ハルスの手記『公暦193年 冬の44日目』
01.
久しぶりの帰郷。
街はこんなに荒んでいるのが普通だったか?
それとも自分の記憶が誤りだったか?
路地からは嫌な臭いもする。
早々に宿屋に入り部屋で落ち着くことにする。
記憶は美化されるものだというけれど、どうやらそれは本当らしい。
・・・ああ、でも。
冬の肌を裂くようなこの寒さだけは、何時まで経っても変わらない。
02.
少し散歩をと外に出ると、宿屋の前で長い銀髪に真珠色の瞳をした子供が随分と薄着で震えていた。
珍しい外見から少し声を掛けてみると、俺が泊まる宿屋で働いているという。
何故中に入らないのかと尋ねるとポロポロと己の過去を語りだした。
(あまり聴いていて気持ちの良い話ではなかった。)
昔の自分ならばそれで終わりだっただろうが、何処となくティアやテラーと似た雰囲気に、放ってはおけなかった。
我ながら、非常に面倒くさいことに足を突っ込んだと思うが、行動を起こしてしまったのだから仕方がない。
具体的には、その子供(名を、ビリトと言う)を譲ってもらいたいという交渉を宿屋にした。
ビリトを物として扱うことになる上に、あまり綺麗な手段とは言えなかったが、一刻も早く何とかしなければ、最悪この寒空で凍え死んでしまっただろう。
宿屋の主も最初こそ「譲る気はない」と言っていたが、良い厄介払いとでも思ったのだろう。
途中からは掌を返してビリトが出ていきやすい条件を提示してきた。
俺も人のことは言えないが、本当に嫌な奴等だ。
03.
ビリトから聴いた、故郷である集落の話はとても興味深かった。
彼自身、幼い頃に故郷を離れてしまった故に、余り多くのことは覚えていないようだが、独特の風習は是非一度調査してみたいものだ。
ビリト曰く。
成人を迎えるまで、男は女として、女は男として過ごすという習わしがあるらしく、ビリトはそれに則り女装をしているという。
女としてというけれど、装いをするだけでいいようだ。
成人は16歳。
ビリトは恐らくまだ10に満たないだろう。
・・・出来るものなら成人するまでに故郷へ帰してやりたい。
a.
キギカイ国は常に寒さに覆われた四季の無い国。
国の中でも比較的暖かい所に位置するその街も、この時期は肌が裂けるほどに冷え、雪に覆われていた。
こんな国だからこそ、暖をとる機械は発達したともいえるのかもしれない。
散歩をしようと宿屋を出たところで、薄着の子どもが蹲り寒さで震えていることに気が付いた。
雪の中を靴も履かず、上着も何一つ着ていない。
こんな子供を外に放り出すなんて、と眉を顰めた。
普段ならばそれだけで終わってしまっていただろうが、その子供が実にハルスとって興味深い容姿だった為に、接触をはかることにした。
無言で上着を被せると、子供は驚きを隠せずハルスを見上げる。
「あ、あの、落し、ましたよ?」
フラフラと、なんとか立ち上がり、上着をハルスへ差し出す。
けれど彼はそれを受け取らない。
「羽織っておけ。・・・お前は此処で何をしている?」
「はっひ、え、と、・・・ここ、で、働いて、て」
ハルスのぶっきらぼうさに、怒っていると勘違いをしたのか、子供は泣きそうになりながら答える。
「働いているなら何故中に入らない? 此処は寒いだろう」
「ぁ、ぅ、あ、お皿、割っちゃって・・・その罰で・・・」
皿を割った程度で外に投げ出すのか。
そんなことを思っていると、子供は「それに・・・」と言葉をつづけた。
「わた、し、きもち、悪い、って・・・仕方ない、って」
「気持ち悪い?」
ぽつりぽつりと吐き出される言葉は、表現力が乏しいせいもあり聴き取るのは困難ではあったが、大体の予想はついた。
話し終わった後、ハルスの方から確認の為内容を要約して復唱してみると、子供は小さく頷く。
腕を組み眼鏡を軽く触り、考える。
素直に、放っておけないと思った。
この後どうするか思考を巡らせていると、上着を押し付け無理矢理に返した。
「あ、の。汚くなってたら、ごめんなさい・・・」
「羽織っておけといっただろう」
「ご、ごめ、ごめんな、さい」
「謝るなら返すな。着ていろ」
「ごめん、なさい・・・。でも、そんなこと、したら、おじさんに怒られちゃう、ので」
寒さなのか恐怖なのか、小刻みに震えながら俯く。
ハルスは仕方なく上着を受け取り、その子に見せる様に羽織ってみると、安心したように笑った。
「返してもらう代わりに、名前を教えろ」
「名前?」
「無いのか?」
「あ、あります! び、・・・ビリト、です」
「ビリト、か。俺はハルスだ」
「ひゃあっ」
両手で顔を覆い、もじもじとする姿に、ハルスは不思議そうに視線を向ける。
その視線に気付いているせいか、一向に手をどかそうとしない。
「くすぐったいです・・・」
「どういうことだ?」
「名前、呼んでもらったの、懐かしくて、くすぐったいです」
「・・・・・・」
指の隙間からそっとハルスの顔色を伺い、「や、やっぱり、今の、無し、です!」と声を上げた。
その時、ハルスは、どんな手を使ってでもこの子を救おうと決意したのだった。
b.
月の様な銀髪に、真珠色の瞳。
その美しい容姿から幼い頃に攫われたビリト。
市場で売られていたビリトを買ったのは大金持ちの人種コレクターの男だった。
けれどその男は事故で亡くなり、見知らぬ土地で路頭に迷っていたビリトは、その後さまざまな不幸を経験し、今はハルスと共にいる。
ハルスもコレクターの男と同様に、その特殊な髪と目に興味を持ち手を差し伸べた。
当時のビリトはそのことに気付いておらず、まるで彼が神様のように見えていたが、今にして思えば「先生らしい」と呆れてしまう。
それでも、動機はどうあれハルスに助けられたことは事実であり、またハルスが決して悪い人間ではなかったのも事実。
呆れはしても、感謝を失くすことは無い。
死にかけていた所、声を掛けてくれた。
手を差し伸べてくれた。
誕生日をくれた。
衣服をくれた。
知識をくれた。
名前を呼んでくれた。
助けてくれた。
ハルスは神様ではなかったけれど、確かにビリトの先生だった。




