから攻めてくるでしょう。そして、もう一軍は、男山の東に延びる木津川を渡り、南から攻め込んでくると思われます」
そう言うと男山八幡の北の桂川を指差す。
「まずは北からの敵に対し、ここ、赤井河原に第一の陣を張り、さらにこの大渡に第二の陣を布いてはいかがかと。また、南からの敵に対しては、佐羅科のあたりに陣を配するのがよいかと存じます」
「なるほど、では第一の陣が要じゃな」
「御意、ここは我ら楠木と和田にお任せあれ」
正儀の目配せに、正武も頷いた。
しかし、京から撤退してきた顕能は承服しない。
「四条大納言様。ここは麿に……伊勢の兵に、お任せあれ」
「いや、北畠様(顕能)。ここを破られれば、帝(後村上天皇)の行在所も危なくなり申す」
「そうじゃ、京の戦振りを見ていても、我らにお任せいただく方がよいであろう」
正儀が顕能を諫め、正武も同調した。
「その方、無礼であろう。麿が京を撤退したのは、幕府を男山に呼びこむための策じゃ。京で戦うより、南軍が集まるこの男山で戦った方がよいと判断しまでのこと。臆して撤退したのではないぞ」
疑いの眼差しを向ける正武を、総大将の隆資が手で制する。
「権中納言(顕能)の申し出は判った。それでは伊勢の兵にお任せしよう。楠木党と和田党は、南からの敵に備えてもらおう」
命が下された限りは正儀と正武も従うしかない。正儀らはただちに男山の南に兵を動かした。
その頃、足利義詮も東寺の食堂の中で軍議を行っていた。上座の義詮の前に、一門の足利高経を筆頭に、佐々木京極道誉、土岐頼康、そして細川顕氏などの諸将が向かい合わせに座っていた。
「此度の男山攻めの大将は、細川陸奥守(顕氏)とする。陸奥守、わしへの忠義を見せてもらおうぞ」
「御意、お任せくだされ」
顕氏は、若い義詮の信頼を得る機会と力が入っていた。
「では、陸奥守(顕氏)の策を聞こう」
「はっ。男山を北と南から攻めとうございます。南は土岐頼康殿、それから細川頼之・清氏ら細川一族を、それがしが率いたいと存じます。残りの諸将は播磨から攻め上る赤松勢と合流して、北から桂川を渡って敵の本営を目指してくだされ」
顕氏が名を上げた一族の細川頼之は、先の京の戦で討死した細川の惣領、細川頼春の嫡男である。父、頼春の討死を聞き、領国の讃岐から兵を率いて上洛していた。また、細川清氏は頼之の従兄で、領国阿波の兵を率いて上洛していた。
この機会に顕氏は、頼之・清氏ら、細川氏嫡流の若い当主たちを自らの配下に置いて、細川惣領の座を手中に収めようとしていた。
三月二十一日、世に名高い『八幡の戦い』の火蓋が切って落とされる。
京を発った幕府軍は、足利高経や佐々木京極道誉らが、男山の北から桂川を渡って赤井河原を守る権中納言、北畠顕能の軍勢に突進した。
一方、幕府軍の大将、細川顕氏は、細川一門や土岐頼康らを率いて南から男山の攻略に取り掛かる。顕氏が男山の南、佐羅科に兵を進めると、突如、旗が翻った。
「あれは、菊水の旗か。くっ、またしても楠木……」
楠木軍は、佐羅科に壕を掘って幕府軍に備えていた。
かつて幕府側の河内守護であった顕氏は、相手が楠木と知って二の足を踏む。正儀の兄、楠木正行に、散々に苦汁を呑まされていたからであった。
正儀は、細川顕氏が慎重な戦をとろうとしていることを悟ると、篠崎親久らに命じて、今度は猛然と押し出し、細川勢を翻弄する。これに細川勢が誘われて楠木の壕へ近づくと、隠れていた津熊義行ら楠木の兵がいっせいに壕の外へ飛び出して矢を射かけた。
果敢に幕府軍の侵攻を防いでいた正儀のもとに、腹心の臣、津田武信が駆け付ける。
「三郎様(正儀)、北畠中納言様(顕能)が守る赤井河原が、幕府軍に突破されました」
「何、もう突破されたか……」
その報に、正儀が目を丸くする
「……で、北畠中納言様(顕能)は」
「はい、淀川の大渡の陣に移って、千種様(顕経)とともに、敵を防いでおります」
「大渡が突破されれば、帝の行在所が危なくなる。わしは四条卿(隆資)にお会いしてくる。しばらくここの守りは、四郎(楠木朝成)に任せる。そなたたちは四郎を支えてやってくれ」
武信に託けて、正儀は弓矢が飛び交う慌ただしい戦場を、馬を駆って行在所に向かった。
具足(甲冑)姿のまま、南軍本営に入った正儀は、床几に腰を据える総大将の四条隆資の前で、片ひざを付けて礼をする。
「大納言様(隆資)、大渡の陣が突破されれば、行在所が危のうございます。今のうちに、主上(後村上天皇)を賀名生へお戻しになられるべきかと存じます」
「うむ、左衛門尉(正儀)はそのように思うか」
「御意」
献策する正儀の背後から男が入ってくる。
「それはならんぞ」
「これは准后様」
正儀は振り向き、頭を低くした。
後ろから入ってきた北畠親房が隆資の隣に座る。
「楠木左衛門尉、そなたが御上の御無事を第一に考えておることは殊勝なことではある。じゃが、事はそう簡単ではない。朝廷が幕府に屈したことになれば、御上の権威は落ち、幕府はますます強固になる。ここで我らが幕府をてこずらせることで、幕府の威厳を崩す必要があるのじゃ」
