第14話 正行出陣
正平二年(一三四七年)六月。日差しを強めた太陽が、天空に穹蒼を作り、南河内の山々を万緑で覆いつくす。すっかり夏色に染まった楠木館も、初鳴きの蝉の声に包まれていた。
吉野山から戻った正儀は、長兄、楠木正行に報告しようと、館の中を探した。しかし、姿は見えない。
今度は庭に出て、弓の鍛錬をしていた次兄、楠木正時の元に歩み寄る。
「二郎兄者、太郎兄者はどこへ行ったのじゃ」
「何じゃ、知らぬのか。北畠卿(親房)からの呼び出しで、吉野山の行宮に行ったぞ……」
正時は、顔だけ振り向き、蝉の声にも負けない大きな声を返す。
「……そういえば三郎、昨日帰って来なかったか。どこへ行っておったのじゃ」
「ああ、まあ、ちょっと」
言葉を濁しながら背中を向ける。
(入れ違いになったか)
早く正行に報告しようと、歩き詰めで戻ったところである。正儀は、はあぁと溜めた疲れを吐き出しながら再び館に入った。
吉野山に到着した楠木正行は、行宮としていた金輪王寺に参内していた。
暑気が澱む廟堂には、准大臣の北畠親房と大納言の四条隆資、それに権大納言の洞院実世といった面々が居並ぶ。
束帯を着て垂纓冠を被った正行は、公卿たちから少し間を空けて、廟堂の下座で頭を下げた。
北畠親房が、扇でゆっくりと風を取り込みながら口を開く。
「河内守(正行)、此度、御上(後村上天皇)より討幕の綸旨を賜った。そなたは、ただちに兵を集め、近隣の敵を平らげよ。御上が京へ入るための露払いをいたすのじゃ」
廟堂では、すでに討幕の兵を挙げることが決していた。親房が洞院実世とともに、右大臣、二条師基を説き伏せたためである。
頭を下げて拝聴していた正行は驚き、思わず顔を上げる。
「恐れながら申し上げます。出陣は、今しばらくお待ちいただく方がよろしいかと存じます」
すると、四条隆資がじぃっと視線を向ける。
「それはなぜじゃ」
「それがしが京へ放った透っ波によると、幕府の諸将は己が欲のため、競って副将軍の足利直義か、執事の高師直に近づき、その威光で地位と領地を得ようとしておりまする……」
その挙げ句、直義の命を受けた畠山国氏と、師直の意向を受けた吉良貞家が、奥州総大将に代わる統治者として、競って奥州に入るという事態も生じていた。
「……尊氏が政を舎弟の直義へ放り投げ、一方で師直を重用するほどに、諸将の欲と不満は膨れ上がり、争いが生じるのは必定。いずれ幕府は内側から脆さを露呈することでしょう。我らは、そのときを待って討幕すればよろしいかと。しからば今は、戦の備えを進め、近隣の諸将を味方に引き入れることにのみ、注力すればよいかと存じます」
筋の通った意見に、隆資はなるほどと頷く。
だが、洞院実世は顔を歪ませる。
「内側から脆さを露呈……それはいつのことじゃ。明日か、一年後か、はたまた十年後か。希望を唱えるだけであれば、誰でも言えるわ」
続いて親房も蔑んだ目を正行に向ける。
「河内守、そなたは御上の威厳について考えたことがあるか」
答えを伏せた問い掛けに、正行は戸惑う。
「威厳とは」
「京を離れた帝というのは、日増しに威厳も薄れていく。帝は京の内裏に居てこそ、その威厳は保たれるのじゃ。無理をしてでも、早く京へ還幸する必要がある。でなければ、衆は御上を敬う存在として見なくなる」
親房が意図することは理解できた。しかし、一族の多くを湊川で失った正行には、棟梁として一族を守る責任もある。周到に勝てる支度をして戦に臨む事こそが、父、正成の本意であろうと思っていた。
諦めずに正行は食い下がる。
「幕府が内から揉めるのは、そう先のことではございませぬ。今、我らが討幕の狼煙を上げれば、逆に幕府諸将の結束を促し、手強い敵となりましょう」
抗弁に、実世は眉間に皴を寄せる。
「河内守、臆したのか」
「いえ、決してそのような事はございませぬ。時機がくれば、必ずや、我が楠木党の力をお見せ致しましょう」
そこは武士の面子である。正行は、きっと口元を引き締めて自信を見せた。
すると親房が苛立ちの表情を見せる。
「今がそのときなのじゃ。御上の綸旨は元には戻らん。早々に河内に戻り、出陣するがよかろう」
親房は立ち上がり、実世とともに廟堂を下がって行った。
二人を呼び止めようと、思わず身を乗り出す正行を、一人残った公家大将、四条隆資が制する。
「河内守、そちの考えはわからぬではない。ただ、還幸を願っているのは御上も同じなのじゃ。まずは討幕の旗を上げ、幕府を揺さぶる事から始めてはどうじゃ」
武士に同情的な隆資は、正行を諭してから下がって行った。
楠木正行は、もう、決心せざるを得ない。誰も居なくなった廟堂で、深く息を吐いて一人佇んだ。
「河内守様、その節はありがとうございました」
振り向くとそこに居たのは、弁内侍(日野俊子)であった。
「これは内侍様、三郎(正儀)に粗相はありませなんだか」
「御舎弟殿には本当にお世話になりました」
「いえ、礼を言われるほどのことではありませぬ。では、これにて」
立ち上がった正行は、軽く頭を下げてから背中を向けた。
「御出陣が決まったと聞きました。御武運をお祈り致します」
声をかけた弁内侍に、正行は再び振り向いて、無理に作った笑顔を見せて、深く頭を下げた。
その日の夜のことである。急ぎ楠木館へ戻った楠木正行は、舎弟、正時・正儀だけでなく、母の久子、妻の満子らも館の広間に集めた。
ゆらゆらと揺れる燭台の灯りが、正行の表情を険しそうに煽る。
「ついに討幕の綸旨がくだされた。楠木党は出陣の時を迎えた」
「そうか……されど、よいではないか兄者。わしらはもうこどもではない。湊川で父上(楠木正成)が亡くなってから十一年じゃ。そろそろわしら、若い楠木の力を試す時じゃ」
兄の心情を察した正時は、強がってみせた。
しかし、満子は不安げな表情を見せる。
「戦は武士の習い。わたくしも武家に生まれ、武家に嫁ぎましたゆえよくわかっております。ただ、この子のためにも、決して命を粗末になさらぬよう、お約束くだされ」
そう言って、侍女の福が手に抱いた多聞丸を正行に抱かせた。
「おお、よく寝ておるな……うむ、約束じゃ」
そう言って顔を上げた正行は、多聞丸を満子に預けながら、弟たちに顔を向ける。
「二郎、三郎、すぐに一族一門を集めよ。軍議を開く」
「承知」
兄の命に、正時は力強く応じた。
久子は、末子の正儀までもが挙兵の渦中にあることに、長く静かな溜息をつく。
「平穏な日々は長くは続かぬものですね」
「母上、我らが勝てば、また平穏な日々が戻ります。心配されるな」
そんな母の様子を見て、正儀が気遣った。
楠木正行による軍議の呼びかけに、一族一門が楠木本城(上赤坂城)に集まった。
広間に座したのは楠木正家と、美木多正兄・正朝兄弟といった従兄弟たち。他にも、河内目代の橋本正茂、和泉守護代の大塚惟正、神宮寺正房といった重鎮たち。もちろん、家宰の恩地左近満一に、正儀の近習、津田武信と河野辺正友の姿もある。
