第13話 伊賀局と弁内侍
正平元年(一三四六年)五月、湊川の戦いから十年の歳月が流れた。吉野の朝廷は、京の人々から南朝と呼ばれるようになっていた。対して、京の朝廷は必然的に北朝である。何れも正統を主張する二つの朝廷に、いまだ歩み寄る気配は見られなかった。
風薫る頃の木々は、単調な夏の深緑とは違い、様々な色を纏っている。一見、見分けがつきにくい樹木でさえ、この時期ならば一目瞭然であった。
黄緑や浅緑を纏った木々が生い茂る南河内の山々を背に、三人の若者が馬を進めている。
先頭は、浅葱色の直垂に侍烏帽子を被り、腰には太刀と、袋に納めた一節切を差している。
「ここまでくればもうすぐじゃ。やはり故郷はよいのう」
そう言って身体いっぱいに息を吸い込んだのは、数えて十七歳となった虎夜刃丸。今は元服して楠木三郎正儀と名乗っている。背も兄達に追いついた。涼やかな瞳と優しそうな口元は、兄弟の中では父、楠木正成に一番似ているかもしれない。
正儀は津田左衛門尉範高に猶子として預けられ、北河内の津田荘で育った。決死の覚悟で湊川に臨んだ父が、家名存続のために一計を案じたからである。万が一のため、末の虎夜刃丸だけを赤坂の地から遠ざけていたのであった。
正儀の後にぴたりと馬を付ける二人は、何れも心許せる近習である。
その一人が正儀の隣に馬をせり上げる。
「三郎様、赤坂とは如何なるところでございますか」
「うむ、そうじゃな、津田荘は都へゆき交う人々で賑やかであったが、彼の地は人も少ない山深いところよ。ただ、山の斜面にたくさんの小さな田が棚のように並んでおってな、田植えの頃ともなれば、田に引いた水が空を映し、それは見事な景色となるじゃ」
「三郎様、久方ぶりの故郷。楽しみでございますな」
後ろから、もう一人の近習がほくほく顔で言葉を返した。
正儀は、津田範高の屋敷で二人の近習を持った。その二人を連れ立って、養い親の範高の元を離れ、故郷へ向かっていた。これまでも亡き父の法要などでときどき戻っている。しかし、この度の帰郷はこれまでとは違っていた。
三人が向かっているのは水分の南、赤坂に建つ楠木館である。背後の桐山には楠木本城である赤坂城(上赤坂城)。そして西の小高い丘は、元弘の変で正成が挙兵した折の最初の赤坂城(下赤坂城)である。
この辺りは水銀や朱(赤色顔料)の原料となる辰砂が採れ、その土の色より、昔から赤坂と呼ばれていた。
その赤坂の地より半里西、小振りな嶽山を中心に、北を佐備、南を甘南備と言い、西への守りとして山頂に嶽山城、通称、龍泉寺城が造られている。
この赤坂や嶽山の辺りから、北の大塚(大ヶ塚)や平石の辺りまでが楠木党の本拠で、一纏めにして東条と呼ばれる。
この東条は、延元二年に幕府方(北朝側)の河内守護、細川顕氏に侵攻され、龍泉寺城を落とされていた。だが、後に幕府勢の隙をついて、楠木党が奪い返していた。
【注記:本作の東条は現代の旧東条村地区(佐備、龍泉、甘南備)に限定されるのではなく、東条川(千早川)流域、つまり、東と南は金剛山地に詰められ、西は西条川(石川上流)まで、北はその西城川に東条川が落合う辺りまでの広域を示していたとの説に基づいている】
楠木館の前で馬を降りた正儀に、ざっざっと草履の音を立てて男が歩み寄る。
「おお、虎夜刃、よう来た。会うたびに大きくなっておるようじゃ」
声の主は次兄の持王丸改め、楠木二郎正時であった。正儀より四つ大きい二十一歳である。
「二郎兄者、ただいま戻りました。されど、その虎夜刃はお止めくだされ。わしには父が残してくれた三郎正儀の名があるのですぞ」
膨れっ面で、正儀が釘を刺した。
「わっはっは、虎夜刃は虎夜刃じゃ。虎夜刃丸を虎夜刃丸と言って何が悪い。されど、まあ、よかろう。今度からは三郎と呼ぶことにしよう」
兄弟の会話に、二人の近習は互いを目をやってにやついた。
「うぉっほん、お前たち、何が可笑しいのじゃ」
正儀のぶすっとした顔に、二人は、その場をしのぐように、あわてて正時の前に進み出る。
「津田範高が五男、当麻武信と申します。以後、お見知りおきのほど、よしなにお頼み申し上げます」
最初に挨拶した津田当麻武信は、範高の末子、三輪丸の元服後の名乗りであった。
「二郎様、ご無沙汰をしております。又次郎にございます」
「おお、吉祥丸か。達者であったか」
吉祥丸は、正儀が範高の館に向かう時に遣わされた正儀最初の近習であった。今は元服して河野辺又次郎正友と名乗っている。
「二人とも、三郎とともによう来てくれた。さ、館の中に入れ。皆、待ちかねておったぞ」
急かす正時に引きずられるようにして、三人は館の中に入った。
広間では、長兄の楠木太郎正行を上座に、下座には一族、家臣たちが左右に分かれて座り、正儀の帰りを待っていた。此度、正儀を赤坂に呼び寄せたのは、この正行である。
「三郎、よう戻った。待っておったぞ」
正行は二十四歳。南朝から帯刀舎人とともに河内守の官職を与えられ、父、正成の後を継いで河内・和泉二か国の守護に任じられていた。
前に座った正儀が、床に両の拳を突いて頭を下げる。
「太郎兄者、ただいま戻りましてございます」
続けて、後ろに控えた津田武信と河野辺正友も、それぞれ名乗りを上げて平伏した。
「うむ、ご苦労であった。楠木も郎党が増え、兵を纏める者が追いつかぬ始末じゃ。これからは三郎にも一軍の将として働いてもらわねばならん。範高殿には無理を言って、こうして三郎を返してもろうた。その恩情に報いるためにも、心して働いてくれ」
棟梁としての凛々《りり》しい兄の振る舞いに、正儀は思わず畏まる。
「はっ。この三郎正儀、楠木家を再興し、吉野の朝廷を京にお戻しすべく、身を粉にして働きとうございます」
「うむ、期待しておるぞ……」
末弟の緊張した顔に、正行はふふっと口元を弛める。
「……では、新たに家臣の列に加わった後ろの二人のために、当家の者を紹介しよう。まずは左手からじゃ」
正行の目配せを受けたのは、左手上に座る次兄正時である。しかし、
「わしはもう顔合わせは済んだ。飛ばして従兄弟たちじゃ」
正時が次に送ると、隣の入道頭が声を上げる。
「それがしは常陸から戻った西阿(楠木正家)じゃ。よしなにお願い申す」
その顔には、正儀の従兄弟としては似つかわしくない小皺が刻まれていた。皆から楠木将監と呼ばれるこの男は、正成の長姉が嫁いだ和田正遠の息子である。従兄弟の中では一番の年長者で、正行より一回り以上も歳上であった。
常陸国那珂郡の代官として下向するにあたり、正成の猶子となり、和田高家から楠木正家へと名を改める。瓜連城を拠点に足利方の佐竹氏らと争うが、奮戦虚しく城を失う。その後も武家方と争うが、勢力を回復させることは叶わず、河内に戻っていた。
