2-3
謁見を終え、ナタリア、デューク、テス、そしてラファエルの四人はオルブライト家へと戻っていた。
帰りの道中、ラファエルは一言も口を利かなかった。ナタリアやデュークの質問攻めにも一切応じようとはせず、面倒くさそうにそっぽを向いているばかりだった。
オルブライト家の居間に着いた瞬間、とうとう我慢できなくなったデュークが大声でラファエルに詰め寄った。
「いつまでももったいぶっていないで、いい加減答えたらどうだ? 魔獣退治なんか引き受けて一体どうするつもりなんだ。そもそもお前は何者だ? なぜナタリアの使役獣を名乗る? 一体何が目的だ?」
ラファエルはというと、オルブライト家の居間に着いた途端、柔らかな長椅子にどっかとふんぞり返って長い足を組んで座っていた。思案顔で黙りこんだまま目を閉じていたが、デュークの執拗な質問攻めにとうとううんざりした様子で薄く片目を開けた。
「……ったく。キャンキャンとよく吼える犬っころだな。おいお前、主人の躾がなってないんじゃねえか?」
「な……!」
突然言われたテスとデュークが、あまりの失礼さに言葉を失っていることを気にも留めず、ラファエルはうざったそうにデュークを顎で示しながらナタリアに尋ねる。
「おい、こいつお前の何だよ? オトコか?」
「ち――」
違うと否定を口にしかけたナタリアに先んじて、デュークが噛み付かんばかりの勢いでラファエルに吼えた。
「僕はナタリアの幼馴染だ! それ以上でもそれ以下でもないぞ!」
大声でそう言い切る主人を、傍らのテスがなんともいえない表情で見守る。
「デューク様……それは堂々と言い張って良いものかどうか……」
ラファエルは馬鹿にするような顔でデュークを見た。
「……あっそ。なら、単なる幼馴染さんは引っ込んでいてもらおうか。これは俺とナタリアの問題だ」
「お、お前なんて初対面だろうが! 幼馴染以下じゃないか!」
「ばーか。こいつはもうずっと前から、俺のもんなんだよ」
その言葉に、ナタリアが聞き捨てならないとばかりに口を挟む。
「ちょっと待ってよ! わたし、あなたのことなんて知らないわ。今日初めて会ったばかりなのにどうしていきなりあなたのものになっているわけ?」
ナタリアの言葉に、ラファエルの眉がわずかに動く。ラファエルは不機嫌そうな仏頂面で椅子から立ち上がると、ずいっと身を乗り出してナタリアに顔を近付けた。
「うるせーな。俺がそう決めたんだからお前は俺のもんなんだよ。それとも何か? 今から国王のとこへ戻って、さっきのは全部嘘でしたーって白状してやろうか?」
「そ、それは……」
さすがにそれはまずい。ナタリアが返答に困っていると、ラファエルは面白そうに口元に笑みを浮かべながら、さらに顔を近づけてくる。
「それにしても……さっきの啖呵、なかなかかっこよかったぜ。威勢の良い女は嫌いじゃねえ。ますます惚れ直したぜ」
ラファエルがそのままじりじりと詰め寄って来るので、ナタリアもそれに応じて後退する。そのままあっという間に壁際まで追い詰められてしまうと、ラファエルは一層楽しそうに口元を歪ませた。
ナタリアは至近距離でラファエルの秀麗な顔に見つめられて内心ものすごくうろたえていたのだが、どきどきしているということを悟られるのが無性に悔しかった。半ば意地になりながらも鼻がくっつきそうな距離でラファエルを睨みつけた。
「……ほ、惚れ直したもなにも、わたしはあなたとは初対面だって言っているじゃない。だいたい、どうしてあなたが決めたからってわたしがあなたのものにならなきゃいけないわけ?」
できるだけ毅然とした態度で言ったつもりだったが、男性とこれほどの至近距離で見つめ合ったことなどないナタリアの声はわずかに上ずってしまう。そのささやかな動揺を見逃さず、ラファエルはからかうように口の端を上げると、さらに顔を近付けてきた。
「……ごちゃごちゃうるせーな。あんまり騒ぐとキスすんぞ」
「……っ!!!!」
絶句して固まってしまうナタリアを見て、ラファエルはにやりと笑う。そのままゆっくりと唇を近付ける。