和泉国からは、南郡の和田党を率いる和田正武と、日根郡の橋本党を率いる橋本正高が来ていた。さらに一門以外では、大鳥郡の与力衆、美木多助氏の姿もあった。
「偽院宣を仰ぎ洛陽を我が物とせしむ足利尊氏を討伐の事、武家に仰せ遣わされ給う旨……」
一同を前にして正行が立ち上がって、帝(後村上天皇)の綸旨を読み上げた。
すると従兄弟の正兄が、待ちかねていたかのように身を乗り出す。
「多聞の兄者、わしは戦が楽しみじゃ。やっと父上(正氏)の仇が討てる」
幼い時から正儀らと兄弟にように育った正兄は、今でも正行のことを多聞の兄者、正時のことを持王の兄者、そして正儀を虎と呼ぶ。
上座で腰を落としながら、正行が正兄に目を向ける。
「私情を挟めば戦には勝てん。そのようなことでは戦に連れて行くことはできぬぞ」
「す、すまぬ、多聞の兄者」
幼き時から兄として敬慕する正行に、正兄は頭が上がらなかった。
「さて……」
年長の従兄、正家が、腕を組みながら軍議を進める。
「……いかに兵を挙げるかじゃが」
「我らが北へ進むには、まず背後の憂いをなくさねばならん。手はじめに、紀伊岩倉城の隅田を攻めようと思う」
絵地図を広げた正行が、岩倉城を指し示した。
神宮寺正房がなるほどと頷き、恩地満一に顔を向ける。
「楠木の本軍としては、兵をいくら集められようか」
「ううむ、今は与力衆を含めて三百がやっとというところ」
続いて一門の和田正武と橋本正高も指を折る。
「和田党は七十といったところじゃ」
「橋本党も同じでござる」
これに、和泉守護代の大塚惟正が頭を掻く。
「我らの兵を加えて五百といったところか。心許ないな」
「ないものは仕方ない。これでどのように攻めるかじゃ」
そう言って、絵地図から顔を上げた正時が、上目使いに皆の顔を見渡した。
すると、目が合った橋本正茂が腕を組んで、ううむと唸る。
「不意を突くしかあるまい。静かに岩倉城に取り付き、一気に旗をあげる。籠城に持ち込まれないようにせねば……」
「そうじゃな。籠城されて時を稼がれては、我らが幕府に囲まれることになる」
閉じた扇で、正家が絵地図に書かれた岩倉城の周りをぐるりと示した。
正儀は一人、話に加わるでもなく、終始無言で絵地図を見つめていた。
「どうした、三郎(正儀)。わからぬことでもあるか」
兄、正行に問われて正儀が顔を上げる。
「どうやって敵に籠城されぬよう岩倉城に取り付くか、考えておりました」
「ほう。それで何か考えがあるか」
興味深かそうに正行は、末弟を促した。
「敵が我らを侮って、討って出てきた隙に、別隊が城を奪い取るというのはどうでしょう。城を奪えば籠城は出来ませぬ」
にやりと笑った正行が、満足そうに頷く。
「うむ。よい案じゃ。では、楠木本軍から搦手の兵を割いて、千早峠から五條へと進ませておこう。残った本軍はわざと目立つように紀見峠を越えて紀伊に討ち入らせば、隅田勢は小軍と侮って討って出てくるであろう……」
そう言いながら、正行は傍らの算木(駒)を手に持つ。
「……手薄になった岩倉城は、和田党と橋本党合わせて二百騎で西から攻め落としてもらう。さすれば、隅田勢は慌てて引き返すであろうから、そこを楠木の搦手軍が側面から襲う。さらに、混乱する敵兵を背後から楠木本軍が襲う」
正行は、絵地図に算木(駒)を並べながら、正儀のひらめきを、軍略として鮮やかな組み立てた。
一門衆の和田正武が大きく頷く。
「うむ、太郎殿(正行)の策に賛成じゃ」
「よし、それでは搦手軍は二郎(正時)を大将に、助氏殿らの与力衆にお任せする。皆、よいな」
「おう」
出陣の下知に、諸将から気勢が上がった。
自らの献策が兄、正行に認められた正儀は、顔をほころばせる。そして、献策をすぐに具現化し、諸将を取り纏める兄を、心底、尊敬した。
八月十日、赤坂に朝露が降りたこの日、ついに楠木党は出陣を迎える。楠木本城の麓には、鎧の擦れる音を響かせて、およそ百騎が集まっていた。ここを出立して嶽山で残りの兵と合流する手筈である。
楠木正行はここ十年、和田正武らと諮って騎馬の育成に注力していた。将来、京へ攻め上るためには、平地で戦う事は避けて通れない。籠城して敵を翻弄する悪党戦術だけでは、坂東武者に勝てないと判断したからである。そこで、駿馬を集め、騎馬戦を徹底して訓練し、坂東武者にも劣らない騎馬隊を作り上げていた。
すでに和田正武と橋本正高は、騎馬二百騎で、和泉国から密かに鍋谷峠を通って紀伊へと先発していた。
これまで戦の面から楠木を支えてきた和泉守護代の大塚惟正は、軍目付として和田・橋本党に帯同していた。一方、同じく楠木を支えてきた河内目代の橋本正茂は、棟梁の正行に采配を委ね、自らは留守居役として東条に残ることにしていた。
正儀は初陣に武者震いしていた。
「虎(正儀)、緊張しておるのか」
その声に正儀が振り返ると、頭を丸めた美木多正兄が、弟の正朝を連れて立っていた。
「そ、その頭、どうしたのじゃ……」
「我ら兄弟、出陣に際して出家した。わしの法名は賢秀じゃ。これより、新発意賢秀と呼んでくれ」
丸めた頭に手をやって、正兄はにやりと笑った。
「同じく、新発意賢快じゃ」
弟の正朝も兄の真似をして頭に手をやった。
新発意とは仏門に入って間もない者のことである。
「われら兄弟、この世の未練をなくしてここに来た。これで、いつ死んでも、大丈夫じゃ」
そう言って賢快となった正朝が白い歯を見せた。美木多兄弟の決意を聞いて、正儀も出陣に向け腹が座った。
久子は正行の前で、多聞丸を抱いた満子と、侍女の清、福とともに出陣を見送る。
「皆の御武運をお祈りします」
久子らは武家の女として気丈夫に声を掛けた。
「では母上、行って参ります……皆の者、出陣じゃ」
棟梁、正行の下知で楠木党百騎が楠木館を出立した。そして、嶽山で兵を加えて三百騎となった楠木軍は紀伊に向けて南進する。
正時が率いる搦手軍は、途中で別れて千早峠に向かう。一方の正行が率いる本軍は、搦手軍を先に進ませるために、鐘や太鼓を鳴らしながら、ゆっくりと紀見峠に進んだ。正儀は本軍の正行と行動をともにした。
所は変わって京の都。将軍御所である鷹司東洞院第では、征夷大将軍の足利尊氏を上座に、その下手には副将軍の足利直義と、執事の高師直が向かい合うように座っていた。三人は、侍所頭人で、河内・和泉両国の守護でもある細川顕氏を呼び寄せて、南朝の動向を協議していた。
「何やら吉野方が戦の支度をしているという噂があるようじゃが」
「いかにも。それがしが掴んだ話では、刀や薙刀を買い揃え、京から甲冑師を呼び寄せて具足(甲冑)を修繕しているという噂でござる」
直義の問いかけに、頷きながら師直が応じた。
しかし、下座に胡座をかいた顕氏が鼻で笑う。
