第十二話
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泉谷も交えて中島と食事に行く日は、十一月最初の土曜日に決まった。池田がそのくらいであれば時間を作ることができそうだと中島にメールを送ると、じゃあその日にしましょうと中島から承諾の返事が帰ってきたのだ。
池田は泉谷とは家が近所なので一緒に電車に乗って出かけ、待ち合わせ場所の梅田駅で、中島とその彼氏と合流した。
中島の彼氏と顔を合わせるのははじめてなので、池田も泉谷も少し緊張しながらお互いに自己紹介を交わした。中島の彼氏の名前は、寺岡琢磨といい、その一見怖そうな外見とは対照的に話しやすく明るい雰囲気で、すぐに打ち解けた仲になった。
どこに食べに行こうかと四人は梅田駅周辺を転々としたあげく、最終的に食べ放題の焼肉屋を見つけて、そこに入ることにした。
さすがに休日の夜ということもあって店は混雑していたが、それほど待たされることもなく、四人は席に通された。
席につくと、程なくして注文を取りに来た店員に、四人は焼肉の食べ放題のコースを注文し、それから各々好きな酒を頼んだ。
オーダした酒はすぐに運ばれてきて、四人は乾杯してからお互いの近況を報告し合った。
聞いたところでは、中島たちふたりはもう既に東京に住むところを決めてきたという話だった。
「いつ間に決めてきたん?」
と、池田がいささか驚いて尋ねると、中島は小さく笑って、
「会社辞めたあとすぐですね」
と、答えた。
「こういうのは早く行動した方がいいだろうと思って」
「でも、新しく何かをはじめるのっていいよな」
と、泉谷はまるで自分が新しい生活をはじめるかのようなうきうきとした口調で言った。
「そうですね」
と、中島は泉谷の科白に微笑して相槌を打った。
「色々不安なこともあるけど、でも、いまは楽しみなことの方が多いかな」
「東京に行こうって言い出したのは俺の方なのに、なんかコイツの方が妙に張り切っちゃってるんスよね」
と、中島の隣に腰を下ろしている寺岡が苦笑するように笑って言った。
「新しい仕事さきとかは決まってんの?」
と、池田がふと気になって尋ねてみると、中島は頭を振った。
「まだ何も。でも、最初はバイトでいいかなって。この前決めてきたアパートも家賃五万円くらいでそんなに高くないし、彼氏もバイトするって言ってるし、家賃も折半すれば半額になるし。だからなんとかなりそうかなって。貯金もちょっとだったらあるし」
「そっか。ちゃんと色々考えてるんやな」
「一応は」
中島は池田の科白に小さく笑って頷いた。
「まあ、ほんまは養ってほしいんスけどね」
と、寺岡が冗談めかして言うと、
「はぁ?何言ってるのよ。あんた」
中島に一蹴された。
そんなふたりのやりとりに誘われるようにして池田も泉谷も少し笑った。
と、ちょうどそのころに、四人が注文した焼肉用の肉がテーブルのうえに運ばれてきた。それからしばらくはみんな焼肉を食べるのに夢中になって口数も少なくなった。
ある程度腹が膨れたところで、
「でも、ほんまにこの前のライブ、すごい良かったですよ」
と、池田は自分の向かいの席に座っている寺岡に向かって感想を述べた。
「あれやったらほんまにプロになれそうかも」
池田の科白に、寺岡は照れ臭そうに笑った。
「そんなふうに言ってくれるなんて、池田さんいいひとですね」
「いや、お世辞とかじゃなくて、ほんまに」
「東京にはバンドのメンバーみんなでいくんですか?」
と、それまで黙っていた泉谷が途中で口を挟んだ。
その泉谷の問いに、寺岡は若干表情を曇らせて首を振った。
「いや、東京に行くのは自分だけですね」
と、寺岡は目線を落として、残り僅かになったビールを口元に運びながら答えた。
「実はバンド解散しちゃったんですよ」
と、寺岡は苦笑して言葉を続けた。
「この前まで組んでたバンドのメンバーってみんな同い年くらいなんスけど、みんな二十六とか、八とかそれくらいで・・・それでみんななかなか結果出せないから、そろそろいい年だし、バンド辞めようっていう話なってて。
でも、まだ俺はまだ諦めたくなくて・・っていうか、未練があって、だから、そういうのもあって、今回東京に行くことにしたんスけどね。最後に、もう一回だけあがいてみようかなって。無駄かもしれませんけど」
寺岡はそこまで話すと、それまで俯けていた顔をあげて泉谷の顔を見ると、困ったように曖昧に少し笑った。
「そっか。でも、確かに色々悩みますよね」
と、泉谷は寺岡の言葉が予想外だったようで、いくらか気遣わしげな表情で言った。
「・・・なんでなんスかね。寺岡さんたちのバンドやったら、普通にプロとしても通用しそうな気がするんですけどね」
寺岡は泉谷の発言に口元で力なく笑った。
