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ナタリアたちが謁見のために用意された広間に入ってしばらくしてから、国王陛下が高位高官の男たち数人を引き連れて姿を現した。
現国王は二年前に急逝した父親の跡を継いで即位したばかりの、まだ二十九歳の年若い男だった。名をランスロットといい、即位してからの日は浅いが、その頭の切れの良さには即位する前から定評があり、甘いマスクと優美な身のこなしが、主にご婦人方からの厚い崇拝を得ていた。
ランスロットが玉座につくまでの間、デュークとテスは跪き、ナタリアは腰を折ってそれぞれ頭を下げていた。何度か城を出入りしているので陛下の顔は見知っていたが、こうして面と向かって対峙するのはナタリアにとって初めてのことだった。緊張のあまり、不安定に傾けた足が小さく震えてしまう。
「オルブライトの娘、顔を上げろ」
ランスロットは唐突にナタリアに向かって声をかけた。予定では、最初に既に国王と何度か面識のあるデュークが、リュシアンが体を壊してしばらく療養を取る必要があることを説明するはずだった。
でも――。
ちらりと背後のデュークと目を合わせる。デュークは困った顔で眉を歪めていた。国王の御前で、許しも得ずに勝手に顔を上げて話しを始めるわけにはいかない。
ナタリアはこの期に及んでまだデュークに頼ろうとしている自分に気付いて、心の中で自身を一喝した。
これはオルブライト家の問題だ。本来は何の咎もないボウヤー家の人間が、この謁見の場に――しかも自分の側に――同席してくれるというだけでも十分申し訳ないことだというのに。ここで国王への説明までデュークに甘えるのは一人の人間として間違っている。
ナタリアは覚悟を決めると、デュークに向かって大丈夫よ、という気持ちを込めて微笑んでみせた。
ナタリアは小さく息を吸い込んでから、意を決して顔を上げた。すかさず飛び込んでくる、国王や側近たちの品定めするような重たい視線に息が詰まりそうになる。
ナタリアはできるだけ彼らの視線を気にしないようにしながら、小さな一歩を踏み出すと、自分の中で最上級に優雅な仕草で会釈して見せた。
「親愛なる国王陛下には、ご機嫌麗しく。わたくしはオルブライト家の長女、ナタリアと申します。恐れながら、このたびは兄リュシアンの療養の許可を頂きたく、病床に伏せる兄に代わって参りました。何よりも大事な勤めを果たせないこと、兄も病床にて深く悔やんでおります。陛下の寛大なお心でご容赦くださいますよう何卒お願い申し上げます」
言葉遣いは怪しいが、表情や声音は十分迫真の演技だった……と思う。ナタリアは深く頭を下げたまま、凍りつくようにして国王陛下の次の言葉を待っていた。
「――ははっ」
意外にも、ランスロットの口から漏れたのは、了承でも叱責でもなく、冗談に吹き出したような小さな笑い声だった。
「――なるほどね。それで、リュシアンはいつ『帰ってくる』のかな?」
ナタリアとデュークは、ぎょっとして礼儀も忘れて国王を見上げた。
ランスロットは面白そうにナタリアとデュークの青い顔を眺めてから、何事もなかったように続けた。
「まあ良い。了解したよ、オルブライトのお嬢さん。だが、それなら城下に出た魔獣の退治は一体誰に頼んだら良いだろう? 生憎ボウヤーのところの部隊は遠征に出してしまったし。剣と槍の兵では、魔獣の相手は荷が重過ぎる」
「それは……」
ナタリアは言葉に詰まった。こんなとき自分に猛獣使いの素質があったなら。兄やデュークのように立派な使役獣がいて、魔獣と戦えるだけの力を持っていたのなら、何の躊躇いもなく自分が兄の代わりに魔獣退治に赴く許しを請うことも出来たのに。
唇を噛んでしまうナタリアに代わって、無礼を承知でデュークが口を挟んだ。
「畏れながら陛下。わたしに、オルブライト卿の代わりに魔獣退治の任に就く許可をいただきたく存じます」
しかしランスロットは何もかも見透かしているような金色の瞳でデュークを見下ろした。
「マーマデュークか……。お前、士官学校はどうした? 確かまだ卒業していなかったはずだが?」
「そ、れは……」
「第一、お前はボウヤー家の人間だろう、マーマデューク? オルブライト家の人間を差し置いて何故お前がオルブライトの部隊を率いる?」
「それは……っ」
今度はデュークが唇を噛む。ナタリアがオルブライト家に生まれながら未だ自分の使役獣を見出せていないことは、軽々しく口に出来ることではなかった。こと長子リュシアンがいなくなった今の状況で、オルブライト家に猛獣使いとしての跡取りがいないとなれば、その身分を剥奪される可能性とてないわけではないのだ。
