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第八話

      

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 武田とは梅田の駅前で待ち合わせをして合流した。

 

 それから町を少し歩いて、雰囲気の良さそうなパスタ屋に入った。


 店は、夕食にはまだ早い時間帯ということもあって、土曜日にしては比較的空いていた。


 池田と武田は店員に奥のテーブル席に通されて、向かい合わせに腰かけた。


 程なくして注文を取りに来た店員に、池田も武田もカルボナーラスパゲティのセットを注文

した。


「だけど、ほんまに久しぶりやな」

 と、池田は注文を取った店員が厨房に戻っていくと、微笑んで言った。彼にこうして会ったのは先輩の結婚式以来なので、かれこれ三年振りくらいということになるのだろうか。


「そうだね」

 と、武田も微笑んで答えた。

「今日はこれからどうすんの?」

 と、池田はふと気になって尋ねてみた。

「もし泊まるところが決まってないんやったら、俺ん家に泊まってくれてもいいけどな」

「ありがとう。でも、大丈夫だよ」

 と、武田は池田の申し出に申し訳なさそうに微笑んで言った。


「友達がホテルとってくれてるんや」

 と、池田が納得すると、武田は、

「いや、そうじゃなくて。今日はこのあとすぐ夜行バスで帰るつもりなんだ」

 と、武田は苦笑するように軽く笑って答えた。

「今日来たばっかりなのにすぐ帰るなんて大変やな」

 と、池田は想像しただけで憂鬱な気持ちになった。


「明日、バイト先がどうしてもひとが足りなくてね、仕方なんいだ」

 と、武田は困ったように笑って答えた。

「そっか。大変やな」

 と、池田は曖昧に微笑んで頷いた。それから、テーブルのうえのお冷を手に取った少し口に含む。武田も池田につられるようにしてお冷の入ったコップを口元に運んだ。


「小説は書いてんの?」

 と、池田は手にしていたコップを机のうえに戻すと、なんとなく尋ねてみた。すると、武田は軽く眼差しを伏せるようにして、

「一応ね。書いてることは書いてるよ」

 と、恥ずかしそうに口元で小さく笑って答えた。

「早くデビューできるといいな」

 と、池田は励ますように言った。

「そうだね」

 と、武田は頷いたが、どこかその表情は浮かなかった。


 間もなくすると、池田と武田が注文した料理は運ばれてきた。ふたりはその料理を食べながら、思いつくままに話をした。お互いの共通の友人のこと。最近観た映画の感想。天気の話。お互いが覚えているようで覚えていないような思い出話。何しろ久しぶりなので話題が尽きることはなかった。


 そのうちに店が混み合ってきたので、ふたりは勘定をすませると、店を出た。


 店を出ると、外には、夏の終わりを思わせる涼しい風が吹いていた。空気には微かに秋の匂いがまざりはじめている。風に吹かれて街路樹の木々の葉が揺れて、池田はそんな木々のざわめきを聞いているうちに、ふと、懐かしいような、寂しいような、よくわからない気持ちになった。


 辺りはすっかり日が暮れて暗くなり、ネオンの光が大阪の町を温かく彩っていた。土曜日の夜ということもあって、町を行きかうひとびとの顔はどこかみな華やいで見える。


 武田の乗る予定のバスの時刻は、夜の十時半で、まだそれまでには時間があったので、ふたりは駅近くまで戻ると、その付近にあったセルフサービスのカフェに入った。店に入ると、池田はアイスのカフェラテを買い、武田はブレンドコーヒーを買った。


 店は休日の夜ということもあって混雑していたが、ふたりはなんとか席を見つけて腰を降ろした。


「やっぱ混んでなぁ」

 と、池田はカフェの混み具合いささかうんざりしながら言った。こんなに込み合っていたのでは、なかな落ち着いて話をすることができない。

「みんな考えることは同じだからね」

 武田は池田の科白に軽く笑って答えた。それから、武田はさっき買ったばかりのコーヒーを一口啜ると、

「池ちゃんは最近仕事はどう?」

 と、ふと思いついたように尋ねてきた。


「ほあ、ぼちぼちやなぁ」

 と、池田は武田の問いにかけに、苦笑するように笑って答えた。

「やりがいとかがないわけじゃないけど、でも、そんな楽しいとかじゃないよな」

 池田は口元に浮かべた笑みをそのままに正直な実感を述べた。

「正直、生活のために働いてるって感じなんかな。・・・人間関係とか色々あるしな・・でも、まあ、結局、働くってそういうことなんかもしらんけど」


「そっか」

 と、武田は池田の答えに、どう返事をしたらいいのかわからない様子で、曖昧に微笑んで頷いた。


「俺も、武田みたいになんかやりことがあったらいいんやけどな」

 と、池田は武田の顔を見て、自嘲気味に弱く笑った。

「どうだろうね」

 と、武田は池田の科白を肯定するでもなく、ただ口元で小さく笑った。


 わずかな沈黙があって、その沈黙なかに、周囲の客の話声や、店内に抑えたボリュームで流れている古いジャズの音楽が聞こえた。今流れている音楽は、静かで優しい感じのするしっとりした音楽だった。


