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第二話

「池田さん、会社終わったあと、ちょっと時間あります?ちょっと相談に乗ってもらいたいことがあるんですけど・・・」

 そう遠慮がちに声をかけられたのは、池田が会社の給湯室で自分のぶんのコーヒーをいれているときだった。


 池田が手にしていたコーヒーカップを手に持ったまま、背後を振り返ると、そこには中島真由がどこか居心地悪そうな表情を浮かべて立っていた。


「いつの間にそこにおったん?」

 と、池田は中島真由に笑いかけて言った。


「さっき、池田さんが給湯室に入ってくのが見えたから、急いできたんです」

 と、中島はいくらかぎこちなく口元を笑みの形に変えて言った。


 中島真由は、池田よりも四つ年下で、今年二十四歳になる。中島真由が池田の勤めている会社に入社してきたのは一年前のことだ。


 中島はどういうわけか、池田のことを慕ってくれていた。お互い洋楽を聴くのが好きで趣味が合うというのがその理由のひとつかもしれないが、池田は後輩に慕われて悪い気はしなかった。それに単純に、中島は可愛かった。


 他の会社の同僚にも可愛いひとやきれいなひとはいるのだが、そのなかでも群を抜いている、と、池田は思っていた。というか、もっとはっきり言ってしまえば、中島は池田の好みのタイプだった。その色が白くて華奢な感じや、林檎色のふっくらとした頬の感じや、明るい表情は、池田に昔好きだったひとのことを思い出させた。


 池田は彼女の顔を見ると、いつも高校生のときに好きだったひとのことを思い出すことになった。もし優貴と付き合っていなかったから、自分は彼女のことを好きになっていたかもしれないな、と、池田はたまに思うことがあった。


「相談って、仕事のこと?」

 と、池田が怪訝に思って尋ねてみると、

「仕事のことといえば仕事のことなんですけど・・・」

 と、中島はそれまで浮かべていた笑顔を打ち消して、いくらか歯切れの悪い口調で答えた。その中島の様子からして、会社のなかではあまり話したくないことなのだろうな、と、池田は見当をつけた。


 池田は自分の腕時計に視線を走らせると、

「今日、ちょっと残業せなあかんくて帰るの九時くらいなるかもしれへんけど、それで良かったら大丈夫やで」

 と、池田は答えた。


 中島は池田の返答に軽く頷くと、わかりました、と、答えた。それから、わたしどこか会社の近くで時間潰してますね、と、中島は続けると、池田に向かって軽く会釈をして、そのまま給湯室から去っていった。 


 池田は片手にコーヒーカップを持ったまま、去っていく中島のどこか思いつめたような後姿をぼんやりと見送った。

                   3



 池田は仕事が片付くと、中島に今仕事が終わった旨をメールで送った。すると、電話がかかってきて、会社近くのカフェで待っていることを彼女は伝えてきた。


 池田は会社を出ると、すぐにそのカフェに向かった。


 池田がアイスコーヒーを買って店内に入っていくと、すぐに後ろから「池田さんこっち」

と、声が聞こえた。振り返ってみると、中島が奥のソファー席に座って池田に向かって片手を上げているのが見えた。池田は彼女の姿を認めると、彼女が座っているソファー席まで歩いていって、彼女と向かい合わせに腰かけた。それから、プラスチックの容器に入っているアイスコーヒーの蓋を開けて、ガムシロップとミルクをひとつずついれてストローでかき混ぜる。


「今、仕事終わったんですか?」

 池田がストローでアイスコーヒーを一口口に含むのと同時に、中島が尋ねてきた。池田は正面に座っている中島の顔に視線を向けると、頷いた。

「大変ですね」

 と、感想を述べる中島に対して、池田は微笑すると、

「いや、今日はまだそうでもないで」

 と、答えた。

「もっとひどいときは終電なくなってからタクシーで帰ることもあるしな」


「やっぱり経験が増えると、そのぶん任せられる仕事も多くなって、大変なんですね」

 と、中島は池田の科白に少し不安そうな表情を浮かべて言った。

「いや、でも、そんないつも残業してるわけじゃないしな」

 と、池田は彼女を安心させるように微笑みかけて言った。

「今日はたまたまやで。俺もいつもはだいたい中島さんと同じくらいに帰ってるで。残業してほんとに遅くになるのは月に二三回くらいのもんやで」


「そっか」

 と、中島は池田の返事を聞いて安心したのかしていないのか、曖昧に頷くと、机のうえにおいてあるアイスティーを手にとって一口飲んだ。つられるように池田もアイスコーヒーを飲んだ。