「されど、准后様、主上の身にもしものことがあれば、権威も何もないではございませぬか」
「左衛門尉、そなたは何もわかっておらぬ。帝というものは一代で威厳を保っておるのではない。祖先から子孫へと延々と続く川のようなものじゃ。帝の威厳が失墜すれば、子々孫々、日の本の形に影響を及ぼそうぞ」
「さりながら、今のこの状況を切り抜けることを考えねば……」
そう言いかけた正儀を、隆資が制する。
「御上には男山の山上、八幡宮に御動座していただく。山に籠って敵を凌ぎ、畿内の諸将へ綸旨を出そうぞ。どうじゃ、左衛門尉」
自信ありげに隆資は正儀に問いかけた。しかし、正儀の表情は硬いままである。
「大納言様(隆資)、男山には兵糧の蓄えがありませぬ。畿内の諸将の我らに対する評判はすこぶる悪く、御味方を得られるかどうか不明です」
「臆したか、左衛門尉。そなたがそのようなことでは我が軍の士気が上がらぬ。そなたの兵で、大和から送られる兵糧を男山に運び入れればよいのじゃ。男山の南から敵軍を追い払え。よいな」
否定的な正儀の意見に、親房は苛立っていた。
構わず正儀が何か言おうと口を開いたところで、隆資が手を差し出して留める。
「左衛門尉、これは命じゃ。すぐに自陣に戻るのじゃ。そなたの言いたきことはわかるが、こうなっては、是非もない。よいな」
「……御意」
献言を胸にしまった正儀は、無念な顔つきで頭を下げて自陣へ戻った。
三月二十四日、幕府軍は南軍の第二の防衛線である大渡の陣も突破する。幕府軍は宇治川、木津川を渡って男山の麓、高橋に火を放ち、行在所とした八幡宮別当(長官)、田中法印定清の屋敷も延焼させる。しかし、帝(後村上天皇)は、一足早く男山山頂の八幡宮に動座した後であった。
山の麓を焼き払った足利義詮は、自ら男山の南、洞ヶ峠に進軍し本営を張った。足利義詮の元には、細川顕氏ら細川勢が参集する。
「我らはここで、男山への兵糧を断つ」
顕氏は従甥の細川頼之と細川清氏に命じた。
洞ヶ峠は正儀らが布陣していた佐羅科よりもさらに南に位置し、大和から男山へ運び入れる兵糧運搬の途上にあった。
翌日、正儀と和田正武は、配下の諸将を連れて男山山頂の行在所に向かう。すぐに正儀らは帝(後村上天皇)への拝謁を許された。
帝と公卿たちは八幡宮の殿上に座り、正儀らを迎えた。だが、慌ただしく動座したため、御簾すら用意できていない。楠木の諸将は、帝の尊顔を凝視しないよう、皆、頭を伏して拝謁した。
直答を許された正儀は、帝と公卿たちを前に出陣を報告する。
「これより我ら楠木党は、足利義詮が布陣した洞ヶ峠の南に軍を動かし、敵の背後から挑もうと存じまする」
「楠木左衛門尉、そちが頼りじゃ。必ずや吉報を待っておるぞ」
権大納言、阿野実村はそう言うと、正儀の後ろに控える、まだ十六の美木多五郎正忠に目をやった。正忠の父は正儀の叔父、美木多正氏であり、兄は正儀の従兄弟、美木多賢秀・賢快兄弟である。
「此度は激戦になるは必至じゃ。そなたには少々荷が重すぎるであろう。ここに残るがよろしかろう」
「そうじゃな。そうされよ」
頭中将、中院具忠ら他の公卿も同調した。すると正忠は自ら前に進み出る。
「我が父や兄たちは、皆、たびたびの合戦に決死の覚悟で挑み、命を惜しまず討死しました。此度の合戦は、我らにとっての一大事。この命、賭して戦い、敵の大将の首を討ち取るまで、この場には戻らない覚悟でおります」
そう言ってのける正忠に、洞院実世がひざを打つ。
「五郎正忠、よう申した。さすがに武勇の誉れ高き一族じゃ。初陣の若者まで、このような心構えとは、見上げたものよ。必ず、よき知らせを持って帰ってくるがよい」
「ははっ」
殿上の公卿たちは、若い正忠の凛々《りり》しさに、溜飲が下がる思いであった。しかし、幼いときから正忠をよく知る正儀は、一人表情を曇らせていた。
楠木の軍勢三千は迂回して南の荒坂山に進軍し、幕府が本陣を布く洞ヶ峠を急襲した。
だが、これに対して細川頼之、細川清氏、土岐頼康ら幕府の軍兵六千が、さっそく迎撃に討って出る。楠木軍は、細川の猛将、清氏らが率いる騎馬に蹂躙され、多くの死傷者を出して荒坂山まで引かざるを得なかった。
そのまま一気に楠木軍を突き崩そうと攻め込む幕府軍に対して、正儀は兵を集める。
「四郎(楠木朝成)は、手勢に命じて急ぎ石や岩を集めよ。当麻(津田武信)は、撃って出て、敵兵をこの崖下におびき寄せろ」
「承知」
戦場は慌ただしく状況が変化する。
武信によっておびき出された清氏の細川軍は、崖の上から楠木朝成らが率いる兵たちによって多数の岩、石をぶつけられ、逃げようとする者には容赦なく矢が射かけられた。そこに和田正武が率いる騎馬隊が切り込み、細川清氏の兵を蹴散らした。
すると今度は、従弟の細川頼之の軍勢が清氏の加勢に加わり、和田勢を駆逐する。二転三転の、双方ともに多大な被害を出す激戦となった。