「今更、吉野の帝(後村上天皇)に何ができるといえましょう。今や吉野に従う武士といえば、越智や湯浅など土豪に毛が生えたようなもの。楠木も、それがしが東条に攻め込んで嶽山の城(龍泉寺城)を落とし、美木多判官(正氏)を討ち取った。楠木はすでにないも同然でござる」
軽口を叩く顕氏に、師直がぎろりと目を向ける。
「兵部少輔(顕氏)、ちと、甘く見過ぎであろう。嶽山は、その後に奪い返されたのを忘れたか」
「あれは奥州勢を迎え撃とうと、天王寺に兵を集めた隙に、楠木に奪い返されたのじゃ。戦って負けたわけではない」
「されど、そうまでしても、天王寺で南軍に負けておるのじゃぞ」
北畠顕家の二度目の上洛を、四天王寺で迎え撃った顕氏であったが、善戦空しく敗北する。直後に、顕氏を助けて四天王寺から奥州軍を追い払ったのが師直である。その二か月後には、北畠顕家を討ち取り、師直は大いに名を上げたのであった。
「ふん、奥州勢とは比べるまでもない。楠木など、ものの数ではないわ」
顕氏はむっとして吐き捨てた。
そんな顕氏の態度に、万事、鷹揚な尊氏でさえ眉をひそめる。
「十年も経っておるのじゃ。正成が嫡男も一廉の武将に成っておろう。正成の血を引いておれば侮れぬやも知れぬ」
「将軍、さほど戦の経験もない小童です。何の恐れることがありましょうや。もし楠木が討って出て来ようものなら、それがし一人で打ち負かせてみせましょうぞ」
慢心する顕氏に尊氏はふうっと小息を吐く。
「顕氏が河内・和泉の守護じゃ。それほどに自信があるなら、そなたに任せよう」
「ははっ、お任せあれ」
尊氏の命に、顕氏がどんと胸を叩いて応じた。
しかし、師直は首を傾げる。
「将軍、兵部少輔(顕氏)だけで大丈夫でありましょうか……あ、いや、失敬。兵部少輔は御一門の中では一番の戦上手でございましたな。は、は、は」
細川家は、遠祖が足利家から別れた血縁のある家臣であり、一方、高家は代々、足利家の執事を務める家臣で、縁戚ではない。
師直の皮肉を聞いて、顕氏以上に副将軍の直義が激怒する。
「口を慎め、師直。これまで、高一族のみが戦で功を立てたようなもの言い、許さぬぞ」
これに師直は、肩をすくめてから頭を下げる。
「これは失礼を致しました」
その軽く舐めた態度に、直義はさらに怒りの表情を見せた。
そこに、師直の舎弟、高師泰が広間の縁に現われて、ひざを折る。
「失礼つかまつります。火急の知らせにございます」
「どうした。申してみよ」
直義の小言に辟易としていた師直は、一同の気を逸らすべく、弟に報告を催促した。
「紀伊の隅田党が拠点とする岩倉城が、吉野方(南朝)に落とされました。敵は菊水の旗を掲げた楠木です」
師泰の言葉に、尊氏は唖然として直義と顔を見合わせた。
すると直義が師泰を問い詰める。
「攻め落とされたとはどういうことじゃ。一日でか」
「はっ。紀見峠から南に侵攻した楠木を迎え撃つため、隅田軍が出陣しました。すると、その隙を狙って楠木の別隊が岩倉城を占領。驚き戻る隅田を伏兵が急襲。そこへ南進した楠木軍との挟み撃ちにあい、その日のうちに降参したようにございます」
直義は眉間にしわを寄せる。
「何と……楠木軍の数は。大将は誰じゃ」
「楠木は総勢五百騎。大将の名乗りを上げたのは、楠木正成が嫡男、楠木帯刀(正行)とのことでございます」
興奮気味に一報を伝えた師泰に向け、尊氏は口元を緩ませる。
「鮮やかな戦振りじゃ。やはり、楠木の子は楠木か、わはは」
一方、師直は不敵な笑みを浮かべて顕氏に目を向ける。
「ではここは、我らも戦上手の兵部少輔(顕氏)にお任せしよう」
「わかっておるわ。たかが五百の小童など、ひねり潰してくれよう」
改めて尊氏に向き直した顕氏が、両方の拳を床に付ける。
「楠木討伐、この兵部少輔にどうか、お任せあれ」
尊氏と直義の命を受け、顕氏はただちに楠木討伐の準備に入った。
さっそく細川顕氏は河内に入ると、配下の秋山四郎次郎に命じて、池尻城へと向かわせた。秋山は八尾城を守備する幕府方の河内守護代である。池尻城は、河内国東条の楠木党と、和泉国の和田党や橋本党の、何れを牽制するにも都合のよい地であった。さらに顕氏は、細川の本国である四国から兵を呼び寄せ、船で堺浦に向かわせた。
八月二十四日の夜明け前。秋山四郎次郎が兵を率いて池尻城に入ってから、二日後のことである。
「えい、えい」
「おう」
「えい、えい」
「おう」
見張りの兵を残し、眠りについていた四郎次郎は、早くも明けようとする夏の朝空に響き渡った鬨の声に叩き起こされる。
「何事か……」
驚いて近習とともに陣屋の外に飛び出した。
明け方の白む空の下に、無数の、はためく旗が見える。菊水の紋様であった。
秋山勢が騒然としていると、
――びゅぅっ――
楠木の陣営からはいっせいに矢が射かけられた。これに、四郎次郎の顔はみるみる青くなる。
池尻城を取り囲む楠木軍では、正儀が額に手を当て、城の中を凝視していた。
「太郎兄者、城の中は浮足立っておるようじゃ」
ふふんと、正儀は得意気に鼻を鳴らした。
「よし、手筈通り、討ち入って敵を蹴散らせ」
楠木正行の下知で、楠木の兵たちがいっせいに城の中に駆け込んだ。正儀も近習の津田武信、河野辺正友とともに馬に跨り、後に続く。
秋山勢は慌てふためき、撤退しようと城の北へと向かうが、すでにそこには、楠木正時が兵を率いて待ち受けていた。
しかし、正時は兵を東西に割って中央を空ける。逃げようと必死で迫る敵を相手にしては、自分たちも犠牲を増やしてしまうからである。
道を開けた楠木軍を訝しがる余裕もなく、秋山勢はその間を北へ向けて敗走していった。
直後、正時が手筈通り、騎馬隊を指揮してこれを追撃する。そして、背後から秋山勢を散々に討ち取った。
池尻城を脱出した秋山四郎次郎は、ほうほうの体で、幕府方の河内守護、細川顕氏が陣を張る四天王寺に駆け込んだ。
わさわさと浮き足立つ敗走兵と、うなだれる四郎次郎を前に、顕氏が苦虫を噛み潰す。
「くそ、楠木の小童は、それほどまでに手強いか……」
顕氏は、高師直の前で大見え切ったことを後悔する。
「殿、いかがなされますか」
近臣に問われると、奥歯を噛んで口を歪める。
「ううむ……この上は仕方がない。三条殿(足利直義)に援軍を願い出て、多勢で一気に息の根を止めてくれよう」
忌々《いまいま》しそうに顕氏は、近臣に三条坊門第へ早馬を送るよう命じた。
京、三条坊門の屋敷で知らせを受けた副将軍の足利直義は、ただちに将軍御所に出向いた。
そして、近習の取次を無視して将軍、足利尊氏の執務の間に入る。そこには尊氏とともに、無愛想な表情で座る執事の高師直もいた。
内心、しまったと思う直義であったが、帰るわけにもいかない。そのまま、尊氏の前にどかっと座る。
「騒々しい。どうしたのじゃ、直義」
「楠木討伐で池尻城に入った守護代の秋山が、楠木の強襲を受けて天王寺の細川本陣へ退いた。兵部少輔(細川顕氏)は、楠木を一気に叩き潰さんと、援軍を求めてきておる」