続いてその隣に座る、兄の正行より少し歳上の男が声を張る。
「わしは弟の和田新九郎正武じゃ。今朝、和泉からやってきた。よう、名を覚えておいてくだされ」
一門の和田党は、楠木家とは濃い縁にあり、一門衆の筆頭ともいえた。正成の義兄、和田正遠が湊川で亡くなった後、息子たちの世代となる。常陸国に赴いた楠木正家(和田高家)や討死した和田正興ら兄たちに代わって、弟の正武が和田党に与えられた和泉国南郡の領地を護っていた。
「次はわしか。わしは美木多正兄。虎(正儀)とは義理とは言えど従兄弟の間柄じゃ。薙刀を持たせば、我が右に出るものはおらぬぞ。はっはっは」
「同じく弟の正朝じゃ。薙刀なら直にわしが追い抜いてみせよう。虎、見ておいてくれ」
遠慮なく正儀を虎と呼ぶ、この威勢のよい兄弟は、美木多正氏の子、満仁王丸・明王丸の元服後の名乗りである。楠木三兄弟と一緒に育った正兄は正儀の三歳上、正朝は同じ歳であった。
美木多兄弟の挨拶をおかしそうに見ていた正行が、今度は右の列に視線を動かす。
「次に、当家を支える者たちじゃ」
促され、右手の上に座る男が、落ち着いた所作で頭を下げる。
「橋本九郎正茂と申す。以後、御見知りおき下され」
叔父の美木多正氏亡き後、正行を補佐するため、本貫の和泉を離れてここに来ていた。正行より二回り近くも年長の正茂は、河内の目代(国守の代理)も勤めていた。
次に、その正茂と同世代の、どことなく目鼻立ちが正成・正季兄弟を彷彿とさせる男が居住まいを正す。
「さて、わしの番じゃな。わしは大塚掃部助惟正と申す。よしなに」
正成の叔母が、河内国石川を本貫とする大塚家に嫁いで生んだのが、石川二郎とも呼ばれる惟正である。和田正遠亡き後の和泉守護代に任じられていた。幕府方の和泉守護代、都筑量空とは、和泉国の覇権を賭けて幾度も激しく戦い、今日があった。
正行は河内・和泉国の守護であり、両国の武士を束ねる立場だが、それは吉野方(南朝)に限ってのことである。幕府方(北朝)の守護、細川顕氏に従う武士の方が圧倒的に多かった。特に湊川の後、叔父の美木多正氏が討死したときには、若い正行に従う武士は、いったん数えるほどになった。それを、この正茂と惟正が奮励し、少しずつ勢力を回復させたのである。楠木家の領国である河内国と和泉国は、まさにこの二人によって支えられていた。
続いて、正儀より二十くらい歳上の武士の順番となる。
「わしは神宮寺小太郎正房。以後、神宮寺将監と呼んでくだされ」
知的な雰囲気をかもし出す正房も楠木一門の家柄であり、湊川の戦いで討死した神宮寺太郎正師の嫡男であった。
最後に、その隣の男が頭を下げる。
「楠木の家宰(執事)をしております恩地左近満一と申します。わからぬことがあれば、何なりと聞いてくだされ」
先代家宰、満俊の嫡男である満一は、父から受け継いだ左近の名で楠木家を取り仕切っていた。
名乗りが途切れたところで正行が一同を見渡す。
「これで皆、紹介は終わったな。今日ここには来ておらぬが、他にもたくさんの者たちがおる。楠木が軍として動かせるのは、ここ河内と隣国和泉の一門衆と与力衆じゃ。追々、左近(満一)から聞くがよい」
「ははっ」
津田武信と河野辺正友は、神妙に、声を合わせて頭を下げた。
楠木正行が河内国と同様に頼みとする隣国和泉では、和田党、橋本党、美木多党が力を持って正行を支えていた。
和田正武の和田党と共に、一門の中で大きな力を持つ橋本党は、正成の時代に紀伊国伊都郡橋本から、和泉国日根郡の南部(橋本)に本貫を移した豪族である。湊川の戦で棟梁の橋本正員が討死した後、嫡男の橋本四郎正高が後を継いでいた。正行の指南役である橋本正茂は、亡くなった正員の舎弟で分家筋である。
楠木一門の中でも和田と橋本の二家は別格で、楠木正行を棟梁と仰ぎながらも、湊川の戦の後は自立して、直接、吉野の朝廷の命を受けて動くこともあった。
一方、与力の中で力を持っていたのは、和泉国大鳥郡美木多荘を拠点とする美木多氏。藤原鎌足(中臣鎌足)を輩出した古代豪族、中臣氏の嫡流、大中臣氏の末裔である。先の天野合戦で活躍した岸和田治氏らも擁する大族で、この美木多氏の庶流から楠木家に猶子として迎えられたのが、正儀ら兄弟の叔父、美木多正氏であった。鎌倉幕府の御家人でもあった棟梁の美木多助家は、初め、千早城攻めに加わって所領を失う羽目になる。その後、同族の正氏を頼って所領と官職を回復させていた。湊川の戦の後は、立場を明確にしない助家に取って代わるように嫡男の助康が家督を継いだ。それからは、吉野方として楠木党の与力となっていた。が、その助康もすでにこの世になく、まだ歳若い嫡男の助氏が家督を継ぎ、楠木を軍事面から支えていた。
【注記:大中臣氏系の「美木多」は本来「和田」と書くが、本作では楠木一門の「和田」との混同を避けるために「美木多」と書く】
皆の挨拶が終わった頃合いを見計らって、下座に正儀ら兄弟の母、久子がすうっと顔を出す。
「殿方たちのお話は終わりましたか」
一同のもてなしのため、久子は侍女たちと一緒に、朝から厨に立っていた。
微笑む久子の隣に、若い女がつつましく控える。
「三郎殿、御無沙汰しております」
物柔らかに語りかけたのは正行の妻、満子である。
正行は前年に、内藤右兵衛尉満幸の娘を娶っていた。満幸は、能勢の三惣領といわれる野間荘の国人である。
久子の前で、正儀は改めて頭を低くする。
「母上、それに義姉上。ただいま戻りました」
「三郎も達者で何よりです。よく戻ってきました」
そう言って、久子は少し目を潤ませた。
「三郎殿、母上様は、朝から大そうお待ちかねでございましたよ」
嫁の言葉に久子は、これっと手首を振って苦笑いする。
続けて近習の二人が頭を低くして挨拶すると、久子が安堵の表情を返す。
「吉祥丸殿、いえ、又次郎殿も息災で何よりです。御母上にも使いを送っております。この後、すぐに戻り、顔を見せてやるがよい」
照れくさそうに頭に手をやる河野辺正友に目を細めながら、久子はもう一人にも視線を向ける。
「当麻殿、三郎が世話をかけます。津田殿(範高)は……御父上はお達者ですか」
久子の問いかけに津田武信も、はい、と笑顔で応じた。
「義姉上、多聞丸は」
母と近習たちの話が続く中、正儀が満子にせっつく。
正行と満子の間には、三月前に嫡男、多聞丸が生まれていた。多聞丸は、正成、正行と、楠木の跡継ぎが名乗ってきた特別な幼名である。
「ええ、奥に居りますよ。今はよい子にして寝ております。顔を見てやってくだされ」
