第19話 和睦交渉
正平六年(一三五一年)三月二日、ここは、西吉野とも呼ばれる穴生の里。京の桜に少し遅れて山桜の季節が訪れる。行宮を取り巻く山々にも、ぽつりぽつりと薄紅色が目に立つようになっていた。
「慧源殿は、吉野(穴生)の帝(後村上天皇)に受けた御恩を決して忘れることはなく、その現れが、先に献上した金子でございます」
谷合にある屋敷の一間では、足利直義の使者、二階堂入道行通が、准大臣の北畠親房を前にして、頭を低くしている。直義は、一月前にも近臣を穴生へ送り、金一万疋を献上して、両朝和睦の協議を申し入れていた。
多少仰け反るようにして、親房が下目遣いに行通を窺う。
「これはこれは。慧源殿(直義)の帝に対する忠義の現れと存じまする。今まで果たせなかった分、ますます御励みになられませ」
「はい、慧源殿は約定は果たすべきものとして、吉野の帝におかれては、まずは京へお戻りいただきたいと申しております」
「それは、御上も大そうお喜びになられるでしょう」
笑みまで浮かべる親房に、行通が安堵する。
「吉野の帝と京の帝。先々、どのような順で御即位いただくか決めなければ何も進みませぬ。まずは、准大臣様(親房)のお考えをお聞きせよとの命を受けておりまする」
「はて、京の帝とは誰のことですか。天に二朝はございませぬ。三種の神器をいただく御方こそが唯一無二に正統でございます。その唯一の正統に対し、御即位の順など、必要はありますまい」
三種の神器とは、代々の天皇が受け継いできた八咫鏡と草薙剣、八尺瓊勾玉の三点の総称である。
「そ、それでは、大覚寺と持明院の皇統が交互で皇位につかれるという、慧源殿との約束を反故にされることになりまする」
「二階堂殿、何を考え違いされておられる。帝がお二人おられるなら、慧源殿との約定を反故にすることにもなりましょう。されど、そもそも御一人しかおられぬのですぞ。こちらが約定を守りたくとも、守れぬではありませぬか」
たじろぐ行通に、親房が淡々と応じた。
その口元に微かな笑みを見てとった行通は、憮然とした顔を露にする。
「それがし、そのような禅問答をしに参ったのではありませぬ。准大臣様の申し分、そのまま慧源殿に持ち帰ってよろしいのでございましょうや」
「もちろんでございます。慧源殿に何卒よしなに」
親房はすくっと立ち上がり、軽く一礼して奥に下がって行った。
「ふう、噂通りの御仁よ」
誰も居なくなった部屋で、行通は独り言を呟いてから腰を上げた。
帰路についた二階堂行通だが、穴生からの帰りに、南河内の観心寺へ立ち寄る。
あらかじめ知らせを受けていた正儀は寺に出向き、中院の広間で行通と対面した。その傍らには後見役の橋本正茂も座る。
「二階堂殿、わざわざ河内へお立ち寄りいただき、かたじけない。帝(後村上天皇)のご機嫌はいかがでありましたか」
これに行通は、苦笑いで応じる。
「帝には会えませなんだ。北畠准大臣様(親房)には両朝の迭立をにべもなく無視され申した」
「そ、そうでございますか……申し訳ござらん」
呆れる行通に、正儀は肩身が狭そうに頭を下げた。
「なに、落胆はしておりませぬ。慧源殿(足利直義)は、端からお見通しです。帰りに楠木殿に会うてくるように言われておりましてな。この和議は楠木殿にかかっておると申しております」
「若輩のそれがしが……でございますか」
「楠木殿がどのように動くかで、この和議は決まると」
その言葉を正儀はいぶかしがる。
「いったい、それがしに何をせよと申される」
「帝の勅書をいただきたい。京への御帰還について、幕府に計らうよう命じたものを」
正儀は驚き、困り顔を傍らの正茂に投げた。
すかさず、正茂がこれを拾って口を開く。
「それは、北畠卿がおられる限り難しいかと存じます」
「いえ、北畠准大臣様ならば、間もなく伊勢に下向されます。北畠卿が居なければ、話も進め易いのではありませぬか」
行通の笑みには訳があった。幕府側の伊勢守護、石塔頼房が、南朝の伊勢国守である北畠親房の三男、北畠顕能に対して兵を挙げたからである。親房は顕能を支援するために大和や十津川あたりから兵を募り、伊勢国の多気城へ向かう支度を進めていた。
全ては直義の策略である。厄介な親房を遠ざけ、その間に若くて扱い易い正儀を利用する算段である。
「その間にそれがしに動けと申されるか」
正儀は、直義にうまく利用されようとしていることを理解する。百戦錬磨の直義は、二十歳を超えたばかりの若者が敵うような相手ではない。それでも、それを承知でその策略に乗ろうと心を決める。少なくとも今の自分に、君臣和睦の絵を描くことはできない。であれば、それができる人物に絵を描いてもらい、自らは実現に手を貸すしかない。
口をひらく前に、傍らに目をやる。瞳に写ったのは、にやりと口元を緩める正茂の姿であった。
「棟梁は三郎殿です。それがしに気遣う必要はありませぬ」
その言葉に正儀はゆっくり頷いてから、行通に向き直す。
「慧源殿にお伝えくだされ。それがしは戦のない世を作りたい。そのために手をお貸しします。されど、帝は自分にとっては命より大事な御方。ないがしろにされるようなことあらば、この正儀、命に代えて戦う所存。何卒、よしなにお頼み申します」
正儀のまっすぐで強い想いに、行通は神妙な面持ちで頷いた。
二階堂行通が京へ戻って行った後、さっそく正儀は河野辺正友を連れ立って穴生に向かった。右近衛少将、阿野実為に会うのが目的である。
「先日、慧源殿(足利直義)の和睦の御使者が穴生に来られました。お聞きになられておられますか」
屋敷に招き入れられた正儀は、挨拶もそこそこに切り出した。
これに、実為が目を大きく見開く。
「そ、そうなのですか。麿は何も聞かされておりませぬ。おそらく准三后様(阿野廉子)も」
「やはり……御使者は北畠准大臣様(親房)とお会いしたのですが、取りつく島もなく追い返されました。それがしは、この和睦の申し出、しかと検討すべきじゃと思うております」
「それは、麿とて同じです」
確信を得てから本題に入る。
「何卒、右近衛少将様(実為)より、准三后様に、和睦の件、お勧めいただくようお願いいただけないでしょうか」
「准三后様にですか……」
実為は、正儀が二、三度瞬きをする間、目を閉じて思案する。
「麿から准三后様にお願いするより、もっとよい方法がございます」
「それはいったい何ですか」
「左衛門尉殿(正儀)の思いを直接ぶつけられることです。麿にお任せください」
実為は正儀に向かってにこりと微笑んでみせた。
和睦実現のため、もう一人、穴生で会っておかなければならない人物がいる。阿野実為の屋敷を後にした正儀は、河野辺正友を連れ立ち、その人物の屋敷を訪ねた。
客間に通されると、後ろに正友を控えさせ、屋敷の主に対して仰々しく頭を下げる。