楠木軍が本陣を敷いた荒坂山から、初陣の美木多正忠が戦の戦況を見守っていた。
「敵じゃ」
正忠の声に正儀が振り向く。
「どこじゃ。五郎(正忠)」
「あそこから敵が攻め上って来ております」
正忠が指さす山は、木々がかすかに揺れ、その揺れは少しづつ手前に近づいていた。どうやら十名程度の武士が山道を忍びながらこちらに向かって来ているようであった。
「それがしが参ります」
「ま、待て、五郎。急いてはならん」
そう言って止めようとする正儀を尻目に、正忠は数名の郎党を引き連れて敵に向かった。正忠は、敵の近くまで潜んで迫り、敵の笠符を見つける。
「敵じゃ。者ども、続け」
正忠は郎党たちに声をかけると、槍の柄を短く持って敵の前に立ちはだかる。
「我こそは、美木多判官正氏が末子、美木多五郎正忠。一廉の武将とお見受け致す。いざ、尋常に勝負せよ」
「美木多判官の子とあれば望むところじゃ。我は土岐五郎康貞じゃ。土岐悪五郎とは我が事ぞ」
康貞は土岐の惣領、土岐頼康の弟で、悪五郎の異名を持つ、一族きっての剛の者である。
「何じゃ、まだこどもではないか」
康貞は若い正忠を見て吐き捨てた。
ぽつりぽつりと雨が降り出す中、両方の郎党たちが槍・薙刀を合わせた。正忠が繰り出す槍を康貞が力任せに刀で振り払う。正忠が後ろに大きくよろめいたところで、康貞の配下の関左近が切り掛かった。目の前で振り下ろされる白刃に、正忠は金縛りにでもあったかのように動けない。思わず目を瞑った。
―― びしゅっ ――
その時、正忠の郎党が放った矢が関左近の手に命中し刀を払った。すかさず正忠は目の前の足を刀で突く。すると、関左近はぎゃあと奇声を上げて、仰け反るように退いた。
「た、助かった……」
そう言って、正忠は大きく肩で息をした。思い出したように周りを見渡せば、味方の手勢が優勢に敵を追い詰めていた。
多勢に無勢の康貞は不利を悟り、深傷を負った関左近に肩を貸して逃走した。
これを逃がしてなるものかと正忠が跡を追う。しかし、雨が本格的に降り出す中、敵の姿を見失なった。
それでも諦めずに康貞を探していた正忠は、山道に倒れている関左近を見つける。
「そなたの主人はどこに逃げた」
関左近が顔を背ける。
「知らぬ。知っておっても言おうものか。さ、我が首を捕るがよい」
「くっ」
だが、人を殺めたことのない正忠は、首を刎ねることを躊躇する。
「五郎様(正忠)、さ、とどめを」
郎党に促された正忠は、意を決し、関左近の首に刀を当てた。
―― びゅっ ――
返り血が顔を這う。その血を手で拭った正忠は、掌を見て顔を強張らせた。
「五郎様(正忠)、ここに滑り降りた跡がありますぞ」
郎党の声に、正忠は畔から下を覗き込んだ。すると、下の方に康貞を見つける。
関左近を背負って荒坂山を下っていた康貞は、折からの雨で足を滑らせていた。そして、転んだ拍子に関左近を投げ出し、康貞だけが山道の畔を滑り落ち、腰を討って動けなくなっていたのだ。
正忠は自らも畔を滑るように降り、康貞の前で刀を振り上げる。
「さ、刀を抜くがよい」
「小わっぱめ」
正忠の声に、康貞は刀を杖に何とか立ち上がった。
―― ぎん ――
一太刀め、刀と刀がぶつかる。足元がおぼつかない康貞に、正忠は果敢に二の太刀を振り下ろした。
しかし、歴戦の悪五郎は、簡単には討たせてくれない。
―― ずばっ ――
「ぐうっ」
逆に正忠は背中に一太刀浴びてしまう。しかし、幸いにも浅傷であった。
雨が降って地面がぬかるむ中、正忠はよろけながらも再び刀を構えた。互いに肩で大きく息をしながら、睨み合いが続く。
突如、康貞は苦痛の表情を浮かべて、その場に片ひざを付いた。腰の状態は思ったよりもひどい。座ったままで応戦しようと刀を振り回す康貞であったが、ついに正忠の刀が、その刀を払った。
「まさか、わしがこのようなこどもにやられようとは……おのれ」
康貞は鬼のような形相で睨みつけた。そのあまりの形相に正忠は一瞬たじろぐが、負けじと睨み返す。
「御免」
意を決して康貞の首をあげた。その首は、刎ねられてもなお、目を開け、正忠を睨み続けていた。
荒坂山の戦は、楠木軍の奮戦で何とか幕府軍を追い払い決着した。
舎弟、楠木朝成が雨の中、敵の撤退を見届ける。
「兄者(正儀)、何とか今日は勝つことができましたな」
「うむ……されど、こちらも思うた以上に被害が大きい。幕府は明日も新手を繰り出してくるであろう」
「どうされる」
正儀は、背中に一太刀浴びて、座り込んでいる美木多正忠に目をやって考える。
「この際、荒坂山に固執するのは止めよう。いったん負傷者を連れて男山に戻り、策を練り直そうぞ」
「承知した」
負傷者を思いやる兄の意を汲み、朝成は頷いた。
正儀は和田勢を指揮する和田正武にも伝令を走らせ、雨の中、全軍を引き連れて男山に退却した。
男山の山頂の行在所に戻った正儀は、手柄を挙げた美木多正忠を連れて、和田正武らとともに帝(後村上天皇)に拝謁した。
「楠木左衛門尉(正儀)、此度の勝ち戦、見事であったぞ」