直義の報に、師直は自然と口元が緩む。
「此度は、兵部少輔の戦と思うておりましたが、大将(顕氏)が戦わぬうちから、はや、援軍を要請とは。戦上手の少輔としては、いったい如何したことか」
「戦が長引けば兵部少輔だけの問題では収まらぬようになる。幕府の威厳が落ちて、吉野へ味方する武士も出てくるであろう。ここは、万が一のことも考えて、大軍で確実に楠木を叩くことが肝要じゃ」
むっとして応じる直義に、師直は、笑いを噛み殺しながら姿勢を直す。
「戦のことは、将軍(尊氏)が決めること。それがしは、執事として、ただ従うまでのことでござる」
しおらしく頭を下げた師直に、直義は、それなら初めから余計な事を言うなとばかりに睨み返した。
そして、改めて尊氏に身体を向ける。
「兄上(尊氏)、兵部少輔を助けるためではない。幕府の威厳を保つためじゃ。援軍を送ってくれ」
「無論じゃ。顕氏とて大事な家臣よ。畿内の武士を送ろう」
「すまぬ、兄上」
これまでの経緯をさして気にする素振りも見せず、尊氏は二つ返事で軍を送ることを決めた。
与力衆として、佐々木氏頼、赤松円心の嫡男、赤松範資らが細川顕氏に与えられた。氏頼の佐々木家は六角家とも呼ばれ、京極家とも呼ばれる佐々木道誉の本家筋にあたった。さらに尊氏は、四国、中国、畿内の武士、総勢三千余騎の大軍を、大将の顕氏が布陣する四天王寺へ差し向けた。
九月九日の朝、楠木正行・正時・正儀の三兄弟の姿は、龍泉寺城がある嶽山の麓にあった。
城への登り口にある館の前には、隅田討伐の時の倍の兵が集まっていた。楠木党の活躍に、近隣の国人らが、与力衆として加わったからである。
「我らの戦はこれからが本番ぞ、いざ、敵を平らげて、主上(後村上天皇)を京へ御戻しするのじゃ」
「ううおぉ」
正行が突き上げた拳に、正儀らの気勢が重なった。
楠木党は、ここから八尾に向けて出陣した。
途中、和泉の和田党や橋本党が合流し、大和川を渡る頃には、総勢千騎となっていた。
大和川まで南下して楠木軍の動きを見張っていた守護代の一族、秋山彦六は、北進する楠木軍を目にすると、慌てて東高野街道を北に退却して八尾城に立て籠もった。
その八尾城を前に正行が、進軍を止める。
「三郎(正儀)、今度は幕府も本気で我らを討伐しにくるであろう。本当の戦はこれからだと思え」
そう言って、馬の轡を並べた正儀に顔を向けた。
「承知。それがしも一軍を率い、手柄を立てます」
正儀が決意を口にすると、正行は首を横に振る。
「いや、三郎はわしの傍で、戦の采配をよく見ておくのじゃ。よいな」
兄の顔はいつになく険しいものであった。将来のために、正儀に戦の手解きをしようとしていた。
正行は、楠木正時と与力衆の美木多助氏を八尾城の南に進ませ、自らは本軍を率いて高安山の麓、教興寺に陣を張る。少し小高い場所に建つ寺からは、西に、秋山勢が籠る八尾城がよく見えた。
それから数日、楠木軍は八尾城の秋山彦六と睨みあったまま動かなかった。
「太郎兄者(正行)、なぜ城を攻めぬのじゃ」
「敵の動きを見極めておる。八尾城の救援に駆け付けたのは、城の北に陣を張った六角勢(佐々木氏頼)だけじゃ。幕府の主力はいまだ天王寺に布陣しておる。どうも、八尾城は囮で、他の狙いがあるようじゃ」
兄に言われて、正儀もはたと気がつく。
「もしや、東条……さもなくば吉野とか……」
「その通りじゃ。されど、いきなり吉野山はあり得ぬ。おそらく敵の狙いは東条。八尾城は二郎(正時)に任せ、我らは東条へ戻ろう。三郎、諸将に兵を引くように伝えるのじゃ」
「よし、太郎兄者、承知した」
そう言うと、正儀は本軍の諸将を回って、東条への撤退を伝えた。
さらに八尾城の南に陣を敷く正時の元に、河野辺正友を伴って馬を走らせる。そして、直接、正時に正行の考えを伝えるとともに、美木多助氏の配下の百騎を教興寺に移すよう伝えた。
「三郎、東条を守ってくれ」
「承知した」
本拠を心配する次兄に向かって、正儀は力強く頷いた。
正時と助氏の三百騎を残し、楠木本軍の七百騎は、東条を目指して撤退をはじめた。
九月十七日、四天王寺に布陣していた幕府軍の大将、細川顕氏が南進をはじめる。軍勢には、赤松範資ら畿内の武士も加わっていた。楠木正行の読み通り、先に東条を攻めて、得意の籠城戦に持ち込められないようにするためである。
幕府軍は、昼過ぎに南河内への入り口である藤井寺に到着する。そこは赤坂から北へ四里ほど離れた場所であった。
寺の境内に斥候が駆けてきて、大将、顕氏の前で膝をつく。
「申し上げます。楠木軍は八尾に一部を残して、既に主力は東条へ引き返した模様でございます」
「我らの狙いを悟られたか。忌々《いまいま》しい楠木の小童め……」
顕氏は苦々しい表情を浮かべる。
「……よし、明日は敵の本軍との戦になるであろう。今のうちに、兵に休息をとらせるがよい。今日はここに陣を張る」
大将の下知に、諸将は具足を解き、馬の鞍も外して宿営を敷いた。
その藤井寺から半里ほど東南に誉田の森(応神天皇陵)がある。その南側にある誉田八幡に、楠木正行と正儀が率いる楠木本軍、七百騎が息をひそめていた。
正儀は近習の津田武信、河野辺正友らとともに、馬の背を撫でて落ち着かせる。
「どうどう、頼むから鳴くなよ……」
そして、周囲の兵にも声をかける。
「……敵が、ゆっくりと休息しているところを狙うのじゃ。皆、今しばらく待つのじゃ。声を立ててはならんぞ」
楠木軍は、東条に向けて撤退していたが、途中で聞世こと服部成次より、幕府軍の進軍状況について一報が入る。
細川顕氏が藤井寺で宿営を決めたと知った正行は、急遽、誉田の森まで、軍勢をとって返したところであった。
楠木党の強みの一つは、諜報能力に長け、これに基づいて臨機応変に軍略を変えるところにある。此度の一報は、聞世にとっての初手柄であった。
それから一刻も経った頃、楠木正行が、もうよかろうと馬に跨る。
「さあ、我らの力を見せてやろうぞ。皆の者、出陣じゃ」
「おう」
正行の下知に正儀らが呼応した。
楠木軍はいっせいに菊水と非理法権天の旗を上げる。そして、目と鼻の先である藤井寺を目指して、七百の騎馬と歩兵がいっせいに駆け出した。
藤井寺で休息をとっていた幕府軍の兵が異変に気づく。
「何やら騒がしいな」
そう言って、誉田の森の方を見た。
他の兵が森の西側から立ち上がった土煙を指差す。
「あれは何じゃ」
「こっちに、迫ってくるぞ」
「あ、あれは騎馬隊じゃ」
幕府軍の兵たちに衝撃が走った。
兵たちの騒ぎは、すぐに大将、細川顕氏の耳にも入る。
「何事か」
御堂の中で胡座を掻いていた顕氏が立ち上がった。
「て、敵じゃ。菊水の旗じゃ。楠木じゃ」
「具足を付けよ」
「それより、馬の鞍じゃ」
「間に合わんぞ」
兵たちの慌てる声が、次々に耳に入った。