甥に合うのはこの度が初めてである。正儀は多聞丸に会うのを楽しみに帰って来ていた。
義姉の満子に連れられて、正儀は奥の寝所に入る。と、赤子の面倒をみていた侍女の福が正儀に気づき頭を下げた。能勢の内藤家から楠木家に一緒に入った、満子が気を許せる侍女であった。
「おお、よく寝ておるな。うむ、可愛い顔をしておる」
正儀は耳元で囁いてから、多聞丸の頬にそっと指を当てた。このときは、この子が楠木の跡目を立派に継ぐであろうと信じて疑わなかった。
それから一年、楠木正儀は近習の津田武信・河野辺正友とともに、兄たちを手伝って楠木党の強化を図りつつも、赤坂で平穏な日々を過ごした。
翌、正平二年(一三四七年)五月、長雨が幾重にも連なる山々の陵線を滲ませる。ここは吉野山に建つ金輪王寺。南朝に接収され、行宮(仮宮)となっていた。
大覚寺統の血統は、七年前に崩御した先帝、後醍醐天皇の後、阿野廉子の子、義良親王が後村上天皇となって受け継いでいた。
先帝が理想とした天皇親政の御代である延喜・天暦の治は、醍醐天皇と村上天皇の時代であった。先帝はこの醍醐天皇にあやかり、通常は死後に贈られる諡(追号)を、生前自らが後醍醐と定めていた。そして、後を受けた今上の帝も、この村上天皇にあやかり、生前から諡(追号)を後村上と決めていた。
京の朝廷とは比べるまでもない小さな廟堂の中。御簾向こうの帝を前に、公卿たちが集まり朝議の結果を奏上していた。
天皇親政である吉野の朝廷では関白を置いていない。居並ぶ公卿は、左大臣の二条師基を筆頭に、准大臣の北畠親房、大納言の四条隆資、権大納言の洞院実世、中納言の阿野実村らの公卿と、頭中将の中院具忠という面々であった。この頭中将とは、伝奏役の蔵人頭と近衛中将を兼ね合わせた役である。
左大臣の二条師基が、帝の前で恭しく一礼する。
「申し上げます。御上(後村上天皇)の御威光はあまねく広がり、我が朝廷の威勢は盛り返しつつございます。仔細は北畠卿より」
そう言って、准大臣の北畠親房に目配せした。
吉野の知恵袋ともいえる北畠親房は、九年前、関東支配のために常陸国に下向した。だが、支配に失敗して吉野山に戻り、すでに四年が経っている。
建武の新政における親房は、必ずしも恵まれたものではない。急進的な先帝(後醍醐天皇)と漸進的な親房は、元来、反りが合うものではなかった。しかし、それだけではない。その明晰、狡猾な頭脳が煙たがられた節もある。親房は京から遠く離れた奥州経営を託され、嫡男の北畠顕家とともに赴任した。その時に奉じた皇子が、今上の帝となる義良親王である。
その後、吉野に逃れて朝廷を開いた先帝の元で、またも遠国の地に赴任する羽目になる。再び義良親王を奉じ、関東支配のために、伊勢国大湊から船団を組んで出港した。しかし、暴風雨で親王の船とは離れ離れになり、親房だけが常陸国に到着する。一方、義良親王の船は伊勢に押し戻され、仕方なく吉野山へと帰った。
常陸国に入った親房は、現地の南朝勢力を糾合して幕府方の武士と争った。吉野山に戻り新帝(後村上天皇)に即位した義良親王の代わりに、亡き護良親王の子、大塔若宮こと興良親王を奉じ、不屈の精神で南朝の勢力拡大に努めた。だが、拠点の関城を落されて、失意を胸に吉野に戻る。
しかし、先帝が崩御し、支柱を失った吉野の公卿たちは、親房の指導力を頼った。そして何よりも、幼少のみぎりから奉じて養育した新帝が、親房の力を求めた。その結果、親房は吉野山の行宮を実質、取り仕切るまでに権力を掌握していた。
その北畠親房が、帝(後村上天皇)の前で、仰々しく畏まる。
「伊勢では我が子、顕能が、大和では越智や十市が、紀伊では四条卿の元で湯浅らが味方を募り、そして河内・和泉においては楠木と一門の和田、橋本らが勢いを取り戻しております」
北畠顕能は親房の三男で、伊勢守に任じられて伊勢国に下向した。守護職が置かれていない同国では、国司が軍事も掌握し、直接、力を奮っていた。
親房の報告に若い帝は、御簾越しに、そうかと嬉しそうな声をあげる。
「では、幕府を討って、京の都へ還幸できる日も、そう遠くはないな」
「御意。ただ、これまで楠木は、河内と和泉という要国の守護職にあるにもかかわらず、要諦が整わぬと、長く出陣を渋って参りました。河内守(正行)には、少し強く、討幕の挙兵を促さなければならないかと存じます」
親房の話に、洞院実世が言葉を重ねる。
「河内守は正成の子ではありますが、戦といえば小競り合い程度。これまで戦らしい戦をしておりませぬ。一族の多くが討死したため、戦に臆病になっているのやも知れませぬな。我らがきっかけを与えてやることも肝要かと存じます」
そのもの言いに、同席の四条隆資と阿野実村は眉をしかめた。
しかし帝に、気にする素振りはみられない。
「楠木のことは、その方らに任せよう。良きに計らうがよい」
「はっ。承知つかまつりました」
御簾向こうからの玉声に、親房と実世は恭しく頭を垂れた。
廟堂を後にした中納言、阿野実村は、雨の中、帝(後村上天皇)の母、准三后、阿野廉子の御殿を訪ねた。准三后とは皇后や皇太后・太皇太后に准じた称号であり、処遇のことである。
実村は亡くなった元弘の御代の宮内卿、阿野実廉の息子であり、廉子にとっては甥(兄の子)、帝にとっては従兄にあたった。廉子同様に目鼻立ちが整った公家である。
部屋に入ると、廉子は若い侍女に髪をとかれていた。
「や、これは失礼致しました」
慌てて、部屋から下がろうとする実村を、廉子が呼び止める。
「構いませぬ。廟堂はいかがでありましたか」
声をかけられ、実村は改めて座り直す。
「はい、それが……」
実村が侍女を一瞥して口籠ると、その侍女は気を利かせて頭を下げる。
「准三后様(廉子)、私はこれにて失礼つかまつります」
「構いませぬ。伊賀局は髪ときを続けるように。中納言殿(実村)、この者は構いませぬから、続けてください」
「畏まりました」
少しためらいを残したまま、実村は軽く頭を下げた。
伊賀局と呼ばれる女は、准三后付きの侍女である。廉子は、器量好しでしっかり者であるこの娘を可愛がっていた。そして、若くして部屋持ちの局として遇し、伊賀局と呼ばせていた。
「それで、いかがでしたか」
「はい、北畠卿(親房)は、大和は元より伊勢、紀伊、そして河内・和泉において、朝廷(南朝)に与する武将が増えたとお話されました。近々、討幕の兵を挙げる御積もりのようです」
「では、わらわが京へ戻れる日も近うありますな」
こどものように、廉子は目を輝かせた。
「ただ挙兵に際し、楠木河内守(正行)が及び腰とお嘆きで。洞院卿(実世)は、河内守を、父、正成と違って戦知らずとけなしてございました」