「はっ。お褒めのお言葉をいただき、ありがたきことに存じます」
正儀は総大将の大納言、四条隆資に労わられた。
「この戦で、ここに控えし美木多五郎正忠が、土岐の惣領、頼康の弟で、悪五郎として名高い土岐康貞ら二人を討ち取り、首を捕りました」
正儀が正忠の手柄を報告すると、権大納言の洞院実世が身を乗り出す。
「土岐悪五郎の名は麿も聴いたことがあるぞ。そのような剛の者を討ち取ったのか。さすがは武勇の家の者じゃ」
実世は感嘆し、公卿たちは湧き上がった。
帝が思わず口を開く。
「初陣で敵の大将の一人を討ち取るなど、前代未聞の高名なり。美木多正忠にこれを遣わそう」
そう言うと、帝は、柄に銀の彫金が施された短刀を手に取った。権大納言の阿野実村が短刀を受け取り、殿上を降りて正忠に手渡す。
「さ、これを」
「はっ、ありがたき幸せ」
正忠は両手で実村から短刀を受け取った。しかし、正忠のその手は震えていた。
「そなた、顔色が悪いのう。大丈夫か」
「大丈夫でございます。背中に一太刀浴びましたが、浅傷にございますれば」
「そうか、今日はゆっくり休むがよい」
実村の言葉を受けて、正儀は郎党を呼び寄せ、正忠を陣に連れて帰らせた。
正忠が去った後、准后の北畠親房が正儀に顔を向ける。
「左衛門尉(正儀)、なぜ荒坂山の陣を引き払った」
「はい、荒坂山は思うたより、守りに難き地にございました。今日は幕府を撃退することができましたが、再三の攻撃を我らの力だけで持ちこたえるのは難しゅうございます」
正儀の話を聞いて親房は正武にも目をやった。
「和泉守(正武)も同意か」
「御意」
正武の返事を聞き、親房は質問を変える。
「して、ここに戻って次の策はあるのか」
「いえ、これからでございます」
正儀が答えると、親房は顔をしかめて、ふうぅと息を吐いた。
頭中将、中院具忠が正儀に声をかける。
「御上が楠木左衛門尉に問いたいとのことである」
「はっ。何なりと」
正儀はその場で平伏した。
「楠木左衛門尉、この戦、勝てるか。そなたならどのように戦うか」
帝が自らの声で問うた。一同は息を呑んで正儀の答えを待った。公卿の多くは、幕府に囲まれた男山で心細い思いをしていた。皆、口にこそ出さないが、こと戦に関しては、親房より若い正儀の意見が重みをもって捉えられていた。
「恐れながら申し上げます。浅知恵のそれがしには、この戦の勝ち方がわかりませぬ。それがしの目にはこの戦、すでに勝機を失っているように見えております」
公卿の中からどよめきが起こった。
実世が怪訝な顔でたずねる。
「それでは、男山に籠城するのは危険じゃと申したいのか」
「御意」
「さりながら、籠城しても、そなたの父は持ちこたえ、ついには勝ったではないか」
「父、正成が千早城に籠城し、勝機を呼び込むことができたのは、諸国の武将や民衆がきっと宮方に流れるであろうと読んだからでございます。されど、此度は、民衆や近隣の豪族、諸国の武将、いずれも我らに厳しい目を向けております」
「では、どうせよと申すのじゃ」
実世は正儀に詰め寄った。
「籠城が長引けば長引くほど、勝ち目がなくなるのは我らの方。恐れながら、いったん賀名生にお戻りいただくのが得策かと存じます」
「左衛門尉、せっかく京を目の前にして、それはなかろう」
実世は落胆した。
その時、帝が直接、四条隆資に向けて声を発する。
「左衛門尉の話、四条大将はどう思うか」
「はは、麿は楠木左衛門尉の考えはようわかります。確かに勝機は逸しておるやもしれません。ただ北畠卿(親房)はまだ策をもってことにあたれば、打開できると考えておられる……」
そう言って隆資は親房に顔を向けた。
実世も頷き、親房に顔を向ける。
「そうじゃ、北畠卿の策は、ここまでうまくいっておるのじゃ。麿もそれを聞きたい」
「うむ、策ならありますが、それについては、この後、四条様、洞院様ともよう話おうてみましょう。いずれにせよ、麿はこの男山から撤退することがあっては、御上の御威光の失墜が心配でございます」
親房はさほど慌てることもなく、意味ありげに言い放った。
「北畠准后、それでは皆でよう話おうてくれ」
帝はそう言うと、立ち上がり、奥へ下がっていった。
その夜、准后の北畠親房が、大納言の四条隆資、権大納言の洞院実世らと話し合いを持った。燭台の炎が親房の顔を赤く照らす。
「足利義詮さえ討てば、幕府の諸将はばらばらになり、こちらの味方をする者も現われるであろう。義詮の本陣をいかに叩くかじゃ」
親房が意見を口にすると、隆資は唸る。
「北畠卿の言うことはもっともであるが、四方を敵に囲まれ、そちらに対峙する我らの兵も必要。楠木ですら義詮の本陣を叩くのは難しかった。相応の兵が必要じゃ。お考えはあるのか」
「男山の北の囲みを突破するべく我らの兵を集めまする。再度、囲みを突破して京へ向かうように見せかける。男山の北で派手に戦をすればよい」
「北畠卿、それでどうやって義詮を討つのでございますか」