「大納言様、御尊顔を拝し、恐悦にございます」
目の前に、討幕強硬派の四条隆資が居た。
「久しぶりじゃな。左衛門尉(正儀)。肩ぐるしいことは抜きでよいぞ。河内国はいかがじゃ」
第一声は、拍子抜けするくらい気さくなものであった。
「はい、平穏な日々が続いております。高師泰の後釜、畠山国清に目立った動きはありませぬ」
「そうじゃな、足利直義と交渉が続いている限り、下手な動きはできぬであろうからな」
訪ねたこと自体を喜んでくれる隆資を前に、唾をごくりと飲み込んで本題に入る。
「その和睦の交渉ですが、なかなか難しいという話を聞いております。北畠卿(親房)は両朝の迭立はおろか幕府の存在すら、御認めにならないとか。大納言様(四条隆資)のお考えは如何でございましょうや」
「なるほど、そなたの用向きはそれであるか。では、先にそなたの考えを教えてくれ」
隆資は特に驚く素振りも見せずに聞き返した。
「それがしは……それがしは、戦をなくしとう存じます。楠木の棟梁とは思えぬもの言いとお思いでしょう。されど、戦は田畑を荒し、多くの人を殺し、身寄りのない子を増やします。戦を止めるためにはどうすればよいか悩んでおります」
父や兄、従兄弟たちを奪った戦というものに対する正儀の正直な気持ちであった。
すると、隆資は手に持つ扇をばちんと閉じる。
「早く幕府と和睦せよ、ということじゃな。されど、それは元弘の御代に戻せということぞ。幕府を認め、大覚寺と持明院の皇統が交互に帝に成るのでは、北条から足利に変わっただけあろう。それは、そなたの父や一族の死を無駄にすることにならんか」
怒っているのではない。正儀の思いがどれ程のものか、見極めようとしているかのようであった。
「父は兄正行に、何があっても帝をお助けするようにと言い残して討死しました。それがしとてその思いはいささかも変わるものではありませぬ。ただ戦を通じてのみが帝をお助けする手立てであろうかと、近頃は心を痛めております」
「どういうことじゃ」
「いくら敵を撃破しても新手の敵が押し寄せます。戦いは新たな憎しみを生み、更なる戦を呼び寄せます。戦では帝をお助けすることができぬのではないかと……帝を御救いするためには、幕府の協力も仰ぎ、朝廷と幕府がそれぞれの役割をもって合一するのが唯一の道ではないかと存じまする」
そう言ったあと正儀は、言い過ぎたかと、ばつが悪そうに目を伏せた。
「そなたの考えはようわかった。それができるのならば、麿とて否定するものではない。北畠卿もかつてそのようなことは言われていた」
「北畠卿も……ならばなぜ……」
これに、隆資が、刺すように目線を合わせる。
「考えてもみよ。軍事を担う守護を下に置き、力を握った幕府が、はたして朝廷の意向に沿うであろうか。いずれ朝廷を邪魔な存在として滅ぼすであろう。先帝(後醍醐天皇)の血筋が子々孫々まで続くようにすることこそが忠義と思うておる。そのような幕府を許してしまえば、先帝に申し開きができぬ」
それは若い正儀でさえ理解するところであった。が、正儀の目には、今の状態が続くことの方が、滅びの道を歩んでいるように映っている。
「されど大納言様、先帝の御意向と言われますが、御上(後村上天皇)のお気持ちはどこにあるのでしょうか」
「何、御上のお気持ちとな」
そう言って、隆資は顔を曇らせた。
「いえ、言葉が過ぎました。お忘れください。本日は、それがしの話をお聞きいただき、ありがとうございました」
気まずそうに、正儀は会釈をして部屋を下がった。
一方、部屋に残った隆資は、正儀の後ろ姿を目で見送り、深い溜息をついた。
三月の上旬、帝(後村上天皇)の一行は、穴生の行宮を出て、丹生川沿いを南に行幸していた。
この日は、准三后、阿野廉子が帝を誘い、母と子で花見を楽しむ予定である。廉子はこの花見を阿野家の内輪の集まりとし、甥の右近衛少将、阿野実為に支度を命じ、この日を迎えていた。
行幸には、帝とその女御の阿野勝子、権大納言の阿野実村、そして廉子の四つの輿があった。
一行には女房たちも徒歩で従い、伊賀局(篠塚徳子)も侍女の妙を連れて廉子の輿の横を歩いた。
行列の前後には十数名の侍が護衛につく。その先頭は馬に乗った正儀。もちろん実為のはからいである。
山々を淡い色の山桜が彩り、川沿いに並んだ遅咲きの桜と、川面に映った桜とで、あたり一面が薄い鴇色に染まっていた。
帝の御輿である玉輦の隣を徒歩で従う実為が、その中に話しかける。
「御上、ご覧あれ、川面の桜が満開ですぞ」
「ほんに綺麗であるな。穴生に来てから、このように心嫋やかに花を愛でることができようとは……吉野山の桜を思い出すのう」
帝は玉輦の横の小さな御簾を上げて桜に見入った。
「この先に、宴の席を設けております。今日はごゆるりと御寛ぎください」
「うむ、朕は今日を楽しみにしておった。母上もさぞ喜んでおられることであろう。少将、礼を言うぞ」
言葉通り、帝は上機嫌であった。
そこから少し遅れて国母、准三后の輿が続く。
「伊賀よ、左衛門尉(正儀)が先達とは、今日は贅沢であるな」
廉子が輿の小さな御簾を手繰り上げ、隣を歩く伊賀局に声をかけた。
「ほんにそうでございますな。私も楠木様が護衛と聞いて驚きました。何でも、穴生に所用で来られていたところ、右近衛少将様(阿野実為)が頼まれ、喜んで護衛になられたとのことでございます」
伊賀局の答えに、廉子は満足そうに頷く。
「楠木といえば、先の河内守(楠木正行)が思い出される。四條畷の戦では、弁内侍(日野俊子)が可哀想であった。髪を落して尼になったと聞くが、元気かのう」
「はい、今は吉野に戻り竜門の西蓮華台院に、尼として身を寄せられたそうにございます」
「竜門……あのあたりは、戦に巻き込まれることはなかったのじゃな。内侍には、御仏の元で幸せになって欲しいものよ」
「はい、わたくしもそのように願うております」
伊賀局は、何事にも一途な日野俊子のこれからを思い、心の中で手を合わせた。
目的の地に着いた一行は、桜に囲まれて和やかなひと時を過ごす。
阿野実為は、廉子と勝子が席を外した頃合いをみて、正儀を帝の前に連れていく。
赤い野点傘の下、正儀は床几に腰かける帝の前で、両ひざ付いて頭を下げた。
「今日は無礼講。御上は直答を許されるとのことである」
帝の従兄でもある実為は、正儀に直訴の機会を工面していた。
「はっ。御上におかれては、ご機嫌麗しゅう、恐悦至極でございます。本日は行幸の先達という大役を任され、それがし、この上もない栄誉でございます」
帝を直視しないよう、正儀は顔を伏せたまま謝意を口にした。
これに、穏やかな表情で帝が頷く。
