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2-1

 翌朝、ナタリアとデューク、テスの三人は、国王との謁見のために陛下の住まう王城へと向かった。


 国王直属の猛獣使い部隊を代々率いてきたボウヤー家とオルブライト家は、王都の中でも王城のごく近くに居を構えている。それは万が一のときにすぐ国王の元へと駆けつけることが出来るようにするためであったが、実際のところボウヤー家とオルブライト家のまとめる猛獣使い部隊の主だった仕事は城下や王都の内外に現れた魔獣の退治だった。


 しかしナタリアは、今朝ほどこの王城への道のりが短いことを、恨めしく思ったことはなかった。たいして好い言い訳も思いつかないままに、重い歩みを進めていた足はあっという間に城門へと辿り着いてしまった。


 門番がナタリアとデュークの姿を認め、身を正して敬礼する。まもなく士官学校を卒業するデュークは既に父の手伝いと称して何度も城へ出入りしていていたし、ナタリアもデュークほどではないが、門番に顔を覚えられる程度にはここを訪れていた。当然見咎められることもなく、城門の内側へと通される。もとより、この城で働いていながらボウヤー家とオルブライト家の人間を知らない者などいないのだ。


 あっさりと強固な門を抜けると、美しく手入れされた庭園が現れる。定規で測ったようにきっちりと刈り込まれた低木の間を左右に見ながら、正面の王城に向かって整備された石畳がまっすぐに伸びていた。

 そんな整然とした景色の中を歩くナタリアの足取りは重い。肩を落としてとぼとぼと歩くナタリアは、陰鬱極まりない表情のままで急にぴたりと足を止めた。


「わたし……やっぱり帰ろうかしら」


 ぎょっとして、デュークが立ち止まってしまったナタリアを振り返る。


「お前というやつは、今更何を言っているんだ。どう考えても隠し通せるようなことではないだろうが」


「それはそうだけど……」


 ナタリアの小さな口から、今日何度目かわからないため息が漏れる。ナタリアの憂鬱の対象は、国王だけではなかった。あんな協調性もカリスマ性も皆無の兄だが、一応猛獣使いとしての素質は人並み以上だったらしく、隊員はわずかに十余名だけという小隊ではあるが歴代のオルブライト家の長子と同じく一応隊長として隊を任されていた。

 本来はデュークの父親ボウヤー卿がまとめる部隊と並び『国王の双翼』と呼ばれるほどの精鋭ぞろいの部隊だったらしいが、新たに就いた隊長の人間性に問題があるため、多くの隊員がボウヤー部隊への編入を志願したというのは有名な話だった。


 それでも、兄のもとに残ってくれた隊員たちに、一体何と言って弁明したら良いのだろうか。なまじ国王陛下よりも兄の気性を理解している分、どう考えてもオルブライト家の信用を底辺まで失墜させるとしか思えなかった。


 先に立って歩いていたデュークはナタリアの前まで引き返して来ると、うな垂れているナタリアの両頬に手を添え無理やり顔を上げさせた。


「大丈夫だと言っているだろうが。昨日のうちに隊には僕から簡単に話をしておいたし、謁見の場にはこの僕が一緒について行ってやるんだぞ」


 ナタリアは頬を包む温かい感触に触れて心が落ち着いていくのを感じていた。父親について何度か魔獣退治にも行っていると自慢しているわりに、ナタリアに伸ばされたのは相変わらず逞しいと形容するには程遠い細腕だった。大人の男性の魅力をかもし出すにはまだしばらくは時間が必要だろうが、それはナタリアが小さい頃からその温もりをよく知っている腕だった。


 ナタリアは自分に向かって伸ばされたそのどこかほっとする腕を辿るようにして、幼馴染の少年の顔を見上げた。子供の頃から変わっていないはずの素直でまっすぐな瞳には、わずかな不安も恐れもなく、ただ明るく輝いて優しい穏やかさでナタリアを見下ろしていた。


 兄のことで迷惑をかけてしまっているはずなのに……。ナタリアが昨日一人でうろたえている間にも、彼はさっさと父親への使いを出し、兄の部隊へ説明に行き、その他兄の関係者にも簡単に話をしてくれていた。


 本来ならば、それはすべてオルブライト家の人間である自分がしなければならないことだったというのに。デュークは今朝になっても文句一つこぼさずに、こうして国王陛下との謁見の場にまで、付き添ってくれると言う。