「そう言ってもらえてすごく嬉しいです・・・俺も、自分の演奏とか曲にはある程度自信あるつもりなんスけどね・・・でも、まあ、どうしようもないですからね。こういうのって巡り合わせだから・・・それに、こんなこと思ってるやつらなんて一杯いるんだろうし」
寺岡はそこで言葉を区切ると、
「でも、とりあえず、東京でやれるところまでやってみます。俺、いま二十七だから、三十歳くらいまでは。それでもしだめだったら、また考えます」
寺岡はそう言って笑顔を浮かべた。
つられるようにして池田は微笑むと、
「東京行ったら、意外とすぐ結果だせるかもしれませんよ。今のうちにサインもらっとこうかな」
と、冗談めかして言った。
「あ、俺もお願いします」
と、池田の言葉に、泉谷も続いた。
「ふたりとも気が早いすぎです」
と、寺岡はそう言って可笑しそうに笑うと、顔の前で手を振った。
それから、しばらくのあいだは音楽談義になった。高校のときにどんな音楽を聞いていたかとか、好きな曲について。
一通り音楽に関する話題がつきたところで、
「東京にはいつぐらいに発つつもりなん?」
と、池田は一枚だけ余っていた肉を皿のうえに運びながら中島に尋ねてみた。すると、中島は、
「一応、十二月の頭を予定してます」
と、短く答えた。
「一応、日曜日なんで、もし暇だったら、見送りきてくださいよ。寂しいんで」
と、中島はいたずらっぽく笑って言った。
「自分で言うなって」
と、中島のとなりで寺岡が笑って突っ込みを入れた。
つられるようにして池田は軽く笑うと、
「でも、ほんまに時間あったらいくわ」
と、池田は微笑して言った。
「中島さんたちには頑張ってもらいたいしいな」
「ほんとですか!?」
中島は池田の発言にほんとうに嬉しそうな笑顔で言った。
「ほんじゃ、俺も行こうかな」
と、泉谷が池田のあとから遠慮がちな声で言った。
「なんか賑やかな出発になりそうですね」
と、寺岡は微笑んで言った。
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中島たちと別れたあと、池田はまた泉谷と一緒に電車に乗って帰った。
途中まで方向は同じなので、池田はアパートまでの帰り道を泉谷と一緒に並んで歩いた。もう午前零時近くになった街に人影は少なかった。肌寒いせいか、街を彩っている街灯の光は妙に暖かく、しんみりとして感じられる。
「でも、ふたりにはほんとに頑張ってもらいたいよな」
と、池田は歩きながら、今日中島たちと交わした会話をふと思い出して泉谷に話しかけた。
「そうやなあ」
と、泉谷は池田の科白に曖昧な笑みを浮かべて静かに頷いた。
思い出したように少し強い風が吹きぬけていった。十一月に入っていよいよ風も本格的に冷たくなってきた。どこか近くの空き地で鳴いているらしい虫の鳴き声が、風がふきすぎていったあとに静けさを引きたてるように聞こえた。
「でも、あれやな」
と、少しの沈黙のあとで、泉谷は池田の方を振り向くと言った。
「今日、中島さんの彼氏も言っとったけど、やっぱ、俺らくらいの年齢になると、それまで目指してたものとかみんな諦めていってしまうよなぁ」
そう言った泉谷の口元に浮かんでいる微笑は、どこか寂しそうにも映った。
「まあ、年齢的なこととか色々あるし、ある程度仕方のないことなんやろうけどな」
泉谷は池田が黙っていると、自分に言い聞かせるようにそう続けた。
池田は泉谷の科白に耳を傾けながら、つい最近故郷に帰っていった友人のことを少し、考えた。彼は今頃どうしているのだろうと池田は思った。
「でも、なんか嫌やな」
泉谷は話し続けた。
「いつも間にか現実なんてこんなものやって諦めるのが当たり前みたいになってるみたいで」
太陽は微笑して言った。
「これからさきの未来にいいことなんて何もないような気がしてしまうやん」
「確かにな」
池田は曖昧に微笑して頷いた。確かに泉谷の言うとおり、いつの間にか気がつかないうちに、何かを諦めることが、上手くいかない現実を受け入れることが、当たり前のことになってしまっているような気がした。どうすれば傷つかずにすむか、失敗せずにいられるか、そんなことばかり考えている自分がいるようで池田は嫌になった。
「でも、だから余計に」
と、泉谷は少し感覚をあけてから微笑んで言葉を続けた。
「中島さんたちには頑張って欲しいよな。俺らとは違って、前に向かって進んでいって欲しいと思うよな」
そう言った泉谷の声は、どこか願うようにも響いた。
ふと、何気なく目線あげると、そこは月が見えた。月は半透明の淡い銀色のひかりをこちらに向かってやわらかく投げかけていた。それは目に冷たいような光だった。池田はまるで雨降りを確認するときのようにそっと手を差し出すと、舞い降りてくる月の光を掌に受けてみた。すると、掌に一瞬微かな温もりが伝わって、でも、それは雪が溶けるようにすぐ消えた。
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