「左衛門尉(正儀)、今日は大儀であった。そちのおかげで、朕は久しぶりにくつろげた。またどこぞ、左衛門尉の護衛で出かけてみたいものよ」
「ありがたき幸せに存じます。それがしは京へ行ってみとうございます。御上(後村上天皇)はいかがでありましょうや」
「もちろんである。帰れるものであれば、今すぐにでも帰りたい」
無礼講とは言え、帝に質問を投げかけたこと自体に近臣の公家や女房たちは驚き、一斉に厳しい視線を注いだ。
すかさず、実為が正儀の意図を代弁する。
「御上、左衛門尉は、先の慧源殿(足利直義)のことを申しておるのでございます」
「うむ、その件ならば、准大臣(北畠親房)より、まずは断るとの話を聞いておる。急いては大魚を逃すと申しておった」
「はい、麿も北畠卿の御考えは承知しております。幕府の存在を認めたままで、しかも、持明院の皇統も認めたままでの御還幸は、北条幕府の時代に戻るようなもの。多くの公卿はそのように考えております。されど、左衛門尉は御上の御心根はいかがであろうと言うのです。御心根を知りたいとは、まったく不遜ではありますが、若い左衛門尉の素直な気持ちと存じます」
実為は一気に話を核心に進めた。
「そうか、左衛門尉は朕の心を知りたいのか。されど、知ってどうする。朕の心と政は別であるぞ。政は二条左大臣(師基)、北畠准大臣(親房)、四条大納言(隆資)らの奏上をよく聞いて決める必要がある。左衛門尉よ、朕がいつも思うがままに言葉を発すれば、あるものは面子を潰し、ある者は不幸になり、民に迷惑がかかることもある」
幼きときから親房の薫陶を受けて育った帝は、先帝(後醍醐天皇)とは異なり、慎重に己を仕舞い込んでいた。
親房にとっては、自らの思いを強く口にする先帝(後醍醐天皇)は、畏怖すれども、自らが理想とする帝ではなかった。幼き頃の今上の帝、義良親王を奉じて陸奥将軍府に下向した時から、己が理想とする帝の姿を教えていた。
尊顔を直視しないよう、正儀は顔を伏せたまま、恐縮しながら言葉を紡む。
「御上の申される事、この左衛門尉、肝に銘じまする。されど、民の難儀は、御上のお考え一つで変えることもできまする」
「と、申すと。朕にできることとは何じゃ。言うてみよ」
「はっ。戦を止めることにございます。戦が続く限り、民の不幸は続きます」
「左衛門尉は戦が嫌いか」
「左様にございます」
正儀に躊躇はなかった。
「それは奇怪な。そなたの父(楠木正成)と兄(楠木正行)は、知らぬ者はないほどの武勇の者。そして、そのほうも南大和で高師直を退け、河内では高師泰から国を守った。いずれも戦じゃ。そのほうもやはり楠木の武勇の血筋ではないか」
不思議そうに帝が問いかけた。
「それがしが知る父や兄は、戦が好きではありませなんだ。父、兄、そしてそれがしが願うは、君臣和睦にございます」
「何、君臣和睦とな……」
それは、新鮮な響きであった。
「はい、帝と幕府が和睦し、ともに手を携えて政を行う世の中です。民が戦で不幸にならない世の中です」
真っすぐに己を晒す正儀を、実為は、はらはらしながら見守った。
「左衛門尉は素直じゃな。朕はそなたのような理想を持つ者がうらやましい。さりながら、いくら理想を諳んじても、相手がある限り適わぬものよ」
「なぜでございましょうや。慧源殿のお話、まだ何も聞いておらぬではありませぬか」
思わず顔を上げる。正儀は、初めて帝を間近から拝顔した。
必死に訴える正儀から、帝は静かに目線を外す。
「左衛門尉、この話は聞かなかったことにしようぞ」
「御上、それがしはまだ御上の御心根を……」
まだ言葉を続けようとする正儀の前に実為が割って入る。
「左衛門尉、ここまでじゃ。左衛門尉は警護に戻られよ」
「こ、これは、とんだ御無礼を」
正儀は我に返り、額を地面に擦り付ける。そして赤面したまま、警護の持ち場に戻った。
そこから少し離れたところに、この様子を心配そうに見つめる伊賀局の姿があった。
花見から数日後のことである。気を落して赤坂城に戻っていた正儀は、右近衛少将、阿野実為より、再び穴生へ呼び出された。
阿野家の屋敷の一室で、実為の兄、権大納言の阿野実村が正儀を待ち構えていた。その傍らには実為も控えている。
「大納言様、先般はたいへんな粗相を仕出かし、申し開きもできませぬ。責めは、しかと負うつもりにございます」
青ざめた顔で正儀はひれ伏し、実村の言葉を待った。
「そうではない。そなたに、慧源殿(足利直義)への使いを頼みたいのじゃ」
恐る恐る正儀は顔を上げる。
「使い……でございますか。それはどのような」
「御上(後村上天皇)の御綸旨を慧源殿に渡すのじゃ」
「何と、御綸旨でございますか」
「この御綸旨には、幕府に対し和睦の交渉を、楠木左衛門尉(正儀)をもって進めるようにと書かれておる。そなたはこれより京へ出向き、慧源殿と和睦の条件を探るのじゃ。折り合いどころが見つかるようであれば、朝議に諮るようにとの御沙汰である」
「お、恐れながら、御上は北畠卿(親房)のご意見に同意されておられたのではありませぬか。それがしには何が起こったのか皆目見当が付きませぬ」
そう言って、実村と実為の顔を交互に見た。
「御上の御心内まではわからぬ。じゃが、花見の翌日、二条左大臣(師基)に朝議を開くようにお命じになられた。幕府との和睦交渉を進めるか、それとも中止されるか。北畠卿がおられぬ朝議は後ろめたかったのじゃが、御上の御沙汰では皆、反対もできぬ。自らの後立てとして意見を述べる北畠卿を抜きで、皆の意見を聞きたかったのであろう」
「その結果、御綸旨となったというわけでございますか」
「うむ、二条左大臣は賛意を示された。もちろん麿もじゃ。洞院卿(実世)は強固に反対された。北畠卿がいないということも反対の理由の一つであった。されど、左大臣は御上の御内意をあらかじめ受けておって、最後は左大臣に一任ということで決まった。そなたの思いが実を結んだようじゃな。されど、決まったことは、和睦の条件を詰めよ、というものじゃ。その結果は朝議に諮ることになる。努々《ゆめゆめ》、これで和睦が成ったとは思わぬことじゃ」
それでも正儀は、一時は諦めかけた和睦の進展に安堵した。しかし、一つの気掛かりが首をもたげる。
「四条大納言様(隆資)は反対されなかったのですか」
「四条卿は終始無言でおわせられた。何をお考えか麿にはわからなかった。されど最後に、勅使にはそなたを加えるように推薦された」
「四条様がそれがしを、でございますか」
正儀の頭には、頑なに先帝(後醍醐天皇)の遺言を守ろうとする、先日の隆資の顔が思い出された。
南朝は勅使として頭中将、中院具忠を京へ送った。正儀は副使として、神宮寺正房、河野辺正友と、わずかな護衛を連れて上洛した。
会見の場所である醍醐寺に入った正儀は、回廊を歩きながら幼き日に会った足利尊氏を思い浮かべる。