「左様か、楠木がな……宮中の女たちは才覚ある若武者じゃと話しておったが……のう、伊賀局」
「はい、河内守様は、官女たちの間では、それは人気でございます。若くて美男、弓馬の腕前も随一とのこと。そして、田舎育ちでありながら、参内の礼儀もしっかりなされておられるとか」
「左様、麿からみても、立派な武士に見えまする」
実村も、一片の疑いも持たず頷いた。
廉子は、局の手を止めさせて、実村に向き直す。
「これまで戦に消極的だったのは、何か考えがあってのことやも知れませぬな。中納言殿、一度、河内守を呼んで、仔細を聞かれるよう、北畠卿にお話してみてはいかがか」
「はい、承知致しました」
この後も、実村は京や諸国の世情を話し、しばらくしてから廉子の部屋を退出した。
准三后の御殿を後にした阿野実村は、回廊を渡る北畠親房の姿を目に留める。
「これは准大臣様(親房)、ちょうどよいところで……」
実村は、廉子の言付けを親房に話した。
「これは、ありがたいご助言をいただき、恐れ入りまする。しかと賜りましたと、准三后様にお伝えくだされ」
宮中随一の実力者である親房だが、中納言の実村に頭を下げて丁寧に返答した。
そして親房は、帰る実村の後ろ姿を目で追いながら顔を顰める。
「女狐め、要らぬ口出しを……」
親房は、吐き捨てるように呟いた。
一方、持明院統の血統である朝廷(北朝)を押し立てる京の幕府。征夷大将軍の足利尊氏が、所用を済ませて将軍御所に戻ってくる。この頃、尊氏は二条高倉第から鷹司東洞院第に居をあらためていた。
増築後の白木の香り漂う執務所の中で、将軍を待ち受けていたのは、弟で副将軍の足利直義であった。
尊氏は、難しそうに眉根を寄せる直義を前に、涼しい顔で上座に腰を据える。
「何じゃ、直義」
「兄上、探しましたぞ。いったいどこへおいででございましたか」
「天竜寺で先帝の菩提を弔っておったのじゃ」
「また、天竜寺へ……」
天竜寺は、後醍醐天皇の菩提を弔うために、大覚寺の離宮、亀山殿の跡に、五年の歳月をかけて建立した寺院である。寺の建立を勧めたのは、臨済宗の僧侶、夢窓礎石。建武の新政の頃から、尊氏・直義兄弟が師事していた。
「兄上は、まさか、先帝の祟りを信じておるのではありますまいな」
「わしは祟りを信じておるわけではない……」
尊氏は憮然とした表情を見せる。
「……わしにとってあのお方は特別なのじゃ。わしはあのお方の前に出ると、蛇に睨まれた蛙であった。恭敬の念を抱いたと言ってもよい。だからこそ、先帝に謝りたいのじゃ。たとえ、わしが正しかったとしてもな」
心ならずも反旗を翻して幕府を開いたことに、尊氏は自責の念を持ち続けていた。
「天竜寺の建立は、直義とて同意したことではないか。お前も、都合を付けて天竜寺に手を合わせにいくがよい」
またかと、直義はうんざりとした表情を浮かべる。
「天竜寺の建立に同意したのは、何も先帝を弔うためだけではない。弔う寺を我らが建立することで、幕府の威厳を高め、吉野方の武家を味方に付けることができるのじゃ」
弟の話に、尊氏は目を閉じて深く息を吐く。直義の実直で、ややもすれば冷淡な性格には、敬意とともに哀切をも感じていたからである。
「それより兄上、その先帝の、いや吉野の朝廷のことであるが、いつまでこのまま放置しておくのか。先帝の七回忌が済んで二年が経とうとしておる。そろそろ、幕府の威厳を示さねばならん」
「そう焦らなくとも、畿内は戦もない平穏な日々が続いているではないか」
「何も、戦は畿内だけで起きているのではないぞ。北畠親房が常陸を諦めたのは幸いであったが……陸奥では居良親王、遠江では宗良親王、九州では懐良親王を旗印に、大覚寺統(南朝)は武力で勢力を延ばしておる。吉野に朝廷がある限り、これらの動きは収まらぬ」
直義の理路整然とした意見に、尊氏はいらつく。
「では、いったい、どうせよというのじゃ。吉野山へ攻め入り、南主(後村上天皇)に刃を向けよと申すのか」
尊氏の投げやりな言い方に、直義も激昂する。
「誰もそのようなことは言っておらぬ。ただ京の朝廷を仰いで幕府を開いておきながら、吉野の朝廷をそのままとしておくのは、征夷大将軍として虫がよすぎるというのじゃ」
尊氏と直義は同じ母から生まれた二歳違いの兄弟である。幼いころから仲がよく、それだけにお互い遠慮がなかった。
この後も二人は、延々と噛み合わぬ話を続けた。
河内国赤坂にある楠木館の庭には、笛や太鼓の囃子に釣られ、近くの童や百姓たちが集まっていた。彼らの笑い声の先には、火男と阿亀の面を着け、滑稽な踊りを見せる二人組の姿があった。突如、横から猿面の男が見事に宙を切る。すると一同から、おおっと感嘆の声が上がった。
皆を楽しませているのは、猿楽の小波多座。一座の者たちが行っているのは、興業の前に行う人集めのための余興である。一行は、和泉での興業に向かう途中、ここに立ち寄っていた。
座長の竹生大夫こと服部元成は、一座の者たちを庭に残し、館の広間に迎え入れられていた。
元成の隣にはその妻で、正儀らの叔母である晶子が笑顔を見せて座っている。
「太郎殿(正行)、義姉上様(久子)、お久し振りでございます。二郎殿(正時)も、三郎殿(正儀)も、お達者そうで」
「元成殿も、叔母上(晶子)も御元気そうで何よりじゃ」
上座に座って応じる正行は、楠木の当主がすっかりさまになっていた。
正儀ら兄弟の母、久子は、晶子の後ろに控える目元涼やかな双子の兄弟に目を細める。
「まあ、観世も聞世も大きくなって」
「母上、もう観世丸、聞世丸ではありませぬ。二人は十五歳。元服を済ませたのですぞ」
二人より三つ年長の正儀が、小生意気に指摘した。
「伯母上(久子)、わたしは観世丸改め、服部三郎清次となりました。よしなにお願い申します……」
そう言ってすぐに、身体を正儀に向けてねじる。
「……されど三郎兄者(正儀)、一座では観世大夫の名で出ておりますので、伯母上の言われたこともあながち間違ってはおりませぬ」
「わたしは聞世丸改め、服部四郎成次となりました。わたしも、皆から聞世大夫と呼ばれております」
観世と聞世の答えに、正儀は、ほうと目を丸くして納得する。
双子の兄弟は、今や小波多座の花形であった。
正時が、その二人を見比べながら感心する。
「しかし、いつ見てもそっくりじゃな」
「でもね、同じように育てても、違ってくるものなのですよ」
呆れる正時に、二人の母である晶子は可笑しそうに口元を緩めた。
父の元成は、二人を一瞥して苦笑いする。
「観世は芸の道一筋じゃ。方や聞世の軽業は観世以上じゃが、一座の裏の顔に興味があるようで……」
「裏の顔……」