二人の唇と唇の間の距離が、少しずつ詰められる。
あと五センチ、三センチ、一センチ……――。
耐え切れなくなったナタリアがラファエルを突き飛ばそうと腕を上げたときだった。一つの影が、素晴らしい速さで二人の間に割って入った。
「……いい加減にしろ」
ナタリアを背に庇う形で、今度はデュークがラファエルを睨み据えた。
ナタリアの場所からはデュークの表情は見えなかったが、その声は付き合いの長いナタリアも初めて聞くほど低く冷たいものだった。
しばらくラファエルとデュークはそのまま睨み合っていたが、ついにラファエルが興ざめしたとばかりに身を翻すと、長椅子に戻って再びふんぞり返った。
脅威が去ったことに安堵しているナタリアに、今度はデュークが詰め寄る。
「お前も、どさくさにまぎれてほだされている場合か! 僕が助けなかったら、あのままあいつとキ、キキキスするところだっただろう!」
「ほ、ほだされてなんかないわよ! デュークが助けてくれなくても自分で抵抗するつもりだったもの!」
「フン、どうだかな」
言い合いを始めた二人をたしなめたのは、テスの冷ややかなほど冷静な声だった。
「お二人とも。そんなことよりも、今はこの男が何者かについて言及することが先です」
テスの言葉に我に返った二人は、改めて長椅子に座るラファエルを見た。からかうような目で自分たちを観察している余裕の表情が、なんとも憎たらしい。
腹立たしい気持ちを抑えながら、努めて冷静にナタリアは謁見の場でラファエルと交わした会話についてデュークたちに説明した。
「この人、兄さんの関係者らしいの。あの兄さんがまさか本当にボウヤーのおじ様の手伝いに行ったはずがないし。きっとまた旅先で誰かに迷惑をかけて、借金でも作ったのよ。さしずめ、その借金を請求に来た借金取りってところでしょ。――そうよね?」
ナタリアに問われて、ラファエルは小馬鹿にするような視線を返した。
「……残念、はずれだ。俺は借金取りじゃないし、そもそも人でもねえ」
「人でもないって……じゃあ一体何だというんだ?」
不機嫌な表情のデュークの後ろで、テスがぼそりと言う。
「彼使役獣だというのは本当です。誰の――までは、定かではありませんが」
テスの言葉を受けて、ラファエルは面倒くさそうにため息をついた。
「だから始めから言ってんだろうが。俺は正真正銘、そこにいる虎野郎と同じ混沌に生じた使役獣だ」
するとラファエルは急に品定めでもするような目つきでしげしげとテスを眺めた。
「……それにしても。ホワイトタイガーとは驚きだな。高位の獣を召喚できるなんざ見かけによらずすごい素質の持ち主なんだな、お前」
突然褒められて、デュークは面食らいながらも得意げに鼻を鳴らした。
「そ、そうだろうとも。何といっても僕は伝説に名高いボウヤー家の人間だからな。――何だ、お前以外と素直なところもあるじゃないか」
主を褒められて素直に嬉しいのか、テスも珍しく含みのない笑顔を返す。
「ありがとうございます。そう言うあなたも――」
取り留めのない会話が続きそうになるのを、ナタリアが慌てて遮った。
「ちょっと待って。それじゃあ、とりあえずあなたは本当に誰かの使役獣だとして。それってつまり、借金取りの使役する獣だってこと?」
しかしラファエルは首を振った。
「だから違うっつってんだろ。俺は借金取りでも、借金取りの使役する獣でもねえ。俺はナタリアの――お前の使役獣だ」
ラファエルはまっすぐにナタリアを見据えた。黙っていれば上品そうに見える美しい紺碧の瞳には、さっきまでのからかうような馬鹿にするようなふざけた色は存在していなかった。
真摯にさえ見える表情で自分を見つめるラファエルに、ナタリアは思わず困惑した。確かにラファエルに嘘をついている様子は感じられないが、自分にはラファエルを召喚した記憶もなければ、彼に出会った記憶すらない。もしも過去に出会っていたというのなら、これほど強烈な印象の男を忘れるはずがないだろう。