ランスロットは不意にそれまで黙って事の成り行きを見守っていたテスを指差した。
「そういえば、先程から気になっていたが、そいつはマーマデュークの獣だろう? オルブライトの娘、お前の獣はどうした? 猛獣使いが使役獣を連れて歩かないとは珍しいな」
ランスロットの言葉を受けて、にわかに広間がざわつく。
「そういえば、オルブライトのご息女の使役獣の話は聞いたことがないな」
「もしや『素質を持たない者』ということはあるまいな」
「まさか。オルブライト家の血を引きながらそれは有り得ないだろう」
高官たちがひそひそと耳打ちし合う声が聞こえてくる。
ナタリアとデュークは顔を見合わせて息を呑んだ。
――駄目だ。国王陛下はすべて知っているのだ。もうこれ以上、この男を謀ることは出来ない――。
諦めたナタリアが、謝罪のために勢いよく頭を下げたときだった。
「――使役獣でしたら、ここに居ります」
広間を満たしている重苦しい空気を浄化するような清らかな声が、突如開かれた扉の向こうから飛び込んできた。
どこから差しているのかわからない眩しい室外の明かりを背に、一人の男が静かに姿を現す。
白地に金糸の刺繍の施された外套の下から伸びる長い手足はしなやかに動き、広間の絨毯の上に長身の影を落とす。光を映しこんだかのようにまばゆく輝く見事な金色の髪は、いかにも柔らかそうに波打ち、その金髪の間からのぞく両の瞳は深い海を閉じ込めたような思慮深い紺碧だ。あどけなくも見える大きな瞼を縁取る長い睫もまた儚げな金色で、肌は白磁のように白く透き通り、全体的に薄い色素の中で純粋な幼子のように輝く薔薇色の頬がやけに映え、彼をいっそう魅力的に見せていた。
神々しいばかりの光をまとって颯爽と現れた彼を見て、誰もがこう思ったに違いない。
まるで物語の中に出てくる美しくも愛らしい神の御使い――天使のようだ、と。
「……何者だ?」
ランスロットが訝しげに眉を寄せ、現れた男に問いかける。男は悠然とした歩みでデュークとテスの横を通り過ぎそのままナタリアの傍らに立つと、ランスロットに向かって優雅な仕草で膝をついて一礼した。
「国王陛下の謁見の場に遅れて現れる無礼をどうぞお許しください。わたくしは、こちらに居りますナタリア・オルブライトに仕えます獣――名を、ラファエルと申します」
その言葉に、ナタリアとデュークは目を丸くしてラファエルと名乗った美青年に目を落とした。
「獣……? だがナタリアは――」
獣が召喚できないのに、という言葉を続けようとしたデュークの口は、横から伸びてきたテスの大きな手によって塞がれた。
「デューク様お静かに。ここは部外者が口を挟むべきではありません」
デュークの口を塞ぎながら面白いおもちゃを前にした子供のような笑顔を浮かべるテスの瞳には、ナタリアの横で跪いている美麗な姿の青年が映っていた。
確かに、この男は嘘はついていない。この男の気配は、人間のそれではなく自分と同じ混沌に存在する獣と同種のものだ。
ただ面白いのは、この男は『何かが違う』ということだった。主たちのような人間ではないことは確かだし、自分と同種の獣であることもまた明確だ。しかし、この男の気配はそれだけではない何かを秘めている。
テスはもう一度品定めするようにラファエルと名乗る青年に目を走らせ、続けて自分の手に口を塞がれたまま心配そうにナタリアを見つめているデュークにちらりと目をやった。
今のところ危険な気配は感じられないが、万が一何かあってもこの間合いならば主を危険に晒すことはないだろう。そう結論に至ったところで、テスはやっとデュークの口を塞いでいた手を離した。急に開放されたデュークはバランスを崩して床に転びそうになる。抗議の視線をテスに向けたが、彼の使役獣は悪びれた様子もなく涼やかな顔でナタリアたちを見つめていた。
デュークとテスがそんなことをしている間にも、ランスロットとナタリア、そしてラファエルと名乗った青年は、なんともいえない微妙な空気を互いの間に巡らせていた。
ランスロットは金髪の青年と、その横で驚いた表情のまま固まっている少女を交互に見やった。確か、内々に聞いた話では、オルブライト家の娘は『素質を持たない者』という話だったはずだが……。しかし、あの猛獣使いの名家オルブライトの血を引く者だ。最近になって召喚魔法が使えるようにでもなったのだろうか。
(だが、それならばなぜ彼女は、あんなに驚いた顔で自分の使役獣を見つめているのだ?)
