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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ジンジャエール

作者: 魚谷幸


「キス、してもいいよ」

奈緒さんの唇は、震えて、濡れていた。



 今日の今日まで私は、自分が幸せ者だと思ってた。

 友達はみんな少し意地悪だけど、本当はいいやつばかりで。

 恋人にも恵まれて、毎週デートしてるし。

 学校は楽しい。自分の興味あることを勉強できる幸せ。

 ゼミもなんだかんだ仲良しで、半年に一回の飲み会は最高に楽しい。


 それなのに。それなのに。

 どうしてこんなにも、胸が苦しいのだろう。




今日はゼミの飲み会だった。全員で15人。そのうち女の子は11人で、ほとんど女の子ばかり。男の子たちはいい子だけど、なんだかんだ静かだからあんまり目立たない。先生も40代のおばさんだから、トークは女の子中心で結構えぐい。文学系のゼミなのだから、文学の話でもすればいいのだけれど、行き着くところは恋バナってやつで。先生までもノリノリだから、男の子たちはどうも肩身が狭いらしい。隅っこで困った顔で聞いている。

 私はピーチ何とかというかわいらしい名前のお酒をちびちびと飲みながら、話に耳を傾ける。今は、紗栄子の泥沼の恋の話で持ち切りだ。あの先輩と付き合ってたとか、その時にあの先輩と遊びに行ったとか。紗栄子はいつもすごい。かわいらしい顔と、でかいおっぱいが彼女の武器。あれになびかない男はいないんじゃないかって本気で思う。けど私は女の子だから、いまいちおっぱいの良さってのはわからない。恋人の日比野さんはいつも言う。「おっぱいよりおしり」って。まるで私のおっぱいが小さくて、おしりが大きいみたいでなんか嫌。嫌だけど、日比野さんは優しいから好き。頭すっからかんで私のことよりもももクロのほうが大事だとしても好き。恋ってこういうもんだと思ってる。


 私の隣は奈緒さん。同じ年なんだけど、なんのなく「奈緒さん」って呼ぶ。奈緒さんって呼ぶのが正解だって、ゼミの誰もが疑わない。先生だって奈緒さんって呼んでる。誰も、奈緒とか、奈緒ちゃんとか呼ばない。いや、呼べない。そういう雰囲気の人だった。でも本人はその呼び名になんとなく不服そう。本人曰く「距離を感じる」ていって、困った顔してた。でも、いまでは慣れたのかしら。奈緒さんって呼んでも、「何?」ってすぐ反応する。

 奈緒さんはお酒を飲まない。飲めないんだって本人は言うけれど、飲めないって顔してない。それはそれは酒豪ですって顔してる。けれど本人は「だから飲めないんだって」ってまた困った顔をする。私が思うに、きっと飲んだら豹変するとかそういう秘密があるんだと思う。だから、あんなにも神経質にアルコールを拒絶するんだと思う。いつも飲むのはジンジャエール。ソフトドリンクって言ってもいろいろあると思うんだけど、絶対にジンジャエール。最初から最後までずっと同じの注文。本当に好きなんだなって思う。好きっていうかこれしか飲めないっていう感じで、ジンジャエールを飲み続ける。私はそんな奈緒さんが好き。

 そう、私は奈緒さんが好き。いつも静かなのに、時たまに辛辣な突込みをするところとか。ジンジャエールばっか飲んで子供っぽいのかと思えば、コーヒーはブラックしか飲まなし、煙草はばかばか吸うところとか、ギャップが結構ある。眼つきは鋭いのに、背は低くて幼児体型してるところとか。なんかいろいろアンバランスで、惹かれる。なんとなく目についてしまう。見つめてしまう。彼女のことが気になってしまう。だからきっと私は奈緒さんのことが好き。

 紗栄子の話で盛り上がっていた飲み会もいつの間にかお開きの流れになっていた。幹事の加藤君とおっちゃんにお金を払う。ざわざわとした店内を横切って店を出ると奈緒さんがスマホをいじってた。何気なく画面を除くと知らない名前の人とLINEしてるのが見えた。なんとなく見ちゃいけない気がして、すぐに顔を上げる。困った顔した奈緒さんがこっちを見てた。

 私は少しだけ言い淀んだのだけれど、何か言わなきゃって使命感に駆られて「それ誰?」なんて図々しい質問を投げてしまった。そんなこと聞きたくもないのに。奈緒さんは「んー、知らない人だよ」って曖昧に答えた。私は今まで積み上げてきた何かががらがらと崩れる音が自分の中から聞こえるのを確かに感じながら、下を見てしまった。

 奈緒さんの足が見える。少し汚れたスリッポン。ヒールでも履けば少しは大きく見えるのに、この人にはコンプレックスとかないのだろうか。


 幹事は店の前でお開きの合図をした。このまま帰る人もいれば二次会に突入していく人もいる。幹事の加藤君が二次会に行く人を呼び掛けてるみたい。私は、少しだけ酔ったみたいでふわふわしながら、日比野さんに連絡を入れた。このまま泊りに行こうと思って。

 横を見ると私よりも小さな奈緒さんが加藤君を見つめてた。いつもは帰るのに、今日は二次会コースですか。なんて頭で考えてたら不意にこっちに視線を移した。突然見つめあうことになってドキッとしておどおどしていると、奈緒さんはもっと驚くことを言ってきた。

「この後二人で抜けよう」って。


 二人で少しだけおしゃれなお店に来た。こんな大人な雰囲気のお店、初めてだったからドキドキして、それよりも奈緒さんと二人っきりなのはもっとドキドキして。何を頼めばいいのかわからなかった。メニューを見せて、これさっき飲んでたのだよって教えてくれる奈緒さんの目が、信じられないくらいに優しくて深い色をしていて、もう私は泣き出しそうだった。

 結局奈緒さんはジンジャエールを、私はピーチの味のするカクテルを頼んでゆっくり話していた。ゼミのこと、卒論のことそんな話をしたはずだけれども、どうしても思い出せない。奈緒さんの吹かしたタバコが、暗い店内でゆっくりとうごめいているのをぼーっと見ていた気がする。


 「キス、してもいいよ」

何がどうしてそんな話になったのか。でも私がきっとけしかけた。「キス、していい?」って。そして奈緒さんは「いいよ」って言った。だから私はキスをした。本当に触れるだけのやつを。


 お店を出て駅へ向かう。奈緒さんは遅くなっちゃったねなんていうけど、それでも嬉しそうだ。まったくアルコールの入っていない奈緒さんの体は、きっと店の冷房に冷やされて冷たいだろう。私はこんなにも熱くて、切なくて、死にそうなのに。駅の構内でサヨナラして、また来週なんていう。奈緒さんはいつもと変わらず、颯爽と帰って行った。一人残された改札前。何気なくスマホを見れば、日比谷さんから電話が来ていた。かけなおすと、「泊まりに来るって言ってそのあと2時間も連絡なかったんだけど」と少し怒っているようだった。私が心ここにあらずで返事をすると、心配になったみたいで駅まで迎えに来てくれた。きっと酔っぱらいだって思われた。確かに酔ってはいた。あのピーチ何とかっていうお酒と、奈緒さんの存在に。奈緒さんは甘いお酒だ。甘くて、深くて、信じられないくらいにおいしいお酒だ。底なし沼のような奈緒さんに、私はもうはまってしまっているのかもしれない。運転席の日比野さんを見る。結構イケメン。そして頭はすっからかん。日比野さんの肩に鼻を押し付けて思いっきり匂いをかぐ。なぜか奈緒さんの煙草のにおいが頭に浮かんで、ゆっくりと私の心を満たしていくようだった。


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