「尊氏殿には会えぬのであろうか」
と、独り言のように呟いた
広間に通された南朝の一行は、勅使の具忠と副使の正儀が上座に座り、下座の端に正房と正友が控えた。正儀は、具忠とともに束帯姿の正装である。足利直義を待つ束の間が、時が止まっているかのように長く感じた。
下に控えた正友が正儀に目を配る。
「殿(正儀)、来られたようですぞ」
座敷に現れたのは法衣姿の直義と二階堂行通、そして醍醐寺の僧、清浄光院房玄である。幕府側も帝(後村上天皇)の綸旨を受け取るにあたり、正装姿で正儀らの前で畏まった。
勅使の具忠が綸旨を読み上げる。そして、南朝の代表として正儀と和睦の条件を詰めるよう付け加えた。直義はこれを畏まって受ける。
滞りなく綸旨を下すと、その日、正儀らは宿舎の大覚寺に入った。
翌日、中院具忠は後の交渉を正儀たちに任せて穴生へ帰還した。一方、正儀は足利直義の屋敷に招かれる。勅書を下す時とは打って変わって、正儀らは直義の下座であった。
「慧源殿(直義)、少し遅くなりましたが、こうして京へ入ることができました」
「楠木殿(正儀)、そなたであれば必ず約定を違えず、講和の席についていただけると思うておりましたぞ」
再会に安堵する二人に、神宮寺正房が割って入る。
「慧源殿、我が主、左衛門尉(正儀)は、昇殿できぬ立場ながら、帝、公卿の説得に奔走され、今日この日を迎えております。何卒、この労、御汲み取りくだされ」
交渉はすでに始まっている。正房の発言は、有利に進めるための前振りであった。
しかし、直義は、正房が肩透かしを喰らうほど、素直に苦労を労う。
「もちろんです。それがしは公家の頑迷さを少なからず存じ上げております。穴生の公家の多くは、京の本家を継げなかったものが多い。この者たちが穴生の帝の思いを利用し、自ら代わって嫡流にならんと企てておるのでしょう。和睦が成れば、自らの立場を失う者も少なからず出てくる。その公家たちを説いてここに来られたということは、並の大名ではできなかったことと存ずる」
正儀は静かに直義の言葉に耳を傾けた。正儀にもわかっていた。自らの立場のために、穴生に住む公家が多いことを。しかし、それを言っていても話が進まない。
「慧源殿、お気遣い痛み入ります。されど、それがしの苦労など、帝の御腐心に比べれば取るに足らぬもの。それがしは帝のために、何としても和睦たらしめ、帝を京へお戻ししたいのでございます」
「楠木殿のお気持ち、わかりますぞ。やはり、御父上によう似ておられるのう」
そう言う直義こそが父、楠木正成の仇である。やはり、直義には軽々しく父の話に触れて欲しくはなかった。
閑談を打ち切って、正儀は話を先に進める。
「和睦の条件を詰めなければなりませぬ。簡単には参りませぬが、決死の覚悟で臨んでおります。こちらに、我らの条件を書き綴っております」
そう言って、廟堂から託された書き物を直義に差し出した。
直義は一読するとそれを下に置き、軽く目をつぶる。
「確かに、簡単にはいかぬようじゃ。こちらも腰を据えてあたりたいと思う。ここに控えし二階堂入道に意向を伝えておりますので、話おうていただきたい」
「承知しました。こちらは、それがしと神宮寺将監(正房)、河野辺右馬允(正友)の三人でお相手させていただきます」
「相わかり申した。それではよしなに」
正儀らは、その日は再び宿舎の大覚寺に逗留し、翌日から二階堂行通と講和の妥協点について話し合った。
その頃、穴生では、准大臣の北畠親房が伊勢から戻り行宮に出仕していた。
親房は、外廊で左大臣の二条師基を待ち構える。
「左府(左大臣)様、これはいったいどういうことでございますか。麿が居らぬ間に勅使を京へ送るなどと。幕府への対応は麿が伊勢より戻ってからという御約束ではありませなんだか」
摂関家の師基より親房の官位は下である。だが、かつて帝(後村上天皇)の後見であり、朝廷の知恵者である親房の発言力は大きい。歳下でもある師基を畏れるふしはみられない。
しかし師基も引かず、親房の顔からも視線を逸らさない。
「准大臣殿(親房)、それは誤解でありますぞ。卿を差し置いて、物事を決することはありませぬ。此度は御上(後村上天皇)の御意向もあり、今後の講和の継続を足利直義へ知らせたまでじゃ。まだ和睦が決まったわけではありませぬ。講和の中身が決まってもおらぬのに、そのように言われることもありますまい」
「その勅使が問題なのです。歳も若い楠木左衛門尉(正儀)を副使として送り、そのまま京に残して和睦の内容を詰めさせておるとか。四条大納言殿(四条隆資)もおったというのに、何たることか」
「准大臣殿(親房)、左衛門尉を勅使として推薦したのはその四条卿でありますぞ」
意外な指摘に、親房は目を見開いたまま声を上擦らせる。
「な、何と、四条卿が……あのお方は和睦には反対の御立場。何を思って楠木を京へ送ったのか」
困惑を隠すように扇を開く親房に、師基は刺激すまいと言葉を選ぶ。
「いずれにせよ和睦の内容は朝議をもって決裁致します。折衝とは申せ、若い左衛門尉では、相手の条件を持ち帰るのみになるでしょう。隔たりの大きな講和に、きっと、その場では折り合いをつけることはできますまい」
「恐れながら、楠木も左大臣様も、麿の真意がわかっていないようじゃ。少しでもよい条件など、それでどうなるというのか。足利直義との約定などいかほどのものか。麿が考えておるのは、これをきっかけに幕府を滅ぼす手立てじゃ。それを断りもなく動かれては、せっかくの策が台なしじゃ」
「これをきっかけに幕府を滅ぼす手立てと……」
聞き返す師基を、親房は鋭い眼光で睨みつけた。
師基は親房の気迫に押され、二の句を続けることはできなかった。
二条師基の見立てを裏切るかのように、正儀たちは和睦交渉を優位に推し進めていた。あらかじめ後見役の橋本正茂らと、あらゆる事態を想定した問答を用意して、会談に挑んでいたからである。もちろん、優位に進められた背景には、足利直義の、南朝に対する負い目もある。
和睦の目処が見えくると、正儀は京での交渉をいったん終えて河内に戻った。
すると今度は足利直義が講和の条件を整えるため、引き続き、二階堂行通を穴生に送る。行通は左大臣の二条師基、准大臣の北畠親房ら要人と挨拶を交わすと、追いかけて穴生に入った正儀らと、最後の詰めに取り掛かった。
その日の交渉が終わり、郎党に行通を宿舎に案内させた後のことである。
穴生に建てられた楠木の小さな屋敷。日暮れの赤い光が差し込む広間で一息付いた正儀が、神宮寺正房と河野辺正友に話しかける。
「今日の折衝で、何とか和睦の条件も整えられそうじゃな」
