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2-4

 その夜、オルブライト家にはナタリアとラファエルだけが残っていた。


 いくら使役獣を名乗っているとはいえ、今日出会ったばかりの男性と二人きりで同じ屋根の下一晩を過ごすことに抵抗を感じたナタリアは、デュークがうるさく騒ぐこともあって、ラファエルに一旦混沌へ帰るように言った。

 しかし彼はあっさりとそれを拒否してみせた。


「はあ? せっかくご主人様に会えたのになんで帰らなきゃならねーんだよ。だいたい、使役獣が常に主の傍にいるのは当然だろうが」


「それに――」と言いながら、ラファエルはごく自然な仕草でナタリアの顎に手を添えると、くいっと自分の方へ向けさせた。


「こんな広い家にこいつ一人じゃ可哀想だろうが。なんなら、俺が添い寝してやったっていいんだぜ」


 飄々とそう言ってのけるラファエルに、デュークは青筋を浮かべて詰め寄った。


「さあ、今すぐ混沌に帰ってもらおうかこの色ボケ亀……!!」


 デュークに胸倉を掴まれてもラファエルはまったくこたえない。むしろ悪戯っ子のような顔でデュークを見下ろした。


「……なあ、なんでお前がそんなに怒る必要があるんだ? 俺がナタリアと一緒にいると、なんか不都合でもあんのかよ?」


 するとデュークの背後にいたテスがすかさず身を乗り出す。


「――どうなんですか、デューク様?」


 途端に、デュークの顔が怒りとは別の感情で真っ赤に染まる。


「~~~~~!! 馬鹿テス~~~~~~!!」


 大騒ぎする男三人を前に、ナタリアは一人頭を抱えた。男子というのは、どうしてこう子供っぽく大騒ぎするのが好きなのだろう。

 ナタリアはすうっと息を吸い込むと、お腹の底から大きな声を出して馬鹿騒ぎしている男共を一喝した。


「いい加減にしなさーーーーい!」


 三人が驚いて黙ってしまったのを確認すると、ナタリアは改めてラファエルに言った。


「ラファエル。あなたが本当にわたしの使役獣なのかどうかはひとまず置いておいて、一応今夜は混沌に帰ってくれるかしら。あなたのことを疑っているというわけではなくて……このままじゃ、いつまで経ってもこの二人まで自分の家へ帰らないもの」


 ナタリアに冷たい視線を向けられて、デュークは言葉に詰まる。

 ラファエルは乱れた襟元を正しながら、面倒くさそうに答えた。


「まあ……お前がそこまで言うのなら帰ってやりたいところなんだが。実は俺にも、帰り方がわからないんだよな~」

「は?」


 デュークがあんぐりと口を開ける。しかしすぐに彼がとぼけているのだと理解して再びラファエルの胸倉を掴んで締め上げる。


「獣のくせにそんなはずないだろうが、この助平亀……っ!」


 しかしラファエルはうざったそうにデュークの腕を払いながら言った。


「いちいちうるせーな。本当なんだよ。帰り方がわかんねーの! まあ、テスが俺を連れて一緒に混沌に帰るとかだったら、帰ることは帰れると思うんだが……。そうすると、今度は混沌から出て来られる気がしねえ」


 使役獣としてあるまじき発言をするラファエルに、デュークも驚いて目を丸くする。


「……そんなの、主に召喚されれば簡単だろうが」


「それに俺、混沌の闇が嫌いなんだよ。だから真面目な話、ナタリアさえよければ、俺はこのままこっちの世界にいたいんだけど。そのうちに、こっちの世界と混沌を行き来するやり方を思い出すかもしれねーし」


 デュークとテスは顔を見合わせた。ナタリアとラファエルが本当に主従の関係であるならば、ラファエルの発言はどれも使役獣としては有り得ないことだった。

 そもそも、最初に混沌に帰るように言ったナタリアの言葉を拒否できたことがまずおかしい。使役獣にとって主の言葉は絶対のはずなのだ。


『お前、やはり本当はナタリアの使役獣などではないのだろう』


 喉まで出掛かったその言葉を、デュークは密かに飲み込んだ。あのテスですら、口をつぐんでラファエルを見守っているのだ。不用意な発言をして使役獣を得たと喜んでいるナタリアを傷付けたくはなかった。

 ナタリアもまた、ラファエルの言動に激しい不安を抱いたのは確かだったが、それを追求するだけの勇気はなかったのだった。


 結局、ラファエルはオルブライト家に泊まることになった。最後までデュークは猛反対したのだが、使役獣が主と共にあるのは当然だと主張するラファエルと、成り行きが面白いという理由で彼に賛同するテスによって、デュークは半ば無理やりオルブライト家から帰されたのだった。


 就寝のためにナタリアが自室に入ると、ラファエルも当然のようにナタリアの後について来た。

 さすがにナタリアが吹雪よりも凍てついた視線を向けると、ラファエルは渋々といった様子で肩をすくめた。


「それじゃ、俺は階下で寝かせてもらうわ。まあ、寂しくなったらすぐに呼んでくれて構わねーからな、ご主人様」


 ラファエルの軽口を無視してナタリアが布団にもぐったのを確認すると、ラファエルは去り際に部屋の明かりを消した。

 その途端、ナタリアの悲鳴に近い叫び声が闇に響く。


「――明かりは消さないで!!」


 その声があまりにも必死だったので、ラファエルは慌てて今消したばかりの燭台に再び火を灯した。室内に柔らかな明かりが満ちると、ナタリアは安堵した様子でほっと息をついた。