ナタリアはというと、ランスロットにもデュークにも、テスにすら聞こえないほど小さな声で、既にこの自分の使役獣を名乗る獣と言葉を交わしていた。
「あなた誰? わたしには使役獣なんて――」
「うるせーな。助けてほしけりゃ黙って俺に話を合わせろ」
「な……!」
そのぶしつけな言い草にナタリアがむっとするのも気に留めず、ラファエルは国王の方に顔を向けたまま小さな声で面倒くさそうに言葉を続けた。
「……リュシアンの由縁だと言えば、納得してもらえるか?」
その名を出されて、ナタリアには二の句が告げなくなってしまった。もしかして、またあの人騒がせな兄がどこぞで何か迷惑をかけでもしたのだろうか。
もしもそのせいでこのラファエルという青年が自分の使役獣を騙っているのだとしたら、迷惑の根源である兄の唯一の血縁者であるナタリアには、この怪しげな青年を無碍に扱うことは出来ない。
ナタリアはにわかにこみ上げてくる頭痛に激しい眩暈を覚えた。
あの兄ときたら、今度は一体何をしでかしたのだろう? 一番ありそうなのは、器物破損で借金を抱えてしまったという線だが……。だとしたら、この麗しい青年は天使でも使役獣でもなく、ただの借金取りだということになる。
もしも陛下の御前でこの上兄の愚行を暴露されたらと考えると、ナタリアの背中に冷たいものが走った。やむを得ないが、ここはラファエルに従うしかない。
ナタリアが小さく頷いたのを見て、ラファエルは優しく微笑んだ。
「――いい子だ」
柔らかく細めた目元は美しい天使そのものに見えるというのに……。この笑顔で借金取りだなんて、いろんな意味でがっかりだ。
ナタリアが密かに落胆しているとき、ランスロットの後ろで一つの影が動いていた。それまでずっと玉座の背後に潜んでいた女が、小声でランスロットに耳打ちする。
「――あのラファエルと名乗る男、我らと同じく混沌に住まう獣だということには間違いありません」
その短い報告にわずかな含みを感じたが、ランスロットはあえて追求しなかった。彼女は彼の使役獣であり、優秀かつ信頼のおける諜報部員でもあった。もし危険な何かを孕んでいるのならば、それがわかった時点で彼女がそうと告げるだろう。
「わかった」
ランスロットはそれだけ言うと、改めてナタリアへ視線を向けた。
「オルブライトの娘、その男がお前の使役獣であるという話に相違ないか?」
急に声を掛けられたナタリアは露骨にドキッと肩を震わせた。しかしぎこちない動きでランスロットの方へ向けた顔にはまばゆいほどの笑顔が乗っていた。
「はい。事実でございます、陛下」
ナタリアがそれ以上何か言う前に、すかさずラファエルが立ち上がると、ナタリアの言葉を継いだ。
「わたくしはとある事情からリュシアン殿と行動を共にしておりました。今日この場に参じることを我が主には報告しておりませんでしたので少々驚かせてしまったようですが、わたくしが彼女の使役獣であるということはまごうことなき事実でございます」
饒舌な口調でしれっと嘘をつく美青年の隣で、ナタリアはただ頷いていることしか出来なかった。こんなに堂々とした態度で国王に嘘をついて、もしも真実がばれたときにはどうなるのだろう。浮かんできた恐ろしい想像を振り払うように、ナタリアはぶんぶんと首を振った。
こうなったら、もう後には引き返せない。覚悟を決めると、ナタリアはドレスの裾を持ち上げ勢いよく一歩進み出た。