実世が首を傾げた。すると親房は口元を緩める。
「北側での戦の一方で、密かに一隊が男山を南に抜け出して義詮の洞ヶ峠の本陣に近づく。本陣から諸将が北へ出陣して手薄になったところで、その一隊が義詮の本陣に北から討ち入る。そこを洞ヶ峠の南に潜ませた味方と近隣の豪族で討つ」
「さりとて、その一隊とやらの負担は重すぎる。全滅するではないか。誰がそのような役を受けようか」
「楠木(正儀)が適任であろう……」
親房は冷たく言い放つ。
「……菊水の旗は、幕府にとっては倍の兵にも映ろう。楠木は策を弄した戦が得意じゃ。きっと自らも助かる戦をするであろう」
それは妙案と実世は頷くが、隆資は苦々しい顔を向ける。
「無理がございますな。正成や正行のように、楠木左衛門尉(正儀)をも死地へ向かわせるおつもりか」
「死地に向かわせるとは、ひどい言いようでございますな。生きる算段を行うのは、戦場における武士の知恵。楠木も知恵があるなら生き延びることでありましょう」
親房は微笑んで隆資に反論した。
「ここは楠木左衛門尉が言うように、無理をすべきではない。湊川や四條畷をくり返してはなりませぬ。いったん賀名生へ引き返すべきであろう」
「公家大将ともあろうお方が何を申します。せっかく京を取り戻したというのに。機会は二度と訪れないやも知れませぬぞ」
自らの迷いが正成・正行の命を奪ったと悔恨の情に苛まれていた隆資は、正儀を救わなければならないと思っていた。
しかし、結局、議論は纏まらない。男山に籠城したまま、近隣の豪族、諸国の諸将を味方に付けるよう、手分けしてあたることだけが決まった。
三月二十八日、伯耆国で名和党征圧を指揮する山名時氏に代わって、嫡男の山名師義が男山攻めに加わった。山陰の強兵は、男山八幡の北に布陣する北畠顕能の伊勢勢を攻め立てる。すると顕能軍は、じりじりと戦線を下げていった。
足利義詮はこの有利な展開に、佐々木京極道誉に命じ、当初は南朝に協力した八幡宮の別当(長官)、田中法印定清を味方に引き入れる。そして、男山に籠る南朝方を包囲して兵糧攻めをはじめた。
幕府に押し込められ、南軍の戦線がどんどんと縮小する中、正儀は、帝(後村上天皇)の呼び出しを受け、山頂の行在所に参内する。
行在所では帝が、大納言の四条隆資と権大納言の阿野実村を傍らに置いて、正儀を待っていた。
「左衛門尉(正儀)、此度は、御上より内密の話があり、来てもろうた……」
実村が呼び出しの趣旨を説明する。
「……実はそなたに、こちらの物を持って賀名生に帰って欲しいのじゃ」
実村の視線の先には、異なる形の三つの箱があった。箱には金糸が縫い込まれた布がかけられている。
正儀は驚いた頭を上げ、実村の顔を窺う。
「これは、まさか」
「そうじゃ、神器じゃ。そなたはこれを賀名生へ届け、そのまま河内に戻るのじゃ」
「それがしに河内に戻れとは……いったい何事でございましょうや」
正儀には実為の意図することがわからなかった。
「それは朕から話そう」
口を開いたのは帝であった。正儀は頭を低くした。
「朕は左衛門尉の申した事、もっともであると思うておる。このままでは我らは幕府に勝つことはできぬ。朕とて捕まれば、先帝(後醍醐天皇)のように隠岐か佐渡に流されるであろう。いや、命さえ危ういかもしれん」
「御上、何を弱気なことを仰せです。勝てないまでも、負けない手立てがあろうかと存じまする」
「左衛門尉、そなたの気持ちは嬉しいが、これだけ幕府に詰められては、我らは逃げることさえままならぬ」
図星を突かれ、正儀はどう言葉を返してよいかわからなかった。
「左衛門尉、そなたは河内へ戻り、もし朕に何かのことがあれば、我が二の宮(熙成親王)が帝となれるよう、力を尽くして欲しいのじゃ」
「な、何を仰せです」
遺言ともとれるその言葉に、正儀は驚きを隠せなかった。
隣から実村が口を挟む。
「すでに我が弟、実為(阿野実為)が、新待賢門院様(阿野廉子)の御供で賀名生に帰っておる。もしものことがあれば、朝廷のことは実為で、軍事のことは左衛門尉で、ともに宮様(熙成親王)を御支えするのじゃ。これは北畠卿(親房)には頼めぬことなのじゃ」
親房は、中宮(皇后)となった娘の北畠房子が先々、産むであろう皇子を、次の帝にしようと企てていた。しかし、帝は、親房の思いとは異なり阿野実村の娘、勝子が生んだ熙成親王に皇位を譲りたいと考えていた。
「されど、それがしは、とても御上をここに、このままにして河内に向かうことなどできませぬ」
「朕は左衛門尉の忠義はようわかっておる。だからこそ、そなたに頼むのじゃ」
帝の命にも躊躇する正儀に、隆資がたまりかねて口を開く。
「左衛門尉よ、残った我らを見くびっておらぬか。そなたがおらぬからというて、我らの兵力は変わるものではないぞ。麿は命に代えても、御上を守り抜く所存。みすみすとやられるものではない。そなたに賀名生に戻ってもらうのは、万が一の時のためじゃ」
安堵させようとする隆資の顧慮に、正儀は胸を詰まらせた。