 たとえばもっと秋が深まって、肌寒くなってきた頃に、微かに黄金色の色素を含んだ透明な日の光が、葉を落としはじめた木々の枝々をそっと照らしているような。親密で、穏やかで、それでいてどこか物悲しい印象を受ける。


 そういえば、この音楽はどこかで聴いたことがあるな、と、池田はふいに思い出した。一体どこで聞いたのだろう。しばらく考えているうちに、池田はやがて思い出した。


 あれは確か大学生のときだ。大学生のときに付き合っていた女の子が、池田の誕生日にジャズのCDをプレゼントしてくれたことがあった。そのCDのなかに、いま流れている音楽が確か入っていたのだ。


 池田はどうして自分はその子こと別れてしまったのだろうと後悔した。その子は結構真剣に自分のことを好きでいてくれたのに。


「・・・実はさ」

 と、池田が流れている音楽に耳を傾けながら、過去の記憶に思いを巡らせていると、それまで黙っていた武田がいくらか言いづらそうに口を開いた。


 池田が顔をあげて、友人の顔を見つめると、武田は逃げるようにそれとなく眼差しを逸らした。そして躊躇うようにわずかに間をあけから、

「実は今度、俺、実家に帰ろうかと思ってるんだ」

と、武田は告げた。そして、武田はそう言ってしまってから、どんな表情を浮かべたらいいのかわからないといったように、いくらかぎこちなく口元を笑みの形に変えた。


「実家に帰る?」

 と、池田は意味がよく飲み込めなくて友人が口にした言葉を小さな声で反芻した。武田の実家があるのは宮崎だ。池田はずっと昔に武田とはじめて会ったときに、お互いに緊張しながら自己紹介を交わしている場面を思い起こした。そのとき彼は宮崎出身で、大阪には大学進学ででてきたと話していた。


「俺の実家って、自営業やってるんだけど、だから帰って、その手伝いをするのも悪くないかなって最近思って」

 武田は口元に笑みを湛えたままいいわけするように続けた。

「俺もいい加減いい歳だしね・・・いつまでもアルバイトで生活しているわけにもいかないし、そろそろ区切りをつけないと思って」

 武田はそう言ってから、弱く笑った。


「じゃあ、もう小説は書かへんの?」

 と、池田が気になって尋ねてみると、武田は黙って頷いた。

「そっか」

 池田はただ頷いた。どう言ったらいいのかわからなかった。また少しの沈黙があって、その沈黙のなかに周囲の喧騒がそっと溢れた。


「・・・大学を卒業してからこれまでやってみて」

 武田はしばらくの沈黙のあとで口を開くと、ゆっくりとした口調で言った。

「やっとわかったよ。自分には才能なんてなかったんだって」

 武田はそう言ってから、寂しそうに少し笑った。


「でも、まだわからへんちゃうん?」

 池田は友人の顔を見つめて言った。

「実家に帰るのはいいとしても、べつに小説家になるのは諦めんでもいいちゃう?好きだったら、趣味でも続ればいいんちゃう?」

 池田の言葉に、武田は微かに首を振った。そして、

「中途半端に続けたら、未練が残りそうな気がするんだ」

 と、口元で弱く微笑んだ。


「そっか」

 と、池田は頷いた。確かに、このままいつまでもアルバイトで生活していくのは大変だろうし、将来のことや、生活のことを考えると、武田の選択は正しいのかもしれなかった。また中途半端に小説を書き続けると、未練が残りそうな気がするという武田の言葉も理解できなくはなかった。ただ、そうとわかっていながら、池田は残念な気がした。


 池田はどこかで武田の夢を追う生き方に自分を重ねていたようなところがあった。だから、武田が夢を追うことを諦めたということは、そのまま自分の夢が叶わなかったような喪失感を、池田にもたらした。


 池田はふと色んなものが失われていくな、と感じた。若さや、夢や、希望といったもの。ポケットの底にほんのわずかに残っていたものまで消えていってしまう。


「また宮崎にも遊びにきてよ」

 と、武田はいくらか深刻になってしまった雰囲気を取り繕うにように無理に明るい口調を装って言った。

「宮崎に帰っちゃたらなかなか会えなくなると思うけど、年賀状くらいは出すと思うし」

「そうやな」

 と、池田は武田の言葉に弱く微笑んで頷いた。


 そのうちにバスの時間がやってきて、ふたりはカフェを出ると、バス乗り場までの短い距離を一緒に歩いた。あまり会話は弾まず、沈黙のあいだにぽつんぽつんと言葉をおいていく感じだった。もう夏も終わりだねという話を少した。空には明るい月が浮かんでいた。

 

 最後、バスのなかからカーテンをあけて、自分に向かって手を振った友人の顔が、池田のいま見えている視界に重なるように残っていつまでも消えなかった。




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