怪訝な表情を浮かべて正儀は呟いた。
すると、長兄の正行が、うむと顔を向ける。
「三郎、我らがこうしてあるのも、元成殿をはじめ一座の者たちが、我らの目となり耳となって敵方を探ってくれておるからじゃ。時には危ない橋も渡っていただいておる」
「太郎殿、そのことなのですが……」
ここぞとばかりに晶子が切り出す。
「……ひとつ頼みがございます。この聞世を召し抱えていただけませぬか」
「太郎兄者(正行)、お願い致します」
晶子の言葉に続けて、聞世が頭を下げた。
うぅんっと目をしばめかす正行に、元成が説明する。
「こやつは芸事よりも武士に成りたいと言うのです。ちょうど小波多座も観世らのお陰で人気が出ましてな、興行のために楠木の仕事も十分にできなくなっているところです。であればいっそ、一座から透っ波(忍)の素質のあるものを何人か聞世に付けて、丸ごと召し抱えていただけないかと」
「それは、願ったりじゃが……聞世、それで本当によいのか」
「はい。それがしにとっては、一座でやっていた事を、楠木党に入ってやるだけです。どうか、お願いします」
神妙な顔で、聞世が頭を下げた。
「よし、決まりじゃ」
間髪置かず、勝手に正時が許すと、あははっと、誰とはなく笑いが漏れた。
これにつられて、正行もふっと口元を弛める。
「まあ、よかろう。では叔母上、聞世を預かります。では改めて服部四郎成次、以後、よしなにな」
「太郎兄者、ありがとうございます」
「これ。今日からそなたは楠木の家臣じゃ。太郎殿のことは殿、二郎殿や三郎殿は、二郎様、三郎様じゃ」
晶子の小言に肩をすくめた聞世は、改めて居住まいを正す。
「殿、服部四郎成次めにございます。以後、よしなにお願い申し上げます」
この日をもって、聞世こと服部成次は、楠木党の一員となった。
六月、万緑の木々が、幾分か暑気を和らげる南河内の街道に、天野山金剛寺を出立した数人の若い女たちの姿があった。虫の垂れ衣が付いた市女笠を被る彼女らは、女房と呼ばれる吉野行宮の官女たちである。帝(後村上天皇)の使いで金剛寺に写経を奉納した帰り道。警護の侍たち数人に先達されて吉野山に向かっていた。
女房らの筆頭は日野俊子。元弘の変に先立ち、鎌倉幕府によって処刑された蔵人、日野俊基の娘である。宮中で弁内侍という役を得ていた俊子は、吉野は元より、京へも知られた美女である。
一行の中には侍女を従えた伊賀局の姿もあった。准三后、阿野廉子の写経も合わせて奉納したためである。その伊賀局に従う女は妙といい、身の回りの世話を焼くため、局の実家から一緒に宮中に入った、一つ歳下の娘であった。
女房が数人も集まれば、他愛のない雑談に花が咲く。ついつい、足取りが遅くなりがちであった。
「内侍様、夏の日入りは遅いとはいえ、急ぎましょう。暗くならないうちに五條に入り、栄山寺に一夜の宿を借りねばなりませぬ」
しっかり者の伊賀局が弁内侍ら女房たちを急かした。
その時である。
「ぎゃっ」
一行の先達をしていた警護の一人が、突然、仰向けになって倒れ、うめき声を上げた。
「きゃああ」
これを見て、女房らが悲鳴を上げた。倒れた武士の肩には、矢が突き刺さっていた。
一行はあっという間に、怪しげな男たち十人ばかりに囲まれる。いかにも野伏か山賊といった身なりであった。
「この山賊風情がっ」
他の侍たちが一斉に刀を抜いた瞬間、一人が掌を射抜かれてその場に崩れ落ちた。
「きゃああ」
再び女房たちから悲鳴が上がった。
「手向かう者は容赦せぬ。男に用はない。大人しく立ち去るがよい」
頭と思しき男が居丈高に声を上げた。
しかし、気丈夫な伊賀局は、侍女の妙とともに、弁内侍の前に立ち、短刀を抜いて身構える。
「その方たち、無礼であろう。我らは吉野の朝廷の者じゃ。これにおられるは、帝に御仕えする弁内侍様であるぞ。早々にここを立ち去るがよい」
まだ、十七歳のうら若き娘である。だが、その凛とした立ち振る舞いは、さすが阿野廉子から目をかけられるだけのことはあった。
「あはは。我らはその弁内侍様に用がある。幕府の執事様の元に連れていけば、銭百疋が手に入るでのう」
「執事とは……高師直か」
「そういうことだ。観念するがよい。ところで、お主もなかなかの玉よのう。高く売れるぞ。はっはは」
師直の悪い噂は伊賀局も聞いていた。美女を片っ端からさらって手籠めにしているという噂である。
「皆の者、女は全て生け捕りじゃ。かかれ」
頭目の声で、山賊たちはいっせいに女たちに襲い掛かった。
伊賀局は妙に目配せすると、短刀を逆手に持って身構える。二人は柄を胸に、切っ先を山賊に向けて、切り込む間合いをはかった。
「ぎゃあ」
一人の山賊が前のめりに崩れる。その背には矢が立っていた。
「何だっ」
山賊の頭の前に飛び出してきたのは、騎馬武者であった。あっという間に二十騎の武者が山賊の周りを取り囲む。
その中から一騎が進み出る。楠木正行である。続いて正儀と津田武信も隣に馬を進めた。
武信が吐き捨てる。
「女を襲うとは卑怯な奴じゃ」
「ま、待て。わしらは幕府の執事、高武蔵守様の命で、そこの女をお迎えに来ただけじゃ。お主ら、わしを討てば高様を敵に回すことになるぞ」
山賊の頭の言葉に、正儀が思わず吹き出す。
「何が高様じゃ。お前ら、ここをどこじゃと思うておるのだ。ここは河内、楠木の領地じゃぞ」
「その通りじゃ。わしは棟梁の楠木河内守じゃ。高師直は元来、我らが敵ぞ。皆の者、この者どもを取り押さえよ」
「く、楠木の棟梁……」
頭の顔はみるみる青ざめていく。仲間たちも楠木と聞いて、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
だが、すぐに正儀が馬を走らせ、一人の山賊のゆく手を塞ぐ。
「当麻(武信)、そっちにも行ったぞ」
「お任せを……おっと、お前たち、どこへ行くのじゃ」
山の中に逃げ込もうとした山賊は、武信が馬を入れて遮った。
―― びゅん ――
騒ぎの隙をみて、逃げようとする頭の耳をかすめ、矢が地面に突き刺さる。頭が振り向くと、馬上の正行が素早く次の矢を射る動作に入っていた。
「今のはわざとじゃ。今一度逃げれば命はないぞ」
へたへたと座り込む山賊の頭は、武信たちに縄を打たれた。一味の者たちも、あちらこちらで楠木の郎党たちに取り押さえられた。
正行と正儀は馬を降り、弁内侍と伊賀局の元に駆け寄って、片ひざを突く。
「お怪我はございませなんだか」
正行が声をかけると、弁内侍は強張った顔で頷く。
「貴方様が……楠木河内守様……」
「左様、楠木正行でござる。そしてこの者は、それがしの末弟にございます」
兄に促され、正儀も会釈する。