「早く具足をつけろ。急げ、急ぐのじゃ」
顕氏は真っ青になって、周りの兵たちを促した。
楠木の騎馬隊が歩みを緩めることはない。その勢いのまま、幕府軍の中に切り込んだ。
正行は刀を振り回しながら、名乗りを上げる。
「我こそは、楠木正成が嫡男、楠木帯刀じゃ。細川殿の軍勢とお見受け致す。大将の細川顕氏殿はどこじゃ。出会え、出会え」
正儀も近習の津田武信と河野辺正友を従えて、騎馬で突入する。
「正成が三男、楠木三郎正儀、ここにあり」
名乗りを上げて、果敢に刀を振り下ろした。
一方の細川顕氏は、慌てて胴丸(鎧)を肩にかける。だが、上帯すら結ぶ暇がないありさまで、太刀を腰に差すことさえできなかった。
「殿、あの馬に乗ってお逃げくだされ」
近臣の一人が顕氏を逃がそうと、鞍を付けた馬を指さした。
そして自分は、鞍のない馬に飛び乗り、十人にも満たない数の武者を率いて、楠木の騎馬隊に切り込んだ。顕氏を逃がすための時間稼ぎである。
しかし、後の兵が続かない。結局、突入した近臣たちは、楠木の兵に取り囲まれて討ち取られる。
楠木の四倍の兵力を誇る幕府軍であった。だが、浮足立った兵たちは、体制を整える暇もなく、右往左往するばかり。大軍ではあるが、四国や中国から急遽集められた寄せ集めである。統制する者にも事欠いていた。結果、不利とみて戦線から離脱する兵が相次いだ。
楠木軍は楠木正行の指揮の下、確実に幕府軍を追い詰めていく。
従兄弟の新発意賢秀・賢快の兄弟は、馬上から薙刀を振り回して、敵の反撃を許さなかった。
正儀は近習たちと大将首を探して必死に馬を駆った。
「三郎様(正儀)、あれを」
津田武信が指し示す先に、幕府軍百騎ばかりが北に敗走する姿が目に入った。
正儀が賢秀・賢快兄弟に振り向いて、大声を上げる。
「敵の総大将、細川顕氏は、きっとあの中じゃ」
「よし、我が父(美木多正氏)の仇じゃ」
言うや否や、賢秀は弟の賢快とともに、鐙を馬の横腹に当てて駆け出そうとする。
「賢秀・賢快、先駆けは止めよ。これは命令じゃ」
二人に向けて、後ろから正行が、怒声を響かせ呼び止めた。単に仇討ちを止めさせたのではない。楠木の戦線が南北に長く延びる事を防ぐためである。正行はいたって冷静であった。
総大将、細川顕氏の逃走を見て、細川、赤松からなる主力たちもじりじりと後退する。そしてついに幕府軍は、最初に本陣を敷いていた四天王寺に向けて敗走を始めた。
「敵は本陣へ撤退をはじめたぞ。今じゃ。追い打ちをかけよ」
楠木正行の下知で、全軍が追撃する。
しかし、楠木軍は四天王寺の手前で、八尾城から駆け付けた佐々木六角氏頼の軍勢に阻まれる。
だが、六角軍を追って駆けつけた楠木正時の三百騎が加勢して、楠木軍は氏頼の舎弟、氏泰を討ち取り、氏頼をも敗走させた。
その勢いで正儀らは、四天王寺の幕府本陣に迫る。幕府の諸将も、引くは武門の名折れと、引き返して楠木軍を防ぐが、その勢いは止まらない。前線に出張った幕府兵たちを突破して、四天王寺に雪崩れ込んだ。
これには、総大将の細川顕氏と与力の赤松範資も恐怖の色を浮かべる。たまらず、京へ敗走をはじめた。
「もうよい。追うな。これ以上、深追いをするな」
正行は全軍に向けて、追撃を止めさせた。実力以上を出し切った楠木軍に、実はもう、追撃する余力は残っていなかったからである。
「三郎、勝鬨をあげよ」
「よし」
再び、正儀は拳を突き上げる。
「我らが勝利じゃ。えい、えい」
「おう」
「えい、えい」
「おお」
四天王寺には、木霊のように楠木兵たちの気勢が上がった。
惨敗を喫した細川顕氏は、武者姿のまま、京の将軍御所に姿を見せた。殿上の将軍、足利尊氏、副将軍の足利直義、そして、執事の高師直の三人を前にして、広間の前の庭で、両の拳を地面に付いて敗北を詫びた。
「まったく頼りにならぬ、口先だけの御調子者よ。援軍を送ったにもかかわらず、たかが、千の兵に負けて逃げ帰ってくるとは」
師直の罵倒にも、顕氏は返す言葉が見当たらず、悔しさのあまり肩を震わせた。
さすがに直義も庇い立てはできない。
「もう、よい。下がるがよかろう」
直義がしてやれることは、このくらいしかなかった。
師直が口元を引き締め、尊氏に向き直す。
「では、次はそれがしが参りましょう」
これに慌てたのは直義である。細川顕氏は家臣とは言え足利一門の、しかも自分が侍所頭人に推した武将である。彼が敵わなかった敵を師直が討てば、一門衆の上に立つ自らの立場にも傷が付く。
「兄上(尊氏)、お待ちくだされ。執事が出陣するのは時期尚早じゃ。楠木如き、我らが出陣するまでもなく討たねば、幕府の面子に傷が付く。山名左京大夫(時氏)に楠木討伐の命を与えてはいかがかと存ずる」
「うむ、山名か。時氏の武勇を知らぬ者はおるまい。よかろう」
山名時氏は、尊氏・直義兄弟にも近しい、一門に準じる立場の武将であった。
勇猛果敢な時氏を出陣させれば、楠木を討ち取ったも、もはや同然である。出番がなくなった師直は、つまらなそうに顔を背けた。
尊氏は、さっそく細川顕氏に変えて時氏を侍所頭人に任じ、楠木討伐の総大将とした。
三度、戦に勝った楠木正行は、吉野山の行宮に参内し、帝(後村上天皇)に拝謁する。公卿たちが居並ぶ殿上を前に、小具足(篭手や脛当など)姿で侍烏帽子を被り、前に広がる庭にて両ひざを付いた。
「楠木河内守(正行)、此度のそちの働きに対して、御上よりお言葉がある。心して聞くがよい」
奏上役の蔵人頭、中院具忠の言葉に、正行はその場で平伏する。
殿上の中央、その奥まったところに御簾が垂らされていた。
「此度の戦における河内守の働き、まことにもって見事であった。これからも朕は、そちの活躍を期待しておるぞ」
若々しい帝の声が、御簾の向こうから響いた。
正行は、ただただ頭を垂れて恐縮する。
「ははっ、ありがたき幸せに存じます」
言葉は簡単なものである。それでも正行にとっては十分であった。
「河内守、これは御上よりの賜り物じゃ。受けるがよい」
そう言って中院具忠が隣に目配せする。すると、すかさず一人の蔵人が三方を持って殿上を降りた。三方には短刀が載っている。
正行は、下賜された短刀を両手で受け取ると、恭しく掲げた。
大納言の四条隆資をはじめとする殿上の公卿らは、微笑みを浮かべ、胸躍らせて見守った。楠木正成の息子である正行には、戦の前から大きな期待がかけられていた。その期待を裏切らぬ正行の活躍に、朝廷全体が高揚していた。
しかし、そんな中でも准大臣の北畠親房は、終始無表情でこの儀式を見ていた。
拝謁を終えた楠木正行が仮内裏を下がって馬留に向かおうとしたところで、中納言の阿野実村に呼び止められる。
「河内守、准三后様が、会いたいと仰せじゃ。付いて来られるがよい」
「准三后様が……」
帝の母、阿野廉子のことである。
小具足を外し、後に続いた正行は、緊張した面持ちで御殿に上がる。下座に控えた伊賀局(篠塚徳子)に会釈してから、廉子の前で平伏した。