「承知してくれるな」
「……う……う……」
帝の言葉に、正儀は涙をこぼして平伏する。
「……しょ、承知つかまつりしました。この左衛門尉(正儀)、命に代えて熙成親王をお護り致します」
「では、表向きには明日、皆の前で下知しよう。左衛門尉は麿の命で、河内に兵を集めに行かせるということでな。闇夜に紛れてこの男山を脱出できるのは、数名が限度であろう。河内に連れて帰る者を決めておくがよい」
「……ははっ……」
隆資の命に、正儀は涙声で服した。
翌日、改めて正儀は行在所に呼び出さる。公卿と諸将を前にして、大納言の四条隆資から河内帰還を下知された。河内で兵を募り援軍を編成して兵糧を運び入れよ、というのが表向きの名目である。
正儀は、同行者を津田武信、津熊義行、さらに美木多正忠の四人とした。正忠を選んだのは、荒坂山の戦い以降、正忠が心を病んでいたからである。討ち取った土岐康貞の睨みつけた顔が頭から離れず、毎晩、夢にうなされていた。正儀は正忠を河内に連れて帰り養生させようと考えていた。
帝の密命を帯びていることは楠木党の者たちにも秘密にした。しかし、ただ一人、舎弟の楠木朝成には秘密を打ち明ける。
「すまぬ、四郎(朝成)」
「いや、兄者(正儀)、よう打ち明けてくれた。それがしは、兄者が、そのような大事を、わしにだけ打ち明けてくれたことが嬉しい……」
意外な返事である。
「……わしは、本当に楠木の者になれたのかと、時に思うことがあった。されど、こうして兄者がわしに打ち明けてくれたのは、わしが本当に楠木の者になれた証じゃ」
「四郎……」
「大丈夫じゃ兄者。みすみすやられる我らではない。きっとまた会える。母上によろしく伝えてくれ」
母上とは敗鏡尼(南江久子)のことである。今では、敗鏡尼と朝成は、本当の母子のように仲がよかった。
「相わかった。四郎、そなたは今からこの男山の楠木軍を率いる楠木の棟梁ぞ。小七郎(楠木正近)とともに、楠木党を導き、何があっても生き延びよ」
「承知した、兄者。任せてくれ」
正儀は、知らぬ間に頼もしくなった朝成に、かつて兄たちに見守られて成長した自身を重ねた。
正儀は、雨の日を待って津田武信、津熊義行、美木多正忠と、三種の神器を担ぎ、夜陰に紛れて男山を脱出する。それぞれの神器は箱から出して、油紙と布に包んで正儀と武信、義行の三人が担いだ。
正儀ら四人は、途中で馬を調達し、木津川沿いを下って大和に抜けて賀名生へ入った。
翌々日、正儀らが賀名生の行宮に駆け込むと、伊賀局(篠塚徳子)の侍女、妙を目に留める。
「すぐに右近衛少将様(阿野実為)をお呼びしてください」
「しょ、承知しました。すぐに呼んで参ります」
妙は正儀らの様子に顔を強張らせて、奥へ駆けて行った。
正儀が男山から戻ったとの知らせに驚いた阿野実為は、新待賢門院(阿野廉子)も呼び寄せる。中庭に回った具足(甲冑)姿の正儀らを、二人は殿上から迎えた。傍らには、伊賀局も控えていた。
新待賢門院は取り乱したように正儀を詰問する。
「男山はどうなっています。御上(後村上天皇)は御無事ですか」
正儀は、帝の命でここに帰ってきたことを説明し、三種の神器を実為に渡した。
「御上はそのような御覚悟をされたのですか……おいたわしや。左衛門尉(正儀)、その方がついていて何とかならなんだのか」
その姿は、息子を心配する母の姿であった。
「それがしの力が足りないばかりに、御上をこのような目に合わせてしまいました。申しわけござりませぬ」
「新待賢門院様、楠木殿を責めても詮無きこと。そもそも北畠卿(親房)の策に無理があったと思えます」
実為が正儀を擁護した。
「親房め。己の理想のために、御上を利用したのじゃな。許せませぬ」
新待賢門院はわなわなと肩を震わせ、怒りを露にした。
不安を取り除こうと伊賀局が正儀にたずねる。
「この後は予断を許しませぬ。何事があろうと、楠木様は我らの味方でいてくれますか」
「何を仰せです。それがしは御上に約束したのです。どんなことがあっても熙成親王をお助け致します」
「左衛門尉、そちの忠義、御上も喜んでおろう」
新待賢門院が正儀を労った。
「もったいなきお言葉。この楠木左衛門尉、命を賭して、御仕え申す所存。御安心を」
正儀と新待賢門院の繋がりはいっそう深いものとなった。
正儀は、賀名生で新待賢門院(阿野廉子)に会ったあと、すぐに河内国東条に戻り、龍泉寺城に入った。
龍泉寺城の本丸には、持明院統の四主上(光厳上皇、光明上皇、崇光上皇、直仁親王)が入り、伊賀局(篠塚徳子)が遣わした女房たちが世話をしていた。正儀は四主上に平伏してこの度のことを改めて謝罪し、自らは二の丸の粗末な陣屋に戻った。
さっそく正儀は河内はもとより、和泉・大和・紀伊の豪族へ南軍支援の助力を求めた。そして正儀自らは、和泉国大鳥郡上条の武将、田代基綱を訪ねた。
和泉国は楠木一門の和田正武・橋本正高、さらに美木多助氏など南朝方の武将に加え、南朝へと鞍替えした淡輪助重によって南朝有利な状況を作り出し、幕府方の日根野時盛や田代基綱などは劣勢になっていた。その幕府方も、日根野時盛は足利尊氏に与し、田代基綱は足利直義に与していた。