「三郎正儀にございます。何卒、よしなに」
傍らの伊賀局はよほど気負っていたのか、やっと懐刀を鞘に納め、大きく息を吐く。
「あ、危ないところをありがとうございました。こちらは帝(後村上天皇)にお仕えする弁内侍様でございます」
「あなたが弁内侍様ですか。お名前はかねがね。ご無事でよかった」
そう言って、正行は弁内侍に向かって微笑んだ。すると弁内侍は顔を真っ赤にしてうつ向く。
その隣で正儀も伊賀局に向かって微笑む。
「ところで、あなた様は……何とも驚くほどに肝が座っておいででございましたな」
ぶっきらぼうなもの言いに、伊賀局は一瞬、眉を歪める。が、すぐに気を取り直し、作り笑顔を正行に向ける。
「私は、准三后様(廉子)お付きの女房で、伊賀局と申します。危なきところをありがとうございました」
局の名前に、正行は首を傾げる。
「伊賀局殿というと……篠塚伊賀守殿の御息女であるか」
「左様にございます」
問いかけに、伊賀局は息を整えながら頷いた。
伊賀守とは、本来は伊賀の国守(国司の長官)である。後醍醐天皇は国司職の権限を復活させて守護職の権限を縮小する構想を描いていた。しかし、乱世となって頓挫し、一部の国守を除いては権限は限られ、名目として与えられていた。
正儀は武信と顔を見合せ、互いに首を傾げると、兄たちの会話に割って入る。
「兄者、篠塚伊賀守殿とは」
「うむ、一騎当千の武者とはまさに伊賀守殿のこと。ただの一人で敵陣に討ち入って、十六貫の鉄棒を振り回し、二十人をあっという間に平らげたという。されど、その伊賀守殿も武運拙く、脇屋義助殿に従って四国に渡られた後、亡くなられた。もう、四年になるかのう」
「我が父のことを存じおいていただき、ありがとうございます」
在りし日の父を偲ぶように、伊賀局は憂いを帯びた表情で頭を下げた。
局は、新田義貞の家臣で新田四天王の筆頭と呼ばれた篠塚重広の娘、徳子である。
先帝(後醍醐天皇)が南朝を打ち立てた折り、京から遠い吉野山では官女にも事欠くありさまであった。そこで、公家だけでなく、南朝方の有力武将にも、見目麗しい娘がいれば、宮中へ出仕させるよう求めた。これに応じた一人が重広である。
「娘が宮中に入っておると聞いておったが、伊賀守殿(重広)のような剛な武者の娘が、斯様な美しき姫御前であったとは驚きじゃ」
正行の言葉に、伊賀局は気をよくして笑顔を湛えた。
しかし、正儀は女心がわからない。
「いや、兄者。やはり、その剛力な伊賀守殿の御血筋。先ほどの隙のない構え。おそらく山賊が近づけば一人や二人は命を落としたことでしょう。まさに勇婦とは御局様のこと」
余計な言葉に、伊賀局は笑顔を引き攣らせながら、正儀を睨む。
しかし正儀は、彼女の態度が理解できず、きょとんとした表情を返した。悪気があるわけではない。むしろ褒め言葉と思っていた。注意深く観察した結果を口に出しただけである。
そんな二人に苦笑しつつ、正行は弁内侍に気を配る。
「高師直ばかりではありませぬ。金目当てで女をさらう野伏が増えておるようじゃ。宮中の女房様にはいささか厳しい世の中。吉野までお送り致そう」
「め、滅相もございませぬ。お忙しい河内守様に、そのような事はさせられませぬ」
正行の申し出に、弁内侍が慌てて首を横に振った。
「遠慮は御無用でござる。この三郎(正儀)はそこまで忙しくはない。吉野山まで供をさせましょう」
供の相手が、正行でないとわかると、弁内侍と伊賀局は顔を見合わせ、肩を落とす。
「ああ、御舎弟殿(正儀)……でございますか。では、まあ、遠慮なくお願い申します」
少し投げやりな伊賀局の言い方にも、正儀は少しも気にする素振りを見せない。
「それがしにお任せくだされ。では、参りましょうか」
正儀は馬を預け、武信ら十人ばかりの手勢を率いて、徒歩で一行を先達した。
弁内侍と伊賀局は、見送る正行に後ろ髪を引かれつつ、正儀の後に付いて吉野山へ向かった。
その頃、幕府の重鎮、佐々木道誉の京屋敷を、正儀らの山賊退治に関わる人物が訪ねていた。
平安貴族が住むような神殿造りに、対面所(対面儀礼を行う部屋)、出居(外に面した接客場所)、遠侍(警護の詰所)など、鎌倉由来の武家造りの様式を取り入れた屋敷である。庭は、引き込んだ水路と、ひとつひとつまで手をかけた植木や庭石が、小さな夏の景色を見せていた。中に入ると、香木を焚いた柔らかな香りが漂い、壺に活けられた立葵の赤い花弁が主張し過ぎない程度に飾り付けられていた。
屋敷の主である道誉は、広間に大きな壺を据え、来客に背中を向けて立花を活けている。
「それで、わしに何の用じゃ。手が離せぬから、用件は手短に」
「何が忙しいのじゃ。花を壺に入れているだけではないか。将軍の言付けで来たのじゃぞ。もちっと相手をしたらよかろう」
客が憮然と言葉を返した。将軍家の執事、高師直である。
二人の接点は婆沙羅。伝統や常識から逸脱した自由人の道誉は言うに及ばず、師直もそんな婆沙羅者にも理解を示す、旧来の仕来りに囚われない者であった。決して互いを信頼することはないが、表面上は気が合った。
道誉が、師直に背中を向けたまま問い返す。
「で、何じゃ」
「入道殿(道誉)は引付方の頭人。されど、近頃はまったく役所にも顔を出さぬ。これでは他の引付方の者たちへ示しが付かぬということじゃ」
「堅苦しいことを……執事殿、本当に将軍が言うたのか」
鷹揚な足利尊氏らしくないと思った。
「本当でござるよ。確かに将軍がこのわしに、入道殿の元へ行くように命ぜられた。ただし、三条殿の進言があってこそじゃがな」
三条殿とは副将軍、足利直義のことである。三条の謂れは、三条坊門(三条高倉)に屋敷を構えていたためであった。
「やはり、あの御仁か。御舎弟殿(直義)はどうも堅苦しくていかん。妙法院に火を着けたぐらいでわしを出羽へ配流としおって」
妙法院の件とは、道誉が紅葉をひとさし折り、持ち帰ろうとしたことに端を発した事件である。佐々木の郎党が、妙法院の僧兵らと乱闘になり、怒った道誉が妙法院を焼打ちしてしまった。
「いや、いや、それは本来、切腹でもおかしくないこと。それに出羽に配流と言うても、遊女をはべらせ、道々に酒宴を開いていたのであろう。しかも、ちんたらと進む途中で許され、帰ってきたではないか。それで三条殿(直義)を恨むのは、いくら何でも逆恨みというものじゃ」
その言葉を受けて道誉が顔だけ振り返る。
「ほう、執事殿ともあろうお方が、まともな事を言う。そなた、女というのなら、洛中の美女を漁りまくっておるというではないか。美女を執事殿の元に連れていけば銭百疋が手に入ると聞いたぞ。そんな執事殿に説教はされたくないのう」