「陛下。報告が遅くなってしまったこと、大変申し訳ございませんでした。改めてご紹介致します。この者はわたくしの使役獣ラファエルと申します。わたくしナタリア・オルブライトとその使役獣ラファエルは、国王陛下とこのリンクベル王国に、いっそうの忠誠を尽くすことをここに誓います」
ナタリアが膝を折ってお辞儀すると、ラファエルもそれに倣って深々と頭を下げた。なるほどこうして見ると、黙っていれば確かに使役獣とその主に見えないこともないと、テスは密かに感心しながら顎を撫でた。
一方ナタリアはというと、内心冷や汗ダラダラだった。やってしまったという焦りと後ろめたさでいつまでも顔を上げられずにいると、先に顔を上げたラファエルが信じられないことを口にした。
「陛下。はばかりながら、リュシアン殿より伝言を預かって参りました」
「申せ」
「リュシアン殿は、遠く国境にて魔獣退治の任に就かれるボウヤー家の手伝いに向かわれるとのこと。故に、その間はオルブライト家への任務はこちらのナタリア・オルブライトに一任したいと」
「嘘……!」
「な……っ!」
これには、ナタリアだけでなくデュークも驚きの声を漏らしてしまった。
あのリュシアンが自ら進んで魔獣退治の手伝いに赴くなど、有り得ないにも程がある。当然、家を出る前の父からは何の報告も受けていない。
もの問いた気に自分を振り返るナタリアに、デュークは無言で首を振った。
しかしランスロットはほんのわずかな時間思案した素振りを見せると、すぐに何かを面白がるような表情でナタリアとラファエルに目を落とした。
「なるほど。やはり病床に伏しているというのは嘘だったか」
うろたえるデュークに反して、既に腹をくくったナタリアは意外にも堂々と開き直った態度で言ってのけた。
「恐れながら陛下。その身勝手さが我が愚兄の病なのでございます」
これにはさすがのランスロットも目を丸くした。しかし次の瞬間、今日一番の大声で笑い出す。お腹を抱え身をよじっておかしそうに笑うその姿には、さっきまでの畏怖に満ちた国王の面影など僅かも残ってはいなかった。
「――はっはっはっ! なるほど、確かに道理だな。オルブライトの娘――名を何と言ったか?」
突然改まって名前を尋ねられ、ナタリアはさっきまでの開き直りが嘘のように恐縮して身を正した。
「は、はいっ! ナタリアでございます!」
小気味良く答えたナタリアの様子を満足そうに見てから、ランスロットはにやりと口の端を上げて笑った。
「ではこれより、城下の森に現れた魔獣の退治を、オルブライト家のナタリアに命じる。第七小隊を連れて明日の朝早々に出立せよ。それから、マーマデューク、お前も彼女を手伝うことを許そう」
ナタリアたちが異議を唱えるより早く、控えていた側近たちが慌てた声を上げる。
「し、しかし陛下! いくらオルブライト家の人間とはいえ、ナタリア殿に隊を任せるなど……!」
「そうです! 仕官もしていない者を突然隊長の任に就かせるなど無茶苦茶です!」
しかしランスロットは表情一つ変えずに言いのけた。
「あのオルブライト卿が隊長だというのも、既に十分無茶苦茶だと思うが?」
「それはそうですが……」
高官たちが言葉に詰まってしまうのを見て、ランスロットはぴしりと言い切った。
「異論は認めない。無事魔獣退治を成し遂げれば、今回のオルブライト卿の身勝手な行動は不問に処そう。――以上だ」
有無を言わさぬ王命に、ナタリアとデュークはただただ頭を下げていることしか出来なかった。