「幕府はこれ以上折れますまい。されど、国司の権限を大きくして守護の権限を押えることができました。幕府が横領した直轄領を国衙領として、大覚寺統に戻すと約定がとれたことも大きかったですな」
初めての大仕事を、安堵の表情で正友が振り返った。
正房にとっても、交渉の成果は、自画自賛できるものである。
「そうじゃな。これで両統迭立となっても、大覚寺の皇統が遅れをとることもありませぬ。ここまで窮地に追い込まれていた我らにとっては、上出来でござる」
「うむ。帝も喜ばれることであろう」
正儀も二人と同様に頬を緩めた。
翌日、交渉の出口が見えた二階堂行通は二条師基や北畠親房に会い、礼を言って京へ戻っていった。
いよいよ和睦の条件が整い、足利直義は清浄光院房玄を使者に立て穴生に向かわせた。房玄は穴生で師基と親房に、直義の書状を渡し、帝(後村上天皇)に拝謁して京へ戻っていった。
穴生の廟堂では、直義が示した合一案について、公卿が集まって協議が行われていた。和睦を取り纏めたにもかかわらず、従五位下で左衛門尉でしかない正儀は、もちろん、朝議に出る資格などない。
左大臣の師基が読み上げた直義の書状に、権大納言の阿野実村が大きく頷く。
「左衛門尉(正儀)は思うたより、よい条件を引き出したのではありますまいか。これならば御上に奏上することもできましょう」
条件は、幕府の存続と南北両朝の迭立を基本とはしていたが、北朝の帝を廃して南朝の帝を京の内裏に迎えるものであった。そして、守護の権限を弱め、朝廷が任じる国司の権限を高めるとともに、幕府が横領した国衙領を南朝に戻すことも盛り込まれていた。
講和に前向きな実村に向けて、権大納言の洞院実世が眉をひそめる。
「阿野卿、両統迭立ならば元弘以前、北条幕府の御代と変わらぬではありませぬか。先帝(後醍醐天皇)は朝廷中心の政を目指して立ち上がられた。我らはその理想を実現すべく、こうして耐え忍んでおるのです。このような条件を安易に飲むべきではありますまい」
「洞院卿、さりながら、世情というものは汲まなければなりませぬ。我らは四條畷の負け戦で、畿内の領地も幕府に奪われておる。諸国に目を向けても、今や圧倒的に幕府が優勢の状況。これ以上、我らが強気に出られる材料はないのじゃ」
実村の返答に、師基が相槌を打つ。
「左様、このような状況の中、御上の処遇や、国衙領など、持明院の皇統をも上回る条件を引き出したのじゃ。上出来であろう」
「二条左大臣様も阿野大納言殿も、何を弱気なことを申されます。御上の弟宮、征西将軍宮様(懐良親王)は、九州を圧倒しております。いずれ九州の勢力と手を合わせ、我らが再度兵を挙げれば、幕府は恐れおののくことでありましょう」
実世の強気かつ楽観的な見立てに、さすがに師基も、少々呆れ顔で他の者を見回した。
やっと口を開いたのは准大臣の北畠親房である。
「四条大納言殿(隆資)は、和睦は反対の御立場じゃと思うておりましたが、此度は勅使に楠木を推薦されるなど、どのようにお考えなのでありましょうや」
終始無言であった隆資が顔を上げる。
「麿は条件いかんにかかわらず和睦は反対じゃ。されど、朝議はさまざまな意見があってしかるべきもの。楠木には楠木の考えもあろう。その意見は表に出してやればよい。下の者の考えも汲んでやり、意見が出そろったところで、皆で決めればよいではありませぬか」
「反対と言いつつ、ずいぶん楠木に肩入れしているご様子。ならば他の者の意見も一様に聞いてやってはいかがか」
親房の問いかけに隆資は黙り込む。ともに幕府に対して強硬な態度を示す二人だが、その間には、ぴりぴりとしたものが走っていた。
取り纏め役の師基が、話を絞ろうと親房に視線を合わす。
「では、北畠准大臣殿は如何様にお考えか」
「麿にとって、この講和は単に時間稼ぎ。幕府に対し、真剣に我らが検討している姿だけ見せればよろしかろう」
師基が不思議そうに首を傾げる。
「はて、時間稼ぎとはどういうことでございますか」
「講和で幕府は滅びませぬ。麿には考えがあります」
親房の発言に、隆資は顔を持ち上げる。
「その話、聞かせていただきましょう」
隆資は親房に向いて居住まいを正し、改めて説明を促した。
正儀は、またも権大納言の阿野実村によって、穴生に呼び出される。阿野家の屋敷では、実村が弟の実為とともに待っていた。
「左衛門尉(正儀)、朝議の結果、和睦は見送りとなった。まことに残念じゃ。無念であろうが承知してくれ」
期待を込めて実村の言葉を待っていた正儀は、両肩を震わせる。
「な、なぜにございます。北畠卿(親房)が反対されましたか」
「北畠卿ばかりではない。洞院卿(実世)、そして四条卿(隆資)も反対された」
朝議の結果にふつふつと怒りが沸き立つ。特に隆資の名を過敏に受け止める。
「や、やはり四条卿は討幕のお考えでございましたか。それがしを勅使に御推挙いただきましたので、もしやと思うておりましたが……」
「もともと討幕論者じゃからな。ただ初めは無言を貫いておられたが、北畠卿の話を聞いて腹を決めたようじゃ。四条様が和睦反対に賛意を示されて、朝議は決した」
公卿たちの掌で踊らされていただけだったのか。実村の話に、正儀は憤りとともに虚無感を拭えなかった。
振り絞るように、声を上げる。
「き、北畠卿の話とは」
「幕府から京を取り戻す策じゃ。詳細は言えぬが」
正儀は、頑強で現実を見ない親房を、腹立たしく思う。
「そのような世迷言を信じられてはなりませぬ」
「麿もそう思うが、今となっては……ごほ」
突如、実村は咳き込む。弟の実為が駆け寄り、実村の背中をさすった。
「兄上様(実村)、大丈夫でございますか……楠木殿、兄は近頃、このように体調が悪い。すまぬが、今日はここまでにしてくれ」
承知せざるを得なかった。正儀は咳き込む実村を見ながら、無念な思いに包まれた。
阿野家の屋敷を出た正儀だが、収まらぬ怒りをどこにぶつけてよいかわからない。河内への帰り道、気付けば足は大納言、四条隆資の屋敷に向いていた。そして、その前までくると、我に戻って屋敷を見上げる。
しばらく前で思案する正儀であったが、思い切って門を潜った。
和睦案を蹴った隆資にとって、正儀は招かれざる客のはずである。しかし、すぐに客間に招き入れられた。
「左衛門尉(正儀)、よう来た。麿はそなたがたずねてきてくれたことがうれしいぞ」
隆資の言葉は偽りとは思えなかった。
「突然の御無礼、お許しください。どうしても大納言様におたずねしたき儀があり、こうしてまかりこしました」
「わかっておるぞ。朝議のことであろう。そなたには悪いが、和議には反対の立場をとらせてもろうた」
「なぜでございます。今の我らの力では、すでに幕府に抗うことはできませぬ。帝(後村上天皇)を京へお戻しするためには、和睦しかないでありませぬか。それがしは納得致しかねます」