「河内守、此度の勝利、御見事でした。さすがは正成の子じゃと皆も申しております」
「はっ。お誉めの言葉、恐縮にございまする」
「御上も大そう喜ばれ、そちの喜ぶことをしてやりたいと、わらわに相談された」
「何と、主上がそれがしにそのような御配慮を。これ以上ない喜びでございます。されど、短刀を賜ったところにございますれば、そのお気持ちだけで、十分にございます」
その返事に、廉子は目を細める。
「何と欲のない者よ。ますます気に入りました」
廉子はそう言うと、実村に目配せした。
「河内守は弁内侍を存じておるそうじゃな。伊賀局より仔細は聞いておる。准三后様(廉子)は、内侍をそちの正室として、賜嫁させてはどうであろうかと仰せじゃ。弁内侍もそちに好意を寄せているとのこと。のう、伊賀局」
「仰せの通りにございます」
話を振られた伊賀局は、広間の下で手を突いて答えた。
一瞬、困ったような表情を浮かべた正行が、慎重に言葉を選ぶ。
「宮中でも評判高き弁内侍様をそれがしの室になど、恐悦至極のことなれど、それがしはすでに妻も子もいる身でございます」
答えを聞いて、廉子は笑う。
「何と真面目なもの言いよ。もちろん存じておるが、そちほどの武将であれば、妻は一人でなくともよかろう」
「されど、今は戦のことで頭が一杯でございます。それがしは器用ではありませぬゆえ、今は戦のことに集中しとうございます」
正行の返答に、廉子は残念そうな表情を浮かべる。
「左様か。わらわとて、戦の邪魔をしてまで縁談を薦めるつもりはありませぬ。されど、御上の希望でもあります。戦が一段落した暁には、もう一度、考えるがよろしかろう」
「御意」
そう答えるしかなかった。
広間から下がった正行を、伊賀局が小走りに追いかけてくる。弁内侍の気持ちを察し、廉子へ相談したのは局であった。
強張った顔で、伊賀局は深々と頭を下げる。
「河内守様、わたくしは出しゃばった真似をしたようです。申し訳ありませぬ」
「いや、御局殿には何の責任もありませぬ。全てはみなさま方の御情けを受けなかったそれがしの責任。内侍様にはよしなにお伝えくだされ」
畏まる伊賀局を後に、正行は御殿を出た。
幕府は、山陰の勇、山名時氏を総大将として、畿内・中国・四国から一万騎の追討軍を編成し、摂津国へ出陣させた。その中には、過日の負け戦で侍所頭人を更迭された細川顕氏の姿もある。
楠木正行の追討を命ぜられた時氏は、守護国である伯耆・丹波の荒々しい騎馬軍団を率いて摂津国に入った。
馬上の時氏が豪快に笑う。
「今さら、吉野方などものの数ではないわ。楠木の子倅なぞ、ひとひねりにしてくれよう」
足利の準一門と言われる山名氏だが、実は南朝を支える新田の一門筋である。だが、分家当初から新田本家の下を離れ、直接、源頼朝や執権北条氏に臣従していた。
時氏が、足利尊氏・直義兄弟の母方の従兄弟であった縁で、鎌倉幕府の六波羅攻めの折から足利方として活躍した。尊氏が御親政から離反した折も、本家筋の新田義貞には与せず、終始、尊氏に従って武功を立て、伯耆国と丹波国の守護を得る。加えて、足利直義からの追討令を受けた塩冶判官(佐々木高貞)を討ったことで、隠岐国の守護も得ていた。
その山名時氏が摂津に入ったとの知らせは、聞世によって、すぐに楠木館にもたらされた。
緊迫する館の広間で、楠木正行が絵地図を広げる。集まった諸将は車座になってそれを囲んだ。そして、書き込まれた幕府軍の陣容に息を飲んだ。
河内目代の橋本正茂が、絵地図に目を落しながら腕を組む。
「ううむ、山名は強敵じゃぞ。いかに戦うか……」
「此度も天王寺が本陣……きっと、阿部野や住吉から討って出てくるであろう」
和泉守護代の大塚惟正がそう言って、扇の先を滑らせて、敵軍の動きを示した。
楠木正時が顎の辺りを触りながら絵地図を睨む。
「北から仕掛けるか、南から仕掛けるかじゃが」
「うむ、天王寺の本陣は油断しているであろうから、攻め処は北じゃ。されど、不意を突いて天王寺に攻め入れば、御堂を灰にしてしまうやもしれぬ。ここは定石通り南から攻めかかろうと思う」
謹厳実直な正行の考えに、一同は躊躇する。前線に名を馳せた山名時氏の騎馬軍団が出張ってくるのは、確実だからである。
「あっはっは……」
新発意賢秀は、唸る一同を豪気に笑い飛ばす。
「……よいではないか。いずれにせよ総大将の山名時氏と戦わねばならんのじゃ。総大将の首さえ捕れば、敵は総崩れとなる」
そんな放胆な賢秀とは対照的に、正儀は目を閉じて静かに思案している。
その様子に、正行が、再びその知恵に興味を示す。
「三郎(正儀)。また何か、よい策が浮かんだか」
「ううむ、此度は騎馬対騎馬の戦。相手の騎馬の動きを止める事さえできれば、俄然、我らが有利になるのではないかと思うて……」
そう言ってから正儀は顔を上げる。
「……昔、菊池武重殿は竹の先に短刀を付けて敵を打ち負かしたと聞く。騎馬の動きを止めるだけであれば、このようなものを歩兵に持たせ、騎馬武者や馬の脇腹を狙って刺せばよいかと。柄を長くしても、薙刀に比べ、軽くて扱い易いのでは」
進言に正行はにやりと口元を緩め、どうじゃと正時に目を向けた。
「おお、三郎、それじゃ」
正時は感嘆し、正行も大きく頷く。
「うむ、それは、菊池槍と呼ばれるものじゃな。うむ、三郎、よい考えじゃ」
兄たちに褒められた正儀は、照れて頭を掻いた。
家宰の恩地左近満一へ、正行が顔を向ける。
「左近、短刀を三百、いや五百、取りそろえることができようか」
「ううむ……心当たりを手当たり次第、当ってみましょう」
「頼んだぞ左近。三郎は郎党を指図して、総出で柄となる木を集め、短刀の刃先を取り付けるのじゃ」
「任せてくれ。太郎兄者(正行)」
二つ返事で正儀は頷いた。
突如、賢秀が正行に向けて身を正す。
「多聞の兄者(正行)、その菊池槍とやらを扱う一軍は、それがしに任せてくれぬか」
「お前にか……ううむ……よし、賢秀に任せよう。菊池槍、いや、長槍を持たせた兵を長槍隊と呼ぶことにしよう」
この度も正儀の知恵で、楠木軍の戦術が決した。
桐山にある楠木本城(上赤坂城)。正儀らは楠木館の者を総動員して長槍を作る。その中には女たちの姿もあった。
母の久子が正儀に、でき上がった槍を見せる。
「三郎(正儀)、短刀の茎を柄に括り付けましたが、こんなものでよろしいか」
「どれ……」
槍を受け取った正儀は、刃の背を地面に押し当てる。
「……母上、もっと強く縛らないと。これでは戦っている最中に刃が抜けてしまいます。短刀の括り付けは男どもに任せて、母上と義姉上、それに、清と福は、柄を削るのを手伝ってくだされ」
義姉の満子が頷き、刀身を置いて立ち上がる。
「三郎殿、承知しました。ところで、この長槍を何本作るのですか」