 それがどれだけ心強いことか。たった一人でどうしたらいいのかわからないと泣き沈まずに済んでいるのは、すべてデュークの存在があるからだった。


「……わたし、この先もあなたには頭が上がらないわ」


 そう言ってしまうと、急に温かな気持ちがこみ上げてきて、思わず視界が滲んだ。

 デュークはにわかに揺れるナタリアの瞳を見て、ぎょっとしたようにたじろぐ。そんな二人の様子を見ていたテスが、すかさず横から楽しそうにはやし立てた。


「あーあ。デューク様が泣かしたぁー」


「うるさい馬鹿テス!」


 デュークはニヤついているテスをものすごい形相で睨みつけてから、改めてナタリアの方へ向き直った。


「お前も! まだ何も解決していないのに、今からめそめそするなと昨日も言ったはずだぞ。泣くのは馬鹿兄が帰って来てからにするんだな」


 ごしごしと目元を擦ってから顔を上げたナタリアの瞳はもう濡れてはいなかった。代わりに、爽やかな笑顔で微笑んでみせた。


「まさか。兄さんに会ったら、一発殴るくらいじゃ気が済まないもの。泣くのは兄さんの方だと思うわ」


 兄のことを口にするナタリアの笑顔はとても生き生きとしているはずなのに、それを見たデュークとテスは背筋に冷たいものが下っていくのを感じた。


 ――目が、目だけが、全く笑っていない。


 ほんの一瞬、思わずリュシアンに逃げろと言いたくなったのは、ナタリアには絶対に秘密だ。


 *****


 第七小隊への謝罪を済ませたナタリアたちは、今度こそ国王との謁見の間へ向かっていた。


「でも、兄さんの部下っていうからどんな人たちかと思ったけれど……皆優しい人たちばかりでほっとしたわ」


 安堵した表情で歩くナタリアの後ろで、デュークとテスがぼそぼそと囁き合う。


「本気か……? あのあからさまに下心見え見えの、鼻の下伸ばしたにやけ面に気付かないとか、あり得ないだろう」


「かねてから理解していたつもりでしたが、ナタリア様は本当にそちらの分野には疎いご様子。デューク様も重々お気をつけくださいませ」


「な、なぜ僕が気をつける必要があるんだ……っ!!」


 うっかり荒げてしまったデュークの声に、前を行くナタリアが振り返る。


「どうしたの、二人とも?」


 デュークとテスは張り付いたような笑顔でぶんぶんと首を振る。


「な、なんでもないぞ!」


「そう……?」


 それにしても……。デュークはナタリアが前へ向き直ったのを確認してから、密かにため息をついた。

 それにしても、さっきの第七小隊の隊員たちの、ナタリアを前にしたときの態度といったらひどいものだった。

 いつもは乱雑に物が散らかっている掃き溜めのような詰め所が、今日は模様替えでもしたかのようにきちんと片付けられていた。デュークは何度もあの詰め所に出入りしているが、あの染みか模様かもわからないほど汚れ放題だった壁や床や窓がぴかぴかになるほど磨かれているのを初めて見た気がする。


 それだけでなく、普段はドアを開けた途端、汗臭いようなかび臭いような、なんともいえない酸っぱい臭いがむわっと襲ってくるというのに、今日は吐き気がするほど甘ったるい薔薇の香りが部屋中に充満していた。

 挙句の果てに、いつもならほぼ半裸で過ごしている粗野な男たちが、訓練のときですらまともに着たことがない隊服をきっちりと身にまとい、一列に並んで敬礼して見せたのだった。


 確かに昨日、デュークが詰め所を訪れたときに、明日ナタリアがリュシアンの代わりに挨拶に来るから、その緩みきった格好だけは何とかしておけと言っておいた。

 それにしても、いくらなんでもあれはやりすぎだ。おまけにあの、ナタリアを見る男共の目つきといったら、まるで飢えたハイエナのようだった。


 確かにナタリアは昔から愛らしく、周囲の異性から密かに人気があることは知っていた。しかし、あくまで『密かに』だ。もれなくあの変人兄がついてくるというので、実際に彼女に手を出すような愚か者は今まで現れなかった。そのため、ナタリア本人は周囲のそんな感情にまったく気が付かずに過ごしてきたのだった。


 そんなわけで、当然第七小隊の連中も、誰一人ナタリアを責めたりはしなかった。それどころか、ナタリアに使役獣がいないことを知らない彼らは、これを機にリュシアンの代わりにナタリアが隊長に就いてくれたらと妄想する者も少なくないようだった。


「まったく、隊長に似て能天気な奴らだ」


 だが決して悪い者たちではないとデュークもよく知っていた。だからこそあの変わり者のリュシアンのもとに残って、今日まで彼を支えてきたのだ。

 ナタリアもそこの所はよく理解していた。兄を信じてついてきてくれた彼らのためにも、一刻も早く良い解決策を見つけなければ――。


 そんなことを考えているうちに、気がつけばナタリアたちは国王との謁見の間に到着していた。



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