再び背中を見せて、師直をあげつらった。
「たわけた事を。いったい誰がそんな噂を……」
「いやいや、実際、そなたは先の二条関白殿(二条兼基)の姫をさらって、子を産ませたではないか」
「さらったなど、言葉に気をつけられませい。道子は帝(光明天皇)より賜嫁されたまでのこと。二条様は賜嫁に際し、道子を猶子として引き受けられただけじゃ」
顔を向けた道誉に、師直は不機嫌そうに応じた。
ふっと鼻を鳴らし、道誉が新たな生花にはさみを入れる。
「されど、人の奥方を手に入れたいがため、夫の塩冶判官(佐々木高貞)に謀反の罪を被せ、追討して自害させた。可愛そうに、その奥方も自害したのであろう」
「濡れ衣じゃ。あれは塩冶判官の舎弟が、兄に謀反の疑いありと申し出てきたからじゃ。それに、処罰を決したのは三条殿(直義)。奥方欲しさで判官を自害に追い込んだなど片腹痛いわ」
師直は迷惑千万と苦虫を噛み潰した。そして道誉の背中をしばらく見つめ、うぅんと首を傾げ、顎に手をやる。
「まさか、入道殿が数々の噂を流しておるのではあるまいな。そもそも、塩冶判官の舎弟と入道殿は懇意であった。そして、何より、判官の出雲守護は入道殿のものとなったではないか」
「だから何じゃ」
「塩冶判官の舎弟を言い含めて利用し、無実の判官を自害に追い込み、最後は出雲を自らのものとした。それで、己の責任を逃れ、世間の謗をかわすために、それがしの噂を流したのではないか」
出雲の守護職が道誉のもとに転がり込んだのは事実である。すでに道誉は、代官として重臣の吉田厳覚(秀長)を現地に送っていた。
「ふん、埒もないことを」
つまらなそうに言葉を返す道誉であったが、師直に背を向けたまま、にやりと口元を緩めた。
深緑の木々に覆われた高野街道は、日が傾き始めると一気に暑気も退いていく。木漏れ日が低く差し込む時分は、人々の往来にはもってこいであった。
正儀は津田武信とともに、弁内侍(日野俊子)と伊賀局(篠塚徳子)ら一行を警護して、吉野山の行宮に向かっていた。
「あの、三郎様(正儀)……」
弁内侍がはにかむ。
「……河内守様(楠木正行)はお幾つでございましょうや」
「歳ですか。えっと、それがしの七つ上ですから二十五です」
「奥方様は居られるのですか」
矢継ぎ早に質問を投げかけた。
「ええ、二年前に妻を迎え、一年前に子が生まれました。多聞丸といいましてな、これが可愛いの何の。それがしは、一日見ていても飽きませぬ」
「そう……お子まで居られますか……」
これを聞いて弁内侍の足取りは重くなった。さらには、伊賀局までもが肩を落とす。侍女の妙はそんな局の様子にくすっと笑った。
しかし、先達する正儀は、二人の様子に気づかない。
「そうじゃ、お二人とも東条へ寄り道されますか。一夜の宿を寺に借りるくらいなら、我が館にお泊まりになればよい。義姉上(満子)も、さぞ喜びましょう」
「いえ、結構でございます」
ぶすっと伊賀局が応じた。
「そうですか。可愛いのに……のう、当麻(武信)」
残念そうに、正儀は身体をねじって後ろの武信に顔を向けた。
「はっ……左様で」
武信はそう言いつつも、正儀一人がその場の空気を察していないことが可笑しく、必死に笑いをこらえていた。
一行は大和五条の栄山寺に宿を借りるべく高野街道を南に進んだ。だが、怪我を負った者たちも一緒では、思うように進めない。結局この日は、紀見峠の延命院に一夜の宿を借りた。
翌朝、一行は紀伊橋本に出て、伊勢街道を東に進み、吉野山を目指した。
行宮もあと少しというところで、伊賀局が立ち止まる。
「あっ」
「いかがされた」
正儀が振り返えると、伊賀局が草履の鼻緒が切れてしゃがみ込んでいた。
「どれ、失礼つかまつる」
草履を手にした正儀は、自らの腰にかけた手拭いを破いて、あっという間に鼻緒を直した。
「ご面倒をおかけしました」
頭を下げる伊賀局に、正儀が白い歯を見せる。
「何、礼を言われるほどのこともありませぬ。それがしにできることがあれば、何なりと」
すると、侍女の妙が、思い出したように、伊賀局に顔を向ける。
「御局様、例のあの話、武勇の誉れ高き楠木の御曹子にお話してみてはいかがでしょう。よいお知恵をいただけるやも」
妙の言葉に、正儀は頭を掻く。
「いや、御曹子などと呼ばれる身分ではありませぬが……何か困ったことがあるのですか」
すると、伊賀局は、余計な事をと言わんばかりの顔を妙に見せる。しかし、弁内侍までが頷く様子をみて、話を切り出す。
「今、宮中の女房の間では、妖怪騒ぎが起きておりまして。どうしたものかと思案しております」
「妖怪……」
普段は勇ましい武信が顔を強張らせる。
一方、正儀は薄笑いを浮かべて身を乗り出す。
「本当に見たのですか。怖いと思うと木の枝が揺れただけでも化け物に見えるとも言いますが」
これに伊賀局は憮然とした表情をみせる。
「ならば、もう、結構でございます」
「あ、いえ、申し訳ござらん……そ、それで、どのような姿なのです。身の丈は。何か悪さをするのですか」
下手に出た正儀に、局は気を取り直して続ける。
「それが……見た者の話もさまざまで、要領を得ぬのです。ただ一様に、ただならぬものを見たと」
局に気遣い、正儀は腕組みをしながら唸ってみせる。
「ううむ、それだけでは、何とも助言できかねますな。幽霊の類いであれば、たぶん、相手の願いを叶えてやってから、懇ろに弔ってやれば成仏するのではありますまいか。そう、その者の好きなお経で弔ってやっては如何でしょうか」
「はあ……お経でございますか」
場当たりな返答に、伊賀局は気のない返事を返した。
「今宵は満月です。しかと妖怪の姿を見定めたら、それがしに使いでも送ってください。すぐに妖怪退治に駆け付けましょうぞ。はっはっは……のう、当麻(武信)」
「えっ……はあ、まあ」
笑いながら正儀は、顔を強張らせる武信の肩を軽くぽんと叩いた。
その後、一行は無事に吉野山に入る。正儀は、皆を行宮に送り届けると、伊賀局らに別れを告げた。
伊賀局が吉野山に戻ったその日。前日から一転し、まとわりつく湿気が昼間の暑気を夜まで残す、たいへん蒸し暑い夜であった。
夜半を過ぎた頃、伊賀局はあまりの寝苦しさに、涼を求めて奥御殿の庭に下りて夜空を見上げる。
「まあ、何と見事な月」
白く輝く満月が、局の顔を浮かび上がらせた。
月を見て、正儀の言葉を思い出す。
「妖怪の姿をよく見ておけなどと、適当なお方。まさか、こんな明るい夜に、妖怪など出る事もありますまい」
月あかりの元、伊賀局は、赤松の向こうから吹き込む風を受けて、つい口づさむ。
「涼しさを、まつふく風に忘られて、袂にやどす夜半の月影」