ナタリアは、遠慮がちにラファエルに声をかけた。
「だけど、わたし、あなたを召喚した覚えなんてないわ。もしかして、主を間違えているなんてことはない?」
その問いに答えたのはテスだ。
「使役獣が自分の主を間違えることなどありえません」
「だが、ナタリアはこんな奴召喚した覚えはないと言っているんだぞ? 実際、昨日だって僕らの前で召喚魔法を使って見せたが、何も現れなかったじゃないか」
デュークが苛立ちを隠しきれない仕草でラファエルを指差す。乱暴に突きつけられた指の向こうでは、ラファエルが飄々とした顔でくつろいでいた。
「ま、そうなるだろうな。俺は別にこいつに召喚された使役獣ってわけじゃねえからな」
その意味不明な答えに、デュークは思わず間抜けな声を出した。
「……は?」
「だから言ってんだろうが。こいつが俺を使役獣として見出したんじゃねえ。俺がこいつを主として見出したんだ。だからこいつは俺のもんだ、以上」
面倒くさそうに会話を強制終了させようとするラファエルに、デュークは今にも掴み掛かりそうな勢いで反論した。
「そんなおかしな話があるか! 使役獣というのは主に召喚されるからこそ従うのであって――」
「ま、普通はそうだが、別に絶対に有り得ないって話でもねえぞ。俺たち獣は、主の魂に呼応する。主が獣を喚んでいなくても、獣の方が先に主と判断して混沌から出てきたって別に有り得ないことじゃねえ」
その言葉を肯定するように、テスが頷いた。
「確かにおっしゃるとおりです。ただし、混沌の中にいる状態の獣が、喚んでもいない主を見つけ出すことができれば、の話ですが」
含みのある言い方にデュークがたずねる。
「どういうことだ?」
「混沌の中では我々は単なる『存在』に過ぎません。あるのはただ意識だけです。体を持たないゆえに、視覚も聴覚も皆無です。我々の魂は主の魂に呼応する。つまり召喚されて初めて我々は主の存在を魂として『知る』ことができるのです。しかしラファエル殿の話では、ナタリア様に召喚されたわけではないとのこと。そのような状態で一体どうやって混沌の中にいるラファエル殿が外の世界にいる主人――ナタリア様を見つけることができたのでしょう」
テスの説明を聞いていたラファエルが、不機嫌そうに舌打ちした。
「うるせーなあ……そんなの、あれだ、こいつの魂に呼ばれたんだよ」
明らかにいい加減な答えを返すラファエルに、デュークが疑いの視線を向ける。
「ならばなぜ、今までナタリアがいくら召喚しても何も現れなかったんだ?」
「そんなの、俺がもうこの世に具現化してるんだから、新たに混沌から獣を呼び出そうとしても何も呼び出せないのは当然だろーが」
当たり前のようにそう答えるラファエルに、デュークはなおも食い下がる。
「それならばなおさらだ。なぜ今までナタリアの呼び出しに応えなかった?」
「それは……召喚されるまでもなく俺の心は常にこいつとともにあるからだよ」
「そんな馬鹿な言い訳が通用すると思っているのか!? だいたい、本当にリュシアンの関係者かも怪しいものだ!」
デュークはラファエルが気に入らなかった。容姿が美し過ぎるとか、その刺激的な振る舞いにナタリアがいちいち頬を染めているとか、細かなことを言い出せばきりがない。
だが何よりも気に入らないのは、もしもこの男の言葉が偽りなのだとしたら、ナタリアにとってこれほど残酷な嘘はないと思ったからだ。ナタリアが自分には素質がないと口で言いながらも、密かに抱き続けてきた希望や期待といったものを、彼女がひたむきに抱いてきたその気持ちを、乱暴に踏みにじるようなものなのだ。
自分に向けられる不信の目を振り払うように、ラファエルは苛立たしげに息を吐いた。
「だああーー! もううっせえなあ! 俺がリュシアンに会って、あいつにここへ向かうように言われたのは本当だ。リュシアンからナタリアの話を聞いているうちに、思い出したんだよ――俺はお前を選んだってことをな。そうして実際お前に会って確信した。俺の主は、ナタリア、お前しか考えられないってな」