「左近(恩地満一)が短刀を何本用意できるかで変わりますが……五百は作りたいと思います」
「まあ、そんなに……では急がなくてはなりませんね。義母上様(久子)、我らは向こうを手伝いましょう」
満子は久子と侍女たちを連れ立って、柄を削っている者たちの元へと向かった。
母たちを目で追った正儀は、続いて賢秀に目を留める。
「賢秀、先ほどからいったい何を作っておるのじゃ」
一人だけ違ったものを作っていた。
「これじゃ」
そう言って正儀に見せたのは、短刀の代わりに、長刀を取り付けた長槍(長巻)であった。
「わしはこれを振り回して敵を切り倒してくれるわ」
何事にも豪快な、賢秀らしい得物であった。
十一月二十五日、北風が吹く寒い日であった。楠木正行は、舎弟の楠木正時・正儀とともに、千五百余騎の楠木軍を率いて誉田八幡に布陣する。そして、一門衆の和田正武・橋本正高が率いる別働隊の五百余騎は、幕府から奪い取った池尻城に陣を敷いた。
一方、幕府軍の総大将、山名時氏が率いる四千騎は、神崎橋を渡って住吉へ軍を進めていた。誉田に軍を進めた楠木軍に対峙するためである。阿倍野には佐々木六角氏頼・土岐頼明ら一千四百騎が布陣していた。さらにその北の四天王寺には、細川顕氏が率いる四千騎が搦手として陣を構える。しかし、顕氏自身は戦を避け、山名時氏のお手並み拝見と決め込んでいた。
楠木軍の千五百は夜中のうちに住吉に入る。そして、夜明け前に正行の方から仕掛けた。楠木軍は瓜生野に騎馬隊を展開し、住吉に布陣する山名の騎馬隊を誘う。一方、和田・橋本軍の五百は、石津から住吉に向かって騎馬隊を走らせた。
住吉の山名時氏は、夜中でも臨戦態勢で楠木の強襲に備えていた。
夜が明けると同時に、本陣に斥候が駆け込み、楠木軍の動きを伝えた。
「何、楠木の騎馬隊が……自ら討たれに来たのか。うむ、願ってもない機会ぞ。返り討ちにしてくれよう。赤松左衛門尉(赤松範資)の千騎を住吉浜の南に進ませよ。石津から攻め上がってくる敵の搦手軍を抑えさせるのじゃ。よし、我らも出陣するぞ。馬を引け」
出陣を下知した時氏は、馬に跨って騎馬隊を指揮した。まず、仕掛ける楠木軍を押し包むべく、二千余騎を瓜生野の東西に走らせる。そして、自らは本軍を率いて南進し、楠木軍を正面から迎え撃った。
正儀は馬を走らせながら、山名の騎馬隊の動きを注視していた。そして、自らの馬を兄、正行の馬の隣に並べる。
「太郎兄者、土ぼこりが東と西から上がっておる。おそらく山名軍は我らを挟み込むつもりじゃ」
「三郎(正儀)、焦るな。我らは小勢じゃ。東西の騎馬は放っておけ。前からくる敵だけに集中せよ」
そう言って、正行は馬を速めた。
両軍は平地で正面からぶつかる。両方の騎馬兵が入り乱れ、怒声が響き渡った。
双方もみ合う中で、楠木軍は騎馬隊で包み隠していた新発意賢秀の長槍隊を押し出した。四方に散った長槍の歩兵は、敵の騎馬兵や馬の脇腹を槍で突いて次々に騎手を落馬させる。一方、楠木の騎馬隊は楠木正時が指揮して縦横無尽に走り回った。
長槍隊を率いる賢秀が、弟の賢快を呼び寄せる。
「ここはお前に任せる」
「兄者はどうするのじゃ」
弟の質問には応じることなく、賢秀は、己の長槍を小脇に抱えると、東から新手が押し寄せる橋の袂に向かって歩み始める。
『世中は霰よの 笹の葉の上の さらさらさつと降るよの……』
一人、小歌を唄いながら、呆気にとられる敵兵たちの前に立つ。そして、小脇に抱えた長刀付きの長槍を、鼻歌まじりに降り回し、あっという間に数騎を討ち取った。
続いて一族の荒法師、安間了願も進み出て、薙刀を軽々と振り回して敵兵を次から次へと打ち倒す。気がつけば二人で三十六騎を討ち取っていた。
そんな中、幕府軍の総大将、山名時氏の舎弟、山名兼義が、楠木の歩兵に槍で突かれて落馬する。近くにいた正時が素早く騎馬から飛び降り、組み伏せて首を獲った。
「山名の大将の一人を、討ち取ったぞ」
正時の声に、楠木の兵の気勢が上がった。
山名時氏の元に舎弟、兼義が討ち取られたとの知らせが届く。
「か、兼義っ」
弟の首を捕られ、時氏は動揺する。冷静さを失った時氏が、舎弟の元に駆け付けようと単騎で馬を走らせた。そこに、待ちかねたように楠木の長槍が太腿を突く。
―― びゅっ ――
鮮血がほとばしる。
山名兼義が討ち取られ、総大将の時氏までが長槍を喰らったことに、兵たちは恐れをなして後退った。
「御館様っ。者ども、御館様を討たすな」
後を追って来た安田弾正ら側近が、時氏の周りを固めた。
だが、時氏の足から流れる血は止まらない。薄れいく意識の中で、時氏が声を張り上げる。
「引くな。この者どもを討て」
すると、山名の新手、騎馬兵三百余が、楠木の長槍隊を包み込んで殲滅せんと集まった。
正儀は、長兄の楠木正行に従い、兵を率いて長槍隊の救出に向かう。
「賢秀を、賢快を、救うのじゃ」
敵を見定めた正儀が、郎党たちに向けて声を張り上げた。
しばらくは、互いに退く者もない激戦が続く。だが、楠木の長槍は有効で、次第に山名の兵を押し戻した。
大怪我を負った山名時氏が、側近の安田弾正に支えられて戦線を離脱する。すると、山名の歩兵たちも四天王寺に向かって敗走をはじめた。
その山名勢を追って正儀が馬を走らせる。
「山名が撤退するぞ。追え。追え」
敵方の撤退を見て楠木軍は勢いづき、敗走する山名軍を追撃した。
一方、赤松円心の嫡男、赤松範資と対峙していた和田・橋本党は、じりじりと押され、堺浦まで後退していた。
和田党を指揮する和田正武は焦っていた。
「いかん、このままでは持ちこたえられぬ。討ち死に覚悟で突入するか、それともここは一旦撤退するか……」
馬上で思案する正武の横で、和田の郎党が指を差す。
「殿(正武)、あれをご覧あれ。あの土煙を」
郎党の指差す方角を見ると、東の瓜生野で、土ぼこりが南から北へと移動していた。
「あれは……山名の敗走が始まったのか。そうか、太郎殿(楠木正行)がついに、やりおった」
正武の顔に赤みが戻った。
一方、和田・橋本軍と対峙していた赤松軍には動揺が走っていた。敵地で孤立する事を恐れた赤松範資は、すぐさま、兵に撤退を命じる。すると兵たちは慌てて引き返し始めた。
これを見て、正武は反転攻勢に出る。和田・橋本軍は、赤松軍を追って北へ攻め上がった。
四天王寺の南に陣を構えていた細川軍の前を、一足早く阿倍野から退却してきた佐々木六角軍が通り過ぎた。細川顕氏は、ここで初めて、主力の山名勢が瓜生野から北に向けて敗走していることを知る。
「何、山名が逃げて来ておるのか……ははは、我らが敵わなかった相手じゃ。山名如きがそうやすやすとは討伐できぬわ」
これで過日の面目を取り戻せると、顕氏は笑みを浮かべた。
「殿、そのような場合ではありませぬぞ。あれを」
近臣が指さす方向に向けて、顕氏が手をかざす。
西から赤松軍一千騎が土ぼこりを上げて北へ向かっていくのが見えた。そして、南には敗走する山名の兵が迫っている。