「それで、俺に相談したいことってなんなん?」

 と、池田は手にしていたアイスコーヒーのカップをテーブルのうえに戻すと、冗談めかして明るい口調で言った。

「もしかして会社のなかに好きなひとがおるとか?」


 池田の問いかけに、中島は沈んだ表情で短く首を振った。それから、中島は迷うように一度眼差しを伏せてから、再び顔をあげて池田の顔を見ると、

「池田さん、大島主任のことどう思います?」

 と、どこか思いつめたような口調で中島は言った。


「大島主任?」

 と、池田は中島の質問の趣旨がわからなくて繰り返して言った。


「大島主任がどうかしたん?」

 と、池田は尋ねてみた。池田は正直言って主任のことがあまり好きではなかった。主任は池田が何かひとつミスをすると、いつまでもそれをネチネチと冗談にして嫌味を言ってくるし、自分は大して仕事はしないくせに、あれができていないこれができていないとうるさいのだ。でも、それは個人的なことなので池田は黙っていた。


「・・・なんか最近ひどいんですよね」

 と、中島は池田の問いかけに少し躊躇ってから口を開いた。

「ひどいって?」

 と、池田が話しの続きを促すと、

「なんかセクハラみたいなの」

 と、中島は俯き加減に短く答えた。


 池田が中島の意外な言葉に戸惑っていると、

「最初は言葉で言ってくるくらいでそんなに大したことなかったんですけど」

 と、中島は続けて説明した。

「でも、最近は露骨に身体とか触ってきて、それでわたしが抗議しても、ただ笑ってるだけで、全然聞いてくれる感じじゃなくて」


 池田は中島の告白を聞いていて、主任が自分の知らないところでそんなことをしていたのかと腹が立った。前々から人間として尊敬できないひとだなとは思っていたが、やっぱりそういうひとだったのか、と、池田は改めて嫌になった。


「それは最低やな」

 と、池田は呆れて言った。

「ほかのひとにもそんなことしてるん?」

 と、池田が気になって尋ねてみると、

「みんなも同じかどうかはわからないんですけど、でも、わたしと仲のいいかなちゃんとはやっぱりそういうのあるみたいですね」

 と、中島は同僚の女の子の名前を挙げた。


「それ、部長とかに相談したらいいんちゃう?」

 と、池田は本気で腹が立って言った。

「部長とかに言ったらなんとかしてくれるやろ?」


「でも、あのひと、主任、上のひとと結構仲良いじゃないですか?だから、わたしなんかが何か言っても、真剣に聞いてもらえないような気がして」


「なるほどなぁ」

 と、池田は中島の話に頷いた。確かにそういうことはあるかもしれないな、と池田は思った。主任は部長や総務と仲が良い。そもそも池田の働いている会社は主任の親族が経営している会社だ。だから、たとえ彼女が相談しても、主任が適当に言い訳して誤魔化されてしまう可能性はあった。


「それに」

 と、中島は池田が黙っていると言葉を続けた。

「もう、なんか主任みたいなひとがいるところで働きたくないんですよね」

 と、中島はポツリと言った。


「そっか」

 と、池田は中島の言葉にたた頷くことしかできなかった。

「中島さん、結構仕事頑張ってたのに残念やな」

 と、池田は小さな声で言った。


 池田の知っている限り、中島は会社のほかの誰よりも一生懸命に仕事に取り組んでいる印象があった。池田は彼女の仕事に対する前向きな姿勢に密かに感心していたのだ。そんな彼女の前向きな意志や、頑張りが、ひとりの人間の自分本位な行動によって無為に潰されてしまうのだと思うと、池田は悔しかったし、憤りを覚えずにはいられなかった。


「やっぱりだめもとで部長とか社長に相談してみたら?」

 と、池田は少しの沈黙のあとで言った。

「中島さんは何も悪くないのに、主任のせいで辞めるなんて悔しくない?」


 そう言った池田の科白に、中島は顔を俯けたまま何秒間のあいだ黙っていたけれど、

「それはわたしも思ったんですけどね」

 と、やがて中島は口を開くと言った。


「でも、たとえそうやって部長とかに報告して、主任が注意されたとしても、そのあとも主任とは一緒に仕事していくことになるわけじゃないですか?そしたら、気まずいし、嫌だなって思って。こんなことで会社辞めるなんてほんと悔しいんですけどね、でも、やっぱりなって思って・・・」


「そっか」

 と、池田は中島の話に頷いた。池田は彼女のために何かしてあげたいと思ったが、何をどうしたら良いのかわからなかった。咄嗟に池田が思いついたのは、主任の顔を思いっきり殴ってやることだったが、そんなことをしても何の解決にもならないことはわかりきっていた。


「なんか今日は話を聞いて頂いてありがとうございました」

 と、しばらくの沈黙のあとで、中島は顔をあげると、少し無理に微笑んで言った。

「こんなこと池田さんに話してもしょうがないし、すごく個人的なことで申し訳ないんですけど、でも、なんか誰かに話さないと自分の心に上手く整理がつけられそうになくて」


「いや、そんな気にせんでもいいで」

 と、池田は微笑んで答えた。

「俺のほうこそ、何も力になってあげられへんくんてごめんな」

 と、池田は謝った。

「ううん。池田さんに話してちょっとすっきりした。残業で疲れてるのに、つき合わせちゃってごめんなさい」

 中島はどこか哀しそうな笑顔で言った。


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