正儀は、大鳥にある田代の館に入り、基綱を前にする。直義派であった基綱であれば、尊氏の嫡男、足利義詮と戦う南軍に味方してもらえるのではないかと期待していた。
「田代殿、御会いいただきかたじけない。南軍に対する助力をお願いしとうて参った。四条大納言様(隆資)は、我らに助成すれば、紀伊に領国を差し上げようと申されておる」
「楠木殿、誤解されるな。以前、慧源殿(直義)と賀名生の帝(後村上天皇)との間を取り次いでもろうた礼として、忠告のつもりでお会いしたのじゃ。義理堅い楠木殿であればわかるであろう、今の南軍に手を貸す者などないことを。慧源殿を裏切って将軍(足利尊氏)と和睦したかと思えば、此度は、和約を一方的に反故にしたうえに、京の四主上を拉致し、あげく劣勢になったのじゃぞ」
南軍の評判は、著しく悪かった。
それでも正儀は頭を下げるしかない。
「わかっており申す……が、それがしは帝を御救いせねばならん。どうかご加勢くだされ」
「今は乱世。道義なく損得で動く世よ。帝でさえ南北に別れて争っておる。されど、お主らがやったことは、いつまた裏切られるかという疑念を我らに植え付けたに過ぎん。信用はならん」
「決してそのような……」
正儀の言葉を基綱が遮る。
「一つよいことを教えてやろう。和泉の日根野時盛がこの機に乗じて若き楠木の棟梁の首を狙っておる。日根野だけではないぞ。いま、お主の首を捕れば、幕府に大きな恩を売ることができる。気をつけることじゃ」
「……わかり申した……かたじけのうござる」
正儀は、龍泉寺城へ戻らざるを得なかった。手分けして当たった津田武信と津熊義行も在地の豪族から門前払いを喰らっていた。
一緒に龍泉寺城に戻った美木多正忠の様子は、相変わらずおかしいままである。怪我は回復したが、目はうつろで、すっかり黙り込むようになっていた。
正儀は、気分を変えてやろうと、正忠を連れ立って、母、敗鏡尼(南江久子)の庵を訪ねた。
「三郎(正儀)ではありませぬか。五郎殿(正忠)までも。京の戦はどうされたのですか」
「兵を集めに男山を抜け出しました。されど、なかなか兵が集まりませぬ。今日は、報告がてら、母上に帰着の御挨拶にまかり越しました」
「そうですか」
末子である正儀の無事な姿に、久子は嬉しそうに目を細めた。
伏し目がちに正忠が久子に対する。
「伯母上(久子)、御達者そうで何よりです」
「五郎殿(正忠)、久しぶりですね。母上(和田良子)の元には顔を出したのですか」
「い、いえ……」
元気なく正忠は下を向いた。
龍泉寺城に戻った正儀は、正忠に母、良子に会ってくるよう申し付けていた。しかし、会おうとはしなかった。
「そうですか……初陣でしたね。いかがでした」
敗鏡尼の問いかけに、正忠は視線を落としたまま何も答えようとしない。正忠を一瞥して正儀が応じる。
「五郎は初陣で、いきなり土岐悪五郎という敵の大将首をとりました。帝(後村上天皇)は大そう喜ばれ、短刀を賜りました」
「まあ、それは祝着。正氏殿(美木多正氏)の墓に報告せねばなりませぬね。五郎殿(美木多正忠)の口から武勇伝を教えてくだされ」
二、三度、大きく呼吸をして、正忠が口を開こうとする。
「……うう……」
正忠は、いきなり手で口を押え、表に出て行った。
「まあ、五郎殿、どうされました」
敗鏡尼が驚いて美木多正忠を目で追った。庵の外には嘔吐する正忠の姿があった。
正儀が外に出て、その背中をさする。
「気分が悪いのか……少し中で横になるがよい」
正忠の肩を支えて、庵の中に入ると、口をすすがせてから奥に寝かせた。
しばらく横になったあと、正忠が身体を起こす。
「三郎兄者(正儀)……」
幼い時から従兄の正儀を兄者と呼んでいた。
「気分はどうじゃ。わしはこれから龍泉寺城へ戻らねばならんが、お前はもう少し休んでから帰るがよい。なあ、母上」
「その通りです。三郎の言うとおりになさいませ。清に夕げの支度をさせましょう」
敗鏡尼はそう言って、自らも厨に向かった。
「いや、それがしは……」
「戦が怖いか」
正忠の言葉を遮って、正儀が唐突にたずねた。
戦と聞いて正忠は下を向く。
「……」
「討ち取った相手の顔を思い出すのであろう。お前は小さき頃から、優しい子であった。正直、此度も、初陣として連れていくのはどうかと思うていた。されど、帝の前で勇ましく応え、そして大きな手柄を立てた。わしも安堵しておったのだが……」
正儀の話に、その目が虚ろになる。
「……無理をしておったのじゃな。お前の父(美木多正氏)や兄たち(美木多賢秀・賢快)であれば、慣れろと言うであろうな。されど、人殺しなど慣れなくともよい。戦が嫌いなら戦わなければよい。皆が戦を嫌えば、この世から戦がなくなる。わしはそれを願うておる」
「うっ、うっ……」
嗚咽を漏らし涙を流す正忠を、正儀は抱き寄せて背中をさすった。