「こ、これはまずいぞ。我らもただちに退散じゃ」
顕氏は兵たちに撤退を下知すると、我先にと渡辺橋へと馬を駆った。
その直後、四天王寺の本陣に、敗走する山名軍がなだれ込む。すぐ南には楠木軍が、菊水の旗をなびかせて迫って来ていた。
六角軍に続き、先に渡辺橋にたどり着いた赤松軍が、何とか橋を渡り切る。しかし、その後に渡辺橋にたどり着いた山名軍と細川軍は橋を渡ることができず立ち往生する。橋の上は、我先にと急ぐ兵たちで溢れていた。
馬を駆った顕氏自身は早々に渡辺橋を渡り切っていた。しかし、細川の歩兵らはそうはいかない。狼狽し、神崎へ向かおうとする者、敗走する山名軍に合流しようとする者らで混乱を期していた。
そこへ楠木の騎馬隊が迫ると、山名と細川の兵は大狂乱に陥る。ついには、橋から押し出された者たちが次々と極寒の川の中へと落ちていった。
楠木軍を恐れて右往左往する山名軍の中に、ひと際、目立つ鍬形の武者が居た。二人の武士に両脇を抱えられ、足を引きずっている。
「あの者が総大将の山名時氏に相違ない。深傷を負っておるぞ。当麻(津田武信)、又次郎(河野辺正友)、討ち洩らすな」
そう言って、正儀は二人とともに馬を駆り、長槍を片手に切り込んだ。
追い詰められた山名時氏は、介添の河村山城守の手を振り払い、切腹しようと短刀を手にする。
そこに、正儀が騎馬で駆け込んで長槍を繰り出した。しかし、槍は、横から差し出された刀によって払われる。そこには、息を切らせて駆けつけた山名の郎党数人の姿があった。そして、時氏を庇うように立ちはだかった。
馬を止めて切り合っては不利と、正儀はそのまま時氏の前を駆け抜けた。武信と正友も同様に、馬を走らせながら長槍を降り下ろすが、敵も必死で防いだ。
いったん、その場を駆け抜けた正儀が、もう一度、取って返そうと振り返ると、時氏が河村山城守に抱えられて渡辺橋の人混みに入っていくのが目に入る。
「待て、逃げるか」
渡辺橋の中に消えいく時氏の姿に、正儀は唇を噛み、くそっと手綱を握りしめた。
一先ず正儀は、大将の楠木正行の元に馬を戻す。
「太郎兄者(正行)、総大将の山名時氏と思しき男を取り逃がした。渡辺橋を渡って川向こうに行ってしもうた。すまぬ。もう少しで……もう少しで首を取れたのじゃが……」
正儀は悔しさを滲ませて正行に報告した。
「もうよい。敵は追い払った。我らは此度も勝ったのじゃ。三郎(正儀)、勝鬨を上げるぞ」
「承知」
正行は正儀を伴っては兵たちの前に馬を進める。
「我らの勝ちじゃ。者ども、勝鬨を上げよ。えい、えい」
「おお」
「えい、えい」
「おお」
馬上の正行のかけ声に、正儀らも声を張り上げて呼応した。
渡辺橋に、しばらく楠木の勝鬨が響いた。
明け方から始まった戦は、気がつけば夕暮れ時になっていた。
戦いが終わっても、取り残された幕府軍の混乱は収拾せず、兵は次々に川の中に落ちていく。日が暮れて、凍てつく冬の川へ落ちた兵たちは、命の危機にさらされていた。
「わっはは。山名に付いたことが、そもそもお主たちの命運よ」
河岸から新発意賢秀が槍先を向けて、溺れる兵に悪態を付いた。
「やめよ、賢秀。もはや勝負は決したのじゃ。敵に情けをかけることができる者こそ、真の武士ぞ」
「す、すまぬ。多聞の兄者(正行)」
賢秀は正行には頭が上がらない。たしなめられると、顔を真っ赤にして恥じ入った。
渡辺橋の上から溺れる敵兵たちを見つけた正行が指を指す。
「あの者どもを死なせては楠木の名折れじゃ。皆で助けよ」
正行の下知で、楠木の兵たちは極寒の淀の川の中に入り、山名の兵たちを引き上げた。楠木正時は、賢秀とともに河原に火を起こす。
「さ、こっちじゃ。早く暖まるがよい」
正時は川から上がった敵兵に暖を取らせた。
「怪我をしている者はくるがよい」
賢秀が、腕に傷を負って血を流す敵兵の肘上を縛りながら声を上げた。
正儀は、津田武信、河野辺正友らとともに、自らの鎧の下に着込んだ直垂を脱ぎ、凍える敵兵ら与える。
「さあ、濡れた服を脱ぎ、この直垂を着るがよい。直垂は他の者からも調達してやる」
そこへ賢快が服をたくさん抱えてやってくる。
「虎(正儀)、着る物ならほれ、この通りまだまだあるぞ」
「おい、賢快。どこからその服を持って来た」
直垂を放り投げる賢快に正儀がたずねた。
すると、賢快は笑い声を上げる。
「ほれ、あのあたりからじゃ。仏に手を合わせて持ってきた」
その方角に正儀が目を向けると、討死した兵たちが、裸になって、横たわっていた。
助けた敵兵たちの前に、正行が歩み寄る。
「故郷へ帰るがよい。せっかく助かった命じゃ。粗末にするでないぞ」
その言葉に、助けられた山名や細川の兵たちは感涙に咽んだ。
そんな中、一人の敵兵が正行の前に進み出る。
「楠木の御殿、わしを配下に加えてもらえぬか。わしは細川の者じゃが、我が殿は一人で我先にと逃げてしもうた。どうせ、いつかは戦で命を落とす身じゃ。ならば、楠木の御殿のような方の元で働きたい」
一人が申し出ると、他に楠木に加わりたいと申し出る兵が続く。
「わしもじゃ」
「楠木の御殿、お願い致す」
兵たちの思わぬ声に、正行はううむと唸って頭を掻く。
「その方たちが、楠木に加わりたいと言うのであれば、好きにすればよい。もちろん主の元に帰るのも自由じゃ。そなたたちが決めるがよかろう」
そう言って、正行はその場を後にした。
この後も、いったん帰ろうとした者が、橋の途中で考え直して引き返すなど、多くの兵が楠木の配下に加わった。
真夜中にも関わらず、桐山の楠木本城(下赤坂城)は、数多のかがり火によって、白く浮き上がっていた。
男たちの留守を預かっていた女たちは、勝利の一報に、手を取りあって喜ぶ。
「また、勝ちましたよ。父上は敗け知らずじゃのう」
楠木正行の妻、満子は喜びを素直に声に出し、まだ言葉もたどたどしい幼子の多聞丸に、説いて聞かせるように語り掛けた。
方や母の久子は、勝利したことには喜びつつも、あまりにも絵に描いたような勝ち戦が続くことに、一抹の不安も覚えていた。
明朝、勝利の報は、白む吉野山の行宮にももたらされる。
さっそく大納言の四条隆資が、帝(後村上天皇)へ勝ち戦を奏上した。
「さすがは楠木正成の嫡男じゃ。朕はよい忠臣を持った」
一睡もせずに報せを待っていた若い帝は、この上なく喜んだ。
知らせはすぐに女官たちの耳にも達する。
伊賀局は、正儀らが無事とわかると、ひとまず胸を撫で下ろした。そして、弁内侍の元に向かい、ともに手を取って喜び合う。
「本当に、ようございました」
局の問い掛けに、笑顔を見せる弁内侍であったが、その目は真っ赤になって腫れていた。昨夜は楠木正行を心配するあまり、泣きながら過ごしたようである。歳上であり、位も高い弁内侍であった。が、伊賀局は、何と可愛い御方であろうと、心の中で呟いた。