正儀は隆資に、裏切られたような感情を抱いていた。
「左衛門尉、そなたは考え違いをしておるようじゃ。麿は当初から和睦には反対なのじゃぞ」
「そ、それは存じておりますが……」
自分勝手に隆資に期待していたことに、正儀は赤面する。
「……な、ならばなぜ、四条様は、それがしを勅使として推挙されたのでございますか」
これに隆資は、ゆっくり息を吐きながら小さく頷く。
「正直に申そう。麿は四條畷の戦の後、もう、我らの朝廷が力を盛り返すのは無理じゃと思うた。我らの朝廷はこの先、滅んでいくであろう。負け戦で京の朝廷に走った公家も多い。しかし、麿は京の朝廷に媚びてまで自らの家名を長らえようとは思わぬ。先帝(後醍醐天皇)も生きておれば同じであろう。さすれば、最後まで今上の君(後村上天皇)に尽くし、御上とともに滅んでこそ、先帝に報いることじゃと麿は思うておったのじゃ」
隆資の話に正儀は目を大きく見開く。
「なんと、大納言様は滅びることを前提の和睦拒否というのでありますか」
「いかにも。されど、思い直したのは、御上に対する左衛門尉の姿を見たためじゃ。麿は今の御上を通して先帝を見ていた。先帝ならこう考えるであろうと。しかし、今の御上がどのように考えているのか、左衛門尉とのことがあってから考えるようになった。もし、御上が幕府に頭を下げてでも京に戻りたいと思うのなら、それを妨げてはならんと思うた。それで、そなたを勅使に推挙した」
「そ、そうで、ございましたか……」
やっと正儀は、隆資の不可思議な態度に得心した。
「そなたにとって帝とは今の御上以外にあるまい。先帝を知らぬそなたによって気づかされたのじゃ」
「されど、御上の気持ちを汲んでなお、和睦が破綻になったわけは、如何様なことでございましょうや。それは北畠卿のお考えということでございますか」
静かに隆資が頷く。
「北畠卿には北畠卿のお考えがある。同じ和睦反対でも、麿と北畠卿は考えが異なる。卿は、あくまで幕府を葬ることを考えておいでじゃ。今の朝廷は北畠卿に抗うことは難しい。先般、足利直義に勅書を送ることができたのは、北畠卿の留守を狙ったからじゃ。此度はそうはいかぬ……」
正儀は言い返す言葉が見つからなかった。
「……左衛門尉、こらえるのじゃ」
隆資の言葉に、正儀は唇を噛んだ。
和睦の決裂は、神宮寺正房と河野辺正友によって京の幕府に伝えられる。二人は醍醐寺の一間で、二階堂行通と清浄光院房玄に対面した。
正房より朝議の結果が伝えられると、行通の顔がみるみる赤くなる。
「何と、あそこまで講和の条件を詰めていたにもかかわらず、断ってくるとは……慧源殿(足利直義)の顔に泥をぬられるか」
「申し開きもございませぬ」
「なぜ、穴生の朝廷は断られるのか。お聞かせ願いましょう」
幕府と穴生の間を仲介した房玄の刺すような問いに、正房は冷や汗を流す。
「わ、我らが聞かされておるのは、幕府の存続を認める和睦など認められない、というものですが……」
「それでは、端から和睦の話し合いをすること自体、無意味ではありませぬか」
怒りを通り越し、房玄が冷めた口調で呟いた。
「そ、そのようなことは……今一度、話をさせて頂きたく……」
答えに窮しながらも、正房は交渉継続の糸口を探ろうとしていた。
しかし、行通が怒りの矛先を向ける。
「楠木殿は結果を知りながら、我らをたぶらかしたということか」
暴言に、これまで発言を控えていた若い正友が、こらえきれずに割り込む。
「我が殿に限り、断じて左様なことはございませぬ。不信の念を抱くべき相手は穴生の公卿……」
「又次郎(正友)、止めておくのじゃ。言葉が過ぎる」
「将監様(正房)、こうなればよいではありませぬか。ことがほとんど決まりかけたのに、帝(後村上天皇)に奏上することなく、公卿の中に話をぶち壊した者がおります。帝の近くにいる奸臣を取り除くことこそが和睦の近道……」
「河野辺、止めよ」
制する正房に耳をかさず、正友が続ける。
「……幕府が穴生に向けて兵を挙げれば、きっと我が殿が先陣を務めるでしょう。ぜひ奸臣を取り除き、帝(後村上天皇)をお助けくだされ」
「又次郎っ」
正房は片ひざ付いて立ち上がり、感情的になる正友の胸元を掴んでうつ伏せに押し倒した。
「二階堂殿、申し訳けござらぬ。言葉が過ぎました。今のはお忘れくだされ。されど、楠木左衛門尉は真剣に和睦の道を探っております。そのことは信じてくだされ」
座り直して頭を下げる正房の隣で、正友はうつ伏して、肩を震わせていた。
二人のやりとりに声を失っていた行通が、なんとか言葉を見繕う。
「和睦は成らず……と慧源殿に伝えます。それと……和睦を真剣に望んでいたであろう楠木殿におかれては、さぞ無念であったであろうことも伝えましょう」
「何卒、よしなにお頼み申します」
正房は深く頭を下げた。その隣では正友が、ばつの悪そうな顔で両の拳を床に押し付け、頭を下げていた。
穴生では准大臣の北畠親房が、正儀をあざ笑うかのように謀を巡らせていた。手はじめに摂津の住吉大社に向かい、幕府方の赤松則祐と密会する。
赤松円心(則村)が亡くなった後の赤松家の家督は、嫡男の赤松範資が継いだ。しかし、いったん播磨国と摂津国の守護となるものの、一年あまりで範資も急逝する。続いて惣領は円心の三男、則祐が受け継いだ。則祐は赤松家の所領のうち、播磨守護を引き継ぎ、摂津守護は範資の嫡男、光範に継がせることで、一族の折り合いを付けていた。
宮司の屋敷で則祐と向かい合った親房は、一人の若者を紹介する。
「則祐殿、こちらが若宮様にあられます」
ゆっくりと顔を上げた法体姿の則祐が、感慨深げに若者を見つめる。
「おお、こちらが大塔宮様(護良親王)の……よう似ておられる」
「そなたが赤松則祐であるか、よしなに頼むぞ」
親房が則祐に引き合わせているのは、かの護良親王の忘れ形見、大塔若宮こと興良親王。この時、二十六歳であった。
【注記:『細々要記』には陸良親王とあるが、本作では興良親王と同人とし、興良の名で統一する】
興良親王の母は親房の親族の娘である。護良親王が非業の死にあった後、興良親王は先帝(後醍醐天皇)の養子として親王宣下を受けた。その後、関東支配のため、常陸国に下向した親房に迎えられ、旗頭に担がれる。その関東支配が失敗すると、親房とともに吉野山に戻った。その後も、楠木正行が亡くなった幕府軍との戦では、征夷大将軍として親房や橋本正高に奉じられ、和泉国の槇尾山施福寺に入っていた。
一方の則祐は、父、円心より護良親王の元に遣わされ、ともに生死の境を何度も潜り抜けた忠臣であった。
その則祐が目を潤ませる。
「それがしは、大塔宮様(護良親王)が亡くなってからも、片時も宮様のことを忘れたことはありませぬ。宮様の非業を防げなかったこと、自身を恥じております」