「もうよいのじゃ。お前は何も心配することはない。お前は戦をする必要はないぞ」
正忠の気持ちがよくわかった。死をも恐れぬ勇猛な戦振りの父、正氏や、兄、賢秀・賢快は、正忠の自慢であるとともに、重圧でもあった。父に続いて兄たちも討死した後は、己がその後を継いで、勇猛に戦わねばならないと気負っていたのだ。
そんな正忠の呪縛を、正儀は解き放ってやることとする。
「大和の淨教寺に圓誓という和尚がおる。わしが書状を書こう。きっと、お前をかくまってくれるはずじゃ。叔母上には母上から話していただこう。いったん母上とともに叔母上の元に帰るがよい」
正儀の決断は、正忠のためだけではなかった。叔母、良子のためにも、美木多の血脈を護らねばならないと思ったからである。
正忠が大粒の涙をぼろぼろとこぼす。敗鏡尼と清は、厨に立ってこの様子を見守った。
「なあに、五郎の一人や二人おらんでも楠木党はびくともせぬ。朝廷には、お前は傷が元で亡くなったことにでもしよう」
正儀も戦が嫌いであった。できれば、一緒に逃げ出したかった。しかし、楠木一門の棟梁としての責任から逃れることはできない。人一倍、戦が嫌いな正儀にとって、責任感が強いということは皮肉なことであった。正忠の背中に手を置いて、うらやましいと思う。この時をもって武将としての美木多正忠は亡くなった。
一人、楠批庵から龍泉寺城へ戻った正儀を、後見役の橋本正茂が待ち受ける。
「日根野時盛が進軍を開始したようです。我が方も出陣の用意は整っております」
正茂の言葉に正儀は気持ちを切り替え、武信を呼び寄せる。
「兵はいくら集まった」
「龍泉寺城の留守居兵と、銭で掻き集めた野伏とでおよそ五百」
野伏は笹五郎こと野伏の棟梁、笹田五郎宗明が協力していた。
「少々、心許ないが致し方あるまい。すぐに討って出ようぞ」
正儀は津田武信とともに、兵を率いて河内と和泉の境に討って出た。そして日根野時盛と戦い、これを撃退する。
続いて、大和の越智や十市の留守居兵たちと協力して、大和における幕府方の豪族の拠点を次々に攻め落としに掛かった。帝(後村上天皇)が、男山から大和を抜けて賀名生へ帰還される道筋を確保するためである。
戦の最中でも正儀は迷っていた。帝の命に従って、このまま河内に残るべきか、それとも、たとえ寡兵であっても帝の救出に男山に出向くべきか。正儀には、河内に留まることの方が辛いことであった。しかし、帝に万が一のことがあれば、誰が熙成親王を御護りするのか。その自問自答が、正儀をぎりぎり河内にとどまらせていた。
四月も中旬を過ぎようとしていたが、男山に動きはなかった。幕府は男山を完全に包囲し、ただ兵糧が尽きるのを待っていた。男山の南軍に、もう挽回の機会はなかった。足利義詮は降参を促す使者を、男山八幡宮にたびたび送った。
男山の帝(後村上天皇)は迷っていた。ここで降参すれば、もう二度と京の地を踏むことはないかもしれない、との思いが決断を鈍らせていた。大納言の四条隆資と権大納言の阿野実村も、帝の心根を察して何も言わなかった。
准后の北畠親房は、正儀が男山を脱出した後、自らも兵を募ると言って側近を伴い男山を脱けていた。そして、伊勢の多気城へ入ったままであった。
兵糧攻めは、男山の公家や武士に厳しい現実を突き付けていた。ほとんど食べるものがなくなり、虫を捕まえたり、草の根を掘り起こして食べていた。公卿たちからは正儀に対して不満が爆発する。
「楠木左衛門尉(正儀)はいったい何をしておる。もう一月が立つというのに。たった一度、兵糧を運び入れただけで、援軍などまったく気配なしじゃ」
権大納言、洞院実世は吐き捨てるように言った。
正儀は、聞世(服部成次)に命じて、何度も兵糧を運び入れようとしていた。だが、幕府の包囲を突破して運び込むことは容易でなかった。
頭中将、中院具忠も同調する。
「臆病風に吹かれたのではありますまいか」
「げにも。父(楠木正成)にも似ず、兄(楠木正行)にも似ず、心延びたる者よ」
実世の言葉は、事情を知る一部の者を除き、男山に籠城する皆の気持ちであった。
楠木の一門でさえ、正儀に厳しい言葉を向ける者もいた。
和田正武は正儀の舎弟、楠木朝成に愚痴をこぼす。
「いったい三郎殿(正儀)は何をしておるのじゃ。もう、兵糧はないぞ。兵らに食べさせるものがない」
「新九郎(正武)殿、きっと、兄者(正儀)には兄者の事情があるじゃ」
「いや、皆の期待に応えてこその棟梁じゃ。これでは、棟梁は失格じゃ」
その言いように、朝成は顔を赤くして激昂する。
「何と申される。たとえ新九郎殿とはいえ、その言葉は聞き捨てなりませぬ。兄者が皆のことを考えていないわけがなかろう。助けにきたくともこれないのじゃ。兄はそういう男じゃ。楠木・和田・橋本・神宮寺……一門の者が棟梁を信じなくてどうするのじゃ」
苛立つ正武に、朝成が強く意見した。
「……そなた、なかなか言うようになったのう」
朝成の態度に、正武は驚くとともに感心する。