すると、松の下からがさごそと音がして、男の声が続く。
「君待つ我は、やぶ蚊に刺され、我慢しかねる」
目を見開いて、伊賀局が思わず後退る。
「御局様、それがしですよ。いやあ、ずっと隠れておったのですが、やぶ蚊に刺されて、大変でした」
聞き覚えのある声に、伊賀局は目を凝らす。松の木の下には正儀が立っていた。
伊賀局は、鼓動を押えるように胸に手を当てる。
「三郎様(正儀)、どうしてここに……」
「いやあ、妖怪の正体を見てやろうと引き返して参りました」
「お連れの方は……」
「ああ、当麻(津田武信)ですね。怖がるので先に戻し、それがしのみ隠れておりました。そうしたら、あなたが出てこられたので、顔を出した次第です」
腕に止まった蚊を叩きながら、正儀が歩み寄った。
無邪気に笑うその顔を見て、局は呆れる。
「このようなところを近衛の兵に見つかれば、ただでは済みませぬよ」
「ただでは済まない……まあそうでしょうね。だいたい想像が付きます。夜が明ける前に抜け出します。決して、ご迷惑はかけませぬ」
頭を掻きながら正儀は応じた。
「本当にもう……」
伊賀局が小息を吐いた。
しかし、妖怪話を適当にあしらったわけではなく、親身になって引き返してくれた正儀を少し見直していた。
「御局様、先ほどの歌……よき歌でございますな」
「三郎様は歌がおわかりになるのですか」
「いや、わかりませぬが、何やら音の響きがよいようにございます」
歌のわからぬ者に褒められても、嬉しくはない。局は小さくうなだれた。
「もう一度、聞かせてくれませぬか」
親身に気遣ってくれる正儀の要望に、伊賀局は、仕方ないといった感じで、もう一度歌を詠む。
「涼しさをまつふく風に忘られて、袂にやどす夜半の月影」
続いて歌の返しが聞こえる。
『唯よく心静かなれば、即ち身も凉し』
すぐさま伊賀局は隣の正儀を見るが、正儀は首を横に振る。
気付けば、明るい月には雲がかかり、あたりは闇に包まれていた。松の下が、ぼんやり青白く光っている。
普通の女であればとっくに腰を抜かすところであろう。しかし、伊賀局は正儀の背中に隠れるようにして、肩越しにその得体の知れないものを凝視していた。
目を凝らすと、だんだんと光が人の形になっていく。狩衣を着た公家の姿であった。だが、頭に烏帽子はなく、髪も結ばれずに伸び放題。何よりその顔には血が滴っていた。
いないと高を括っていた正儀も、思わず仰け反る。
「ほ、本当におったのか……」
そもそも正儀の目的は妖怪や幽霊を見ることではない。いないことを確かめて、伊賀局たちを安心させようと思っただけであった。
「そ、そなたは何者です」
ひるむことなく、伊賀局が問いかけた。
『麿は右衛門大夫、藤原基任じゃ』
妖怪かと思われたその者は、意外にも返事を返した。これに伊賀局は、正儀の背中にしがみ付いた。
正儀が伊賀局に代わって問いかける。
「貴殿はこの世の者とは思えぬが、死んでおられるのか」
『死んではおるが、冥途にも行けず、こうして現世と冥途の間を彷徨っておる』
基任と名乗ったその者が応じた。
(やはり、成仏できていない霊魂の類か)
二人は顔を見合わせて納得する。
物怖じせずに、伊賀局が正儀の肩越しにたずねる。
「右衛門大夫様は、なぜ亡くなられたのですか」
『あれは、都から吉野へ落ちる折のこと。准三后様(阿野廉子)をお守りしておりましたところ、敵方が放った矢を、麿が盾となって御救い申し上げました』
なるほどと正儀は頷く。
「そうか、その時の矢を受けて命を落とされたのじゃな」
「まあ、それは可哀想なことでございました。准三后様が生きておられるのも、貴方様のお陰だったのでございますね。私からも御礼を申し上げます」
正儀の脇に立ち直し、伊賀局は申し訳なさそうに頭を下げた。
落ち着きを取り戻した正儀が語りかける。
「して、こうしてこの世を彷徨っておられるのも、この世に未練がおありだからか。叶えられることであれば叶えましょうぞ。申してみられませ」
『麿は命を賭して准三后様をお守りしました。にもかかわらず、麿が死んだ事など忘れられたかのように、供養もしてもらえませぬ。それが悔しくて往生できぬのです……』
毅然とした態度で伊賀局が口を挟む。
「准三后様は、決してそなたのことを忘れたわけではございませぬ。先帝(後醍醐天皇)や朝廷を護って命を落とした方々のために、朝夕とお経を欠かすことはありませぬぞ」
『ならば、麿が成仏しないのはなぜでございましょうや』
逆に問われて、伊賀局はうっと窮した。
見かねて正儀が提案する。
「貴殿のためだけに、准三后様(阿野廉子)に供養を行ってもらうということでいかがですか」
すると、基任はゆっくりと頷く。
これを見て、伊賀局は正儀に言われた事を思い出す。
「お経は何がよろしいでしょうか」
『法華経が何よりです。麿は、いつも法華経を唱えておりました』
「わかりました。では、私が明日、必ずや准三后様にお話し、僧侶に頼んで供養を致しましょう。ですから貴方様も、成仏されるようお願い致します」
伊賀局の約束に、その者はこくりと頷く。
『では、約束をお待ちしております』
そう言うと、基任の姿は薄れ、その姿を包み込んでいた青白い光も消えていった。
二人は、夢から目覚めたように我に返る。あたりは満月のあかりに照らされていた。空には月を隠す雲など見当たらない。
「夢を見ておったのか。それとも……」
正儀は松の木の下を凝視した。しかし、そこには庭石が一つあるだけであった。
「夢……」
そう小さく呟いた伊賀局は、茫然と正儀に目を合わせた。
「御局殿、大丈夫でございましたか」
「ええ、ありがとうございます。三郎様が居ってくれて、本当によかった」
愛想ではない。心からの言葉であった。
翌日、伊賀局は、准三后(阿野廉子)に事の次第を話した。
「何、右衛門大夫……基任殿であると……」
准三后は声を詰まらせた。
「ご存知なのでございますね」
伊賀局の問いかけに、准三后は気まずそうに頷く。
「存じております。私は右衛門大夫殿も含めて、皆のために手を合わせてきたつもりでしたが、それでは供養になっていなかったのですね。申し訳ないことをしました」
「あの者は、法華経を唱えてほしいとのことでございました」
「そうですか……では、さっそく法華経の供養をさせましょう。すまぬが吉水院の宗信法印殿の元に参じ、お願い申し上げてくれぬか」
「畏まりました」
ただちに伊賀局は宗信の元に向かった。
翌日から吉水院で二十一日間の法華経の供養が行われる。そこには、もちろん准三后と伊賀局の姿もある。
その後、藤原基任は二度と現れることはなかったという。