 ラファエルはその反応を不思議に思わなかったわけではないが、ほんの一瞬思案した後、「おやすみ」とだけ呟いてドアに向かった。

 その背中に、ナタリアの声がかかる。


「……ありがとう、ラファエル」


 急に改まった口調でお礼を言われ、ラファエルはナタリアを振り返った。ナタリアはベッドから半身を起こし、何事もなかったような表情でラファエルを見送っていた。

 ラファエルは部屋の外に向きかけた足をナタリアの方へ戻すと、ベッドの横に腰掛けた。


「そんなふうに色っぽい声で礼なんて言われたら、俺的には『行かないで』って言っているように聞こえるんだけど?」


 そんなつもりじゃない、と言い返したいナタリアだったが、なぜか上手く言葉にできなかった。

 否定も肯定もしないナタリアをラファエルはもう茶化したりはしなかった。代わりに、そっとナタリアの肩に手を置くと、ベッドに横になるよう促した。


「ま、俺も暗闇はあんまり好きじゃないしな。――ほら、子供じゃねーんだからちゃんと布団かけて休めよ。お前が眠るまで、俺が傍にいてやるから」


 その言葉に、ふざけているような響きは微塵も含まれていなかった。

 ラファエルが幼児をあやすようにぽんぽんとナタリアの頭に手を載せる。『子供じゃないんだから』と言っておきながら自分を子ども扱いしているラファエルの姿がなんだか微笑ましくて、頭上の大きな手を見上げるナタリアの表情がふっと和らいだ。


「……わたし、本当は少し恐かったの。おかしいわよね。あんな騒々しくて身勝手な兄さんなのに、また置いていかれたんだって思ったらすごく悲しかった。兄さんがいないってだけなのに、家の中がものすごく静かで、まるで世界にわたしだけ取り残されたみたいで……。今度こそ本当に一人ぼっちになってしまったんだって考えたら……なんだか恐くて、昨夜は眠れなかった」


 ナタリアは自分を優しく見下ろしている美しい青い瞳を見た。薄い灯りの中でもその深い青は底に宝石を潜ませているように神秘的に煌いていた。ラファエルが何者なのかまだよくわからないが、今、こうして傍にいてくれることがとても温かかった。


「……あなたがいてくれて良かった。ありがとう」


 そう言って微笑むナタリアを前にして、ラファエルもまた味わったことのない温かさと切なさをその胸に覚えていた。

 彼女の語る孤独が、なぜかラファエルにも理解できる気がしたのだ。


 ラファエルは気が付いたときには森にいた。自分が一体なぜ、何のためにそこにいるのかもわからない。記憶を失っていることも、それを不安に思っているかさえ彼にはわからなかった。

 記憶は無いが、ラファエルの心には不思議な孤独感だけがあった。

 原因はわからなかった。自分は一体何に対して、こんなにも膨大な孤独を抱いているのだろう――。


 やがてリュシアンに出会い、目的を得、ナタリアに出会い、仲間を得た。記憶はなくとも、一人きりでないということがどれほど温かく救われることなのか、ラファエルは初めて知ったのだ。


 それでも、孤独や不安はつきまとう。ナタリアもきっと同じだ。どれほど今が満たされていようとも、一度孤独を味わうと、その影はしつこくまとわりつく。ひとたび不安を抱けば、あっという間に心のすべてを飲み込まれてしまいそうになる。


 ラファエルはそっとナタリアの髪に触れた。そうして彼女の存在を確かめ、また自分がここにいることを彼女に伝えたかった。

 ナタリアが自分の手を振り払わないことを確かめてから、ラファエルは静かにナタリアをその胸に抱き寄せた。


「……ナタリアは、なんで俺のことを信用してくれたんだ? 自分で言うのもなんだが、俺の話は滅茶苦茶だ。自分でも意味がわからない」


 ナタリアは抗うこともせずラファエルの腕の中でじっとしていた。耳元から伝わるラファエルの鼓動は懐かしい子守唄のように穏やかに優しく響く。彼の温かな体温を感じると不思議な安心感に包まれた。


「信用してるっていうか……多分、信じたいんだと思うわ、あなたのこと。わたしにはずっと使役獣がいなくて、孤独だったから……。あなたが本当にわたしの使役獣なら、すごく嬉しいなって思ったの」


ナタリアの声は微かに震えていた。ラファエルはナタリアを抱く腕に力を込めた。


「俺のこと、今はまだ信じきれなくてもいい。だが、これだけは信じてくれ――お前のことを、主だと思っているのは本当だ。理屈じゃないんだ。俺の魂が、お前こそがずっと俺が探し求めていた存在なんだって、そう言ってるんだよ……」


「うん……」


 ナタリアもまた、自分を包むラファエルの温もりにすがるようにその腕を掴んだ。それが寒さのためか別の何かによるものなのか、二人にもよくわからなかった。


「ずっと傍にいる、ナタリア。だからもう独りなんかじゃない……」


 それはナタリアに向けた言葉だったのか、自分自身へ言い聞かせた言葉だったのか……。


 ラファエルは、改めてナタリアが自分にとって必要な存在なのだということを確信していた。

 ただ傍にいるというだけで、自分に感謝してくれるナタリア。自分でも正体がわからないようなあやふやな自分を『信じたい』と言ってくれるナタリア。

 自分を必要としてくれる存在――それこそが、今のラファエルにとって何よりも尊い存在だと思えた。

 

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