「うむ、その言葉、父もあの世で喜んでおろう」
堅い表情のまま、興良親王は、頭を下げる則祐に言葉を返した。
親房は、そんな則祐の態度にほくそ笑む。
「則祐殿、麿は大塔宮様のためにもこの動乱の世を終わらせたいと思うております。ともに協力をしようではありませぬか。それが宮様への供養になると存じます」
「北畠様は、それがしに何をせよと申されるのか」
「大塔若宮様を御預け致します」
「何と、それがしに……どういうことでござるか」
則祐は親房が何を考えているのかわからず、首をひねる。
「赤松殿は将軍(足利尊氏)からも信頼厚い守護大名。こうしてここに来られるのも、事前に尊氏殿に御相談のうえでありましょう」
「い、いや、そのようなことは」
「お隠しされずとも構いません、麿は全て承知したうえで、お話しております。尊氏殿には尊氏殿の考えがありましょう。さりながら、最後は赤松殿がどう思うかです」
親房は、意味深な事を言った後で、本題を語りはじめた。則祐は親房の話に息を呑んだ。
七月、突然、播磨守護の赤松則祐が、護良親王の遺児、興良親王を奉じて播磨に兵を挙げた。幕府に向けた挙兵である。
さらには、これに呼応するがごとく、佐々木京極道誉も近江で兵を挙げた。
将軍御所に、二階堂行通を連れて足利直義が現われる。直義は御所の取り次ぎを無視してどかどかと奥へと進んだ。
そこには、直義の和睦を受け入れた後、政の表舞台から遠ざかっていた足利尊氏の姿があった。
「それがしに相談なく、これはいかなることか」
直義は立ったまま、歯に衣を着せぬ口調で詰め寄った。
「直義ではないか。どうしたというのじゃ」
「どうしたというのは、こちらの言い分。何をされておる」
「見てわからぬか。近江に兵を挙げた道誉を、これより成敗しに出陣するところじゃ」
尊氏は側近に手伝わせて大鎧を身に着けていたところであった。
「兄上自らが出陣するというのか」
「そうじゃ。師直が亡くなってから、わしには動かせる将が減っておるからな」
軽く嫌味を返す尊氏に、直義は不信感を募らせる。
「ならば、それがしに御命じになればよろしいこと」
「馬鹿を申せ、いちいち、直義の顔色を窺ってやっておったのでは、将軍たる意味がない」
「それはおかしなもの言い。将軍たればこそ、それがしの顔色を気にすることなく、お命じくださればよい」
「命を受けても、出兵するかしないか、お前が決めていたのでは、将軍の威厳はないに等しい。そうじゃ、ついでに申しておくが、すでに義詮にも命じて、播磨の赤松討伐に向かわせる事とした。今頃、出陣しておる頃であろう。そなたは我らから出兵要請があるまで京で待ち、要請があれば、後から出陣を願おう」
「何、坊門殿も出陣するのか……」
直義は二の句を失う。
三条坊門第を居とした足利義詮は、直義が三条殿と呼ばれたように、坊門殿と呼ばれた。
「さ、わしは支度で忙しい。すぐにも出陣する。そなたがここにおっては邪魔じゃ。屋敷へ戻っておれ」
大鎧を付け終わった尊氏は、直義を無視して部屋から出て行った。
将軍御所より足利直義が帰った後、足利尊氏の元を訪ねてきた男がいる。
「よく参った、陸奥守」
武者姿の尊氏が迎えたのは意外にも細川顕氏である。三条坊門第を出た直義を自らの屋敷に匿うなど、直義の近臣中の近臣のはずであった。
「そなたが知らせてくれたとおり、直義は先ほど参った。そなたの意見を聞いて義詮を先に出陣させておいてよかった」
「滅相もございませぬ」
恐縮する顕氏に、尊氏が穏やかな表情を向ける。
「そなたは引き続き、直義の動きを教えてくれ」
「承知致しました」
「されど、直義に従ってわしに刃を向けたそなたが、今度はわしを助けようとするとはな」
「刃を向けたとは滅相な。それがしが戦ったのは、高師直にございます。常に考えているのは足利将軍家の先ゆき。将軍家の安泰を願うて、正しき方に御味方しております」
その言葉に尊氏は眉を動かす。
「その師直、わしにとっては腹心ぞ」
「あ、いや、それは……」
あわあわと顕氏は言葉を失った。
「まあよい。今は心強い味方じゃ。これで細川は、そなたと頼春という、頼もしき棟梁が二人になったな」
尊氏は顕氏の従兄弟、細川頼春を引合いに出した。
兄の細川和氏引退後、細川家の実質的な惣領である頼春は一貫して尊氏に従っており、信頼される忠臣である。もともと、顕氏が足利直義に近づいたのも、この頼春への対抗心からである。
尊氏はそんな顕氏の心を読んでいた。
「頼春に劣らぬはたきを期待するぞ」
「はっ」
顕氏は掌に汗を滲ませ、畏まった。
一方、将軍御所から自邸に戻った足利直義は、釈然としない思いが募っていた。
部屋に入るや否や二階堂行通が口を開く。
「慧源様、これは何やら罠ではありますまいか……京極、赤松は、将軍と図って兵を挙げたということは考えられませぬか」
直義は、上座に腰を落としながら、無自覚に爪を噛む。
「その方もそう思うか……」
「近江征伐に行った将軍(足利尊氏)が京極勢を糾合し、そして播磨に出陣した坊門殿(足利義詮)が赤松勢を加えて、反転して京の我らを挟み撃ちすれば、ひとたまりもありませぬ」
「十分に考えられることじゃ。ううむ」
潮目が変わった。一言で理解するなら、そういうことであった。それは月の満ち欠けと同様、直義にはどうすることも出来ないことであった。
行通は、思案する直義を追い立てる。
「ここは、いったん京を離れるべきではありませぬか」
「実は、わしもそれを考えておった。いったん越前の金ヶ崎城に向かうか」
「越前であれば、後ろに桃井刑部大輔(直常)が控えております。将軍も手を出されないでしょう。よき策かと存じます」
「うむ、さっそく用意をするとしよう」
直義は、行通とともに、ただちに兵を纏めて越前へ向かった。
ここは近江。幕府に対する反乱の兵を挙げた佐々木京極道誉の陣中に将軍、足利尊氏が現れる。
ざわつく諸将を尻目に、なに食わぬ顔で一番上座の床几に腰を下ろした。
「将軍、慧源殿(足利直義)は兵を纏めて越前に向かいましたぞ。感づかれましたな」
道誉の指摘にも、尊氏は残念がる様子はない。
「幼き時から聡い奴じゃったからな。さすがは直義じゃ」
「で、どうされます」
尊氏は顎に手を当てる。
「ふむ、京を留守にして越前に兵を出すわけにはいかぬ。南軍が動くであろうからな。ここは北畠親房の策に乗ろうではないか」
「北畠卿……大丈夫ですかな。相当な狸ではありませぬか」
「狸はここにもおるではないか」
そう言って、尊氏は道誉の顔を覗き込んだ。
「それがしと一緒にしてもろうては困る。こう見えても、将軍を一度たりとも裏切ったことはござらぬぞ」