「そんな……そんなこと……」
彼の話のどこをどうやって信じたらいいのだろう。どう考えても信憑性がないはずなのに、ナタリアにはデュークのようにラファエルの言葉を簡単に一蹴できなかった。
彼の言葉も態度も、どこをとっても信じるに足るとは言いがたい。それでも、彼の言葉を信じたい――真実だったらと思ってしまう自分がいる。
それに陛下から魔獣退治を任された今、『素質を持たない者』かも知れない自分に使役獣に変わる存在がいてくれることは正直言ってありがたいことだった。
ナタリアの揺らぐ心情を悟ってか、ラファエルは真剣な表情になると鋭い声をナタリア向けた。
「ごちゃごちゃ言ってねえで、さっさと俺の主人になりやがれ、ナタリア!!」
ナタリアは、まっすぐに自分に向けられるラファエルの視線を見つめた。言葉こそ無茶苦茶だが、彼の瞳には一点の曇りも揺らぎもなく、紺碧の双眸にはただナタリアの姿しか映っていなかった。
ナタリアはわずかに目を閉じ、ひとつ息を吸いこんだ。しかしすぐに顔を挙げ背筋を伸ばすと、凛とした態度でラファエルに向かって手を差し出した。
「……わたしを、あなたの主人にしてくれる……?」
伸ばされたナタリアの手を見て、ラファエルは不適な笑みを浮かべる。
長椅子から立ち上がり恭しく主の手をとると、優雅な仕草で跪いてその白い手に柔らかな桜色の唇をそっと添えた。その所作は息を呑むほど美しく、はたから見れば、完成された美しい一枚絵のようだった。
「ナタリア――お前は間違いなく俺の主だ。この亀――ラファエルは、ナタリアにこの存在のすべて、全身全霊をかけて尽くすことをここに誓う」
先ほどまでのふてぶてしさが嘘のように、ラファエルの一連の動作はあまりに美しく、まるで神から啓示を授かる天使のようだった。
ナタリアはその立ち居振る舞いの完成された美しさに見惚れて思わず聞き流しそうになったが、寸前のところでとろけそうになる意識を踏みとどめると、つい今しがた目の前の天使の唇から紡がれた言葉に耳を疑った。
「ちょ、ちょっと待って。今、なんて言ったの……?」
しかしラファエルは、彼女が一体何について聞き返しているのか判りかねたように、主の掌から静かに唇を離した。
「あ? だからお前に忠誠を誓うって言ったんだろーが」
そこじゃなくて……! という突っ込みをナタリアがするより前に、デュークの隣で涼やかな訳知り顔のテスが答えた。
「ナタリア様。使役獣には様々な獣が居ります。もちろん、亀とて例外ではございません」
「か、亀――?」
驚くナタリアの代わりに叫び声を上げたのはデュークだ。彼は信じられないとばかりにラファエルを頭のてっぺんからつま先までしげしげと見つめた。
高価な人形のように見事な金髪碧眼、華奢な体つきに繊細そうな顔立ち――そのどれもが、皺深く強張り黒ずんだ色の肌をした亀という生き物とは程遠いものに思えた。
ナタリアとデュークが自分に驚愕の目を向けているというのに、ラファエルはそれをまったく意に介していないようだった。
それどころか、なぜかドヤ顔で胸を張って見せた。
「ついでに言うと、俺、こう見えて実は結構高齢だから。そのせいか最近妙に忘れっぽくてさあ。リュシアンに会う前の記憶も曖昧で……まあ、たいていのことは覚えていられると思うからあまり心配すんな」
「それはつまり、認知症……ということなのか?」
「それと俺、耳も少し遠いから、ゆっくり大きめの声で聞き取りやすく話してくれよな」
言葉を失っているナタリアの後ろでは、一通りの驚きを越えて呆れた顔のデュークが大きなため息をつくと、納得したように傍らのテスを見上げた。
「――なるほど。だからお前が初対面の獣相手なのに敬語だったのだな……」
テスは基本的には礼儀正しく、一部の例外を除いて人間相手には敬語を使う。同様に獣相手には基本的に敬語を使うことはないのだ。
「目上の者に敬意を払うのは当然ですから」
しれっとした顔でそう答えるテスは、心なしか楽しそうだった。