「あっはは。そうであったかのう。まあ、わしとて北畠卿は信用しておらぬ。穴生の欲しいものさえ約束してやれば、北畠卿は大人しくしておるであろう」
「欲しいものとは……」
「うむ、いつかはせねばならぬと思うておったことじゃ」
聞き返す道誉に、尊氏はそう言って遠くに目をやった。
足利尊氏は近江から、足利直義が去った後の京に戻った。そして、さっそく大塔僧正忠雲を使者に立て、穴生に遣わせた。
南朝の行宮に参内した忠雲は、頭中将、中院具忠に奏上する。
「征夷大将軍、足利尊氏殿は、これまでの非礼を詫び、穴生の帝(後村上天皇)に帰参致したいとのことでございます。つきましてはこれをお許しいただき、足利直義・直冬親子追討の御綸旨をいただきたいと申しおります。何卒、この忠雲の顔を立てて、尊氏殿の願いを叶えてやってはいただけないかと思いまする」
具忠はいったん承ってから席を外し、しばらくの後に再び現れる。
「帝の御言葉です。奏上の旨はようわかった。公卿と朝議をはかり決裁のうえ、また改めて伝えよう、とのことでございます」
具忠が帝(後村上天皇)から聞いた言葉を忠雲に伝えた。あらかじめそのように答える事は決まっている。一つの儀式であった。
「ははっ、何卒、よしなにお願い申し上げます」
忠雲は深く頭を垂れて、行宮を下がっていった。
これを受けて、さっそく廟堂に公卿が集まり朝議が行われた。もちろん北畠親房が主導して尊氏の帰参は認められる。また、忠雲との和睦の交渉を親房が行うことも決裁された。
朝議の後、親房は廟堂に一人残り、意味ありげに笑みを浮かべる。
「足利尊氏、ついにかかったのう。ほほほ」
廟堂に親房の高笑いが響いた。
蚊帳の外の正儀は、穴生から何も知らされないまま、河内・和泉国の、幕府方の豪族たちの制圧を続けていた。
特に和泉国は、足利尊氏派の日根野時盛、足利直義派の淡輪助重と田代基綱、南軍としては楠木一門の和田正武と橋本正高、楠木に与力する美木多助氏が激しく城を奪い合う三つ巴の激戦地であった。
しかし、淡輪助重が足利直義に従って南朝に帰参したために、直近では南朝側が優位に立ち、日根野時盛を責めていた。
正儀は、七月二十五日に和田正武・美木多助氏、そして淡輪助重の加勢も得て和泉国大鳥の陶器城を攻略。八月四日には橋本正高が美木多助氏と淡輪助重の力を借りて、和泉国の土丸城を攻め立てていた。そして正儀自身は、日根野の本領を落すため、和泉に造った佐野城に布陣した。
「兄者、それではそれがしは美木多助氏殿と一緒に籾井城に入り、日根野時盛の本貫を落す所存」
「四郎、そなたは初陣から間がない。焦って功を急いではならんぞ。万事、助氏殿の差配に従うのじゃ」
「わかっております。兄者はここでよい知らせをお待ちください」
正儀の異母弟、楠木四郎朝成は、颯爽と騎馬で出陣した。
津田武信が笑みを正儀に向ける。
「四郎殿も、つい数か月前に初陣でしたが、頼もしくなりましたな」
「そうじゃな、色もすっかり黒うなって」
「それにしても、弓矢の腕前はなかなかでございます。とても都育ちとは思えませぬ」
「うむ、四郎は父の名に恥じぬようにと、幼き頃から毎日、弓馬の稽古に励んできたようじゃ」
「もう少し経験を積めば、一廉の武将となりましょう」
そういう武信の言葉に、正儀は少し顔を曇らせる。
「三郎様(正儀)、いかがなされました」
「四郎は京育ちゆえ、歌を詠み、歌舞音曲にも通じておる。戦の世界に巻き込んでしもうたのが、はたして四郎にとってよかったのか……」
「三郎様、お気に召されるな。四郎殿はご自身の意志で河内に来られたのです。そのまま京に居っても公家にはなれませぬ」
「うむ……」
武信の言葉を受けて、正儀は無理に自責の念を飲み込んだ。
九月末、その朝成は助氏らに支えられ、日根野時盛の本領を落し、和泉国南部を平定する。正儀らの活躍で、四條畷の戦い以降、幕府側に侵食されていた河内・和泉の両国は、再び、南朝優勢の状況が作られた。
十月二十四日、紅葉がもっともその色合いを濃くする頃、和泉国を平定し、楠木本城に戻っていた正儀の元に、右近衛少将、阿野実為から書状が届いた。
「兄者、書状には何と」
書状に目を通す正儀に、舎弟の楠木朝成が待ち切れずにたずねた。正儀は、広間で橋本正茂、神宮寺正房、津田武信、河野辺正友らに囲まれていた。
読み終えて、正儀は深く長い息を吐く。
「帝(後村上天皇)が足利尊氏の帰参を御認めになり、足利直義・直冬親子の追討を命じる綸旨を与えたとのことじゃ」
「な、何と。今度は尊氏の側について、慧源殿(足利直義)の追討とは……朝廷はこうまで節操のないものであったか」
怒りを露にする朝成の隣で、和睦に向けて働いた正房も憤る。
「これでは、我らの苦労が報われぬ。北畠卿(親房)は、幕府を認めぬと言われた。言うこととやることが異なるではないか」
「結局は、ご自分が取り纏めたかっただけということじゃ」
正友が吐き捨てるように言うと、武信も色を成して頷いた。
しかし、当の正儀は気色ばむどころか、色を失っていた。
「書状には、穴生の帝に対する幕府の降伏と、さらに……京の帝(崇光天皇)を持明院の皇統ごと廃止し、我らが帝の皇統のみ先々継承することを認めさせたと書いてある」
「何っ、持明院の皇統を廃止……」
思いがけない和睦の条件に、朝成は驚き、一同も言葉を失い沈黙した。
「我らでできなかったことを、北畠卿はやったということじゃ。これでは我らは文句を言えん」
正儀は、親房との実力の差を思い知った。
だが、武信が不服そうな顔を向ける。
「されど、幕府は残ります。北畠卿は討幕を望んでいるのではなかったのですか」
「北畠卿は、幕府の存在をなくすことを、必ずしも目的とはしておらぬようじゃ。これは四条卿(隆資)から聞いた話じゃ。北畠卿は幕府が朝廷の命に従い、その範囲の中で存在する分には構わぬという持論を持っておられる」
正友が首を傾げる。
「それは、我らの理想とするところでもありますが……されど、守護の力をそのままに幕府が武士を統率することに、四条卿(隆質)は危惧していたのではありませぬか」
「確かにその通りじゃ。だが、四条卿も特に反意を示されてはおられぬ……ううむ、北畠卿はさらなる何かを考えておいでなのか……」
正儀は、親房に得体の知れぬ恐ろしさを感じた。
十一月四日、季節のうつろいは早い。色鮮やかだった紅葉が、はや、枯れ色に変わっていた。
帝(後村上天皇)より足利直義追討の綸旨を得た足利尊氏が、軍を率いて東国に下る。下向に際して尊氏は、准大臣の北畠親房に、南朝の兵を動かさないよう、約定を取り付けていた。
一方、越前に逃れていた直義は、この頃、すでに反尊氏の勢力を糾合して鎌倉に入っていた。
今まさに、足利兄弟の雌雄を決する戦いが始まろうとしていた。